最近タイッツーを見ている。
ツイッター改め 𝕏 ではないよ。
そのツイッターが最近おかしいから、と個人が作ったサービス。
名前の通りツイッターを参考にしているが、作者なりの理想のサービスを作ろうと頑張っている感じがある。
7月1日公開だったそうだが、僕が使い始めたのは7月21日から。
それから1か月たったが、その間にも 𝕏 は改悪が進み、以前より見るのが億劫になってしまった。
(TweetDeck の廃止・有料化が一番大きい)
最近では、すっかりタイッツーばかり見ている。
さて、実はタイッツーの話をしたいのではない。
いや、タイッツーの話ではあるのだが、自分が昔作ったチャットコミュニティを思い出しているのだ。
現在のタイッツーは、黎明期だ。個人が作ったものではあるが、いろいろと話題を呼んで、今ではすっかり「 𝕏 からの避難先」として人気になってしまった。
𝕏 に類似のものとしては、Meta (Facebook) が提供するスレッズがあるが、こちらは最初こそ試してみた人が多いが、すっかり人気低迷しているらしい。
正直なところ、機能も、運営の安定性も、個人でやっているタイッツーよりもスレッズの方がずっといいのに、なぜ人気に違いがあるのだろう。
そして、先に書いたように自分がチャットコミュニティを開発した時、今のタイッツーと同じようなことを経験しているのだ。
SNS とかチャットコミュニティーというのは、ある種の通信手段だ。
通信手段というのは、相手がいないと使い道がない。
しかし、できたばかりのサービスは、当たり前だがユーザーがいない。
この時期をうまく乗り越えられるかどうかが、勝負の分かれ目だ。
僕が作ったチャットコミュニティは、諸般の事情があって「簡単なものでよいからすぐ公開する」必要があった。
そこで、公開してしまってから機能を追加していった。
これが、偶然だが良い効果をもたらせた。
チャットコミュニティがあったとしても、最初は見知らぬ同士。
いきなり話がはずむ、なんてことはあまりない。
その意味では、通信手段があっても相手がいない。
でも、機能を次々追加していったから、とりあえずみんな「こんな新機能ができたらしい」という話題だけで、しばらく話ができるんだ。
共通の話題があり、それについて意見を言っていれば、性格も見えてくる。
やがて似た性格の人が友達になっていき、コミュニティは活性化していく。
タイッツーが、ちょうど今その時期だ。
数日ごとに新機能が追加される。その話題だけでしばらくみんなが発言する。
よくわからなくて質問する人もいるし、その質問にわかりやすく答えようと頑張る人もいる。
そうやって、知見も共有されていく。
コミュニティ黎明期は、みんなが、そのコミュニティが小さいものだと知っている。
だから、気に入ったその場を失わないように、仲間を増やそうと頑張る。
結果として、悪い人はいない。みんなが優しい世界。
現在のタイッツーは、その雰囲気を気に入っている、という人が非常に多い。
ただ、コミュニティが大きくなると、そのユーザー数が何よりも重要な「コンテンツ」になるのね。
初期ユーザーが作り上げてきた雰囲気とは関係なく、ある時点で「人が多い」こと自体が話題になり、さらに人を呼び始める。
爆発的に人が増えると、それまでの雰囲気なんてあっという間に壊されてしまう。
自分のための「利益」を求めてくる人も増え、場は荒れて行く。
運営する側は、その状況に歯止めをかけるためのコストを払わなくてはならなくなる。
これは、宿命だね。人が増えるということは、多様性が増すということとイコールだ。
もし、場が荒れるのを止めようとすれば、それは「多様性を認めない」ことになってしまい、それも嫌な世界だ。
タイッツーの開発者は、このことをよく理解しているようで、機能を慎重に選びながら実装している。
つい先日、メンション機能が実装された。
𝕏 のメンションよりも多少複雑な動作をするようになっていて、よく理解できないという人も多い。
しかし、この複雑な動作は、「個人の会話が多くの人の発言を邪魔しないように」「特定個人向けでも、皆に有益な情報なら、共有できるように」という、相反する要求を満たせるように、慎重に作られている。
リプライは、もっと難しいだろうね。
有益なリプライとクソリプは紙一重だ。タイッツー作者はこのことをよくわかっているからこそ、リプライ機能をすぐに実装せずに、慎重に考えている。
この話、ただ自分が昔通った道をもう一回見ているようで、懐かしいなぁ、というだけの話で、特にオチはない。
何よりも現在進行形なのでまとめにくいのだ。
ただ、これだけは言える。
コミュニティ黎明期の面白さ、というのを体験したければ、今すぐタイッツーにアカウントを作ると良いだろう。
恐らく、この面白さは半年後には体験できなくなっている。
ツイッターだって、そうした道を通ってきたのだ。
ハッシュタグが追加され、RT が公式機能として追加され、という段階ごとに、コミュニティは盛り上がった。
そういう意味では、𝕏 に変わってからは、ともかく激変はして、話題提供はできていると思う。
ただ、ツイッターは黎明期を過ぎ、すでに安定期だったのだ。
この期間になると、人々は変化を嫌う。結果、この激変は、多くの人に受け入れられていない。
スレッズは最初から多くを用意しすぎた。十分な機能があることを売りにした。
結果として、話題作りには失敗してしまったように思う。
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