考える機械
もう旬を過ぎた話題で恐縮ですが、IBMの制作したチェスプログラムが人間のチャンピオンに勝利しました。
試合直後は多くの新聞がセンセーショナルに書き立てましたが、すでに報道は冷静になっております。多くの人が知っているように、チェスは将棋や囲碁などに比べて遥かに単純なゲームですし、単純なゲームにおいて人間より強い機械であれば、過去にも存在したからです。
たとえば、TicTacToo (いわゆるマルバツ)などでは少なくとも「人間に負けない」機械がずっと以前からあります。
それでも、機械が人間並にチェスをさせるようになったことは、大きな意味を持ちます。このテーマには、実は長い歴史が隠されているのですから。
チェスを打つ人形
ケンペレンのチェス人形。
(「不思議の部屋4 からくり百科」筑摩書房/桑原茂夫 1984 より図版引用 )
頭にターバンを巻いたトルコ人風の人形が人間相手にチェスをさす。多くの人間が対戦したが、ほとんど勝てなかったという。
台の左側には歯車が見える。下の引出しは、チェスの駒などをしまっておくためのものである。
図は18世紀後半にハンガリーの技術者、ケンペレンが作成したと伝えられるチェス人形です。
この時代にはオートマタと呼ばれるからくり人形が流行していて、文字を書いたり、絵を描いたり、ピアノを弾いたりする人形が数多く作られています。
しかし、このチェス人形はそのなかでも特に変わった特徴を持っていました。他の人形が決まった動作・・・同じ絵を描いたり、同じ曲を弾いたりすることしか出来ないのに対して、このチェス人形は人間と対戦することが出来たのです。
オートマタは元々ただの見せものではなく(後には見せものになりましたが)、多くは、「人造人間を作りたい」という強い希望によって作られています。
この時代は機械が急激に発達し、そのことが逆に「これだけの技術があれば、生物をも作れるのではないか」という考えに発展していったためです。
(小説「フランケンシュタイン」もこの時代に書かれています)
その意味において、動きが人間に似ているだけではなく思考することも出来るチェス人形は、非常に話題になったようです。
この人形に限らず、「チェスを指す」というのは高度な知能の証として、いろいろなところで目標にされたようです。
冒頭でコンピューターが人間のチェスチャンピオンを破った話をお伝えしましたが、この研究も1960年にはすでに始まっていたのです。
コンピューターがやっと実用化された頃の話で、最初の目標は「チェスの下手な人間と対等に打てるくらいのレベルにはなること」でした。
知能を持たない機械にそんなことができるわけがない、と強く主張する人も多かったようですが、この時の研究はまさに「できないと主張する人」をチェスで打ち負かすことに成功しています。(このエピソードはまた別の機会に)
それから30年以上たって…いや、ケンペレンの時から考えると、200年もたってやっと機械は人間に遜色ないほどの打ち手に成長したのです。
さぁ、そろそろ種明かしをしましょう。
当然、当時の技術でチェスのような複雑な(最初には「チェスは単純」と書きましたが、歯車レベルで考えるには十分複雑です)ゲームを考えることは出来ません。
チェス人形の台の部分に大きな空スペースがあるのがわかると思いますが、ここにチェス名人が入って、人形に指示を出していました。人形はただ、チェスの駒を動かすだけです。
ケンペレンはこのインチキがばれて詐欺師扱いされたようですが、駒を動かすからくりを作っただけでも十分たいしたものです。
先日の名人・コンピューター戦でも、駒を動かすのはコンピューターのオペレーターだったのですから。
ともかく、200年も前から、人々は「チェスの出来る機械」にあこがれ、そのあこがれゆえに騙されてきたのです。
(今回の報道も、なんだか騙されている気がしません?)
当時の報道は、「人間が機械に勝る最後の領域である、創造性の分野でコンピューターが人間に勝ってしまった」というような報道がなされていました。
チェスの手を考案するのはたしかに「創造的」ではありますが、かなり限定された創造性です。この分野で機械が人間に勝ったとしても、それは機械が人間より優れているということにはなりません。
このとき対戦したチェスチャンピオン、カスパロフ氏は、チェスプログラムと何度も対戦しており、チェスプログラムに「創造性」や「工夫」といったものが存在しないことを知っていました。しかし、このときのプログラムは、人間がパラメータを調節することで、柔軟な手(時にはそれは創造性に見えます)を打つ事が出来るようにしてありました。
カスパロフは、機械が創造性を発揮したことに驚き、勝てる戦いを放棄(投了)してしまいました。これを持ってして「人間が機械に負けた」という結果となります。
カスパロフは、本当は機械に負けたのではなく、機械のパラメーターを変更するという「人間の戦略」に負けたのです。
考えるマッチ箱
ついでなので、本当に考える装置についてもちょっとだけ書いておきましょう。今は資料が揃っていないのですが、そのうち詳しく扱うつもりです。
最初に「TicTacTooをする機械ならずっと以前からある」と書きましたが、これについてはコンピューターの祖と呼ばれるチャールズ・バベジ卿が19世紀に作っていたとする説もあります。もっとも、バベジは伝説の多い人物なので、本当に作ったのかどうかは良くわかりません。
もっと確かな情報としては、コンピューターがすでに作られた後で、人工知能幻想を破るべく作られた「マッチ箱エンジン」というのがあります。
これはマッチ箱を大量に用意し、なかに色つきビーズを入れただけのものです。これだけの仕組で簡単なゲームの相手にはなりますし、なんと、学習機能つきです。
(というか、学習させないと使い物になりません)
マッチ箱に入れたビーズの色は、盤面のどこに手を打つか、を意味します。
TicTacToo の場合、相手の番にはマッチ箱からビーズをひとつとりだし、その色のところに手を書き込む、ということになります。
で、このマッチ箱は、盤面のすべての状態に対応できるだけの数を用意します。
相手の番になってビーズを取り出すマッチ箱は、盤面の状態をみて決めるわけです。
TicTacToo どんなゲームかわからない、という人のために、念のため。
盤面は9個しか升がないので、ビーズは9色あればよい。ただし、盤面の状態は膨大になるので、その分のマッチ箱を用意するのは大変である。
1手目は9升のどこに置いてもいい。2手目は、1手目に置かれた場所以外の8升、3手目は7升…から手を選択できるので、盤面の状態は9!(9の階乗) = 368220通りになる。
実際には盤面を回転させて考えれば同じ、という状態があるわけだが、それでも膨大なマッチ箱が必要になることはおわかりいただけるかと思う。
これだけの準備が出来てからゲームを始めます。もし、マッチ箱が打てないところに手を打とうとしたら(そういう色のビーズが出たら)そのビーズは捨ててやり直します。
もしゲームが終わって人間が勝ったら、これも最後の手のビーズを捨て、途中の手のビーズは箱に戻します。
どんどんビーズを捨てると、そのうち「打つ手がない盤面」が現われますが、その場合はその直前の手のビーズを捨てます。
もしマッチ箱が勝てば、途中の手のビーズを、同じ色のビーズを1つづつ増やして戻してやります。(勝ったご褒美です)
これを繰り返すとあら不思議、「打てない手」と「絶対負ける手」はそのうち打たなくなり(ビーズが捨てられてしまうから)、「勝てる手」はどんどん打ってきます(そのビーズが多くなっているから)。
そんなわけで、最終的にはこのマッチ箱は世界最強のTicTacTooプレイヤーに成長します。スーパーコンピューターを使わないでも、世界最強のプレイヤーは作れるのです。
TicTacToo ではないのですが、マッチ箱を使って人工知能を作ろう、という本が出版されています。また、その本とほぼ同じ内容? が、「ほぼ日刊イトイ新聞」内で連載されていたのを発見しました。→マッチ箱の脳
手法などもぜんぜん違いますが、「コンピューターを使わないでも人工知能が作れる」ことをわかってもらえれば十分です。
チェスが強いからといって、人間よりもコンピューターが優れていると思う人はいないでしょう。多くの報道でも、最初の熱が醒めるとそのような論調のものが多くなりました。
しかし、思考機械の歴史からすると、やっとここまでたどり着いた、という感じです。なにせ、チェスは人工知能研究としては、最初の小手調べ程度のものだったはずなのですから。
参考文献 | |||
不思議の部屋4 からくり百科 | 桑原茂夫 | 1984 | 筑摩書房 |
ハッカーズ | スティーブン・レビー著/古橋芳恵・松田信子訳 | 1987 | 工学社 |