X68000Z (以下 X68kZ)が届いて遊んでいるが、思っていた以上に楽しい。
僕はこういうエミュレータにそれほど興味がなかったので、コレクションとして置いておくだけになると思っていた。
せっかくだから少し使ってみよう、とセットアップしたら、思った以上に遊べてしまっている、という感じだ。
当初、X68kZ は「ミニファミコン」や「メガドラミニ」、もっと言えば「ミニPC-8001」と同じように、ゲームを何本か内蔵した形で発売するつもりだったようだ。
でも、当時のファン…所有していた人や、高くて買えなかったが憧れていた人たちからの強い要望を受けて、「パソコンとして」のエミュレータとなった。
もっとも、届いたときの最初の日記で書いたように、ゲーム機としてのモードと、パソコンエミュレータとしてのモードを切り替えられる、二重人格マシンでもある。
付属のゲームは2つしかない。これらはゲーム機としてのモードで起動し、動作が保証される。
一方で、エミュレータのモードでは動作保証がないが、ディスクイメージがあれば好きなプログラムを動作させられる。
ネット上の反応を見ると、「付属ゲームが2つしかない」ことについて失望している人もいるようだ。
メガドラミニ2なんて、ずっと安いのに60本のゲームが入っている。
X68kZ は高いのに、2本しかついてこない。
X68k は、現役当時「業務用のゲームが完全移植できる」パソコンだと言われていた。
ゲーム好きなら欲しいパソコン。でも、高性能なだけに、非常に高価でもあった。
今回、X68kZ を入手した人の中には、当時あこがれていたが買えなかった、という人も多いようだ。
そういう人は、当時のゲームが遊べない X68kZ に失望したのだろう。
でも、僕が「思った以上に楽しい」と言っているのは、エミュレータモードの存在なのだ。
ゲーム機としてのモードは、あまり重要ではない。だから付属ゲームが少ないのも、それで構わない。
エミュレータなら Windows 用のもので十分ではないか、という人もいるだろう。
まったくその通りだ。僕もそう思っていた。
もっと言えば、X68kZ のエミュレーションは最低限の精度しか持っておらず、Windows 用の方が正しい挙動を再現できる。
でも、小さいウィンドウの中で動くんじゃないんだよ。
マウス操作するために、エミュレータ内のマウスと、Windows のマウスを切り替える必要はないんだよ。
いや、それだって全画面モードを使えばいいだけの話。Windows 用のエミュレータで十分。まったくその通り。
だから、あとは単に「思い入れ」と「思い出補正」という言葉に尽きるのだろうと思う。
これは非常に個人的な体験に基づくものになるので、万人に勧められるものではない。
ここで、付属する2本のゲームについて書いておこう。
まず、グラディウス。
当時ゲームセンターで大人気だったゲームだ。発売は 1985年。
ちょうどファミコンブームが始まった頃。
ファミコンは、ゲームセンターで遊ぶようなゲームが家でも遊べる、という触れ込みで売れ始めた。
実際、発売時のキラータイトルであったドンキーコングは、ゲームセンター向けと遜色のない出来だった。(全4面構成が、3面構成に減らされていたけど)
グラディウスも、翌年(1986)にはファミコンに移植された。
原作の雰囲気をよく活かした移植ではあったが、見た目もゲーム性も、随分と違うものになっていた。
ほかのパソコン向け移植も発売された。
MSX 版は、ファミコンとは違う方向性の移植で好評だった。しかし、やっぱり本物とは違う。
それ以外のパソコン向けは、ファミコン版をベースに、更に劣化させた移植だった。
あぁ、やっぱりゲームセンターのゲームを家で遊ぶ、なんていうのは夢だったんだ。
多くのゲームマニアが落胆した、その年の年末、開発中の X68k が公表された。
そこでは、ゲームセンターのものとそっくりなグラディウスが動いていた。
X68k の実際の発売年は 1987年春だが、グラディウスは「X68k ならこんな事ができる」と見せつける、優れた技術デモだった。
ひるがえって現代。
今でもグラディウスは人気で、Nintendo Switch や PS4 にもゲームセンター版の、かなり完璧な移植が発売されている。
だから、ゲームを遊ぶことが目的であれば、わざわざ X68kZ で遊ぶ必要はない。
X68kZ にグラディウスが付属する、というのは、X68k にグラディウスが付属したことに対する、オマージュだ。
X68k はここから始まったのだ。
そしてもう一本。超連射68k。
こちらは、1997年に発表された同人ソフトだ。
X68k シリーズは、1993 年発売の X68030 で終了している。以降後継機は出ていない。
専門誌であった Oh! X も、1995年末で休刊している。
そのさらにあと、1997 年に発売されたソフトなので、実際のところ遊んだことのある X68k ユーザは少ないはず。少なくとも、僕は X68k では遊んでいない。
ただ、作者自身によるWindows 版が 2001年に公開されていて、僕はそちらは遊んだ。
つまり、懐かしのソフト、というものではないし、遊ぶことが目的であれば、Windows でも遊べる。
しかし、当時話題になったのは覚えている。
同人ソフトだからこそ、市販ソフトにはないような技術的チャレンジを行っている。
巧妙なプログラムにより、X68k の限界を超える数のキャラクタを表示しているんだ。
だから、これが動けば、X68kZ のエミュレーション能力がそれなりのものである、という証明にはなる。
同時に、X68k 最後の話題作を付属させることにもなる。
さて、X68kZ には、3つの SD カードが付属する。
2つは、上に書いたゲームが入っている。
残る1つは、パソコンエミュレータとして起動するための OS だ。
これは、X68kZ の制作者からのメッセージだ。
ゲームにより、X68k の最初と最後を示した。
OS は、その中間を埋めるもの。
しかし、OS というのはゲームと違い、そのまま楽しむものではない。
「何かを起動するためのプラットフォーム」だ。
君なら、何を起動する?
この問いに答えられる人は、X68kZ を楽しむことができる。
—
「無いものは作る」
この言葉は、X68k を象徴するものとして語られる。
僕が過去に X68k について書いた記事でも多用している。
書いた当時は X68k を知るものも多く、この言葉の真意が伝わりやすかった、と思う。
この言葉は、X68kZ の宣伝文句でも使われていた。
しかし、すでに当時を知るものは少ない。
言葉自体が神格化して、ねじ曲がっているように思う。
X68k は、圧倒的に「無かった」。
ソフトの数で、当時絶対王者だった PC98 に負けるのは当然。
ライバルとされていた FM-Towns にも、圧倒的に負けていた。
X68k はゲームに強かった、と言われるが、そのゲームの数ですら負けているのだ。
でも、X68k は、ソフトを持っていないが「ソフトを作りやすいハード」を持っていた。
後で詳細を語るが、使い始めの素人でも、それなりのソフトを作れたし、発表できた。
無いものは作る、というのは、なんでも作ってしまう熱い技術者集団を示す言葉ではない。
無いから仕方なく自分たちで作り、不格好でもいいから環境を整えようともがいた軌跡を示す言葉だ。
市販ソフトの少ない X68k は、こうしたソフトを中心として回っていた。
X68k を再現する、というのであれば、市販ソフトの収録よりも、こうしたソフトを収録しないといけない。
実際、超連射68k は同人ソフトなわけだが、先に書いた通り当時遊んだ人は少なかったはずだ。
当時遊ばれたものは…市販ではないからこそ、権利関係などが確認できずに収録は難しいだろう。
当時の X68k を懐かしむ「ミニ」を作るにあたり、ゲームではなくエミュレータをメインコンテンツとする、というのは大英断だったと思う。
—
ネット上では、当時自分が作ったソフトを公開している人がいる。
ゲームに限らず、探せばいろいろある。
そういうものを探して動かしてみるのが楽しい。
最初に書いた通り、Windows のエミュレータでも遊べる。そちらの方が再現性も高い。
でも、遊び終わって次のソフトを見るときに、「本体上のリセットスイッチを押す」というのが、当時を知っているものにとっては、たまらなく懐かしい。
Windows のエミュレータではこうならないのだ。
それだけで入手した意味があった。
何度も書くけど、これは思い出補正だ。当時持っていた人間だから懐かしめるものだ。
憧れていた人が買って、「ゲームが2本しかない」と嘆く気持ちはわかるのだ。
でも、ファミコンミニも、メガドライブミニも、そうでしょ?
今更昔のゲームが遊びたいというよりも、思い出を懐かしみたい、という側面が強いと思う。
思い出がない人間には、懐かしめない。
X68kZ だってそれは同じ。それだけのことだ。
—
X68kZ の話としてはこれで終わりなのだけど、途中で書いた話の詳細を、次の記事に書きたいと思う。
X68k が、素人でもプログラムを組みやすい環境だった、という話だ。
こういう「使い勝手」の話は、スペックに現れない。
ずっと昔に自分が書いた記事でもあまり取り上げていなかったので、今更ながら記しておこうと思う。
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