2024年01月の日記です

目次

01日 あけましておめでとうございます
03日 地震と空港事故
05日 【訃報】ニクラウス・ヴィルト
08日 正月休みに遊んだゲーム
09日 パラレルポート
17日 掃除機
21日 3週間
31日 風邪惹き


あけましておめでとうございます  2024-01-01 09:54:10  料理 家族

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あけましておめでとうございます

毎年恒例、今年のおせち。


左上、一の重。紅白かまぼこと昆布巻きは既製品。

伊達巻と錦玉子は僕が作ったもの。

特に錦玉子は以前から作ってみたかったが初挑戦。美味しくできた。



右下、二の重。

田作りは妻の作。妻は千葉出身でピーナッツを入れる。

また、飴掛けの堅いのが好きでないので、砂糖を入れて焦がすことで、非常に薄いコーティングを作る。


栗きんとんはほぼ長女の作。サツマイモの裏ごしを3度も行った。

2度やるつもりだったが、最後の工程でダマができてしまったため、追加でもう一回。

栗は市販の甘露煮だが、金団部分が凄く滑らかでおいしい。


数の子入り松前漬けは、ほぼ既製品の組み合わせ。僕が仕上げた。

いくらは、秋に僕が筋子から作って冷凍して置いたもの。

今年のいくらは、適度な弾力があってとてもおいしかった。



左下、三の重。

鶏ハムは僕が作ったもの。

一昨年は塩漬けにしておくのを忘れ、昨年は塩抜きするのを忘れ、いまいちな出来だった。

今年はしっかり塩漬けにしたうえで塩抜きしたらとてもおいしい。本来の鶏ハムの味。


ハタハタの飯寿司は既製品。北海道のもの。



右上はエクストラ。

年末に買い出しに行った際に、大玉のトマトが非常に安かったので、皮を湯剥きして出汁醤油につけてみた。

思ったより出汁の味が染みなかったが、うまい。

ゆで卵は、その際に一緒に出汁につけたもの。


合鴨のパストラミは既製品。

その隣の、豚の角煮も既製品。



#買ってあったのに黒豆出しわすれた。今説明書いていて気づいた。


#3日に追記。妻が作った、金柑の密煮も出し忘れていた。庭にある金柑を調理したもの。




昨年末は何かと忙しかった。

おかげで、大掃除終ってない。主要なところはやったので別にそれでいいのだけど、レンジフード洗い忘れている、と夜になってから気づいた。


28日に仕事納めだったのだが、その夜にトラブルが発覚、29日には対応作業に追われていた。



昨年の家事ルーチンワーク。

長男は塾、長女は学校で、6時半には起こすので、それまでに朝食と弁当を作る。

これをやるためには、4時半起き。


その後、子供たちを送り出して9時には二度寝。

30分ほどで起きて10時から仕事。


夜は、次女の塾がある日は送り迎え。帰ってくるのは10時過ぎ。それから夜食。

次女の塾が無くても、長男の塾帰りが遅い日は、やはり10時頃から夜食。


その間に僕は風呂に入り、出てから皿洗い。翌朝の準備も整えて寝るのは11時半。

…そして、4時半起き。5時間しか寝られない。実際にはそれより短い。

(だから朝二度寝しているのだ)


まぁ、これは毎日の事だから別にいいのだけど、正月三が日の間は「4時半に起きる必要がない」というだけで嬉しい。


もっとも、昨日は大みそかで寝るのが遅くなり、12時過ぎ。今朝起きたのは5時。

結局いつもと同じくらいしか寝ていない。


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06年 あけましておめでとうございます

13年 あけましておめでとうございます

15年 あけましておめでとうございます

16年 あけましておめでとうございます

17年 あけましておめでとうございます

18年 あけましておめでとうございます

19年 あけましておめでとうございます

21年 あけましておめでとうございます

23年 あけましておめでとうございます。


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

地震と空港事故  2024-01-03 11:26:36  その他

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今年は元日から大事件が相次ぐので、記録のために書いておこう。


まず、元日の16時7分、能登半島で震度5の地震があった。


僕はテレビで、ゼルダの伝説(ティアキン)遊んでた。お話は終わらせて、世界を楽しんでいるところ。

スマホに災害情報のアプリを入れていて、自分の地域でなくても大きな地震があった時は通知するようにしている。


で、震度5か。正月から現地の人は大変だな、と思いつつ、ゲーム続行。


すぐ直後、16時11分に、もう一度アラートが鳴る。能登半島で震度6。

これはゲーム遊んでいる状況ではないな、とセーブしてすぐやめ、テレビをNHKに合わせる。


速報番組やっていた。11分の地震はすぐに震度7に上方修正された。

この地震は数時間後に、令和6年能登半島地震と命名された。




津波警報が出され、アナウンサーが必死に避難を呼びかけていた。

しかし、情報が少なすぎて、アナウンサーも言葉を選びながら繰り返し同じことを伝えている。


普段聞かないアナウンサーの声で、正月なので有事対応のための宿直が対応しているのだろう、と感じる。

やがて津波警報は、大津波警報に変わった。


東日本震災を思い出して、今すぐ避難をと呼びかける。

今すぐこのテレビを消して避難を、と言いかけてから、いや、テレビそのままでいいから避難を、と呼びかける。


30分もすると、解説員がスタジオに到着したようで、冷静に今の状況や過去の事例を比較しながら、今すぐ避難を、と呼びかける形式に変わった。

科学的説得力は増すが、結論は変わらない。


しばらくテレビを見ていたが、1時間もすると新しい情報はなくなる。

まだ状況が全然つかめていないころだ。気にはなるのでスマホで radiko を使ってNHKを聞きながら、ゲーム再開。




すぐ夕食の時間になったが、夕食中もテレビを見ていた。


市街地で火事、という速報映像が入ったが、まだどこが燃えているなどわからない状況。

7階建ての大きなビルが倒れ、隣の建物をつぶしていると救助要請が入った、という言葉でのニュースもあったが、どのような状況かはわからない。


当初は能登半島が注目されていたが、新潟などでも被害が出ていると伝え始めた。

こちらは映像も多い。能登半島は混乱していてスタッフの派遣もままならないのだろう。




夜遅い時間になってから、旧ツイッター、X での偽情報に注意、と呼びかけ始めたのだが、この時点での報道姿勢には疑問があったので特に詳しく書く。


災害時にはよくあることだが、ツイッターで偽の情報が出回っているので、惑わされないように注意、との呼びかけ。


この時点で、NHK は一つのツイートを画面に大写しにし、「偽情報」と大きく書いていた。


ツイートの内容を読むと、以下のようなもの。(記憶で書くので文面などはそのままではない)


「地震でNHKのアナウンサーが必至で津波からの避難を呼びかけている。現地の人はとにかく逃げて。」

という文面とともに、短い津波の動画が付けられている。


NHK によれば、この津波動画は東日本震災の時のもので、「関係のない動画をつけて人心を惑わす、悪質な偽情報」という扱いだった。



いや、それさっきNHKのアナウンサーが「東日本震災を思い出してください」と叫び続けていたから、ツイート主がその時の動画を見つけてきてつけたものでしょ。


この動画が過去のものだ、という注釈がないのは、ツイート主の言葉足らずかもしれない。

でも、NHKの「意図を汲んだ」良ツイートだ。これを偽だと断定するのであれば、NHKが偽情報を流していた、ということになる。


NHK内部でも指摘するものがあったのか、数時間後には「偽情報」についての呼びかけの際に使われるツイートが違うものになった。

そちらは、混乱に乗じて注目を浴びようとするタイプの、全くの偽情報だった。



ところで、初期段階で頑張っていたアナウンサー氏の発言には、科学的知識が欠如したものや、前提をすっ飛ばしたものも多かったことを付記しておく。


たとえば、彼女は「電源なんてそのままでいいから避難を」と呼びかけた。

でも、NHK はのちに、「電源が入ったまま放置された家電品が火災を起こすことがある」という、通電火災の危険性を伝えていた。

彼女は偽情報を流したとして糾弾されるべきか?


いや、そうではないだろう。

彼女は自分の責任を全うして、人命最優先の呼びかけを行った。だから、多少知識不足があったとしても、前提が抜け落ちても、呼びかけをしなかったよりもずっと良い。褒められこそすれ、糾弾されるべきではない。



でも、「言葉足らずだった」という点では、NHK が偽情報だと断定したツイートとあまり変わらない。


NHK はアナウンサーの彼女の行った呼びかけを偽だとは言わないだろうし、実際偽情報などではない。

それと同じくらい、NHK が偽だと断定したツイートは、偽情報ではなかった。


つまりNHKの「偽」という指摘が偽だ。

偽情報に気を付けるように、という呼びかけを行うNHK自身が、偽情報を流しているのだ。



「デマ」に関しては、東日本震災の時に一度書いているので、リンクしておく。

この問題、簡単に断定してよいようなものではないよ。

何がデマで、何がデマでないのか。



夜になってしまうと情報は入りづらい。ニュースが繰り返しになったので、この日は就寝。




正月2日。正月なのでゆっくり寝ていたいのだが、5時半に目が覚めてしまった。

いつもは4時半に起きねばならないので、自然に目が覚めてしまうのだ。


普段は家事をしながら、アマゾンPrimeでアニメなどみてる。

しかし、この日は情報が気になるので、NHK+ アプリでリアルタイムのニュースを見る。


まだ昨夜と情報があまり変わらない。

この時点で、死者4名、と報じられていたが、災害の時は夜がけてから調査が行われ、一気に増える。

この人数でとどまらないという諦念はあった。


8時ごろから、次々情報が入り始める。死者は6名になり、すぐに8名になった。


倒れたという7階建てのビルの映像が入る。思っていたのと違う、思いっきり横倒しになっていた。

火災の現場も、市街地中央の朝市通りだという。昔観光で行ったことがある。


火災に巻き込まれた件数は、6時ごろには50件超と伝えられていたが、8時ごろには100件超になり、9時ごろには200件超になっていた。


あちこちで崩れた山、実際の津波の被害映像も届き始める。

津波が陸上にまで到達しなかったのは幸いだが、砂浜にあった建造物や、港の船、防波堤などが大きく被害を受けている。


11時には、死者数が15名と発表された。倍々ペースで増えている。



#4日に追記。津波被害については、執筆時点で十分な認識がされていなかっただけだった。その後の情報で、陸上・街中でも津波の被害にあった建物など見つかっている。




さて、気になってずっとテレビをつけていたが、この間に「お正月らしい」こともしている。


昼過ぎから、子供たちとボードゲーム大会。街コロとカルカソンヌを遊んだ。

以前は時々遊んでいたのだが、子供たちも忙しくてみんな揃って遊べる時間が無くなっている。


で、「じぱんぐ島遊びたい」という意見が出たので、3時半ごろからは「じぱんぐ島」大会。

PS1 の古いゲームなのだが、ボードゲームの名作「カタンの開拓」を、テレビゲームアレンジしたものだ。

古い PS2 を引っ張り出してきて、テレビに繋いで遊んだ。つまり、この時間はニュースを見ていなかった。



6時過ぎになり、夕飯の支度しよう、とゲーム大会は終了。

地震のニュースどうなった? とテレビをつけると、「羽田空港で旅客機炎上」というニュース速報をやっていた。



この時点で、本当に速報が始まったところ。詳しい状況が分かっておらず、アナウンサーも「旅客機が炎上している」という事実を伝えるのみ。


この数分の間にも、火の勢いがどんどん増していくのが分かる。


ただ、事故の瞬間をとらえた映像で、着陸直後から左翼のエンジンが発火していることが分かり、これなら避難は可能だろう、と思った。逃げ遅れが出なければよいのだけど。

それから数分後には、乗客は全員無事避難した、という速報も入る。


海上保安庁の飛行機の接触で、海上保安庁機に乗っていた6人の内、5人は死亡したそうだ。


これを聞いて、能登地震の支援のために現地に向かおうとしていたのではないか、と考え、すぐに自分で否定する。


能登にある空港は、すべて滑走路がひび割れてしまい使えないそうだ。

陸路も道路が寸断されており、今は海路で緊急物資を届ける算段が考えられている。


しばらく後に、海上保安庁機は新潟へ向かうところだった、と知る。

あぁ、能登ではないが、やはり地震の支援に向かうところだったのか。


この時点で正確な情報はなかったが、日記を書いている時点で調べたら、この直感であっているようだ。

海上保安庁機は、震災対応のために新潟に物資輸送するところだったらしい。

地震で困っている人々に対応しようと、正月返上で働いていた人がなくなったというのは、いたたまれない。


原因究明はまだ行われていないが、「滑走路手前で待機」と管制から海上保安庁機に伝えたが、滑走路に入ってしまっていたらしい。




元日から大地震が起き、2日には大事故があった。

年の初めの、のんびりしたい時期に、気の休まらない関係者もいることだろう。


僕としては、遠いテレビ桟敷で、無駄に状況を見守って憂慮しているだけ。何の力もない。

しかし、せめてこれは忘れてはならないことだと感じ、記録を残すものです。


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【訃報】ニクラウス・ヴィルト  2024-01-05 17:10:44  今日は何の日

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Pascal 言語の開発者、ニクラウス・ヴィルト氏が1月1日に亡くなったそうです。


過去に氏の誕生日記事として、Pascal の話など書いています。


設計の良い言語でした。

言語構造が美しいので多くの人が将来普及するだろう、と考えていたのですが、美しさというのは「勝手なことがしにくい」ことでもあります。


Pascal と同じ祖先をもちながら、言語の作りが緩く、暴走させることすら自由にできる C 言語の方が普及し、いまに至ります。




この日記は、訃報を知ったので記録のために記したのみです。



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正月休みに遊んだゲーム  2024-01-08 16:03:14  家族

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本当にどうでもいい家族日記。


正月前後に遊んだゲーム。

皆普段は忙しいが、正月はゆっくりできたので、いつもと違うゲームを遊んでいた。



Switch ではミスタードリラーアンコール。長女がひたすら遊んでただけだけど。

次女はアルセウス、長男はゼルダのブレワイを少し遊んでたけど、これはいつも通り。


僕は少しだけゼルダのティアキン遊んだが、そもそもSwitch ではほとんど遊んでない。

妻はスプラ3を結構遊んでいた。



PS2 を引っ張り出して、PS1 の「じぱんぐ島」。これは家族で何回か遊んだ。

4人プレイなので、僕と妻が交互に入る感じで、子供たち3人はいつもプレイ。


古いゲームだけど、家族みんなこのゲームが好き。



ボードゲーム。


カルカソンヌ 僕と次女が1回だけ。

ナインタイル 僕と次女が1回だけ。

シェフィ 一人用ゲームだが、僕、長男、長女が何度か遊んだ。

街コロ 僕と子供たちで数回。妻は参加せず。

ブロックス これは数回。4人用なので長男は遊ばず。

モンスターメーカー 家族で数回。3人か4人で遊んでいて、5人そろってはやってない。


キャプテンリノ どういうゲームだっけ?と長女が蓋を開けてセットを見たが、遊ばず。

百人一首 次女が和歌を覚えようとしていたが、遊びはせず。


次女がヒューゴ遊びたい、と言っていたが、時間の都合でできず。



ボードゲームはほかにも持っているのだが、面白いものは限られるよね…

単に年齢層が合わなくなった、というのもあるけど。


ピッグテンとかハリガリとか、低年齢の子がいても遊べる反面、中学生以上になるとそれほど面白くはない。



…と、こんな感じ。正月の間は、ボードゲームを入れた箱が出しっぱなしになっていた。

今日で正月は終わりという感じなので、また片付けてしまうと思う。


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パラレルポート  2024-01-09 15:04:44  コンピュータ

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アマゾンPrimeVideo で、16bitセンセーションを見た。


素晴らしい内容だったので、PC98が「国民機」だった時代を知っている人はぜひ見てほしい。


もっとも、アニメとして、当時を知らない人でも楽しめる工夫はある。

でもやっぱ基本は「当時が懐かしい」人向けだ。


当時を知っているなら、また、何らかのクリエイターであるならば、何か感じられるはずだ。



で、僕はにわかファンなのであまり感想などは語らないことにしておく。

原作は同人誌から始まって、内容が良かったのでで商業単行本になり、アニメまでなった。


その転機ごとに、当時を知らない人でも楽しめるように工夫が凝らされてきたようだ。

だから、お話としてのクオリティは高い。


でも、僕はアニメを見て楽しかった、というだけの人間なので、変に語るとファンからお叱りが来るかもしれない。


…そういいつつ、別の場所では感想書いてる




さて、あまり語らないのにわざわざ日記に書くのは、そのアニメの中で「98の後ろについている端子類」の話が出ていたからだ。

これは話の中でちょっと「知識を試す」ための枕みたいなもので、詳細についてはどうでもよいのだけど。


それで、ちょっと思い出したことがあったんだ。


当時のパソコンでは大きくて場所を取っていた端子(ポート)の一つに、プリンタポートがある。


セントロニクス・プリンタポートと呼ばれる。

セントロニクス社はアメリカのコンピューター会社だが、発売したプリンタ製品が大ヒット。

このプリンタが使用する電気信号型式・コネクタ形状が業界標準になってしまった。


といっても、素晴らしい規格をまとめた、というのではない。

文字コードを 8bit パラレルで送ることができて、プリンタ側からは、プリンタの状態を示すために5本の信号線が出ている。

他にもいろいろあるが、単純で分かりやすく、機能として十分である。


この単純さが良かった。色々なことに使えた。


しかし、いまはプリンタは USB や WiFi で接続する時代だ。

プリンタポートはもう存在していない。



ここで、ちょっとプリンタポートについて語ってみよう。




8bit 時代の FM-7 では、プリンタポートに接続するジョイスティックがあった。


先に FM-7 の特殊性を書いておく必要があるな。

FM-7 では、キーボードが、ハードウェアとしてとてもよくできていた。


通常、キーボードは一度押すとそのキーに印字された文字が入力され、押し続けると、一定時間後にキーが連打されたような動作になる。


これ、通常はソフトウェアで実現されている。キー自体は「押されている」ことしかわからない。


押されると、そのキーの文字が入力されたことにされるが、押されたままでは次の文字入力は起こらない。

しかし、内部的にタイマーを持っていて、一定時間がたつとまた入力される。

以降、短時間で繰り返し入力が行われる。


このプログラム、作ったことがある人ならわかると思うが、案外面倒くさい。

面倒くさいから、FM-7 では、キーボード側にこの仕組みが実現されており、CPU からは「キーが入力されたかどうか」だけを見ればよいようになっている。


…これが余計なお世話で、キーが入力されたかどうかしかわからない。今押されているかどうかを知る方法がないのだ。


これは特にゲームで致命的で、「押しっぱなしの間動く」が実現できない。

だから、FM-7 のゲームでは、押したら動き始めて、停止キーを押すまで動き続けるのが普通だった。

微妙な動きが必要とされるゲームとかは非常に遊びづらい。


そこで、プリンタポートにジョイスティックをつなげる。


先に書いたが、プリンタポートには、プリンタ側の状態を知るための信号線が、5つある。

これで、上下左右と、1ボタンを認識することができる。


ジョイスティックのボタンが2つになったのは、ファミコン発売以降と考えてよい。

だから、初期のゲーム用なら、ボタンが1つあればよかった。



後には、ボタンが2つのジョイスティックも発売されている。

この場合、5つの信号線では足りない。


そこで、上下左右とボタン2個のスイッチを、8個あるデータ線に接続する。

スイッチの逆側は、プリンタの信号線(何でもよいが、仮に紙切れ信号としよう)に接続されている。


これで、データ信号を 1bit づつ ON にして、紙切れ信号を見れば、ジョイスティック側のスイッチが ON か OFF かわかることになる。

上下左右と2つのボタンを調べるのに、6回データを送り、信号線を見る必要があるが、とにかく調べることはできる。



いずれの場合も、特に規格が定まっていたわけではなく、様々なジョイスティックが作られていた。

ゲームに対応したジョイスティックでないと使えない。




自分が大学生の時の話。コンピューターサークルに入っており、毎年大学祭には、自作ゲームなどを展示していた。

当時 PC-9801 は、FM音源で音楽は演奏できたが、PCMによる音声再生などはできない時代。


先輩が、98 で録音音声を再生するプログラムを作った。

録音は FM-Towns で行っていたのだけど、再生は 98 。


実は、無理やり喋らすようなソフトは当時すでにあったのだが、音声が非常に汚かった。

しかし、先輩のプログラムは美しく再生する。


仕掛けは、プリンタポートにあった。非常に簡単なハードウェアをプリンタポートに繋いであったのだ。


プリンタポートには、8bit の信号が出力される。

これはデジタルデータだ。


先輩が作成したハードウェアは、このデジタルデータを、「倍々に増える抵抗を通して」スピーカーにつなげてあった。

8bit は2進数なので、128の位、64の位…となるのだが、128の位は抵抗を入れていない。64の位は電圧が 128の半分になるように抵抗を入れてある。

以降、32は64の半分、16は32の半分…となるように抵抗が入っていて。単純にこの電気信号を全部合わせたものがスピーカーに接続されるのだ。


これは、非常に単純だけど、デジタル・アナログ変換機だった。64 は 128の半分の電圧になるのだから、デジタル信号がアナログ化されたと言ってよいのだ。


プリンタポートにデータを送る速度などは、うまくプログラムしてやる必要がある。

パラレルポートってこんなことに使えるんだ、と目から鱗だった。


(先輩の説明によれば、8bit 時代のエロゲに、同様の原理で女の子の声を出力するソフトがあったので真似した、とのことだった。

 今調べたら、Wikipediaに情報があった。)




さて、時代はずっと後、IBM-PC にも CD-ROM が普及し始めたころ。

普及し始めた、とはいっても、まだ普及率は低い。接続にも別途拡張ボードが必要だったりして、使用している機種がノートパソコンだったりすると、拡張ボードが使えない。


そんな時代に、プリンタポートに接続する CD-ROM ドライブがあった。

僕はこれを使って知人のノートパソコンに Windows (たしか 95)をインストールしたことがある。


この頃は、プリンタポートが、「セントロニクス」の独自規格ではなく、IEEE 1284として規格化されていた。

そして、この規格化の際に、PCからプリンタに向けて 8bit 送信、となっていたポートが、8bit の双方向通信に拡張されていた。


CD-ROM は、この規格を利用したものだ。

…ただし、あくまでも珍品。


DOS に専用ドライバを自分で組み込まないと使えなかったし、転送速度も遅い。

Windows 用のドライバは、少なくとも僕が持っていたドライブにはなかった。




自分の過去の仕事の話だが、ゲームセンター用の占いゲームを作ったことがある。

その時は、ドライバなんてないから、自分で直接プリンタを制御した。


たしか、プリンタ接続用の子基板を、ハードの人が作ってくれたはず。プリンタ制御用の IC が入っているの。

それで、プリンタだけでなく、占いに使う別のユニットとの通信もやっていた。


この通信は、4bit の「ニブルモード」だったのだけど、これも今考えると IEEE1284 のニブルモードだったのではないかな。

当時はそれほど規格に詳しくなくて、スペックシート読みながら先輩がプログラム組んでいただけだけど。


まぁ、プリンタ用の IC を使っていただけで、プリンタポートに変なものをつないだわけではないのだけど、信号的には同じ気がする。




以上。


プリンタポートには案外プリンタ以外のものが繋がる、という話を書きたかっただけなので、オチはない。

プリンタポートの構造が単純だったからこそ、こうした応用も簡単だった。


今は USB でなんでもつながるけど、USB に自作の回路をつなげようとか思うと大変だ。


(USB から簡単に自作回路を制御できる装置、みたいのは売っているけど)



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掃除機  2024-01-17 16:41:57  歯車 住まい

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昨年末の話。12月半ばくらい。


年末なので大掃除の準備として、まず粗大ごみとして捨てるものを選定していた。

そこで、「掃除機どうしよう」という話になった。


我が家では、ほとんど掃除機を使っていない。

絨毯の部屋がないためだ。和室が一部屋と、あとは全部フローリング。


フローリングだと、掃除機を使うよりも(ほうき)で掃いたほうが遥かに簡単だ。

だから、普段の掃除は箒で行っている。


でも、引っ越してくる前に使っていた掃除機を置いてあるのだ。

何か、箒ではどうしてもだめで、吸引したいときがあるかもしれないから。


…ところで、引っ越したのって18年以上前だ

家電品って、余り古くなると火花から火災になる可能性もあるから使わないように、って昔呼び掛けてたよね。


掃除機を最後に使ったのも、5年くらい前だった記憶。

つまりは「あっても使わない」のだ。捨てよう。




ただ、妻は「別の掃除機を買いたい」と希望を出した。


大きい掃除機は気軽に出せないので使いづらいが、やはりちょっと掃除機を使いたいことは、年に1度くらいあるのだ。


子供が赤ん坊だったころ…15年くらい前は、は、充電式のハンディ掃除機を使っていた。

ただ、当時の掃除機は、ハンディ式だとモーターが弱くてね。充電池も3年も使っているとダメになったし。


今なら、充電池も小型モーターも良くなり、スティック掃除機の宣伝もよく見る。


こういうのは、ネットだと実感がわかない。家電品店に見に行ってみよう。




それで家電品店で見たのだけど、従来型の掃除機…タイヤのついた本体からホースが延びているようなものではなく、最近流行のスティック型を見てみる。


#元々、電気掃除機が出てきたときは「電気帚」と言われて、箒に似せたスティック型だった。

 しかし、吸引力をあげるために大きなモーターなどをつけるために、タイヤがついた「キャニスター型」が発明されたのだ。

 スティック型は最近の流行だが、先祖返りでもある。



いや、これでもでかい。絨毯があって掃除機でないと掃除できない家ならともかく、我が家では掃除機はあまり使わないのだ。

大きいと奥にしまい込まれてしまい、結局使わなくなる。


じっさいに自分の手を吸わせたりしてみつつ、小さくても十分な吸引力があるものを探す。


で、選んだのが、シャークのハンディ掃除機

アメリカで大きなシェアを持つ掃除機メーカーだね。


我が家には階段下の物置の中に、「充電スペース」を作っている。

eneloop とか、時々しか使わない充電製品はここで充電させている。


通常、物置の中には明かりくらいしか電気の来る部分がないのだが、充電が必要な装置向けにコンセントを作ったのだ。

とはいえ、物置の中なので小さなものしか置けない。


シャークのハンディ掃除機は、そこに置けるくらい小さいが、性能としては十分。



付属オプションによっていくつかのタイプがあったが、長い筒をつけることで「スティック掃除機としても使える」物を選んだ。

もちろん、本物(?)のスティック掃除機の方が高性能だ。ハンディ掃除機を長くしてもスティック掃除機にはならない。


でも、「掃除機があれば部屋を掃除する」と、掃除をあまりしない次女が言ったので、「絶対やれよ」と念を押して買うことにしたのだ。




年末大掃除の際は、忙しくて購入した掃除機は出番なし。


しかし、年が明けてから、年末にできなかった部分を掃除する際に使用した。

どうしても箒では掃けない場所ってあるのよ。


十分な性能だった。我が家的には文句なし。


あとは、「充電池」がどれくらい持つかだね…

昔のハンディ掃除機…ニッカドからニッスイに移行するころに何度か買ったので、ニッカドのものもニッスイのものも使ったのだけど、どちらも3年も使うとパワーが出なくなった。


今はリチウムイオンなので、もう少し長持ちしてくれるとありがたい、と思っている。



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歯車

住まい

別年同日の日記

16年 山本卓眞 命日(2012)


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3週間  2024-01-21 16:40:53  その他

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元日にあった能登半島地震から3週間がたつ。

記録のために、その後の動きを記しておきたいと思う。

動きが流動的で、忘れてしまいそうだが、記録しておきたいのだ。


前回は3日の午前…地震から2日ほどの段階で記事を書いていたが、この時点ではまだ、事態の深刻さが十分に理解できていなかった。


3日の時点では、大きなビルが倒壊したとか、輪島朝市通りが大火事だとか、「その程度」の情報しかなかったのだ。


救急救命行為では、72時間を超えると急に生存率が落ちるとされる。

そのため、当初から自衛隊やDMATなどの救命チームが現地に「入ろうとした」。


しかし、入れなかった。72時間以内に、被害の大きかった現場に入ることすらできなかったのだ。


地震による地面の沈下・隆起はすさまじく、その後の調査で高さにして 4m の隆起、海が隆起することで、4.4平方kmが陸地化したという。


半島部なので元々少なかった道は寸断され、陸路で入ることはできない。

当初は海路で入ることが予定されたようだが、海底地形が変わってしまい座礁の危険性がある、ということで海路でも入れない。

半島は山が多く平地が少ないため、ヘリコプターも着陸できない。


ちなみに、空港も滑走路が破損して使えない。元々空港は震災被害の一番大きかったエリアからは遠いが、救援物資の輸送に支障をきたした。


そんなわけで、先遣隊が被災地の奥まで入れたのは、5日ごろになってから。

報道もこのころからで、津波の被害が想像以上だったとも、この頃からわかり始めた。




地震直後には、5m の津波との警報が出されたのだ。

しかし、その地点の津波観測機器は、1.2m の津波、という観測データを最後に動作しなくなってしまった。


そのため、翌日、津波警報などが解除された時点では「1.2m」が一番高い津波とされた。

ネットなどには、5m という予想が出ていたが、精度が悪いのではないかという悪口も出ていたらしい。

(気象庁発表は 1.2m以上、だったが、これを 1.2m だと捉える人は少なからず存在した)


しかし、実際 5m の津波は来ていた。

4m の地盤隆起によって、1m程度の津波で収まった箇所もあるらしいが、実際津波で流された建物もある。


先に書いたが、この事実が報道されるまでで、5日近くかかっていた。




1週間を超えるあたりから、やっと情報が集まり始めた。

と同時に、当然だがこれ以降に「救出された」というようなニュースがあるわけもなく、死者だけが増えていった。


幸いなのは、物凄い数が計上されていた「行方不明者」が、連絡がついて、死者になるわけでもなく減って行ったことだろうか。


そして、情報があれば行動も早い。

壊れた道路の修復は急ピッチで進んだ。被害箇所が多すぎてすぐに復旧とは言えないが、物資の輸送ルートが確保されたのもこの頃。


情報が無いのにボランティアが来ても困る、と、現地ではボランティアが来るのを拒んでいた。

もちろん専門家チームの手は借りているが、一般人のボランティアや、専門家でないものが送り込む物資などは、緊急時には邪魔でしかないのだ。


東日本震災や熊本震災の時には、ボランティアや個人の送る物資が、がかえって邪魔になるという話に事欠かなかった。

今回は、そういう話は少ししか聞かない。…少しは聞く。自重せよ。


ネットで、早くから「千羽鶴を絶対送るな」と言っている人が多かった。

良いことだ。あんなもの送られても、邪魔なだけで神経を逆なですることしかできない。

じっさい送られた数は少なかったようだ。…これも、ゼロではないようだけど。



今回は、「本を送るな」が新しく広まっていた。

古本に限らず、新品でも本は送るな、と呼び掛けられていた。


実のところ、東日本震災や熊本震災でも、善意で送られてくる本の処分に困っていたらしいのだ。

しかし、それよりもっと困るものが多数あったため、あまり大きく取り上げられなかったらしい。


本当に何もない状況ならともかく、「現地には」ないだけで、国内から送り込む輸送路はある。

こういう時は、金を寄付して、使い道は現地の専門家に任せるのが良いと思う。




本当の意味で初期の区切りがついたのは、2週間くらいたってからだろうか。


住宅の危険度判定が進み、家にいると危険だからと促されてやっと避難し始める人たちもいた。

たとえ多少ゆがんでいても、住み慣れた家を離れるのは嫌だというのはわかる。


それと同時に、最初に「緊急避難」した人たちの、県内外の借り上げ住宅などへの二次避難も始まった。


過去の反省を踏まえ、希望すればご近所さんは同じエリアに避難、ということを徹底しているようだ。

東日本震災のころは、避難先で知り合いがいないために引きこもってしまい、一気に老化が進んだお年寄りなどが問題となっていた。


ただ、二次避難は現時点ではまだそれほど進んでいない。

住み慣れたところを離れたくない人も多く、仮設住宅の計画も急ピッチで進んでいる。




今、三週間たったところだ。


まだ水道は復旧していないが、電気はかなり復旧が進んだようだ。

電気の復旧は、いつの震災でも速い。


朝市通りの火災の検分が終わり、火災による死者が 10名追加された。


個人ボランティアの受け入れを開始したところ、すぐに1万人以上が登録したようだ。


ボランティア団体による炊き出しや、風呂・シャワーの提供なども始まっている。

少ない水でも多くの人がシャワーを浴びられるように、可搬型の水浄化システムを作っている会社がシステムを貸し出したりしているらしい。


使った水が、その場ですぐに浄化されて再度使えるようにするの。

コロナのころに、水道がない場所でも「手洗い場」を設置できるようにする機械を作っていた会社のもの。


震災時にすぐに緊急の仮設住宅を提供できる方法を研究している大学の先生が、いくつものセットを持ち込んだ、という話も聞いた。


緊急時に役立つ技術というのは、必要なことなのだけどなかなか実践する機会はないし、できることならそういう機会が来ない方がありがたい。


でも、こういう時に、是非実績を積んで、役立ってほしい。

そして、研究している先生や会社にちゃんとお金が入ればありがたい。




一番大きな揺れを記録したのは、珠洲市。

NHK では、市庁舎にカメラを設置していたそうで、市庁舎からの映像を地震直後から放送していた。


ただ、市庁舎近くは、比較的被害が少なかったようだ。カメラの前で1件の家が倒壊した瞬間が写されていたが、市街地は比較的新しい建物が多く、耐震性もあったのだろう。



現時点で一番被害が大きいとされているのは、七尾市。

一番揺れがひどかった場所、ではない。ある程度人口が集まっていることも、被害を大きくする要因なのだ。


僕はちっとも七尾市について知らなかったが、アニメ「花咲くいろは」の舞台であり、「放課後インソムニア」の舞台でもあるそうだ。


…なんてこった。両方とも楽しく見ていたのに、七尾市についてはまったく知らなかったよ。


さらに言えば、放課後インソムニアで主人公がアルバイトするゲームセンターがあるのだが、七尾市に実在するゲームセンターで、世界的に有名な店なのだそうだ。

その店も被害を受けた、ということで、店主がツイートしているのを見た。


輪島朝市などは僕も観光で行ったことがあるので、朝市の火事の方が大変なことが起きた、と思ってみていた。

もちろん輪島も大きな被害を受けており大変なのだが、七尾も被害が大きいということで、こちらにも支援団体が多数入っている。




本来、災害後の「命を守るための」初動は、72時間以内、1週間以内に起こされるべきなのだろう。

しかし、震災による地盤隆起の激しさや、現地の地形の特殊性などに阻まれ、大きく遅れている。


3週間たって炊き出しなども始まった今は、やっと生活立て直しのための次の段階に入ったところに思える。


能登半島では過疎化が進んで限界集落になっている地域も多かったようだ。


そうした箇所での「復興」とは何なのか、という議論も始まりつつある。

元通りにできたとしても、もともとそこでの生活は難しかったのだ。

ならば、これを機に生活基盤から見直す方法もあるのではないか。


ただ、被災者にそれを「強いる」ことはできない。

当然のことながら、「元の生活」に戻りたいというのが多くの人の願いだろう。


どうするのが良いのか、これから長い時間をかけて模索を続けることになりそうだ。




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風邪惹き  2024-01-31 10:06:54  家族

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次女、長女、相次いで発熱。



最初は中学2年生の次女。

今週頭の日曜日、28日に、朝起きてくるなり「なんか喉痛い」と。

熱を測らせたら、発熱していた。たしか 38度前後。



長男が大学受験なので、今感染したらまずい。自室待機。

月曜日の夜には熱は下がったが、火曜日もだるさがあったので学校は休み。

今日水曜日、まだのどの痛みは残っているが体調は戻った、ということで学校に行った。



そして、高校1年生の長女。

昨夜、なんか鼻水が出る、と言っていたが、花粉症でもあるし、そろそろ季節でもあるのでそれかもしれない、と言っていた。


今朝、喉が痛いという。熱を測ったら 37.9度。自室待機。学校も休み。


長女と次女の部屋は、もともと大きな部屋で、今はカーテンで区切っているだけ。

直接息がかかることはないが、生活空間が近いし、感染したと見るのが妥当だろう。


長男は生活空間も分けているので感染しにくいとは思うが、要注意。



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