目次
03日 町内会行事
03日 交通整理
12日 コロナで学級閉鎖
久しぶりに町内会の話を書こう。
僕は頼まれて、町内会の評議員をやっている。
コロナの間は、夏の盆踊りも、秋の神社のお祭りも、中止になっていた。
今年はどちらも久しぶりに開催。
しかし、盆踊りは4年ぶり(コロナ前に台風で中止になっている)、神社のお祭りは3年ぶりの開催で、段取りを知っている人が少なかった。
僕はどちらも経験しているが、それはまだ新人として、力仕事とか簡単な作業を手伝っていただけ。
今回は、それなりに重要な仕事を任されるようになった。でも、やり方がよくわからない。
盆踊りに関しては、手探りでなんとか役をこなした、という感じ。
これ、町内会のみんながそんな感じ。何よりも、「以前と同じ」ではダメだったんだ。
毎年盆踊りを楽しみにされていた老婦人たちは、今回は来なかった。亡くなった方や、子供との同居で引っ越したりしたらしい。
しかし、踊るための曲リストは、それらの人たちが毎年楽しみにしていた音楽だった。
…今年は誰も踊らない。
なので、予定を変更して、子供用に準備していた曲を流したら、大盛り上がり。
来年からは子供向けの曲を拡充しよう、と決まった。
世代交代だ。良い事だ。
今日は神社の秋祭り。
僕は子供神輿、子供山車にずっと付き添ってた。
神社から、町の中心となる大通りを通って、大きな公園まで行くのね。
(ちなみに、大人の神輿のコースを途中まで行ったところで終わり、というような構成)
この子供山車は、子供たちの力で引っ張るのだが結構重い。
そして、正しい方向に進めるための操縦が難しい。
後ろ舵…フォークリフトとかと同じ方式、と言って分かるだろうか。
右に進みたいときは、車体を左に押す必要がある。
ただそれだけのことなのだけど、わかってない人は逆に動かそうとするのだ。
町内会にフォークリフト操縦免許を持っている人がいて、その人が操舵する、と言っていたので任せるつもりでいたのだが、腰を痛めてしまって力仕事ができないというので僕が買って出た。
まぁ、進んでいる間ずっと、道の端から一定の距離をとるように気を使っているだけ、ということで、特に難しいことはないし、力もいらない。
しかし、子供の近くにいるので、子供の相手をしながら気を遣う作業を続けることになる。
結構疲れた。
子供の笑顔を間近で見られる仕事だった。
小さい子が喜んでくれれば、疲れなんて大したことではない。
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先に書いた、神社の秋祭りの話から派生して、交通整理について少し書く。
神輿とかで道路を使ったので、交通整理が必要だったのね。
町内の駐在さんと消防団が交通整理をやってくれたのだけど、これが安心感のある良いものだったのよ。
あぁ、ちゃんとわかっている人の交通整理はいいな、って思った。
というのも、ここ10年くらい、ひどい交通整理がすっかり増えたため。
特に道路工事とかの時の交通整理だな。
昔から底辺バイトではあった。
しかし、20世紀は自動車免許は「大人になったら持っとくべきもの」で、交通整理をする底辺バイトな人であっても、自動車免許を持っていた。
今は免許は持たない人も増えた。
これは時代の流れなので問題はない。
そして、免許を持っているだけで、バイトの幅が広がる。
わざわざ底辺バイトである交通整理をする人は、「免許を持っていない」ことが多いようだ。
結果どうなったかというと、手信号の出し方を知らない人間が、手信号で交通整理をするのだ。
手信号は免許の学科で必ず勉強しないといけないのだが、逆に言えば免許を持っていなければ勉強する機会もあまりないだろう。
手信号で何かを伝えようとしているが、何を伝えたいのかわからない、という交通整理が凄く多くなっている。
周囲の状況を見て判断するしかないのだが、そもそも「交通整理が必要な場所」というのは、見通しが悪いから整理している場合もあって、そんな時は周囲の状況もわからない。
それでも、こちらも事故を起こしたくないから、何とか状況を読んで車を動かすのだ。
だったら、交通整理する人がいなくても同じだよね、というくらいひどい状況も多い。
もう2年くらい前だったかな…
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、長年交通整理をやっている、というお爺さんを取材していた。
長年同じ仕事をしている、という人に密着するドキュメンタリーだけど、このお爺さんが、手信号が全くなってなかった。
まぁ、さすがに長年やっているので「全く伝わらない」というようなひどいゼスチャーはしない。
だけど、そのお爺さんの手信号は、ルールにのっとったものではなかった。
それを「職人」として伝えるのはどうかと思う。
手信号のルールは特に難しくない。
車に対して、手を「横」に向けたら停止、というだけだ。
夜、赤色灯を持って交通整理している場合などは、この赤色灯を「横」にしていれば、手を横にしているのと同じ意味だと思っていいだろう。
僕が町でよく見る「ダメな」手信号としては、赤色灯を縦にして、左右に振る人。
良く見えるように手を上に挙げるから赤色灯が縦になるのだけど、縦に「停止」の意味はない。
先日見た人は、斜め下に向けて振ることで「停止」を合図し、その後進んでいい状況になったら、斜め下に向けて振っていた。
同じ信号が、交通整理員の中では「停止」であり「進め」なのだ。
恐らく、「車に対して何か指示を出す」という気持ちがあり、それが「赤色灯を車に向けて振る」なのだと思う。
自分の中では「とまれ」とか「進め」とかいう気持ちがあり、その「指示を出す」が赤色灯を斜め下で振ることなのだ。
つまり、手信号で動くのではなく、交通整理員の気持ちを推察して動かないといけない。
これは本当に、いつか事故が起きるぞ、と思った。
実は、今日は僕も祭りの後で交通整理をしないといけない時間があった。5分程度だけど。
終わった後、子供神輿を神社にトラックで運んで、しばらくトラックを神社前に置いておく必要があったのね。
狭い道を片車線塞いでしまうので、交通整理をやった。
止まってほしい時は、車の方に向いて、はっきりと手を横に出す。
これが正しく伝わればいい。
仕事ではなくても、今日の僕みたいに急に交通整理をすることはあるかもしれない。
手が横なら停止、ということだけ覚えておいてもらえると良いと思う。
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中学生の次女のクラスでコロナのクラスターが発生し、学級閉鎖になった。
仲が良くて部活が一緒で席も近いグループが、10人くらいまとめて発症したそうだ。
学級閉鎖で、念のため各自3日間は自宅で経過観察、となっている。
自宅で経過観察なので、塾もお休み。
夏休みには長女もコロナ発症したし、以前よりむしろ猛威を振るっている感じがする。
実際、統計的にも感染者はかなり多いらしいし。
もっとも、感染者に対する死者の割合、致死率は減っているのだろう。
その意味において、「政府が」警戒レベルを下げるのは妥当と言える。
警戒しすぎて経済が回らなければ貧困で死ぬ人が出る。
政府の仕事はトータルで死者を減らすことだ。コロナの致死率が落ちたら、経済を回すタイミングだ。
しかし、まだ怖い病気ではあると思う。
致死率が減ったと言っても、「死ぬこともある病気」であることには変わりない。
あとは市民レベルの行動の問題。
警戒するに越したことはないのだが、政府が警戒レベルを下げたことをもって「終息した」と考え、警戒しない人が増えているんだよね。
だから感染者が増えているのだけど。
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