目次
08-10 コロナ闘病記 1
08-10 コロナ闘病記 2
08-10 コロナ闘病記 3
08-10 コロナ闘病記 4
新型コロナウィルス(COVID-19)に感染しました。
ほぼ回復しつつありますが、まだ完治はしていません。
しかし、文章をまとめられるくらいの体力は回復したので、経緯を記しておこうとおもいます。
【陽性判定】
事の起こりは、7月22日にかかってきた電話でした。
長女(中2)の通う塾からで、塾でコロナ陽性者が出たため、濃厚接触者ではないがPCR検査をお願いしたい、という内容でした。
23日に検査会場に行ったのですが、長女は「なんか喉が痛い」といっています。
濃厚接触には当たらないという塾からの説明でもありますし、のどが痛いのがコロナだ、ということにはなりません。
24日、長女が発熱。37度台のそれほど高くない熱でした。
念の為、長女は他の人に近づかないようにします。
食事は同じ部屋だけど、少し離れて食べる形。(誰もいないところで食べるのは寂しいので)
25日、長男も発熱。37度台です。
長女の熱は38度台へ。
長女の塾から連絡があり、PCR検査の結果は陰性だったので、明日から塾に来てくださいとのこと。
さて困った…ここで陽性だと言われれば対応は簡単だったのですが、コロナ以外の可能性を考えないといけなくなりました。
また、陰性が出た直後なので、病院で検査してもらいづらくなりました。
26日。
僕はなんだか朝早く目がさめました。体のあちこちがなんか痛いです。
変な姿勢で寝ていて寝違えて、それが原因で目が覚めたかな、と思いましたが、熱を測ると37度台。
この日長男は37度台、長女は38度台です。
妻も念の為熱をはかり、微熱がある、とのことでした。
感染力の高さで、コロナの疑いはさらに高まります。
いよいよ本格的に確定検査の方法を調べます。
自費での確定検査を受け付けている病院も結構多いとわかりましたが、これはむちゃくちゃ高いです。
公費での検査は医師がコロナ疑いと診断した場合で、その目安の一つは高熱が4日続くこと、のようでした。
すでに長女の熱は3日目なので、明日検査に行きましょう。
食事などは一人だけ熱のない次女を離す形に。
27日。
検査に行くつもりで朝から情報を確認しているのですが、よくわかりません。
まずは行きつけの病院で検査を、とされているのですが、普段使っている病院では確定検査を行っていないようです。
その場合、神奈川ルールでは最寄りの保健所に連絡して病院を教えてもらう事になっているのですが、鎌倉市には保健所はありません。
で、神奈川県が設置しているコロナの相談センターがあることがわかりました。保健所のない市はこちらで教えてもらえます。
電話をかけて状況を伝えると、すぐに最寄りの病院で確定診断を行ってくれるところを紹介してくれました。
2件あり、ネットで調べると1件は訪問診療中心でした。そのため、医院をあけている時間が少ないです。
もう1件は長女の塾のすぐ近くでした。話が早そうなのでこちらに連絡することにします。
…とその前に、次女を起こします。時間は9時頃。次女はほっとくと昼まで寝てます。
念の為に熱を図らせると、平熱より少し高いようです。
さて、病院に連絡。
まずは診療予約を入れるつもりで電話したのですが、そのまま電話による問診になったようです。
家族全員の問診を行い、保険証・医療証はスマホのカメラで送り、11時に車で医院に行くように言われます。駐車場に車をとめたら車内から電話してください、とのこと。
この際、10時以降は歯磨きも水を飲むのも禁止。暑いので、検査後すぐ飲めるように水を持っていくこと。
車の席順。どうしても密です。
僕は妻もコロナ疑いだと思っていたのですが、微熱以上になる兆候がないから違うかも、といいます。次女も起きてすぐは体温が安定していなかっただけで、平熱です。
強い疑いは長女、長男、僕。この時点では僕が症状が一番軽いです。
そこで、僕が車を運転、長男は助手席、長女は長男の後ろにします。
妻が後部座席中央にのり、次女は僕の後ろ。
車は窓を全開にして走ります。
病院について連絡をいれます。準備するので少し待つように言われます。
駐車場の片隅で親子連れが立っていました。
で、どうやらこちらの親子も検査に来たようでした。病院の人がワゴンを持ってきて検査をしています。
なるほど、コロナ疑いだから病院には入れず屋外で済ますのか。
しばらくしたら我が家の番でした。
鼻の奥の粘液拭い取りによる抗原検査でした。
僕からはじめましたが、30秒ほどで「お父さん陽性」といわれます。
続けて長男陽性、長女陽性。
妻と次女は陰性。しかし、家族なので感染疑いはあり、より精密なPCR検査もしましょう、と言われキットを渡されます。
明日家で起きてすぐの唾液を採取して持ってきてください、と。
このあと車の中で1時間待たされます。県に対してコロナ陽性者発生の報告手続きなど行っていたようです。
神奈川県がまとめた、コロナ療養者のためのマニュアルを渡されます。これが非常に良く出来たもので、病気中何度も参照しました。
念の為家族全員の解熱剤をもらい帰宅。
妻の分も薬があったのが、後で役立ちました。…僕が飲んだ、という話ですけど。
※PCRの結果がわかるのは2日後ですが、妻、次女とも陰性でした。
※普段の食事の際の席順ですが、長女の両隣が、僕と長男です。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
【生活ルールの構築】
誰が陽性で誰が陰性かわかったところで、家の中での感染対策を行います。
まず24時間換気システムの送風を「強」に。スイッチひとつでできる対策。
そして部屋割。
子供は自室を持っていますが、長女と次女はカーテン区切りで感染対策としては少し不安です。
また、夫婦は同室です。僕が発症した日は、妻はリビングで寝ました。
そこで、僕と次女を入れ替えることにしました。
こうすれば、陰性の妻と次女が同室、陽性者は各個室をもち、できるだけ部屋に閉じこもることが出来ます。
トイレは1階と2階にあるので、1階を陽性者用、2階を陰性者用とします。蓋を閉じて流すルールを徹底。
リビングは、うちはキッチン〜洋室〜和室のひとつながりです。
キッチンは陽性者は立入禁止。洋室も陰性者用とし、和室を陽性者用の場所にします。
食事の際などは、別のテーブルだけど声が届く距離です。
洗面所が一番問題。
全員コップをわけ、歯ブラシはブラシ部分を下にしてコップに入れるようにしました。
これで、ブラシが接触して感染することもなくなります。歯磨き粉も当面使用禁止。
タオルも陽性者用と陰性者用を分けます。
洗面所には洗濯機もありますが、汚れ物は洗濯機へ。このとき洗濯機を触らないように、蓋など開けっ放しにしておきます。
新しいタオルがほしい際は、普段ならタオル入れの引き出しから出すのだけど、陽性者用は別の箇所に積んでおきます。こうすることで、陽性者が触るところを減らします。
基本はこんな感じで、細かなルールは運用しながら妻が改良していきました。
おかげで、陽性者と陰性者が一緒に生活しているのに、あまり不自由なく、普段に近い生活が送れました。
ただ、その普段と変わらない生活の裏には、妻の多大な労力があります。
普段の家事は多くが僕の担当。食事の準備と皿洗い、洗濯して干して、風呂を洗って沸かすのも。
単にこれが妻に移行するだけでも妻の負担が大きいのですが、感染対策のために手間が増えています。
食事は2つのテーブルに分けましたが、病状によって食べられないものなども出たので(主に僕)、個別対応が必要でした。
「おかわり」と言われただけでも、素直にお代わりできません。
陽性者が触ったお茶碗を触った手で、給仕を行うと感染の可能性があるためです。
別の器などにお代わりを準備し、持っていってお茶碗に移す、などの方法を取っていました。
食器は僕は夜まとめて洗っていたのですが、ウィルスが付着したものを放置しておくのも危険なので、毎食後洗います。
この際、我が家の食洗機の特殊性が問題になります。
我が家の食洗機は1回の洗浄時間が5分です。代わりに1度に洗える量は少なめ。
2つトレーがあるので、1つを洗っている間に、もう一つのトレーに次に洗うものをセットしておきます。
これを次々繰り返せば、どんなに多くの食器があっても一気に洗うことが出来ます。
普段なら、トレーを入れ替えたら軽く手を洗います。洗い終わった食器を取り出すために、手の汚れを落とすのです。
しかし、感染対策としては、石鹸でしっかり洗う必要があります。これがかなりの手間。
しかし、こうした妻の努力で生活がかろうじて保たれていました。
【支援】
確定診断を行った27日の夜には、神奈川県の療養サポート窓口から電話があります。
本当は保健所から当日中に電話が来るのだけど、作業が間に合っていないので明日の朝になるかもしれない、とのこと。
この日、東京では初めて1日の感染者が2000人を超える2800人の報告となり、神奈川県でも758人で過去最高でした。
翌日、午前中に保健所からの電話があります。陽性者それぞれの状況確認。必要な部分は本人が電話に出ます。
神奈川県では、発症した日を0日目として、7日目までに熱が下がれば、10日目の終了をもって治療完了としています。(これ以降ウィルスは感染力を持たないためです)
そこで、治療完了予定日がそれぞれに伝えられます。
あと、これらの状況把握のために LINE への登録がお願いされますが、これは全員すでに行っていました。(療養者向けマニュアルに書かれていたため)
翌日29日には、バイク便でパルスオキシメーターが届けられます。
これは血中酸素濃度を測かるためのもので、LINEへの入力も求められます。
30日には、支援キットが大きなダンボール3箱(3人分)届きました。
中身は、トイレットペーパー120m 3巻、ティッシュ2箱。
長期保存可能菓子パン5個、ニンジン&オレンジジュース3缶。
さとうのごはん…20食分くらい? レトルトカレー2袋。
インスタント味噌汁24食分、緑茶ティーバッグ40袋。
以上が1箱分。
陽性者が食料を触るのは良くないので、届いたときに撮った写真をもとに書いてます。
少し違うかもしれません。この後妻がダンボールから出して管理しました。
で、翌日からは治療完了予定日まで、冷凍お惣菜3食分の宅配があります。
サトウのごはんや味噌汁と合わせ、毎日の食事提供になっているのですね。
ただ、妻は最初は楽できそうと言っていたのですが、病気で食が細くなっている人の分を減らしたり、陰性者のぶんが足りないので料理したり、結局大変だったようです。
(特に食べられず、迷惑を掛けたのは僕)
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
【病状の進行】
時系列少し巻き戻します。陽性者が判明した直後からの、病状の進行。
個人の病状を示すときは、発症を0日目とした日付を添えることにします。
まず長女。陽性判明の時点で熱が出て4日目だったのですが、熱の前に喉が痛くなっていたのでその日が発症とされました。
そして、すでに熱は下がり始めていました。
このあと、強い喉の痛みがあるものの、予定通り発症7日目には平熱になり、10日目で完治という扱いになります。
長男。陽性判明した27日から急に熱が上がり、38度5分程度に。
しかし元気で、食欲もあります。長女と同じく喉は痛いようです。
連日38度以上でしたが本人辛くないようで、薬も余り飲みません。
発症6日目に急に熱が下がって平熱になり、こちらも10日目で完治扱い。
というわけで n=2 ですが十代の若者はコロナに強いようです。
ただ、ふたりとも後遺症として嗅覚異常が残りました。匂いを感じません。
これは徐々に治るのが普通らしいので、待ちます。
問題は僕です。50代男性。
…陽性判定の日が誕生日だったので、前日なら「40代」の扱いだったのですが。
判定は発症1日目。その翌日くらいまでは元気だったのですが、以降は連日39度超えの熱になります。一番高かったときで39度8分。
最初は、熱があってもご飯を少しでも食べ、その後処方された解熱剤を飲んでいました。
しかし、熱があると食欲もなくなり、ご飯が食べられません。
方法を変え、解熱剤を飲む時間を管理するようにしました。5〜6時間おきに飲めるので、1日4回飲みます。できればご飯の2〜3時間前に飲むようにします。
というのも、飲むと30分程度で熱が下がり始め、2〜3時間後に一番低い状態になるから。
低いと言っても38度5分とかですが、その時ならご飯を食べられます。
…が、6時間毎服用と、ご飯の2〜3時間前、の両立は無理だった。
食事を用意してくれる妻には申し訳ないのですが、食べられそうなときに頼んで、なにか作ってもらうようにします。
この食事方法が確立できるまでに3日ほど。一時期は本当にほとんど食べられなかったのが、量は少ないながら定期的に食べられるようになりました。
(妻によれば、カロリーベースで普段の量の1割)
ちなみに、食べているとき以外は布団で横になっています。体力がなくて、横にならないと辛いのです。
横になっても眠れません。これも、どうも体力がなさすぎて眠れないようなのです。眠るのって結構体力使う、というのはよく言われること。
で、やることもなく横になっていると、熱のせいで悪夢のような妄想を見ます。
これが説明が難しいのだけど…
僕はプログラマーなのだけど、咳をしただけで「あぁ、今の事象を報告しなくては」って思って、なにか修正してビルドしてるのね。
ビルドしたから何があるわけではない。でも、しないといけないと思ってる。
咳をしないでも、なにか焦燥感にかられてビルドし続けてる。
他のパターンもあるけど、とにかく焦燥感にかられて繰り返し無意味なことをやっている夢。
先に書いたけど、寝てはいないので意識はあって、これが熱のせいで見ている悪夢だという自覚はある。でも止められない。気が休まらない。
ラジオとか聞くと、言葉に意識を持っていかれて余り悪夢を見ないとわかり、常に radiko を使うようになりました。
(それでも見るときもあるのですが)
さて、1日4回飲むと解熱剤はすぐなくなります。
妻の分ももらって飲み続けます。
2回ほど、37度台まで下がって喜んだのですが、その時だけ。
薬が切れると39度台、薬を飲んでも38度5分程度、というのが基本です。
発症7日目に下がるのを期待したのですが、全然下がりません。
妻の分の解熱剤も飲み干し、すでに治療完了した長女の余りをもらいます。
見事なアセトアミノフェンジャンキー。
そのまま発症9日目になり、熱が下がり始めます。
薬が切れる時間になっても、39度まで戻らないのです。
とはいえ、38度はあるので薬は飲みます。
熱が下がって、少し食欲が出ました。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
【主治医の決定】
発症10日目、電話が掛かって来ました。
これまで神奈川県のサポート側で病状把握をしていましたが、標準的な回復になっていないので、神奈川県から依頼を受けて、鎌倉市の医師会の方でサポートを開始する、という内容でした。
早速電話で現状を聞かれます。
熱は少し下がり始めたところです。パルスオキシメーターの値は、95%くらい。
パルスオキシメーターは、93%以下で肺炎の疑いがあるためすぐに連絡を、となっています。なので毎日測っていますが、95% 程度は維持できていました。
すると、「その場で 40歩ほど足踏みして、その後パルスオキシメーターの値を教えて下さい」と言われます。
行ってみると、90% 程度。そのまま電話をしていてもすぐには値が回復せず、1分以上かかって 94% を超えました。
電話ではなく直接確認したいので、後ほどお伺いします、と言われます。
なにか機械とかで精密測定するのかと思ったらそんなことはなくて、同じように軽い運動からの回復時間を見ただけでした。
でも、パルスオキシメーターは安静時の値を見るだけでなく、こういう使い方も大切みたい。
来てくれたのは看護師の方のようで、医師ではないので現状確認しただけ。
でも、明言しないけど肺炎のようで、入院の可能性も考えつつ医師と連携します、といって帰りました。
この日、熱は更に下がって37度5分程度に。
夕飯は子供が作ったカレーがあり、美味しかったので何杯かお代わりしました。
お粥でないものを食べられました。
小皿によそったものだったので、それでも普段の半分程度しか食べてません。
発症11日めの朝。
なんと、少し眠れました。
朝ごはんも、カレーを中くらいの皿で美味しく食べられました。
で、久しぶりにたくさん食べたので、トイレに行きたくなりました。大の方。
汚い話ですが、これが大変だった…
大きいのを出そうと気張ったら、酸欠になったのです。
酸素を欲して激しく咳き込むのですが、肺炎なので急には酸素が入らない。
こういうときは横になって回復を待つのが良いのですが、トイレの最中なので横にはなれない。
咳き込みながらもとにかく終わらせて、布団に倒れ込んでパルスオキシメーターで測定すると、86% でした。すごく低い。
5分程度で 90% までは回復したのですが、95% まで 20分くらいかかっていました。
さて、その後医師の男性から電話が来ました。
状況を聞いて引き継いだので、まずは家を訪問したい、という連絡でした。
最初にコロナの確定診断ができる病院を聞いたときの、2件の片方。「訪問診療中心の病院」の人でした。
午後にお伺いします、と言われていて、1時頃に来ました。本当に午後だ。
で、すでに薬を持ってきてくれています。
まず最初に、当面僕が主治医となります、と宣言されました。サポートは鎌倉の医師会ですが、多くの医師のたらい回しにするようなことはせず、治療が終わるまでの主治医を定めますと。
そして、医師の所見として、コロナによる肺炎であること。肺炎なので入院が望ましいのだけど、病床逼迫しているのと、話をしていても薬で治療できそうなので、自宅療養で続けましょうと。
で、薬ですが、肺炎の治療に使うステロイド剤で、コロナ治療薬として承認されているものだそうです。
ただ、強い副作用もあるので無理におすすめしません。リスクとリターンを考えたら、自分ならば服用します、と。
ステロイド剤は嫌いという人もいますが、僕は特に薬に好き嫌いは無いので飲みます。
強い薬で胃潰瘍になる人もいるということで、胃薬も一緒に出ていました。
また、熱がずっと続いているようなのでと、解熱剤の強力なやつも持ってきれくれていました。
こちらは急に熱が引き始めたところなので、多分使いません。
ステロイド剤は、今日はすぐに1回分飲んで、明日からは朝のうちにと言われます。
この日はこれで終わり。
熱は下がり、食欲は更にまし、夜もよく眠れました。
12日目の朝は、体は随分元気になり、普通にご飯を食べられました。
食事を食べれるようになると、体力の回復は速いです。
これを書いている現在、15日目ですが、食事は普通に取れるようになっています。
ただし、体を動かすと息切れします。
さすがにもう、トイレに行って激しい酸欠を起こすことはないのですが、家の階段の上り下り程度で息切れは起こします。
医者の先生からは、毎日の電話の問診の際に、スクワット10回でのパルスオキシメーター測定を求められます。
スクワット10回は特にきつくないのですが、その後の酸素濃度の変化を見るのね。
これが、運動終了後に徐々に 90% まで落ちて、またゆっくり 95% くらいまで戻る感じ。
健康ならこの程度の運動では 97% くらいを維持するようなので、まだ肺炎の症状が強いのでしょう。
7日で熱が下がった場合は、10日で感染力も消えたという判定になります。
しかし、標準から外れてしまっているため、熱は十分に下がっても「まだ感染するかもしれない」扱いです。
これが地味に不便で、家の中で隔離されています。
隔離ということは、近づいた人はその後手を洗ったり、いろいろな手間が生じます。
元気にはなっているので、感染力がなくなった判定になれば、自分の身の回りのことくらいはできるようになるのですが。
以上、まだ完治はしていませんが、ほぼ回復のご報告でした。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |