ファミコンの開発者、上村雅之さんが亡くなったそうだ(12月6日)。
…と書いたところで、僕は氏のことをほとんど何も知らない。
名前は聞いたことがある、という程度だが、多分名前だけ聞いても誰だかわからず、「ファミコンの」という接頭語がつけば思い出すレベル。
自分の記事の中で思い出すのは、世界初のテレビゲーム機について書いた文章の中の、ODYSSEY (1972) の項目の、最後のリンク。
一番良く思い出すのがリンクっていうのはどうなのか、と思うのだが、今見に行ったらリンク切れになっていたので、waybackmachine につなぎなおした。
まぁ、読んでみて欲しい。
上村氏が、ファミコン以前に「光線銃」というおもちゃを任天堂で作成したこと。
その光線銃が良くできていたので、世界初の家庭用テレビゲーム機とされる ODYSSEY の周辺機器としての「光線銃」作成のオファーがきたこと。
ここで、任天堂は「テレビゲーム」というものを知り、のちに自分たちで作ろうとすること…
そう。テレビゲームよりも前に流行した「光線銃」から、ファミコンまでに一つながりの歴史があるのだ。
ファミコンにも光線銃発売されていたけど、あの周辺機器は「出して当然」のものだった。
ファミコンについては、大好きなので、これまた別の記事を2つも…3つかもしれない…まぁ、ともかく書いている。
ひとえに、非常にバランス感覚の良い機械だったと思う。
おもちゃとして、安いけど十分な機能を持つように作り込まれている。
開発したころの話は、任天堂の過去記事だけど社長が訊くに詳しい。
これもまた楽しいので読んでみて。
というわけで、「偉大な方が亡くなった」という認識はあるのだけど、僕が詳しくないのでほとんどメモのような記事です。申し訳ありません。
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