長男の受験も一区切りつき、発表を待っている。
次女は来年度受験生だが、まだ余裕がある。
久しぶりに家族でどこか遊びに行きたい。
一泊旅行もしたいのだが、それを行う時間も急には都合がつかないので、日帰りでどこか行こう、となった。
予定日は、3月16日の土曜日。
妻は美術館に行きたいという。横浜美術館? と考えて調べたところ、しばらくリニューアルオープンのためにお休みしていたそうで、3月15日がオープン日だった。
それは混みそうだねぇ。ということで、パス。
鎌倉の近代美術館は? となったが、こちらは近すぎるのでいつでも行けそう。またの機会に。
で、妻の要望もあって、国立西洋美術館の常設展を見よう、となった。
長女、次女も、最近どうぶつの森の影響で少し美術館は気にいなっていたそうで、行きたいという。
長男は山歩きがしたかったらしいが、それはまた今度ね、ということになった。
久しぶりの上野。8年ぶりか。駅前風景が一変していて驚いた。
4年前に大幅な工事をしたのね。駅の位置が移動して、駅前の道路がなくなり、駅を出たら目の前が上野公園になっている。
目的の西洋美術館へ。前庭にいくつかのブロンズ像が置いてある。「考える人」とかね。
特に大作、ロダンの「地獄の門」があった。せっかくなので、まずそれを見る。
子供たち、美術の教科書に載ってた、という反応。
長女がこれ本物? と聞くので、ブロンズ像の説明から行う。
版画作品の場合、たくさんの絵が作られて、どれも本物だ。
同じように、ブロンズ像は、元となる彫像が作られた後にかたどりをして、大量生産される。
どれも本物だ。
ちょうど先日、長女は高校の美術で、自分でデザインしたメダルの鋳造を行った。
小さなメダルでも鋳造は大変だったそうで、このサイズのものを作るなんて想像を絶する、と驚いていた。
実際、地獄の門はでかいのだ。高さ5メートルくらいか。
普通は石膏で型取りして鋳造するのだと思うが、このサイズを作るのはどうやったのか、想像もつかない。
中に入ると、企画展はこちらでーす、と案内している人がいたが、今回の目的は常設展。
これは妻の考えで、企画展というのは、すでに美術をある程度分かっている人間か、全く知らないがミーハー的に見に来る人を相手にしているものだから、とのこと。
常設展は、わかりやすく美術を教えることを目的にしているので、最初はいろいろな美術館の常設展を見に行くと良いそうだ。
これ、後で書くけど実際勉強になった。
常設展の入り口で、ギャラリートークの案内が書いてあった。
ボランティアの解説員と一緒に、1時間くらいで見所を見て回る、というツアー。
美術館に入ったのは10時前だが、10時45分受付開始、11時からスタートで、15名が定員らしい。
ひとまず時間を待ちながら展示を見始める。
展示の最初は16世紀ごろの宗教画から。年代を追って進んでいくようだ。
さて、実際にはいろいろ考えながら見進めていったのだけど、ここで初めての人向けにガイドするつもりで、見所だけ書いていこう。
まず、今時持ってない人はいないと思うが、一人一台のスマホを持っていくべきだ。
イヤホンがあるとなおよい。
自分のメールアドレスをすぐ入れられるようにしておき、QR コードの読み方も知っておくこと。
というのも、今時はスマホで音声ガイドが聞けるためだ。昔はそういう機械を貸し出していたが、今は存在しない。
館内には FreeWifi があるのだが、この認証にメールを使用する。自分のメールアドレスを入れ、受け取ったメールに書かれた番号を入力することで認証とする。
自分のアドレスとかは当然すぐに使えたのだが、子供は普段メールを使わない(スマホは親との LINE 連絡用)ので、メールアドレスをすぐに入れられず苦労した。
この音声ガイドは、個々の絵の鑑賞ポイントを教えてくれるものだ。
それとは別に、ところどころに、ひとまとまりの作品をまとめて鑑賞ポイントを教えてくれる、解説ページへのリンクの URL が置いてある。
途中までその違いに気づいていなかったのだが、一緒に見るより楽しめるかと思う。
#この音声ガイド、やはり以前は機械で行っていたが、コロナもあって貸し出しをやめていたらしい。
スマホで見られる形のものが、先月から使えるようになったばかりだったらしい。
絵なんて言うのは、生活の役に立つものではない。だから、裕福になるまで、見て楽しむための「美術」なんて存在しない。
16世紀ごろの宗教画、というのはそのギリギリ最初のポイントで、文字が読めない人に聖書の教えを伝えるために描かれ始めている。だから、楽しむための美術ではなく、実用品なのだ。
また、この時代の絵の具というのは大変高価だ。ここでも、権力を持った教会などでないと発注できないのだ。
しかし、やがて金を持った貴族などが、絵にお金を使い始める。
最初は、寄進する宗教画として。絵の一部に自分の城を書いてもらったり、自分自身を入れてもらったりして。
そのうち、聖書の人物の顔を自分にする、などの形で、宗教画の形式をとった肖像画が出始める。
そして、宗教から離れて肖像画を作り始める。
もう一つの鑑賞ポイントとして、宗教画は、宗教上の理由で「人をだましてはならない」物だった。
それが、本物と見間違えるようなものであってはならない。形式的な絵を描くだけで、遠近法などを取り入れてはならない。
それが、宗教を離れて貴族がパトロンになるにつれ、どんどんリアルに描かれるようになっていく。
最初は肖像画が中心だが、食卓に飾るから食材の絵を描いてくれとか、いろいろな注文で絵の幅が広がっていく。
…と、ある程度見て回っていたら、そういう意図をもって順序が組まれているように思えたので、子供たちに解説した。
鑑賞ポイントが分かった方が面白いからね。
ギャラリートークの時間が来たので、エントランスに戻って参加する。
15名の予定だったが、大人気だったようで 30人以上いたと思う。
解説員のボランティアの方が、驚くと同時に感動していた。
この方、7年間ボランティアを務めていたが、この日で最後だったらしい。
普段はここまで集まらないのに、最後の回がこんなに大盛況で驚いたと言っていた。
西洋美術館は多くの作品があるので、1時間程度ではとても全部は説明できない、ということで、最初に説明された作品は、宗教画の時代よりも後の作品。
そして、モネ。印象派の代表、睡蓮をたくさん書いた人だね。
さらに、モネと同時代を生き、彫刻を作ったロダン。最後には中庭の地獄の門を解説してくれた。
地獄の門は大きな作品なので、資金が無くて生前には型まで作ったものの、ブロンズ鋳造されなかったらしい。
最初に資金を出す、と名乗りを上げたのが日本人で、上野にあるのが最初の鋳造のものなのだとか
その日本人が、西洋美術館の元となるコレクションを作り上げた人。
モネ、ロダンとも実際に面識があり、本人から直接買い付けてきたらしい。
そのため、西洋美術館は、モネとロダンのコレクションが豊富。
と言っても、コレクションの多くは、「購入」したものの、ヨーロッパにあった。
第二次世界大戦の敗戦時に、敗戦国の財産として、フランスの管理下に置かれた。
いろいろあったが、日本に返却するときの条件が、ちゃんと管理を行える美術館の建造だった。
それで作られたのが、国立西洋美術館。
ギャラリートークは楽しかったが、同時に速足で美術館の全貌を見せてくれたので、「朝のペースで見ていたら一日では見終わらない」と分かった。
中庭で終了となったので、そのまま一旦外に出て昼ご飯にする。
そして、もう一度常設展へ。常設展は、一日の間何度でも出入りできる。
さて、宗教画から貴族の肖像画などが中心の時代を見終え、その後の時代に入る。
ギャラリートークでも最初に説明してくれた絵は、貴族の家を飾る、四季の連作として描かれた一枚だった。
だんだん、絵の内容…テーマが自由になっていく。風景を描いた絵や、狩猟風景を描いた絵など。作者が美しいと思ったものを絵にとどめ、それが評価されれば買い手が付く時代。
逆に言えば、もう宗教や貴族はパトロンではなく、絵描きが自分の才能を金に換える方法を、自分自身で探さないといけない時代にもなっていく。
絵の技術は十分に高まり、本物のように美しい絵も現れ始める。
そして、印象派の時代へ。
本物と見間違うような美しい絵、というのが当たり前になってくると、差別化するのは「作者の視点」になってくる。あえてリアルを外し、絵ならではの美しさを求め始める。
…マネの「ブラン氏の肖像」リアルとは程遠いよね。陰影とか少なくて、アニメ絵っぽさもある。
しかし、それによって描きたい人物がはっきりとわかるし、彼の伊達男っぷりも…とにかく明るい、薄っぺらい印象の人なのかもしれない、というようなことまで思ってしまう。
モネになると、さらに進んで、「絵である」ことを主張し始める。
あえて筆の跡を残し、そこかしこに筆者の痕跡を残し始める。
リアルを求めるのであれば、だれが描いても同じものになってしまう。だからこそ、作者の痕跡が重要なものとなり始めたのだ。
で、ここからは今回初めて知ったこと。モネの絵が飾ってある部屋の片隅の QR コード解説に書いてあった受け売りだけど。
ロダンとモネは、誕生日が近くて、仲が良かったそうだ。
絵と彫刻で分野は違うけど、同じ芸術家としてよく話をしたらしい。
そして、二人とも同じ方向性を持ち始める。モネは筆の跡を残すようになっていき、ロダンは粘土に指の跡を残すようになっていく。
なるほど、言われてみれば同じような手法だが、説明されるまで一切気づいていなかった。
美術作品を、頭でわかろうとするな、見て感じろ、という人がいるのだけど、こういう話は見ても感じられない。
でも、知識を持ってから見ると、非常に面白い。美術の好き嫌いは自分の感性に従えばよいのだけど、頭でわかることは大切だと思う。
その後も徐々に時代が進んでいく。日本の影響を受けた、ジャポニズムの時代のあたりは面白い。
西洋の絵なのに、掛け軸のように縦長で、署名まで縦書きしていたりする作品がある。
最後に、近代の作品。ピカソとか、ムンクとか。
ピカソのキュビズムが壮大な実験だ、というのはよく知られているのだけど、飾られていた中に、もっと晩年の作品があった。
ピカソの晩年は、シンプルで力強い線を好むようになるんだよね。で、やたらと男にチンコを描きたがる。
若いころは、無茶苦茶な絵に見えても、性的モチーフはそれほど描かなかったのにね。
あれは、性的に衰えてきた老人が、まだまだ若いところを見せようとわざと性的なものを見せびらかしているんだと思う、と僕が言ったら、妻も「そうそう、街中にいるような露出狂も、性的に自信がない人の方が多い」と同意。妻、若いころはよく露出狂に近寄られていたので、撃退方法も心得てます。
チンコ、という言葉に、さすがに高校生の長女は恥ずかしそうな反応だけど、「ピカソ、完全に迷惑老人じゃん」と。
うん、実際女性関係だらしなくて、周囲に迷惑かけていた人だからね。
しかし、この時代になると「作者の痕跡を残す」どころではなく、作者の個性がむき出しになっている。
それもまた面白い。
あと、やはり近代の作品で、絵の具を盛り付けるように塗ってある作品を並べてある一角があった。
これも、流行した技法なんだよね。特に白を盛り上げるのが流行したみたいだけど、別の色もある。
絵の具の「減色混合」では決して表せない、輝くような光を表現するための技法。
白を盛り上げて塗りたくることで、白の表面で光が乱反射し、輝きを表現できる。
また、盛り上げることで、立体的な描画も可能としている。
ここら辺、美術の教科書で見てもわからない。本物を見てやっと価値が分かるものだ。
…と、こんなあたりで展示はおしまい。
最後に、今回一番「興味深かった」絵を紹介。西洋美術館の WEB ページにも紹介があるので、リンクしておく。拡大もできるので、是非見てみて。
宗教画なのだけど、リアルに描かれるようになった後の作品。
僕が注目したのは、中央で磔になっているキリストの右側、槍を持っている人物。
キリストの右わき腹には、傷跡がある。これは、聖書でも磔刑のあとに、死んだか確かめるために兵士が右脇腹を槍で刺した、とある。
恐らく、キリストの右に描かれる、槍を持った人物がその兵士なのだろう。
兵士は「無名の兵士」とされるが、のちに名前を与えられ、ロンギヌスと呼ばれる。
「ロンギヌスの槍」というのはキリストの血が付いた聖遺物の一つとされて、中二病な小説なんかだと強い武器の名前になっていたりするね。
で、その彼だが、この服装は一体何か。
リンク先で画像を表示して、ズームしてよく見ていただきたい。
明かに服を着ている。というか、これは服ではなく鎧だと思う。
しかし、腹筋は見えるし、へそも見える。WEB の画像ではわかりにくいが、乳首まで見えているのだ。
さらに書く。当時は男でもスカートをはくのは普通だし、スカート状の鎧もある。彼が来ているのもそうした鎧に見える。
しかし、このスカートが、腰の周囲にあるのではなく、足にまとわりつくように股の部分がはっきりわかるんだよね。
最近の男性向けのイラストなどで、女の子が「服を着ている」にもかかわらず、服越しに「へそがくぼんで見えている」物がある。
同様に、スカートをはいているのに、股の位置がはっきりわかるように描かれる絵もある。
衣服がどんなに張り付いてもへその中まで張り付くことはないと思うし、立っている状態でスカートが股にへばりつくこともない。
どちらも、「ちゃんと服を着ている」と言いながら、裸を連想させるための書き方なのだと思っている。
そういうのは最近のエロイラストの描き方の一つだと思っていたのだが、16世紀前半にすでにそういう絵が描かれているとは…。
しかも、ここでは女の子ではなく、おっさんのへそと乳首が見えてるんだよね。誰得なんだろう。
最近のエロイラストみたいな描き方が16世紀にあった、というだけでなく、最近のものだと思われている腐女子も、すでにいたのかもしれない。
性癖は時代を超える。
茶化しているように見えるかもしれないけど、結構本気で書いてる。
エロって、人間が生物である以上、非常に魅力的なコンテンツだからね。
現代人が欲しているものを、16世紀の人も同様に欲していても、何ら不思議はない。
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