目次
01日 長男、高校合格
03日 休校
16日 ソフトウェアリリース
19日 リリースその後
23日 多くは語らない
27日 卒業式
30日 雪降ったね
たびたび受験生だと書いていた長男、無事高校合格した。
もっとも、神奈川県方式だと、無理しなければ大抵は合格するようになっている。
公立受験における内申点の比率が非常に高く、受験前からある程度結果が予測できるため。
しかし今回、長男は内申点に比して「高望みしすぎな」高校を狙っていた。
先生からは、やめとけと説得されたくらい。
もしかしたら合格できないかもしれない。
親としてもそう考えていたので、1年間長男の受験については「受験生」ってこと以上に日記に書かないようにしていた。
中学3年に上がってすぐ、塾では受験したい高校を絞り込み始めるように言われていた。
参考として模試なども行われていた。
しかし、うちの長男、のんびりとしていて特に希望校などがない。
模試では、希望校を3校書くようになっていて、それらの高校への合否判定をしてくれる。
よくわからないから、って近所の高校の名前を1つだけ書いていた。
その高校は、「近所」というだけで、特にレベルは高くない。
この調子なら絶対合格できる、という判定は出たが、それだけ。
自分のレベルを測る参考には、あまりなっていない。
しかし、塾の先生から、「決めかねているなら、この高校はどうだ」と勧められた学校がある。
説明会なども近いうちにあるから見に行ってはどうだろう、と。
のんびりしている長男も、勧められたので説明会を見に行った。
結構レベルの高い学校で、魅力的な独自カリキュラムもあるようだ。
長男、説明を受けて気に入ったようで、この学校に行きたい、と目標にする。
その後、別の高校などの説明会も見に行くし、私立の複数校が集まる合同説明会にもいった。
夏休みの間に数校は回っておくように、という、学校からの「宿題」だったせいもある。
特に私立の説明会は、長男にとっても親にとっても、衝撃だった。
話を聞こうとしても、内申点の提示を求められ、見せたところで断られる。門前払いだ。
うちの長男の内申が悪いわけではなく、「普通だから」だ。
特に高いレベルの学校に話を聞こうとしたわけではない。実力相応の、普通の学校に話を聞こうとしただけだ。
しかし、そうした「普通の高校」が、「普通の生徒」では、門前払いなのだ。
この時は妻が付き添っていたのだが、偏差値などで見てそれほど高くない学校に門前払いを食らった、ということで驚いていた。
そして、この理由はすぐ後に判明した。
例年なら、当然ながら普通レベルで大丈夫なのだ。
しかし、今年大騒ぎになった「大学共通入試改革の失敗」の影響で、高校受験にも大きな余波が訪れていた。
数年後に忘れているかもしれないので詳細を書こう。
大学入試の共通センター試験は今年度で終わり、来年度からは新方式になる。
こうした場合、新方式は3年前までに決定される。高校入学時から、3年後の大学入試に向けて勉強を始められるようにとの配慮だ。
しかし、予定されていた試験内容は、明らかに無理があった。
それまでは、機械的に処理できるマークシート方式だったのに、記述問題を取り入れようというのだ。
機械処理できないので大量の「採点員」が必要になるし、大量の人が必要なのに、その間で「採点内容のブレ」があってはならない。
そんなこと、絶対にできるわけがないと言われ続けていたが…昨年の末になって、やっと「中止」が決定された。
中止といっても、じゃぁ新しい方式はどうするのか、ということはまだ決まっていない。
現在の高校2年生は、来年の大学受験を控え、どのような勉強をすべきかもわからない。
実のところ、記述が取り入れられる、と判明した時点から「そんなあやふやな方式では不安だ」という声は多かった。
そのため、受験をしないでも大学に入れる、「大学付属高校」への進学希望者が急激に増えた。
これが、昨年のことだそうだ。
大学付属高校は、私立に多い。レベルが高い高校は当然、普通レベルの高校であっても、大学付属高校は定員をオーバーするほどの希望者が殺到した。
私立は、公立と違って営利を追求しなくてはならない。
優秀な子が殺到したのだから、できるだけ受け入れた。しかし、あまりに定員オーバーになると、文部科学省からも怒られる。
このため、今年は定員を大幅に絞り込む必要があった。
相変わらず人気は高いが、絞り込む。これはつまり、狭き門になるということだ。
「普通の学校」であっても、学力が相当高くないと入れない。
今年の高校受験は、そういう状態だったのだ。
高校説明会巡りをしていた夏の間も、塾の模試は月1ペースで行われていた。
塾の先生に勧められるまま、希望校を書いていた長男、その後の成績で「十分合格ラインを維持しているから、この調子で」と励まされていた。
しかし、学校の志望校調査が始まった秋、中学の先生からは「その学校は高望みしすぎだから、やめた方が良い」と言われる。
家で緊急会議。
あらためて、模試の結果表などを長男に持ってこさせ、検討する。
合格ラインだと言われていた高校、判定は 60% 程度となっていた。
塾の先生は「大丈夫」と言っているが、少し心もとない数字だ。
いったい何がどうなっているのか。
塾としては、レベルの高い高校に合格者が出れば実績となるので、少し高めに受けさせようとしているのではないか。
学校の先生が言うように、少しレベルを落とした方が良いのかもしれない。
長男とも相談し、この時にはいったん保留とした。
というのも、中学では「先に私立を決めるように」とされていたため。
公立は後で考えてもいい。
私立は、中学の先生が勧める中から選んだが、少し残念な…はっきり言えば Fランクの高校だった。
#学校のレベルは、一般に A~E の5段階で評価される。
この評価は塾や予備校が行っているもので、十分に学力を把握している子の受験結果を見て決める。
つまりは、合格と不合格の偏差値の境界が、その学校の入試偏差値なのだ。
この時、「不合格者がいない」、つまり誰でも入れる学校は、評価不能となり、E 以下の F とされる。
#厳密にいえば、長男が勧められた高校は F ランクではない。
中堅どころ、C ランクくらいになっている。でも、希望者は事実上全員入れる。
これは、高校側が「特待生」制度を設けているため。
特待生狙いで受験をすると試験があり、合格すると授業料などが免除される。
合格者はそれなりに絞り込まれるため、高ランクとなる。
しかし、普通の入学を希望する生徒には、試験が行われない。
ある程度の内申点は求められるが、それは中学の先生が推薦した時点で満たされており、全員合格となる。
さて、中学に公立高校の希望を出さなくてはならない。
一旦はレベルを落とすことにした。希望は最終決定ではなく、「現時点での」ものだったため。
しかし、このころの長男は非常に表情が暗くなっていた。
希望校がダメだと言われ、勉強にはちょっと自信を持っていたのだが、それを否定された形だった。
ある日、中学の先生から電話がかかってきた。
学校で、長男が泣きながら歩いているのが発見され、ゆっくりと話を聞いたが「自殺したい」とまで言っていたそうだ。
家でも話を聞いてみてください、と言われたので話をした。
やはり、進路に悩んでのことだった。
でも、急に思い詰めてしまったが、その後ゆっくり考えて、レベルを落とした高校でも納得した、とのことだった。
さらにその後、塾の先生から電話がかかってきた。
長男から高校を変えると言われたが、もったいない。最初の希望通りで大丈夫ですよ、とのことだった。
長男がかなり思い悩んでいたことも話し、でも納得いったようなのでこれ以上気持ちを揺らがせたくない、と答える。
しかし、この電話で「何かがおかしい」と感じ始めた。
何か話が食い違っている。学校と塾の言い分の食い違いもあるが、絶対に「僕が」理解していない何かがありそうだ。
あらためて、神奈川方式の受験システムの詳細を調べてみる。
ここで、やっと勘違いが理解できた。
神奈川方式では、内申点が大きな比重を占める。
学校ごとに細かな比率は変えられるが、おおざっぱに4割は内申点。4割は普通の受験内容。
残りの2割が面接になるが、これはよほどのことがない限り横並びの点数になる。
…と、中学などでの「進路説明会」で聞いていた。
内申が4割も占める。重要だと思っていたが、まだこの先があった。これを知らないでいた。
上の方式で決められるのは、定員の 90% まで。
残りの 10% は、最初の 90% の選考に「漏れた」もののうち、「内申を加味しない成績が良かった者」を選ぶ。
漏れたもののうちから選ばれるため、敗者復活のようにとらえられるのだが、そうではない。
内申点は、中学3年間の総合成績だ。これだと「受験に向けて頑張って、途中から学力が伸びた子」が救われない。
そこで、敗者復活ではなく、「最初から内申なしで勝負をかける子」に対して用意されたのが、この 10% 枠だ。
試験だけですべてが決まるので、現時点での学力だけの勝負になる。
予測が立てづらい。先生は指導しづらいし、たまたま当日の試験が「苦手な問題」だと実力を発揮できない。
もっとも、苦手だと点数が低い、というのであれば「その程度の実力」ともいえる。
学校の先生は、進路説明会でも説明した、90% の部分だけを対象に考えていた。当然だろう。
しかし、塾の先生は、10% の部分を考えて長男に高校を勧めていたのだ。
改めて、長男に模試の結果表を持ってこさせる。
先に書いたように、合格判定は 60% だったが、これは「定員の 90%枠」を考慮した値だった。
残りの 10% 枠は予測しづらいため、小さめに書いてあった。
そのため理解していなかったのだが、80% ~ 90% で推移していた。
なるほど。十分勝負をかけられる数字だ。
しかし、定員のたった 10% 、という枠は狭いように思う。
そこを狙っていく、という方法で勝機はあるのか。
続いて考える。2つのパラメーターがあり、マトリックスになっている。
一つは内申点の高低。
もう一つは試験成績の高低。
多くの子供は、学校の成績が良く、先生に勧められた学校に行くだろう。
このうち、試験の成績もよい子は、内申が良いので 90% 枠で合格する。
先に合格が決まってしまうため、長男と争うことはない。
もう一つ、あこがれや親の見栄などで不相応な高校受験をする子。
内申も低く、試験成績も低い。当然不合格で、最初から敵ではない。
続いて、微妙なライン。
内申は低いが、試験成績は良い子。長男がこのパターンだ。
長男と同じように、塾などで勧められて受験するのがほとんどだろう。
中学校の教師が、こんな危険なルートを勧めてくるとは思えない。
それなりにいるけど、割合はそれほど多くないのではないか。
これが長男と争う、直接のライバルだ。
逆に、内申は十分足りているのだが、試験での成績が悪い子。
学校では優等生だが、塾などには行っておらず試験慣れしていない、などだろう。
この子たちは、90% 枠では合格できず、残りの 10% 枠を長男と争うことになる。
しかし、「十分なはずの内申を加味しても」不合格になるほど試験成績が悪いのだ。
「試験成績は良い」という長男の敵ではない。
というわけで、ライバルは、長男と同じように、内申は低いが十分合格できる、と塾などで勧められた子に限られてくる。
つづいて、ここ数年間の希望校の「受験者数」と定員を、おおざっぱに当てはめてみる。
受験者数の、9割は 90% 枠狙いで来ると考えてみよう。最初から 10% 狙い、というギャンブラーが多いとは思えない。
定員から、合格者数はわかっている。
すると、ライバルの人数と、その中での合格者数がわかってくる。
非常におおざっぱな試算にすぎないが、ライバルの中で、下位 1/4 が不合格になる、という結果になった。
逆に言えば、1/4 に入るほど残念な結果にならなければ、合格できる。
ここまで計算してみて、僕は納得できた。
内申という「安定枠」がないのは一見ギャンブルに見えるが、かなり勝ち目のある勝負だ。
長男にも考えを説明したうえで、勘違いして中学の先生の言い分を信じていたことを謝罪する。
長男は塾の先生の言葉を信じていたのに、足を引っ張ってしまった。申し訳ない。
そして、中学の先生に対し、志望校変更を申し入れる。
高望みと言われようと、最初の希望を貫こう。
…と、最終決定したのが年末の話。
長男は迷いがなくなったため、表情が晴れやかになったし、「試験で下位 1/4でなければよい」などの目標が明らかになったために勉強も効率的になった。
具体的には、点数だけの勝負なので、得意科目は現状維持程度にして、苦手科目を頑張った。
苦手科目を伸ばした方が、点数の伸びは大きいからね。
年明けからは、塾で毎週模試があった。
苦手科目を克服する、という目標を定めてから、わずか1か月の間に、模試を受けるたびに成績は上がっていった。
そして、出願。
出願後にはすぐ、各校の倍率が出る。志望校は、今年は驚くほどの高倍率になっていた。
これも、大学試験改革失敗の余波だろう。
大学付属の高校が狭き門となったため、相応の学力を持つ子が、今年は公立高校に押し寄せたのだ。
また、今年はすべり止めとして受けられる私立のランクが低めになっている。
先に書いたように、手ごろなランクの私立が、定員枠を縮小しているためだ。
このため、「高望み」をする子は減ったようで、高ランクの公立高校の倍率が低めになった。
長男が希望する高校は、「高めの学校の中では手ごろ」だったため、レベルを下げた子はここを狙ったようだ。
これも、高倍率の原因だろう。
倍率が高いとなると、さすがに不安になる。
しかし、先に書いたように、「相応の学力を持つ子」は、90% 枠で合格してしまうため、長男とは争わない。
第一志望を私立から公立に変えた子も、高ランクの公立から下げてきた子も、この枠だ。
最初から 10% 枠を狙っていた長男には、倍率の上昇はあまり関係ない、と思う。
…まぁ、僕はそう思ったが、妻は不安だったようだ。最後まで心配していた。
そして、冒頭に書いたように無事合格した。
合格通知の中には、試験各科目の点数も入っていた。1科目だけ満点だった。
それは克服を頑張った、苦手科目だった。
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日記なので、後で見返したときのメモ程度に、この「緊急状況下」での家族の話題を。
読んでも特に面白い情報はない。
新型コロナウイルス騒ぎで、全国の学校に休校要請が出て、うちの子供たちの学校も休校となった。
まぁ、そうなってしまった、という事実だけで、是非は問うまい。
長男は、金曜日が公立高校の合格発表日だった都合もあり、「休校にします」というお知らせすら受けていない状態。
週末の間に、学校からメール連絡がきて、昨日月曜日にすべての荷物を引き取りに行って、そのまま休校となった。
長女・次女は、金曜日に登校して、学校の荷物を半分持ち帰った。
そして、月曜日は残りの荷物を持ち帰るために学校へ行った。
いずれにしても、長期休みの前は1週間かけて少しづつ荷物を持ち帰るのが普通なのだが、一気に持ち帰らないといけなくて大変だったようだ。
長男は、来週が卒業式だ。しかし、卒業式を行うかどうかは、現時点でまだ決定していない。
だから、昨日は先生が急ごしらえの卒業証書を作って渡してくれた。
「中学校の過程をほとんど終えました」とか書いてあって、あくまでも仮の卒業証書であることを強調している。
まぁ、正式な卒業証書はのちに発行されるだろうし、その心配はしていない。
ただ、その卒業証書を手渡しできるかはわからない。郵送で終わり、かもしれない。
だから、先生としては仮のものでもいいから、一人づつ手渡したかったのだろう。
長女は、2週間後が卒業式だ。休校に入ってから、14日以上後になる。
なので、小学校としては「2週間の経過観察措置」を過ぎた形で卒業式をやりたいのだろう、という意図を感じている。
しかし、これもまだどうなるかわからない。状況次第なのだろう。
卒業遠足が無くなってしまったのも残念がっている。
次女は、社会科見学で行く予定だった施設が、昨年の秋の台風で行けなかった。
年度末に何とか時間を工面して再び行く予定に振り替えてあったのだが、それもなくなってしまった。
この施設自体は、家族で何度も行っているところだ。というのも、次女も含めて子供が気に入っている施設だから。
だからこそ、友達と行けるのを楽しみにしていた。
しかし、休校にした場合に授業単位数が足りないのはどうするのだろう?
というのが、一斉休校を聞いたときの最初の疑問だった。
小中学校は、義務教育だ。
「大人は、子供に勉強の機会を与える義務がある」という意味で、子供から見ると教育を受ける権利がある。
にもかかわらず、授業を受けさせないのは、大人が子供の権利を搾取している、ということに他ならない。
子供は授業を受ける「権利」があるので、何らかの事情で十分な授業単位を受けられなかった場合は、もう一度同じ授業を受けられる。つまりは留年だ。
病気の子供などに「留年させるのはかわいそう」と、法の網の目をくぐって進級させたりする例もあるのだけど、これは何か勘違いしている。
本当にかわいそうなのは、教育を受ける権利を剥奪されてしまう子供だ。
#だから、本当に長期入院が必要な子供を収容する病院には、病院内の学校があったりする。
この場合は、ちゃんと授業を受けているので進級することに問題はない。
中国などでも、外出を控えさせ、登校を禁じている。日本もそれに倣ったのだ、ともいえる。
しかし、中国では「休校」ではなく、インターネット授業に切り替えたのだ。
だから単位数は問題ない。
残念ながら、現在の日本はインターネット後進国だ。
インターネットを作った…控えめに言っても片翼を担ったのは日本の技術者の方々だし、2000年ごろにはインフラ面でも日本はトップレベルを走っていた。
しかし、その後の展開は非常に悪く、現在はすでに後進国だと考えてよいだろう。
そんなわけで、インターネット授業なんて望めない。
いったいどうするのか、と思ったら、宿題を出すことで「授業をした」扱いにしてごまかすようだ。
宿題なので、今までやった授業の「復習」で、本来教えないといけなかったことは教えられない。
しかし、今できる最善の手なのだろう。
ともかく、現場の先生方は頑張って、短い期間で宿題を用意した。
急な指示で、混乱しているのは現場だろう。子供たちにも、先生たちにも同情する。
まぁ、決定したことは仕方がないので、家で過ごすことになる。
子供たちが家にいるとなると、親としては食料が気になる。
金曜日のうちには、当面の食料は買いに行った。
しかし、この時すでに品薄だった。
そして、「まだあるからあわてない」と考えていた米が、後で見直したら家にあまりなかった。
すっかり買い逃した。現状では米は店頭に並んでいないので、数日間何とかして乗り切ろう。
(パスタやパンは買ってある)
僕が主夫を標榜しているのはたびたび書いている。
そして、子供のいる家庭なら、夏休み・冬休み、GWなど、長期休みの前に食料や生活消耗品を買い込んでおくのは当たり前のことだろう。
消費量が増える上に、子供が家にる状態ではゆっくり買い物に行くことも難しくなるから。
普通は、1~2週間前から徐々に準備する。
それが、今回は政府要請から事実上3日程度でみんなが用意しようとした。
当然のこととして、店頭在庫は売り切れる。
これは店頭在庫が尽きただけで、供給体制に問題はない。
震災の時のように、工場が破壊されたわけではないのだ。
しかし、急に店頭在庫がなくなったことで、一部では「デマに踊らされて買い占めている人がいる」という話になっている。
一部店舗では在庫がないことの言い訳に「デマで買い占められた」とわざわざ張り紙してしまい、それをテレビ局が取材するものだから、すっかりそういう話が広まっている。
「デマに踊らされている」という情報自体がデマだ。
そのデマを題材として「デマに騙されないように」とマスコミが呼び掛けている。
なんのことはない、デマに騙されているのはマスコミだ。
最近は、デマに警戒する人が増えた。これはいいことだ。
しかし、それによって「騙されなくなった」のではなくて、デマではないものまでデマのせいにする、というデマが増えているだけに思う。
「デマに騙される人がいる」という情報は、裏を返せば、「自分は踊らされていない」という優越感をもたらすのだろう。
こうした情報を信じる人は多い。
でも、その情報だってデマだ。踊っているのが自分だと気づこう。
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ちょうど2週間、日記を書いていなかった。
2週間前の日記は、学校が休校になった、という話だった。
個人的に今回の騒ぎには多々疑問があるが、事実は事実として受け入れるしかない。
2週間前の状況としては、「コロナウイルスの潜伏期間は12.5日」という医学的見地から、とりあえず2週間を目安としていた。
で、現状では、休校は続くことになっているが、卒業式などは日程を変更してやることになった。
ちょうど2週間目の今日は、小学校の登校日。
といっても、今後の予定などを子供たちに伝え、家族に伝えるためのプリントなどを配布し、学校においてあるものを持って帰って終わり、ということのようだ。
中学校の登校日は後日。子供たちが一斉に通学路を歩かないように、日程など調整しているようだ。
さて、日記を書いていなかったのは、別に子供たちが家にいたからではない。
僕が非常に忙しかったのだ。
仕事でお手伝いしているプログラムのリリース日が今日で、半年かけて準備していたのだが、最後の追い込みになっていた。
しかし、久しぶりのデスマーチ進行。
以前から使われていたプログラムを、いろいろな都合があって「1から作り直す」ことになっていて、この作業自体は1年前から始まっていた。
半年かけて「最低限の機能が入った互換品α」ができたところから、僕は参加した。
ここから、
・旧バージョンで使いにくかったインターフェイスの改善
・旧バージョンにあった機能は基本的に全部作る。(互換のための機能拡張)
・旧バージョンで要望があった機能の盛り込み
と進めてきた。
ここで一応書いておくが、僕が仕事を請け負うときは、多少無理してでも早めの完成を目指す。
作ったプログラムには必ずバグが潜むためで、僕のいう「早めの完成」は、プログラマーとしては出来上がった、と思う時点を示す。
しかし、商品になるにはバグをつぶし、僕が勘違いで仕様通りになっていなかったところを作り直し、場合によっては仕様変更を再実装する。
仕様変更を嫌がるプログラマーもいるが、僕は嫌ではない。
商品を作っているのだからブラッシュアップは必要だと考えている。
だから、仕様変更にも対応できるだけの時間の余裕をもって完成させるのだ。
で、完成したのは2週間ほど前だ。
ここで、さらに追加機能の要望があった。
絶対に入れないといけない機能だけど、技術的な仕様も固まっておらず、それがゆえに後回しにされていた。
打ち合わせを行い、技術的な問題点を話し合い、一番作りやすい方法を提示する。
しかし、それでは時間がかかりすぎるだろうということで、さらに機能要件が絞り込まれ、何とか時間内に可能じゃないかな、と思うところまできた。
「どれくらいかかりそうですか?」と聞かれても、1週間かな…と思う。普通なら2週間と答えてもよいボリュームだった。
でも、残り2週間の中で、1週間も使うわけにはいかない。なんとか5日で終わらせた。
…いや、普通は1週間は「5営業日」だから、これって1週間の仕事だよね。
ただ、土日もずっと仕事していたので、期間的には2日間の前倒しだ。
短期間で作ったのでバグの不安がある。十分に注意しながら確認頼む…
というところで、次の依頼。
商売上、絶対に入れないといけない「機能制限」がある。
作っているのは有料の WEB サービスで、契約した権利者だけが使用できる。
なのに、発行したアカウントを複数人数で共有したりして、無制限に使用しようとした人々が居たことがわかっている。
これを防ぐために、おかしな使い方をすると制限がかかるような仕組みが必要だった。
この機能は、利用者にとっては必要な機能ではないので後回しにしてきたが、商売上絶対必要だ。
この機能の実装は、二転三転した。
最初に言われた形で実装したら、「これだと別の問題が生じる」ことがわかり、仕様変更。
しかし、その仕様で実装したら「まだ別の問題がある」と分かり、仕様変更。
実際、完成したのは昨日の午後だ。
まだある。
システムは組織で使用するもので、全体の管理者だけが使う機能がある。
ここは、「互換機能」としては存在していたし、見る人が少ないからそのままになっていた。
しかし、今回のシステムは「1から作り直した」ので、完全互換のままではあまりよろしくない。
画面デザインだけでいいから調整お願い、と、実はデザイナーが作っていた調整イメージを渡されたのが、昨日の昼頃。
上に書いた機能制限の仕様変更などは、このデザイン調整と並行して進めていた。
まぁ、仕様変更程度ならそれほど大変ではないし。
デザイナーの方もよく状況を理解していて、最低限の変更で大きく見た目が変わったように感じるようなツボを心得ていた。
管理者用の画面は10程度の画面の集合で構成されているのだけど、CSS 調整で見た目を大きく変える。
3画面ほど、基本部分を調整したら。他の画面は大体全部指示通りになった。
あとは、細かな部分を微調整して終わり。
とはいえ、そうした調整を想定していない HTML を、無理やり CSS で調整したので、驚くほど内情が汚い。
そもそも、元の「互換」なので、過去の調整が積み重なっており、同じ個所の CSS が3重くらいの上書きになっているのだ。
その中には、!important とか指定してあるのもある。これを、さらに !important で上書きする。
最低の CSS だが、時間がないのでこの時は整理は諦め、動くことを最優先する。
で、もうひとつ。
2週間前には出来上がっていた「互換機能」のうち一カ所だけ、技術的な要件が決まらずに作成が保留されていた。
その部分の技術的な検証が始まったのが昨日だ。
技術仕様の検討を行う人が忙しすぎて、それまで手を付けられなかったためだ。
で、「必要なサーバーのセットアップに、2日くらいかかります」と判明。
いや、それだとリリースに間に合わないでしょ。
急遽、暫定版として実装することになった。
多少能力が低く、セキュリティの甘いサーバーであればすぐにセットアップできるのでそちらを使って実装し、後で正式版に差し替える。
それでも、動作としては問題ない。
技術要件が定まったのが昨日の夕方で、そこから実装開始して、完成したのが夜9時ごろ。
僕はこの完成で仕事を終えて「待機」に入ったが、仕様担当者はこの後動作確認などを行い、全てが問題なく完成、としたのが夜11時ごろ。
リリース日は今日、なのだが、実はすでにリリースし終えている。
ネットワーク上のサービスなので、利用者が少ない深夜2時頃から、技術担当者が差し替えを行った。
ネットワークサービスだからこそ、問題があればすぐに修正もできる。
だからこんなぎりぎりまでプログラム変更をしているのだけど、本当はあまり良い状況ではない。
実装が仕様とあっているか、というのは仕様作成者が確認しているのだけど、数日前に「一度確認して動いていたところが、特に変更指示もなかったのに動かなくなっている」ということがあった。
僕が出したバグだった。申し訳ない。
一度確認したところが理由もなく動かなくなるようでは確認作業が進まないので、再発防止策を、と言われたのだが、申し訳ないが理由をつけて突っぱねた。
形の上で「気をつけます」ということに意味はないからだ。
プログラムをいじっていれば、バグは必ず出るし、その出る場所を予期することもできない。
機能上は違うものだと思っていても、内部でプログラムを共有していることはある。
そして、そういう場所は「特殊な事例」になっていることも多く、プログラマーの意識からもこぼれ落ちている。
もしも意識の中にあれば、当然作成後に動作確認をするだろう。不意なバグにはならない。
「気をつけます」という言葉は、意識の中にあるものにしか適用できない。
だから、気を付けるのも防止策にならない。
本当に再発防止を考えるのであれば、完成前に「その期間を過ぎたら機能追加は行わない」というデッドラインを設けて、以降はバグ修正以外の変更を加えないようにしないといけない。
これは全体マネジメントの問題で、個々のプログラマーの問題ではない。
今回は結構大規模なプロジェクトだったので、僕は締め切り2週間前をデッドラインと考え、そこまでに頼まれた機能を作り終えた。
でも、実はそこで作り終えていたのは「必要最低限」のもので、まだ絶対に必要な機能が多数あり、追加され続けた。
それが悪いわけではなく、商売上必要なことだ。
しかし、その状況では「不意なバグ」は必ず出る。
できるのは、出さないようにする努力ではなく、見つけ続ける努力だけだ。
まぁ、見つけないといけない担当者が「どうにかしてくれ」というのは心情としてわかるし、こちらだってバグを出したいとは思っていないので、十分に気をつけはするのだけど。
担当者には、一度「人月の神話」と「デスマーチ」を読ませないといけないな。
(上に書いてあることは、これらの本で詳細が解説されている。
今となっては古典とされる古い本だけど、フリーランスのプログラマは読んでおいたほうが良い本)
何か問題があったらすぐ対応できるように、今日はプログラムをいじらずに待機。
なので、久しぶりに日記を書いている。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
本当に身辺雑記で、面白いことは全くない日記を書く。
前回書いたように、時間をかけて作ってきたネットサービスがリリースになった。
過去のバージョンがあって使っているお客様もそれなりにいて、一からプログラムを作り直した新バージョンのリリースだ。
非互換部分などでバグが大量に出たらどうしよう…と思っていたのだけど、今のところそうした問題は出ていない。
もっとも、バグがないわけではなく、毎日のようにバグ報告があり、修正は続いている。
本番は「新年度」からで、それまでバグを修正してしまいたいのが、今の時期にリリースした理由でもある。
でも、いずれも条件の見落としがあったり、文面に少しの変更で修正可能なバグだ。
それらの修正と並行して、「リリース時には諦めた機能」を実装しているので、相変わらず忙しくはある。
この「諦めた」というのは、上に書いたように「新年度に間に合えばよい」もの。
新年度の準備を始める際には不要でも、新年度になって本格運用の際には必要、というものもあるのだ。
まぁ、一部機能の実装が2週間猶予された、ということだ。
作らなくてはならないが、ゆっくりと作れている。
しかし、リリース翌日に企画者からの電話で、「正直間に合うとは思ってなかった」と言われて、笑いが出た。
いや、絶対必要だと言われたから必死で間に合わせたんじゃん。
でも、彼がここ数年間仕事をしていて、こういう時に間に合ったことはなかったのだそうだ。
名誉のために名は伏すけど、企画者は数年間とある会社のプログラマーたちを相手にしていた。
その会社ではこれは「どうしようもなく間に合わないパターン」なのだそうだ。
前回書いたが、僕は締め切り2週間前には完成させて、後はバグだしの時間に当てたかったのだ。
でも、仕様自体が2週間前には間に合っていなかった。
仕様の遅れに合わせる形で完成がずるすると遅れたが、必要なものはちゃんと間に合わせるよ?
もっとも、こういうときのプログラムは、力業で押し切っているので、どうしようもなく汚いことが多い。
後でゆっくり整理したい、と言いつつ、整理するというのは「動いているものをわざわざ壊す」ことであり、整理の機会は与えられない。
そして、そういう部分はのちの保守で問題が出たりする。
まぁ、問題が出たら「その時が好機」で、保守しやすいように改変するのだけど。
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長女の小学校卒業が、長男の中学校卒業が、同日の午前・午後で行われた。
新型コロナウイルスを警戒しながらの式で、
・卒業生のみで在校生は参加しない
・保護者も、各家庭1名のみ出席
・当日朝熱を測り、発熱がある場合、もしくは風邪の自覚症状がある場合は出席しない。
・全員マスク着用、入り口で手をアルコール消毒すること
という、例年にはない条件が付いている。
我が家からは妻が出る予定だったのだけど、朝何か調子が悪いというので、急遽僕が参加。
前日寒かったのに、妻は仕事の関係で外出した上、夜更かしをした。
夜更かしは単にゲームやってただけなのだけど。
で、当日朝に疲れが出ただけのようで、午後には元気になった。
まぁ、式自体は普通の式。
といっても、小学校の「普通」は、長男が卒業した時に一度見ただけで、よく覚えていない。
中学に関しては、初めてなので知らない。
だから、普通といっても「特に変わったことはしていない」というだけ。
来賓はいないので、来賓あいさつはない。
在校生がいないので、卒業生を送る言葉とか歌とかはなし、
シンプルで好感が持てるが、こんな中でも小学校は形式にこだわり、ほとんど練習時間がなかったにもかかわらず卒業生が歌ったりした。
この歌も、最初は槇原敬之の「遠く遠く」の予定だったのだ。
でも、2月半ばに逮捕されたため、2月末に急遽「別の曲に変える」ことが決定し、すぐに休校になったため新しい曲は全然練習できなかったのだ。
それなら無理に歌を入れる必要はないと思うのだけど。
卒業式って、本人たちの「節目」だと思うから、親に向けての頑張りアピールを無理に入れるよりは、本人たちが楽しめる式にしてほしい。
#槇原敬之の逮捕…
後で意味が分からなくなりそうなので、日記として注釈を。
覚せい剤所持の容疑で逮捕されたが、証拠物は「部屋に隠されていた」。
これ、2年ほど前に同居人が覚せい剤所持で逮捕されていて、その同居人が残した物である疑いが濃厚。
もっとも、現時点では詳細はわからない。
午前中、小学校の卒業式に出席中に、ビデオカメラの電池が壊れた。
「電池が壊れる」って変な状況だけど、電気的には壊れておらず、カバーが物理的に割れただけ。
これにより、電池が本体にホールドできなくなった。
手で押さえていると撮影できるのだが、手を離すと通電しなくなり、止まってしまう。
昼に家に帰ったすきに、接着剤で仮修理。中学の卒業式も無事に撮影できたが、その後壊れた。
この電池、今使っているビデオカメラよりも古い。
前に使っていた機種の時に購入したもので、その後ビデオカメラが壊れたので、後継機を購入し、電池だけ使い続けていた。
カメラ付属の標準品ではなく、3倍くらいの容量がある別売り品。
…の、互換品。純正品ではない。
まぁ、寿命だったということだろう。
昼修理した際に Amazon に注文したら、翌朝には届いた。素早い。
中学の卒業式も終わった後、買い物に出る。
この日は、仕事休むと元受けの会社に伝えたからね。
週末が近いし、子供たちも本格的に春休みに入るので、いろいろ買っておこう…
とおもったら、スーパーの棚がガラガラだった。
あら、こういうのはいったん収まったと思ったのだけど、またか。
一瞬考えるが、思い当たる節がいっぱいある。
春休みに入るから買っておこう、というのは僕も考えたくらいで、他にも多くの家が同じ行動をとっているだろう。
そのうえ、ここ3日くらい東京の感染者数が急増していて、外出禁止令が出るかも、という噂も出ている。
もし外出禁止にならないとしても、自主的に家に籠ろうという人もいるだろう。我が家もそうだ。
そんなわけで、仕方ないのであったものだけ買って帰る。ないものは工夫しよう。
(合いびき肉が手に入らなかったのは痛いが…僕にとって、ひき肉は手抜きしやすい代表食材なので)
家帰ってツイッター見てたら、やはりどこでもスーパーの棚がガラガラのようで、また「デマのせいだ」「買い占めだ」と騒いでいる人々が居た。
自分はそういう情報には振り回されない、みんな頭悪い…
という意思表明なのだけど、その言動がデマになっていることには気づいていないのだろう。
状況が一番見えておらず、誰よりも頭悪い。
上に書いたように、「家に籠る」状況は事実としてあるし、そうした人が必要な食材を買うのは、買い占めではない。
もちろんデマに煽動されているわけでもない。
ただ、世の中は「平常時」に対応した最適解で動いていて、少しバランスが崩れただけで連鎖的にうまくいかなくなる。
スーパーに来る人なんて、曜日ごとにだいたい分析されていて、その日のうちに売り切ることができる量だけ仕入れている。
それが「家に籠る準備をしよう」と、1割人が増えれば夕方にはその日の分を売り切ってしまう。
それでも営業時間内だからさらに人が来る。
普通なら、スーパーには「これを買いたい」という意思を持った人が来る。
目的のものがなければ、仕方がないから買わずに帰る。
でも、「家に籠れるようにしよう」というのが目的の場合、特に買いたいものが決まっているわけではない。
だから、使えそうであればとりあえず購入する。別に買い占めではなく、自分が使う分を買うだけだ。
でも、結果として、普段売れないものまで売れて、棚はガラガラになる。
必要以上のまとめ買い…買い占めがないとは言わない。
でも、そんな馬鹿な行動をとる人は、1000人に1人もいないだろうと思う。
それに、そういう人はパニックを起こしているので、「特定のもの」…トイレットペーパーなどを買うだけだ。
そんな買い占めで棚がガラガラになるわけがない。
それよりも、普段より1割多く人が、それぞれ別のものを少しづつ買う方がずっと影響が大きい。
ただそれだけの事。
翌日の仕入れはいつも通りちゃんと行われるから、ないなら翌日買いに行けばいい。
普段売れないものは週に一度くらいしか仕入れないだろうし、すぐに元通りではないけれど。
この状況が見えずに「デマだ」「買い占めだ」と騒ぐのは、世の中の不安をいたずらにあおるだけだ。
そして、そうした不安をあおるだけの嘘を、デマという。
デマを広めているのは、デマには騙されないぞ! と言っている人々で、自分の言葉…自分のデマに騙されて「騙されるな」と言っているのだ。
何とも救いようのない構造だ。
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特にどうということもないのだけど、あまりにも時季外れの雪が降ったので記録程度に。
昨日、3月29日は雪が降った。
それも、「ちらついた」程度ではなく、地面を覆い隠すくらいまでは積もる程度に。
その前日は、春先とはいえ暖かい日だった。日中気温は 20度を超えた。
それが一転して、雪。気温も2度までしか上がらない。1日でおよそ20度下がったわけだ。
「山間部では雪の予報」と聞いてはいた。
この言葉で箱根や八王子の人は大変なのだろう、と思っていたら、うちのあたりでも降ったわけだ。
海沿いに分類される地域なのに。
僕がいち早く気づいて、「なんか雪降ってるよ」と言ったら、子供たち(特に小学生の娘二人)は大騒ぎ。
外出たい! 雪だるま作りたい! と言っているが、この時点では雨交じりで、地面につくとすぐに融けていた。
その後しばらくすると、うっすらと積もり始めるが…
これ、雪じゃないよね。あられだ。
小さな氷の粒。風が吹いて窓にあたると、バラバラと固そうな音を出す。
小6の長女が外に出て、「当たると痛い」と笑いながら戻ってくる。
えー、雪じゃないのーという小4の次女に解説する。
雪というのは、細かな氷の粒が、雲の中で湿った空気から水分を得ながら成長して、大きくなって落ちてくるものだ。
冬だから雪になるのではなく、夏でもそう。雲の中はとても寒い。
氷に限らず、結晶がゆっくり成長すると、分子の構造に従った美しい形になる。
雪の結晶が美しいのもそのため。
でも、落ちてくる間に、温まって融けると雨になる。
温度が微妙で、一度融けてからまた固まると、結晶ではなくて氷の粒の、あられになる。
さすがに3月末は暖かくて、雪のまま降ることはなかった、ということだよ。
しかし、その後も降り続け、バラバラと降っていた氷の粒は、ふわりふわりと風に舞うようになる。
うん。これはさすがに雪だ。
氷の粒である あられに対し、綺麗な結晶を作る雪は、大きさあたりの重さが小さい。
だから、あられよりも雪の方が空気の抵抗を受けやすく、ゆっくりと舞い降りてくる。
これが本当に雪なら、結晶が見られるはずだよ…と、携帯型の小型顕微鏡と黒い布を持ち、家の外に出てみる。
(注:黒い布は事前に家の外に出して冷やしておいた)
何度か雪を布に受けて、顕微鏡で覗く。
しかし、残念ながら綺麗な結晶ではない。水滴や氷の粒ではないものの、形がぐちゃぐちゃだ。
えーとつまり、これは雪というよりは、水混ざりの みぞれ だな。
子供はきれいな結晶が見られないのでがっかりしていたが、いろいろな雪の形態を見て、勉強にはなったようだ。
…雪は天から送られた手紙である。
雪という手紙を読めば、天の「気持ち」を知ることができる。
さすがに春なので、雪を降らせはしても、高空は冷え切ってはいなかったようだ。
そのため、最初は融けて雨に。
やがて、一度融けて再度固まった あられに。
最後は、融け切らないままの みぞれにまでなったが、綺麗な雪のまま降ることはなかった。
ちょっとした科学話を楽しめた雪だった。
積もった雪も、今朝にはすべて融けていた。
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