2023年11月14日の日記です


WYSIWYG  2023-11-14 18:14:06  コンピュータ

WYSIWYG 。うぃじうぃぐ と発音する。


急にこの言葉を思い出した。

昔は、特に Macintosh の界隈では、これが非常に優れたものを示す言葉のように使われていたのだが、聞かなくなって久しい。今では死語なのだろう。


こんな言葉を覚えていても何かの役に立つわけではないが、消えゆく言葉が寂しいので、すこし解説しておこう。




大昔のコンピューターにはディスプレイは付いておらず、出力はプリントアウトだった。

このプリントアウトも、プリンターのような気の利いたものがついているわけではなく、電動タイプライタが文字を印刷するだけだ。

タイプライタなので、文字の形・サイズは決まっていた。



後にコンピューターにディスプレイがつく。

「紙を消費しないプリンタ」と言った位置づけで、文字を表示することしかできなかったし、その文字も大きさを自由に変えたりはできない。


コンピューターの画面上では、文字は 80桁か、それよりも短い桁数で折り返された。

しかし、タイプライターは、もっと長い「1行」を印字することができた。


だから、コンピューター上で文章を書いて、プリントアウトすると、行の折り返し位置などはコンピューター上で編集していたのとは違う位置になった。

それでも文章内容が変わるようなことはない。これが当時の当然だし、誰も疑問に思わなかった。




事務機器メーカーとしての、コピー機を発明した Xerox は、未来の事務機器を研究するために、パロアルトリサーチセンターを作った。


そのパロアルトで、経緯は省くが全く新しいコンピューターが開発される。名前を Alto という。

画面には画像を表示できた。文字も表示できるが、画像として表示するため、サイズを変えたり文字の形を変えたりできた。


Alto で作成されたワープロでは、見出しの文字を大きくしたり、太い文字にする、下線を引く、などの操作ができた。これは、当時の他のコンピューターにはできなかったことだ。


当時のコンピューターは、ディスプレイは「横長」で使うのが普通だった。テレビというのはそうしたものだったからだ。

一方で、多くの書類は、縦長の紙に印刷される。


Alto では、書類に合わせるように、ディスプレイを縦置きに使っていた。

さらに、当時のコンピューターの常識を逆転させ、「白い背景に黒い文字」を表示できた。


当時の通常のコンピューターは、黒い背景に白い文字を表示した。

Alto は白黒マシンで、当初は常識通り黒い背景に白い文字だった。

しかし、「紙に近づける」目的で、開発途中で出力回路に白と黒を逆転させるスイッチが付けられた。



ともかく、Alto は「コンピューターを紙の書類に近づける」ことを一生懸命に行った。

コピー機メーカーが未来の事務用品を研究しているのだから、紙に近づけるのは当然の帰結だった。



極めつけが印刷だった。当時すでに、文字を点の集まりで表現する「ドットインパクトプリンタ」は存在した。

しかし、Xerox はコピー機のメーカーだ。コピー機の技術を使い、非常に美しい印刷を行うレーザープリンタが開発された。


ここに未来のオフィス機器が完成する。

Alto 上のワープロで作った文章は、印刷しても全く見栄えが変わらなかった。新しい文章作成方法だった。



このことを表現する言葉が、WYSIWYG だった。

What You See Is What You Get。見たものを得られる。


今では、ワープロ画面と印刷が同じ、なんていうのは当たり前のことだ。

しかし、Alto まではそれは当然ではなかったのだ。




Macintosh は Alto を見たジョブズが「パクった」ものだ。

しかし、ジョブズは Alto よりも、もっと細部にこだわった。


英語圏の活版印刷技術では、文字などのサイズを「ポイント」という単位で表現する。


まず、よく使われるサイズの活字がある。

これは「読みやすいサイズ」と何となく共通認識が出来上がったサイズ、というだけで、何か規格があったわけではない。


活字というもの自体、大量生産ではなくて印刷所で必要に応じて鋳造するものだ。

手作りなので、印刷所ごとにサイズは微妙に違っていた。


このサイズの活字の、縦の長さを 12等分する。12っていうのは、いろいろな数値で割りやすいため、10よりも使いやすい。

この、12等分した1つの大きさが、1ポイントだ。


言い換えれば、通常の文字の大きさは 12ポイントになる。


1ポイントは、今ではおよそ 1インチの 72.27 分の1、とされている。

先に書いたように、活字のサイズは印刷所ごとに違ったので、これは厳密な数値というわけではない。



さて、ジョブズは Mac を作るにあたり、紙への印刷を前提とするのだから、すべてこの「ポイント」を単位として作ろうとした。


ディスプレイ上のドットのサイズは、1/72 インチになるように調整された。

初期の Mac はディスプレイ一体型だったから、そういうコントロールができた。


そして、標準的な文字のサイズは、縦の長さを 12ドットとする。

つまり、12ポイントの標準的な文字のサイズだ。


専用のプリンタは、ドットインパクトプリンタだったが、1ドットが 1/144 インチだった。

144 は 72 のちょうど2倍。ディスプレイが基準になっている。

だから、ディスプレイに表示したものと、見た目が同じだけでなく、サイズまで同じものが印刷できる。


ただ、1ドットが 1/144 インチ (以下 144dpi と書く。144 dot per inch の意味)って、プリンタとしてはかなりドットが荒い。

ディスプレイは技術的な限界もあって、72dpi でも仕方がないのだけど。


だから、プリンタはのちに3倍の解像度を持つ、 216 dpiのものが作られている。

最終的には、商用として最初のレーザープリンタ(300dpi)は、Apple が発売した。




ところで、当時のパソコンは、文字のサイズを 8の倍数ドットで描くのが普通だった。

8bit 単位でデータを扱うからね。白黒を2進数に置き換えて、8の倍数ドットだと処理しやすいんだ。


IBM-PC の場合、初期は縦8ドットだったが、途中から縦の解像度が上がったため、16ドットで扱うようになった。

これは、まだ「文字しか扱えない」時代の話。文字を大きくしたりすることもできない頃。


Windows が開発されたころも、「文字のサイズは 16ドット」という常識が残っていた。

だから、今でも、Windows は標準的な文字を、縦 16ドットで扱う。


しかし、Windows でも対抗上、Mac のように WYSIWYG をやりたかった。

単に見た目が同じ印字ができる、というだけでなく、同じサイズの印刷がしたかった。


ジョブズは、印刷に合わせて1ドットを1ポイントのサイズにするのにこだわった。

しかし、多くの人は印刷業界の単位なんて関係ないのだ。ドットとポイントを合わせる必要なんてない。


そして、Windows は画面を 96dpi 、と定めた。

実際には、Mac のように内蔵された専用ディスプレイがあるわけではなく、メーカーごとにディスプレイサイズも変わる。


だから本当のサイズはわからないが、標準的には 96dpi としたのだ。

定めてしまえば、後はメーカーがそれに合わせたディスプレイを作ってくれるだろう。


ドットが 1/72 インチの Mac で、12ドットの文字を表示すると、サイズは 12/72 インチ = 0.1666 インチだ。

ドットが 1/96 インチの Win で、16ドットの文字を表示すると、サイズは 16/96 インチ = 0.1666 インチだ。


ほら、つじつまが合った。

Windows の画面が 96dpi なんていう、何に由来するのかわからない変な値になっているのは、このような原因だ。




究極の WYSIWYG は、Apple 社を追い出されたジョブズが興した新会社、NeXT コンピューターで完成する。


Apple が世界初のレーザープリンタを発売した時、発売は Apple からだったが、開発には他社の力を借りている。

その一番重要な部分が、PostScript 言語だった。


それまでのプリンタは、文字やグラフィックのデータをドット単位で送れば印刷できた。

しかし、レーザープリンタは非常に高精細で、ドット単位でデータを送ることは現実的でない。


そのため、特殊な「言語」で、どの文字を、どの位置に、どんな大きさで、といった指示を送るのだ。

グラフィックも、座標間に線を引いたり、塗りつぶしたりという指示で描ける。


ところで、Mac も画面表示を「どの文字を、どの位置に、どんな大きさで」と言った指示で作っていた。

これは QuickDraw と呼ばれる Mac 独自の方式だったが、考え方は PostScript と同じようなものだ。


レーザープリンタが PostScript 言語を理解する、ということは、パソコン側、ここでは Mac が、画面に表示されているものを PostScript に翻訳しなくてはならない。


これがなかなか大変な作業だったし、指示方法の微妙な違いで、完全に同じとはいかない場合もあった。



そこで、NeXT コンピューターでは、画面表示も PostScript で行った。


PostScript は、プリンタの解像度に依存しないように、座標などが高度に抽象化されていた。

だから、高精細なプリンタと、ブラウン管の技術的限界からドットの荒いディスプレイで、全く同じ指示で表示ができた。


ここに、画面表示とプリンタへの印字が全く同じ方法で行われている、という WYSIWYG の究極系が完成する。

この方式は、今では Mac OS X に引き継がれている。




ところで、画面に PostScript で表示を行うのは、Mac OS X だけの技術というわけではない。


PDF ファイルは、その内部が PostScript でできている。


PDF 表示が可能なソフトは、PostScript を解釈して、画面に表示するように変換している。

また、PostScript ではないプリンタで PDF を印刷するときも、プリンタに合わせて変換している。


これは Windows でも当たり前に行えているが、当然 Mac OS X はこの処理をうまくやる。

なにせ、OS の内部に PostScript が組み込まれているのだから。




さて、今となっては、画面の表示どおりに印刷できる、なんていうのは、当たり前のことだ。

むしろ、違っていたら文句が出るだろう、というレベル。


だから、WYSIWYG なんて言葉は、あまり使われなくなっている。

ここに書いたものは、懐かしさからまとめておきたかっただけで、知っていても役立たない無駄な知識だ。




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