2022年04月の日記です

目次

04日 停電
05日 代入の評価順
17日 訃報(1/4)
17日 訃報(2/4)
17日 訃報(3/4)
17日 訃報(4/4)
24日 娘たちの誕生日


停電  2022-04-04 08:55:25  コンピュータ 家族

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先日、電力逼迫の話を書いたら、それとは無関係に今朝停電した。


朝4時過ぎ。後で確認したら、4時11分だったようだ。

UPS(無停電電源装置)の4回続けてなるビープ音で目が覚めた。


このビープ音は、電源断を伝えるものだ。

東京電力は頑張ってくれていて、通常なら停電しても数秒で治るし、長くても5分くらい。


UPS は、30秒ごとに4回のビープ音を鳴らす。

何度も鳴り響く。長い停電のようだ。


スマホで情報を確認する。東京電力のページには、停電情報は載っていない。

まだ停電が起きたばかりで、情報掲載に至っていないのだろう。


更に5分ほど。これはどうにかしないといけない、と思って起きる。

UPS に繋がっているとはいえ、使える電力は無尽蔵ではない。


再度情報確認。停電情報が出ていた。鎌倉市で 2100件ほど。

復旧予定は6時。あと1時間半もある。


UPS のステータス表示を見ると、この調子では6時まで持ちそうにはなかった。

無駄なものの電源を落とそう。


たとえば、NAS は急な電源断からは守らないといけないので UPS に繋げているが、停電した状況で動いている必要はない。


WiFi ステーションも UPS に繋いでいるので、ChromeBook でログインすることができる。

NAS に対してシャットダウン指示。これで、電力の使用量が少し減った。


この時点で5時前。6時までならなんとか電源も持ちそうだ。

大抵、こういうのは予告時間少し前には復旧するものだし。


朝の支度を始めようか…と思ったが、IHを使っている我が家では、お湯も沸かせない。

もう一度ベッドに入る




5時55分、断続的だったビープ音が鳴り続けるようになる。

いよいよ電源の残り容量が少ない。


復旧完了時刻を再度見る。6時半に伸びていた。


あ、だめだ。急な電源断で壊れると困るから、家庭内サーバーもシャットダウンしよう。


これで、この日記などを公開しているサーバーも停止した。


で、仕方がない。何もやることないのでまたベッドに入る。




6時半ぴったりに、通電が始まった。

復旧したようだ。


僕は主夫なので、まずは朝の支度。

炊飯器もタイマーでが止まってしまったため動いていない。

炊飯を開始し、一日分のポットのお湯を沸かし、朝ごはんの支度をする。


並行して、サーバの復旧作業。

サーバは2台ある。


1台は土台となるホストOSは起動したが、その上で動くゲストOSが起動しない。

このゲストOS が普段仕事で使っているものなので、これでは困る。


サーバに直接コンソールを接続し、virsh start させる。ついでに virsh autostart も設定しておく。

(前回起動したのはいつだっただろう。自動起動の設定を忘れていたようだ)


もう一台、このページを載せている、公開用サーバが動いていない。

その土台にもログインできない。なんで? ややこしそうなのでひとまず置いといて、朝ごはんの支度を続ける。


ある程度朝ごはんができたところで、再度設定作業。

どういうわけか、サーバー自体がうまく起動できていなかった。

強制的に電源を落として入れ直しても動かない。BIOS 起動すらしない。

壊れたか? 焦る。


一度電源をプラグから抜いて、再度差し込んだら問題なく起動した。

あぁ、時々あるやつだ。問題なし。


こちらは、ゲストOSまで自動的に起動した。7時半。


というわけで、このサイトは、6時から7時半の1時間半ほど、停止していました。

こんな時間に見ていた人がいるかわかりませんが、ご迷惑をおかけしました。


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19年 風邪が続いています


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代入の評価順  2022-04-05 20:40:58  コンピュータ

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Javascript 豆知識。

というか、仕事で重要になった些細なこと。




演算子には評価順がある。

プログラマなら、だれでも意識することだ。


掛け算 * は、足し算 + よりも先に評価される。

でも、括弧 ( ) をつけると、それが最優先で評価される。


1 + 2 * 3 は 2 * 3 が先に評価されて 7 になるけど、

( 1 + 2 ) * 3 なら、1 + 2 が先に評価されて 9 になる、というようなこと。


まぁ、評価順が不安なら括弧で括っとけ、という話でもある。



じゃぁ、次。

6/3/2 という式があった場合、結果は何になるだろう?


これは、6/(3/2) なのか、(6/3)/2 なのか、という問題だ。

答えは、1 だ。(6/3)/2 になっている。


つまり、評価は左のものが先に行われ、右に進む。


Javascript では、累乗は ** で表される。


2 ** 3 ** 2 はどうなるだろう?

答えは 512 だ。2 ** (3 ** 2) が行われている。割り算の時とは逆で、右から順に評価される。



こうした「同じ演算子が続く場合の評価順」のことを、結合性という。

結合性は、演算子により異なる。




さて、本題。


Javascript では、「代入」も演算結果を持つ。

a = 5 という代入式があった場合、これ全体は、代入された値である 5 が結果になる。

そして、これは右から左に評価される。


a = b = 5 という式では、まず b = 5 が評価され、この結果である 5 が a に代入される。



では、次の式はどうか。


var a=0, b=[];

b[a++] = a++;


念のため書いておくと、a++ というのは「a の内容を値とした後で、a を1増加させる」という演算子だ。

a が 0 の時に a++ と書くと、その式自体は 0 なのだが、その後に a は 1 になっている。



さて、代入式は右から評価されるのだから、まず a++ が実行される。

そして、その結果が b[a++] に代入される。


…と、そう思っていた。


でも、結果は [1] になる。配列の 0 番目に、1 が入っている、という状態だ。

先に b[a++] が評価され、その後で a++ が評価されている。




ちなみに、こんな風に式の中に a++ とかを書くのはお勧めしない。


ここではわかりやすい形で書いているけど、実際には await を使った式の評価でバグが出た。

こんな感じだった。


b[a] = await func();

if(!b[a]) return;


func からの戻り値がない場合、それ以降の処理をしない、というようなプログラムだったのだが、実際には func が値を戻したとしても、return されてしまう。


書いたのは僕ではないのだけど、うまく動かないので相談が来た。


await は javascript に並列実行を引き起こすのだけど、その中で a が書き換えられていた。


それにしても、戻り値は b[a] に入ってすぐ次の行で見ているはずで、納得がいかない。

…と、この時点では思った。先に書いたように、左辺の評価は後になると思っていたからだ。


でも、左辺が先に評価されると考えないとつじつまが合わない。

そこで先のプログラムを書き、左辺の評価が先だと知ったわけだ。




Javascript でわからないことがあったら MDN を見ろ、と僕は思っているのだけど、今この記事を書くために確認していたら、ちゃんと書いてあった。

でも、長い文章の中にさらりと入っているので、気づいてなかった。


演算子の優先順位のページに書いてある。

(どこに書いてあるのか探してみよう。見落としていたのに納得してもらえると思う)



・興味深いのは、結合性や優先順位に関係なく、評価の順序は常に左から右になることです。



「計算」には優先順位があるが、「評価」は常に左から。覚えておこう。




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訃報(1/4)  2022-04-17 10:06:41  家族

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4月12日(火)、母が他界しました。

85歳でした。




父が他界したのは2009年のこと。

その後数年たってから、母の痴呆が始まりました。


最初は時々物忘れをするくらい。でもだんだん物事がわからなくなってゆき、ここ数年は僕のこともわからなくなっていました。


どうも、子供時代に戻っているのね。話ができるときでも自分の名前を旧姓で名乗るし、小学生くらいになっている。


痴呆の人は、その人が一番幸せだったころに戻ってしまう、という話を聞いたことがあります。

母は青春時代が戦後の混乱期と重なりますし、まだ女性は抑圧されていた時代。

小学生の頃が一番幸せだったのかもしれません。


ここ15年ほどは、長兄の家で暮らしていました。

今年の頭に、以前から入居を待っていた老人ホームに定員の空きが出て入居できました。


我が家からも遠くないし、一度会いに行きたかったのですが、コロナの流行もあって会えないまま。

3月末に、容体があまりよくない、という連絡が来ます。




4月1日(金)にお医者様から詳細を聞ける、というので、長兄夫婦と僕でホームに伺いました。

急に食が細くなり、十分栄養をとれていない、とのことでした。


胃ろうや点滴という手段も取れますが、その場合は病院に入院する必要があります。

ホームで最期を看取るのであれば、すぐということではないがそろそろ覚悟を、と言われます。


僕は6人兄弟なのですが、兄弟で相談。お母さんももう年だし、管をつないで無理やり生きさせるよりも、自然に最期を迎える方が良いだろう、と全員一致で決まります。


とはいっても、お医者さんもまだ先だと言っていたし、数か月くらい先のことだろう…

と、この時は思っていました。


4月8日(金)に再度連絡がきました。

いよいよ食事を食べられなくなっているそうです。


土日の間に、多くの兄弟が見舞いに行きました。しかし、僕は用事があり、いけませんでした。

まぁ、1日に行ったときに会っているし、ホーム側もコロナの関係で面会を最少人数にしたいようなので、行かなくても良いかな、と。


土曜日に面会に行った次姉が動画を送ってくれましたが、手を握ったら首を動かしたり、思ったより元気そうに見えました。


ただ、日曜日に面会に行った次兄が、「水も飲めないそうなので、それほど長くなさそうだ」と。

北海道に住む長姉が、都合もあって木曜にならないと来れない、とのことでした。

それまで持ってくれると良いのだけど…


しかし、願いむなしく、12日(火)の朝に、息を引き取ったとの知らせが来ました。

夜の間だったようです。朝6時に看護士が見たときには、すでに息をしていなかったと。




僕としては、いつでも休めるように仕事先に連絡。

今日から休んでいいですよ、と言ってもらいましたが、休んでもやることないし、12日は仕事をします。


ただ、兄弟間の連絡が飛び交い、仕事効率は落ちてました。

先に書いた北海道の長姉の都合に合わせ、木曜通夜、金曜告別式と決まります。

コロナ禍であることを考慮し、家族葬として親戚も呼びません。


僕もそれに合わせて仕事先に休みをもらいます。


その後、納棺を水曜の午後に行う、と連絡が来ました。

仕事先にまた連絡して、水曜も午前中で仕事終わりにします。

普通、納棺は通夜の直前にやるものですが、葬儀社の都合もあるようです。



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訃報(2/4)  2022-04-17 10:09:02  家族

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13日(水)納棺当日。


急だったので兄弟は都合がつかず、僕と兄夫婦だけ…のつもりだったのですが、次兄が来れることになりました。

また、北海道の長姉も、直前に連絡が来ました。

木曜に来る予定を早め、水曜午後に到着するのでぎりぎり参加できるかも、という状態。


遺体は長兄の家に帰ってきて布団に寝かせていたので、納棺も長兄の家で行います。


とりあえず、長兄、次兄、僕の三兄弟がそろったところで納棺の儀を開始。

末期の水をとり、体を拭き清め、死に化粧を行います。


死に化粧の前に顔の産毛をそります…とやっている最中に、長姉夫婦到着。

ここからは、化粧だからと女性意見も入り、明るい雰囲気で話が進みます。


お母さん、もともとそれほど化粧をしなかったよね。

使っていた口紅とかまだあるから、それを使ってもらおう、などなど。


以前から痴呆でもありましたし、皆の心の中に覚悟ができていたから、それほど湿っぽくならない。

できるだけよい形の葬式にしようと前向きな姿勢になります。



死に化粧が終わり、死に装束を着せます。

これからあの世への長い道中。足袋を履かせ、脚絆を巻き、手甲をします。


紐は縦結びにしてください、と葬儀社の人に言われます。

縦結びって普通は使いませんが、何でですか? と聞いたら、後で説明します、と。


説明では、長い道中なのでほどけないようにしっかりした縦結びにします、とのことでした。

いや、縦結びはすぐほどける結びだから…


死を特別なものとして、普通とは違うことをする習慣があります。

着物のあわせを逆にしたりね。

順当に考えて、縦結びするのは、こちらが原因でしょう。



死に装束も終わったら、布団のシーツを皆でつかむ形で、棺の中に移動します。

葬儀社の人が周囲を整え、納棺終了。




すでに遺影が出来上がっていましたが、これは長姉が母の頼みで撮った写真でした。

父の葬儀の時、遺影にする良い写真が無くて苦労したので、遺影にする写真を今のうちに撮っておいて、と言われたのです。


良い写真でした。葬儀社の人が加工してくれましたが、ほぼ元の写真のまま。



遺影とは別に、葬儀の際に想い出の写真などを飾ってくれるそうです。

納棺が終わって葬儀社の人が返った後、母が保存していたアルバムをみんなで開きます。


僕の知らない僕の写真がたくさんありました。赤ちゃんの時の写真とか。


家族全員が映っている写真は、謎のシチュエーションでとっていることが多い。

これは、父が人が集まると「せっかくだから」と全員で写真を撮りたがったせい。

だから、家族写真にその時たまたまいた誰かの友達が映っていたりする。


母が若い時の写真も出てきました。

中学や高校の時の写真、昔の「女学生さん」という感じで、かわいい。


あと、20歳になる前に撮ったと思われる、思い切り気取った可愛い笑顔の写真。

母も気に入っていたようで、アルバムの写真横には母の字でコメントがついていました。


こういう写真、アルバムに糊付けされていてはがせないのですが、長兄の娘(僕から見て姪)が、スマホアプリで接写し、フォトプリンタで印刷してくれます。

…こういう技術って、昔は写真店に頼まないとできなかったのに、今ではこういうことに特化した専用アプリとかあるのね。



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訃報(3/4)  2022-04-17 10:10:28  家族

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14日(木) 通夜当日。


遠くからくる兄弟は、姪・甥もつれてきています。

子供が小さすぎるなら連れてこないといけないし、既に働いている年齢の姪は、「おばあちゃん」の想い出もあるので。


でも、我が家は僕だけ参加。

子供たちが物心ついたころには母は痴呆が始まっており、思い出もあまりないんだよね。

家が近いので「子供を連れて行かないといけない」理由もないし、そもそも平日なので子供は学校や塾もある。

妻も、子供の塾の送迎をしないといけないので来れません。


家族葬でこじんまりと…と言いつつ、6人兄弟が配偶者も子供もつれてきたりすると、16名参加。

十分な規模のお式に思います。


式自体は滞りなく終了。


式の後、仕出し弁当で簡単な食事があります。

コロナの関係でそれぞれのお弁当なのね。葬式だと、大きな寿司桶で出たりすることも多いのだけど。


家の娘の塾が7時開始で、妻が車で送った後に、式場に寄ることになっているのだけど…


一応、会食終了予定時刻が7時半。でも、その時間を待たず全員食べ終わり、7時過ぎには「じゃぁ、今日はホテルに戻ろうかな」なんて話も出ている。


しかしそう言っていた人もすぐにホテルに行くことは無く、なんとなく周囲と話しているうちに妻が来ました。

何とか間に合った。せっかく集まっている親戚一同に挨拶して周ります。


そして、母に線香を供えます。焼香台はすでに片付けられていたのでね。


本当は、妻に車に乗せてもらって家に帰るつもりだったのですが、もう少し残ることにしました。

通夜の夜は、誰かが遺体のそばで線香の火を守ることになっています。


長兄夫婦がやってくれることになったのですが、一旦家に帰って準備をしてくることになったのです。

娘の塾の終わりは10時ごろになるので、妻はまた車で迎えに来ます。僕はその時に帰ることにして、兄のいない間の火を守ります。


1人だけでは寂しいでしょう、と長姉夫婦も残ってくれました。

これが正解で、結局長兄夫婦は、僕の妻が迎えに来るまでの間に戻ってこれませんでした。

僕が引き受けたにもかかわらず、長姉夫婦に任せて帰ります。



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02年 4/17

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訃報(4/4)  2022-04-17 10:13:42  家族

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15日(金) 告別式当日。


朝、長女・次女の通う中学校から電話がありました。

今日の参観日、自由な時間にご覧になって構いませんよ、と…


すっかり忘れていました。中学校は参観日でした。

コロナの影響で、密を避けるために子供の出席番号による時間指定があったのですが、長女と次女が同じ時間なのでどちらかずらせないか、と相談していたのでした。


これもコロナの影響で、参観日に見に行けるのは家族で一人だけ。

元々妻が行く予定だったのですが、この日は雨で、僕は葬儀場まで妻に車で送ってもらうつもりでした。


時間割を見ながら、「面白そうな授業」を見に行けるように妻が予定を組み立てる…

1時間目に次女の授業を見て、一度家に帰って僕を送ってから、3時間目に長女の授業を見れば大丈夫そう。


さらに、4時間目の後に懇談会と、長女の修学旅行の説明があるのですが…

4時間目の間は「密を避けるため」中学校を出ないといけないのでまた家と往復し、この日妻は1万歩歩いたそうです。お疲れ様です。




告別式は、繰り上げ初七日法要まで一気に行う形でした。

その後、棺に花を入れます。


葬儀の祭壇は、花で作られたものでした。

父の時と同じ葬儀社ですが、父の時は白木の祭壇。こちらの方が形式としては正しいようなのですが、女性の場合柔らかなイメージで、花の祭壇にすることが多いのだとか。


で、初七日法要の後、参列者は一旦別室に移り、スタッフの方が祭壇の花をすべて取り外し、ものによっては茎も切り落とします。

後で聞いたのですが、少しでもお別れの時間を長くとるために、この作業はできうる限り迅速に行ってくれたのだとか。


そして、いよいよ棺に花を入れて最後のお別れ。

母が普段来ていた服を、長兄の奥さんが持ってきてくれていました。

喜寿の時に兄弟で集まってお祝いした時、母にプレゼントしていたカーディガンもありました。


また、母が好きだったという「きんつば」も持ってきてくれていました。


…ん? 僕は「きんつばが好きだった」と納棺の時に初めて聞いたのですが、僕以外みんな知ってる。

あれ? きんつば好きだったって、知らなかったの僕だけ?


きんつばを棺に入れ、みんな花を入れていき…

「きんつば隠れちゃう」と、長姉がきんつばの位置を移動します。

さらに花を入れていくうちに、また「隠れちゃう」と移動。さらにもう一回。


誰かが「もう、お母さんにくわえさせれば?」と言い出して、一斉に「やめて」「それはダメ」なんて突っ込みが入ります。

さすがに、皆が笑いました。


「お父さんの時は、◯◯おじさんが棺に直接お酒を振りかけて、みんな笑ったね」なんて思い出話が出ました。

父の時も確かに笑いました。こうして、笑顔で送れるのはいい式だと思います。


そして棺は花でいっぱいに。


皆が母の顔に触ります。頭をなでます。

僕も感謝の念を込めて、頭を撫でました。


そして、みんなで蓋を閉じます。

これで見納めです。




火葬場まではマイクロバスで 30分ほど。

これも父の時と同じ場所です。


雨が降っていました。

そういえば、父の時も大雨だったよね、と次兄が言います。


先ほど過去の日記を調べたら、父の時は台風が来ていたようです。

そして、今回の雨も、遠くを通過する台風の雨です。


長姉の結婚式の時も、妹の結婚式も台風でした。

我が家の冠婚葬祭には「赤道直下からの大物ゲスト」が良く来るようです。


火葬は1時間ほどで終わり、皆で骨を拾います。

骨壺に収め、最後に愛用していた眼鏡を入れました。これも父の時と同じです。


父はきっと母を迎えに来ているだろう、と長兄が言いました。

そうかもしれません。よく二人で旅行していました。


父が事前に下調べをして、母を案内するように。

あの世までの遠い旅路も、父に任せられると思えば安心です。


仲の良い夫婦でしたから。


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02年 4/17

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娘たちの誕生日  2022-04-24 18:19:28  家族

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ここのところ、仕事が忙しくて余裕がないのだが、娘たち二人の誕生日がやってきた。


二人誕生日近いから、大変なのよ。




まずは次女(中一)。21日木曜日が誕生日だった。


本人は当日に祝いたかったらしいが、木曜日は長女(中三)の塾の日で、家族で祝えない。

そこで、お祝いの日はずらさせてくれ、と事前に言ってあった。


でも、当日に「ケーキいつ買いに行くの?」と聞かれた。

パーティは別の日だけど、当日ケーキは食べたかったらしい。

(我が家では、誰かの誕生日でもそれぞれが好きなケーキを買う。

 で、全員で一口づつシェアする。いろんな味が楽しめて楽しい)


金曜日は家族で祝えるので、パーティ。

でも、金曜は平日でケーキを買いに行くことができないので、土曜日のおやつがケーキではどうだろう、と提案。


当日にケーキがない、ということに少し不満げだったので、長女を塾に送るついでに、何か買ってくると約束。

金曜のパーティのために、材料を買うつもりではあったのだ。


で、スーパーにロールケーキくらいあるだろうと思ったら、夜だったのですでに売り切れだった。

パウンドケーキがあったのでそれを買って、この日は済ませる。



金曜日。約束通りパーティ。

次女の希望は「からあげとフライドポテト」だった。

前日に唐揚げは「揚げるだけ」の冷凍品を買っておいた。

問題はフライドポテトで、次女の好きなシューストリングカットが売り切れていた。

なので、ナチュラルウェッジカットで。


フライドポテトの品薄は、今年に入ってから広く起こっている現象だ。

2月には、マクドナルドがポテトの販売を縮小し、フライドポテト好きの次女は哀しんでいた。

(といっても、コロナの影響で最近マクドナルドに行ってなかった。その意味では、販売しなくなっても我が家には関係ない。)


ついでに書けば、ジャガイモの輸入量はアメリカとベルギーが多いそうだが、アメリカからの輸入が昨年秋からしばらくの間、ほとんど止まっていたのが遠因。


止まっていた理由は、アメリカの天候不順とされることも多いのだけど、それ以上に「コロナ禍から少し回復したアメリカ経済が、ホリデーシーズンに入って中国製のおもちゃ類の需要が高まり、中国からの輸入にほとんどのコンテナを回してしまったから」。

普通は日本に農産物を持ってきて、その帰りに中国のものを持っていくのだが、この時はホリデーシーズンという期間限定特需が控えていたので、「空のコンテナを最高速で中国に送り込んだ」ためだ。


こんな話、数年後には忘れてそうなので書き留めておく。

(ついでに書けば、多くの業者が一気に輸入を行った結果、税関がパンクしてしまってアメリカ沖に2か月も停泊、という船が続出した)




話が完全に横道にそれたが、金曜日には約束通りケーキも買ってきて、午後のおやつに食べた。


木曜日のごちそうは、次女は喜んで食べて、「食べる」と宣言して自分の皿に取った分を残す、というほど腹いっぱいになっていた。

ケーキが別の日なのは大正解。というか、このパターンを毎年やっているのに次女は学習していない。




次は長女の誕生日。25日月曜日だ。


でも、平日はやはり僕が忙しいし、1週間もずれるのを嫌った長女は「前日にごちそう食べたい」と申し入れてきた。

前日とは、つまり今日だ。


長女が食べたいのは、宅配ピザと、ベーカリーで売っているお惣菜系のパン。

家で焼くようなピザや、コンビニで売っているようなお総菜パンではダメ、とのこと。


まぁ、ちょっと豪華なものを食べたい、という気持ちはよくわかる。


しかし、ピザとお総菜パンは多い。別の日にしよう、ということになっていた。

ちなみにケーキは、次の日曜日でいいそうだ。




しかしお総菜パンを売るようなベーカリー、以前はいくつか知っていたのだが、最近は閉店してしまったところが多い。

近所の情報を調べて、よさげな店を見つけておいた。


そして、今日の昼に買いに行こうと約束していたのだが、今日になって調べてみると定休日だった。

確認が甘い。


急遽予定を考え直す。今日の昼はピザにした。

「宅配ピザ」と言われていたが、最近は自分で取りに行けば半額、というのが多い。


というわけで、家族五人でピザ3枚。

それでも食べ盛りがいるからペロリと平らげるだろう、と思ったら、2切残った。夕飯で食べる予定。

(ここでも、次女は「食べる」と宣言していた量をとても食べられなかった。もっとも、長女もたくさん食べると言っていたが、食べられなかった。)




お総菜パンは「チーズが入っているようなもの」を食べたがっていたのだが、ピザを食べたら満足したらしい。


ピザを買う前に、「ガーリックトーストしたフランスパンでもいい」と言っていたので、夕飯に出してやるつもりで、ピザを買いに出たついでにバゲットを買ってきてある。

そして実は、総菜パンに期待していなかった店だが、チーズの乗ったような総菜パンがあったので買ってきてある。


別の理由で「近いうちにポトフを作ろう」と言っていたのだが、ポトフとパンで合わせる予定。

(すでにポトフは煮込んである。そろそろ夕ご飯の時間だ)


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