今日、3月29日は、村井純 氏の誕生日(1955)
すごい人だ、というのはずいぶん以前から知っていたのですが、いまだにその程度の認識から抜け出していません。
インタビュー記事拾い読みしたりとか、その程度の知識しかなくて、ご本人が書かれた書籍などはほとんど読んでません。
そんな状態で、あまり偉そうな紹介はできない。
ふんわりとした概要だけ示して、あとは各種記事にリンクして丸投げします。申し訳ありません。
村井純 氏は、日本のインターネットを黎明期から支え、今も第一線で活躍する方です。
「日本のインターネットの父」と呼ばれることも多いです。ご本人はこの呼び方嫌いだそうですが。
生み出したわけではなく、ただアメリカにあったものを紹介したわけでもなく、「世界と一緒に作り上げてきた」。
しかしまぁ、生みの父ではなくても、育ての父か…町ぐるみで子供を育てる、「近所の親父さん」くらいの役割は果たしていると思います。
まだ貧弱な技術でしかなかった時代から、正しい方向に長年かけて育て上げてきた。
ある程度育ったら、口を出しすぎずに見守り、おかしなことになりそうな時には強い意見を出してきました。
海外では、「インターネットサムライ」とも呼ばれています。
今年の2月には、フランスから、フランスの最高勲章であるレジオン・ドヌールを与えられています。
これは「日本の」だけでなく、世界のインターネットを育ててきた功績から。
IPv6 の実装には、日本の技術者が多くかかわっています。
実際の開発とは違いますが、全体を指揮したのは村井氏でした。
日本の最初の「インターネット接続」は、慶應義塾大学の大学院生であり、東京工業大学総合情報処理センター助手でもあった村井純氏が、2つの大学間を「勝手に」接続したことに始まります。
1984年9月のことだそうです。電話回線を使用して、300bps のモデムで接続し、uucp 運用したそうです。
接続理由は、個人的な都合で、データのやり取りができると便利だったから。
uucp って、メールとかのデータを、時々まとめてやり取りする形式ね。
インターネットといっても、今みたいな「常時接続」ではありません。
決まった時間になると自動的に電話をかけて、その時点で溜まっているデータを双方で交換して、終わったら電話を切るの。
ところで、1984年9月ということは、まだ「電電公社」の時代です。
1985年4月には NTT に組織変更し、通信自由化されるのですが、この時に「電話機」も自由に交換することが可能になります。
それまでは、電話機と電話線は電電公社が「貸し出している」もので、勝手な改造は許されませんでした。
…何が言いたいかというと、モデムを接続するのが違法な時代でした。
大学に相談せずに勝手にやった、とのことですが、相談しても認めるわけにいかないのがわかりきっています。
この「ネットワーク」について、いろいろなところで話したところ、東大の教授から「3地点はないとネットワークとは呼べない」との指摘を受けます。
そこで、1か月後の10月には東京大学が参加。
大学間を接続するネットワークなので、Japan University NETwork…JUNET と呼ばれました。
この後、さらに多くの大学・研究機関が参加していきます。
10年後の 1994年に「役割を終えた」として JUNET は解散しますが、最盛期には 600以上の組織が参加していたそうです。
JUNET は「日本最初のインターネット」なので、いろいろなものが生み出されています。
その一つが、日本語をコンピューターで扱うための文字コード体系。
JUNET 以前に、JIS 漢字自体は制定されています(1978)。
しかし、これは「文字の形(グリフ)と、それを示す数値(コードポイント)のセット」を示したものにすぎません。
JIS 漢字のコードポイントは巧妙で、「区」と「点」の2つから作られています。
そして、区・点ともに、1~94の数値になっています。
この「1~94」という数値は、ASCII コードで印刷可能な文字数、94文字に由来します。
印刷可能「ではない」部分は、コンピュータープログラムが、内部動作のために使用しているかもしれません。
しかし、印刷可能な文字部分であれば、その文字を別の文字に差し替えても、動作に支障はないでしょう。
つまり、JIS漢字は、ASCII との互換性を最大限に考えたうえで作られているのです。
とはいえ、ここまでは「互換性を考えています」というだけの話。
実際に、コンピューターで使えるようにする必要があります。
また、ASCII の文字と同じ場所を使う…ということは、ASCII とは同時に使えないことを意味します。
1つの文章内に日本語と英語を一緒に書けないのです。
それでは不便すぎますから、解決する必要があります。
これを定めたのが、当時 JUNET コードと呼ばれ、のちには国際標準の ISO-2022-JP として定められた文字コード体系です。
ASCII には、もともと「ASCII から脱出する方法」が用意されていました。
これを応用して、ASCII から「脱出」してJIS漢字にしたり、JIS 漢字からまた「脱出」して ASCII に戻ったりします。
今でも、メールなどでこの文字コード体系が使われることがあります。
1985年、JUNET で縁のあった慶應義塾・東京工業大学・東京大学間で、WIDE 研究会が発足します。
インターネット接続に関する研究会でした。
WIDE 研究会は、1988年には WIDE プロジェクトへと発展します。
WIDE は Widely Integrated Distributed Environment の略…ということになってますが、略称の頭に WIDE って入ってますね。
直訳すれば「広域統合分散環境」。統合されつつも、分散された環境…つまり、今のインターネットでできるようなことを研究する、というプロジェクトです。
このプロジェクトは現在も続いています。
JUNET は、大学間を接続して情報交換を行うためのネットワークでした。
それに対し、WIDE はそうした環境を研究し、必要であれば新たな提案をしていくためのプロジェクトです。
密接な関係にはありましたが、目的は明確に違っていました。
1985年には、JUNET と、アメリカの USENET が相互接続します。
USENET は、UNIX のユーザーグループである USENIX が主体となって開始された、インターネット上の情報交換ネットワークでした。
これをベースとして、のちに汎用化された netnews に発展しています。
#USENET は uucp 運用だったが、netnews は nntp 運用。内容については基本的に引き継がれた。
この時は、国際電電(現在の KDDI)を巻き込んだプロジェクトでした。
アメリカまで「電話線で」接続すると、国際電話料金がかかります。
しかし、国際電電を仲間に引き入れたことで、「接続実験」として無料で接続ができたのです。
ところで、このころまで日本のドメインは .junet でした。
しかし、アメリカと相互接続するようになると、ドメインを「公式に」定める必要が出てきます。
そこで、アメリカのドメイン管理団体である IANA から、村井氏個人が委任される形で、.jp が作成されます。
#IANA も、事実上は個人運営。Jon Postel氏が管理していました。
しかし、.junet から .jp への移行は 1989 年頃でした。
1989 年には、アメリカと専用線で接続しています。
このころには、国内でも専用線…電話線を使用した uucp ではなく、現在のような常時接続が始まっていました。
とはいえ、まだ専用線は高価で、大きな組織でないと使えませんでしたが。
国内でのネットワークは、実験的なものとして国も参加した一大プロジェクトでした。
これをアメリカともつなげよう…となった時、国内の各所から反対の声が上がりました。
インターネットも、まだ一般化しておらず、誤解の多い時代です。
もともとは国防総省の研究から始まったネットワークで、軍の機密情報などにもつながっているのに、日本から接続したら国際問題になるのではないか?
それが、反対の主な理由でした。
#国防総省は ARPA-NET の研究に資金は出していますが、軍事用には専用の回線 (MIL-NET)を作っていました。
これに関しても、村井氏が個人でアメリカ側の担当者から「日本の接続を歓迎する」という直筆メモをもらってきて、周囲を説得したのだそうです。
1992年、IIJ (インターネット・イニシアチブ・ジャパン)が設立されます。
JUNET / WIDE は、大学間のネットワークでした。
「大学の」費用で維持され、「研究目的」の使用しか認められません。
そのままでは、自由なインターネットの普及は望めません。
そこで、WIDE とは別のネットワーク網を作り出し、自由な目的で使用できるインターネットを作り出すことが目的でした。
もちろん、村井氏も創設メンバーに名を連ねています。
実際、IIJ 設立後、急速にインターネットは普及し始めます。
1997年、WIDE プロジェクトで、m.root-servers.net の運用が始まります。
これは、DNS ルートサーバーと呼ばれる、非常に重要なサーバ。
本当は日本には「J」が割り当てられる予定だったそうです。Japan だから。
しかし、J をアメリカの組織が運用することになり、じゃぁ別のサーバーを…となった時に「村井に任せるから M で」と M が割り当てられたのだとか。
DNSルートサーバーは、全世界で、A~M の13個しかありません。
DNSルートサーバーの情報もまた、DNS で配布されます。
DNS の技術的な話で、この情報は 512byte に収める必要があります。
そして、512byte では13個しか収まらないのです。
もっとも、非常に重要なものだから、1つのアドレスを複数のマシンで受け持っていて、「13台」ではないのですけど。
10個はアメリカ。ほかに、日本とスウェーデンとオランダに1個づつあります。
日本の M は、東京と大阪、ソウル、パリ、サンフランシスコに実際のサーバーがあるのだそうです。
それぞれの拠点でも複数台あるのですが、重要なものだからこそ、詳細は明かされていません。
1998 年には、WIDE の下位組織として、KAME Project が活動を開始します。
同時期に、USAGI Project も作られました。
現在、多くのインターネット接続は IPv4 と呼ばれる規格で行われています。
しかし、1991 年の時点で「このままでは近いうちに問題が起きる」ことがわかっていました。
そこで、次世代(Next Generation) の規格として IPng の策定が開始されます。
これはのちに IPv6 と名を変え…策定中の仕様案も、途中で大幅に変わったりしながら、1998年にやっと仕様が決定します。
しかし、仕様だけあっても意味がりません。
すぐに…というか、仕様がほぼ固まった時点で、前倒しで実際に動くプログラムの作成(実装)が開始されます。
BSD 系の UNIX に実装を行ったのが、KAME Project でした。
当時は、Linux 人気が出始めたところで、まだ BSD の方が「信頼性がある」と考えられていました。
これが「世界初の IPv6 実装」となり、Linux への移植が行われます。これが USAGI プロジェクトです。
2000年代にはいると、急速にインターネットが普及し、村井氏の仕事も「周辺環境整備」から、今後の在り方の研究に変わっていったようです。
しかし、今でも活動は続いています。
昨年の例でいえば、漫画の海賊版をダウンロード配布させるサイトが社会問題となりました。
政府がそうしたサイトの「ブロッキング」(DNS 等を細工し、到達できないようにする)を正当化する法律を作ろうとしました。
これに対し、WIDE プロジェクトが反対。
「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議」が行われ、村井氏は座長も務めています。
まだ、インターネットを正しい方向に導くために、精力的に活動中です。
#ここでは深入りはしませんが、当の「保護対象」である漫画家協会がこの法案に反対したこともあり、提出断念となっています。
インターネットの、本当に黎明期から現在に至るまで、多くの影響を与え続けていることがわかると思います。
そうした功績もあり、今年の頭には、冒頭に書いた通り、レジオン・ドヌールも受勲。
まだ存命のかたですので、近年の活動などについてはインタビュー記事などを読んでもらった方が良いかと思います。
NTT DATA 2017/7/21
CiP協議会 2017/9/20
INTERNET Watch 2017/11/30
Wired 2018/12/11
日経ビジネス 2019/1/14
2020.2.20 追記
大学教授職を定年退職だそうで、最終講義を書き起こししてくださった方がいます。
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