2024年03月の日記です

目次

10日 この一週間
17日 国立西洋美術館
22日 鎌倉アルプス
26日 FireBird 購入
31日 母三回忌
31日 牧場ソフトクリーム


この一週間  2024-03-10 18:58:59  その他

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ここのところ忙しくて日記書いてなかった。

3月入ってからだから、一週間ではないな。でも、そのくらいの内容をざっとかいつまんで。



3月3日はひな祭り。

でもそれ以前に、町内会の防災訓練だった。近隣三町内が合同で行っている。


今年の防災訓練は、いつもと少し違うような…

例年だと、期限切れが近い保存食の試食会があったり、給水車が来ていて実際の使用の際の話があったりするのだが、そういうものが無かった。


一方で、いつもは出てこない、隣町の消防団が来てくれて、災害時の救出を想定した訓練を…訓練というよりは、寸劇を披露してくれた。



これ、後で聞いたのだけど、保存食や給水車は能登に送ってしまったのだそうだ。その関連もあってボリュームが減ってしまうので、隣町の消防団にも来てもらうよう依頼した、という流れ。

(わが町にも消防団はあり、毎年放水訓練の実演をしてくれる。それは例年通り行われた)


能登に送ろうというので募金活動も行った。2万円弱集まったそうだ。

これに、防災訓練をすると市から支援金が1つの町内会に対して1万円出る。この3万円を足し、5万円程度を能登に送る予定だという。



夜はひな祭りなのでちらし寿司作った。好評。




今週は、長女の高校は入試があって休みになったり、定期試験があって午前中で終わりだったりで、弁当が2日だけ。

長男も今は家で勉強しているので(大学受験は、国立の後期も受験予定で準備している)、思った以上に弁当おかずを使わない。


そういえば、長女の弁当箱を新調した。

…いや、これは先月末にすでに書いていたな




3月8日。朝雪が降ったが、すぐに雨に変わり、積もっていたものも融けた。


別に大した話ではないのだが、3月に入っての雪は少し珍しいので記す。

今年は大雪も降ったが、全体としては暖冬だ。




3月9日。2週間前に注文したロールカーテンが来たので、和室につけた。


以前のものは、和紙を細かく折りたたむ形のシェードカーテン。プリーツスクリーンというのかな。

薄いベージュ色で、その形状から、横縞だった。


新しいものは、ロールスクリーンだが、素通しの網とベージュの布が横縞に交互に入っている物。

これが2重になっていて、重なり具合を調節することで光の入る量を加減できる。


つけてみると、以前のものとほとんど見た目が変わらず違和感がない。

部活で出かけていた長女が返ってきた際に、わざとカーテンを変えたことを伝えなかったら、しばらく気づかなかったくらい。


取り付けは僕が行った。以前使っていたカーテンのネジ穴を利用して付けたので簡単だった。




今日、3月10日。


3町内合同のグランドゴルフ大会。

親睦を深める、という側面もあるが、市民の健康のためにスポーツを推進する、スポーツ推進委員というものがあり、年に何度かスポーツ大会を行うことで助成金が出ているのだ。

その助成金で、ささやかだが商品なども用意された。タオルや手ぬぐいだけど。


で、普段からグランドゴルフの愛好者が遊んではいるらしいのだけど、人数あわせで呼ばれた僕は初参加。

ルールを教わるところから。


グランドゴルフというのは、生涯スポーツとして近年人気があるようだ。


ゲートボール的なものだけど、パターゴルフに近い。

ゲートボールがチームスポーツなのに対し、グランドゴルフは個人競技なのだな。


チームスポーツだと、下手な人がいじめられるなどの問題もあり、近年のグランドゴルフ人気の後押しにもなっているようだ。


で、少し早めに行って、練習する。基本的には8ホールが1セットで、今回はこれを2セット行い、合計打数で競う、となっていた。


最短 15m、最長 50m。50mはかなり強くたたかないと1打では届かないが、15mだと力を加減しないと行き過ぎてしまう。

なかなか微妙な感じ。しばらくやってみて、どのホールも3打くらいを狙っていけば良さそう、と分かるが、実際3打で入れるのは難しいともわかる。


あと、大きく崩してしまうと面白くなくなるため、5打以上はすべて5打の扱い。

(これはローカルルールのようだ。グランドゴルフの公式ルールには書いてなかった。)


3町内後合同だが、1町内から2名づつ出して6名で1グループ。8グループ作って、8ホールそれぞれから一斉に始める。8ホール回るのに1時間くらい。


一応個人競技だが、町内対抗の形式をとるので、各町内ごとの「平均打数」で競うことになっていた。

平均としているのは、欠席者が出たときのため。




とりあえず、足を引っ張らないようにしよう。平均3打でまわれれば良いかな…と思っていた。

ところが、前半に2回、ホールインワンを出してしまった。初心者なのでわからなかったが、案外出ないものだという。

ホールインワンの際は、最後の集計時に -3打のボーナスが着くそうで、前半8ホール回ったところで、実際の打数 21打、ゲーム上は 15打となった。

これが、ダントツに良い成績。初参加だけどこの調子だったらトップ間違いなし、などと言われた。



休憩。

ハーフ終ったところで、ちゃんと休憩が入って、おやつやお茶などがふるまわれる。ゴルフなのだ。

個包装になっている袋菓子をたくさん開けただけだけど、成績が良い事を褒められながらのおやつタイム。

悪くはなかった。


さて後半。緊張で大きく崩さないと良いけど…と自分で思っていたのだが、初心者なのでそううまい具合は続かないのだ。

一度、OBしてしまいペナルティ1打。この際は、1ホール最大5打のルールに救われた。


そして、「大叩きしないように、堅実に行こう」と考えていたら、全体に打つのが弱すぎる。


とはいえ、終わったら 24打。平均3打なので、決して悪いスコアではないが…

打数としては、全体で2位だった。上手な人が堅実に回った方が、やはり打数が少ないのだ。

とはいえ、初参加で2位(同着の人がいて、2位は2名)というのは悪くなかったのだと思う。


ちなみに、先に書いたように町内対抗なので、個人には特に賞は出ない。

町内会としては2位だった。手ぬぐい頂いた。


午前中だけで終わったが、まぁ楽しめた。





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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

国立西洋美術館  2024-03-17 18:06:02  社会科見学 家族

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長男の受験も一区切りつき、発表を待っている。

次女は来年度受験生だが、まだ余裕がある。


久しぶりに家族でどこか遊びに行きたい。

一泊旅行もしたいのだが、それを行う時間も急には都合がつかないので、日帰りでどこか行こう、となった。

予定日は、3月16日の土曜日。


妻は美術館に行きたいという。横浜美術館? と考えて調べたところ、しばらくリニューアルオープンのためにお休みしていたそうで、3月15日がオープン日だった。


それは混みそうだねぇ。ということで、パス。

鎌倉の近代美術館は? となったが、こちらは近すぎるのでいつでも行けそう。またの機会に。


で、妻の要望もあって、国立西洋美術館の常設展を見よう、となった。

長女、次女も、最近どうぶつの森の影響で少し美術館は気にいなっていたそうで、行きたいという。


長男は山歩きがしたかったらしいが、それはまた今度ね、ということになった。




久しぶりの上野。8年ぶりか。駅前風景が一変していて驚いた。

4年前に大幅な工事をしたのね。駅の位置が移動して、駅前の道路がなくなり、駅を出たら目の前が上野公園になっている。


目的の西洋美術館へ。前庭にいくつかのブロンズ像が置いてある。「考える人」とかね。


特に大作、ロダンの「地獄の門」があった。せっかくなので、まずそれを見る。

子供たち、美術の教科書に載ってた、という反応。

長女がこれ本物? と聞くので、ブロンズ像の説明から行う。


版画作品の場合、たくさんの絵が作られて、どれも本物だ。

同じように、ブロンズ像は、元となる彫像が作られた後にかたどりをして、大量生産される。

どれも本物だ。


ちょうど先日、長女は高校の美術で、自分でデザインしたメダルの鋳造を行った。

小さなメダルでも鋳造は大変だったそうで、このサイズのものを作るなんて想像を絶する、と驚いていた。


実際、地獄の門はでかいのだ。高さ5メートルくらいか。

普通は石膏で型取りして鋳造するのだと思うが、このサイズを作るのはどうやったのか、想像もつかない。




中に入ると、企画展はこちらでーす、と案内している人がいたが、今回の目的は常設展。


これは妻の考えで、企画展というのは、すでに美術をある程度分かっている人間か、全く知らないがミーハー的に見に来る人を相手にしているものだから、とのこと。


常設展は、わかりやすく美術を教えることを目的にしているので、最初はいろいろな美術館の常設展を見に行くと良いそうだ。


これ、後で書くけど実際勉強になった。



常設展の入り口で、ギャラリートークの案内が書いてあった。

ボランティアの解説員と一緒に、1時間くらいで見所を見て回る、というツアー。

美術館に入ったのは10時前だが、10時45分受付開始、11時からスタートで、15名が定員らしい。


ひとまず時間を待ちながら展示を見始める。




展示の最初は16世紀ごろの宗教画から。年代を追って進んでいくようだ。


さて、実際にはいろいろ考えながら見進めていったのだけど、ここで初めての人向けにガイドするつもりで、見所だけ書いていこう。



まず、今時持ってない人はいないと思うが、一人一台のスマホを持っていくべきだ。

イヤホンがあるとなおよい。

自分のメールアドレスをすぐ入れられるようにしておき、QR コードの読み方も知っておくこと。


というのも、今時はスマホで音声ガイドが聞けるためだ。昔はそういう機械を貸し出していたが、今は存在しない。

館内には FreeWifi があるのだが、この認証にメールを使用する。自分のメールアドレスを入れ、受け取ったメールに書かれた番号を入力することで認証とする。


自分のアドレスとかは当然すぐに使えたのだが、子供は普段メールを使わない(スマホは親との LINE 連絡用)ので、メールアドレスをすぐに入れられず苦労した。



この音声ガイドは、個々の絵の鑑賞ポイントを教えてくれるものだ。

それとは別に、ところどころに、ひとまとまりの作品をまとめて鑑賞ポイントを教えてくれる、解説ページへのリンクの URL が置いてある。

途中までその違いに気づいていなかったのだが、一緒に見るより楽しめるかと思う。



#この音声ガイド、やはり以前は機械で行っていたが、コロナもあって貸し出しをやめていたらしい。

 スマホで見られる形のものが、先月から使えるようになったばかりだったらしい。




絵なんて言うのは、生活の役に立つものではない。だから、裕福になるまで、見て楽しむための「美術」なんて存在しない。

16世紀ごろの宗教画、というのはそのギリギリ最初のポイントで、文字が読めない人に聖書の教えを伝えるために描かれ始めている。だから、楽しむための美術ではなく、実用品なのだ。


また、この時代の絵の具というのは大変高価だ。ここでも、権力を持った教会などでないと発注できないのだ。


しかし、やがて金を持った貴族などが、絵にお金を使い始める。

最初は、寄進する宗教画として。絵の一部に自分の城を書いてもらったり、自分自身を入れてもらったりして。


そのうち、聖書の人物の顔を自分にする、などの形で、宗教画の形式をとった肖像画が出始める。

そして、宗教から離れて肖像画を作り始める。



もう一つの鑑賞ポイントとして、宗教画は、宗教上の理由で「人をだましてはならない」物だった。

それが、本物と見間違えるようなものであってはならない。形式的な絵を描くだけで、遠近法などを取り入れてはならない。


それが、宗教を離れて貴族がパトロンになるにつれ、どんどんリアルに描かれるようになっていく。

最初は肖像画が中心だが、食卓に飾るから食材の絵を描いてくれとか、いろいろな注文で絵の幅が広がっていく。



…と、ある程度見て回っていたら、そういう意図をもって順序が組まれているように思えたので、子供たちに解説した。

鑑賞ポイントが分かった方が面白いからね。





ギャラリートークの時間が来たので、エントランスに戻って参加する。

15名の予定だったが、大人気だったようで 30人以上いたと思う。


解説員のボランティアの方が、驚くと同時に感動していた。

この方、7年間ボランティアを務めていたが、この日で最後だったらしい。

普段はここまで集まらないのに、最後の回がこんなに大盛況で驚いたと言っていた。



西洋美術館は多くの作品があるので、1時間程度ではとても全部は説明できない、ということで、最初に説明された作品は、宗教画の時代よりも後の作品。


そして、モネ。印象派の代表、睡蓮をたくさん書いた人だね。

さらに、モネと同時代を生き、彫刻を作ったロダン。最後には中庭の地獄の門を解説してくれた。


地獄の門は大きな作品なので、資金が無くて生前には型まで作ったものの、ブロンズ鋳造されなかったらしい。

最初に資金を出す、と名乗りを上げたのが日本人で、上野にあるのが最初の鋳造のものなのだとか


その日本人が、西洋美術館の元となるコレクションを作り上げた人。

モネ、ロダンとも実際に面識があり、本人から直接買い付けてきたらしい。

そのため、西洋美術館は、モネとロダンのコレクションが豊富。


と言っても、コレクションの多くは、「購入」したものの、ヨーロッパにあった。

第二次世界大戦の敗戦時に、敗戦国の財産として、フランスの管理下に置かれた。


いろいろあったが、日本に返却するときの条件が、ちゃんと管理を行える美術館の建造だった。

それで作られたのが、国立西洋美術館。




ギャラリートークは楽しかったが、同時に速足で美術館の全貌を見せてくれたので、「朝のペースで見ていたら一日では見終わらない」と分かった。


中庭で終了となったので、そのまま一旦外に出て昼ご飯にする。

そして、もう一度常設展へ。常設展は、一日の間何度でも出入りできる。



さて、宗教画から貴族の肖像画などが中心の時代を見終え、その後の時代に入る。

ギャラリートークでも最初に説明してくれた絵は、貴族の家を飾る、四季の連作として描かれた一枚だった。


だんだん、絵の内容…テーマが自由になっていく。風景を描いた絵や、狩猟風景を描いた絵など。作者が美しいと思ったものを絵にとどめ、それが評価されれば買い手が付く時代。

逆に言えば、もう宗教や貴族はパトロンではなく、絵描きが自分の才能を金に換える方法を、自分自身で探さないといけない時代にもなっていく。


絵の技術は十分に高まり、本物のように美しい絵も現れ始める。




そして、印象派の時代へ。

本物と見間違うような美しい絵、というのが当たり前になってくると、差別化するのは「作者の視点」になってくる。あえてリアルを外し、絵ならではの美しさを求め始める。


…マネの「ブラン氏の肖像」リアルとは程遠いよね。陰影とか少なくて、アニメ絵っぽさもある。

しかし、それによって描きたい人物がはっきりとわかるし、彼の伊達男っぷりも…とにかく明るい、薄っぺらい印象の人なのかもしれない、というようなことまで思ってしまう。


モネになると、さらに進んで、「絵である」ことを主張し始める。

あえて筆の跡を残し、そこかしこに筆者の痕跡を残し始める。


リアルを求めるのであれば、だれが描いても同じものになってしまう。だからこそ、作者の痕跡が重要なものとなり始めたのだ。


で、ここからは今回初めて知ったこと。モネの絵が飾ってある部屋の片隅の QR コード解説に書いてあった受け売りだけど。


ロダンとモネは、誕生日が近くて、仲が良かったそうだ。

絵と彫刻で分野は違うけど、同じ芸術家としてよく話をしたらしい。


そして、二人とも同じ方向性を持ち始める。モネは筆の跡を残すようになっていき、ロダンは粘土に指の跡を残すようになっていく。

なるほど、言われてみれば同じような手法だが、説明されるまで一切気づいていなかった。


美術作品を、頭でわかろうとするな、見て感じろ、という人がいるのだけど、こういう話は見ても感じられない。

でも、知識を持ってから見ると、非常に面白い。美術の好き嫌いは自分の感性に従えばよいのだけど、頭でわかることは大切だと思う。




その後も徐々に時代が進んでいく。日本の影響を受けた、ジャポニズムの時代のあたりは面白い。

西洋の絵なのに、掛け軸のように縦長で、署名まで縦書きしていたりする作品がある。



最後に、近代の作品。ピカソとか、ムンクとか。


ピカソのキュビズムが壮大な実験だ、というのはよく知られているのだけど、飾られていた中に、もっと晩年の作品があった。

ピカソの晩年は、シンプルで力強い線を好むようになるんだよね。で、やたらと男にチンコを描きたがる。


若いころは、無茶苦茶な絵に見えても、性的モチーフはそれほど描かなかったのにね。


あれは、性的に衰えてきた老人が、まだまだ若いところを見せようとわざと性的なものを見せびらかしているんだと思う、と僕が言ったら、妻も「そうそう、街中にいるような露出狂も、性的に自信がない人の方が多い」と同意。妻、若いころはよく露出狂に近寄られていたので、撃退方法も心得てます。


チンコ、という言葉に、さすがに高校生の長女は恥ずかしそうな反応だけど、「ピカソ、完全に迷惑老人じゃん」と。

うん、実際女性関係だらしなくて、周囲に迷惑かけていた人だからね。


しかし、この時代になると「作者の痕跡を残す」どころではなく、作者の個性がむき出しになっている。

それもまた面白い。



あと、やはり近代の作品で、絵の具を盛り付けるように塗ってある作品を並べてある一角があった。

これも、流行した技法なんだよね。特に白を盛り上げるのが流行したみたいだけど、別の色もある。


絵の具の「減色混合」では決して表せない、輝くような光を表現するための技法。

白を盛り上げて塗りたくることで、白の表面で光が乱反射し、輝きを表現できる。

また、盛り上げることで、立体的な描画も可能としている。


ここら辺、美術の教科書で見てもわからない。本物を見てやっと価値が分かるものだ。



…と、こんなあたりで展示はおしまい。




最後に、今回一番「興味深かった」絵を紹介。西洋美術館の WEB ページにも紹介があるので、リンクしておく。拡大もできるので、是非見てみて。


三連祭壇画:キリスト磔刑


宗教画なのだけど、リアルに描かれるようになった後の作品。


僕が注目したのは、中央で磔になっているキリストの右側、槍を持っている人物。


キリストの右わき腹には、傷跡がある。これは、聖書でも磔刑のあとに、死んだか確かめるために兵士が右脇腹を槍で刺した、とある。


恐らく、キリストの右に描かれる、槍を持った人物がその兵士なのだろう。

兵士は「無名の兵士」とされるが、のちに名前を与えられ、ロンギヌスと呼ばれる。


「ロンギヌスの槍」というのはキリストの血が付いた聖遺物の一つとされて、中二病な小説なんかだと強い武器の名前になっていたりするね。



で、その彼だが、この服装は一体何か。

リンク先で画像を表示して、ズームしてよく見ていただきたい。


明かに服を着ている。というか、これは服ではなく鎧だと思う。

しかし、腹筋は見えるし、へそも見える。WEB の画像ではわかりにくいが、乳首まで見えているのだ。


さらに書く。当時は男でもスカートをはくのは普通だし、スカート状の鎧もある。彼が来ているのもそうした鎧に見える。

しかし、このスカートが、腰の周囲にあるのではなく、足にまとわりつくように股の部分がはっきりわかるんだよね。



最近の男性向けのイラストなどで、女の子が「服を着ている」にもかかわらず、服越しに「へそがくぼんで見えている」物がある。

同様に、スカートをはいているのに、股の位置がはっきりわかるように描かれる絵もある。


衣服がどんなに張り付いてもへその中まで張り付くことはないと思うし、立っている状態でスカートが股にへばりつくこともない。

どちらも、「ちゃんと服を着ている」と言いながら、裸を連想させるための書き方なのだと思っている。


そういうのは最近のエロイラストの描き方の一つだと思っていたのだが、16世紀前半にすでにそういう絵が描かれているとは…。


しかも、ここでは女の子ではなく、おっさんのへそと乳首が見えてるんだよね。誰得なんだろう。

最近のエロイラストみたいな描き方が16世紀にあった、というだけでなく、最近のものだと思われている腐女子も、すでにいたのかもしれない。


性癖は時代を超える。


茶化しているように見えるかもしれないけど、結構本気で書いてる。

エロって、人間が生物である以上、非常に魅力的なコンテンツだからね。


現代人が欲しているものを、16世紀の人も同様に欲していても、何ら不思議はない。


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鎌倉アルプス  2024-03-22 18:19:24  旅行記 家族

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水曜日の20日、春分の日でお休みだった。


また家族でどこか行こうか、と思ったが、長女は部活が忙しいらしい。

面白そうなところ行くのはいっしょに行きたいけど、そうじゃないなら家族が出掛けても良いという。


じゃぁ、次女がソフトクリーム食べたがっているから、食べに行くか…と思ったが、これは長女も興味あり。

以前から家族で行きたいと思っていた、観音崎自然博物館行くか…と思ったが、これも長女は興味あり。


港南台まで山歩きするか、と言うと、それなら行ってきてよい、と許可が下りた。

これが前日朝の話。




前日、次女は学校でレクリエーション大会があったらしい。年度末だからもう授業はあまりないのね。

それで散々球技やったり走ったりして、筋肉痛になりそうだという。


…20日の朝、案の定全身筋肉痛。次女は結構ひ弱。

とても山歩きはできないからみんなで行ってきて、という。


次女なら昼ご飯は自分で作って食べられるから、留守番を任せて、僕と妻と、一番山歩きをしたがっていた長男の3人で、お弁当を持って出かける。




鎌倉アルプス、というのはたいそうな名前なのだが、家の近所の裏山感覚なのだ。

どちらかと言えば、六国見山の方が近いし気軽に登れるから、こちらの方が裏山っぽいのだけど。


鎌倉アルプス、こと「天園ハイキングコース」は、家から歩くと 20分くらいのところに途中入り口がある。

鎌倉方面に行くと、すぐに建長寺の中に出てしまう。今回は天園方面に向かう。


…まぁ、詳細は面倒だから省こう。ひたすら山歩きだ。


子供たちが子供のころに、同じコースを2回歩いたことがある。子供の足ではしょっちゅう休憩になり、一日がかりではあったが、保育園児でも歩けるコースではある。

今回は、3時間半くらい。10時ごろでかけて、午後早い時間に歩き終わった。




何度覚えても忘れてしまう。

大平山は、鎌倉市の最高峰だそうだ。


大平山はピークが2カ所にあり、片方は鎌倉市、片方は横浜市なんだよ…

それで、大平山は横浜市の山だ、という説が出回ったこともあったんだよ…


以前は鎌倉市側に「山頂」と書いた看板があったのだが、この噂があったころに架け替えられ、今は「鎌倉市最高地点」に変わっている。横浜の山だとしたら、鎌倉市側には山頂はないので。


だけど、今ネットで調べる限り、やはり大平山は鎌倉市での最高峰、ということになっている。

そして、横浜側のピークは、横浜市の最高地点。ハイキングコースの横浜に入った側のピーク地点にも、そこは横浜市の最高地点であり、大平山は鎌倉の山という説明書きがあった。


…まぁ、覚えても特に意味はないので、ここに書き記してもまた忘れると思う。


あ、今調べていて知った。


神奈川県のページには、大平山は「横浜市最高峰」とある。

…同じページ内に、「鎌倉市最高峰」とも書いてあるな。


うん。やはり、横浜市か鎌倉市か、判然としていないようだ…




さて、大平山を過ぎてすぐに天園がある。茶屋があったのだけど、しばらく前から営業を休止しているそうで、寂れていた。



僕は子供のころボーイスカウトをやっていたのだが、毎年大みそかの夜から元旦にかけて、オーバーナイトハイクというものをやっていた。


本郷台駅から出発して、港南台まで歩き、今回歩いたコースを逆にたどって江の島まで行って、初日の出を見るの。


天園は、深夜に行っても明かりがついていて、大人たちが楽しそうに話をしていた。

まぁ、深夜営業なんて年越しの時だけだったと思うのだけど、山の中に急に明るくて楽しげな場所がある、というのが、毎回印象的だったのを覚えている。


寂れてしまっている今は、その面影はない。



天園を過ぎたあたりで、ハイキングコースを外れて港南台方面に向かう。

そのあたりから、鎌倉霊園を見ながらひたすら歩き続ける。なんか、ずっとお墓の横を歩いている気分になる。




横浜市側に入ると、いくつかのコースがある。ビートルズトレイル、というコースを通る。

鎌倉市よりお金持っているから、山道も横浜市側の方が整備されているんだよね。


そういえば、今回は山のいたるところで、2019年の台風被害の痕跡が残っていた。

我が家でもベランダが壊れる被害にあったのだが、山の中では、大木が倒壊した箇所、山道が崩落した箇所が数カ所あったそうで、その後2年くらいハイキングコースが立ち入り禁止になっていたはず。


コロナの影響で、山道の補修に予算が回らなかった、という事情もあるのだけど。



一番驚いたのは、結構大きい木が横倒しに…なっているのだけど、根っこが想像と違う形をしていたもの。


鎌倉近辺の山は、鎌倉石、と呼ばれる砂岩でおおわれている場所が結構多くて、そういう場所に生えた木だったのね。

そして、生えたものの、下が石なので根っこが入らない。根は横に伸びて、その上に落ち葉が土を作って、薄いわずかな土の上に生えていた状態になっていたようだ。

これが、その「横に広がった根っこ」ごと、土も一緒に風で倒れた。当然板のように平たく張り巡らされた根っこも空中に浮いているわけで…不思議な光景になっていた。




ハイキングコースも終点に近づいたところで、大丸山がある。

これは、横浜市の最高峰。先に書いた、大平山のピーク位置の方が、横浜市としては「最高地点」らしいのだが、あれは横浜市の山ではない、というのが横浜市の見解なので、大丸山が最高峰、という扱い。


ちなみに、大丸山が標高 156.8m、大平山が 159.4m、参考として六国見山は 147m で、横浜ランドマークタワーの展望フロアは 273m だ。

横浜市最高地点はランドマークタワーで、自然地形なら大平山、最高峰が大丸山、という状態。



今回、大丸山のあたりで、時間は 11時40分だった。山頂でご飯食べよう、と言いながら登る。


前回、子供たちが小さなころに大丸山に上った時は、確か山頂でカップラーメン食べてる人がいた。

…という話をしながら登ったら、今回もカップラーメン食べている人がいた。

大丸山はそういう場所なのか?




食事後、歩き始めてすぐに、円海山から市街地に抜ける。


アスファルト道路になると、歩いていて足が痛い、と長男がいう。

山道って、柔らかいから足に優しいんだよね。


しかしじきに駅前。

せっかくだからお土産に何か買う? と妻が言うので港南台バーズなど見たが、特にめぼしいものがないので、さっさと電車に乗って帰宅。




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FireBird 購入  2024-03-26 19:38:01  コンピュータ 歯車

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衝動買いしちまったぜ。


ある日、ネットでたまたま、FireBird という同人基板の存在を知った。


FireBird For Pro-Controller v2.0 【プロコン型基板】


Nintendo Switch の、Proコントローラーは評判が悪い。

いや、出来はいいんだよ。非常に使いやすいし十分な性能だと思う。


でも、耐久性が低いのだ。半年も使っていると調子が悪くなる。

7千円もするのに、半年ごとに買い替えるなんてできない。


耐久性が低い、というのは、アナログスティックが正しく反応しなくなる、という現象として現れる。

意図しない方向に勝手に進んでしまうこの現象、一般に「ドリフト」と呼ばれている。




我が家でも、純正品3台、互換品1台を購入している。


純正品は、時々任天堂に修理に送る。新品を買うよりは安いからだ。

でも、面倒くさい。修理の間遊べない、というのもつまらないので、複数台あることに意味がある。


純正品は高いので、一度互換品に手を出したが、振動が違う。

Proコンの振動は非常に繊細で、HD振動と名付けられている。

そして、各種ゲームではこの振動を非常に効果的に使っているのだ。

振動が違う、というのはゲーム体験を損なう。


互換品で、この振動を正しく再現しているものに、まだお目にかかっていなかった。



ところで、純正品は自分で分解して修理を試みたこともある。

修理というか、オーバーホールだな。清掃すると、少し良くなる。

でも、根本解決ではないし、面倒くさい割には効果が薄い。


そして、実は純正品のうち一部は、分解したときに基板を傷つけてしまい、動かなくなっていた。

任天堂に修理出せば治してくれるだろうけど、さすがに基板交換だし、開けるなって怒られそうだなぁ…

と思い、使えないまま死蔵されていた。




さて、そんな状況で、FireBird の記事を読んだのだ。


Proコンの基板を交換するもので、HD振動にも対応しているという。

一番の売りは、ドリフトが起きにくい部品を使っているということ。


これだ。基板が壊れているが、それ以外の部品は生きているのだ。これを買えば復活できる。


秋葉原のショップで通信販売している、というので見に行ったら売り切れていた。

作者の方が、BOOTH でも販売しているというので見に行ったら、在庫わずかだったので即決で購入した。



…で、購入してからさらに情報を調べる。

先に書いておけば、思ったほど理想的なものではなかった。


HD振動に対応している、とあるが、純正部品を取り外してはんだ付けの必要がある。


もしくは、Proコンではなく、Switch の特徴であるジョイコンを2つ壊して、中のHD振動素子を取り出す。

こちらの場合はコネクタ付けになっていて、FireBird にはこのコネクタを差し込む部分が用意されている。


一番の問題点は、無線に対応していないことだろう。

今時のゲーム機は、コントローラーが無線だ。でも、FireBird は USB 接続の有線にしか対応していない。


いや、もっと潔いことに、USB ケーブルを直接はんだ付けして、コントローラーから直接「線を出す」こともできるそうだ。USB特有の接触不良でゲーム中に操作不能にならないように、という配慮。


有線にすることで、純正の Proコントローラーよりも、信号の遅延を少なくしているそうだ。

無線がない、というのは、デメリットではなくメリットとして作られているようだ。




さて、届いたのは10日くらい前。


まず、壊れているProコンを開けて、そのまま基板を組み込んでみる。

以前も書いた気がするが、Proコンは任天堂製品にしては珍しく、ただのプラスドライバーで開けられるようになっている。

開けると保証は利かなくなるが、基板にメッセージが書いてあったりするあたり、積極的に開けて、と言わんばかりだ。


リボンケーブルのコネクタの扱いとか、少し知識が必要な部分はあるかもしれないが、特に難しいところもなく換装完了。

この時点で、まだ HD 振動は付けていないが、代わりの振動モーターは付いている。


で、さっそく Switch につなげて、コントローラーの動作を見てみる。


…アナログスティックをぐりぐりしても、綺麗に円を描くように動かない。

最初はキャリブレーションが必要なようだ。




Windows 用にツールが提供されているので、ダウンロードする。

Switch のコントローラーを Windows に接続し、このツールを使うと、いろいろな設定ができる。


まずはキャリブレーション。指示通りにコントローラーをぐりぐり動かすと、可動範囲を認識して、それが最大幅になるように出力値を調整してくれる。



FireBird はいわゆる「ゲーミングコントローラー」で、無駄に LED を光らせられる。

でも、アナログスティック周り以外は、純正の部品のままでは光が外に見えないようだ。

内部で光っているのはよく観察すればわかるが、ボタン部分ってゴムのシート使っているから、光がさえぎられる。


というわけで、光っても無駄な部分は光らないように設定する。

それ以外も全部光らないようにしようと思ったが、光っているのが案外家族受けが良かったので、見える部分は一番暗い設定で光らせる。その程度で十分。


色はランダムで。自由に色を出せる LED 使っているので、七色に光る。



他にもいろいろ設定項目があるが、ここで説明しても面白くないので割愛。

このコントローラーが、ゲームにこだわりがある人向けにできていることがよくわかる。




さて、実際使ってみると、いい感じなのだが、やっぱり HD振動が無いと使い勝手が悪い。


ここで忙しさのために一週間ほど放置し、先日の日曜日に HD振動の取り付けを行った。


と言っても、元の基板からニッパーで切り離して、FireBird に用意されている、はんだ付け用のランドにつけるだけ。極性はないので間違える心配はない。

元からついているモーターは、ニッパーで切り離す。


Windows 用のツールで、HD振動の素子が付けられている、ということを認識させる。


これで使ってみると、振動が強い。

ツールで振動の強さも変えられるので、10段階のうちの5にしてみたが、まだ強い。

3にしてみたら、少し強いが大体純正品と同じくらい。 2でもいいのかもしれないけど、とりあえず3のまま使っている。




その後数日使っているが、設定さえ終わってしまえば、ごく普通のコントローラーだ。


今は、Switch に付属の 1.5m のUSB ケーブルで接続しているが、ちょっと短い。

ダイソーで 200円で 2m ケーブルを売っていたので、今度買って来よう。




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母三回忌  2024-03-31 17:44:16  家族

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母の三回忌法要が行われた。


昨日、3月30日の土曜日の事。

直前の28日夜から、29日の午前中にかけては、台風並みの大嵐だった。


しかし、30日は穏やかな晴天。台風一過と同じですね。


我が家からの参加者は僕のみ。

子供たちが物心ついたころには母の痴呆が始まっていて、余り想い出ないからね。



長姉夫婦に、駅からの車での送迎をお願いされていた。

父母の菩提寺は我が家からそれほど遠くない場所にあるので僕は車で行けるのだが、遠方からくる兄弟にとっては、駅からの交通手段が難しいのだ。


次兄は駅からバスで行く、と言っていたが、こちらもお寺で合流後の交通手段は頼まれていた。



午後1時からお寺で法要。

墓は少し離れた市民霊園にある。住職さんにもそちらに移動してもらい、墓でも法要。

話としては、これで終わり。




久しぶりに兄弟が集まるので、この後食事をしよう、と長兄が手配してくれていた。

しかし、お店の予約時刻まで1時間半もあった。ちょっと早い。


どうしよう、と話をしていたら、次兄から「美空ひばりのお墓を見てみないか」と提案。

じつは、同じ市民霊園内にあるのは知っているのだが、行ったことはない。


父は美空ひばりのファンであったが、父も同じ霊園内にあることは知っていながら、見に行ったことはなかったんだよね。


しかし場所がわからない。

調べてみると、お墓の管理を任している石材店さんのウェブページに案内動画が載っていた。

しかし、これを見てもよくわからない。


墓参りの際に借りていた水桶などを返すついでに、美空ひばりのお墓について聞いてみた。

そうしたら、ちょうど話をした方が、この動画をアップした本人だった。

なんとなくの位置を聞いて、行ってみる。




案内動画もわかりにくいし、話に聞いた位置案内もよくわからなかったので、少し道に迷った。

別に石材店さんが悪いのではなくて、お墓の中なので似たような光景ばかりで分かりにくいのだ。


どうもこっちっぽいな…と進んだところにあった地図に、「美空ひばりの墓」とわざわざ書かれていた。

でも、この地図も主目的は墓の位置を示すことではなかったので、詳細位置がわからない。


どうもこのあたりだろう…というあたりを、親戚一同で探す。

そして、見つけた。


美空ひばりは芸名で、本名は加藤和枝。だから、加藤家の墓になる。

これはわかっていたのだけど、加藤って名前の墓、多すぎるよ…


そして、美空ひばりの墓だからと言って、特に大きくて立派ということもない。だからわかりにくい。

ただ、明らかにこれだ、と決め手になったのは、墓に入れないように門がついていて、中に立派な花束が所狭しと置いてあったから。

また、門の前に線香を置く焼香台があり、火のついた線香があった。今でもファンが訪れ続け、献花や焼香が絶えないようだ。


門から中に入ってはいけないのに花が沢山あるのはなぜだろう、とも少し思ったが、門の前に水が入った桶がいくつか置いてあった。

つまり、花束はここに入れておけば、管理している人が中に置いてくれるのだろう。


急に来たので線香の持ち合わせがなかった。さっき我が家の墓で全部使ってしまった。

…と思ったら、焼香台のところに箱があって、線香とマッチも置いてあった。自由に使っていいようだ。

ろうそくも置いてあったが、皆で線香を1本ずつ備える。




こんなことをしているうちに良い時間になった。会食の場所に移動。


去年行った一周忌では、九つ井で会食した。有名なお蕎麦屋さんだが、そばに限らず懐石料理なども出している。

今年は侘助。同じところだよね…と思っていたら、違った。


すぐ隣にあって、侘助もお蕎麦屋さん。だから僕は、九つ井が経営している、別のスタイルのお店なんだと思っていた。でも、全く違う経営母体のお店。


こちらも、懐石料理なども出している。非常においしかった。




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牧場ソフトクリーム  2024-03-31 18:20:57  家族

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次女が、牧場のソフトクリーム食べたい、と言ったのは去年の夏の話。


小学校の修学旅行で行った日光で、牧場のソフトクリームを食べたのだそうだ。

濃厚でとてもおいしかった、と。それを、夏の暑いころに思い出したのだった。


昨年夏は、長男が大学受験でとても旅行に行ける状態ではなかった。

単にソフトクリームなら食べられるけど、牧場の、となると旅行になってしまうし、とても無理だよ、とその時は言っておいた。




長男の大学受験は終わった。

次年度は、次女が高校受験生となる。


じゃぁ、この春休みの間に旅行にでも行こうか、と思っていたのだが、長女が高校の部活で忙しいという。

大事な発表会があり、部員一丸となって追い込みになったのだ。


とても旅行になどいけない。


次女が、牧場のアイス食べたい、と言った。春になれば旅行に行けるだろうと思って楽しみにしていたそうなのだが、どうも無理だと判ったら、余計に食べたくなったという。


うーん、どうにかしてやりたい。牧場のは無理でも、美味しいソフトクリームならよい、というので、近所で評判のソフトクリームが無いか探してみる。


…結構近所に牧場があり、直営のソフトクリームショップがある、と知った。車で 30分かからない。


じゃぁ食べに行こうか、と話をしていたら、長女も食べたいという。先に書いたように高校の部活で忙しいので、それが終わったらみんなで行こう、となった。


で、今日やっと行くことができた。

3月末ではあるが、25度を記録した夏日だった。

ソフトクリームを味わうにはちょうどいい。




横浜市戸塚区には牧場が多いのだそうだ。


横須賀総武快速に乗ると、東戸塚駅の手前で牛が見える。

こんな町中に牧場がある、というのは気になっていたが、それ以外にもたくさんあるのだそうだ。


西洋人は日常の食生活の中に「ミルク」が当たり前に入っている。

日本人がミソを当然のものとして使うように、西洋ではミルクがあって当然なのだ。


そのため、横浜が開港し、西洋人が住み始めたときに、ミルクを供給する体制がすぐに整えられた。

その時に牧場が作られたのが戸塚区のあたりで、今でも小さい牧場が点在しているのだとか。



今回アイスクリームを食べに行ったのは、小野牧場さんの経営する、横浜アイスクリーム工房本店。

普通に町中にある。牧場も近くにあるが、少し離れている場所。




ソフトクリームの味は1種類のみ。牧場直営なので、非常に濃厚で美味しかった。

恐らく乳脂肪分が多いのだろう。乳脂肪分が増えると溶けやすくなるため、流通には向かない。作ってすぐ提供するスタイルでないと出せない味わいだ。


で、ジェラートがいろいろな味がある。

ジェラートとソフトクリームを一緒にした、「ソフトトップ」なんていうメニューもあるので、両方の味を楽しみやすい。



長男はソフトクリームを注文。基本的な味をちゃんと確認したかったそうだ。コーンの上にのせてくれるのはこれだけ。


次女と僕はソフトトップで、ジェラート部分は、チョコミントと抹茶。

長女はサンデー。これは、ソフトクリームの上にソースがかかる。キャラメル味を頼んだ。


妻はダブルワッフル。この中では一番の豪華メニュー。

焼きたてのベルギーワッフル2つに、ソフトクリームとジェラートが付く。ジェラートはほうじ茶味を選択。


で、みんなで各味を分け合って食べる。どの味も美味しい。


ただ、ジェラートは思っていた「ジェラート」と違う。

牧場だから、ミルク多めに入れて、そうすると柔らかくなるのでよく空気含ませてるよね。

世間ではそれをアイスクリームと呼ぶ。


(ジェラートとアイスクリームの違いは、乳脂肪分と空気の含有量)




さて、ソフトクリームを食べるのが目的で外出して、大満足だが、食べ終わったところで昼頃。


じつは、次女はもう一つ「ミスドでラーメン食べたい」という要望を出していた。


こちらも、コロナ禍以降外出することが少なく、ミスド自体は買って帰ることで何度か食べているのだが、ラーメンなどはイートインでしか食べれないからだ。


ソフトクリーム屋から最寄りのミスドは、戸塚駅のショッピングモールである、「トツカーナモール」内にある。

トツカーナモール、完成から 14年になるが、実はまだ行ったことが無かった。


それ以前は時々戸塚に行っていたのよ。でも、ちょうどトツカーナ完成のころに次女が生まれ、子供三人抱えての外出は難しくなった。

それでも戸塚に行った覚えはあるのだが、目的地が別の場所だったりで、駅前のショッピングモールには入っていなかった。



調べると、トツカーナの駐車場は高い。

駅の逆側にある、アピタの駐車場が安いのでそちらに停める。後で買い物すればいいだろう。


で、少し歩いてミスドへ。




ところで、戸塚駅の近くを流れる柏尾川は護岸に桜が植えられ、花見の名所でもある。

長女が「花見したい」というので、もし花が咲いていたら、ラーメンは別の機会にして、ドーナツをテイクアウトして花見をしよう、ということになっていた。

これは次女は少し不服そうだったが、今日はすでに「ソフトクリーム食べたい」という次女の願いは叶えている。それでよい、ということになっていた。


駅が近づいて確認すると、まだ桜はほとんど咲いていない。花見には早すぎる。

じゃぁイートインで、となったら次女は大喜び。



抹茶好きの長女は、ミスドでちょうどやっている抹茶味のフェアを楽しみにしていた。

あと、半年ほど「世界のスープ麺」という特別メニューがあったらしく、最終日だった。


思い思いにたくさんのドーナツと、次女が食べたがっていた坦々麺、長男はブイヤベース麺を注文。

美味しかった。




アピタに戻り、長女が普段使いのバッグを欲しがっていたというので、バッグ売り場を見る。

ちょうどいいものがあった。


今は、長女が出掛ける時のバッグとして、妻が使っていた肩掛けの小さなバッグを使っていた。

ただ、これは少し小さいという。


店の人に断ったうえで、長女の気に入ったバッグに、いま持ち歩いているものをいれさせてもらう。

全部入った上で結構余裕がある。これが使いやすそうだというので購入。

駐車場料金はこれで無料になった。


簡単なお出かけではあったが、家族みんなで出かけて楽しめた。

結局春休みに旅行はいけなかったが、満足。



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