母が入院した。
くも膜下出血…なのだが、驚くほど元気。
母と同居している長兄から連絡が入ったのが、木曜日の朝。
僕は長兄と比較的近所(車で30分ほどの距離)に住んでいて、母が入院したという病院も簡単に行けるところ。
しかし、木曜日は午後から、金曜日は朝から仕事で出かける必要があった。
他の兄弟も、平日は仕事があってこられるのは土曜日だという。
長兄から「手術も必要ない」と聞いたので、土曜日にお見舞いで集まることにする。
お見舞いに行き、ここでやっと事の詳細を聞く。
母はすでに痴呆で、僕ら子供のこともわからない。
母自身は、5歳児~小学生くらいの時代に戻ってしまっている。
ちょうど1週間前の土曜日、ショートステイ(平日昼間だけ)で通っているグループホームで、昼寝中にベッドから転落して頭を打ったそうだ。
外傷ができ、血が出たので慌てて病院に連れていかれた。
頭なので念のため、と病院でも精密検査をしたが、外傷以外に問題はなかった。
念のため1週間後にもう一度検査、その間にも異常があったらすぐに連絡を、ということで終わった。
で、木曜日のこと。
朝から「頭痛い」というので、上に書いたこともあって慌てて救急車を呼んだ。
病院で検査したら、この時の外傷とは全く関係なく、くも膜下出血だった。
しかし、出血がわずかだったことと、処置が速かったために意識もしっかりしており、手術の必要もない。
念のため2週間の入院、となった。
くも膜下出血って、異常を感じて病院に運び込まれる頃には進行しすぎていて大事になることが多い。
先の軽いけががあったので「念のため」ですぐに病院に行ったのが幸いしたようだ。
念のためで、まずは集中治療室に入り、点滴をしたらしい。点滴なので、食事もなし。
1日たって問題ないので、金曜日に一般病室へ。この時は相部屋だったらしい。
で、土曜日にお見舞いに行ったら、個室になっていた。
どうやら、痴呆で一人でしゃべっていたり、歌を歌いだしたりすることがあるので、個室に移されたらしい。
土曜日の朝からは、流動食を始めて全部食べ切った、とのこと。
週末は流動食を続けて、問題なければ月曜日からはソフト食(やわらかめの粥など)にするとのこと。
ただ、車いすに乗るのが怖いのか、リハビリは嫌がるのでまだやっていないという。
しかし、しばらく兄弟が周りにいて、誰だかわかっていないのだが話をしているうちに、「にぎやかだから寝てられない」と、起き上がろうとした。
安静にしていないといけないのではないのか、と思ったのでナースコールしたら、「起き上がるのは構いませんが、立とうとすると危ないので、車いすに乗ってみましょう」と。
車いすを怖がって乗ろうとしないので、やる気の出ている今がチャンス! と捉えたようだ。
最初は怖がっていたが、乗ってしまえば落ち着いた。
病棟内なら散歩して大丈夫、というので、次兄が押して歩いてみた。
ずっとベッドに寝ていたので、景色が動くのが楽しかったらしい。ものすごくいい笑顔になった。
院内の窓から外を見て、動いているものがあると楽しいらしい。
工事現場のクレーン車とか、眼下を走る車とか。
母が散歩を楽しんでいるようなので、兄弟間でも取り留めなく会話。
母がどうも小学生くらいに戻っているようだ、という件。
痴呆になると、その人の「一番良かった」時代に戻ってしまう、という説がある。
会社でそれなりの権限を持っていた男性など、老人ホームでも怒鳴り散らして厄介だと聞いたこともある。
そして、多くの女性が子供に戻ってしまうとも聞く。
女性の権利が軽んじられ、生きにくかった時代を過ごしてきた人々だ。
一番良かったのが子供時代、というのは寂しくもあるが、理解できる。
後で思ったのだが、戦争の「前」に戻っているというのもあるかもしれない。
戦中・戦後は、特に女性は耐えるしかなかったからね。
母は基本的に子供時代に戻っているようで、時々「ここはどこですか?」と聞き、自分で「ここは~」と、子供のころに住んでいた住所を言う。
そして、「早く家に帰りたい」と。
病院から今住んでいる家に帰りたいというのではなく、子供のころの父母が待つ家に帰りたいのだ。
散歩しながら、次姉が履いていたスカートを見て、「スカートいいなぁ。私も欲しい」と言い出した。
現在足腰がおぼつかないので、本当にスカートをはいたら足がもつれて転倒の危険がある。
しかしまぁ、そんな細かなことと「ほしい」気持ちは別問題。
病室にあった替えの寝間着を渡して「これなんかどうですか?」と聞いてみると、しばらく触りながら、肌触りがいい、これも欲しい、と言っていた。
そしてふと「これもらってもいいですか? 娘がいるのであげたい」と。
小学生に戻っていたはずなのに、急に娘がいることを思い出したようだ。
次兄が「娘さんの名前は何ですか?」と聞いてみた。返事がない。
今度は「娘さんは何人いますか?」と聞いてみると、「娘は、私と妹の二人です」と。
自分の娘、ではなく、自分を含めた娘になってしまった。
しかし、痴呆ではあっても急に「子供のために確保」とかを思い出してしまうことがあるのだろう。
6人もの子供を抱えて、不自由なく育ててくれた母だった。
時々一人でしゃべり、自分で応えていることに対して、同居の長兄から「家でもそうだよ」と話があった。
自分の中にもう一人の「友達」がいて、一人で会話しているそうだ。
他に、5歳の男の子と、女の子の友達がいるそうだ。女の子の友達は常に、家での自室にいるのだと。
義理の姉…長兄の配偶者によれば、部屋にいるときにおやつを持っていくと、その女の子もいるので二人分ほしい、と言われることが多いそうだ。
そして、その女の子がいる(と母が思っている)ほうに向かい、「欲しいなら自分で言いなさいよ。あなたは、いつも私に言わせてずるい」とか口論することもあるという。
意識がぼやけている中で、多重人格が形成されているようだ。
次姉が理解できないようだったので「ビリーミリガン読んだでしょ?」というと「読んだけど、あれって本当にある話なの?」と。
「24人のビリーミリガン」が話題になった時、次姉が購入して、僕も読ませてもらった。
僕は素直に科学的にあり得る話だと思ったのだが、次姉はどこか作り話が入っているのではないか、話自体は本当としても、ビリーミリガンの演技を周囲の人が本当だと思っているのではないか…と感じていたらしい。
いやいや、多重人格は実際ありますよ。
二人くらいなら珍しくない…と思っていたけど、母でも数人はいるようなので、複数人数もそれほど珍しくないのかも。
その後、病室で夕食の時間だったので付き合っていたが、母が興奮してしまってうまく食べられなかった。
療養士の人が言うには、昼ご飯は落ち着いて食べられたので、人が多い状態だと気になって仕方がないようだ、という。
お見舞いに来るときは食事の時間は避けることにしよう。
この日はこれで終了。
この日記を書いた当日、もう一度お見舞いに行ってきた。今度は一人で。
ベッドに寝そべったまま独り言を言っていたので、僕はそばに行って相槌をうっていた。
同じ言葉を繰り返してあげると、誰かがそばで聞いてくれている、と安心するようだ。
そしたら、療養士の人が部屋に入ってきた。
どうも、僕が行く少し前まで母は寝ていたようなのだけど、声がするので一緒に遊ぼうと入ってきたらしい。
#遊ぶ、というのはリハビリのことです。
リハビリのためには、ベッドから起きて車いすに乗らないといけない。
母に椅子座りますか? と聞くと、座りますというので、もう一人スタッフを呼んできた。
車いすに移動するのは結構大変だ。
すでに経験しているのだが、痴呆なのですぐ忘れてしまい「初めてで怖い」ようだ。
ただ、座ってしまえばすぐに安心したようなので、どこか何となく覚えてはいるのだろう。
この日は僕がそれほど時間がなかったので、椅子に座るところまで見守ったら、後は療養士さんに任せて帰った。
今後も、暇があれば少し様子を見に行くつもり。
ただ、現在結構きつい仕事の締め切り前で、町内会の盆踊りの仕事なども重なっており、どれほど時間をとれるかは不明。
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