目次
01日 あけましておめでとうございます
06日 松の内にやったこと
07日 シュガーラッシュ:オンライン
18日 キッザニア
22日 SEGA TETRIS
30日 退社
毎年大晦日は寝る直前までおせち料理を作っているのだが、今年は早めに終わらせた。
大掃除も、早めに手を付けて、終わらないところはさっさとあきらめ。
いずれも、子供たち(特に小5の長女)が手伝ってくれたためだ。
今までは僕と妻だけでやっていたのだけど、人手が増えると楽になる。
そんなわけで、のんびりと年末年始を過ごす。
クリスマスにサンタさんからもらった 9000円のニンテンドープリペイドカードは、結局スマブラになりました。
家族で大乱闘しています。大晦日も遊んでました。
今年のおせち料理(写真のもの)。
今年は豚の角煮を作らず、代わりに松風焼を作ってみた。
妻がおせち料理を作らなかったので、煮物などがない。
クワイは買ってあるのだけど、これはまた別に料理しよう。
(クワイ好き)
写真上の一の段から、
・だてまき
・松風焼
・昆布巻き(市販品)
・紅白かまぼこ(市販品)
左側の二の段。
・栗きんとん
・いくら(秋に作っておいたもの)
・数の子入り松前漬け(市販の半完成品に市販の数の子を入れた)
・黒豆(市販品)
右側の三の段
・鳥ハム
・もって菊の酢の物(妻が秋に作ったもの)
・焼豚(市販品)
今年は市販品多め。
栗きんとんは、前述したとおり小5の長女が手伝ってくれた。
「裏ごしやりたい」といい、途中疲れたなどといいながらも、全部やってくれた。
きんとんは、ゆでた薩摩芋を裏ごしして、水と砂糖などを加えて作る。
しかし、この時にダマになりやすい。
いつも、ひたすら混ぜてできるだけダマを消して完成としていた。
しかし、今年は栗の甘露煮の糖蜜を加えた時点で、もう一度裏ごしすることにした。
裏ごし作業、次女が全部やってくれたけど、実は僕もやるの好き。
だから、もう一度やってダマをなくすことにしたんだ。
結果として、今年のきんとんは非常に滑らかな、舌触りの良いものになった。
甘さは控えめで、市販品を買わずに自分で作る理由は、ここにある。
(市販品のきんとんは甘すぎて嫌い)
豚の角煮を作らないことにしたときに、なんか寂しいから焼豚買った。
でも、妻も同じような考えで、合鴨ロースのパストラミなどを買ってきた。
パストラミはさすがにおせち料理らしくない気がして、このお重には入っていない。
でも、おいしいから正月のうちに食べちゃうと思う。
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別年同日の日記
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完全にどうでもいい話。
元日の日記、「あけましておめでとう」から、本日までにやったこと。
2日。
長兄の家に、親類集合。
僕は6人兄弟で、長姉・末妹は現在住んでいるところが遠いため来られず。
逆に言えば、4家族が集まる。これだけでかなりの人数。
まぁ、いつものごとく1年ぶりに集まった兄弟・イトコたちが、適当に食べながら話をしていただけ。
母は長兄と一緒に暮らしているが、完全に痴呆になってしまったようだ。
昨年時点では、僕たち兄弟を自分たちの「子供」だと認識できない状態だったが、血縁関係のある親戚だとは認識していた。
今は、母自身が少女時代に戻ってしまっていて、血縁関係だと認識できていない状態。
多くの人が集まったことで所在なさげで、時々「帰る」と言い出す。
そのたびに、長兄の配偶者である義姉が、ここが帰る家だよ、向こうにあなたの部屋あるよ、って根気づよく対応してくれていた。
大変だと思う。頭が下がる思いだ。
母を見ていて思った。
痴呆になった時、大会社の部長とか、校長先生とか、そういう立場にあった男性は、自分が一番強い時代に戻ってしまい、何かと周囲に命令し始めると聞いたことがある。
そして、女性の多くは少女時代…小学生くらいに戻ってしまうという。
これ、どちらも「本人にとって一番幸せだった時代」に戻っているのだ。
ということは、多くの女性が、成人してからを幸せだと思っていなかったということなのだろう。
今でも女性差別はひどいのだけど、それよりももっと差別がひどかった時代を過ごしてきた世代だ。
その世代の多くの女性にとって、そうした現実を知る前の少女時代が一番幸せだったということか。
今もあまり変わっていないのだが、少しでも世の中が多様性を認められるようになっていくといいと思う。
3日。
小学校時代の友人と、久しぶりに会った。
毎年正月に集まっているのは知っているのだけど、ここ数年出席していなかった。
昨年、妻の母…僕から見ると義母が亡くなっている。
3年半も植物状態が続いた後に亡くなったのだけど、この間、年に一度くらいは様子を見に行こう、と正月にはそちらにも顔を出していた。
(植物状態なので、こちらとしては死ぬことを覚悟していたのだけど、それを書くのも不謹慎に思えたので日記には書いていなかった)
他にもいろいろと理由はあるが、まぁ親類・家族・子供を優先していると、正月に自分の時間をとるのは難しくなっていくんだな。
しかし、数年ぶりにあってみると、皆変わっておらずに楽しかった。
4日から。
子供と、冬休み中に映画「シュガーラッシュ:オンライン」を見に行こう、と約束していたのだが…
ふと気づくと、4~6日はスプラトゥーン2のフェスだった。
夕方からなので「午後早い時間に行こう」と画策するも、長男は塾の宿題があってやらないといけないという。
そんなわけで、映画はあきらめ。
前作が面白かったので、見たいのは事実で、近いうちに時間をとって行こう、ということになった。
夕方からはフェス。
といっても、僕は最近はスプラはフェスの時しかやっていない。
長男に至っては、今回はフェスはやらず、自分の割り当て時間は先日購入したスマブラやっている。
5日。
フェスの合間をぬって、長女・次女の冬休みの宿題である、書初めの面倒を見る。
お恥ずかしい限りだが、僕はかなり悪筆だ。字は見られたものではない。
しかし、幼稚園の頃、上の兄弟にくっついて習字の教室に通っていた。
幼稚園の頃なので、何を書いたか覚えていない。
ひらがなを書いたのか、それ以前の練習だけで終わったのかも不明。
しかし、この習字教室で、毛筆の筆の動かし方の基礎だけは教わった。
だから、字が下手であるにも関わらず、筆の動かし方は「素人よりはまし」程度に教えられる。
どうも、話に聞くと、学校の先生は「素人」のレベルのようだ。
筆の動かし方の基礎は全く教えてくれてはおらず、ただお手本を見ながら書け、という授業をやっている。
「ちゃんと教えろ」というのではなくて、今時先生だって毛筆の使い方はわからないのだろう。
だから、僕が大したことがないレベルでも、先生よりは丁寧に指導することができる。
次女は、今年から毛筆の授業が始まったので、書初めの宿題は初めて。
長女はもう3回目なので、それなりの基礎は出来ている。
次女は、字の形のセンスはよいが、筆遣いがまるでなっていない。
運筆を教えたところ、ずいぶんと上手に書けるようになった。
鉛筆で書いていると、止め、はね、はらいの違いを気にすることはあまりない。
でも、これらを気にすることと、「空中での筆の動き」を気にするだけで、文字の形はずいぶんと整う。
課題は「美しい心」だった。
「美」には、これ一文字で、いろいろな運筆の方法が含まれている。
「い」を美しく書くには、空中での筆の動きまで意識しなくてはならない。
「心」は、非常にバランスの難しい文字だ。
なかなかよく考えられた課題だと思った。
長女は、普段左利きで、鉛筆も左手で持つ。
でも、毛筆では右手で書かないとまともな文字は書けない。
ずっと以前からそのことを言っているので、毛筆の時だけ右手で書くのだけど…どうしても、文字の形のバランスが崩れる。
課題の文字は「強い信念」。
上級生なので、ちょっと難しい課題だ。
しかし、ここでも「い」と「心」が含まれている。心は、念の下半分として。
やっぱり、これらの文字はなかなか難しいから、年齢を超えて含まれるのだろう。
2時間くらいやっていたが、集中力が途切れるので途中でおやつ休憩などを入れつつ、まずまずの作品を書くことができた。
フェスはまだ続いたまま本日、6日の話なのだけど、今日で冬休みは終わり…だと思っていた。
「明日から学校だから準備を」というような話を子供にしたら、「学校あさってからだよ」と。
僕の仕事は7日を仕事始めに設定していたのだけど、学校は7日「まで」休みで、8日始業だという。
よく確認しないまま、完全に勘違いしていた。
明日、時間が取れたら映画見に行こう。
(仕事先に、7日から作業できると伝えてしまっているので、行けるかどうかはまだわからない)
冬休み中にサーバー構築を終わらせるつもりだったのだけど、結局忙しくて何もできていない。
前回の日記では KVM の仮想サーバーを立てたところで話を終わりにしていたけど、デフォルトでは NAT Router を介した接続になっていたので、Bridge 接続にして、土台サーバーと同じネットワークにつなぐようにした。
これで、ネットワーク上から仮想サーバーにアクセスできる。それでないと、サーバーとしての役に立たない。
そして、Ubuntu Server にしてみる予定だったのは、いろいろ調べた結果取りやめ。やはり CentOS でいく。
今は Ubuntu の方がサーバーでもインストール数が多いようだけど、多ければよい、というわけではない。
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家族で、約束していた「シュガーラッシュ:オンライン」を見てきました。
実は、長女はすでに友達と一度見ている。
年末に、長女の友達のお母さんが「みんなで見てらっしゃい」と焚きつけて下さったのだ。
小学校5年生で、友達と一緒とはいえ、子供だけでバス・電車を乗り継いで映画館に行き、映画を見たうえマクドナルドで食事までして帰ってきた。
もちろん初めての経験だ。
行く前の長女は、すごく緊張して気弱になっていて、戻ってきた後は「すっごく楽しかった!」と興奮気味に語り続けた。
初めての冒険って、こういうものだろう。
で、近所でやっている映画館はそこくらいだったので、同じところに見に行った。
(もう一軒あるのだが、そこはスクリーンがあきらかに小さい。同じ値段なら迫力のあるところで見たい)
前作、シュガーラッシュは見ていたのだけど、今作に関する前情報は一切なしでの鑑賞。
…ネタばれはしたくないので詳しくは書かない。
すごく面白い映画だった、というのは事実。
でも、前作のような「ゲームマニアが喜べる仕掛け」はほとんどない。
前作と同じようなものを期待するとがっかりする。
一応、映画の宣伝などで明かされている情報の範囲内で書いておけば、実在のインターネットサービスなどが実名で登場したりする。
だから、そうしたものに詳しい方が楽しめる。
でも…「アメリカで人気のあるサービス」が多数で、日本で人気のあるサービスとは、ちょっと違う。
僕はネットのサービスに係る仕事をしているので、使ったことがなくても「こういうサービスがアメリカでは人気」みたいなことを知っている。
でも、それを知らないとよくわからない部分もあるかもしれない。
全体としてはインターネットの「通信技術」をうまく視覚化している部分が面白い。
情報のカプセル化とか、回線により MTU/RWIN が異なることをうまく視覚化できている…とか。
もちろん、そんなややこしいことを考えないでも面白いのだけど。
回線に NETGEAR とか書いてあって笑いどころなのだけど…これも、アメリカではメジャーだけど、日本ではあまり知られていない。
(ネットーワーク機器を作っている会社名)
もう一つ、これも宣伝で明かされている範囲で、ディズニー映画の他のキャラクターなどがたくさん出てくるところがある。
ここらへんでは、ディズニー映画を多く知っている方が笑える。
…つまるところ、前作では「ゲーム」だけで話を組み立てられていたのだけど、今作は「ネットとディズニー映画」にネタが分散している。
そこらへんが、前作と同じではない、という部分。
やたらと細かなコンピューター技術に詳しい方が楽しめる映画、という意味では、トロンを思い出す。
というか、映画の序盤でトロンを意識しているとはっきりわかる演出がある。
(トロンもまた、ディズニー映画だ)
繰り返すが、お話は面白かった。見て損のない映画だと人に勧められる。
…でも、なんだろう。こう、もやもやが残るんだ。
作っている側も、人気があったから続編を、ということになったものの、どう作ってよいか迷ったのではないかな。
先に書いたように話が分散してしまって絞り込めていない感じがあるし、話のまとめ方も、どうもうまく着地できていない感じを受ける。
そういえば、前作は映画がすべて終わり、スタッフロールも終わった後の最後の5秒に「ゲームへの愛」を感じた。
今作では、スタッフロールの際の画面右端に注目。
…インターネットにありがちなものを、うまく表現できていると思う。
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別年同日の日記
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4度目のキッザニアに行ってきた。
…4度目ともなると、もうあまり書くことないね。
しかしまぁ、家族日記として概要だけ書いておく。
もともとは、長男の誕生日にキッザニアに行こう、と言っていたのだった。
しかし、長男の誕生日は夏休み中。以前に行ったときは、キッザニアは非常に混みあっており、どうも楽しめなかった。
そこで、秋に行こう…ということになっていたのだけど、予定がうまくかみ合わず、一度は予約したもののキャンセルせざるを得なかった。
この時は昨年中には…と考えていて、実際一度は予約を入れたのだけど、これも再キャンセル。
1月の3連休の中日、13日にやっと行くことができた。
しかし、これが非常に混んでいる。夏休み以上だった。
冬は寒いので、屋内遊園地は人気があるのかもしれない。
成人の日も近いので、子供の「お仕事体験」も興味を持たれるのかもしれない。
理由はわからないが、とにかく前回と同じくらい早起きしたのに、整理番号は 126番。
前回は 47番だったのだから、朝早くから3倍くらいの人が来ているということになる。
長男の誕生日…ということになっているが、一番楽しみにしていたのは小学生の長女・次女。
キッザニアで一番人気は、お菓子工場でのハイチュウ作り。
2番目・3番目は、優劣つけがたいが、ハンコ作りとサングラス作りだという。
過去3回で、娘たちは、そのどれも体験してしまっている。
で、過去に長男がやっている「鉛筆工場」に行きたいという。自分の名前入り鉛筆をもらえるから。
開場してすぐに、娘二人は鉛筆工場に向かう。
でも、全然人気なかった。朝一番目の組に入り込む。
しかし、ここで「予約」を入れなかったのは幸いだった。
予約は1つしか入れられないのがキッザニアのルール。予約を入れてしまうと、案外身動きがとりづらくなる。
鉛筆のあと、前回興味があっては入れなかった「石鹸工場」にも入る。
こちらも石鹸をお土産にもらえる。
その後、「何をやろうか?」と迷って、とにかく待ち時間が短いものを探してみる。
ちょうど、中央広場横の三越デパートで接客の仕事があった。
「あとでデパートに行って、お土産が買えるか確認したい」と長女も言っていたところ。
ちょうどいいので働くことにして、仕事開始までの時間売り物を見る。
ふたりで一緒に行動していたのはここまでで、ここからは別行動。
僕は長女に、妻は次女について歩く。
次女は、毎回やって好きになっている、テレフォンオペレーターの仕事へ。
長女は、大日本印刷のやっている、写真を撮ってカレンダーを作る体験へ。
カレンダーづくりは、仕事ではなく「体験」だ。キッザニア内通貨を消費する。
しかし、長女は2回目以降のキッザニアで、前回の地図を持ってきて「地図は要りません」をやり続けてきた。
今回、3回目の「要りません」により、エコポイントシールが3枚溜まっていた。
これで、1度「体験」を無料で行うことができる。
デジタルで写真を撮影すると、その場で合成してカレンダーの絵柄にしてくれる、というものだった。
さらに、印刷後にマスキングテープやシールで飾り付けを行い、自分だけのカレンダーが完成する。
1月だし、今年中使えるカレンダーをもらったので、結構いい体験だったのではないかな。
長女、バナナハウスへ。前回行きたかったが、いけなかったところ。バナナの収穫のお仕事をする。
次女は、エコハウスへ。再生紙や再生布を使った無地の「エコグッズ」に、スタンプなどで装飾して自分のオリジナルグッズを作る「体験」。
じつは、バナナハウスとエコハウスは、隣同士で同じ建物内になっている。
それぞれやってみたかったものを目指してきただけなのだけど、ここでまた合流。
バナナの収穫は、もちろん本物ではない。偽物の「バナナの木」に、本物の未熟のバナナを取り付けたもの。
とはいえ、未熟バナナから自分で収穫し、消毒し、袋詰めしてエチレンガス室に入れて出荷準備するまでを体験できる。
バナナは2本収穫するが、1本お土産。
ガス室は家にはないので、3日ほどおいて追熟させて食べたら、おいしかった。
ここまでで、午前中終わり。
昼ご飯を…と思うが、朝車中で食べた量が少し多かったので、みんな「あまりおなかすいてない」という。
何かあった時のために、若干非常食を持ってきていた。
これらを食べて、そのまま午後の体験開始。
娘たち、再び一緒に行動。
空いているところは…と探すと、集英社の「漫画家のお仕事」がすぐに入れた。
もちろん、漫画家の仕事なんて簡単に体験できない。
プロが描いた原稿…ワンピースとか、アニマル横丁とか、人気漫画の一部の表情やセリフが空白になっていて、そこを埋めるだけでいい。
ちょっとした大喜利だけど、「なんか絵を描いた」というのは楽しかったようだ。
ちなみに、書き始める際に、終了の目安時間を決められるのだけど、「締め切り!」とホワイトボードに時間がかかれるのが、漫画家っぽくてよい。
書いた原稿は、漫画を描いてみたい子向けの16ページほどの解説の乗った小冊子の「冒頭ページ」として取り入れられ、目の前で製本される。
ちなみに、本の表紙には、自分の決めたペンネームも入っている。なかなか良いお土産。
もう終わりの時間が近かった。
「最後にDJやる!」とラジオ局に向かうと、次の回はもう一杯で、その次の最後の回になるという。
予約を入れ、その時間までクロネコヤマトでバイト。
毎回、最後はクロネコでバイトをしている気がする。
DJが終わったら銀行に行く時間はないはずなので、先に銀行に預金。
長女は、DJではなく、進行ディレクターをやった。
過去にDJ、音響ディレクターをやっているので、「これでラジオ局の3つの仕事制覇!」だそうだ。
次女はDJ。
以前にやった時は、声が小さくて聞き取りづらかった。
しかし、テレフォンオペレーターの仕事で喋り方などを学んだので、非常に上手に原稿を読むことができた。
これで終わり。長男とも合流。
長男は、テーブルマジシャンや冷凍食品開発の仕事もやってみたが、DJを5回やったそうだ。
もう、来るたびにDJやってる。今回は「他のもやってたので少ない方」。
今回来る前は、DJ飽きたからあまりやらないかも、と言っていたのだけど、やり始めたらやっぱり楽しかったらしい。
原稿が決まっている中で、どこまでアドリブを突っ込めるか、というチャレンジをしていたらしい。
あとでCDを聞いたが、妙に流暢で、確かにいい感じ。
次回は、4月の娘たちの誕生日に来る予定。
すぐだね。
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別年同日の日記
16年 森公一郎 命日(2015) レイ・ドルビー誕生日(1933)
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昨年末に「辞める前に作っていたゲーム」の話も書いたはずなのだけど、大事なのを忘れてました。
SEGA TETRIS。ドリームキャストと互換の、NAOMI 基板で作られたゲームです。
僕は直接かかわっていないのだけど、コラムス 97 の企画者が作っていたので、いろいろと相談に乗っていました。
そもそも、なぜ 1998 年ごろに、「いまさら」テトリスだったのか?
日本でのテトリスブームは、1988年ごろ。
最初に発売されたのは BPS 社から発売された PC 用で、ヒットはしましたが「大ブーム」というほどではありませんでした。
大ブームになったのは、夏ごろにセガから業務用が発売になってから。
その後、BPS から PC の移植であるファミコン版が発売され、ブームが確定的になります。
でも、実は最初の PC 版以外は、全部「海賊版」の扱い。
あまりにも単純なゲームで作りやすかったこともありますが、原作者のいたソ連の著作権管理が甘かったせいもあり、ライセンスがおかしな状態になっていたのです。
セガは、これに気付いてあとから業務用のライセンス料は払いましたが、作成していたメガドライブ移植版は発売中止に。
さらに、業務用の「続編」は作りますが、これには TETRIS の名前を冠していません。(BLOXEED、FLASH POINT)
「類似ルールの別ゲーム」という、まさに海賊版です。
テトリスは、ソ連のコンピュータープログラマーである、アレクセイ・パジトノフが趣味で作ったものです。
当時共産主義であったソ連では、何を生産するにも「国の計画」に基づいて作られ、国有の共有財産として管理されます。
しかし、趣味で作ったものだからこそ、その管理からもれました。
そして、無料で公開されたテトリスは、あっという間に世界中にコピーされます。
すべてが共有財産であるソ連では、こうしたソフトの著作権もあいまいでした。
世界中に広まってから「外貨獲得手段になる」と気づき、後追いでライセンスなどを承認したのですが、そこでも紆余曲折あります。
セガの業務用や、BPS のファミコン版が「海賊版」の扱いになってしまったのも、これが原因。
当人たちはちゃんとライセンスを得たつもりだったのが、得られていなかったのです。
ここら辺の長い紆余曲折は、非常に面白い、壮大なドラマです。
過去に書いていますので、興味がある方はそちらもお読みください。
最終的に、1995年ごろに、テトリスの権利は原作者である、アレクセイ・パジトノフの手に戻っています。
そして、96年ごろから「テトリスのライセンス事業」で、複数の会社から、テトリスが発売され始めます。
今度こそ、正式にライセンスされた「テトリス」を作れるチャンスです。
セガでも業務用テトリスを作ろう。そういう決定がなされ、「じゃ、作ってね」と任されたのは、「コラムス 97」を作った企画者でした。
この時、内製するにはプログラマーなどの人数が足りなかったため、「テトリスくらい、外注でも作れるだろう」と、作成は別の会社に任せることになりました。
ところが、コラムス 97の企画者は、「プログラマーと密接に相談しながら企画を作っていく」タイプの人なのね。
外注会社を決めるには、先にある程度企画書を定めないといけません。
そこで、コラムス 97 のプログラマーだった僕が相談に乗って、いろいろと初期の企画を作り始めたのです。
まず最初に行ったのは、テトリスの版権管理団体である「ザ・テトリス・カンパニー」に文句を言うこと。
ライセンス供与する際の、守るべき仕様があるのですが、この仕様が全然ダメ。
そのまま作ったらとてもゲームにならない、という代物だったのです。
というのも、ザ・テトリス・カンパニーの実態は、BPS と考えてよいため。
PC 版のルールを元に仕様を組み立てているのです。
ここで、PC 版とセガの業務用が、全然違うルールであることを説明しないといけませんね。
原作となるテトリスは「上から落ちてくるブロックを、空中での左右移動と回転を行いながら、うまく積んでいくゲーム」でした。
「うまく」というのは、横一直線がブロックで埋まることを意味します。
この時、並んだブロックは消え、それより上のブロックは下に落ちるため、うまく消し続ければブロックの量が増えません。
逆に、うまく消すことができず、ブロックが上まで積みあがるとゲームオーバーです。
PC 版では、基本的にこの原作に忠実に作られていました。
ただし、パズルとしての側面をより明確にするため、一定のライン数を消したら「面クリア」とし、面の最初には適当なブロックが積みあがっている状態で始まったりもしました。
これに対し、業務用は別のアプローチをとっています。
パズルとしての側面よりも「ブロックが落ちるまでに考えなくてはならない」というアクション性を重視したのです。
ブロックの落下速度は、原作でもだんだん速くなります。
しかし、業務用では、空中での操作が不可能になるほど早く落ちるようにしました。
その代わりに、接地してからもしばらくは操作可能としていました。
「空中で操作する」ゲームから、「積みあがったブロックの上で、操作するブロックを転がす」ゲームに変えたのです。
この変更により、回転方法が全く違うものに変わっています。
まず、原作では「回転」の名前にふさわしく、ブロックを回転させる際の中心軸があります。
中心軸となるブロックが動かない形で、周辺のブロックが「回転する」のです。
この結果、回転した結果、元の状態よりも下側にブロックが出現することがあります。
先に書いたようにセガの業務用では、落下速度を速くして、その代わりに接地後も操作可能としています。
この時、下側にブロックがはみ出るような回転方法では、「接地後は回転操作ができない」ことになってしまうのです。
そこで、セガ版では、「ブロックの一番下のラインが変化しないように回転する」ようになっていました。
回転軸は持たず、基準ラインを持つようにしたのです。
しかし、テトリスカンパニーの定めた「テトリスの仕様」では、回転方法は原作・PC 版にそろえることが義務付けられていたのです。
企画者の最初の仕事は「そんな仕様ではゲームが作れない」と文句を言うことでした。
慣れない英語で、なぜゲームが作れないのかを分かってもらうために、細かな説明をする手紙を書きます。
当時はまだ今ほど電子メールも普及しておらず、海外とのエアメールでした。
最初の反応は、「回転方法の仕様変更は許されない。代わりにこれではどうか?」と、回転時にブロックにぶつかる場合は、ぶつからずに回転する位置までブロックが上に持ち上げられる…という仕様の提案でした。
これ、直線ブロックを縦にして、左右どちらかの壁に押し当てて回転させるだけで破綻します。
どんなに上に持ち上げようとも絶対に回転できませんから。
その指摘をすると、「じゃぁ、持ち上げられるブロック数を制限して、その範囲内に見つからなければ回転できないというのはどうだろう?」
これでも駄目です。持ち上がってしまった時点で「接地」ではなくなるため、さらに回転させると再び落下が始まります。
接地してから一定時間は操作可能、という仕様に対して、何度でも「再接地」できてしまうため、永久に操作可能になります。
また、階段状にブロックを積み上げておくと、回転させながらその階段を駆け上れます。
これもまた、「落下するまで」という時間制限が重要なゲームとしては、致命的な欠陥を生み出します。
テトリスカンパニーの提案する仕様には欠陥がある、ということを、また詳細に説明した手紙を書きます。
他にもいろいろな問題がありました。
とにかく、PC 版準拠で作られていたため、「ブロックを速く落とす」ことができませんでした。
ブロックを落とすときは、下方向レバーを入れた時点で、瞬時に接地します。
ブロックの色も PC 準拠で決められていました。
しかし、この色はセガが過去に作り、多くの人が知っている「業務用」と異なるのです。
これらの仕様についても、過去の業務用に準拠させてもらえるように、粘り強く交渉しました。
何度手紙を往復させたでしょう。
最終的には「わかった、我々の提案する仕様には、まだ欠陥があるのを認める。今回は自由に作っていい」という許可を勝ち取ったのです。
その後、テトリスカンパニーの作る仕様は何度かバージョンアップされ、現在では当時よりも柔軟なルールを作りやすいものに変わっています。
上に書いたような、ルールで悩んでいたのはまだ会社で働いていた頃です。
でも、テトリスの話は、「会社を辞めた後」も続くのです。
辞めた後に企画者から電話がありました。
プログラムの問題で悩んでいるので、アドバイスくれないか、って。
ドリームキャスト版を作成するにあたり、通信対戦に対応しようとしたのだけど、どうしてもデータ転送が間に合わない、というのです。
ドリームキャストは、当時としては珍しい、通信対応のゲーム機でした。
コンピューターを電話線に接続する「モデム」を標準装備しており、電気信号を音に変えて伝達します。
当時は最高速度で 56kbps 。1世代前の安いモデムなら 33.6kbps で、ドリームキャストも安いものを搭載していました。
ところで、モデムの世界では、1byte は 10bit。
8bit の情報の始めと終わりに、 1bit の「同期信号」を入れてあるためです。
このため、33.6kbps は、1秒間に 3360byteを送受信できることになります。
で、企画者の話を聞いてみると「毎フレーム、お互いの盤面の形状を送受信したい」とのこと。
テトリスの盤面は 10x20。ブロックの色が7色と「空白」があるので、1マス 3bit で送るとして、600bit。
600/8 = 75 なので、 1フレームは 75byte あれば送れそうです。
1秒間は 60フレームなので、1秒間のデータ量は 75*60 = 4500byte 。
これに対して、先に書いた通り、送受信できるデータ量は 3360byte。
これでは、どうやっても足りるわけがありません。
…と、電話をしながら計算して見せたら、納得してもらえました。
どうにかする方法ない? というので、「キー操作の情報とか、最低限のものだけ送って、送られた側で情報を再構築するのがいいんじゃないかな」とアドバイスしたように思います。
ただ、そのやり方をすると、お互いの間の通信タイムラグで不具合が出るかもしれないから、そこは何とかする必要があると思う、とも。
その後無事発売されたので、通信はなんとかできたのでしょう。
2023.3.27追記
企画者と久しぶりに飲んだら面白い話を聞けたので追記。
本文中に、ブロックの色なども粘り強く交渉した、ということが書いてあるのですが、最終的には「テトリスカンパニーの仕様に従った色と、セガが過去に業務用で使った色の両方を使えるようにして、お客様に選んでもらう」ことで決着したのだそうです。
ここでいうお客様とは、プレイヤーではなく店舗のこと。
このため、基板にあるディップスイッチの設定で、色を切り替えられるのだそうです。
また、この時点で「棒ブロックが白、という指定は覚えている」そうです。
今は水色ですが、違った様子。
工場出荷時はセガの過去のテトリスの色。
色を変更していた店舗はなかったのではないか、とのこと。
今、追記を書くために改めて PC 版のブロックの色を確認したのですが、BPS が作った PC 版では、棒ブロック赤ですね…
オリジナルだとされる IBM PC 版でも赤。
そして、すでに何度も書いているようにセガも赤。
なんで、新しい仕様を定める際に水色にしたのだろう…
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「業界記」として書いてきた、セガ時代の思い出話は、今回で終わりになります。
退社することは部内で公表し、引継ぎ作業などに追われていた年末、部長から「辞めるの伸ばして、もう少し働かない?」と言われました。
入社して最初に作ったゲーム、「手相占い ちょっとみせて」に、特別バージョンを作ってほしい、という依頼が来ているのだそうです。
退社する、と決めたのは、勇気を振り絞ってのことでした。
大手企業を辞めるというのは、先行きの不安はありますからね。
だから、「自分の会社作る予定なので、そのまま残るつもりはないです」と言いました。
そうしたら「じゃぁ、新会社に発注出すからやらない?」と。
報酬額は? と聞いたら、今までの給料と同じだけ出すって。
それじゃぁ、結局今まで通り働くだけで、会社設立の意味がありません。お断りしました。
この話、詳しくは過去の日記にすでに書いています。
たしか、溜まっていた有休消化のために長期休暇に入ったのは、1999年の 1月 11日。
仕事始めが7日あたりだったともうので、新年の挨拶だけしてすぐに休暇、だったのだと思います。
なんで日付まで覚えているかといえば、わざと1並びの日にしたから。
退職したら自分で会社を興そう、と思っていたのですが、この日に会社設立書類を法務局に持っていきました。
そうすれば、会社設立日が1並びになって、なんか面白いかと思って。
…1週間たち、手続き完了していると思って再度伺ったら、書類不備で再提出でした。
自分で全部やろう、と思って勉強したのですが、こういうのは司法書士さんとかに頼まないとダメですね。
とはいえ、この時はそんな知恵もお金もなく、再び自分で修正して翌日に再提出しています。
そんなわけで、自分の会社の設立日は、書類上は 19日です。
確か有休を使い果たして3週間ほどたって…1月の末ごろに、もう一度出社しました。
この日が、本当の退社日。
部署に行って改めて挨拶し、その後人事部に行きます。
社員全員に配られていた「事業計画書」の冊子があり、退社するときはこれを人事部に返納するのです。
人事部としては、退社する人への対処も慣れているのでしょうね。
淡々と事務処理をしただけで終わり。
自分としてはもう少し「辞める」という感慨にふけりたいくらいなのだけど、手続きはすぐ済みました。
社員証も返してしまったので、いつも使っている、社員専用の通用口からは出られません。
正門から堂々と退社しました。
これで「業界記」の話は終わりなのですが、以降の自分の話をざっくりと。
実は、退社した直後、 1999年2月には、NTT DoCoMo の i-mode サービスが「ひっそりと」開始されます。
当初は注目されるようなサービスではなく、急激な伸びは1年後からです。
しかし、たまたま注目前の1年の間に i-mode 公式コンテンツの作成にかかわり、その後の急成長の波に乗ることができました。
偶然にも、非常に良いタイミングで会社を辞め、起業できたのですね。
以降は携帯電話向けコンテンツの作成を主な商売にしてきました。
時代が変わり、携帯からスマホに変わりましたが、いまでもコンテンツ作成をやっています。
ソーシャルゲーム作成に参加していたこともありますし、普通に WEBページ作成をやっていたこともあります。
プログラムとしては、PHP / Javascript / CSS の組み合わせが基本。Wordpress なんかも仕事でやっています。
最近の過去の仕事では、Smarty や node.js を言語環境としたり、Redis を使うこともありました。
CSS は、デザインのためのものというよりは、CSS Animation で動かすためのプログラム技術。
スマホで動くソーシャルゲームなど、CPU 性能は低めなので、CSS を使って GPU で動かす方が滑らかになります。
#申し訳ないのですが、僕はデザインセンスは壊滅的です。このページ見ればわかるか。
デザインを示されて、それを CSS で実現する、というのはできます。
安請け合いはできませんが、言語に関しては、必要なら割と何でも、という感じ。
基礎は出来ているので、必要に応じて言語の表層を覚えればどうにでもなります。
というわけで、仕事の依頼は常にありがたいです。
僕の過去の話を読んで、スキルに興味を持ってくださった方がいましたら、よろしくお願いします。
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