【病状の進行】
時系列少し巻き戻します。陽性者が判明した直後からの、病状の進行。
個人の病状を示すときは、発症を0日目とした日付を添えることにします。
まず長女。陽性判明の時点で熱が出て4日目だったのですが、熱の前に喉が痛くなっていたのでその日が発症とされました。
そして、すでに熱は下がり始めていました。
このあと、強い喉の痛みがあるものの、予定通り発症7日目には平熱になり、10日目で完治という扱いになります。
長男。陽性判明した27日から急に熱が上がり、38度5分程度に。
しかし元気で、食欲もあります。長女と同じく喉は痛いようです。
連日38度以上でしたが本人辛くないようで、薬も余り飲みません。
発症6日目に急に熱が下がって平熱になり、こちらも10日目で完治扱い。
というわけで n=2 ですが十代の若者はコロナに強いようです。
ただ、ふたりとも後遺症として嗅覚異常が残りました。匂いを感じません。
これは徐々に治るのが普通らしいので、待ちます。
問題は僕です。50代男性。
…陽性判定の日が誕生日だったので、前日なら「40代」の扱いだったのですが。
判定は発症1日目。その翌日くらいまでは元気だったのですが、以降は連日39度超えの熱になります。一番高かったときで39度8分。
最初は、熱があってもご飯を少しでも食べ、その後処方された解熱剤を飲んでいました。
しかし、熱があると食欲もなくなり、ご飯が食べられません。
方法を変え、解熱剤を飲む時間を管理するようにしました。5〜6時間おきに飲めるので、1日4回飲みます。できればご飯の2〜3時間前に飲むようにします。
というのも、飲むと30分程度で熱が下がり始め、2〜3時間後に一番低い状態になるから。
低いと言っても38度5分とかですが、その時ならご飯を食べられます。
…が、6時間毎服用と、ご飯の2〜3時間前、の両立は無理だった。
食事を用意してくれる妻には申し訳ないのですが、食べられそうなときに頼んで、なにか作ってもらうようにします。
この食事方法が確立できるまでに3日ほど。一時期は本当にほとんど食べられなかったのが、量は少ないながら定期的に食べられるようになりました。
(妻によれば、カロリーベースで普段の量の1割)
ちなみに、食べているとき以外は布団で横になっています。体力がなくて、横にならないと辛いのです。
横になっても眠れません。これも、どうも体力がなさすぎて眠れないようなのです。眠るのって結構体力使う、というのはよく言われること。
で、やることもなく横になっていると、熱のせいで悪夢のような妄想を見ます。
これが説明が難しいのだけど…
僕はプログラマーなのだけど、咳をしただけで「あぁ、今の事象を報告しなくては」って思って、なにか修正してビルドしてるのね。
ビルドしたから何があるわけではない。でも、しないといけないと思ってる。
咳をしないでも、なにか焦燥感にかられてビルドし続けてる。
他のパターンもあるけど、とにかく焦燥感にかられて繰り返し無意味なことをやっている夢。
先に書いたけど、寝てはいないので意識はあって、これが熱のせいで見ている悪夢だという自覚はある。でも止められない。気が休まらない。
ラジオとか聞くと、言葉に意識を持っていかれて余り悪夢を見ないとわかり、常に radiko を使うようになりました。
(それでも見るときもあるのですが)
さて、1日4回飲むと解熱剤はすぐなくなります。
妻の分ももらって飲み続けます。
2回ほど、37度台まで下がって喜んだのですが、その時だけ。
薬が切れると39度台、薬を飲んでも38度5分程度、というのが基本です。
発症7日目に下がるのを期待したのですが、全然下がりません。
妻の分の解熱剤も飲み干し、すでに治療完了した長女の余りをもらいます。
見事なアセトアミノフェンジャンキー。
そのまま発症9日目になり、熱が下がり始めます。
薬が切れる時間になっても、39度まで戻らないのです。
とはいえ、38度はあるので薬は飲みます。
熱が下がって、少し食欲が出ました。
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