98HAロゴ

不遇の国民機

今でも続いているシリーズですが、PC-9801シリーズというパソコンがあります。一時は国民機と呼ばれるまでの普及台数を誇ったのですが、現在は急速にシェアを失いつつあるようです。


そのPC-9801シリーズですが、同じ「98」であっても、微妙な違いによって名称が分けられているのはご存じでしょうか?

有名なところでは、PC-9801とPC-9821は別のシリーズです。ほかにもPC-H98シリーズなんていうのもあったりします。

そして、今回取り上げるのは、たった2機種しか発売されなかった「PC-98」シリーズです。

Handy98総合目次

第1回 不遇の国民機

PC-98シリーズ

愛称は「Handy98」

互換性がない?

それ以外の部分

第2回 Handy98は何を目指したのか?

 目指したもの 内蔵ソフト DOS環境 Works メモリマップ 疑似TVRAM


PC-98シリーズ

PC-98シリーズには、PC-98LTとPC-98HAがあります。LTはラップトップ、HAはハンディの意味です。


これ以外にもXA、XL、GS、DOなどもありますが、どれも互換性が悪い機械です。ここらへん、NECが「PC-98」という名前を逃げに使っていた可能性が伺えます。

LTの発売当時、まだパソコンは机の上でブラウン管に接続して使われるもので、携帯用にはポケコンが使用されていました。LTは、そんな「デスクトップ」の性能を液晶ディスプレイと組み合わせ、持ち運び可能にした意欲的な機種です。

しかし、当時の技術では完全にデスクトップと互換のものを作るのは不可能だったようです。液晶は白か黒かの2値となってしまい、PC-9801シリーズとの互換性は、惜しいところで失われました。

その後、このコンセプトは一般化し、ノートパソコンなどが作られるようになります。液晶技術も向上し、16階調を使うことで白黒ながらデスクトップ並の画像も扱えるようになりました。98LTはすでに過去のものです。


・・・と、そのとき。98LTの技術を復活させた商品が登場しました。98HAです。たしかにPC-9801との互換性は無いかもしれませんが、思いきって最初から2値しかない液晶を利用することで、さらなる小型化が可能だったのです。

A4サイズがやっとだった当時のノートパソコンのなかにあって、98HAの大きさはさらに半分のA5サイズでした。

そして、98HAはこの大きさを利用して、電子手帳の世界にまで戦いを仕掛けたのです。


愛称は「Handy98」

良く言われるジョークで「Handy98は、まさにハンデを背負った98だ」と言うものがありました。先の話のように、98HAはLT互換機であり、PC-9801互換機ではありません。

98HA開けた状態  98HA。写真からは大きさがわかりにくいですね。液晶部分の大きさが、葉書とぴったり同じサイズです。ご参考まで。
 今となってはもっと小さなパソコンも出ているのですが、当時としては驚異的な小ささでした。

 ボディーカラーには赤と黒と白がありましたが、私は赤が好きです。外観についての詳しいことは、次回で扱う予定です。

98HAはCPUにV50を使用していました。V50は、当時広く使用されていた16bitCPU、8086のNEC互換品であるV30を、クロックアップや周辺ペリフェラルの内蔵等の形で改良を行ったものです。(ややこしいですが、ようは8086上位コンパチ)

V50にはシリアル通信回路なども組み込まれていたのですが、98HAではそれらの機能は使われず、ただ単純に高速化されたV30として使われていました。

小型化を売りとする機械で、なぜこの様な無駄な設計がなされたのでしょう?


その鍵は「互換性」にありました。皮肉なことに、互換性が欠如しているとして人気のなかった98HAは、実は互換性を得るために苦労した跡がたくさんあるのです。

シリアルポートもその一つで、V50内蔵の機能を使えばLSIの節約になるにもかかわらず、過去との互換性のためにわざわざ別の回路を用意しているわけです。

2018.11.26 追記

twitter で、V30 は 8086 互換品ではなく、上位互換ではないか、との指摘をいただきました。

その通りです。V30 は 8086 上位互換で、いくつかの NEC 独自命令が追加されています。


PC-9801 シリーズは、発売当初は 8086 互換品を搭載し、その後より高速な V30 を搭載しています。

インテルが 80286 / i386 を発売してからはそちらを使用するようになりますが、80286 / i386 には当然ながら NEC 独自命令は搭載されていません。

このため、互換性を確保するために V30 も同時搭載する期間が長く続きました。


この記事が書かれた当時、PC-9801 はまだ「シェア No.1」のパソコンであり、ちょっと詳しい程度の人でも V30 が i386 などと非互換であることを知っていました。

詳しい人なら知っているし、ここでの記事内容では V30 の詳細まで知る必要はない。そのため、当時はややこしいことは書かずに、「互換品」とだけ書いていたものです。


しかし、記事執筆から20年以上が過ぎました。詳細を知る人が減った今となっては、今回の指摘はもっともなものです。

そのため、ここに詳細を追記しておくものです。


時代の変化で、当時としては説明不要だった部分も補足が必要な場合があります。

お気づきの場合はご一報いただけるとありがたいです。

当サイトの執筆指針


互換性がない?

それでは、互換性がないというのは何のことなのでしょう?

これは、先に上げたように、98HAの設計というよりは、HAの元機種であるLTが作られた時点での技術的な問題でした。


当時の技術では、液晶に階調表示をさせることが困難だったのです。そこで、PC-9801では3ないし4プレーンが用意されていたグラフィック画面が、PC-9801では「青」を示すプレーンのみに削減されました。1階調だからこれで十分・・・との読みだったのでしょうが、これが非互換の悲劇の始まりです。


PC-9801のグラフィック画面は、RGBを別プレーンとして、各々1bitで示す方式でした。表示する際には、これらの画面を重ね合せて8色表示となります。
 初期の機種では8色ですが、後には輝度信号Iを追加することで、16色表示も可能になりました。

 HAではこれをBのみに減らした・・・ということからもわかるように、この方式は色数の増減による回路・プログラムの変更が最小限ですむというメリットがあります。
 デメリットは、1ドットを変更するにもすべてのプレーンを操作しなくてはならない、という点です。

98LTでは、さらに搭載メモリ量を減らして小型化を計るために、テキスト画面まで削除されました。PC-9801の大元であったPC-8001が、テキストモードのみのTK-80BSから進化したときに「互換性のために」テキストを残しながらグラフィックを追加して以来、NECマシンの特徴だった「テキストとグラフィックの混在」と決別し、画像をグラフィックに統合したわけです。


これはこれで勇気ある決断だったのでしょうが、互換性という面から見ると最大の問題点です。グラフィックを使うソフトにはゲームが多かったので諦めるとしても、ゲームを除くとテキスト画面を使わないソフトというのはほとんどありませんでしたから。


BIOSには疑似テキスト画面をサポートするコール・・・メインメモリ上にテキスト画面と同じメモリ構成を作り、呼び出し一発でグラフィック画面に反映させるコールが用意されました。これを利用すれば、最小限の改造でPC-9801用のソフトが動かせるはずで、ここでも互換性には気を使っていたのがわかります。しかし、現実にはこのBIOSコールはほとんど使われませんでした。

(とはいっても、98LTにVzやSE3などのエディタが移植されていたのは、このBIOSがあったからこそでしょう)


PC-98HA(LT)の悲劇はここまでです。画面の非互換。唯一にして致命的な非互換部分でした。

これ以外には特に互換性の悪い部分はなく、内部のハードウェアを直接いじるようなプログラムも動きます。


次ページ: それ以外の部分


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(ページ作成 1997-03-02)
(最終更新 2018-11-26)
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