目次
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2016-01-04 テニスとインベーダー
2016-03-05 1991年のパソコン事情
2016-03-06 社会問題の根っこ
2016-03-11 なんでもない日おめでとう!
2016-04-24 未来科学館リニューアル
2016-04-25 ゲームの面白さ
2016-04-30 GAME ON 展関連書籍
2016-07-22 ハイジと、2つの教育方針
2016-08-18 利用明細のWEBページ
2016-08-30 著作権の初出年
2016-09-20 パラリンピック
2016-11-15 新しい文盲
2016-11-18 ら抜き言葉
2016-12-11 ゲーム保存協会にサポーター登録しました
2016-12-17 アーカイブとはなにか
2017-02-07 レスリー・ランポート 誕生日(1941)
2017-02-23 早口言葉
2017-04-03 ルータ交換
2017-04-17 アメリカが日本製のパソコンに100%関税をかけた日(1987)
2017-07-03 血液型別性格診断
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昨年秋から放送していたらしいのだけど、普段テレビを見ないので、年末年始に初めて日清カップヌードルの以下のCMを見た。
ほぉ、と思って調べてみると、CGではなく、実際に作ったインベーダーに、実際のボールをぶつけてもらって撮影したそうです。
でも、僕が調べたかった内容に触れた記事はないし、CM作成側もその意図はないようだ。
このCMを見て、僕は「すごくよく わかっている」と感心したのでした。
でも、それは思い過ごし。
思い過ごしだけど、美しくまとまっている。偶然を引き寄せたのであれば、それはもはや必然。
というのも、インベーダーゲームとテニスにはもともと深い関係があるから。
よく最初のテレビゲーム、と呼ばれるものに「PONG」があります。
それ以前にもテレビゲームはあるのだけど、まぁ、今はどうでもいい話。
この PONG は、テニスゲームです。
その後、PONG が発展して BREAK OUT になりました。
日本語では「ブロック崩し」として知られるゲーム。
PONG は二人用でしたが、一人で壁打ちテニスをやるゲームになりました。
ただ、BREAK OUT では、壁打ちテニスでぶつけた壁が「壊れる」のね。
設定としては、刑務所の中で行われる「レクリエーション」としての壁打ちテニスを装いつつ、囚人が壁を壊して脱獄する、ということになっています。
BREAK OUT って、「脱獄」の意味があるからね。
この BREAK OUT は大ヒットゲームで、ほかの会社も続々真似をした。
でも、真似をしていても本家は超えられない。そこで、タイトーの人が少し発展させてみよう、と考えた。
ブロックが動いて、下に向かってせめて来たら面白いのではないか。
でも、ブロック崩しでは玉を自由に動かして「狙う」ことは難しい。ブロックが動いてしまうと、偶然ぶつかるまで耐え忍ぶだけのゲームになってしまう。
そこで、自由に狙ってブロックを「撃てる」ようにした。
ブロックを撃つのだと、「玉を拾えないと終わり」というのができないから、相手も攻撃してくるようにした。
こうなると戦争ゲームなのだけど、殺し合いというのは殺伐とする。
当時はスターウォーズなどのSFが流行していたので、「異星人が攻めてくる」という設定にして、血なまぐさい感じを避けた。
これで出来上がったのがスペースインベーダー。
だから、スペースインベーダーと BREAK OUT は、直接的につながっている。
冒頭のCM、テニスボールでインベーダーを撃破する。
これを見た瞬間に、BREAK OUT とスペースインベーダー… もともと繋がったものを混ぜて実写化した、と瞬時に理解した。
でも、この理解が勘違いで、そんな意図はなかったようだ。
とはいえ、先に書いたように、美しくまとまっている。必然だと思う。
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別年同日の日記
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1985、1988 と書いてきたのだけど、これで終わりにしようと思う。
1991年、とは書いているけど、僕が大学の頃の話だな。
大学の間に、Windows 3.1 が発売になり、IBM PC が普及する。
後の世界は、今とそれほど変わらないし、パソコンが一気に普及した後だから、思い出話をする人もいくらでもいるだろう。
群雄割拠の 8bit 機で 88SR が主流になり、MSX2 が「貧乏人のための」選択肢になったころを最後にして、急激に 8bit 機の時代は終わる。
時代の転換点は狙い目だ。大きく勢力が変わるかもしれない。
8bit 機で覇権を争っていた各社は、8bit 時代のユーザーをそのまま取り込みつつ、勢力を拡大できるような 16bit 機を発表した。
でも、結局は NEC が強かった。
まだ 8bit 機が主流だった時代から、PC-9801 は発売されていたのだ。
すでにビジネス分野で強みを持つ PC-9801 が、改良されてゲームなどにも強くなった。
88SR からの移行がされやすいように、88 なのに 16bit で MS-DOS 互換性のある「88VA」や、98 でありながら 88 互換機能を持つ「98Do」など、今となっては珍品とされるようなパソコンまで投入し、88SR で固めた地盤をそのまま 98 に受け継いだ。
MSX 陣営も、MSX turboR という 16bit 機を出したのだけど、これはあまり売れていない。
僕は、ファミリーベーシック、MSX2 と渡り歩いてきた。
実は、ファミベはシャープ系のパソコンに相当し、MSX2 とは「スプライト機能がある」という共通点があった。
そして、シャープでスプライトのある 16bit パソコン、X68k を購入した。
16bit パソコンでは、ハードディスクを持つことも普通になった。
今のパソコンと大きくは変わらない姿が、そこにある。
ここら辺の思い出話は、散々書いたからもう書かない。
1991 年のパソコン事情としては、急速に広がりつつあったパソコン通信のことを書きたいと思う。
1985年に電話事業が民営化され、「電話」以外のものを電話線につなぐことが許可されることになった。
これを機にパソコン通信のための会社などが次々設立される。
また、「草の根BBS」と呼ばれる、個人で運営されるパソコン通信ホストも多数存在した。
パソコン通信は、とにかくコストが高かった。
まず、当初はパソコンを電話線につなぐための、モデム装置が高かった。
1985年ごろの初期のモデムは、300bps 。1秒間に 300bit を送受信できる。
データは、カセットテープへの記録と同じように、アナログの音に変換される。だから電話線でも通信ができる。
速度は倍々で上がり続け、1980年代の終わりごろには、1200bps のモデムが発売された。
でも、まだ普及していたとは思えない。一部のマニアの趣味だった。
僕がパソコン通信を始めたのが、たしか 1991 年ごろ…だったと思うけど、翌年だったかもしれない。
9600bps のモデムが、手ごろな価格で発売され始めた。たしか、2~3万だったと思う。
これなら実用的に使える、と思い購入。
パソコン通信には憧れがあったのだけど、とにかくコストがかかる。
自分で稼げるようになった大人の趣味だった。
でも、通信速度が上がれば、コストは下がる。9600bps というのは皆が「これなら使える」と思った節目だったようで、僕の周囲でもこの頃から急にパソコン通信に手を出す人が増えた。
当時は、電話は市内3分10円。
大手のパソコン通信サービスの「アクセスポイント」電話番号は、大都市に置かれるのが普通だったし、利用に別途お金がかかる。
そのため、もっぱら市内の草の根BBSを利用した。
深夜料金だと、割引が利いて、半額程度になった…のではなかったかな。正確に覚えていない。
まだ、深夜がかけ放題になる「テレホーダイ」サービスは始まっていない。
初めてパソコン通信で、他の「ホスト」と接続したときは、不思議な気持ちだった。
目の前のパソコンは、いつものパソコンと同じでありながら、知らない世界に繋がる「窓」になっている。
いつものパソコンなら、ファイルの中身を表示しても、知っている内容しか表示されない。
でも、コマンドを与えると、自分の知らない、誰かの書いた文章が次々表示されるんだ。
自分のパソコンは、自分のものでありながら、誰かのものでもある。そんな気持ちだった。
当時のパソコン通信は、いくつかのコマンドによって動いていた。
ホストの中には、複数の「会議室」があり、文章によって会話が進んでいる。
ユーザーごとに ID があり、その ID で「どこまで読んだか」は管理されている。
だから、会議室に移動して「読む」ためのコマンドを入れると、次々と新しい話題が表示された。
最初は、これをそのまま読んで、返事を書いていた。
でも、1週間もたつとこれはまずい、と思い始める。文章を書いていれば、3分なんてあっという間に過ぎる。
つまり、行動するたびにどんどんお金を取られているのだ。
パソコン通信では、プログラムも多数配布されている。
市販ソフトと違って、大抵はコピーが許可されたものだ。ダウンロードにも時間がかかるため、人気のあるソフトは友達経由でコピーが出回ったりした。
もらったソフトから見つけたのか、自分でダウンロードしたのかは覚えていないが、パソコン通信の接続を「自動化」する環境を構築し始める。
当時のパソコン通信の接続には「ターミナルエミュレータ」を使用した。
前時代的な、ビデオテレタイプ端末を模倣するためのソフトだ。
えーと、テレタイプは 1960年代のコンピューター技術になるのだけど、詳しくは僕の書いた過去記事を参照してくれ。
ビデオテレタイプは、テレタイプを「紙に印字する」のではなく、画面に文字を表示する形で模倣した機械。
紙を使わないから経済的、というようなことから始まって、文字の配置が自由、カラーが使えるなど、テレタイプにはなかった特性を備え始める。これが、1970年代のお話。
実際、アメリカでは当時から「パソコン通信」に相当するものがあった。
パソコンがまだ珍しい時代、テレタイプを電話線で遠隔地のコンピューターに接続し、計算サービスなどを行うものだ。
その中でメールも使えたし、掲示板のような機能もあった。
でも、日本では電電公社以外の会社が電話事業を行うことが禁じられていて、電話線に接続する機械も電電公社の作った電話しか許されなかった。
それが、冒頭に書いたように 1985年の電話事業民営化で解禁されたのだ。
だから、パソコン通信とは近未来の夢の技術、ではなくて、技術的には 1970年代に戻ることだった。
ただし、手元にあるのはただの端末ではなくて、立派なコンピューターなのだけど。
テレタイプなら、受信した文面などはすべて紙に印字されて手元に残る。
ターミナルエミュレーターでは、受信内容をすべてテキストファイルに残すことができた。
そこで、通信を開始したら、とにかくいつも読んでいる会議室のメッセージを全部表示してしまい、すぐに通信を終了する。
これなら通信時間は短く、電話代は安いだろう。
表示されたものはテキストファイルに残っているから、後でゆっくり読めばよい。
とはいえ、だらだらと長くスクロールするテキストファイルは、読みにくい。
複数の会議室のメッセージが1ファイルになっているのも読みにくい。
ここら辺を解決し、読みやすくしてくれる「ログビュワー」と呼ばれる種類のソフトがあった。
自動化の第一歩は、ログビュワーの導入からだった。
ところで、パソコン通信と簡単に言っても、ホスト側の機能によって表示や命令などが全然違う。
ログビュワーも、ホスト側の表示によって影響を受けるため、ホストに合わせたものを使わないといけない。
僕の行きつけだった草の根BBSは、98 の BIG-Model と呼ばれるホストプログラムで運営されていた。
使っていたのは X68k で、中心的な X68k ユーザーは、X68k でホストされたBBSで活動していた。
そのため、見つけ出した、使いやすいログビュワーは、X68k のホストプログラムに対応したものだった。
そこで、こいつを無理やりどうにかする。テキストファイルだからどうにでもなる。
BIG-Model のログを awk で成形し、ビュワーで読める形式に変換できた。
ログビュワーは、メッセージに対する「返信」も書けるようになっていた。
返信を書くときは、内部からエディタが呼び出され、文章作成後に、作成した内容を「アップロード」するためのコマンドを作り出す。
このコマンドも、後で awk で変換するようにした。
ともかく、通信ログをビュワーで見れば、個々のメッセージをゆっくり閲覧・返信などできて、その結果は「次回のアップロードファイル」として用意される。
アップロードファイルと言っても、これはターミナルからホストに送信するテキストに過ぎない。
会議室に入り、「書き込み」の命令を出して、書きたい文章を入れる。
その後、「文章を書き終わった」というコマンドを送る。
必要ならほかの会議室にも次々と入り、文章を次々とアップロードしていく。
一番最後に、「前回アクセス以降の未読」を、会議室を周りながら次々読みだして、終了する。
僕は早寝早起きだったので、深夜 11時の割引時間帯を待たずに寝ることが多かった。
しかし、朝7時の「割引終わり」よりも前に起きる。
X68k はタイマー起動できたので、目覚まし代わりにすでに起動している。
一連の流れをすべて自動的に行うプログラムを作ってあった。
すぐに、このプログラムの実行を指示する。
前日作っていたアップロードファイルを送信し、得られたログを成形し、ビュワーで見られる形に整える。
大抵は3分以内に通信は終了する。
あとは、ゆっくりログをみながら返信を書いた。
送信されるのは明日の朝だ。
パソコン通信では、今では見られないユニークなソフトや、「遊び」が多数あった。
一番書いておきたいのは、「エスケープシーケンスアニメ」のこと。
ターミナルエミュレータは、大抵 VT100 端末をエミュレートしている。
そして、この端末では、エスケープ文字から始まる文字列を、特殊なコマンドとして解釈する。
これによって、画面上の任意の位置にカーソルを移動したり、文字の色を変えたりすることができた。
エスケープシーケンスアニメは、通信が 1200bps であることを前提に、エスケープシーケンスを駆使することで作られた動画だ。
普通は、圧縮したバイナリで、バイナリ書庫に置かれている。
でも、中身はただのテキストファイルだ。
いや「ただの」ではないな。エスケープシーケンスが大量に入っているので、普通のテキストエディタで開いても意味が分からない。
ターミナルソフトには、大抵「ローカルのファイルを、任意のビットレートで通信しているかのように表示する」という機能があった。
これを使い、1200bps として、エスケープシーケンスアニメのテキストファイルを表示することで再生する。
動画、と言っても、文字の組み合わせで表現する。
簡単なアスキーアートを動かして、文字でセリフを表示し、物語を作るのだ。
再生に5分もかかるような大作もあったけど、数秒で終わるけど笑わせてくれる、というような作品が好きだったな。
今でいえば、GIF アニメとか、Flash アニメみたいなものだった。
バイナリ書庫、とさらっと書いたけど、文字で会話する「会議室」以外に、書庫もあった。
ターミナル側が、バイナリの送受信に対応している必要がある。
初期のパソコン通信では、バイナリ書庫が存在しない場合もあった。
そこで、ish というプログラムが作られていた。石塚さんが作ったから ish 、らしい。
任意のバイナリを、テキストに変換してくれる。
初期のパソコン通信は通信エラーで文字化けすることも多かったので、強力なエラー訂正機能も持っている。
今でいえば、BASE64 エンコーディングするようなものだけど、BASE64 程大きくならない上に、エラー訂正もついているという優れたものだった。
…と、書いているけど僕自身お世話になった覚えはない。
パソコン通信やるなら持ってなきゃ、というわけで入手はしたはずだけど、もうバイナリが普通に扱える時代だったからね。
作ったゲームのいくつかは、地元の草の根BBSにアップロードして、転載自由とした。
だけど、「遊んだ」というような感想は聞かれなかった。
9600bps の時代、大きなデータのやり取りは大変だった。
TeX という組版ソフトがあって、これは論文などを書く時にも非常に有用なのだけど、X68k 版はフロッピーディスク3枚組くらいあったと思う。
こういうソフトは、ダウンロードするにも通信費がかかるし、ホストのほうも一人のユーザーがずっとアクセスしていると困る。
そこで郵送による「通信」が行われた。
ネット上で予約して、自分の順番になると誰かからディスクが郵送されてくる。
自分は、コピーし終わったら次の予約者に郵送する。
何とものんびりしたものだけど、僕は友人がこうやって手に入れた TeX をコピーさせてもらった。
卒業論文はこの TeX で書いたよ。
#関係ないけど、前回書いた「MSX2 用のプリンタ」を、X68k に接続して、自分でデバイスドライバ書いて TeX から印刷した。
そしたら、印刷を見た大学の後輩に「先輩、レーザープリンタ買ったんですか?」と驚かれた。
TeX の印刷は非常に整った、綺麗なものだ。
そして、その後輩は「綺麗な印刷 = レーザープリンタ」だと思ったのだ。
同じような目的で、「バイナリ配布オフ」が開かれることもあった。
草の根BBSなんかで、ホストを運営している人のお宅をみんなで訪問するの。もちろん許可を得てね。
ホストが目の前にあるのだから、バイナリファイルは取り放題。
とにかく、大きすぎるデータはパソコン通信の外でやり取りされることが多かった。
ここら辺、今とは違うところ。
バイナリと言えば、画像データも結構人気があった。
ただ、僕はあまり画像に興味なかったんだよね…もらったもののうち、「この絵はいいなぁ」と思うようなものはコピーして保存していたけど。
今なら、WEB で簡単に絵を見せられるけど、当時はバイナリ配布で1枚づつダウンロードしてもらうしかなかったのよ。
しかも、長時間かけてダウンロードして、絵を開くまでどんな絵かわからない。
描く方も大変で、一番の勢力だった 98 を念頭に書かれたものが多かった。
640x400 ドットで、同時に使える色は 16色だけ。ただし、この 16色は、4096 色の中から自由に選び出せる。
こんな色数でも、上手に描く人は上手だった。
ちょっと毛色の変わったところでは、NAPLPS で書かれた絵、というのもそれなりにあった。
NAPLPS は、今でいえばベクターグラフィック。
98 に限らず、どんな環境で表示しても、綺麗な状態で見ることができる。
…とはいっても、「線をひいて塗りつぶし」の連続なので、線はきれいだとしても、塗りがぺったりしていた。
上手に書いたビットマップ絵のほうが、たとえ解像度の変換などでドットがつぶれても、美しい感じ。
NAPLPS には面白いところがあって、計算しながらゆっくり描くので「描いている最中」を見ることができる。
これを使って、絵を描いてから、さらに上に塗りつぶしていく…というような書き方で、動きを見せることができた。
GIF アニメとかの始祖的なものだと思ってもらってもいい。
画像データだけでなく、音楽データなんかも出回っていた。
ただ、こちらは機種ごとの差が結構大きかったように思う。
X68k だといくつかの形式の音楽があったけど、98 なんかはまだBeep音しか出ない機種もあったからね。
いずれにしても、パソコン通信の普及で一番大切なのは、「作成したデータの発表の場」が作られたことではないかと思う。
プログラムも絵も音楽も、雑誌投稿くらいしか発表の場がなかったのが、自由に発表できるようになって活気づいていく。
それは同時に、それらを「消費するだけ」で生み出さない人々も多数いたから支えられたのだと思う。
当時は「読むだけ」のユーザーをROMと呼んで見下す風潮があったのだけど、僕はその風潮に違和感を持っていた。
まぁ、自分もゲームなどを発表した側なので、一言でいいから感想くらいもらえるとありがたいとは思う。
それは厳しい意見でもいい。ちゃんと見てくれた、ということがうれしいし、次回作への意欲となるからだ。
でも、見た人全員が語り始めても邪魔なだけだ。
見たけどあまり興味なかった、という程度の感想が山ほど来ても困るだけだ。
大学卒業後…だから、1993 年以降の話だけど、パソコン部にいたので、仲間は大抵パソコン通信をやっていた。
後輩の友達がやっている、という草の根BBSの中に、メンバー限定の会議室を作ってもらい、そこで連絡を取り合っていた。
この頃になると、インターネットも気になり始めている。
まだ WEB は一般化してないのだけど、日本初のインターネットプロバイダである IIJ が設立されたばかりで、uucp とかは使えるようになっていた。
1995 年には、NTT が「テレホーダイ」を開始する。
同年、Windows 95 が発売。
…でも、Windows 95 には、インターネット接続機能はなかった。
標準搭載になるには、98 を待たないといけない。
#標準ではないけど、95の時代にマイクロソフトは IE を大々的に配布し、インターネット時代が始まる。
僕のこのページは、1996年から作り始めている。
先に書いたように、IIJ はとっくにインターネットサービスを始めているし、テレホーダイも始まって1年もたっている。
「すっかり出遅れた」つもりで始めたのだけど、今となっては「古いサイト」の一つになっている。
見た目も古いし、あまり褒められるところはないのだけどね。
そのころのインターネットの様子は、ジェリー・ヤンの誕生日の時に書いているので、そちらを読んでもらうとわかりやすいかな。
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別年同日の日記
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1月の末に、友達と遅い新年会をやったのだけど、その時の友達の言葉が胸に刺さっている。
その友達、海外を飛び回る「国際技術者」だ。
いろんな国に行って、LSI の開発案件などを受注したり、依頼したり、時には新しい工場の立ち上げなんかもやっている。
だから、日本人と海外諸国の考え方の違いを理解している。
酒を飲みながら話をしていて、社会問題の話に及んだ。
いろんな社会問題があるのだけど、根っこの部分は実は一つに集中していると思うんだ、というところまでは意見が同じ。
僕は、会社に就職することが当然だと思っている状況に問題があるんだよ、と言い放った。
僕自身は独立してフリーで働いている。就職すること自体は悪くないと思うが、依存しすぎは問題だと思っている。
でも、知人は「就職してもいいけど、年棒でないとダメだ」と言い放った。
海外の技術者のほとんどが年棒だという。そして、海外では日本で起きているような悪い状況は回避されている。
すべて年棒だから問題が起こらないのだ、というのが友達の持論。
多分、こっちが正しい。
僕は、就職すれば月給をもらうものだと思っていた。
でも、「就職に問題がある」というのは、この間違った前提に根差した結論だった、と気づいた。
つまりは、月給でなければ就職してもいいんだ。
アメリカ人は残業しない、自分の仕事に責任感がない、とよく言われるのだけど、これは間違っているそうだ。
彼らは年棒で働いている。残業したところで何も得をしない。
だから残業が発生しないように、自分で作業をコントロールしている。
彼らは、日本人以上に仕事に責任を持っている。だから、時間内に仕事をきっちり終わらせる。
時間を超えて働くということは、オフィスの電気代などを無駄に使うことで、余計なコストを発生させる。
それは「責任を持つ人がやることではない」というのだ。
とはいえ、必要であれば残業もする。
余計なコストが発生しても、納期に間に合わずに報酬をもらえない上に、約束を違えたことにより違約金を請求されるリスクに比べればずっと安いからだ。
週末は家族と遊ぶ予定だから、と金曜日に猛烈に残業をして作業を終わらせる、ということもよくあるらしい。
この働き方は、単に「年棒」というだけでは実現できない。
年棒というのは、1年間の給料をあらかじめ固定する、という意味ではなくて、会社が与える作業内容も事前に説明して固定する、ということだ。
予定外の作業は発生しない。
これは「トラブルが起こらない」ということではないよ。トラブルはいつでも起きるし、そのための追加作業は生じる。
でも、自分の責任分担分野は明確にされていて、それ以外の仕事をやる必要はない。
もし、それ以外の仕事を会社から要求されれば、堂々と拒否できるし、年棒の上積み要求だってできる。
つまり、自分の仕事のゴールは働き始めたときから見えている。
ゴールが決まっていて、締め切りも決まっていて、それまでにきっちりと仕事が完成していればそれでいい。
邪魔も入らないからペース配分ができて、「残業を発生させない」という働き方が可能になる。
難しい仕事をこなす人の年棒は高いし、簡単な仕事なら安い。
報酬が安いからと言って不平をこぼす人はいない。
最初に、仕事内容と報酬を説明されて、不服なら交渉する機会も与えられて、双方納得の上で契約しているからだ。
難しい仕事をこなせるなら報酬が上がる、という保証だってあるのだから、会社が予想する以上の働きを見せれば次の契約金だって上がるかもしれない。
最初に「月給」と書いたけど、日本では時給が働き方の基本だ。
一カ月に働く最低時間が定められていて、時給が定められている。
だから事実上の「月給」になるわけだけど、残業をすればどんどん報酬額が上がる。
働く最低時間は決められているが、仕事内容の取り決めはない。
だから、自分の作業が終わって手が空いている場合、新たな仕事が急に持ち込まれることがある。
自分の仕事がコントロールできない。
コントロールできないから、余計に働いた場合に会社が追加の報酬を出すわけだけど。
この環境下において、「最善手」は何だろう?
自分の仕事を、わざと効率悪くこなすことだ。
あまり効率が悪すぎると目をつけられるので、8割の力しか出さない、という程度が良いだろう。
少なくとも、時間内に仕事をすべて終わらせることがなければ、余計な仕事は持ち込まれない。
多少残業をするふりをして、早めに帰るのが良いだろう。
場合によっては、積極的に昼間サボり、残業時間になってから仕事を始めることで残業代を多くもらう、という戦略も考えられる。
仕事はちゃんとこなしているので文句は出ない。余計な仕事も持ち込まれない。給料は多くなる。
いやいや、あまりやると会社だって怒るでしょ、と思う人も多いと思う。
でも、大丈夫。会社だって、みんながこういう働き方をしていることはお見通しだ。
だから、最初から基本給を低めに設定してある。
みんなが残業したがるのだから、残業してやっと普通の給料になるくらいに設定しておけばよい。
ほら、万事丸く収まった。
何かが間違っている、と感じる人は多いとは思うが。
2000年代後半には、在宅勤務という話がずいぶんと脚光を浴びていた。
インターネットで様々なデータが交換できるようになり、リアルタイムにテレビ電話もできるようになった。
これからは、わざわざ通勤しないでも在宅で仕事が可能になるだろう。
これは世界中で注目されていたことだし、世界中で広まった。
実際、在宅勤務は珍しいものではなくなっているのだ。
しかし、日本では普及したという話を聞かない。
一度は導入した会社でも、辞めてしまった例が多いようだ。
理由は簡単で、会社の人事部としては、タイムカードもなく、本当に働いているのかわからない状態で給与を出すわけにはいかないのだ。
試験的に在宅勤務を導入した場合でも、会社で顔を合わせていないと仕事がやりにくい、などの理由であまり評判が良くなかったという。
つまりは、日本人の働き方には在宅勤務は適していない、ということになる。
年棒で働く場合、「成果物」に対して報酬を出しているのだから、働いている時間はどうでもいい。
自分のすべきことはわかっているし、データをもらうなどの必要があるとき以外、人と接触する必要はない。
でも、日本人は時間に対して報酬をもらっている。
見えないところで働いている、と言われても信用できないし、手が空いたらすぐに「忙しそうな人」を見つけて仕事を分けてもらう必要がある。
つまり、常に人と接触していなくては仕事にならない。
日本には保育園が足りていない。
これには2つの面がある。
実際に保育園の数は足りてない。保育士はきつい仕事で、子供に責任を持たないといけないため、最後の一人が引き取られるまで帰れない。
普通の職場なら、9時から17時、というのが標準的な働く時間帯だ。
しかし、保育園は、この標準時間帯に働く人から子供を預からなくてはならない。7時から19時、というような長い時間運営している。
ましてや、親が残業してしまったりすると、19時にも迎えに来れない。
親の残業以上に、保育士の残業は過酷になるのだ。
保育士だって時間をずらして勤務することで長い時間をカバーしているのだけど、大勢でカバーできるほど大きな保育園ばかりではない。
保育園を増やしたいのであれば、残業なんかせずに帰れる世の中でなくてはならない。
もう1つ、本当は保育園に入れたいわけではないのに、保育園に頼らざるを得ない人がいる。
給料が低いため、夫の稼ぎだけでは食べていけない。本当は妻が家を守りたい、という人でも働かざるを得ない。
勘違いしないでほしいのだけど、「妻が家を守るべきだ」と言っているのではないよ。
女性だって、働きたい人が働ける世の中がいい世の中だと思う。
でも、家を守る時間に幸せを見出す人だっている。
女性に限らない。女が働いて、男が家を守るような家庭像だってある。
そういう人も幸せに暮らせる社会がいい社会だと思うのだけど、今は共働きでないと家計が持たない、という人も大勢いる。
保育園に本当は入れたくないのに入れないといけない、という人が幸せに暮らせれば、本当に保育園を必要とする人は保育園に入れやすくなるのだ。
日本での問題として、残業が多いこと、給与が安いこと、在宅勤務ができないこと、保育園が少ないことを挙げた。
もう想像がついていると思うが、これらはすべて、日本人が時給で働いていることに一因がある。
もちろん、それだけがすべてではないよ。社会問題というのは、もっと深く複雑に絡み合っているものだ。
だけど、時給制をやめて年棒にし、個人の働き方の裁量をもっと増やして在宅勤務も視野に入れる。
これだけで、問題の多くは解消に向かうはずだ。
じゃぁ、それが解決策か、と言えばそうではない。
時給制は日本人の働き方に深く根差していて、これを変えることにものすごい抵抗がある。
無理に変えようとしたら、社会システムの違うところにひずみを起こすかもしれない。
年棒で働くということは、「契約は1年単位」ということを意味する。
会社の期待する働きができなければ、来年の契約はない。
日本では「終身雇用」が長かったため、こうした働き方を望む人は少ない。
先にあげなかった問題の一つに、無茶な業務を要求するブラック企業、なんてのもある。
契約で働くのであれば、契約になかった業務を要求されても、従う必要はない。
会社に雇用されている、のではなくて、技術を提供して報酬をもらう、という対等関係だ。
じゃぁ、アメリカだと無茶な要求をするブラック企業はないのかと言えば、アメリカでも年棒ではなく時給で働く人もいて、そういう現場ではやはり同じ問題が起きているのだけど。
アメリカだって時給で働く人もいる、と書いたけど、みんなが年棒で働けるわけじゃない。
最初から「時間こそが大切」な仕事だってあるのだから、そういう仕事では時給が正しいし、突発的な残業に対して報酬が支払われないといけない。
先に保育士の話を出したけど、保育士は「さっさと仕事を終わらせて帰る」などができない職場だ。
そこにいることに価値がある。必要なら、残業してでもいなくてはならない。
こうした職業には時給が適しているだろう。
しかしまぁ、話を進めるために、「目標を達成することに価値がある」仕事を前提としよう。
プログラマーやデザイナー、設計士など、いわゆる「ホワイトカラー」と呼ばれる職業だ。
会社の雇用システムを変える、というのは個人ではなかなかできない話だ。
月給をやめればいいのに、政府は何やってるんだ、大会社は、うちの会社の人事部は何やってるんだ、と怒る人もいるかもしれない。
でも、政府も産業界も、雇用システムを変えるために、とっくに動いている。
もう30年も前、1987年には労働基準法が改正されて、実際の労働時間とは関係なく賃金を支払う「裁量労働制」が導入されている。
ただし、この時点では導入はされたものの、実際には使いにくかった。
その後、1997年に改正されて使いやすくなり、昨年にも改正されて、今年の4月から施行される。
だから、日本でも年棒で働くことは可能だ。
ただし、法律では契約方法までは明記していない。そこは、職種によっても必要な要件が違うだろうし、ケースバイケースだからだ。
そのため、字面だけをみると「残業代をカットしても良い」と書かれているだけの法律に見える。
そこを捉えて、今までと同じように残業は発生するのに、残業代をカットするための法律だ、と、不安をあおる週刊誌などが多い。
労働団体なども、裁量労働の導入に反対していて、会社が導入できないかもしれない。
つまり、法律が作られて状況は整っているけど、社会は変わらない。
そうではない。
労働基準法に定められたのは、これが労働者を救うための策だからだ。
労働基準法は、「労働者を会社から守るための法律」だ。
「裁量労働」というのは、時間に縛られずに、自分で労働方法を決められる、ということを意味している。
自分で効率の良い方法を見つけて時間を短縮しても、「はたらいている時間が短い」ことを理由に、会社が給料を減らすことができないように規定しているのだ。
もし、業務内容も示されずに「裁量労働に移行したい」と会社から持ち掛けられたら、それは警戒したほうがいい。
裁量労働の名のもとに、年棒だけが導入されて、働き方は今までと変わらない可能性が高い。
裁量労働なのだから、先に仕事の内容と報酬を決めた契約書をまとめてほしい、と依頼しよう。
これなら年棒の導入と同時に働き方も変えることができる。それが本来の「裁量労働」の意味だ。
もし拒否されて、裁量労働に移行できなかったとしても大丈夫。
今まで通りの安月給と残業の山が待っているだけだ。
残業代カットされるよりは、残業代が出たほうがいいだろう?
会社がちゃんと考えてくれているなら、仕事内容が確定して、それ以外の仕事は受けなくてよくなる。
残業は激減し、それでも給与は「全く残業しない場合」よりは上がるだろう。
うちの会社も早く導入してくれないかな…と思ったのであれば、会社がやるまで待つのではなく、自分から会社に掛け合う方法だってある。
とりあえず、2~3か月間の作業時間と作業内容の記録を細かくつけてみよう。
そのうち、どれほどが「自分の本来の業務とは関係ない」作業だろうか。
本来の作業だけならどれほどの時間で終わったかを計算し、その場合にもらえた給与の総計よりも、「少し安い」額を提示して会社に掛け合ってみよう。
本来の業務は絶対にこなすから、この年棒で裁量労働にさせてくれ、と頼むのだ。
提示しているのは今までよりも安い額なのだから、会社にとって損な話ではないはずだ。
でも、これは君にとっても損しない話だ。
急に持ち込まれる仕事で心理的にダメージを受けることも無くなるし、早く帰ってゆっくり休める。
おそらくは、それらの効果で今までよりも仕事の能率が上がるので、作業時間に対する給与は、おそらく上がる。
政府は、会社は何をやっているんだ! と怒る話じゃないんだ。
政府も会社も解決策を提示しているのに、それを嫌がっているのは労働団体や、労働者個人。…つまりは、自分たち。
ここで労働団体や他人に怒るのも間違っている。
嫌な人は受け入れないでもいい。そうした多様性を認めるのが成熟した社会だ。
でも、あなたが残業を減らしたいのであれば、自分だけでも裁量労働制を認めさせればいい。
誰かがやれば、それは前例となって後に続く人も出る。
ここで今更なのだけど、実はこの記事は「プログラム学習」の話を書きたくて書き始めたものだ。
諸外国では今、プログラム学習がブームになっている。
でも、日本ではどうも、これがただのバズワードにすぎず、何のためにプログラムを学習するのかよくわからない、という反応が多い。
裁量労働が当然になり、働く時間に関わらず給与がもらえ、たとえ早く作業が終わっても余計な仕事が持ち込まれない、となった時、どうするのが最善手だろう?
もちろん、仕事をできるだけ短時間で終わらせて、さっさと帰ることだ!
コンピューターのパワーを駆使できるのであれば、仕事を高速に終わらせることも可能になるだろう。
みんな、そのためにプログラムを覚えたいんだ。
今、日本でプログラムを学んで仕事の効率を上げたらどうなるだろう?
他人の仕事が持ち込まれて忙しくなるだけだ。
または、残業代がカットされて給与が下がり、生活が苦しくなるだけだ。
これでは、誰もプログラムを覚えようと思わないのが当たり前だ。
僕はプログラムの学習には、「頭をよくする」効果があると思っているので、プログラム学習は推進したい。
でも、残念ながら今の日本では、プログラム学習で得られるものを提示しにくい。
その問題の根っこは、ほかの社会問題の根っことつながっている、と思うんだ。
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別年同日の日記
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5年前の今日が大変な日だったからこそ、あえて書く。
なんでもない日おめでとう! と。
Twitterのディズニー公式氏が、昨年の8月9日、長崎原爆忌に流してしまったツイートの文句がこれだった。
どうも、何か手違いがあっただけで、何の意図もなかったようだけど。
だけど、考えてみてほしい。
大変なことがあり、日常が破壊されると、なんでもない日常がどれだけ貴重なものかよくわかる。
5年前の今日、地震が起きてから、日本中が変わったと思う。
いい意味でも悪い意味でも変わった。
あんなことがあったのに、何も変わらない、と怒る人もいるけど、「あんなことがあったのに」って、以前は言わなかったでしょ?
やっぱり、震災以降で変わっている。
なんでもなかった日々のなんと平和だったことか。
なんでもない日々を取り返すために、努力を続けなくてはならない。
復興に向けて支援を続ける人がいる。
今も福島第一原発の廃炉作業に向けて作業をする人たちがいる。
そうした人々の努力は本当に頭が下がる。
でも、日本国民のほんの一部に過ぎない。1%にも満たないだろう。
残りの 99% 以上が、今何をすべきか考えないといけない。
復興に向けて…とか、大げさに考えるのはやめておこう。
無理しても続かない。今できる、小さな一歩を踏み出してみることだけを考えよう。
被害が大きかった地域の支援をしようというんじゃない。
いつか必ず来る、次の大地震に備えて…
それが自分の住む地域を襲うときに備えて…
まずは、食糧の備蓄をする。壁に止められていない家具を固定する。つい開けっ放しにしてしまう食器戸棚をしめる癖をつける。
そんな些細なことで、有事の命を守れる。けがを防げる。救援を呼ばなくてよくなる。
災害の時は、救助の義務を負う人々は大忙しだ。少しでも手を煩わせないようにする、という些細な心掛けが、他の人に対する、何より大切な支援となる。
食料の備蓄は、家族全員が3日生き残れるように…というのが基本だけど、1日分でも、ないよりはずっといい。
5年もつ缶詰とか、高価なものを買う必要はないし、高価なものは3日分を揃えるのが難しい。
普段の食事にも使える、普通の缶詰や乾物、6カ月以上日持ちする普通のビスケットで構わない。
ちょっと多めに買い置きしておいて、賞味期限前には食べてしまえばいい。
水も同じく。一人1日3リットルとして、我が家は5人家族なので、3日分で45リットル。
「5年もつ水」みたいなので揃えたら高くつきすぎて続かない。
ペットボトルに汲み置きして、3日以内に使うつもりで回している。
正直に言うと、我が家の場合30リットル程度しか置いていない。目標に足りない。
これでも、ペットボトル20本くらいあるからね。水の確保って、ものすごく大変だ。
こうした、普段から使いながら備蓄することを、ローリングストックという。
特別な高いものを買う必要はないし、普段から賞味期限を気にしているので、いざというときに使えない、ということもない。
地震だけを想定してはいけない。
新型インフルエンザなどが蔓延して、人との接触を避け、できるだけ自宅から出ないように要請される、という事態もあり得る。
震災なら「避難所」が開設されて、皆で助け合えるかもしれない。
でも、そうではなく、人を避ける。助け合いは出来ず、食料の調達なども最低限に抑える。
そういう時に、家に1週間こもって生活ができるか?
災害時は、ガス・電気・水が止まる可能性が高い。
備蓄食料としてカップラーメンを置いといたけど、お湯が沸かせない、という事態もありうる。
乾パンなどは備蓄しやすいけど、なにぶん乾燥しているために、食べるのに喉が渇く。水を多めに必要とする。
先に書いたけど、水の備蓄は大変だ。こうした「乾燥した食料」に頼るのは良くない。
そういうことまで考慮して備える必要がある。
うちの場合、庭があるので焚火台と炭を常備している。
夏には家族でバーベキューとかやるし、これも普段使いのローリングストック。
火があればお湯が沸かせる。カップラーメンだけでなく、多少の調理も可能だ。雑草だって味噌汁にすれば食える。
そして実は、これは足りない水の問題の対策でもある。
幸い、うちの近くに、飲むことができる湧き水がある。とはいえ、生水なので飲むときには煮沸が必須だ。
燃料を用意して、電気やガスが止まっても水は沸かせる、という前提があるから、水が少し足りなくても大丈夫だと思えるのだ。
備蓄の方法に正解はない。
それぞれの家庭に合わせた方法で備蓄をしなくてはならないし、数年ごとに内容を見直さないと、家族の成長に従って必要なものも変わっていく。
「災害用備蓄袋」みたいなセットを売っているけど、あれを買ったから備えがある、などと考えたらだめだ。
買っても良いのだけど、それが最低限の備えだと考えて、さらに家族に合わせた構成を考えなくてはならない。
#ちなみに、災害用備蓄袋の水は、全く不十分なことが多い。
多くて2リットルくらいしか入っていないのに、「3日分の備え」だとか宣伝しているのが多い。
耐久消費財も同じ考えで行ける。
災害への備えを特別なものにするのではなくて、普段から使うものを揃える際に、災害時でも役に立つこと、という視点で見るのが良いだろう。
太陽光式の単三電池充電器を買って、普段使いしている。
充電速度は遅いのだけど、普段使いの電池はこれで全部充電できている。
普段家事をしながら聞いているラジオも、内部に充電池が入っていて、単三電池でもつかえる。
普段は常に充電状態で聞いているので、急に停電になってもしばらくは聞き続けられる。
結婚前に、キャンプが好きで買ったストーブ(調理器)、ランタンなどは置いてある。
テントや寝袋は邪魔で捨ててしまったのだけど、これらは残してあるのだ。
ホワイトガソリンと普通のガソリンのどちらでも使えるタイプなので、燃料が足りなければ自動車からガソリンを抜き取って使うこともできる。
話は変わるけど、被害の大きかった地域への支援もまた、普段の生活をしながら行うことができる。
寄付を出したり、ボランティアに駆けつけたりできる人はやったほうが良いのだけど、そんな特別なことでなくても支援になることはいっぱいある。
うちは、震災前から福島のお米をよく買っていた。美味しいからね。
震災後も変わらず買っている。
スーパーの店頭でも、福島産の野菜があれば優先して買う。
まぁ、あまり値段が高いと躊躇するけど、少し高いくらいなら問題ない。
以前は値段が安いものを選んでいたね。あまり産地は気にしなかった。
今は、応援したいという気持ちで買っている。
しかし、5年たってもまだ「風評被害」が無くならないという。
リスク正当に評価をできない人がいるのは、残念だけど事実だ。
「風評被害をなくすために積極的に情報発信」とかやっているようなのだけど、残念な人はそもそもそういう情報を見ないので、届かない。
僕は、福島産と書かれていたら積極的に買うようになった。
残念な人がいるのは事実だけど、ほんの一部に過ぎない、というのもまた事実だ。
ならば、福島産の安全性を理解している人が、ちょっと多めに買えば、風評被害を少しでもカバーできるだろう。
福島への旅行も2回ほど行った。
これも、毎年どこかへ行っている家族旅行の一環なので、それほど無理はしていない。
ちょっと遠かったのは事実で、移動時間が長かったのが子供にはつまらなかったようだ。
でも、楽しかったのでまた行きたいというリクエストはもらっている。
うちはたまたま福島を応援しているのだけど、それぞれの想いで別の地域でもいい。
東北に限定する必要すらない。
茨城なんかは結構被害は大きかったのに、東北ではないので支援の手が届きにくいと聞く。
そういう場所も積極的に支援してよいと思う。
5年目を前にして、震災を風化させない、という言葉をよく聞くようになった。
積極的に言っている人の中ではすでに風化しちゃってるんだろうな、と思う。
あれだけの大災害だった、という記憶があって、ほとんど忘れていることに罪悪感がある。
だから「風化させない」と言葉にして、気持ちを引き締めている。
でも、この言葉とセットとなっているのが、ほとんど「東日本震災の記録」とか「復興の現状」なんだ。
今後の備えにしようとか、自分は些細だけどこうした活動をしています、とか、そういう言葉は聞かれない。
「風化しない」っていうのは、普段から考え続けているということだし、それであれば常に「自分のこと」として語られるはず。
5年前、地震のすぐ後に僕は、この地震はみんなが被災者だ、ということを書いた。
「被災地」という言葉は、自分が住んでいる「ここ」ではないどこかを示す言葉だ。
つまり、他人事だ。そういう意識でいればすぐに記憶が風化する。
今自分に何ができるか。
もし自分の身に同じことが起きたらどうするか。
他人事ではなく、常に「自分」に置き換えていれば、決して風化しない。
「風化を食い止める」とかではなくて、常に新鮮なんだ。
それは、普段の生活に経験を活かして、なんでもない日でも有事に備え続けるということだ。
今日も皆が笑顔でいられたことに感謝しつつ、明日も同じ日が続けられるように備え続ける。
この、なんでもない日々に感謝して。
なんでもない日おめでとう!
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オーレ・キアク・クリスチャンセンの誕生日【日記 14/04/07】
別年同日の日記
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先に書いた通り、GAME ON 展を見に行きました。
ちょうど、未来科学館のリニューアル直後のタイミング。
せっかくなので、リニューアルの様子を書いておきましょう。
まず、ドームシアターの映画「9次元から来た男」から。
ここに関しては、もともと映画なので、リニューアルとは言っても施設が何か変ったわけではない。
新作映画が作られましたよ、と言うだけ。
ドームシアター、実ははじめて入りました。
いつも人気で、開館時刻に行っても満席のことが多いのだよね。
朝早くなのに満席って、なんでだろう…と思っていたら、WEB から予約可能なことを今回初めて知りました。
映画の内容は、ネタバレになるので詳細を書けません。
でも、非常に上手に作られている。
見るのであれば、超ひも理論について少し知っていたほうが楽しめるでしょう。
知らないと楽しめない、というわけではないけど、通り一遍の知識があるだけでも、ずっと楽しくなるから。
ドームシアターは、プラネタリウムにも使えるし、立体眼鏡を使って立体映画も見られるようになっています。
「9次元から来た男」は、この設備の特徴を非常に上手に使いこなしている。
ちなみに、未来科学館のオリジナル映画で、ロケ地としても未来科学館が使われています。
あ、ここ7階の休憩所の外側デッキ部分だ、とか思うだけでも面白い。
子供の感想:
「カラビ・ヤウが可愛かった」
僕もそう思った。映画 TRON の「ビット」みたいな感じ。
意味が分からないなりに、7歳になったばかりの次女にも楽しめる映画ではあったようです。
今回のリニューアル、主に7階なのかな。
以前は しんかい6500 の実物大モックアップがあり、その周辺は地学を中心としたコーナーになっていました。
内容を見る限り、東日本震災を受けて、地学を「防災」の観点から見直した感じ。
目玉は、リスクを表現した大ジオラマ。
人間や花が描かれたドミノが並んでいて、「リスク」がぶつかると倒されます。
リスクは赤いボールで表現されていて、いろいろなところからやってくる。
例えば、ジオラマ奥に「火山」があります。
普段は止まっているのだけど、時々リスクの赤いボールを吐き出す。
この吐き出す数も、少しだけだったり、多数吐き出したり。火山の噴火が一様ではないことを意味しています。
ジオラマの左端には、「地震」があります。
リスクのボールを受けてある皿があって、時々揺れています。
小さく揺れる程度では、リスクのボールは転がりださない。
このリスクは、地底深くから登ってきて、皿にたまり続ける。
皿が大きく傾くことがあります。
その時溜まっていたリスクのボールが一気に吐き出される。
でも、そもそもボールが少ないと、皿が傾いても被害は少ない。
たくさん溜まっているときは、大きな被害が出ることになります。
皿の隣に「津波」があって、リスクのボールがいったん蓄えられて時間差攻撃になったりすることもある。
ジオラマ全体では二つの大陸があって、「感染症」とか「環境汚染」というリスクもある。
これらは、火山や地震のリスクに比べると小さいのだけど、条件次第では大陸間を超えてリスクを与えてしまう。
また、大陸間の海からは「巨大台風」のようなリスクが発生します。
このジオラマがすごく良くできていて、見ていて飽きない。
大地震と大噴火が重なってしまうときなんて、本当にバタバタと人が倒れていく。
でも、ドミノにボールが当たるかどうか、だから、確率問題で全部倒れてしまうことはない。
そして、しばらくたつと人はまた増えます。
この展示を作るのには結構時間がかかったでしょう。
そして、公開直前になって、熊本で地震が起きてしまった。
#まだ落ち着いていないのでこの日記に書いてませんね。
後から見たときのために書いておけば、4月12日と14日の2回、熊本を中心として震度7の地震が起きています。 まだ強い余震が続いていて、避難者も多い現在進行形の状態。
うちの子供たちも、「熊本は今こんな感じなの?」なんて聞いていました。
不謹慎だと思う人もいるかもしれないけど、科学館で展示されている内容と、現実の世界を結び付けられるという意味では、非常に良いタイミングだったと思います。
ジオラマ周囲には様々なリスクに関する展示があり、当然地震計もありました。
リニューアル前から、日本中の地震計からのデータを使って「リアルタイムに起きている地震を可視化する」展示はあったのだけど、そこで熊本地震の本震時点でのデータを再現していました。
係の人に話を聞けたのですが、リスクを正しく知ってもらいたい、というのが展示の意図だそうです。
住んでいる地域のリスクを示されると「怖い」という人がいる。
リスクを明らかにすることが嫌がられるので、隠して見せないようにしてしまうこともある。
一方で、日本中にリスクがあることを示すと、どこにいても一緒なのだから仕方がない、と言って終わりにしてしまおうとする人もいる。
そうではなくて、リスクがあることを知ったうえで、そのリスクを少しでも軽減する方法を考えて欲しい。
あらかじめ準備をしておけば、リスクは減らすことができるのだから。
別のコーナーでは、地震やテロ、戦争などについて考えさせるものもありました。
リスクは自然災害だけではありません。だからこそ準備しないといけないし、回避だってできるでしょう。
リニューアルその2。
iPS 細胞についての展示が作られました。
ミニシアターが6部屋ほど。
1部屋の椅子の数は2つ。周囲に立ち見ができますが、せいぜい1部屋5人でしょう。
部屋ごとにストーリーが違うようですが、医療と iPS 細胞がテーマの模様。
健康な人にも iPS 細胞で何ができるのかを考えて欲しくて、自分が難病だったとしたら…と考えてもらう内容にしてあるようです。
自分のこととして考えられるようになったところで、奥の展示コーナーに進みます。
シアターは結構並ぶので、飛ばして奥のコーナーだけ見ることもできます。
さて、このコーナーで面白いと思ったのが2点。
まず、シアター個室の壁を木で作ったこと。
細胞 (Cell) の話をするのに、木質 (Cellulose) を使っていて、小部屋 (Cell) なわけです。
このシアターの入り口の上には、空いた部屋を示す LED の電光表示があります。
空きが出ると、緑色で、人が歩く絵によって「侵入可能」を意味します。
歩行者用青信号のマークだと考えてもらえばいいかと思います。
それ以外の時は常にオレンジ色で進入禁止を意味する絵が出ている。
この絵が、面白い。
歩行者信号の、立って待つ人の絵があります。枠だけの線画と、塗りつぶしの2パターン。
それと、アメリカの歩行者信号のような、手のひらで静止を表現したマーク。
しばらく待っていると、おもむろにそれらの絵から、「ライフゲーム」(ライフゲイム)が始まります。
ライフゲームは、生物の状況を非常に単純化したシミュレーションです。
条件が良ければ生物は増えるし、条件が悪いと死滅する。
そして、普通はある状態で安定してしまう。
「世界」をマス目に区切って、それぞれのマス目に生物がいるかいないか、の2値で表現されます。
マス目 (Cell)を使うので、セルラー・オートマトン (Cellular automaton) と呼ばれます。
ここでも、細胞を意味する「セル」という言葉が出てくる。
そして、人の形や手のひらの形から、増殖や死滅を繰り返すライフゲームを始めるということは…
「人の体から、好きな形に増殖を始められる iPS 細胞を取り出すことができる」
という意味を暗喩しているのでしょう。
説明するのが非常に長くなったけど、小さなスペースに2重3重の意味を込めているので、非常に感心したわけです。
他にも、展示の位置が変わっていたり、小さな変更は多数ありました。
様々な場所に、みんなの疑問が電光掲示されていたり、というのもあったけど、今のところうまく使われているようには見えない。
今後、偉い人からの答えとかも集めていくのかな?
#家族で良くいく科学館、理科ハウスには、みんなの疑問にみんなで答えるコーナーがある。
これは非常に面白いので、疑問掲示自体はうまく使えば面白いことになると思っている。
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別年同日の日記
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ゲームってなんで面白い? をテーマにした GAME ON 展なのだけど、特に答えはない。
元々答えだせるようなものではないからね。
答えがない問いというのが悪いわけではなくて、みんなが考えるきっかけになると面白い。
少し前から、別の問題として「ゲーム性」という言葉を考えていた。
こちらも、よく使われる言葉だけど定義はない。曖昧で無意味な、便利な言葉として使われているだけ。
ゲーム性ってなんだろう、と考えるとこちらも答えの無い問だ。
でも、僕はゲーム開発者の端くれなので、ゲームの面白さとか、ゲーム性について突き詰めて考えたことはある。
ここらへんでちょっとまとめたくなった。
最初に断っておくが、本気で説明し始めると本が一冊かけてしまうと思う。
ここで書くのは、ざっくりとした概論だけだ。
それも、「僕の考え」というだけで、一般性がないことに注意。
そのつもりで読んでほしい。
まず、ゲームの定義。
「ルールの中で勝敗を決めるもの」
テレビゲームに限らず、勝敗がないものはゲームではない。
いわゆる「テレビゲーム」でも、勝敗がないものは多数ある。
例えば「どうぶつの森」には勝利条件がないし、ゲームオーバー条件もない。
これらはゲームではない。
ただし、後で書くけどこれらがゲームであると認められる要素もあるので、ゲームと呼んで差し支えはない。
ルールは、プレイヤーに均等に勝利の機会を与えるものであることが望ましい。
望ましい、と言うだけで、偏ることを否定するものではないし、実は機会が均等すぎると面白くない。
「戦争」というトランプのゲームがある。
各自配られたカードを山にして置き、一番上をめくるだけ。
一番大きな数のカードを出した人が「勝ち」で、出されたカードをすべてもらい、山札に追加できる。
カードが無くなった人は負け。
このゲーム、恐ろしくつまらない。
勝利の機会は均等で、このゲームが「上手な人」も存在しない。
つまりは、運のみで、戦略要素は全くない。
ゲームは、習熟したものが強くなる方が面白い。
努力して勝つから楽しいのだ。
ルールの言っている「均等」は、努力まで否定して均質化するものであってはならない。
勝利することがゲームの目標で、勝利できなければ「負け」となる。
簡単に勝利できてしまってはつまらないし、どんなに頑張っても勝利できないのもつまらない。
ゲーム性とかゲームバランスと呼ばれるものは、このさじ加減に過ぎない。
このさじ加減の中で、どれだけの要素を盛り込み、プレイヤーを楽しませることができるか。
トランプのゲームでは、1ゲーム中に小さな勝負を繰り返すことが多い。
たとえば、大富豪では手持ちのカードからルールに従って順次カードを出す。
1周したところで一番強いカードを出した人が、次の回の最初のカードを出せる。
ここで、小さな勝利があるわけだ。この勝利を積み重ねることで、最終的な勝利を手に入れたい。
たとえ最終的に勝てなかったとしても、小さな勝利を積み重ねれば楽しむことは出来る。
大富豪の場合、ゲームの勝利は次のゲームに影響を及ぼすため、連続したゲームを行うのが普通だ。
つまり、最終目標であるはずのゲームの勝利すら、もっと大きな流れの中の小さな勝利に過ぎない。
こうした、勝負の多重構造の中で、負けた人であっても小さな勝利を何度も経験できるようになる。
勝負は多重構造になっていたほうが楽しめる人が多い。
1人用のゲームでは、誰かに勝利する、ということが無い。
代わりに、目標を設定し、目標を達成すれば勝利、達成できなければ負け、と考えることが多い。
テレビゲームも1人用である場合はこの考えに従う。
近年のゲームでは、1人用でもゲームが終了する勝利条件を決めていることがあるが、昔のゲームはユーザーが負けるまで終了しなかった。
つまり、ゲームの結果は最初から「ユーザーの負け」とわかっている。
普通に考えたら面白くない構造だ。
ここで、ユーザーは自分で目標を設定してゲームを始めることが求められる。
前回プレイよりも先に進みたい、高得点を取りたい。それらを達成できれば勝利であり、達成できなければ負けとなる。
ゲームの得点を友人たちと競う、という遊び方もある。
これは、特定のゲームを「ルール」として、そのルールに従って競争を行う、というより大きなゲームを作り出しているんだ。
ここでも、勝負の多重構造が見られる。ゲームAの外側で別のゲームBを始めているのだけど、そのゲームBへの参加資格は、ゲームAに「勝利すること」なんだ。
ここで注目すべきなのは、ゲームBの競争で盛り上がるためには、ゲームAが面白い必要は全くない、ということだ。
ゲームの面白さは、そのゲーム単体で語ることは出来ず、周囲を取り巻く環境まで考慮しないといけないことになる。
スペースインベーダーには「レインボー」と呼ばれる技がある。
この技、ゲームの得点には全く関係がない。
ただのバグで、インベーダー描画に失敗して画面が崩れる、と言うだけだ。
しかし、スペースインベーダーが流行していた当時、このバグを引き起こせることが、インベーダー上級者のステータスの一つだった。
ある程度習熟すると狙ってバグを出せるけど、慣れていない人には難しい。そういう類のものだからだ。
ここにもまた、ゲーム外の面白さがある。
無意味に難しいことをやって、成功させることを勝利条件とするのだ。
もしくは、周囲を感嘆させて、優越感に浸る。ゲームの勝敗には無意味でも、ゲームを楽しんでいることになる。
ここでもまた、ゲームの周囲の環境要因で、ゲームの面白さや楽しみ方が大きく変わることになる。
最初に書いたが、勝敗がないものはゲームではない。
しかし、勝敗はなにも、ゲームのルールに組み込まれたものだけではない。
周囲の環境も含めてゲームは存在する。
プレイヤーが人間であり、社会とは切り離せない生き物である以上、ゲームの周囲の環境を無視することは出来ない。
よりダイレクトに周囲の環境をゲームに取り込んだ、対戦ゲームやMMORPGが流行したのも納得できるし、ソーシャルゲームが人気なのもそういうことなのだろう。
そして、周囲の環境をゲームに取り込もうとすると、その環境からプレイヤーをはじき出す、つまりは「勝敗を決める」ことが邪魔をし始める。
いつまでもゲームの世界にとどまり、周囲と関わり続けられた方が、ゲームとして面白いことになる。
ここで、最初に書いた「ルールの中で勝敗を決めるもの」というテレビゲームの定義が破綻する。
どうぶつの森だって、ザ・シムズだって、ゲーム内には勝利条件もゲームオーバー条件も設定されていない。
でも、自分で勝利条件を決めながら遊べばいい。
化石をコンプリート。虫をコンプリート。
好きな住民の好感度を上げ続けて、引っ越しさせないようにとどめておく、というのだって勝利条件になりうる。
実は、世界最初のテレビゲームとされる SPACE WAR だって、勝利条件なんてない。
「破壊されたら負け」は多分みんなが感じるのだけど、そこで3回勝負にしたってかまわないし、3回破壊される間に1回でも破壊したら勝ち、というハンデ戦だって構わない。
ゲームに勝利条件が必要、ということと、それをプログラムとして組み込んである、ということは違うんだ。
ここまで、ルールの話だけをしてきた。
ゲームはルールの中で勝敗を決めるもの、という定義で話を展開していたからだ。
しかし大前提として、ゲームは、「遊び」の中の一分野に過ぎない。
そして、遊びは4つの要素に分解できる。
競争と運の2つは、ゲームにも重要だ。勝敗は競争の結果だし、時の運もある。
そして、模倣と眩暈(めまい)。
初期のゲームはともかく、最近のゲームはこの2つを積極的に取り入れ、「あそび」としての質を高めてきた。
スペースインベーダーは、宇宙戦争のヒーローになるゲームだ。
しかし、遊ぶ人はみんな「ゲーム」として遊んだだけで、模倣…ごっこ遊びだとは思わなかっただろう。
でも、ポールポジションは本当にレーシングカーに乗っているように思わせてくれたし、アフターバーナーは戦闘機乗りの気分にさせてくれた。
ATARI の STAR WARS は、宇宙戦闘機のパイロットの気分で、スペースインベーダー以上に「宇宙戦争のヒーロー」を体験させてくれた。
この、日常とは違う体験というのが、眩暈そのものだ。
これらの延長上に、3DでHDでVRなゲームがある。
模倣と眩暈は非常に楽しいし、ゲームに欠かせないものだ。
でも、それを「ゲームの楽しさ」と呼ぶのは少し違うと思っている。
模倣と眩暈「だけ」なら、映画などでも作り出せるからだ。
僕らが余暇を楽しむとき、映画ではなくゲームを選んだのであれば、それは映画とは違う、ゲームの面白さを求めていることになる。
大きな物語に身を投じるという「模倣」を楽しみたいのであれば、映画を選ぶのも良いだろう。
ゲームを選んでも、模倣の要素がいらないと言っているのではない。
でも、映画にはない競争や運を楽しみたいと思っているのは間違いないんだ。
ゲームをゲームにしているのは、競争と運の要素であり、そこにゲーム独自の楽しさの本質がある。
模倣と眩暈は重要な要素だけど、ゲームの楽しさの中で、比率としては小さい。
眩暈とは「日常ではないこと」や「意表を突かれること」だ。
繰り返していると、やがて日常になってしまうし、予期できるようになってしまう。すると眩暈は消えてしまう。
だから、眩暈の要素は時代と共に過激さを増していく。
当初はアフターバーナーにこれ以上ないリアルを感じていたはずなのに、3Dポリゴンでないとダメになる。
バーチャファイター1に驚いたはずなのに、今3を振り返ると「全然リアルではない」と感じてしまう。
模倣も眩暈も、一過性のものだ。
ゲーム自体が流行性の商品なので、一過性のものを取り入れるのは当然のことだし、悪いことではない。
でも、この部分を中心に据えてしまうと、5年後には価値を完全に失うことになる。
「競争と運」を軸とした強固なルールを組み上げるのが、ゲームの面白さの本質だと思う。
とはいえ、先に書いたように、ゲームは周囲の環境と切り離せない。
競争が、「仲間との競争」だったりすると、数年後には競う仲間がいなくなってつまらなくなったりする。
これは、いつまでも楽しみ続けられるゲームは存在しない、という意味になる。
実際には、いわゆる「思い出補正」などもあり、昔のゲームでもそれなりに楽しめるのだけど。
僕は、限られた条件の中で、戦略を考えて勝利を目指すタイプのゲームが好きだ。
対人対戦は、考えても勝利が見えないジャンケン状態に陥ることがあるので好きではない。
また、対人対戦は、流行によって相手を見つけられないことがあり、好きなタイミングで遊べないので好きではない。
もっと言えば、単純なルールで複雑な状況を作り出す、非リアルタイムのゲームが好き。
1プレイの時間が短いのも重要。
倉庫番も ROGUE も、30年以上前のゲームだけど、今でも新鮮に楽しく遊べる。
最近やってないけど、大戦略シリーズも好きだった。
でも、これは僕個人の趣味。
他の人がどのようなゲームが好きかを否定するものではないし、他のゲームがつまらないということでもない。
ゲームの面白さって、結局は自分の中にある。
面白さを分析することもできるし、その分析を他のゲームを作るときに活かすこともできるのだけど、最後は遊ぶ人次第だ。
最近のゲームはつまらない、という人がいる。
その人は、ゲームとちゃんと向き合ってないんじゃないかな。
楽しもうという心がないとゲームは楽しめない。
最初から「最近のゲームはつまんない」と思いながら遊んだら、そのゲームの面白いところを見落とすだけだ。
別年同日の日記
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先週 GAME ON 展に行ったときに、関連書籍を一冊買ってきていた。
「ゲームってなんでおもしろい?」というタイトルで、これは GAME ON 展の副題と同じ。
買う前に最初のほうを読んだら、展示内容にあった「ゲームの面白さの分析」が書かれていた。
家庭用ゲーム機の進化を数ページで示した年表みたいのもあった。
なので、あぁ、これは展示内容を書籍化したものなのだな、と思って、記念程度のつもりで買ってきた。
そして、先週は忙しかったのでそのままほったらかしになっていた。
ゴールデンウィークになり、気持ちに余裕ができたので思い出して読んでみた。
すると、これがとてもいい内容。 GAME ON 展は先日書いた通り、正直言ってあまりいい内容ではなかった。
しかし、この書籍を買いに行ったのだ、と言っても良いくらいに内容が充実した本だった。
先に書いた通りに、ゲームの面白さの分析がある。
でも、読んでみたら展示で行っていたもののうち、一番最初の展示内容を抜粋したものと、それをまとめるにあたっての苦労話インタビューだった。
内容は先日ざっと書いたけど、突っ込み不足を感じるものの、面白さ分析としては悪くなかった。
でも、インタビュー見て納得した。
最初から、ゲーム全体を網羅しようとはせず、漏れがかなりあることも分かったうえで、どこまでゲームの内容を単純化できるかを考えてまとめたそうだ。
例えば、「狙って撃つ」ということは、スペースインベーダーから始まっているのだけど、何も敵を撃つだけではない。
サッカーで味方にパスするのも「狙って撃つ」だ、というように遊びの方向性をまとめている。
「最初の展示内容」では、他にも「大きなものを崩すと面白い」として、ブロック崩しのようにちまちま崩す方法や、クオースのようにまとめて大きく崩す方法など、多種のバリエーションがあることを示していた。
それらについては言及されている。
でも、他の考察は書籍には収録されていないのね。
たとえば、「ゲームは進化するから面白い」という展示があった。
具体的には PONG からブロック崩し、インベーダーゲームに至る過程を説明していた。
この話、過去に書いたので割愛するけど、全く新しいゲームが急に生まれることなんてなくて、すべてつながっていることがわかる。
いい話なんだけど、書籍にはこの話がないうえに、後で書くけど「新しいゲームが急に生まれてきた」と思わせるような部分も多々ある。
ゲームの歴史を考える上では、温故知新の大切さを失ってしまったようでちょっと残念。
先に書いたように家庭用ゲーム機の年表があるけど、これはある意味オマケかな。カラーで20ページもある豪華オマケだけど。
プログラムの観点から、ゲームがどのように動いているかの解説もあった。
ただプログラムを説明するのではなく、どうすれば面白いゲームになるか、という部分まで踏み込んでいる。
巻頭近くのカラーページで図表も豊富だったので、最近 Scratch でゲームを作り始めた長男も楽しんで読んでいた。
各界の著名人に好きなゲームベスト5を選んでもらう、という記事もある。
…が、ここまですべて豪華オマケ。この後に書かれた話の前座に過ぎない。
この後でやっと「第1部」が始まる。全部で3部からなる、様々な人にゲームの面白さについて尋ねたロングインタビュー。
聞き手が誰かわからない。わからないのだけど、どうも元アスキー編集長の遠藤諭さんのようだ。
同じく元アスキー社の別雑誌「ファミ通」の編集長をしていた浜村弘一さんへのインタビューがあるのだけど、ここで二人並んだ写真があり、「聞き手の遠藤と浜村氏」とキャプションがあるから。
遠藤さんはこの書籍の編集人、となっているのだけど、編集だけでなくインタビューなども全部行っているのではないかと思う。
そして、遠藤さんは過去に「計算機屋 かく戦えり」という、コンピューターの黎明期に関与した様々な人物にロングインタビューをした書籍を刊行している。
これがまた良い本で、話を聞こうと思ってもなかなか聞けないような人物に、ある程度詳しい人ならだれもが聞きたいと思うようなことを正しく聞いてくれている。
インタビューって、ただ話を聞けばよいのではなくて、相手の業績をあらかじめ綿密に調べておいて、その周辺事情も理解したうえで、適切に話を聞いていかなくてはならない。
これはなかなかできない大変な作業なのだけど、遠藤さんはそれができる稀有な人の一人なのだ。
で、買う前には気づかなかったが、この本の大半はそうしたロングインタビューなのだ。
これが、非常に良い本だと書いた理由。
最初のインタビューは、ファミコンのハードウェアを作成した技術者、上村雅之さんから始まる。
内容に関しては、「素晴らしい」と絶賛できるものではない。残念ながら。
でも、重要な現場にいた人が、自分の言葉でゲームについて語っていること自体が、記録として有用だ。
素晴らしいと絶賛できない、と書いたのは、カウンターカルチャーとしてのコンピューターの歴史に対しての認識が少し甘い部分があるから。
先に書いた「新しいゲームが急に生まれた」ように感じさせるような話もある。
(これは上村氏に限らず、個人の認識能力の限界で、他の人の話にも見られる)
現在大学教授でゲームについての研究を行っている上村さんに対して「甘い」とかいうと無関係な信奉者から怒られそうにも思う。
しかし、上村さんの専門はゲームを遊ぶ際に何が楽しいと感じるか、その楽しさはその人が育った文化背景に依存するのか、などの研究のようだ。
カウンターカルチャーの歴史背景に多少の認識の甘さがあったからと言って問題はない。
でも、それを「素晴らしいと絶賛はできない」とわざわざ書くのは、この本を読む人には「書かれていることを鵜呑みにしない」ようにしてほしいから。
インタビュー集で、個人の語ったことをそのまままとめてあるため、個人の認識の誤りをわざわざ正したりはしていない。
というか、テレビゲームはまだ新しく、研究者の間にも共通の了解などないと考えたほうがいいだろう。
誰かが「正しさ」を強制しようとせずに、それぞれの言葉をそのまま収録していることのほうが資料としての価値が高いと思う。
上村さんに限らず、それは認識がおかしくないかな、と思われる例は多々ある。
でも、個人の限界もあるので、そのことを問題にしてはならない。自分の認識のほうが違うのかもしれないし。
大切なのは、ゲームについていろいろなことを考えている人がいて、それらの考えを知ることの楽しさだ。
ゲームは自由であることが楽しいのだから、考え方も多様でいいし、認識が多少違っても全然かまわないのだ。
上村さんが「ゲームの本質は画像などのすごさではない」と繰り返し語ったあと、次のインタビューでは SCE の吉田修平さんが、PlayStation VR について語る。
ここで、バーチャルはすごい、3Dの世界はすごい、と繰り返し語った後、次のインタビューではガンホーの森下一喜さんが、パズドラの面白さがどのように構築されているかについて語る。
…絶対にわざとやっているよね。
「古いタイプのゲーム」と「新しいタイプのゲーム」を交互に並べて、振り子のように行ったり来たりさせる。
それぞれの人が語っているのは、その人の専門分野の中でのゲームの面白さでしかない。
でも、それらの中を行ったり来たりさせることで、読み手ごとに本質を考えてもらおうという趣向だろう。
ゼビウスの遠藤雅伸さんも出てくる。
ゲームについて聞かれて、「ゴミ箱に投げたゴミが入らず、拾って投げ直したらゲーム」と答えている。
普通、そんな風に考える人はいないと思う。
でも、僕もゲーム業界の末端に在籍しているものとして、この言葉がすごく腑に落ちる。
ゲームは世の中のいたるところに遍在している。
テレビゲームだって、テレビゲームの中の閉じた世界ではない。世の中とつながっている。
ゴミをゴミ箱に投げただけならゲームではない。
入らなかったら、落ちたゴミを拾って…ゴミ箱が近いのだから普通に入れればいい。
でも、戻って投げ直したならそれはゲームだ。
入らなかったのは「負け」であり、そのままでは悔しいからだ。
僕はルールと勝敗があればゲームが成立すると思っている。
負けて悔しかったからもう一度やろうとする。
その際に「戻って投げ直した」なら、さっきと同じ距離でないといけないと自分でルールを設定したわけだ。
他にもいろんな話が書かれているけど、ゲーム作成者や、これから作ってみたい人は、是非読むといいと思う。
もっとも、GAME ON 展を「レトロゲームイベント」として見に来ている人が買ったら、がっかりするかもしれない。
展示してあったゲームの目録とか画面写真などは一切入っていないからね。
逆に、GAME ON 展が期待はずれだった人(僕みたいに)や、そもそも見ていない人でも、ゲームの構造などに興味があるなら楽しめるだろう。
この本自体は普通に流通している書籍で、Amazon でも取り扱っているようだ。
別年同日の日記
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最近「アルプスの少女ハイジ」のアニメを子供とみている。
超有名な話だけど、実は見るの初めて。
この中に、「ロッテンマイヤーさん」と「クララのおばあさま」という登場人物がいる。
ロッテンマイヤーさんは憎まれ役に描かれているのだけど、悪人ではない。
ハイジは、19世紀のドイツで書かれた「現代劇」だ。今となっては時代劇だろう。
時代劇というのは、その時代のことを知らないと、登場人物の心情が理解できない場合がある。
ロッテンマイヤーさんのやっていることは「現代的に見て」理解しがたい部分があるのだけど、実は当時のドイツとしてはごく普通のことをやっているだけ。
彼女は悪人ではなく、「教育係」としての責任を果たそうとする、ごく普通の女性なのだ。
とはいっても、「アニメの」ハイジは、1970年代の日本で作られたものでもある。
僕は原作を読んでいるわけではなく、アニメ版を見て話をしているので、1970年代の日本の空気も反映されているのかな、と思っている。
でもね。実は、1970年代の日本と 19世紀末のドイツはつながっている。
アニメのハイジが名作と呼ばれたのは、もちろんクリエイターが良かったこともあるのだけど、19世紀末のドイツと、1970年代の日本が似た空気を持っていたせいでもある。
ロッテンマイヤーさんがクララやハイジに対して行っている教育は、当時のドイツでは「良い教育方法」とされていたものだ。
ロッテンマイヤーさんは、クララと同学年で一緒に勉強をできる頭の良い「学友」を探していた。
そこに、ハイジのおばさんがハイジを騙して連れていく。年齢も違うし、ハイジは学校にも行っていなかったのに。
ハイジのおばさんの行動の是非はさておき(これも彼女なりのやさしさではあったのだ)、ロッテンマイヤーさんにとっては、ハイジは想定とは違う、「いらない子」だ。
でも、ほおりだしたりはしない。クララがハイジを気に入ってしまったから、という事情はあるのだけど、理由はともかく自分のもとに来た子供を、立派な淑女に育て上げようと彼女は頑張っている。
じゃぁ、彼女の考える「立派な淑女」とは、どのようなものだろう。
ここには当時のドイツ人の「立派な大人」像が反映されている。
厳格で、寡黙で、易きに流されず、快楽にふけらず、我慢強く、目上の者の命令には従い、順序立てて物を考える論理性を持つ。
…当時のドイツ人じゃないから多少間違えているかもしれないけど、大体こんな感じ。
ようは「堅物」こそが良い人物像とされたし、ロッテンマイヤーさんはそんな堅物を目指しているのがよくわかる。
(彼女自身、生き物が苦手で逃げ出したりするので我慢強くはない。でも、そういう人物を目指している)
彼女はハイジのことを「アーデルハイド」と呼ぶのだけど、これはハイジの本名だ。
後半の「ハイド」が変化して、愛称である「ハイディ」になる。
(日本語では「ィ」という表記は本来なかったので、一番近い音は「ハイジ」となる。)
愛称というのは、言いにくい名前に変わって使われる「言い易い名前」だ。
だから、この名前で呼ぶのは「易きに流れる」ことになる。そんなことをしていたら立派な淑女にはなれない。
だから、彼女は「アーデルハイド」と呼ぶし、クララにも、ハイジ自身にも、「アーデルハイド」と呼ぶように言っている。
(実際のところ、彼女以外は誰も本名では呼ばないのだけど)
ハイジは学校に行っていなかったので、文字を読むこともできない。
クララの家庭教師に、一緒にハイジも教えてもらうように頼むときに、家庭教師はクララと同じ内容を教えつつ、ハイジが付いてこれるようにわかり易く噛み砕いた内容も教える、という方法を提案する。
でも、ロッテンマイヤーさんはこれを許さない。
順序立てて物事を考える論理性を養うためには、わかってもいない内容を「途中から」教えるのは害悪だからだ。
アルファベットから順に覚えさせないといけない、と、ABC(あーべーせー)から教えるように依頼する。
ハイジは毎日あーべーせーをやるのだけど、文字が何に使われるのかもわかっていないし、勉強に身が入らず、一向に覚えない。
クララは病弱なので昼寝の時間がある。
ハイジは、この時間は自室で自習するように求められた。
「自由時間」ではなくて、自習時間だ。でも、ハイジは部屋に閉じ込められて遊び相手もいない、というような状況で面白くない。
ロッテンマイヤーさんにとっては、我慢することを覚える、勉強の遅れを自ら取り戻す機会を与える、大切な学習だと考えている節がある。
#ハイジは我慢することを全く知らない、多動症ぎみのところがある。
だからこそ、ロッテンマイヤーさんは「我慢する」ことを教えたい。
ロッテンマイヤーさんはハイジのために良かれと思ってやっているのだけど、効果が上がらない。
効果が上がらないので、この方向での「教育」がエスカレートしていく。
ここに現れるのがクララのおばあさま。
雇い主(クララの父)の母上なので、ロッテンマイヤーさんは意見はするが逆らえない。
#目上の者の命令に従うのは、彼女の考える立派な淑女の条件だ。
おばあさまは、まずはクララの昼寝時間の間、自分がハイジを預かると言い出す。
そこで何か勉強を教えるのかと思えば、いわゆる「ぐりこ」を家の中の階段でやって遊び始める。
ロッテンマイヤーさんは遊んでいると思って怒るし、ハイジも一緒に遊んでいるつもりなのだけど、おばあさまは明らかに「教育」としてこれをやっている。
「ぐりこ」をやっているシーンは2回出てくるのだけど、1度目は初めて遊んでいるシーン。
ハイジは常に5歩ずつ歩いていて、おばあさまはすごく後ろから大声でジャンケンをしている。
ずっと時間が後になり、2回目のシーン。
ハイジが先に来ているのだけど、おばあさまは2歩づつ着実に追い上げ、ついにハイジを抜く。
ここで、ハイジとルールの再確認をしている。
ジャンケンで勝ったら、勝ったときの手がグーなら1、チョキなら2、パーなら5歩進める。
おばあさまは、これでハイジに「数の概念」を教えていたようだ。
そしてここで「勝ったら」というのが重要であることを教えている。
パーなら5歩、というのが得だと考えてパーばかり出していると、相手はチョキを出すようになる。
…と言って、意味を理解したハイジを見て、おばあさまは次のジャンケンでパーを出し、颯爽とハイジを引き離す。
ハイジに、相手が出す手がわかれば裏読みされる、ということを教えた。
ハイジは、これを聞いて裏を読み返そうと考え、自分がパーばかり出すからおばあさまはチョキを出すのだ、ならば自分はグーを出せば勝てる、と戦略を切り替える。
しかし、おばあさまは今話をきいたハイジが行動を変えることを予測し、グーを出すだろうと考えパーを出したのだ。
単純とはいえ、ゲームにおける心理戦というのは奥が深い。
おばあさまは容赦なくハイジをそこに叩き込んだのだ。
ここにきて、「勝たせて楽しみを教える」という方法から、「本気でぶつかることで、悔しがらせて考えさせる」方法に切り替えている。
おばあさまはハイジに優しいのだけど、甘やかしていては、本当の力は育たない。
そんなこともちゃんと理解して教育を行っている。
もう一つ、おばあさまはハイジに初めて会ったとき、お土産として童話の本を渡す。
どうも、読みやすい短いお話がたくさん入った、全集のようだ。
ハイジが「字が読めない」と言ったら、この本はたくさん絵が入っているから、絵を見ているだけでも話がわかる、と答えている。
そして、この日は夜ベッドで読み聞かせをやってあげた。
次の描写は、多分1週間くらいたっているのだろう。
ハイジは「毎日同じお話を読んでもらっていたので、内容を覚えてしまった」と言っているので。
内容を覚えてしまったハイジは、たどたどしいが物語が読めるようになっている。
実は、「読んでいる」のではなくて、おばあさまの言葉を思い出しながら、書かれている語句と対応が付いていることを「確認」しているのだけど。
途中でお話を忘れると、絵を見て思い出し、そこから単語を類推している。
本当にわからないときはクララに聞いて教えてもらう。
こうやって、興味を持ち始めたらあっという間に字が読めるようになってしまった。
「あーべーせー」から順に覚えていく、というのは当時の教育方法としては標準的なのだけど、ハイジはこれでは覚えられなかった。
文字が何のためにあるのか理解していなかったからだ。
ロッテンマイヤーさんは「順番に覚える」ことを重視していたのだけど、おばあさまは順序を多少変えても、理解を進めることを重視した。
ところで、19世紀ドイツの文化は、開国したばかりの日本に強い影響を与えている。
開国した日本は、欧米列強に並ばなくてはならない、と強い危機感を抱いた。
日本が「近くの大国」だと思っていた中国(当時は清)は、アヘン戦争でイギリスに負けていたからだ。
政府は欧米の社会制度を子細に検討し、ドイツをお手本とすることに決める。
皇帝を頂点とする体制が、天皇を頂点とする体制と類似性があったこともあるし、ドイツ人の勤勉さが日本人と似ていたこともある。
ドイツ人の考える「立派な大人」の像は、日本人の考える「立派な大人」像と非常に似ている。
「雨にもまけず、風にもまけず…」と非常に近い。
ドイツの影響を受けてそうなった、というのではなく、江戸時代からそうだった。
だから、似ているドイツの体制が新政府の参考にされたし、教育制度にも色濃く影を落とした。
戦前の日本の教育制度は、寺子屋制度の名残と、ドイツ式の教育方法を混ぜたようなものだ。
大戦でアメリカに負けてから、アメリカ式の教育方法を取り入れようともしているのだけど、こういう習慣は急に変えられるものではない。
アニメ版の「ハイジ」が作られた 1970年代は、教育ブームが過熱したころでもある。
(1970年代後半には「受験戦争」という言葉も作られている)
アメリカ式の学習方法を導入しようという動きはあっても、そんなことは一部の人が思っているだけの状況で、戦前の教育方法が強化される形になってしまった。
つまりは、ロッテンマイヤーさん式に、常に勉強を強いて、自由を与えない方式。
勉強時間が増やせるだけでなく、忍耐強さも身につくので将来良い大人になる。
当時はそう信じられていたし、当時そう教え込まれた人は今でも信じている。
もちろんそれに対する反発もあり、この方式を取る人は「教育ママ」もしくは、怪獣になぞらえて「教育ママゴン」などと揶揄された。
ハイジのアニメ版はそんな時代に差し掛かるころに投入されたので、わが身に重ねる人もいただろう。
「名作」というのは、そうした時代の空気に寄り添うことによって生まれる。
おばあさまのように「楽しみながら考える力を身につけさせていく」というやり方は、アメリカでよく用いられる教育方法だ。
別にアメリカ発祥、というわけでもなくて、頭のいい人は昔から実践していたと思う。
ただ、アメリカでは公的教育でもこの方法が受け入れられているので、ここではアメリカ式と呼ばせてもらう。
#アメリカは多様性の国で、ドイツ式の教育方法を取っていないわけではない。学校ごとの自由裁量だ。
実情としてどの程度の割合なのかは、僕自身がそれほど詳しくないので知らない。
アメリカ式では、教師は「教える」立場ではない。
子供が自ら考えるのを促し、考えに行き詰って相談しに来た時に、正しい道に戻してやる立場だ。
クララのおばあさまは、ハイジと「ぐりこ」をやって遊びながら、数の概念と相手の立場に立って考える、ということを教えた。
童話集を繰り返し読み聞かせ、暗記させたうえで「後は自主性に任せる」ことで、ハイジは文字を覚えた。
どちらも、「教える」という立場ではなく、自発的に気づくように仕向けたのだ。
ただ、おばあさまはどうもこのやり方の限界を知っているようだ。
ハイジには教育をしているのだけど、すでに勉強が進んでいるクララに対しては、特に何もしようとしていない。
アメリカ式の教育方法は「自分で考える」ことを覚えさせるのにはいいのだけど、知識を授けるのには適していない。
そして、正しい知識を持たずに考えだけを先行させると、道を踏み外していることも気づかずに、間違ったゴールにたどり着いてしまう。
でも、ドイツ式だと、ハイジのような…勉強についていけない「落ちこぼれ」を生み出しやすい。
また、知識だけ詰め込まれても、その使い道が全く理解できず、「考える」ことができない大人も生み出す。
1960~1980年代に詰め込み教育を受けた大人は、今の日本を支える年代になっている。
しかし、「詰め込まれた知識」と同じ状況には適応できるけど、新しい状況には適応できない世代だ。
職場でパソコンを活用しようとしたら「手書きでやれ」「電卓でやれ」なんて言い出すのはこの世代だろう。
自分が詰め込まれてないものは理解できないし、理解しようとも思わない。
しまいには、考える力を重視し、詰め込むことをやめた世代を「ゆとり」だなんて揶揄し始める。
考えることができないから、考える力を持った世代、というのがどういうものかも考えられない。
まぁ、僕もその世代に属しているので、揶揄されて迷惑している世代には、代表してお詫び申し上げる。
詰め込み教育の弊害世代、と考えてくれ。僕らの世代もまた、教育の方法の被害者なのだ。
#ついでに言えば「毒親」と言われるのだってこの世代だ。
時代の流れや、想定しない(習っていない)状況への理解力が乏しいのが根本部分にあるように思う。
さて、先ほどからロッテンマイヤーさんを「ドイツ式の教育方法」と書いているのだけど、最初に書いた通りこのお話は 19世紀のものだ。
今のドイツは、こんな古臭い方法はとっていない。アメリカ式と大体同じらしい。
#もちろん、文化を反映して多少の違いはあるだろう。
知識はもちろん重要だ。先に書いたように、正しい知識を持っていないと、迷走して誤ったゴールへ向かってしまう。
だけれども、現代は知識を得るのが簡単な時代でもある。
得た知識が正しいかどうかの検証方法…多くの情報を比べて「自分で考える」ことを理解していれば、知識を詰め込む必要は、それほどない。
現代では、知識よりも考えることのほうが重視されているのだ。
そこで、日本でも4年後をめどに、アメリカ式の教育方法に切り替えるべく準備を進めている。
先に書いた通り、徐々にアメリカ式を取り入れては来ているのよ。
ゆとり教育だって、「詰め込みをやめて自分で考える」教育だった。
これは成功していて、上の世代よりも考える力を持っている人が増えている。
データにもちゃんと出ている。
でも、そのゆとり教育だって、先生は先生だったのね。
ロッテンマイヤーさんに「優しくしてね」って頼んでいるだけで、おばあさまではなかった。
でも、4年後をめどに、ロッテンマイヤーさんをおばあさまに変えようとしている。
大きな転換点になると思うのだけど、多分そのことを理解する大人は少ないだろう。
(先に書いたけど、今の大人は「新しい状況に対応できない、詰め込み教育の弊害世代」だ)
一番障壁になりそうなのが、先生の意識が変えられるかどうかだと思う。
ロッテンマイヤーさんをおばあさまに変えたい、と言ったって、先生を全員解雇して別の人になんかできないのだ。
最後にハイジの話に戻るけど、「ロッテンマイヤーさんとクララのおばあさま」のように、2人の人物が対照構造になっていることが、このお話の中には非常に多いように思う。
幼く人懐こいハイジと、老齢で人嫌いなおじいさん。
見るものすべてが新鮮で喜びにあふれているハイジと、目が見えずに悲観的なペーターのおばあさん。
ハイジ自身は快活で聡明な女の子で、最初の友達であるペーターは内気で考えるのが苦手な男の子。
ハイジは山でしか暮らしたことが無く、クララは家からほとんど出たことが無い。
全てが対照的になっている。「普通の人」はあまり出てこなくて、極端な人物が多い。
でも、そこに善悪はない。誰もがいい人で、ただ両極端に位置しているだけ。
いつの時代でも通用する普遍的な構造だから長く愛されているのだろう。
ロッテンマイヤーさんだって、ハイジのことを思っているから厳しく躾をして、立派な淑女にしようとしたのだ。
やりすぎていたのは事実なのだろうけど。
詰め込み教育の弊害世代から言わせてもらうと、教育も完全に「おばあさま」モードに切り替えるのではなく、ロッテンマイヤーさんにも活躍の機会を残してほしい。
結局、「やりすぎ」は問題を生じるのだから。
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会社の決算期なので書類掻き集めている。
こまめにやっとけばいいのに、っていう至極もっともな突っ込みはこの際おいとく。
そのうえで書くと、電話料金のような「月々の利用明細」が結構問題だ。
今時、利用明細を郵送で送ってくる、という会社は少ない。
別料金払えば送ってくれるのだけど、うちみたいな零細企業だとそのわずかな金を惜しみたい。
WEB で見られるから見てね、となっているのが普通だから、それを印刷することになる。
この明細書の扱いが、会社によって激しく違う。
Biglobe の SIM を使っているのだけど、明細書ページの使いやすさに感心した。
ある月の明細を見ていて、「前の月」「後の月」が簡単な操作で移動できるし、離れた月へもプルダウンメニューから移動できる。
事務作業している時には、まとまった期間の明細を全部出力したいので、この「次の月」への移動がとても便利。
使う人のことを良くわかっている。
そして、これが一番大事なのだけど、印刷すると全く見た目の違う、保存する経理書類として適切な形式の「利用明細」が得られる。
そこには、「次の月」とかプルダウンメニューなどの、操作インターフェイスは一切入っていない。
技術詳細としては、CSS のメディアタイプで振り分けているだけだ。
この説明でわかる人は、以下25行ほど読み飛ばしていい。
…改めて説明しよう。
WEB のページは HTML で記述されている。
HTML は、表示する文章などに「データの意味」を与えるものだ。
たとえば、ある部分は見出しで、ある部分は本文の段落。
そしてこの部分は引用、などと指定していく。
一応、そのままの HTML でも、それなりの表示はしてくれる。
見出しは大きな文字を使うし、引用部分は段落を下げる。
でも、もっと見た目を整えたいのであれば、この「意味」に対して、どういう「見た目」にしたいのか、という指示を、Cascading Style Sheet (CSS) で行う。
この CSS なのだけど、普通に指定しておけば、画面上も印刷時も同じ見た目になる。
でも、CSS の指定時に「画面用」「印刷用」とか、さらには「PC用」「スマホ用」とか分けられる。
メディアごとに異なる見た目を用意できることから、「メディアタイプ」と呼ぶ。
そして…やっと最初の話に戻れた。
Biglobe では、1つのページに、画面用の見た目と印刷用の見た目を用意している。
画面用の見た目では「前の月」「次の月」などの機能ボタンが配置されているが、印刷時はこれらのボタンは消えうせる。
そして、明細書として適切な見た目で印刷され、そのまま経理書類として保存しやすいようになっている。
アサヒネットは、Biglobe のように「1つのページの見た目を CSSで制御する」のではなく、印刷用の別ページを用意してあった。
しかし、インターフェイスとしては使いやすいし、悪くない。
一方、楽天カードは、印刷用の仕組みはなかった。
画面用の見た目をそのまま印刷すると、最初の1ページには丸ごと、どうでもいい情報が入る。
(画面遷移のインターフェイスとか、過去の明細の保存期間のお知らせなど)
でも、これが「ちょうど1ページ」なのは都合がよく、2ページ目から印刷すると大体残しておきたい情報がみっちり入る。
残念なのは、最初の1ページに入る情報が「ちょうど1ページ」になるように計算されているわけではなく、偶然だということだ。
実は、直近3カ月とそれ以前で、ページの体裁が少し異なる。
そのため、最近のページを見ると、必要な情報が1ページ目途中から始まってしまう。
また、Javascript を使い、ページのスクロールに合わせて動的に CSS を書き換えるようになっていた。
具体的には、ページ一番上の表示は「ヘッダ」として、スクロールに合わせてついてくるようになっている。
ページを開いたときは何も設定されていないのだけど、スクロールして初めて fixed になるようだ。
この結果、印刷を開始するスクロール位置によって、印刷結果が変わってしまう。
fixed だと印刷時も紙の一番上に表示してくれるのだけど、経理上重要な「明細書」の一部が、この表示で隠されてしまう。
これは経理上全く許し難いことで、多数のページを印刷してから気づき、隠されてしまったページの再印刷となった。
見た中で最悪だったのが、DMM の明細ページ。
DMM の sim は安くて便利なので使っているのだけど、明細を印刷して保存することは全く考えられていない。
Biglobe と同じように、画面用の CSS と印刷用の CSS を分ける作りになっているんだ。
でも、印刷用の CSS というものは存在していない。
「画面用」の指定を印刷時に使うわけにはいかないので、印刷時は「素の HTML」になる。
先に書いたように、素の HTML でもそれなりの表示にはなる…ようにできる。
ところが、DMM のページは、CSS で成形することを前提に作られていて、素の HTML では見た目が非常に崩れるのだった。
結果として、保存したい情報をまともに印刷できない、ということになる。
ところで、google chrome の印刷機能は独特で、プリンタドライバを介さないで印刷しようとする。
そして、WEB を印刷するときに、「おそらくここが本文」という場所を経験則的に探し当てて、不要な部分をカットして印刷するモードがある。
これを試してみたところ、DMM のページでは利用明細以外の部分を綺麗にカットすることができた。
表組などは崩れているのだけど、必要な情報は保全できるので、この機能を利用して明細を印刷した。
僕のページは人のことを言えるほどインターフェイスについて考えられてはいない。
考えられてはいないのだけど、この際、心に棚をつくって、自分のことは棚上げして言わせてもらおう。
課金明細を WEB 化するのであれば、単に WEB で「見られる」だけではなく、印刷して保存することを考慮してほしい、と思う。
Biglobe の作り方は最善だし、アサヒネットのやり方も悪くない。
(多分、アサヒネットは CSS がまだ今ほど使い物にならなかった頃に作られたシステム)
楽天のは結構ダメなのだけど、少なくとも画面の見た目のまま印刷できるので、表組を使うことが多い明細としては悪くない。
でも、印刷時に表組すら崩れてしまう DMM のやり方はダメだ。
CSS に「画面用」の指定を入れるのであれば、「印刷用」も作っておかないと意味がない。
安い sim を便利に使わせてもらっているし、こういう細かな部分はコストに跳ね返るので仕方がないとも思うのだけど、改善してほしい部分だ。
そして、実は一番困ったのは NTT 東日本だった。
明細ページに入るためのインターフェイスがややこしすぎ。
自分で決められないのでとても覚えていられない「ユーザー ID」と、パスワード、それと「お客様番号」の3つが揃わないと認証できない。
しばらくアクセスしないと ID は失効して、再発行を依頼すると郵送で送られてくる、というシステムだ。
実は、失効していてアクセスできないので、再発行依頼したところ。
印刷以前の問題なので、是非改善してほしい。
さらにいえば、「明細」と「請求」は別の関連企業によって管理されていて、両方見るには2つのIDが必要になる。
別々に管理しているので、明細と請求が異なる場合もある、と説明されているけど、それじゃ何のための明細かわからない。
「セキュリティのため」なんて言わせない。
セキュリティに敏感な銀行だってこんなに意味の分からない認証方法は使っていないのだから。
#現在、NTT東日本は「インフラ会社」になりつつあり、「顧客管理」を別会社に任せる戦略を打ち出している。
先に書いたように、「明細」と「請求」が別会社になっているのもその一環。
この請求会社は自由に選ぶことができて、うちの場合、アサヒネットを窓口にするように切り替えれば、NTT東日本のサービスはほぼそのままで、請求がアサヒネットから来るようになる。
ひと段落したら切り替えてやろう、と画策している。
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過去に書いた記事をちょっと追記したところ、その追記が間違えているのではないか、という指摘をいただいた。
僕が間違えていることは重々あるので指摘は大歓迎。
特に、今回は詳しそうな方が、根拠を含めて指摘してくれた。
ただ、ちゃんと調べたところ、指摘をくださった方が間違えていた。
このことに対して特に怒りはないし、調べたことは僕自身の知識ともなったので、やはり感謝しかない。
詳しそうな方でも間違っていたということは、これが非常にわかりにくい概念なのだろう。
せっかくなので、調べたことも含めて詳しく解説してみたいと思う。
話は著作権のことだけど、僕は法律の専門家ではないし、ましてや著作権の専門家でもない。
でも、ゲーム会社に勤めていた時に、著作権の概念は叩き込まれた。
もちろん、専門家ではない以上間違えがあるかもしれない。
間違いがある場合、もしくは今回の話の発端のように、疑問がある場合はどんどん指摘してほしい。
話の発端から説明しよう。
まず、僕は過去に著作権表記についての記事を書いている。
でも、ここで「年を書く」ということだけ書いていて、その年が何を示すのかは詳しく書いていなかった。
Twitter の TL で、ゲームの発売年を調査している人がいて、書籍などとして刊行されている情報や、Wikipediaにまとめられている情報が間違えていることが多い、ということを言っていた。
タイトル画面には発売年とは違う年が書かれていることがあり、しかしそれを発売年と勘違いする人が多いために間違いが多い、という内容だった。
その人の推察では、年末などで年内に発売するつもりで作成していたものが、何らかの理由で年をまたいでしまうことが多いのではないか、となっていた。
タイトル画面に書かれているのは、発売年ではなく、著作権表記だ。
ずれが生じているのはそのためだ、と僕は知っていた。
でも、表記する年がいつを基準とするのか、以前書いた記事では書いていなかった。
そこで簡単に追記しておいた。
これに対して、間違えているのではないかという指摘が寄せられた。
どうやらその方もゲーム業界の方で、著作権法の条文は読んだうえで、「発売年」を書くのが正しいと考えていた。
正直に認めると、僕は万国著作権条約の条文までは読んでいなかった。
もしくは、読んだかもしれないけど覚えていなかった。
#国内法は読んだ
僕の知識のほとんどは、会社で先輩から叩き込まれたものだ。
必ず、最初に公開した年を書かなくてはならず、その公開とはプライベートショー(わずかな関連企業の人にだけ公開するイベント)のようなものも含む、と教わった。
会社からもらった書籍も読んで勉強したので、そこに条文が載っていたかもしれない。
でも、いずれにしても僕が覚えていた知識は先輩の言葉だった。
だから、僕が間違えているかもしれないと思い、改めて法律関係を調べてみた。
そして分かったことは、万国著作権条約の翻訳が微妙だということだった。
今回、教えていただいた条文は次のものだ。
(万国著作権条約の日本語訳)
第六条 〔発行の定義〕 この条約において「発行」とは、読むこと又は視覚によつて認めることができるように著作物を有形的に複製し及びその複製物を公衆に提供することをいう。
指摘をくださった方は、「複製」とあるのだから、大量生産することが前提だと考えていた。
ロケテストやショーへの展示は、大量生産ではない。
そもそも、「発行」というのは大量生産を前提とした言葉だ。
だから、ここでいう「発行」とは発売のことだ。そういう指摘だった。
しかし、原文(英語)では「発行」は Publication となっている。
確かに「発行」とも訳される語句なのだけど、原義は Public 、つまり公にすることだ。
作成者とその関係者だけが知っているような状況ではなく、第三者に見せる。
たとえその人数が非常に限られているプライベートショーのようなものでも、Publication となる。
ここは翻訳上の問題だ。
Publication に当たる言葉では日本語では複数あるのだけど、その複数をいちいち列記していては日本語としておかしくなる。
だから、翻訳の際に「発行」を選んだというだけ。
普段は法律なんて法律家しか気にしないし、法律家なら疑問のある時は原文を当たる。
だから、「発行」の単語は英語における Publication だよ、とわかっていれば何の問題もない。
そんなわけで、「発行」が大量生産の市販品に限られる、という理由はなくなる。
次の問題が「複製」だ。
もう一度条文を示そう。
第六条 〔発行の定義〕 この条約において「発行」とは、読むこと又は視覚によつて認めることができるように著作物を有形的に複製し及びその複製物を公衆に提供することをいう。
じつは、こちらの問題のほうが説明が難しい。
たしかに「複製」(原文でも copies )と書いてあるのだけど、これはいわゆる複製のことではない。
万国著作権条約では、絵画も保護の対象であると明記されている。
肉筆で書かれ、複製物のない1点ものであったとしても、著作権が与えられる保護対象だ。
「複製」と明記されているにもかかわらず、いわゆる複製物でなくても良いことになる。
じつは、ここの「複製」は、その前の言葉と切り離してしまうと意味を失う。
「有形的に複製」で一つの概念だ。
さらに言えば、「読むこと又は視覚によつて認めることができるように」が、「有形的に複製」にかかっている。
著作物とは、何か特定の「もの」をいうのではない。
本があったとしよう。その本は著作権で保護されている。
しかし、保護されているのは本ではない。「その内容」だ。
だから、違う体裁で、1ページの行数や、1行の文字数が違う形式でコピーしたとしても、同じ著作物として認められる。
本としての体裁は全く違うのに、保護される。
本が保護対象なのではなく、内容が保護対象だというのは、そういうことだ。
じゃぁ、保護する対象としての「内容」を明示してくれ、と言われると困ってしまう。
やはり、本などの形でしか示せないからだ。
これを、法的には「無形物」「有形物」という。
保護対象である「内容」は無形物なのだけど、その無形物を示すためには、有形物である「本」や「原稿」を示さないといけない。
たとえ肉筆画や、まだ活字組前の原稿だとしても、それは著作権の保護対象だ。
保護対象である無形物の「内容」を、有形物として明示できるようにした…つまり、無形物を有形物の形に「複製」したものだからだ。
これが、「有形的に複製」の意味だ。
なぜ有形的に複製しなくてはならないのか、という説明が「読むこと又は視覚によつて認めることができるように」となる。
つまり、文章全体で、いわゆる複製品ではなく、「アイディアだけでは保護されず、何らかの形で示さないといけない」と言っているに過ぎない。
もっとも、これには異論もある。
法律学者にとっては書かれた条文こそがすべてで、それをどう解釈するのかは揉める部分なのだ。
僕に指摘をくれた方のように、「複製」とあるのだから、それは複製物でないといけない、という立場をとる人もいる。
この場合、1点ものの美術品は保護されない。
美術品は人類の公共財産であり、また芸術家の卵などが模写することで学ぶことができるように、保護対象外であることが正しい、という立場もある。
#その際も、美術品を撮影し、本などとして発行する際には美術品の持ち主の許可が必要で、財産権は保護される。
#また、1点ものは保護されないのに、美術品としての版画なら保護されるのか、など、不平等の問題もある。
ところが、この立場を取った場合でも、コンピュータープログラムは、最初の1つから「複製品」となる。
プログラムとして記述されたのは「ソースコード」であって、実行バイナリではないためだ。
複製の言葉の定義としては、機械的な作業によって同じ意味を持つものが作り出されることだ。
世界観を使った同人誌や、小説を元に映画化するような「2次著作物」とは違う。
機械的な作業であることが重要で、そこに新たな著作権が発生しない時、複製物とされる。
ここで、複製物が元のものと違っていることは構わない。
たとえば絵画の場合、肉筆のタッチ・凹凸が失われたとしても「複製物」と認められる。
場合によっては色を失い、白黒で印刷されることになっても「複製物」だろう。
プログラムは、ソースコードを著作し、コンパイルした結果、バイナリが得られる。
法的な立場では、このバイナリは「著作物の複製物」とされる。
そのため、テレビゲームなどを作った場合、それがロケテスト用の1台しかないものであったとしても、複製されたものにあたる。
「発行」の定義でいう「複製」を満たしているため、最初にロケテストなどで公にした年を明記する必要がある。
以上の理由から、法的な解釈は多少違う場合があっても、テレビゲームに表示する著作権表記としては、ロケテストやショーなどの「最初に第三者に見せた」年を書かなくてはならない。
発売年を書くのは誤りだ。
(もちろん、発売年と公表年が同じである場合はそれで構わない)
じゃぁ、指摘をくださった方のように誤認があり、公表年と発売年が違うにも関わらず発売年を書いていた、として、どのような問題があるだろう?
直接的な問題は、特にないだろう。
以前書いたけど、万国著作権条約はすでに時代遅れとなっていて、現在は国際的な著作権保護はベルヌ条約で行われている。
(条約である以上、加盟した国でしか適用されない。今でもベルヌ条約に加盟していない国はあるため、全く無意味なわけではない)
しかし、ここではあえて万国著作権条約のみが有効であるとして考える。そういう国もまだどこかにあるらしい。
あなたがゲームAを作ったとしよう。
2015年にロケテストをして、2016年に発売した。タイトルには発売年である 2016年の表記がある。
ところが、ロケテストの際に別会社がアイディアを盗み、そっくりのゲームBを発売した。
こちらは、とにかくゲームAの発売前に出してしまえ! と、2015年中の発売となり、表記も 2015年だ。
ゲームBは盗作である、と訴えても、万国著作権条約では認められない。
2016年に公表されたゲームAが、2015年に公表されたゲームBに影響を与えることなどありえないからだ。
万国著作権条約は、方式主義…つまり、実際がどうなっているかではなく、どのような申請が行われているかを重視する。
タイトルで明記された…「申請された」年のみがすべてで、実は 2015年にロケテストで公表している、というような主張は聞き入れられない。
もっとも、先に書いたように、万国著作権条約は今となっては時代遅れだ。
多くの国で、方式主義ではなく、無方式主義…実際に著作されたのがいつか、ということが判断基準となる。
例え表記が 2016年でも、ロケテストで 2015年には公表していたことを主張できる。
ただし、その主張のため、自らが年を間違えるほど無能であることを認めないといけない。
さらに、2015年に公開した十分な証拠を集めなくてはならないし、その証拠を集めたのが「無能な人」なのに、信じてもらう努力をしないといけない。
この点でも、最初に公開した日を正しく書いておいた方が面倒は少ないだろう。
なお、ロケテストの結果が芳しくなかったので、大幅に作り変えるなどして内容がかなり変わっている場合に、公表年と発売年を併記するのは構わない。
最初の著作物に対し、大幅な改変を加えた2次著作物と認められるからだ。新しい部分は、新しい著作物として保護されるので、2つの年が書かれていて構わない。
ところで、上に書いたような盗作騒動が起こったとしても、「似ているから盗作」とはならない。
インターネット上ではすぐに「盗作」とか言い出す人がいるので、盗作の要件を示そうと思ったのだけど…
書き始めてみたら、それだけで1記事書かないといけないくらいの概念だと気づいた。
概念の意味も教えずに書けば、盗作となる要件として
・部分ではなく、全体として似ていること
・盗作とされるものが、原作とされるものに依拠できる可能性が十分に示されること
・類似している部分に明らかな著作物性があること
などを示さないといけない。
ネットで「盗作」と言われるものは、大抵これらを満たしていない。
ただ似ているだけで盗作と言われてしまうクリエイターがかわいそうだ。
これ以上の解説は、面倒なので書かない。
興味のある人は自分で調べてみるといい。
2016.8.31 追記
文中に「申請」という言葉を入れたので、著作権の申請に興味を持っている方を見かけた。
著作権は、現在の日本では著作した瞬間に生じることになっている。
特許権や商標権と違い、申請や審査は必要ない。
でも、著作権譲渡などの際に後でもめないように、国に対して登録申請を行うこともできる。
効用についてはリンク先を参照してくれ。
文中で申請と書いたのは、歴史的な経緯に対してだ。
その昔、著作権に関する対応は国によって異なり、申請がないかぎり認められない国もあった。
これを方式主義という。
しかし、方式主義では国ごとに申請を行わなくてはならない。
商売に関わる特許などならともかく、随筆などについてまで世界中の国で申請を行う、というのは難しい。
そこで、万国著作権条約が作られた。
この条約では、著作物に対して一定の記述をすることで、申請がなされているとみなすことになっている。
たとえば、アメリカは方式主義の国だった。
しかし、万国著作権条約には加盟していたので、実際には国に申請は行わず、著作権表記を行うことで代替できた。
代替している以上、この表記は「申請」に当たるため、本文中では申請と書いた。
その後、アメリカでも申請は形骸化し、著作権表記をすればいいだけの、事実上の無方式主義になっていた。
そのため、1989年にやっと、方式主義ではなく「無方式主義」に移行できた。
1920年ごろから、無方式主義に移行するために少しづつ準備を進めてきたそうだから、気の長くなる話だ。
(1920年ごろに登録された著作物の申請が期限を迎えるまで待ったのではないかな、と思う)
これで、主要な国はほぼすべてが無方式主義に切り替わり、著作権行使に際し「申請」は不要となっている。
ただ、僕も今調べて初めて知ったのだけど、アメリカでは著作物に著作権があることを知らずに侵害してしまった場合、罪には問われない規定があるそうだ。
著作権表示がある場合は「知らなかった」とは言わせないことになっているので、今でも著作権表示することには意味がある。
その内容は以前ほどの厳密性を問われなくなっている。
とはいえ、本文中に書いたように、厳密に従っていたほうが法的に有利になるだろうと思う。
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別年同日の日記
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パラリンピックが閉会した。
オリンピックに引き続き、子供と楽しく見させていただいた。
選手、ならびに関係者の皆様、お疲れ様でした。
僕は運動が苦手だし、野球やサッカーを観戦する趣味もあまりない。
なんか、どこかのチームや団体に思い入れる、ということができないのね。冷めてる。
でも、良く組み立てられたルールのゲームで、熟練したプレイヤーが戦うのは、見ていて面白い。
見ているこちらとしてはそれほどルールの知識がないので、最初は何やっているんだかわからない。
だけど、意味不明と思っていた行動の理由を考えていて、解説者の言葉などでルールを知った時に全てがつながると、非常に面白く感じる。
パラリンピックでは、車椅子ラグビーのルールの巧妙さに唸った。
ラグビー、と言っていたのに、ラグビーらしくない。むしろバスケットボールのようなゲーム性を感じた。
でも、試合運びはバスケットボール程激しくない。ほぼ常に「1点差」か「同点」の状態で、この1点差も常に同じ側がリードしている。
ずっと追いつ追われつでだらだらとした試合展開。あまり面白くないよ? と思いながら見ていたけど、第1ピリオドの終わり間際になって、このゲームの見どころがわかった。
車椅子ラグビーは「時間調整」が元も重要なゲームだった。
ボールを持つと、だいたい15秒程度で点数を入れることができる。
それだけでなく、40秒以内に得点を上げられないとペナルティになる。
相手からボールを奪うことが難しく、ゴール後は相手ボールで始まるため、1点差か同点、という状態でゲームが進行する。
じゃぁ、どこで勝負をかけるかというと、「ピリオド終了時に1点差を守るか、同点にするか」の勝負になる。
一番良い方法は、ピリオド終了1~2秒前にゴールを決めて1点差にすることだ。
これを逆算すると、55秒目で1点差のゴールを決める、というのがセオリーとなる。
(その後、相手が速攻で同点にしても、10秒程度はかかる。残り45秒で、40秒以内にゴールする決まりなので、時間いっぱいまで使って1点差にすれば、相手には5秒しか残されていない。
また、相手が40秒いっぱいに使って同点のゴールを入れた場合、残り15秒あるので十分点数を入れることができる)
ゲームの全ては、この時間調整のために回っている。
ゴール前で攻撃側がわざと動きを止めたり、それをわざわざ守備側が押してゴールさせたり。
「相手に得点を取らせることが重要な戦略」なんてゲームは、なかなか無いように思う。
ボールを持っているのにも制限時間があるのだが、選手がいつでも使える「タイム」によって、この時間をリセットする、という戦略もある。
ただし、タイムは試合全体を通じて、4回しか使えない。(1試合は4つのピリオドで構成される)
このタイミング配分も重要なカギとなる。
戦略が理解できてくると、非常に興味深い、面白いゲームだ。
ゴールボールも面白かった。ボッチャも…面白そうだから見てみたかったのだけど、残念ながら放送に出会えなかった。
(局によっては放送したのかもしれない。いくつかの時間帯を適当に録画していたが、ゲームの説明と試合結果しかやらず、試合自体を見られなかった)
いずれも非常に戦略的なゲームで、見ていて面白かった。
ゲームというのは、制限の中でどのような戦略を立てるかが見どころだ。
パラリンピックの場合、身体の障害といった「制限」があるわけだけど、それをゲームのルールに組み込んでしまえば皆平等になる。
正直なところ、遊べる機会があるならゴールボールはやってみたい。
ボッチャもやってみたいのだけど、このゲームはすごく難しそうだ。というか、上級者のレベルが高すぎて歯が立たなさそう。
足に障碍がある人々の重量挙げも見た。
もちろん、普通に重量挙げを行うのは無理なので、ベンチプレスで行う。
ルールが違うので一般の重量挙げと比較することは出来ないのだけど、少なくとも僕はあの重さを持ち上げられない。
足の障碍があったとしても、あの人たちは僕よりずっと健康体だろう。
重量挙げなので、体重別のクラスに分かれている。
だけど、この「体重」って、普通の人なら足の重さも入るけど、両足切断の人は足の重さがないわけだよね。
その分、上半身の筋肉をつけても良いことになる。
先に書いたように、普通の重量挙げと比較はできないのだけど、普通の重量挙げよりも有利な条件かもしれない。
同じく足に障碍がある人達の、走り幅跳びも見た。
リオオリンピックの金メダルは、8.38m だ。
パラリンピックは、8.21m 、オリンピックに出場していたとしたら、5位だったそうだ。
この金メダル選手は、オリンピックに出場したいと交渉したのだけど、「義足が有利に働いていない」と証明することが条件とされ、この証明ができなかったために諦めた。
(ちなみに、彼の作った障碍者世界記録は 8.40m で、走り幅跳びの世界記録は 8.95m だ)
障碍者の走り幅跳び選手の上位記録者は、みな義足で踏み切っている。
つまり、義足の弾力を効果的に利用すれば、少なくとも障碍者の中では記録を伸ばすことができる。
でも、障碍者はそもそも身体の左右バランスがとれておらず、走るときもうまく走れないし、着地もきれいではない。
義足はジャンプするうえで有利かもしれないが、義足をつけないといけない体は不利だろう。
有利な点も不利な点もあるのに「有利でない証明」だけを求めるのはフェアでないように思う。
そして、僕はこれは見てないのだけど、車椅子マラソンは非常に高速だ。
通常の記録は 2時間 2分 57秒。
これに対して、車いすマラソンは 1時間 18分 25秒、または 1時間 20分 14秒。
細かなルールの問題で2つの記録が存在しているが、いずれにせよ健常者よりもはるかに速い。
多くの人が知っていると思うので詳細は省くけど、パラリンピックに先駆けて、障碍者が「感動ポルノ」に使われている、と問題視される件があった。
そのため、パラリンピックをどのように見てよいかわからない、という人も少なからずいたようだ。
僕は競技内容にのみ興味があったので、淡々と中継(もしくは録画の放映)をするものを見ただけだ。
スタジオでの解説などがある番組では、多少は練習の難しさなどの「感動話」を伝えるものもあったかもしれないけど、全体としてお涙頂戴に仕立てるような感動ポルノはなかったと思う。
でも、これって見る側の心の持ちようでもある。
淡々と試合を放映をしているだけでも「かわいそうに、この人たち体不自由なのに、頑張ってるんだ」と勝手に感動ポイントを作りながら見ようとする人もいる。
体不自由なのに、とかは余計な情報だ。
障碍は関係なしに、単に自分ができるか考えてみればいい。
200kg のバーベルを持ち上げられるか?
アイマスクをしたまま、音と触覚だけを頼りに球技ができるか?
8m のジャンプをできるか?
変な感動ポイントを作ろうとせずに、目の前にいる人のすごさをそのまま見ればいい。
「かわいそう」で感動するのではなく、「この人すごい」と感動するのは、感動ポルノではない。
#もっとも、感動ポイントを勝手に作りたい人の心情もわかる。
「自分にできるか」を考えるためには、自分を含め、一般的な能力がどの程度かを理解していないといけない。
そんな理解がない人…残念ながら頭も悪く、普段から生活に注意を払っていないために、状況を自分に置き換えた想像もできない人は、競技内容や記録で感動することができない。
そんな時、「代わりに」目が見えないとか、足がないとか、わかりやすい身体的特徴で話をするしかないのだ。
こうした頭の悪さ、感受性のなさ、想像力のなさもまた、ある種の障害ではある。
障碍者への理解を考えるのであれば、障碍者を理解できない人への理解も同時に考えないといけない。
話を少し戻して、「義足が有利でない証明」の話。
彼にとって、義足は靴のようなものだ。
じゃぁ、オリンピックに出ている陸上選手の「靴」が有利でない証明は出来るのか、という問題のようにも思う。
義足を「履いて」いることが問題になるなら、オリンピックでもみんな素足で競技をすればいい。
実際、靴は非常に重要だ。
競技場の床はゴム樹脂のチップを固めて作ってあり、スパイクを履けば足は滑ることなく、すべての力を前に進む力に使うことができる。
靴がなければ足は滑ってしまい、記録は落ちるだろう。
オリンピックが「参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の精神を受けついているのであれば、義足の選手であっても、一定の基準に達していれば出場を認めるべきだと思う。
でも、一方で車いすマラソンの問題がある。
同じマラソンだと認めてしまうと、車椅子に乗っていない選手は出場できなくなるだろう。
それは「マイノリティにのみ権利を認める」ことになってしまい、「参加することに意義がある」オリンピックの精神に反することになる。
障碍者をどう扱うか。認めない場合も、認める場合も、オリンピックの理念を壊す可能性が大きいのだ。
結局、「義足が有利でない証明」は、パンドラの箱を開けないための苦渋の決断だったのではないかと思う。
また別の問題もある。
義足の選手がオリンピックに出ることを認めたとして、じゃぁオリンピックに統合しましょう、となってしまうと、パラリンピック選手のほとんどは出場できなくなり、活躍の機会を失ってしまう。
これは本意ではないだろう。多くのマイノリティに活躍の機会を与えることが、パラリンピックの目的の一つだ。
でも、パラリンピックとオリンピックが分断されていれば、マイノリティはいつまでたってもマイノリティだ。
マイノリティが認められる社会を目指すと言いながら、分断し、差別を続けることに繋がってしまう。
そこで、2段階に考えることは出来ないだろうか、と思う。
まず、パラリンピックとオリンピックは、今のまま分離した大会とする。
その上で、「直近数年間の記録を元に、健常者と障碍者の競技レベルが僅差である」と認められる場合にのみ、パラリンピック側の希望選手がオリンピックに出場することを認める。
「僅差である」というのは、言い換えれば「義足などが有利に働いていない」ということだ。
ただ、選手に証明を求めるのではなく、競技団体などが基準を作って判断する。
あくまでも「直近数年間」をもとに判断する。
車いすマラソンのように、明らかに差ができてしまったらそれは別の競技と考える。
(車いすマラソンだって、最初は健常者より遅かったのだ)
たとえば、次回の東京オリンピックでは、障碍を持つ走り幅跳び選手は出場できるかもしれない。
でも、その20年後に…義足がさらに進化し、障碍者のほうがはるかに良い記録を出しているようなら、出場を認めるわけにはいかない。
また、オリンピックでは一緒に競技することを認めるけど、これはあくまでも「お祭り」としてのものだ。
記録自体は別集計、が望ましいと思う。
将来障碍者の記録のほうが伸びたときに、過去の記録も疑いがもたれて後から抹消、とかややこしい話にならないように。
なんだか話が雑多にとっ散らかってしまった。
いろいろ書いたけど、言いたいことはただ一つだ。
いつの日か、オリンピックとパラリンピックの垣根なんてなくなって、それぞれ「性格の違う大会」ではあっても、同じようにみんなが…選手も、見る側も、楽しめればいい。
そのためにも、選手が相互に(もしくはパラリンピックからオリンピックに)乗り込んでくるような交流があっていいと思うし、見る側も障碍者を特別視するのではなく、普通の人として見ないといけない。
そこまで行っても、パラリンピック選手は「すごい技の持ち主」だから注目してもらい、普通に扱ってもらえるのかもしれない。
全ての障碍者が、普通の人、当たり前の隣人だと社会に受け入れられるようになる日が、早く来るといい。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
5年前、東京大学入試に挑む人工知能「東ロボ君」というプロジェクトがスタートして話題となった。
そして今年、東京大学は諦めて進路変更、という形でプロジェクトは断念された。
まぁ、5年というのはいい区切りだし、東京大学は「高い目標」として設定されていただけなのだろうから、これでいいのだろうと思う。
話としては東京大学を目指すのは面白かったのだけど、ある程度限界がわかったところでプロジェクトの成果を取りまとめ、次につなげようということだろう。
最近AIがやたらと世間をにぎわせているのだけど、これはAIによる「自動認識器」が急激に実用段階に入ったから。
主にディープラーニングと、自己強化学習だな。
詳しく書くと長くなるので、知りたい人は以前に書いた記事を読んでもらうおう。
ディープラーニングや自己強化学習は、「うまくいく、と経験則にわかっているが、なぜうまくいくのかは説明できない」ものだ。
ついでに言えば、上手くいく問題の範囲は結構狭くて、それ以外の分野では全く役立たない。
ただし、この守備範囲が従来のコンピューターが苦手とする範囲だったので、組み合わせによって可能性は広がるのは事実。
ところで、AIという言葉を考案し、AI研究の第一人者だったマービン・ミンスキーは、こうした「よくわからないけどうまくいく」を嫌っていたようだ。
彼は、AI研究を通じて、「人間の知的活動」を知りたいと考えていたから。
プログラムは理論的なものしか扱えず、そのプログラムによって人間と同じように考えられるAIが出来上がれば、それは人間の知的活動がどのように行われているかを示すことになる、と考えていたようだ。
さて、東ロボ君は、マービン・ミンスキーの考えに沿って作られていたAIだったようだ。
東京大学入試に挑む、という目標を持っているけど、合格できればなんでもいいというわけではない。
このAIを作ることで、人間がどのように考え、どのように答えを導くのか、ということを調べるのが目的の一つだったらしい。
東大合格には点数が足りないものの、大学受験生の平均点レベルには達している。
つまり、東大合格するような天才ではないにせよ、普通の子供の「考え」レベルには達しているわけだ。
そして、ここで問題が明らかになる。
平均点に達した東ロボ君、実のところ「文章を読んでも全く理解できず、非常に頭が悪い」のだ。
つまり、これが日本の平均的な若者の姿だということになる。
詳しくはこちらの記事を読んでもらうといいだろう。
AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?
さて、先に書いた疑問にぶち当たり、東ロボ君プロジェクトの派生研究として、多くの人に「文章を読めているか」のテストが行われた。
そもそも、どういう状態を「読めている」とみなすか、という点から考慮され、新たなテスト形式が考案された。
この結果は、驚きとともに今年の夏の新聞をにぎわしたのを覚えている。
同じプロジェクトだ、というのは気づいてなかったけど。
簡単な文章で、「答えがそこに書かれている」問題を読ませても、正しく答えられない子が多い。
結論としては、5割の子供は教科書に書かれてあることが読み取れていない。
2割の子供は基礎的なことが一切わからない。
まだ予備調査段階で、上のデータは「公立中学校に通う340人」にテストした結果だそうだ。
今後、1万人程度の調査が予定されている。
救いなのは、「公立中学校」であることだ。誰でも入れる。
これが、受験が必要な私立中学校だと、基礎が理解できてない子供は 5% まで減る。
それでも 5% はわかっていないのだけど。
さて、東ロボ君プロジェクトを推進してきた教授としては、原因が教育方法にあるのか、貧困による教育機会の逸失にあるのか…などを調査する予定だそうだ。
それは結構なこと。ぜひ進めていただきたい。
周囲の大人の努力で子供の能力が伸びるのであればやらないといけないし、彼女らの立場ではそれが仕事だろう。
その一方で、僕としては別の考えが頭をよぎる。
これは、10年くらい前から話題になっている、「新しい文盲」ではないのかな?
調べてみると、「機能的非識字」と呼ばれるようだ。
「非識字」の文盲と違い、識字…字の理解はできる。ただ、そこに書いてあることが理解できない。字が機能していない。
だから「機能的非識字」。
上にリンクした Wikipedia のページには、アメリカとイギリスの研究例が載っている。
アメリカでは、書かれていることの意味が全く理解できない人が、成人の 14% と見積もられている。
先のテストでいう「教科書が読み取れてない」のレベルについてはわからないけど、ちゃんとすべてを理解できる人は人口のたった 13% となっている。
イギリスの例では、6人に1人がリテラシー能力がない。16% 程度、ということだろう。
42% が「基礎力がない」というのだから、これが「教科書が読み取れていない」レベルに相当するのだろう。
今すぐに資料を示せないのだけど、以前に読んだ話では言語による違いは結構大きいらしい。
アメリカもイギリスも「英語」なので、日本語とは結果が違うかもしれない。
ただ、問題は僅かな違いにあるのではない。
文章を読んでも意味が理解できない、という現象が日本特有の問題ではなく、世界中で見られる普遍的なものだ、ということだ。
ディスレクシア(難読症)、という障害がある。映画監督のスピルバーグが「自分は難読症だ」と告白して話題となった。
文盲・非識字というのは、従来は「教育の機会が得られなかった」ためになるものだと考えられていた。
しかし、難読症は教育の問題ではなく、脳機能の障害だ。
そして、知的障害を持つ人の多くが特定分野で素晴らしい才能を見せるように、難読症でも素晴らしい才能を持つ人が多い。
先に挙げたスピルバーグもそうだし、作家であっても難読症の人はいる。
(ただし、その才能に気付かなかったり、周囲の理解が無かったりすると、「文字が読めない」ための不都合を受けやすく、むしろ社会的な底辺層に甘んじなくてはならない場合も多い。)
難読症の人は、文字が読めないだけで、頭が悪いわけではない。
誰かに音読してもらったり、今ならコンピューターで音読させれば、ちゃんと本の内容を理解できる。
難読症もまた、言語により発生割合が違うことが知られている。
全く読み書きできない、という場合もあれば、読めるけど書けない、読み書きできるけど複雑なものは苦手、などもある。
軽いものも含めた場合、アメリカでは人口の2割程度に何らかの難読症の症状がみられる、とする研究もある。
#ちなみに僕は、「漢字読めるけど書けない」
「ていねいなあいさつ」って漢字で書けますか?
もともと人間は言葉、音声でコミュニケーションを取ってきた。
特殊能力としてではなく、庶民でも文章を読むようになってから、せいぜい200年程度の歴史しかない。
生命として…どころか、人類の歴史としても、文章なんて「読めなくて当たり前」なのだ。
文章で示されても脳が意味を理解せず、音声で聞いてやっと理解できるとしても、何の不思議もない。
その一方で、学問は膨大な知識を蓄えた「本」を中心として発展してきた。
学問、教育の立場にいる人が、文章を読めないことを問題視する理由はわからなくもないが、「皆が読めるようになるべき」と考えること自体が、学問をやっている者…強者の奢りかもしれない。
先に書いた夏の新聞記事では、アクティブラーニングなどを導入する前に「教科書を読む」という基礎を徹底する必要があるのではないか、と提言している。
でも、5割も読めていないというのは、決して読めない人の学習方法が悪いとかではなくて、そもそも「本を読ませる学習方法」が間違えていたのかもしれない。
その場合、むしろコンピューターを使い、能動的に学ぶアクティブラーニングのほうが良い勉強方法である、という可能性だってあるだろう。
多分、この問題はずっと昔からあって、今まで気づかれずにいただけだ。
でも、200年前までは文章を読む必要なんてなくて、問題にはならなかった。
今は問題になるのだけど、気づいたばかりなのでまだ正解は見えていない。
何か良い学習方法が開発されて、ちゃんと勉強すればすべての子が教科書を正しく読めるようになる、というのであれば、小学校はみっちりと教科書を使った学習をするのも良いだろう。
でも、ディスレクシアのことも考えると、「読めない」のは学習方法の問題ではないように思う。
ならば、むしろ教科書に頼る教育から離れたほうが良いのではないだろうか。
2016.11.28追記
その後、東ロボ君のプロジェクト報告会があり、記事になっています。
しばらく前にテレビ番組で東ロボ君のことをやっていて、どのように問題を認識し、解いているかなどの全体構成も紹介されていました。
僕はこの番組で大まかな内容を知りました。
上の記事でも詳細を解説しているので、興味のある方は読むと参考になると思います。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
いささか旧聞に属するが、9月ごろのニュースで、「ら抜き言葉」を使う人の割合が、使わない人を上回った、と報じられた。
「ら抜き言葉」に関しては、実は12年も前に日記に書いている。
12年前の日記でも、僕は「ら抜き」擁護派だ。
ツイッターを見ていたら、「日本語が乱れている」と考えている人が多数いた。
12年前だと、新聞発表などは見られても、世間の反応はわからなかったな。
その反応を見た時に一言書こう思ったのだけど、書くからにはある程度根拠を示そうと思った。
ただ思うところを書くだけの「ポエム」だったら書かないほうがましだから。
しかし、調査をしたり、忙しくて先延ばしにしたりしていて、今になってしまった。
調べたものは膨大なので、まじめに書いていくととてつもない長さになる。
(というか、いったんは書いて、あまりに長いので破棄した)
そこで、過去に書いた記事や、ネット上の記事で説明ができる部分は、積極的にそれらの記事へリンクする。
それらのリンク先は、少なくとも「根拠」となるデータではあるが、データの読み取り方を解説したりはしない。長くなるから。
核心部分についてのみは、最後に説明を加える。
「ら抜き」と一般に言われる用法は、おそらくは江戸の末期、少なくとも明治期にはすでに存在したものだ。
方言だという説も出ているようだが、広く使われた標準的な用法だった。
明治期、開国した日本が知ったのは、アジアが欧米の植民地にされそうになっている現状だった。
このことに危機感を持ち、日本は富国強兵への道を急ぐ。
その中で、「複雑な日本語は何をするにも遅い」という考えが出てくる。
それを改善しないと、日本は欧米に勝てない。
江戸時代にも国語の研究者はいたのだけど、万葉集などの古文の解読作業が中心だった。
和歌に見られる係り受け構造の解明、など、一部文法にも踏み込むのだけど、日本語の構造そのものを明かすような文法体系の構築には至らない。
というか、文法が大切だ、というような意識もなかった。
明治になり、英語は研究が進んでいて「文法」というものがあるのを知ると、日本語の文法も解明しようという動きが起こる。
何人かの学者が文法を構築するのだけど、後で書く松下大三郎は、単語の語尾変化でどのように意味が変わるのか、その解明を行った。
明治期はまだ、文語と口語が明確に違うものとなっている。
松下は、一般的な(標準的な)日本語について、文語と口語を区別して、単語を分類し、語尾変化の規則などを詳細にまとめ上げた「標準日本文法」を作り上げる。
これは、日本で最初の口語研究だった。
後で詳細に書くけど、「ら抜き」は明治には普通だった、というのはこの記録が根拠となる。
橋本進吉は、松下大三郎よりも少し後の国語学者で、松下大三郎がやっていなかった(気づかなかった)部分に手を付けた。
松下は、単語に意味があり、語尾変化でその意味が変化し、それが寄せ集まれば日本語になると考えていた。
しかし、橋本は、単語はただ集まればよいのではなく「組み立て方」があると考え、調査してまとめ上げた。
僕が橋本文法を理解していないので間違えもあるかもしれないが、橋本は「文の構造」を中心に研究したようだ。
そして、名の知れた文法学者になり、教科書なども執筆した。
戦後には橋本のお弟子さんが学校用の文法をまとめ上げるのだけど、橋本文法を元にしているので「文章構造」が話の中心となる。
松下のまとめ上げた、単語の分類や語尾変化はもちろん盛り込まれているのだけど、それほど力が入っていない。
元々日本語の「文章構造」が中心で、語彙に関しては弱い不完全なもの。
それをさらに、教育に使いやすいように枝葉の部分を刈り落し、単純化した。
それが「学校文法」だ。
学校文法が悪いものだ、というのではない。
単純化するというのは、最初に教えるものとしては必要だからね。
でも、「それが全てだ」と思われては困る。
しかし、残念ながら戦後教育では「これが全てだ」と考えられてしまったんだ。
明治期にあった、「複雑な日本語は何をするにも遅い」という考えの呪縛は、戦後にまで尾を引いた。
明治期に、口語と文語に分かれている日本語を統一しよう、という「口文一致運動」があったのだけど、結局実現できていなかった。
しかし、戦後すぐに内閣訓令として口文一致が図られた。
「現代かなづかい」の訓令だ。
この訓令で、文章はすべて口語で書かれることになった。もはや、文語で書いた文章は「誤った日本語」とされた。
しかし、それは伝統文化を破壊してしまうことに繋がる。
他にも、この時代に「誤った日本語」として駆逐されたものに、話し言葉の中に「ネ」を挟む、というものがある。
「今日はネ、この前言っていたネ、写真を持ってきたヨ」
これは日本語の乱れや幼児語などではない。
やはり明治の国語学者、山田孝雄がまとめた文法では、ちゃんと「間投助詞」として文法構造に組み入れられている。
しかし、学校文法には入らなかった。
文法にないのだから、正しい日本語ではない、使ってはならない、とする、おかしな風潮が生まれた。
これは、「ねさよ運動」として多くの人に記憶されている。
そして、「ら抜き」も同じような過程で生まれた、と想像する。こちらは「ねさよ運動」と違って、記録がないのだけど。
「ね」も「ら抜き」も、もともと平易な口語文で使われるものだった、という背景もあるかと思う。
友達や家族と話をするときには使う。でも、目上の人との会話や、人前でのスピーチでは使わない。
ましてや、文語として使うことなどありえない。
そういう「平易」な日常を無くしていき、誰かが見ていない時でも常に礼儀正しい状態を保つのが、良い人間性を育てる…
当時は、そう信じられていたので、日常会話でも、人前でスピーチするような話し方をさせようとしたのだろう。
それが子供のためになると信じて。
先に書いた「現代かなづかい」は当初から批判も多く、40年後に…それでも40年もかかってやっと、廃止された。
というのも、すでに有名無実となっていたからだ。
先に書いた「ねさよ運動」も間違っていた、という反省があったころだし、行き過ぎた日本語改造に対して反省が広まった時期。
この頃からやっと、誰かに何かを強要されるのではなく、個人が個人らしくのびのびと暮らせるようになっていく。
#それによる弊害も多数あるが、そのことは今は書かない。
さて、戦後に中高生で文法教育を受けた世代は、今なら 70代。
学校文法が正しい、と教えられていたら、「ら抜き言葉」は誤りだと捉えるだろう。
内閣訓令が廃止されたころに文法教育を受けた世代は、今なら 50代。
ニュースになった国語調査でも、「ら抜き言葉」を使う人がちょうど半分くらいの世代だ。
そして、それ以降の世代では、どんどん「ら抜き」に対する抵抗がなくなっていく。
決して「乱れた日本語が広まっている」などではなく、戦後に混乱した日本語が、元に戻っていく姿だ。
しかし、まだ上の世代の影響から、これが「言葉の乱れ」だと考えている人は少なくない。
今回の調査報告書でも、半数以上が使っているにもかかわらず「誤った日本語」だと表現されていた。
以上で話の概要は終わりだ。
根拠となる資料へは出来るだけリンクで示したのだけど、核心部分となる「100年前の文法書」は説明が必要な部分が多いので解説しておこう。
松下大三郎の「標準日本文法」は、国会図書館のWEBページでスキャンデータを無償で閲覧できる。
この本は、明治期の口語・文語について研究を行い、30年分の研究をまとめた集大成だ。
名前の通り「標準語」を中心に解説している。
(ここでいう標準語は、東京近辺の言葉を中心として、日本で使われる平均的な言葉、というような意味合いのようだ)
方言に関しても、その方言を使う地域が広い場合は、そう断って言及している。
さて、先のリンクでは 330ページが開く。「ら抜き」に関する該当部分だ。
現代語として一部を抜き出そう。
( / で区切るのは省略した、という意味合い)
口語には / 「られる」を付けて「ら」を省略する。/
「られる」の「ら」を省略して用いるのは、「起きられる」「受けられる」「来られる」を略して「起きれる」「受けれる」「来れる」というたぐいだ。/
平易な説話にのみ用い、厳粛な説話には用いない。
「口語には」と断っていることに注意が必要だ。
抜き出し部分の前で文語について書いているのだけど、文語では「ら抜き」に当たる表現は行わない。
これは、古い文書を調べて「昔はら抜きなんてなかった!」とすることに、全く意味がないことを意味している。
説明としては「られる」をつけて「ら」を省略、となっている。
省略するなら、いらないようにも見える。
でも、それを解説するのが後半だ。省略する、と言い切るだけあって、どうも省略が基本なのだけど、省略しない場合もある。
省略しないのは厳粛な説話…つまりは、改まって話をするような場合、演説などの場合だ。
抜き出していない部分にもう1つルールが書いてある。
これは実は、「ら抜き」よりも前に説明されている、重要ルールである。
「読める」「書ける」「思える」などいうたぐいである。
これはもと四段活の語尾と「れる」との約音である。
例えば「読める」「書ける」は Yom(ar)eru , Kak(ar)eru である。
これらの言葉では「られる」ではなく、最初から「れる」をつけるのが正しい。
そして、約音…つながった音が一定の形式になった時に、省略されたり別の音になったりする規則により、音が変化する。
文法としては、皆が普通に使っている言葉を記録しただけなので、これ以上には踏み込んでいない。
でも、省略せず「読まれる」だと、尊敬語(偉い人が読んでいる)になってしまうので、約音することによって意味を変えているのだろう。
同じように考えると、「起きられる」も尊敬語と混乱してしまう。
Okir(ar)eru と考えて「起きれる」にすれば混乱しない。
混乱を避けるなら文語でも、と考えるかもしれないが、文章はゆっくり考える暇があるので混乱はしない。
また、改まって話をするような場合も、そういう際には普段よりも声をはっきりと、テンポはゆっくりと話をするものだから、問題は起きない。
つまり、こういうことだ。
・「れる」を付ける。
・一部の言葉は、「れる」を付けた後で ar の音を取る。
・特別な場合のみ、一部の言葉で「れる」ではなく「られる」を使う。
ここでわかることは、「ら抜き言葉」と言われているけど、実体は「ら入れ言葉」だということだ。
本来入っていないのが普通で、丁寧にしたい時だけ「ら」を入れる。
これが、100年前に日本で最初に記録された「口語」の文法だ。
文語と違い、口語はその時に記録しなければ失われる。
だからこれ以前はわからないけど、明治に入った途端に、急に全国で一斉に使い始めたとは思わない。
少なくとも江戸時代後期にはそうなっていたのだろう。
さて、最初の話に戻ろう。
「ら抜き」は日本語の乱れだと考えている人が多い。
100年以上前から使われていた「普通の日本語」は乱れているのだろうか?
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別年同日の日記
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1週間ほど前に、「ゲーム保存協会」という団体のサポーターになった。
年会費三千円でサポーター登録できる…となっているのだけど、これは法的な都合上の言い回しで、ようは寄付したんだな。
この寄付について、思うところを書こうと思って、毎日あーでもない、こーでもないと文章を書いては破棄していたのだけど、思っていることをうまく書けないまま1週間が過ぎてしまった。
もう、面倒くさいから細かな説明は全部すっ飛ばして、自分のために事実だけを記録しておくことにする。
ゲーム保存協会は、怪しい団体だ。
設立者が、昔の日本のテレビゲーム好きのフランス人。
特に「夢幻戦士ヴァリス」が好きだというのだから、怪しい以外の何物でもない(笑)
団体名で検索すると、他にも怪しげな噂話がいっぱい見つかる。
ただし、その噂の裏は取れていない。信じるかどうかはご自由に。
僕のツイッタータイムラインでは、彼らの活動内容に強い疑問を持っている人もいた。
僕が「サポーター登録しようかな」と書いていたら、エアリプで反対意見を表明してくれて、それはそれで一理ある内容だった。
僕自身は、この団体は3年くらい前に知った。今は設立5年目だそうだから、まぁ早いうちに知ったほうか。
サポーター登録制度があるのも知っていたが、興味がないので無視していた。
そう、僕はゲーム保存に興味はない。
だから、「ゲーム保存協会」にも興味はない。
僕のページを読んでいる人ならわかるだろうけど、僕は昔業務用ゲームを作っていた。
今と違って、古いゲームを中心に置いてあるようなゲームセンターはない。
だから、ゲームセンターから消えたゲームは「2度と会えない」のが普通だった。
そういうゲームばかり作っていたから、ゲームはいつか消えてなくなるもの、という感覚が身についている。
家庭用ゲームで、自分が好きだったものとかは手元に置いてあるよ。
でも、自分が作ったゲームで手元に残っているのは、ST-V で作ってサターンにそのまま移植された 1本だけ。
11月の下旬に、NHK world という海外向けの放送で、ゲーム保存協会を取り上げていた。
その放送は、国内でも WEB 配信されて、2週間みることができた。
これを見たら、ゲーム保存協会の活動内容は、思ったものとはちょっと違っていた。
彼らの WEB ページで詳細を調べたら、その違いがはっきり分かった。
ゲームの保存している団体は他にもあるのだけど、そうした団体は「懐かしいゲームを遊べるようにする」ことが趣旨なのね。
それに対し、ゲーム保存協会は、アーカイブを構築することが趣旨だった。
…と、ここでアーカイブとは何かを説明しないといけないところだけど、それを書いていたのが1週間かかってもまとまらなかった原因なので、書かない。
最近は日本でも「アーカイブ」という言葉を時々聞くけど、適切に日本語に訳せないから英語をそのまま使っているんだ。
適切に訳せないというのは、日本文化にはアーカイブという概念がないから。
実は、社会問題となっていることのいくつかは、アーカイブ文化がないことで引き起こされている。
西洋文化は、文化を支える根底に「アーカイブ」の思想があるんだ。
ところが、現代の日本は西洋文化の表層を真似しつつ、それを支える根底部分がない。当然問題も出るだろう。
それに対し、ゲーム保存協会は本物のアーカイブを作っている。
ここで、設立者が怪しいフランス人であることが意味を持ってくる。
西欧では、アーカイブは重要な文化だ。紀元前からアーカイブを構築しようと繰り返してきた歴史がある。
日本語の「保存」はアーカイブではないが、彼にとっての「保存」はアーカイブなのだろう。
以前から団体は知っていたが、僕はここのところを誤解していた。
たぶん僕以外にも多くの人が誤解している。
というか、保存とアーカイブの違いはどこにあるのかわからない人もいるだろう。
調べてみてくれ。とても重要な概念だから。
僕の職業は一介のプログラマーに過ぎないが、趣味としては、いろんなことを研究するのが好きだ。
そして、それらの研究の際に、各種アーカイブには非常にお世話になっている。
アーカイブの重要性と、国内のアーカイブの弱さは痛いほどよくわかる。
先に書いた通り、僕はゲームはやがて消えゆくものだと思っている。
もちろん保存活動への情熱なんてない。
ただ、消えて行くのが寂しい、という気持ちは、多少ある。
だから、思い出話くらい残しておこうと思って、開発時代の話を少しづつ書いていたりする。
結局、ゲームの「何か」を残そうとしていることは変わらないわけだ。
じゃぁ、アーカイブを作ろうとしている彼らに支援くらいしたっていいだろう。
支援と言っても、僕はゲーム保存の情熱も技術もないから、実作業を手伝ったりはしない。
ただ三千円を渡すだけだ。子供の駄賃にもならない金額。
これで「誰も手を付けようとしない難しい課題に挑め」って言っているのだから、とんでもなく無責任。
でも、支援するときって、そういう無責任さが大事だと思っている。
無責任と知っているから、口は出さない。失敗してもかまわない。
思うようにやってくれればいい。まぁ、無責任なりに応援はしているよ。
支援するって、そういうものだ。
話は以上。
以下は余談の、1週間悩み続けた理由。
冒頭に書いた「エアリプをくれた人」に、なぜ僕が支援を決めたのか説明したいと思って丁寧に書いていたら、話が発散しすぎてまとまらなかった。
また、送金の際のメモ欄に「趣旨に賛成ではないが支援する」と書いたら、ゲーム保存協会の設立者から返信があり、賛成ではないのに支援することに興味を持ってくれた。
その十分な返事になる内容を書こうともしていたのだけど、これも発散しすぎてまとまらない。
もひとつついでに、保存協会の人は宣伝下手だと思う。
僕も活動趣旨を勘違いしていて、NHK を見てやっと理解した。
というか、NHK 見ても「ゲーム好きのおっさんが昔を懐かしんでいる」ようにしか見えない。
アーカイブ構築、という、日本人にはわかりにくい内容なので、伝わらないのだ。
ここの趣旨を、僕なりに説明してやろうと思って、その部分で一番消耗した。
全く存在も知らなかったもの、を理解させるのは、実はそれほど難しくない。
でも、似ているけど根本的に違うものだけを知っている人は、考え方が違うものに引きずられてしまい、一番理解するのが難しい。
さらに言えば、設立者の彼も、日本人がアーカイブを理解していないことを理解していない気がする。
重要な部分で文化摩擦が起こっている気がするのだ。
ここがもどかしくて、何とかしたいと文章をこねくり回していた。
ついにあきらめたわけだけど(笑)、読んでくれた人がアーカイブとは何かを調べ、彼らの趣旨を理解し、僕と同じように無責任に支援してくれれば、と思っている。
2016.12.18 追記
長すぎるから書かない、としていたアーカイブについての説明、書きました。
やっぱり長いけど。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
ありがたいことに、ゲーム協会についての日記を読んで意見をくれる人が多数いた。
文章の頭に書いてある通り、説明責任を放棄した文章なのに、多くの方は意図を汲み取ってくれた。
本当にありがとうございます。
もちろん、意図を汲み取った人の中には、もともとわかっているから読めた、という人もいると思う。
意味は分かっていても、改めて「アーカイブと保存の概念の違い」と言われて目から鱗、とか言われると、書いた甲斐があったと思う。
その一方で、やっぱりアーカイブの意味が理解されていないな、と感じる意見も見かけた。
理解されないだけでなく、誤った理解から僕の書いた意図を曲解されている方もいた。
ここら辺は説明責任が果たせなかったところ。
申し訳ないので、良い説明とは言えないが、説明しようかと思う。
ただ、今回は少し長い。
「長くなるから省略する」と書いた部分を、やっぱり解説しようというのだからね。
まずは、わかりやすい話から行こうか。
アーカイブと図書館と博物館は何が違うのか。
図書館は本を集めた場所だ。博物館は、博物…「なんでも」を集めた場所。
動物園や植物園、水族館なんかも、法的には博物館の一種となっている。
これらは「テーマを決め、そのテーマのものを蒐集する」場所だ。
博物館は、名前的には「なんでも」なのだけど、実際にはテーマを決めることが多い。
科学博物館とか、産業博物館、自動車博物館のように、名前を見ればテーマがわかることが多い。
スミソニアンのように、本当に何でも集めていている場所もある。
ENIAC の実物(一部)だって展示されているし、10パック入りフルーツガムも展示されている。
それが必要だと思えば、なんだって収集しているのだ。
じゃぁ、図書館は本を集めた博物館なのかというと、ちょっと違う。
博物館は「物」を集めるのに対して、図書館は「情報」を集めているから。
情報を記録する媒体が本だから本を集めているように見えるけど、現代の図書館は CD や DVD なんかも置いてあることは多い。
そして、これらはアーカイブとは直交概念…直接の関係はない概念だ。
アーカイブは、少なくとも何かを蒐集する必要はある。だから、図書館や博物館はアーカイブになることもある。
でも、必ずアーカイブになるわけではないし、アーカイブであっても図書館や博物館でないものもある。
たとえば、国会図書館は、図書館ではあるがアーカイブでもある。
普通の図書館…市民図書館と呼ばれるようなものは、市民に本を読んでもらうことが目的だ。
そのため、求められればゆっくりと読めるように本を貸し出すし、人気のある本は複数冊入れることもある。
一方で、貸し出しが多い本が傷んでボロボロになったり、人気が落ちる、情報が古くなるなどすれば、処分することもある。
国会図書館は、日本国内で発売されたすべての本を蒐集し、永久保存することが目的だ。
そのため、本の「閲覧」にも手続きが必要だし、基本的に「貸出」は行わない。紛失したり、傷んだりすることを避けるためだ。
本は1冊でもあればよいが、2冊ある場合には、分散して保存される。
1カ所に集積しておくと、火事などの災害で失われる危険性があるためだ。
劣化が激しい古い本などは、スキャンデータが作られ、デジタルでも保存される。
デジタル機器が登場する以前は、マイクロフィルムが使われていた。
すでにマイクロフィルムでしか現存しないような本もあり、それらもデジタルに変換され、保存される。
なぜデジタル化されるかと言えば、物質はいつか失われるからだ。
図書館は情報を集める場所で、物質が失われても情報が失われないように、情報の複製を作っているのだ。
本の貸し出しは行わないが、デジタルデータのうち、著作権がすでに切れたものなどは WEB でも公開されている。
国会図書館だって、市民図書館と同じように「本を読んでもらう」目的で残しているのだ。
ただ、その「読んでもらう」目的は、物語を楽しんだり、暇つぶしに雑誌をめくるのではなく、資料としてだ。
今日発売された雑誌に「資料」としての価値がなくとも、20年後には時代を写し取った資料としての価値が出る。
だから、国内で発売される本はすべて蒐集され、残されていく。
資料としての目的だから、すべての本は同じように価値がある。
ノーベル賞学者の書いた論文集だって、エロ漫画だって、国会図書館としては「1冊の本」で同じ価値だ。
いや、むしろエロ漫画のほうが価値があるかもしれない。多くの人が恥ずかしいものと考え、捨ててしまうだろうから、未来に残りにくいのだ。
そうした、残りにくいものを残すことにこそ、資料としての価値がある。
アーカイブとは、国会図書館のように、できるだけ多くの資料を、永遠に残すために努力し続ける施設を言う。
また、そこに収められた資料などもアーカイブと呼ぶ。
アーカイブではあるが、図書館や博物館ではない、というものの例も挙げておこう。
前回の日記で、僕は何かを研究するのが好きで、アーカイブにはお世話になっていると書いた。
その一例が bitsavers プロジェクトだ。
PC 以前のコンピューターの資料を、できる限り蒐集し、デジタル化し、保存しておこうというプロジェクト。
膨大なデータがあるから、古いコンピューターに興味がある人は覗いてみるといい。
例えば、書籍「ハッカーズ」には TX-0 というコンピューターが出てくる。
これは本の中でも重要な位置づけのマシンなのだけど、1台しか作られたなかったプロトタイプ機なので、詳細は謎に包まれていた。
というか、ハッカーズにはこれが1台しか作られなかったことすら書いてない。
どこかに情報があるはず…と、時々思い出しては検索し、ある時 bitsavers を知った。
bitsavers では、メーカーごと・機種ごとに分類して、マニュアルやプログラムなど、関連資料を蒐集・デジタル化して公開している。
TX-0 の情報は、MIT/TX-0/ のディレクトリ下にある。
これがもう、僕にとっては宝の山だった。
何年も探して全然詳細を知ることのできなかったマシンの資料が、大量に置いてあるのだ。
マニュアルだけでなく、新入学生などにデモンストレーションを行う際の注意書きを書いた、手書きメモのようなものも残っている。
「このプログラムは不具合がある」みたいな注意も残っている。マニュアルには書いていなかったりする重要情報だ。
さらに、実行バイナリの紙テープをファイル化したものも残っていた。
紙テープを現代のコンピューターファイルにするのだから、単純ではない。
中には、紙テープに記録されていたのが「テキストファイル」の場合もある。
そうした場合は、テキスト化したものも保存・公開されているのだけど、当時はアスキーファイルではない。
その変換に使った(現代に作られた)プログラムも併せて公開されている。
とにかく、できるだけ生のデータを、さらにそれを判り易くしたデータを示し、変換の際の方法も残す。
もし変換に間違いがあると思うなら、プログラムを改良して生データから再度データを構築することもできる。
TX-0 の関連資料だけでも十分すぎるほどあるのだけど、そんなのはほんの一角。
たぶん、興味の赴くままに読んでいっても、一生かかっても読み切れないほどの資料が置かれている。
「当時の資料を残す」という目的に対して、非常によく考えられた構成でアーカイブが作られている。
さらに、永久保存するため、ミラーサイトが多数作られ、分散保存されている。
でも、これらは貴重な資料を見つけ出し、スキャンして公開しているだけで、原本をまとめてアーカイブ、というわけではなさそうだ。
原本は、それぞれの持ち主の元にあるのだろう。
なので、このアーカイブはデジタルでのみ存在している。
図書館でも博物館でもないアーカイブだ。
実のところ、bitsavers が寄付を受け付けているなら、僕は寄付しているだろう。
しかし、彼らは寄付を受け付けていないし、どこの誰が、どういった経緯でこのような活動をしているのかもわからない。
ただ、おそらくはメールアドレスじゃないかと思う…でも、注意深く見ないと気づかない文字列がページの片隅に書かれているだけだ。
おそらく、連絡すら受け付けようとは思っていないのだろう、と考えて、僕は彼らの成果物を、一方的に使わせてもらっている。
今回ゲーム保存協会に寄付をしたのは、Pay foward の気持ちもある。
ここでちょっと話の方向を変える。
なぜ西洋文化の根底にアーカイブがあり、日本文化にはないのか、だ。
西洋の文化は、古代シュメール文明に端を発する。
古代シュメールは、物々交換経済が行われていた。
しかし、実際に交換しようと思うものを持ち歩きながら交換相手を探すのは大変だ。
先に交換相手を見つけ、約束を取り付けてから物を持って行ったようだ。
たとえば、自分の持っている羊一頭と、他の人の小麦100束を交換する約束を取り付けたとしよう。
ところが、相手の元に、羊一頭を小麦 80束と交換したい、という人が訪れたとする。
どう考えてもこちらの方が得だ。相手は、その人と約束をしてしまい、自分との約束なんて知らない、と言い張る。
やっと羊を連れて相手の元を訪れたのに、そのまま連れて帰らなくてはならないし、また取引相手を探さなくてはならない。
とんだ労力だ。相手に対しての怒りは収まらないが、怒ったところでどうしようもない。
こうしたトラブルを避けるため、古代シュメールで「契約書」という概念が生まれる。
木の板に粘土を塗り付け、そこに羊と小麦の絵を描く。
当初は、絵をたくさん描くことで数を表していたようだけど、やがて「葦筆」を押し付けた形で数字を表現するようになる。
これが、世界最古の文字である楔形文字の誕生だ。
私の羊1頭と、あなたの小麦100束を交換する。
同じ契約書を2つ作り、それぞれが持つ。
これで、片方が約束を違えようとしても、自分の権利を主張できる。
すぐに取引が終わったなら、粘土板は表面に水をつけてならし、再利用すればいい。
でも、毎年取引を行う契約をし、数年間契約書を保存するような場合もあった。
そんな場合は、粘土板を日干しにした後、焼く。これで素焼きの土器となり、永久に保存できる。
古代シュメールでは、税調記録も同じように残されたし、裁判の記録なども残された。
裁判の際には、同じような争いには同じような判断が行われるよう、過去の記録をすぐに参照できるようにしてあったようだ。
素焼きした記録は整理して収蔵され、大切に保管された。
参照したい場合も、持ち出しは厳禁。
しかし、別の粘土板に押し当てれば、表面の凹凸を写し取ることができた。
これで、記録をコピーできる。原本は持ち出し禁止だが、コピーにより情報を持ち出すことは出来た。
政治的な判断も、その結果も、すべて記録して保存された。
ここには、原始的な形での「アーカイブ」を見ることができる。
彼らは、トラブルを避けるために「記録」を必要とし、そのために文字を発明した。
文字を発達させて自分たちの「政治」を残し、後のものは過去の失敗に学んでよりよい社会を作ろうとした。
古代シュメールに始まった文明は、世界中に伝播した。
今でも、アーカイブは大切なものとして、世界中で作られ続けている。
ところで、古代の日本に文字はなかった。
日本は自然が豊かで、自然採取生活でもそれほど困窮してはいなかったようだ。
そのため他の集落を襲って食べ物を奪う必要もないし、物々交換で相手を騙して自分だけが得するような必要はなかった。
平野が少なく、集落が狭いところに作られるため、取引相手が少なかったことも幸いだったかもしれない。
いつも同じ相手と取引していると、相手を騙して怒らせることは、自分の損にしかならない。
ともかく、日本人は「記録しなくては避けられない」ようなトラブルには見舞われなかったと思われる。
だから、独自の文字を発達させなかった。
やがて、中国から稲作文化がもたらされる。
その際に「文字」も持ち込まれているのだが…当時の日本人には、文字がなぜ必要なのかわからない。
記録しなくてはいけない、という危機感が無いのだから、仕方がないだろう。
当時の土器などに、文字が書かれているのが見つかっている。
しかし、どうやらこの不思議な文様は「特別な力を持つ」と考えられ、祭祀などに使われただけだったようだ。
日本では、文字の始まりがこんなだから、「記録しておかなくてはならない」という渇望感はない。
正倉院を見てもわかるように、「珍物の蒐集」は行われている。
でも、何もかも記録して残そう、というようなアーカイブではない。
その正倉院だって、昔はたくさんあったのに、今は1カ所を残すのみ。宝物はみんなどこかへ行ってしまった。
神奈川県には「金沢文庫」という場所があり、ここには鎌倉時代に書物などを集めた施設があった。
でも、時の権力者が自分の役に立つ情報を蒐集しただけで、その本も後にどこかへ紛失したりしている。
ここにも、永久に残そうというような意思はない。
最初に、国会図書館は「アーカイブだ」と書いたけど、これだって1948年に法律が整うまでは、ただの図書館に過ぎなかった。
日本でのアーカイブの歴史は、それほど古くない。
自然は四季と共に常に移ろい続け、一瞬として同じ姿をとどめない。
逆に、同じ姿を見せ続けるものがあれば不自然で、見苦しい。
日本人の美的感覚では、永遠を望むものは見苦しいのだ。
一方で、アーカイブは永遠に残すことを目標とするものだ。
古くなって劣化すれば補修する。いよいよどうしようも無くなれば、精巧なレプリカを作る。
とにかく、同じ姿を永遠にとどめられるように努力し続ける。
永遠を見苦しいと感じる文化と、永遠を求める文化。
ここには文化摩擦があるので、日本人には、「アーカイブ」を理解できない人が多い。
国会図書館は本を蒐集したが、本ではない「情報」はこぼれ落ちた。
日本では 1930~1950年代に映画の最盛期があるのだけど、この頃の映画が全然残されていない、と1960年代後半になってから慌てることになった。
そこで、1970年には、国立近代美術館フィルムセンターが設立され、日本映画の蒐集・修復が始められた。
しかし、1940年代には戦争もあったこともあり、1930年代以前のフィルムの収集は難航。
今でも時々未発見のフィルムが見つかってニュースになるのだけど、多くのフィルムが永遠に失われたとみていいだろう。
このような失敗を繰り返さないように、映画後の国民娯楽の中心となった漫画・アニメ・テレビゲームのアーカイブを、という話は 20世紀末から出ていた。
21世紀に入ると、「国立メディア芸術総合センター」という名前で実際に計画が進められる。
しかし、2009年の民主党政権の際に「国費で漫画喫茶を作る必要はない」とされ、計画は止まってしまった。
漫画喫茶、という言い回しで、アーカイブが全く理解されていないことがよくわかる。
民主党を笑うのではない。
これが、アーカイブの重要性を訴えられなかった…そもそも理解していなかった日本人の現状だ。
古代シュメールで、裁判の記録などが永久保存されていたことを先に書いた。
今だって、そうした記録は永久保存される。
「アーカイブ」には公文書の意味もある。
古代シュメールでは政治判断なども記録し、残された。
でも、近代日本では政治判断…会議の議事録などは、一定期間保管の上、廃棄された。
これでは、重要な政策がどのような議論の上で決定されたのかが、すべて闇に葬られてしまう。
そこで、2009年に法律が改正され、公文書館が作られることになった。
各行政機関で一定期間保管された公文書は、その後公文書館に預けられ、永久保存される。
…ただし、ここに法の穴があって、「すべての」公文書が残されるわけではない。
何を残すかは、保管してきた行政機関が決められるのだ。
結果として、永久に保管して後で責任を問われたりすると厄介な、重要な記録は捨てられてしまうらしい。
すべて捨てていると、公文書保管ができていない、と言われてしまうので、どうでもいいゴミのような書類だけが残される。
ここでも、アーカイブの意義がまだ理解されていないのだ。
アーカイブは、後からあらさがしをして責任追及しよう、というようなものではない。
未来の人が、自分たちの社会の「元」となった時代を知るための資料なのだ。
そこでの判断が間違えていたとしてもかまわない。過ぎてしまったことなのだから。
間違えていたなら、補正すればいいだけの話だ。
しかし、そもそもどういう判断だったのかがわからないと、舵の切り方もわからなくなる。
社会をよくしていこうと思うなら、どんな資料でも残していかなくてはならない。
さて、最後にゲームの保存の話に戻ろう。
元々、このアーカイブ話は、ゲーム保存の話から派生したものだから。
前回の話に書いた通り、業務用ゲームを作ってきた僕としては、自分が作ったものであっても手元には置いておけない、と考えていた。
今なら中古基板が買えるようなものもあるだろうが、僕が作ったゲームは特殊筐体が必要で、おそらく中古屋にも出回っていない。
すでに失われているだろう。
こうした経験から、僕自身はゲームを保存することに思い入れがない。いつかは消えゆくのが普通のことだと受け入れている。
これは、日本人的な自然観から来るものだ。
その一方で、個人的な思い入れは当然ある。懐かしいゲームのことを、できれば少しでも記憶にとどめておきたいと思う。
ゲーム文化に携わったものとして、小さなことでも何か寄与したいとは思っているからだ。
そこで、たいしたことないゲームだけど、思い出話を少しづつ書き綴っている。
オリジナルや、その作成時の資料と言った一次資料ではなく、当事者の思い出話という二次資料に過ぎないのだけど、傍観者の推測による三次資料よりは役に立つと思っているから。
一方で、当時のオリジナルゲームをもう一度遊べるようにしよう、という動きもある。
愛知のゲーム博物館には、懐かしい業務用ゲームがレストアされ、遊べる状態で保存されている。入場料を払えば遊び放題だ。
一度行ってみたいと思っているのだけど、残念ながら遠いのでまだ行けていない。
長崎のハウステンボスにもゲームミュージアムがある。
こちらも行きたいけど、うちからはさらに遠くて行けそうにない。
しかし、こうした「保存活動」が行われることは、ゲームに携わったものとして嬉しく思っている。
一方、オリジナルではなくても、気軽に遊べるようにしよう、という動きもある。
昔のゲームを移植したり、エミュレータによって動作させて今の機械で遊べるようにしよう、というものだ。
移植・エミュレーションなので、オリジナルとの相違は発生する。
保存という意味合いでは相違は少ない方が良いのだけど、あえて違いを強調する場合もある。
nintendo 3DS で発売された「セガ3D復刻アーカイブス」はそうした試みだと思う。
セガは3Dのゲームを多数作っていたが、当時の技術的な問題から「立体視」できるものではなかった。
それを、立体視可能な 3DS で、立体視できるゲームとして復刻しようというもの。
アーカイブス、と名前にあるが、本来の意味での「アーカイブ」なのかというと、ちょっと違うとは思う。
しかし、単にエミュレーションにとどまらず、当時のゲームセンターの環境を記録にとどめようとしていたり、「ゲームを記録しておきたい」という気概は感じる。
アーカイブを名乗っていても恥ずかしくないものだとは思う。
任天堂の出した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピューター」が大ヒットしている。
入荷してもあっという間に販売終了、という状態で、入手困難だ。
これも、公式とはいえエミュレータに過ぎない。「音色が少し違う」などの相違点が指摘されている。
とはいえ、当時のゲームを気軽に遊んでもらえる環境としては、なかなか良いのではないかと思う。
前回「ゲーム保存に興味がない」と書いたけど、僕が保存に参加するほどの情熱がないだけで、こうした動きがあるのは嬉しいし、頼もしい。
僕だって昔のゲームは好きだし、ファミコンミニに関しては先日購入できたので、子供と一緒に楽しんでいる。
さて、ここで問題提起だ。
他にもゲームを残そうという活動はあるのだけど、基本的に「懐かしい」ことを前提にしている。
というか、古いゲームはやっぱり古いのだ。懐かしさでも煽らなくては、商売になんてならない。
逆にいえば、あまり売れなかった、多くの人に遊ばれなかった、面白くなかった作品は、残されることなく消えていく。
これでは、都合の良い書類しか残さない公文書館と同じだ。
求められているのは、国会図書館のように、すべての本を平等に残そうとすることなのだ。
そして、ゲーム保存協会。
彼らが目指しているのは、ゲーム文化の永久保存のためのアーカイブだ。
国会図書館が古い本のスキャンデータを作るように、彼らもフロッピーディスクをデジタル保存したりしている。
フロッピーはもともとデジタルだ、なんて思ってはならない。
コンピューターからはデジタルに見えるようにしているだけで、その内容は磁気変化によるアナログ記録だ。
アナログ記録でありながらデジタルとして扱うことを利用して、プロテクトなどが作られている。
このプロテクトまで残すために、彼らは「フロッピーディスクをアナログ記録物として扱い、そのアナログデータをデジタルサンプリングする」という回りくどい方法を使って、永遠に残そうとしている。
「ゲーム」を残すのであれば、こんな回りくどい方法は必要ない。
先に書いているエミュレータや移植のように、今の環境で遊べるようにすれば、それで十分だ。
でも、彼らが残したいのは、ゲームではなく「ゲーム文化」なんだ。
ゲーム文化の広まりは、遊ぶ人を飛躍的に増加させ、友人間でのコピーが増えることになった。
その対抗措置としてプロテクトが生まれ、年々進化していく。
ゲームを残すのではなく「ゲーム文化を残す」のであれば、このプロテクト技法を一緒に残さなくてはならない。
この違いは非常に重要なのだけど、アーカイブとはなんであるかを正しく認識し、残すものがゲームなのかゲーム文化なのかも区別して考えないと伝わらない。
アーカイブなのだから、売れなかったゲームだって保存する必要がある。
ヒットゲームが、どんなゲームの影響で作らているかはわからないためだ。
どんなゲームにも、そういう関係性がある。
だから、ゲームだけでなく、その周辺のすべてを保存しなくては、関係性が見えなくなってしまう。
「すべて」を保存するなんて言うのは、明らかに茨の道だ。個人がやるような仕事ではない。
だけど、先に書いたように「国立メディア芸術総合センター」の計画は、民主主義によってえらばれた代表により中止された。
それが民意である以上、また大きく状況が変わるまで、政府としては手を出すわけにいかない。
今すぐ始めないと手遅れになるかもしれない、という状況で、とりあえず個人でもできることから始める、というのは意義深いことだと思う。
最後に、蛇足を一つだけ。
日本文化にアーカイブがない、というのを、否定的な意味に捉えないでほしい。
途中書いたように、日本が平和で、トラブルが起きにくかったということなのだから。
この平和さが、生活に直接関係ない余暇…遊びに対する欲求を高めてきた。
歴史上、何度も「賭博禁止令」が出ているというのは、何度禁令を出しても遊び続けてきた、ということでもある。
任天堂だって、禁制の賭博札を作ることから起こった会社だ。
セガだって、違法スロットマシンの販売から起こった会社だ。
こういう遊びに邁進できる、平和な文化が日本にはあった。そこは誇りに思っていい。
テレビゲームもその延長上にある。
アーカイブがないことと、テレビゲーム文化が日本で花開いたことは密接な関係にあるんだ。
だから、「世界有数のテレビゲーム文化を誇る日本が、そのアーカイブを作ってないなんて!」と嘆くのではない。
アーカイブを不要と思うような国民性だから、役にも立たない遊びを極めたのだと考えよう。
とはいえ、アーカイブ不要というのではない。
すでに、ゲームは世界的な文化だ。
だから、世界の慣例に従って、文化の歴史を残すアーカイブを作っておくべきだろう。
そして、その文化の黎明は日本国内で起こっている。
アーカイブを作ることは、我々の責務なんだ。
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ゲーム保存協会にサポーター登録しました【日記 16/12/11】
別年同日の日記
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今日は、レスリー・ランポートさんの誕生日(1941)
現在マイクロソフトリサーチに所属する、分散コンピューティングの研究者です。
チューリング賞受賞のほか、多くの業績があります。
でも、僕としては LaTeX の開発者、として紹介したいです。
LaTeX の La は Lamport の La。
TeX は、ドナルド・クヌース教授が開発した組版システムです。
組版、ってのがまた知らない人にはわからない世界なのだけど、印刷物の直接の原型を作る作業です。
原稿があって、それを活字を組み合わせて印刷できる「版」を作る。
昔は「植字工」と呼ばれる人の仕事でした。
クヌース教授が数学の本を書いたところ、植字工は高等数学の知識がなかったため、数式に間違いが多々ありました。
そこで教授は「コンピューターで組版をするシステム」を見つけてきて使おうとするのですが、これは単に文字を並べるだけで、美しい本になりませんでした。
ならば自分でシステムを作ってしまえ、と作られたのが TeX 。
古今東西の組版技術を調査し、コンピューターで扱いやすい、美しい文字からデザインしました。
あらかじめ「本を作る際の体裁」…上下の余白は何インチ、右ページと左ページのそれぞれで、左右余白は何インチ、ページの上左右には章のタイトルを何ポイントのフォントで表示…などをテンプレートとして記述します。
そして、そこに「原稿」を流し込むことで、自動的に美しい組版を行います。
ただ、この原稿も、タイトル前だから改ページ、この部分はタイトルだから何ポイントのフォントで…など、自分で指定する必要がありました。
システムとしては素晴らしいものだったのですが、使いこなすには高度な組版の知識が必要でした。
ランポートさんは、この TeX を誰でも使えるものにしました。
TeX には、組版中で繰り返し行われる「記述」を自動化するための、マクロプログラムの機能がありました。
その機能を活用して、組版の知識が無くても使えるようにしたのです。
このマクロによるシステムを、LaTeX と言います。
予め、「書籍」「論文」など、いくつかのテンプレートを用意し、目的を選ぶだけで体裁が整うようにします。
そのうえで、原稿は「意味」をタグ付けしながら記述するようにします。
ここは章のタイトル。ここは小見出し。ここは引用。ここは数式…というように。
すると、タイトルは大きな文字で、小見出しは中くらいの文字で表示されるうえ、それらを手掛かりに自動的に目次まで作り上げてくれます。
… HTML っぽい、と思った人もいるでしょう。
ただ、LaTeX が作られたのは 1985年。
HTML は、1989年。
LaTeX が HTML っぽいのではなくて、HTML が LaTeX っぽいのね。
#もっとも、文章中に「意味」をタグ付けする、という考えの元祖である GML は 1979年に作られている。
GML が SGML となり、その亜流として HTML や XML が作られている。
昔はともかく、今は MS-Office があるから、ややこしい方法で文章を作らなくても、見栄えする文章作れるよ? と考える人もいるかもしれません。
実際、上手に Office で作った書類と、LaTeX で作った書類だったら、それほど見栄えは変わらない。
Office だって、今は数式入力機能あるし、章立てを元に自動で目次を作る機能だってある。
でもね、LaTeX の目的は「見栄えのする文章を作る」ことではありません。
見栄えの良い文章を作ろうとして調整を繰り返すような無駄な時間を減らすこと、が目的。
文書作成には、自分の使いやすいテキストエディタを使います。
これだけで MS-Office よりもうれしい、という人だっていそう。
いや、Office だって、テキストエディタで書いてからコピペ、という人多いかな。
そして、ある程度タグ付けしながら文章を作ったら、コンパイル。
文字の折り返し位置が気に食わないとか、章の終わりがページの区切りに収まりそうで収まらないとか、そういう気持ちの悪い部分が出ないように、一生懸命自動的に調整を繰り返してくれる。
具体的にいえば「禁則処理」を行ってくれているのです。
禁則(禁足)というと、行頭に「、。」などが来てはならない、という規則を思い出す人もいるかもしれない。
でもそれだけではなくて、1行の文字数を変えてはならないとか、1ページの行数を変えてはならないとか、その一方で1ページに1~2行だけしか書かれていないページがあってはならないとか、いろいろある。
それらの優先順位を定めておけば、自動調整してくれるのです。
例えば、1ページに1行しかないページがあったら、前のページに行を無理やり押し込んでくれる。
でも、そうすると1ページの行数が守られなくなるから、何とか他の行に文字を詰め込んで、行数を合わせてくれる。
もちろん、Office だって同じことできますよ。
でも、自動ではやってくれないから、手間をかけて調整しないといけない。
ここは LaTeX のすごいところです。
もっとも、長い文章を書く人でなければ、Office 使っているほうが気楽で良いと思います。
僕は大学時代に論文を書くのに LaTeX 使っていたけど、X68000 にはまともなワープロが無く、LaTeX を使わざるを得なかった、という理由もありました。
その後で HTML が流行した時に、すぐに理解できたから、決して経験は無駄ではなかったけどね。
でも、今でも時々 LaTeX 使いたくなることあります。
てきとーに書いた、遊びで脚注とか入れまくった文章を、すごく美しく整形してくれるのが気持ちいんだよね。
これは、経験してみないとわからない楽しさです。
別年同日の日記
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次女が小学校の課題で、「早口言葉教えて」と言ってきた。
長男、長女も国語でやった「言葉遊び」の単元なんだけど、上の子たちはそんなこと聞いてこなかった。
でも、次女の先生は「早口言葉を知っている人がいたら聞いてくるように」と宿題(?)を出したらしい。
当WEBサイトではコンピューターやテレビゲームの話が多いのだけど、僕はゲーム全般が好きだし、ゲームに限らず「遊び」が好きだ。
言葉遊びももちろん好きで、WEBサイト作成初期には「言葉遊び」のコーナーを作ろうと思ったくらいだ。
だけど、言葉遊びって、せいぜいが集めて列記する程度で、それを面白いと感じるかどうかは個人のセンスによるものになってしまう。
それは誰にでもできることで、「僕」がやる必要はない。
やるなら、その言葉遊びがどう面白いのか、どこら辺に鑑賞ポイントがあるのか…など、踏み込んで解説したかった。
ただ何となく面白いと思う、というポエムから、誰もが納得できる科学的解説へ。
それなら、わざわざ書く理由がある。
でも、これも、しばらく考えていたらある程度の「類型」が見えてきた。
つまり、類型ごとに解説したらおしまいになってしまい、わざわざ「コーナー」を設けても、わずかなページ数で終わってしまう。
そんなわけで、言葉遊びコーナーは作らなかった。
さて、そんなわけで、いい機会なので早口言葉をある程度解説しながら書いていこうと思う。
おそらく、中には「著作権のある早口言葉」もあると思うのだけど、僕が記憶している形で書くので、申し訳ないのだけど出典を示せない。
もしご存知の方がいたら指摘してほしい。
まず、前説から。
早口言葉の意義から言えば「言いにくい」ことが大切だとは思う。
だけど、それだけで早口言葉とするのは、僕個人としては好きではない。
言葉遊びなのだから、「遊び」の部分が欲しい。
言いにくいだけでは、活舌をよくするための練習文句なだけで、実用性一辺倒な気がするから。
ただ難しい言い回しを集めただけではなく、全体に文章になっていたり、ストーリー性を感じられるとより良い、と思う。
言いにくい言葉でストーリーを作るなんて言うのは、ある種のダブルミーニングであり、作者のセンスを感じられる。
§破裂音を活かしたもの
口から息を吐きだしながらも、口腔内のどこかで空気をふさぎ、圧が高まったところで開放することで音を出す。
こうして作られる子音を「破裂音」と呼ぶ。
「た」行の子音 t は、舌の先を歯茎に押し当てて空気をふさぐことから「無声歯茎破裂音」と呼ぶ。
「か」行の子音 k は、舌の根本を上あごの喉の付近の柔らかい部分(軟口蓋)に押し当てて空気をふさぐことから「無声軟口蓋破裂音」と呼ぶ。
舌の先と元の部位で、「圧に耐える」程度のしっかりとした力で、似て非なる動きをしないといけないので、交互に並べられると発声が難しい。
ここに「母音」を示すための口の形をコロコロと変えてやると、舌も口の形も忙しいことになり、かなり難度の高い早口言葉になる。
(となりの たけがきに たけ たてかけたのは たけ たてかけたかったから たけ たてかけたのです)
古くから知られる早口なのだけど、長い時代を生き残るだけある傑作だと思う。
竹立てかけた (take tate kake ta) は、子音 t k と母音 a e の組み合わせを変えながら畳みかけるフレーズになっている。
これを中心に文章を組み立てながら、全体として「自分のしたことを言い訳している」ようなストーリーを作り出している。
(かんだかじちょう かどのかんぶつやで かったかちぐり かたくてかめない かえしにいこう)
こちらも同じように、k の音を中心にまとめてある。
でも、t の畳みかけのような「攻撃」はなく、早口言葉としての難易度も低め。
でも、こちらの楽しさは、フレーズのアタマが「か」で揃えられていることだろう。
非常に調子が良くて、言っていて楽しい。
ちなみに、最後を「返しに行こう」で終わらせずに、
「返しに行ったら 勘兵衛のカミさん 帰ってきて カリカリ噛んだら カリカリ噛めた」
というのも聞いたことがある。
勘兵衛って急に登場した人物が何者かわからないし、「カリカリ」に至っては無理やり「か」の多い音を集めただけにも思える。
そんなわけで、後半のこの部分があると、かえって言葉遊びの面白さを失っている気がする。
僕としては、「返しに行こう」で終わるほうが好き。
(となりのきゃくは よくかきくうきゃくだ きゃくがかきくや ひきゃくもかきくう ひきゃくがかきくや きゃくもかきくう きゃくもひきゃくも かきくう きゃくひきゃく)
最初の2フレーズで終わっているのが普通だと思うのだけど、「飛脚」の乱入によって急に難易度が増す。
もっとも、いたずらに引き伸ばしているだけの感じもしなくはない。
早口言葉は「言いにくい」ことが面白いのであって、言えない場合に「長すぎて覚えられない」という別の理由があるのは美しくない。
(とうきょう とっきょ きょかきょく)
これも有名なもの。短いのだけどよくできている。
先に書いた「長すぎて覚えられない」とは言わせない。
それでいて十分言いにくいし、言葉としても非常に自然なものだ。
もっとも、「特許庁」は存在するが「許可局」というものはないし、「東京」のように地域ごとの機関もない。
それでも「ありそう」な言葉だから面白みがあるのだけど。
さらに続けて「局長 今日 急遽 休暇許可 却下」と続けるのを見たことがある。
これもよくできているが、「東京特許~」に関しては、シンプルなのに十分難しいことも評価ポイントだと思うので、個人的には短い方が好き。
(くうきょな きゅうしゅうくうこう きゅうきょく こうきゅう りょかくき)
今から 30年近く前だったと思うのだけど、深夜のラジオ番組で、新作早口言葉を募集したらしい。
毎週リスナーからのハガキが寄せられ、DJが一生懸命早口を読み上げる。
僕はそのラジオ番組を聞いていないのだけど、秀逸な「新作早口言葉」も生まれている、ということが新聞のラジオ・テレビ欄の囲み記事になっていた。
そこで紹介されていたものが、上の早口言葉。
だから、これを考えた人か、ラジオ番組が著作権を持っていると思う。
バックグラウンドまで説明すると、当時は「九州に国際空港を作ろう」という計画があった。
それを取り入れた時事ネタでもある。
ちなみに、ラテ欄の記事でもう一つ覚えているのは「ゴルバチョフ書記長の子 子ゴルバチョフ書記長」というものだ。
こちらも時事ネタ。
§摩擦音を活かしたもの
口から息を吐く際に、空気の流れる部分を非常に狭くしてやると、流れる空気と周囲との摩擦によって音が出る。
これを摩擦音という。
さ行の子音「s」は、舌の先と歯茎の間にわずかな隙間を作って発声することから「無声歯茎摩擦音」と呼ぶ。
日本語では子音の後には基本的に母音が来るため、さ行の発音の際には、「わずかな隙間」を作った後に、母音の発生のために「解放する」必要がある。
さ行の音が連続すると、わずかな隙間…塞ぎすぎても、開きすぎてもダメだという難しい舌の位置を繰り返し作らなくてはならなくなるため、発声が難しくなる。
(しんしゅん しゃんそんかしゅ さんそん しゃんそんしょー)
短いフレーズだけど、よくできた早口言葉だと思う。
摩擦音に加え、「ん」という鼻音を混ぜている。
鼻音は鼻に息を抜くことで出す音なので、口で出す摩擦音の s と合わせると、空気の流れの制御がややこしくなる。
(実際には、ややこしすぎるため鼻に息を抜ききらず、喉の奥で空気を止めるくらいで発音することになる)
「山村」を入れずに「新進シャンソン歌手」にしたり、いろいろなバリエーションがあるのだけど、シャンソン歌手がショーを行う、というストーリー性がある。
(ししなべ ししじる ししどん しししちゅー いじょう ししししょく しんさいいん ししょくずみ しんあん しししょく しちしゅちゅうの ししゅ)
僕個人としては、最高傑作だと思っている早口言葉。と言っても難易度はそれほど高くない。
「七種中の四種」は言いにくいけど。
最高傑作だと思うのは、よくもこれだけ「し」を並べてストーリー性のある文章を作ったな、という感心。
これは、子供の頃(多分1979年)東京タワーに行ったときに、NEC の出店していたブースでもらった下敷きに書いてあった。
早口言葉をたくさん書いた下敷きで、楽しいので長い間大事にしていた。
紙下敷きだったので、最後にはボロボロになって捨てたけど。
出典となる書籍名も書いてあったので、蒐集した昔からの早口言葉と、著者の方による新作があったのだと思う。
そして、上記はおそらく新作と思われる。
実は「神田鍛冶町~」のロングバージョンと、「隣の客は~」のロングバージョンも、この下敷きで知った。
こちらは、根幹部分が古いものなので、バリエーションを蒐集したのではないかな、と思っているのだけど、著者による追加かもしれない。
だとすれば、著者の方に著作権があるはずなのだけど、すでに情報がないのでよくわからない。
ここでは「引用した」ことにしたいのだけど、引用であれば元の書籍の情報を書かないといけない。
情報知っている方がいましたら、教えてください。
(古本が入手できそうなら読んでみたいし)
§言葉自体が面白いもの
早口言葉の体裁は取っていながら、その言葉自体が面白いだけで、早口としては難易度低い、というものも多い。
だけど、「言葉遊び」なので、それもまた面白いと思う。
(このくぎ にくいくぎ ひきぬきにくいくぎ にくいくぎ ひきぬく)
これ、コント 55号の萩本欽一さんが、コントでやっていたと思うんだ。
どんなコントだったかは忘れた。舞台上で次郎さんに、いろんなセリフを教えた通りに言わせるのだけど、その中に急にこれが混ざるの。
次郎さんは、急に言われたことに対して「え?」ってなるのだけど、欽ちゃんが感情を込めて一語一語を説明して覚えさせ、無理やり言わせる。
釘を抜こうとしたけど、上手く抜けなかったことで釘を憎むのね。
でも、最終的にはその釘を引き抜く。…というストーリー。
だから、最初の「憎い釘」と、2番目の「憎い釘」では、感情が違う。
最初は、引き抜けなかったからちょっと憎んでいるだけ。でも、最後は憎さの感情が募り、思い切って引き抜いてしまう感じ。
(なまあたたかい かたたたきき)
一応発音しにくい t や k の音を混ぜてるのだけど、早口言葉というより「想像するとなんか嫌」なものを想起させる遊びが含まれている。
これは、大学時代に友人から教わった。
(おあやや おやに おあやまり)
これ、何の漫画で読んだんだったかな…昔少女漫画にあったフレーズ。
ストーリー上は、マイフェアレディっぽく、訛りを矯正させる訓練ではなかったかな。
#マイフェアレディでは、「スペインの雨は主に平野に降る」
"The rain in Spain stays mainly in the plain." を練習するシーンがある。
早口言葉というより、ai の発音が悪かったので、rain Spain stays mainly plain という ai (ay) を多く含む文章を作ったもの。
「親」ではなく「八百屋」にするものも多いようです。
でも、「親」のほうがなんか緊迫した事情がありそうで、そんなことを想像するのもまた楽しい。
(ばす がすばくはつ)
これ、子供の課題だったのでここで止めましたけど「ブス バスガイド」って続けるのも有名だと思います。
t k の連続と同じで、b も g も破裂音なのでそれなりに言いにくいです。
§同音異義語を混ぜる
同音異義語というのは、同じ音を言うだけなので、早口言葉としてはそれほど難しくありません。
でも、そこに「同じ音なのに意味が違う」という、感覚の崩壊(眩暈)が入る。
この眩暈は、言う人よりも「聞かされる人」の方に強く出るように思います。
早口でまくし立てて、同じ音がいろんな意味で出てくる言葉を聞かされる。
冷静に考えれば意味が分かるのだけど、早すぎて意味が分からない。その混乱を楽しむわけです。
早口言葉と言っても、聞く方が意味を取れるかどうかを試すものになっている。
言葉遊びとしては面白い。
(うりうりが うりうりにきて うりうれず うり うりうりかえる うりうりのこえ)
「瓜」と「売り」を組み合わせて「瓜売り」。
そして、そこからストーリーを展開しています。
覚えてしまえばいうのは簡単。でも、瓜売りの寂しそうな後姿が思い浮かぶと、何とも言えない哀愁があります。
結構好き。
(すももももも ももももも ももも すももも もものうち)
「も」って、連続するとそれなりに言いにくいです。
口を閉じて開いて、を繰り返さないといけないからね。
でも、それ以上に、同じ音の連続を楽しむ意味合いが強いかと思います。
接続詞の「も」と、「桃」を組み合わせて意味のある文章にした感じ。
意味を出すために「スモモ」も組み合わせていますが、この「す」をできるだけ感じさせないように最大限離して配置してあるわけです。
(ははのははは ははは ははは ははははとわらう)
こちらも同じく、接続詞の「は」を活かした遊び。
実際には「わ」という発音になるので、発音するよりも文字に書いたほうが面白いです。
(うらにわにはにわ にわにはにわ にわとりがいる)
こちらは、文字を見るとかえって面白くないかも。
一応有名な早口言葉ではありますが、「にわ」の音の意味がどんどんずれていく。
その眩暈を楽しむものかと思います。
裏に鰐・埴輪 庭に埴輪 …って、さらに意味をずらして描かれたイラストを見たことがあります。
これは早口言葉ではなく、意味をずらして遊ぶゲーム、という本質をとらえていると思います。
(きしゃの きしゃが きしゃで きしゃした)
これは早口言葉というより駄洒落の範疇か。
「ハイカラさんが通る」に出てた気がする。
ワープロの性能がまだ十分でなかった頃は、文字変換のテストなんかにもよく使われた文句です。
文法解釈・意味解釈まで入り込んでいると正しく変換できるけど、単に文字を見るだけだと、こうした同音異義語は変換できないから。
§早口言葉のゲーム性
早口言葉の紹介としては、ここまで。
子供の課題に付き合って思い出した(書き出した)フレーズを元に書いたので、マイナーどころを中心にそろえています。
あまり有名なもの「坊主が屏風に~」とか「蛙ぴょこぴょこ~」、「赤巻紙~」とかは入ってない。
4つに分類したけど、漠然と思っていたことについて、書きながら分類してみた程度なので、あまり厳密性はない。
だいたい、「早口言葉」というものの定義すら曖昧なので、厳密に分類すること自体に無理があるだろう。
以降は分類とはまた違う話。
ある程度の長さを持つ早口言葉の場合、見事言えた際に「調子が良い」ことは大切だと思う。
調子のよい言葉って、言っていて気持ちいいのだ。声に出して読みたい日本語。
「神田鍛冶町~」とかは、頭が「か」で揃えられていて、読んでいてリズムが出て気持ちいい。
でも、簡単には言えない。気持ちいいのが途中で言い淀むと、「失敗した」感が出る。
何度かやって、最後までやり通せれば、「やり切った」感が出る。
以前どこかで書いたけど、僕は、「目的」に対して「障害」が設定されたら、それはもうゲームだと思っている。
早口言葉は「調子のよい言葉を気持ちよく言い切る」ことに対し「舌が回らない」という障害がある。
十分ゲームの要素を満たしている。
でも、だからこそ「いたずらに長く、覚えるのが難しいだけ」とか「調子が悪く、言えたとしても気持ちよくない」ようなものは、あまり面白くないと思う。
ストーリーがあることを面白いと感じるのも、本質的にはストーリーによって「覚えやすさ」も出来上がるし、調子も良くなるからだ。
落語の「寿限無」や「ん回し」なんかも、同じような構造だと思う。
ただ、これは「調子がいい」のだけど、長くて覚えにくく、言いにくいわけではない。
だから、「早口言葉」とはまた違うものだ。
同じ「言えるかどうか」のチャレンジでも、記憶力が試される。
まぁ、これも厳密に区別する必要はない。
全部ひっくるめて「言葉遊び」だし、遊びというのは本来自由なものなのだから。
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ロジェ・カイヨワ 誕生日(1913)【日記 17/03/03】
別年同日の日記
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先日ルータ不調で新しいルータへの更新準備をしている、ということを書いた。
で、無事交換できた。
新しいルータは、tp-link AC1200。
今まで使っていた V120 は、ルータこそ 1Gbps にも対応していたが、イーサポートは 100M にしか対応していなかった。
「複数のポートから、同時に合計 100M を超えるデータ送受信があっても遅くならない」というメリットはあるが、そんなことはめったにあるもんじゃない。
新しいルータは、イーサポートも 1Gbps に対応している。
早速性能を測ってみよう。
一応、事前に V120 での性能を測っておいた。
以前の状態がわからなくては、改善状況もわからないからね。
速度計測サイトはいろいろあるのだけど、いくつか試して速度が「速い」場所を選ぶことにした。
というのも、有名すぎる速度計測サイトだと、そのサイト自体が重くなっていて、回線速度ではなく「相手のサイトの速度」を測ることになってしまうためだ。
また、自分から相手サイトの間のどこかに遅い部分がある、という可能性もある。
以下の情報は、万人に適用されるものではなく、あくまでも僕の環境に過ぎないことに注意。
いくつかのサイトを試し、SPEED TEST を信頼することにする。
一応、事前・事後とも測定は複数サイトで行ったが、ここに書く情報として絞り込んだ、という意味だ。
SPEED TEST は、世界中にある相手サーバーのうち、比較的近いものを自動的に選んでくれる。
自分で相手を選ぶこともできる。このため、いくつか試すことで純粋に「回線速度」を調べられる。
また、ping 反応速度、アップロード速度、ダウンロード速度を測れる。
ルーター交換前、V120 では、ダウンロード 58Mbps 、アップロード 94Mbps 程度だった。
ルーター交換は少しトラブルがあった。
用意周到にやったはずだが、SMTP や DNS は外から見られるにも関わらず、HTTP が見られない。
いや、HTTP ではなく、8080 なら見られるのに 80 は見られない。特定ポートだけおかしい。
ポート転送の設定が間違えているのかと見直しても、おかしくない。
散々調べ、SPI ファイアーウォール機能が邪魔をしている、と判明。
そこで、この機能は停止することにした。
しかし、このトラブル以外は順調。
心配していた「固定 IP が変わってしまう」こともなかった。
#使用しているプロバイダでは、固定 IP を「ベストエフォートサービスとして」提供している。
具体的には、一度切断しても、1ヵ月以内程度なら、再接続した場合に同じ IP アドレスになる。
ただ、この認証がプロバイダの「アカウント」ベースなのか、接続機器の「MACアドレス」ベースなのかが不明だった。
機器を変えても同じアドレスになったので、アカウントベースだったようだ。
さて、速度測定。
ダウンロード 94Mbps 、アップロード 94Mbps …
あれぇ? 確かに速度は上がっているが、100Mbps で頭打ちになっている感じがある。
どこかがおかしい。
家の中のハブは、すでに 1Gbps 製品で揃えられている。
なのに、なぜ 100Mbps で頭打ちになるのか。
ハブのステータス LED を追いかけてみる。
PC に一番近いハブは、ちゃんと 1Gbps で処理している。
それを受け取る、サーバルームのハブも 1Gbps だ。
でも、そのハブと、肝心のルータを繋ぐ部分が 100Mbps になっているのを発見。
イーサネットケーブルを見たら、CATEGORY 5 と書かれている。
これ、100Mbps までのイーサネットで使用される古い規格ね。
新しいルータを接続するときに、余っていたケーブルをつかったら規格が古かったらしい。
古いルータに、CATEGORY 5e ケーブルが刺さっていた。
(入れ替えをスムーズに行うため、ハブ側の差し替えだけ行った)
そこで、ケーブルを入れ替える。
再度速度測定。
ダウンロード 395Mbps 、アップロード 542Mbps だった。
うん、ルーターを変えた価値がある速度になった。
おまけ:
冒頭に挙げた写真は、AC1200 についてきた「豆本」。
表紙込みで 52 ページの小冊子で、GPL … GNU General Public License の Version 1, 2, 2.1, 3 が掲載されている。
同時に買った IP 電話アダプタは、GPL v2 の書かれた紙が1枚入っているだけだった。
(こちらは、マニュアルも何もない)
GPL なんて紙一枚で済ます方が普通、場合によっては画面表示されたメニュー内のどこかに隠されているだけ、なんて場合も多いので、豆本になっているのにちょっと驚いた。
別年同日の日記
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今日は、アメリカが日本製のパソコンに、100%の関税をかけた日(1987)
話は 1970年前後から始まります。
1960年代、コンピューターのメモリと言えば、コアメモリが「あたりまえ」でした。
しかし、コアメモリは小さなビーズを編んで作るもので、ほぼ手作業で作られていました。
大量生産に限界がありますし、手先の器用な日本人が作るものが多く、輸入コストなども考えるとアメリカでは値段が高くなってしまう。
そこで、当時新しく出てきた「集積回路」の技術を使い、メモリを作ろうとしたベンチャー企業がありました。
インテルです。
1969年には、世界初の SRAM を発売。
コアメモリと違い、電源を切ると内容が消えてしまいますが、コアメモリと同じ感覚で使用できるメモリでした。
1970年には、世界初の DRAM を発売。
通電していても、ほおっておくと内容が消えてしまいます。
メモリとして動かすには「リフレッシュ」と呼ばれる動作が必要でした。
しかし、その代わりに非常に安く、値段的にコアメモリよりも優位に立ちます。
これを機に、コアメモリは急激にシェアを落とし、半導体メモリの時代に切り替わります。
さらに翌 1971年、世界初の CPU 、4004 を発売。
そもそもインテルはメモリ作成を目指したベンチャー企業でしたが、この後は CPU の開発に力を入れていきます。
CPU は非常に複雑な部品で、制作にはノウハウが必要でした。
しかし、メモリは比較的簡単に作れる製品でした。
そのため、インテル以外にも半導体メモリの制作会社が乱立します。
そして、その波は日本にも達しました。
日本の産業は「改良」が得意です。
DRAM と SRAM という、基本原理のしっかり定まったメモリを真似し、高品質のものを量産し始めるのに時間はかかりませんでした。
1970年代の末期には、日本製のメモリは安くて品質が良く、アメリカ製のメモリよりも世界的なシェアで優っていました。
これには、未来の主幹産業として政府が補助金などを出し、国内で半導体産業が育つように保護し、輸出などを後押しした効果もありました。
1978年、当時の総理大臣である福田赳夫が訪米した際、アメリカの半導体メーカーから、日本製の半導体業界の形態に対して陳情が行われます。
企業間の競争なのに、政府が日本企業だけを保護するのはおかしい。
アメリカ企業が売り込もうにも、日本国内の流通業者に政府の圧力があり、国外製品を扱おうとしない。
値段も安いが、補助金があるからつけられる値段で、ダンピング(不当廉売)にあたる…などなど。
ある程度は耳の痛い事実でした。
国内産業の育成はそれぞれの国の内政問題なので、他国からの口出しは無用です。
しかし、それによって企業間の競争がそがれているとすれば、法の下の平等に反してしまうのです。
同時に、コンピューターがまだ国防上重要だった時代。
こうしたコンピューターの基幹部品を日本のものに抑えられてしまうのは、アメリカ政府としても黙っていられませんでした。
こうした事情もあり、幾度となく日米間で話し合いが行われ、1986年には「日米半導体協定」が出来上がります。
協定の詳細は日米間のトップシークレットであり極秘とされましたが、国内の半導体市場を開放する代わりに、アメリカが日本の内政に干渉するのもやめる、という筋の合意でした。
しかし翌 1987年の 4月 17日…つまり今日、アメリカは半導体など3品目の日本からの輸入品について、100% の関税をかけることを発表します。
100% の関税、ということは、輸出品の値段がいきなり2倍になってしまうということです。
価格競争力は失われ、事実上の「輸入禁止」となります。
アメリカには、諸外国との貿易に関する法律として「通商法」と呼ばれるものがあります。
貿易は国際間のものですから、貿易相手はアメリカのこの法律を守らなくてはなりません。
そして、この中に 301条という項目があります。
アメリカ大統領直属の「通商代表」は、不公正な貿易が行われていると判断した際、独自の判断で関税率などを変更することができます。
どのような判断でそうしたかを公表する必要はありますが、異議申し立てを取り合う必要はありません。
また、判断の元となった貿易品目と、措置を行う品目が一致する必要もありません。
このときは、理由は「日米半導体協定に違反し、日本から輸出される半導体のダンピングが続いている」でした、
先に3品目と書きましたが、半導体製品と、電動工具、カラーテレビが対象でした。
カラーテレビなどはアメリカでも日本製が人気がありましたから、主要輸出品を「人質」にとって、早期解決を求めた形です。
アメリカはダンピングと断定しましたが、この頃実際に RAM が急に安くなっています。
ファミコンの発売が 1983年。
それまでゲームを遊ぼうと思ったらパソコンが必要でした。
当時のパソコンには 32~ 128K 程度(VRAM 含む)の RAM が搭載されています。
でも、ファミコンは 4K で十分なゲームが遊べました。
そしてファミコンは大ヒットしました。
需要を見越していたメモリが、結果的にだぶつきます。
これでメモリの値段は安くなりました。
1986年には、松下とソニーから、3万円の MSX2 も発売されています。
192Kbyte のメモリを搭載していました。急激にメモリが安くなったから作れた機械でもあります。
でも、この頃から安くなったメモリをふんだんに使った製品が出始め、今度は量産効果でメモリが安くなりました。
こうした流れは日本独自のものだったことに注意が必要です。
RAM 以外にも、ロジック IC なども日本製が強くなっていました。
何よりも、同じものを高品質に作り続ける、というだけであれば、日本はまだアメリカよりも人件費が安かった時代です。
安いのは決してダンピングなどが理由ではありません。
Intel は理解していました。
だから、RAM よりも CPU に力を入れていたんです。
でも、そうした独自製品を持たない半導体企業は数多くありましたし、事実問題として、半導体産業の保護は、アメリカにとって国防に関わる問題でした。
しかし、この措置には思わぬところから横やりが入ります。
半導体の「製造企業」は政府に圧力をかけて日本からの関税を引き上げさせたのでしょうが、それによって打撃を受けたのは、半導体を「使用する」アメリカ企業でした。
特に、家電品などで使われていた液晶パネルなどは日本製以外に供給元が無く、日本からの輸入が止まると製造ができなくなってしまうのです。
日本からの「ダンピングなど行っていない」という強い陳情もあり、2か月後にはこの制裁関税を解除しています。
しかし、これは後に言う「日米半導体摩擦」の始まりにすぎませんでした。
1989年には、日本独自に開発していた OS である、TRON OS がやり玉に挙げられ、事実上潰されています。
(ソフトバンクの孫正義さんが潰したのだそうです)
1992年には、最大の山場となります。
アメリカとの協定により「外国製半導体のシェア目標」が課され、日本企業がどんなに頑張っても、普及「させてはいけない」足枷となるのです。
そして、この後は中国、韓国、台湾などが力をつけ、日本の半導体業界も斜陽産業となっていくのです。
今、その中国に対し、再びアメリカが強硬姿勢で臨もうとしています。
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先日、ラジオを聴いていたら「ブラハラ」という単語が出てきた。
何かと思えば、ブラッド・ハラスメントの略語で、「君はA型だから、こういう仕事は向いてないでしょ」みたいに血液型で性格を決めつけられてしまうことらしい。
そういえば、以前に聞いた話。
どこだったか国立大学の教授が、授業中に「血液型の性格診断には根拠がない」ということを何気なく話したら、信じていたのにショックだ、という学生が過半数だったそうだ。
国立大学だから、それなりに頭が良い人が揃っている。
それでも、血液型で性格が決まると信じてしまっているのが過半数。
この事実に、大学教授はショックを受けたらしい。
そのことの善し悪しを言いたいのではない。
「非科学的」なんて言ったところで、信じている人が多いという事実は変えられない。
ただ、ここでは「なんでそんなことになったのか」をギリギリ知っている世代として、記録を残しておかないといけない、と思ったのだ。
「もはや戦後ではない」が流行語になったのが、1956年。
この頃が、後の世にいう「高度経済成長」の始まりの時期で、その後 20年にわたり経済成長が続く。
1960年代の後半には、多くの人が豊かになった。
しかしその一方で、物質的な豊かさだけでいいのか、という自省が広がっていた。
この時代を背景に広がったのが「占いブーム」。
科学では測りきれない何かがあるのではないか、と皆が期待して、様々な「占い」がもてはやされる。
団塊の世代が20歳くらい…多感な年ごろだ。
多くの人が、こうした「占い」を本気で信じ、世の中には科学ではわからないことがある、と科学を否定した。
否定することがかっこいい時代だった。
この世代は、科学や客観的データを否定し、精神世界…変な迷信に入っていくことが「かっこいい」と思っている人が多い。
ついでに言うと、仲間を作るのが好きでもある。自分の価値観を周囲に押し付けてくる。
学生運動とかも含めて、青春時代に、世間がそういう空気だったのだから仕方がない。
もちろん、多くの人はその後大人になるにつれて世の中を知り、自省しているのだけど、今でも考え方を変えない人は「老害」と呼ばれている。
#余談:日本では、世の中の変わり目には占いが流行しやすい、という素地はある。
幕末だって、明治時代だって、占いのブームはあった。
だから、この時だけが特別だったわけでもない。
別に老害の話をしたいのではなくて、1960年代末に占いブームがあり、姓名判断とか、筆跡判断とか、印章判断とか、六曜占いとか、九星気学とか、四柱推命とか‥‥
まぁ、ともかくいろんな占い本が出た。「自分で占える」という本がブームの中心だった。
占い、とひとくくりにされるのだけど、「性格診断」の側面が大きかったのも特徴の一つ。
先に書いたように、精神世界に入っていくのがこの頃のブームの特徴だから。
自分はこういう性格、というのを診断して、「類型」がわかることで安心しようとする。
今でも、自分をどこかの枠に当てはめて安心する人、いるよね。
ちなみに、「精神世界」の方向は、1970年代には超能力とかUFOとか「ノストラダムスの大予言」のオカルトブームに繋がっていく。
このノストラダムスの大予言が「1999年に世界が滅亡する」と広めたのが 20年たって本気で信じられてしまい、1990年代後半にはカルト宗教ブームとなってオウム真理教のサリン(毒ガス)テロ事件へと突き進む。
上の例では、六曜占いも入れてあるけど、「結婚式をするなら大安吉日」とか、この頃のブームの影響ね。
六曜自体はそれ以前からあるけど、あれは旧暦を使うことが強制的に廃止されたときに、何とかして旧暦を知ろうとする庶民の知恵で広まったもので、「占い」ではなかった。
#平安時代までさかのぼれば占いなのだけど、それだって今とは違うものだ。
青春の頃は他人に影響されやすく、それは知識を吸収しやすいという良さでもあるのだけど、悪いものに取りつかれやすくもある。
1960年代に急に言い出されたものが、そのころ青春時代を過ごした人が「ずっと昔からそうなっている」と信じたものだから、今でも「大安吉日」とかに振り回されて辟易する人がいる。
血液型占いもこの頃に出てきたもので、「占い」の一種に過ぎない。
具体的にいえば、1971年に出版された「血液型でわかる相性 伸ばす相手、こわす相手」という本だ。
ただ、血液型占いは他とはちょっと違っていた。
血液型によって性格が決まる、という、科学的にありそうな「似非科学」を持ち出したのが1点。
(血液型が発見されたのは 1900年。
これが人格などにも影響があるのではないか、という研究を日本人が行い、1932年に発表されている。
この時点では「科学」だった。
しかし、その後追試が行われ、1934年頃には完全に否定され「似非科学」になっている)
もうひとつ、他の占いが細かく分類し、複雑化することで信憑性を増そうとしていたのに、たった4つのタイプしかない判り易さが1点。
この特徴が他のものと違っていたものだから、「占いブーム」の終焉を乗り越えて、1980年代に再びブームを起こした。
(上の本の著者が死んで、真似た本を書きやすくなったという理由もあったようだ)
1980年代後半は、経済発展によって「物質的な豊かさ」が極まっていて、ろくに仕事をしない社員でも会社は雇っている余裕があった。
結構後(1996年)になるけど、ヒット曲に「渋谷で5時」がある。これ、1980年代の雰囲気がまだ残っている歌だ。
5時前に仕事をやめて帰ってしまっても問題なかった。「働かない」ことを自慢した時代。
#その一方で、仕事が忙しくて寝る時間もない、という不健康自慢をする人もいた時代だけど。
「合コン」がブームになり、初めてあった人とでも、とりあえず30分盛り上がれる話の類型、というのが好まれた。
「10回クイズ」とか「王様ゲーム」とかだけど、「血液型性格診断」というのもそうした話題の一つ。
1971年の本は、本としての体裁を整えるために、たった4種類でもそれなりの「深みのある」考察をしていた。
でも、ここでの血液型診断は、合コンの初めに5分程度で盛り上がるためのもの。
だから、非常に薄っぺらい。「A型はやたら細かい」とか「O型はおおざっぱ」で終わり。
嘉門達夫が、「血液型別ハンバーガーショップ」を歌ったのは 1991年。
この歌の中でも「たった4種類に分類されるわけない」と歌っている。
多くの人が、血液型診断を知っていながら、「そんなわけない」と心の中で突っ込みを入れ、でも話のマクラとしては使っていた。
だから、この歌がギャグとして成立する。
でも、先に書いたように、「青春時代に刷り込まれたもの」は妄信しやすい。
1990年代に青春時代だった…いま40代後半くらいになると、本気で血液型占いを信じている人がいる。まぁ、あまり多くはないのだけど。
いや、血液型占いは、その後独り歩きして「占い」ではない似非科学になった。
そして、生まれた時から血液型占いが存在していた、今の20代くらいになると、半数近くが信じている。
これが、冒頭に挙げた大学教授の話になる。
先に書いたように、1930年代にはすでに「似非科学」になっている。
だから多くの学者は取り合わないのだけど、あまりにも多くの人が信じているという弊害を見過ごせず、今でも検証実験が行われる。
もちろん、最新の論文でも「性格と血液型に相関は見られない」そうだ。
でも、こうしたデータはわかりきっていることで、「面白くない」から、あまり大きく取り上げられない。
その結果、血液型性格診断が似非科学だ、と知らない人が増え、悪循環となる。
最初に書いたのだけど、血液型占いを信じることの善し悪しを言いたいのではない。
ただ、似非科学ってこうやってひろまるんだなぁと、興味深い事例として知っておいてもらうといい。
六曜だって、たった 20年程度で「ずっと昔の伝統」だと思われたし、血液型占いも 20年程度で本気で信じられるようになった。
この後の動きも大体わかっていて、否定意見が徐々に浸透して廃れていく。
だけど、それは若い世代が正しい認識に至るだけで、今信じている世代が考えを変えるわけではない。
つまりは、新しい時代の「老害」だ。害をなす主役は、今の大学生あたりの世代だろうね。
とりあえず血液型占いをサンプルに、その登場から普及までを書いたら、それなりの行数になってしまった。
もう一つ、血液型占いが広まる上で非常に重要だった「確実に当たる占い」の話を書きたい。
血液型占いがこんなに普及してしまったのは、ちゃんと「当たっているから」だ。
似非科学だけど、ちゃんと当たる。そこにはカラクリがある。
でも、それはまた別記事で。
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