4月12日(火)、母が他界しました。
85歳でした。
父が他界したのは2009年のこと。
その後数年たってから、母の痴呆が始まりました。
最初は時々物忘れをするくらい。でもだんだん物事がわからなくなってゆき、ここ数年は僕のこともわからなくなっていました。
どうも、子供時代に戻っているのね。話ができるときでも自分の名前を旧姓で名乗るし、小学生くらいになっている。
痴呆の人は、その人が一番幸せだったころに戻ってしまう、という話を聞いたことがあります。
母は青春時代が戦後の混乱期と重なりますし、まだ女性は抑圧されていた時代。
小学生の頃が一番幸せだったのかもしれません。
ここ15年ほどは、長兄の家で暮らしていました。
今年の頭に、以前から入居を待っていた老人ホームに定員の空きが出て入居できました。
我が家からも遠くないし、一度会いに行きたかったのですが、コロナの流行もあって会えないまま。
3月末に、容体があまりよくない、という連絡が来ます。
4月1日(金)にお医者様から詳細を聞ける、というので、長兄夫婦と僕でホームに伺いました。
急に食が細くなり、十分栄養をとれていない、とのことでした。
胃ろうや点滴という手段も取れますが、その場合は病院に入院する必要があります。
ホームで最期を看取るのであれば、すぐということではないがそろそろ覚悟を、と言われます。
僕は6人兄弟なのですが、兄弟で相談。お母さんももう年だし、管をつないで無理やり生きさせるよりも、自然に最期を迎える方が良いだろう、と全員一致で決まります。
とはいっても、お医者さんもまだ先だと言っていたし、数か月くらい先のことだろう…
と、この時は思っていました。
4月8日(金)に再度連絡がきました。
いよいよ食事を食べられなくなっているそうです。
土日の間に、多くの兄弟が見舞いに行きました。しかし、僕は用事があり、いけませんでした。
まぁ、1日に行ったときに会っているし、ホーム側もコロナの関係で面会を最少人数にしたいようなので、行かなくても良いかな、と。
土曜日に面会に行った次姉が動画を送ってくれましたが、手を握ったら首を動かしたり、思ったより元気そうに見えました。
ただ、日曜日に面会に行った次兄が、「水も飲めないそうなので、それほど長くなさそうだ」と。
北海道に住む長姉が、都合もあって木曜にならないと来れない、とのことでした。
それまで持ってくれると良いのだけど…
しかし、願いむなしく、12日(火)の朝に、息を引き取ったとの知らせが来ました。
夜の間だったようです。朝6時に看護士が見たときには、すでに息をしていなかったと。
僕としては、いつでも休めるように仕事先に連絡。
今日から休んでいいですよ、と言ってもらいましたが、休んでもやることないし、12日は仕事をします。
ただ、兄弟間の連絡が飛び交い、仕事効率は落ちてました。
先に書いた北海道の長姉の都合に合わせ、木曜通夜、金曜告別式と決まります。
コロナ禍であることを考慮し、家族葬として親戚も呼びません。
僕もそれに合わせて仕事先に休みをもらいます。
その後、納棺を水曜の午後に行う、と連絡が来ました。
仕事先にまた連絡して、水曜も午前中で仕事終わりにします。
普通、納棺は通夜の直前にやるものですが、葬儀社の都合もあるようです。
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