今日は、日本式の顔文字 (^_^)
が生まれた日(1986)。
一応、欧米式の顔文字、:-)
と :-(
は 1982 年に提案されています。
アメリカでは、1960年代から、テレタイプ端末を電話回線でコンピューターに接続して時間貸しするサービスがありました。
その延長で、いわゆる「電子掲示板」も早くから普及しています。
1970年代の末頃には家庭用のコンピューターも普及し始め、電子掲示板を使用するユーザーも増えます。
そして、ユーザーの急増に伴い、それまで数の少ないユーザーの間では「常識」で済んでいたことが、通用しなくなり始めたのです。
簡単に言えば、冗談を書き込んだのに真に受ける人が出始めた。
これはいけない、と、冗談の最後には「冗談だよ」という意味で、笑い顔のマーク :-)
をつけようという提案がなされたのです。
さて、今日は日本の顔文字の話。
日本ではアメリカと違い、電話は国営でした。電電公社だけに許されたサービスだった。
その電話回線に接続する「電話機」もまた、電電公社の所有物で、レンタルでした。
電話料金と共に、毎月のレンタル料を支払う制度。
そして、その電話機以外の機械を電話回線に接続することは許されなかったのです。
この制度が変わったのが、1985年。
電電公社が民営化されてNTTとなり、同時に電話機自体も、認可があれば別の会社が作れるようになります。
日本の「パソコン通信」時代の夜明けはこの後で、300bps のモデムとかで通信ができるようになります。
まだ漢字を使えるマシンも少ないころで、アルファベットとカタカナだけで通信をやっていました。
#と書いているけど、僕がパソコン通信を始めたのは 1990年代なので、この頃の話は伝聞。
一応、これ以前からも、通常の電話機にマイクとスピーカーを密着させる「音響カプラ」でのパソコン通信は行われている。
さて、1985年には、パソコン雑誌で有名だったアスキーが主催する形で、パソコン通信の「アスキーネット」がいち早くサービスを開始しています。
日本式の顔文字が生まれたのは、1986 年、アスキーネットでのこと。
お祝いメッセージの中で、喜びの表現として (^_^)
という組み合わせが使われました。
この時点では、自分の気持ちを表現するものなので、文末に自分の署名とともに入れる形です。
でも、「顔文字」という概念もないので、誰も顔だと気づいてはくれなかったとか。
その後は、「自分らしい署名」の一部として使用されます。
欧米での使われ方のような、感情表現とは違うものです。
しばらく後には爆発的な普及を見せ、各自が工夫したバリエーションが増えていきます。
ここら辺、考案者である「わかん」さんに、メールでお伺いしたことがあります。
当時は日本ではパソコン通信は「新しいもの」で、海外のパソコン通信を知っている人はほとんどいません。
存在程度は知っていても、実際使ったことはない、という意味ね。
だから、海外の顔文字は全く知らず、無関係だったそうです。
1980年前半のパソコンはグラフィックが使えないものも多く、ゲームなどを作る際に文字の組み合わせで形を作る「アスキーアート」を駆使していました。
これらは、ベーマガなどを読んでいた人にもお馴染みだったと思います。
しかし、わかんさんは視覚障碍をお持ちで、当然ながらこれらのゲームも知らないし、雑誌のプログラムを読んだこともないそうです。
つまり、全くのオリジナルアイディア。
今では、海外でも日本式の…横倒しになっていない顔の書き方は人気がありますし、Unicode によって文字のバリエーションも増えたため、驚くほど多くの表情を作り出せます。
時々、凝りすぎていて使い道がわからない顔文字も見かけますけど。
僕は文章の中に顔文字を入れすぎるのは好きではない。読みにくくなるから。
でも、時々 :-) や (^^; は使います。
前者は、英語的な表現と同じ「just joke」な感じ。
後者は、ちょっと照れ笑いを浮かべているような、なんと言ってよいか困っているような表現ね。
改めて説明しようと思うと的確な言葉が見つからないのですが、だからこそ顔文字で表現するしかない。
文章を書くプロであれば、微妙な表現でも的確な言葉を見つけないといけないでしょう。それがプロの仕事だから。
でも、今は素人でも書いた文章を人に見てもらえる時代。
上手い言葉を見つけ出せない時に、顔文字などで感情を伝えようとするのも、悪くないかと思います。
そこに「伝えたい」という気持ちがあるのであればね。
先に書いた「凝りすぎた顔文字」というのは、絵としての面白さはあるけど感情が乗らないようなものね。
絵を作り出した努力は認めますし、素直に面白いと思うものもある。
でも、顔文字が感情表現の一環であるならば、非常に使いづらい。
パソコン通信やメールでは顔文字が多用される、ということを前提に、DoCoMo が i-mode を作り出したとき、顔文字を1文字で表現するような「絵文字」が考案されました。
i-mode の初期の頃って、横幅が8文字分しかないんですね。顔文字の途中で改行されてしまう可能性は高いし、そんなことになったら絵として見られなくなる。
だから、1文字の幅の中で、笑い顔や泣き顔など、いくつかの顔を入れてしまった。
それでも、アスキーアートの延長だったので、絵としては非常に簡素なものでした。
その後、他社も真似して絵文字を入れていく過程で、完全に顔の絵になってしまった。
さらに表情も増え、それがそのまま Unicode に取り込まれた。
Unicode の策定に関わっている多くの人達が、「文字」ではないものを取り込むことに対して、強く反対したそうです。
そして、取り込むことを決めても、今度は日本生まれの「絵文字」が日本文化に根差しすぎていることが問題となった。
日本の文字なら日本文化に根差しているのは当然。
でも、絵文字は一見して「世界中誰でも理解できそう」だからこそ、その表現が日本文化だけに根差していることに問題があったのです。
非常に多くの議論が行われ、文字の形などが変更され、やっと取り込まれます。
実際取り込んでみたら大人気で、欧米のユーザーも喜んで使い始めた。
今では欧米からも、積極的に新しい絵文字の提案が出されています。
しかし、公式に「文字」の一部として顔の絵が使えるようになっても、なお新しい「顔文字」が作られ続けています。
組み合わせて自分で作る、という遊びが面白いという側面もあるのでしょうし、そもそも顔文字が「文字で表現できない微妙な感情を表現しよう」とするものだからでもあるでしょう。
公式にいくつかの顔が作られてしまえば、その中にない新たな表情を作りたくなる。
たぶん、顔の絵がどんなに増えても、「顔文字」が無くなってしまうことはないのだと思います。
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