目次
09日 匿名コメントへの返答
20日 掲示板一時閉鎖のお知らせ
22日 家族日記連投
22日 マドレーヌ
22日 食洗機故障
22日 サイエンスカフェと理科ハウス
22日 布団の修理
30日 春休み
31日 冒険遊び場
ページ下部にある1行掲示板に、以下のようなコメントをいただきました。
まずは、ご意見感謝します。
この指摘は初めてのもので面食らいましたが、そのような受け取り方をする方がいる、という事実は、いろいろなことを、深く考えるきっかけを与えてくれました。
以下、掲示板に「匿名」として書き込んだ方への返事となります。
ご意見自体が深いというか、いろいろな問題を含むものですので、長文になりますが自分の考えをできるだけ述べたいと思います。
「前々から」「多すぎる」と書かれているので、それなりにこちらのページの内容を読んでくださっているのかと思います。
なので、トップページからもリンクしていて、時々文中からもリンクしている「当ページの執筆方針」も読んでいるものとします。
もし読んでいないのであれば、非常に重要なことを書いていますので、今すぐお読みください。
そちらの執筆方針には、「あえて嘘をつく場合がある」ということを書いています。
そして、実のところその執筆方針自体、嘘をついて書いています。
この執筆方針は、僕のページ作成における執筆方針だ、としていますが、これは話を矮小化した嘘です。
他人に強要する意図はないので自分のページに話を限定し、矮小化したのですが、内容的には一般的なものです。
僕が独自に考えたようなものではなく、大学で論文執筆技法の講義として学んだことを、ほぼそのまままとめて、自分の言葉で語ったものにすぎません。
ここに書かれていることは、文章作成者が皆心掛けていて良いものなのです。
(心掛けなくてはならない、ではなく、心掛けてよいもの、です。)
それはそのまま、読み手にとっての了解ともなります。
読み手は、意識的にせよ無意識にせよ、すべての文章製作者はこの心がけに沿って文章を書いている、と考えなくてはなりません。
(考えてよい、ではなく、そう考えなくてはなりません)
つまり、文章中に書かれている「嘘」について、寛容でなくてはなりません。
この寛容さは、嘘を受け入れろと言っているのではありません。
読者は、嘘を嘘であると指摘し、証拠を挙げ、他の人に注意を促す権利を持ちます。
しかしそこどまりです。
たとえ嘘を吐き続ける筆者であっても(今問題視されているフェイクニュースサイトのような場所であっても)、その権利を奪うことは許されません。
たとえ反論者が目障りでも(言葉狩りのような本論と関係ない反論でも)、その権利を奪うことは許されません。
嘘を吐き続ける人も、実のない反論を行うだけの人も、いつか信用を落とし、周囲は相手をしなくなるでしょう。
そうならないように、自分の威信をかけて自分の考えを発表する。
威信をかけているからこそ、誤りの指摘があれば速やかに修正し、または補強を行う。真摯な態度で臨む。
これが言論を戦わせるということで、言論の自由はこのために保証されています。
さて、「決めつけ」について。
上に書いた執筆方針を読んでいただければわかりますが、僕は話を端折るために嘘を書くことがあると明言しています。
世の中に単純な話など一切なく、どんなことを取り上げても、詳細を書いているときりがないためです。
ですから、話の単純化のために、嘘をついて決めつけることは多々あります。
決めつけている、と指摘のあった個所については、以下のように書かれていました。
「日本人の多くが勘違いしているのですが、スポーツとは運動のことではありません。」
これに関しては、どのくらいが勘違いしているのか、という定量的なデータを僕が持ち合わせていません。
誰もそんな勘違いをしていない、という反論も可能ですが、肌感覚としては、間違ったことを書いたとは思っていません。
(もちろん、先に書いた通り証拠付きであれば…定量的なデータなど示されれば、反論受け付けます)
英語の原義としての「スポーツ」は、余暇を楽しむものです。
運動に限らず、車でドライブすることもスポーツです。
冗談を言うことも、チェスやテレビゲームもスポーツです。
事実として、先日行われた平昌冬季五輪では、スポーツの一環としてチェスも行われました。正式種目ではなく、公開競技ですけど。
対人対戦型のテレビゲームを皆で観戦する、eスポーツも世界的には人気があります。
しかし、日本ではスポーツは「運動」や「体育」のことと考える人が多いです。
先日、eスポーツの国内団体が発足した際に新聞記事で「有識者意見」を集めていたのですが、体を動かさないテレビゲームがスポーツとされることに違和感を感じる、としている人が少なからずいました。
「有識者」と言われるレベルの人ですら、そんな現状なのです。
もっとも、この記事を書いた 2013年頃に比べて、現在では少しづつ誤解を解こうという動きがあります。
eスポーツ団体の相次ぐ発足もそうですし(単に金儲けの団体もありそうですが)、スポーツ庁の設立、体育の日の「スポーツの日」への改名などもこの流れの中にあります。
あと10年もすれば、状況は改善するかもしれません。
すこし話がそれました。
「決めつけ」についてですが、上では「日本人の多くが」と含みを持たせた書き方をしています。
しかし、もっと「日本人は」と決めつけることもあるのは事実です。
いずれの場合も、100% の人がそうだとは思っていません。そこは、話の枝葉を端折るための文章技法にすぎません。
これは一般的な文章の暗黙の了解だと思っていますし、事実として今までこの部分に対しての意見をもらったことはありませんでした。
しかし、一人でもそこに対する意見をくださった方がいる、という事実は、書き方が悪かったのだという自省はあります。
もう一つ、蛇足ながら付け加えておきます。
この文面も含め、僕は文の末尾を言い切る形で書くことが多いです。
これも執筆技法として一般的なことですが、文章というのは執筆者が「考えた」「思った」ことをまとめているものです。
そのため、「思う」「考える」というような文末は、いちいちつける必要がありません。自明だからです。
言い切り、決めつける形で書く。そのほうが簡潔で読みやすくなります。
(一般的ではない、僕の考えにすぎないと自己認識している部分について、「思う」をあえて使うことはあります)
決めつけたにも関わらず、間違えていたとしても、気にする必要はありません。
先に書いたように、それが間違いであれば他の人から間違いだと指摘されるだけですから。
指摘を受け、それが正しければ修正を行えばよい。ただそれだけです。
このことをして「決めつけている」というのであれば、単に文章を読むことに慣れていないのでしょう。
「レイシスト」「レッテル貼り」について。
ここでは「レイシストじゃないんだから」「レッテル貼りは / 卒業するべき」という文脈になっていますので、私がレイシストでないのはご理解いただいているものと考えます。
レッテル貼りとは、物事を単純化するために、多様なものをまとめて全部同じもの、と見なす行為です。
時として事実に反する認識を行い、対象となる相手を侮辱する意味にも使われます。
ここでの文脈がどちらかはわかりませんので、穏当に「すべてを同じと見なすべきではない」というご意見だと考えておきましょう。
これについては、すでにここまでに書いた通り、ごく一般的な文章技法として、些細な部分には踏み込んでいないだけです。
この意見をいただいた文章は、「最初のテレビゲーム」について論じたものでした。
その中で、「ゲーム」という言葉自体の定義が問題となるため、「ゲーム」とその上位概念である「スポーツ」という言葉の意味を書いていた部分です。
ここでは、この言葉の定義を問い直すことが目的であり、その過程で想定読者層である「日本人」の認識を問う必要がありました。
もちろん、すでに「スポーツ」の正しい意味を理解している人に対しては、読み飛ばしてもらって構わない部分です。
すべての日本人がこの言葉を理解していない、と書く意図ではありませんし、ましてやそれを侮辱表現とするものでもありません。
ところで、この文章自体は「最初のテレビゲーム」を論じたものでありながら、最初のテレビゲームがなんであるかの結論を出していません。
ゲームとは非常に多様なもので、その多様性こそがゲームの面白さだと思っているためです。
「最初」を決めようとすれば、多様であるはずのゲームの枠を一意に決めなくてはならなくなります。それはゲームらしさを損ないます。
そのために、十分な情報を提供したうえで読者に最終判断をゆだねる、という書き方をして、結論を出すのを避けました。
これについて、「結論を出していない」という批判をいただいたことはあります。
しかし、まさかその文章に対して「決めつけている」「レッテル貼りだ」という批判が出るとは想定していませんでした。
ところで、「レイシスト」は人種主義者のことですが、現在は国や民族による差別もレイシズムに含めて考えるのが一般的です。
人種はもちろん、国や民族による差別を行ってはなりません。
しかし、「差別しない」と「差があると思わない」は別のことです。
差は、歴然としてあります。
「日本人は日本語を主言語とする」
これは、日本人が他の国の人とは「差がある」、と明示する文章です。
しかし、決めつけでも、レッテル貼りでも、差別でもなく、単に事実を述べただけです。
先に書いた通り、一般論として書かれていることに注意してください。
アメリカから帰化した「日本人」が主言語を英語としている、という事実があったとしても、それは特例としてこの文章は成立します。
「日本人の心の奥底には『恥』の概念があり、恥ずべき事かどうかが行動の規範となる」
これが全てにおいて事実かどうかはともかく、一般的に正しいとされている日本文化論です。
キリスト教世界では「罪」かどうかを気にしますが、日本文化では「恥」かどうかを気にする、とされます。
こちらも、すべての日本人がそうである、とするものではありません。
しかし、日本文化の奥底に根差したものであり、それはキリスト教文化圏とは違うものである、ということを論じただけの文面です。
こうした差を書くことが、レッテル貼りやレイシストか、と問われれば、僕は違うと思います。
もちろん、これは僕の意見です。こうしたものでも差別的だ、というのがいただいた意見の趣旨だと思いますし、その趣旨は理解します。
実際、いじめや差別というのは、発言した側にはそうした意図がなくとも、受け取り側が傷つけば、いじめであり、差別です。
それを踏まえたうえで論を進めさせてもらうなら…
僕は、こうしたことを「差別だ」と考えてやめてしまえば、それこそが最大の差別を生み出してしまうだろう、と考えています。
差は歴然としてあります。
その差を見つけることが「差別」であるならば、すべての人は均質で、自分と同じである、として扱うしかなくなります。
つまり、足が不自由な人に「走れ」と命じたり、体が不自由で生活保護を受けている人に「働かないのは努力が足りない」と言ったり。
全ての人に差が無ければ、ある人が走れるのであれば別の人も走れるでしょう。
ある人が働いているのに働かない人がいるのであれば、努力が足りないのでしょう。
でも、そうではありません。
全ての人は差があり、できることが違います。
それは恥ずべきことではなく、自分がたった一つの存在であると誇って良いことです。
人種性、国民性、民族性の違いも同じです。
そこに、歴然と差はあります。その差を認識することは、差別ではなく相手を理解するための第一歩です。
相手の価値観を理解しようとせず、自分の価値観を押し付けることを、差別と言います。
もちろん、いわゆる「レッテル貼り」は相手を理解せずに決めつけることなので差別です。
人種、国籍、民族、性別などにより、最初から同等の権利を認めないことも差別です。
すべて、相手に対する理解が足りないことから行われるものです。
僕は比較文化論が好きです。
「日本人は」というような言い回しは、実際よく使っています。
指摘されるまでは気にしていなかったのですが、検索してみたら自分で思っている以上に多く書いていました。
これらの書き方を、差別だと感じる方がいる、ということを知れたのは、今回ご意見をいただいてよかったと思っています。
うまく伝わらなかったのは僕の書き方が悪かったせいで、今後の課題とします。
しかし、これらの記述で行っている比較は、差別を行うためではありません。
比較し、違いを認識し、その違いがどこから来るか考える。
そうしたことを通じ、より深く相手を理解する…つまり、差別をなくしたいためのものです。
これらはすべて、僕の考えにすぎません。「僕はこう思う」というだけであり、人に強要するものではありません。
先に書いた通り、差があるとすること自体が差別だ、という考えもあると思いますし、今回の意見はそうした考えから出されたものだと思っています。
この意見は尊重いたします。
つまるところ「差別はしてはならないものだ」という共通認識があり、その実現方法が異なっているだけですので、異論はありません。
そのうえで、僕は人に意見を強要しませんし、強要された意見を呑もうとも思いません。
強要することは差別ですし、強要を呑むのは差別を認めることになるためです。
今回の意見はいろいろと考えるところがあり、非常に参考になりましたが、今後も僕は考え方を変えないと思います。
そうした文章を読むのが嫌であれば、あなたには「読まない」自由があります。
自分の考えを強要するのではなく、相手に考えを押し付けられるでもなく、相手をただ理解する。
理解できないなら理解できないままで構わないが、相手の立場は尊重する。
僕としては、このやり方が一番差別をなくせると思っているので、今回もその方法を選択します。
さて、僕からの返答は以上ですが、もう少し話を続けます。
本文では、意見を書き込まれた記事をサンプルとして「日本人は」という書き方の意図を釈明しました。
でも、「前々から」と書かれた通り、他にもこうした書き方は多々使っています。
それらについても、いくつかの記事を示して意図を説明します。
比較文化論が好きだ、と上に書きましたが、この記事では、やたらといろいろなものを比較して「アーカイブ」というものを浮き彫りにしようとしました。
話の趣旨は「日本ではアーカイブの重要性が十分に認知されていない」ということなので、当然日本文化の話も書いています。
いろいろと比較に出しましたので「決めつけて」います。
さらに言えば、ここに書いた話、十分な裏付けはありません。
一応いろいろな資料を当たって書いてはいますが、あくまでも雑文、ポエムであり、僕が思ったままに書き連ねただけです。
裏付けがないのですから「レッテル貼りだ」と言われればその通りです。
違うと思う人は反論する権利があります。
これは、執筆方針として表明している通り。
「日記」として書いている記事は、十分な調査を行って書いたものではありません。
間違いを多分に含むと思いますし、間違いを指摘されれば修正いたします。
「生卵と生豚と」
これも、「日本人」「日本では」という言い回しの多い文章。
食文化の話として書いているのだけど、安易な決めつけを戒める話でもある。
ある時代において正しい「民族的な文化」であっても、時代が変わると変化することがある。
20年前は、生の鮭を食べてはいけない、というのは当たり前の「常識」だった。
でも、今は回転寿司でも生鮭の握りが出る。常識は時間と共に移り変わる。
先ほど、相手を理解して差別をなくしたい、と書きました。
ここら辺の記事は、そうした意図で書いたものです。
4年も前に書いたもので、現在は当時よりはLGBTへの理解も進んだと思うので、いまとなっては少し古臭いこと書いていますが。
差別を恐れるあまり、こうした問題に踏み込むのを嫌う人もいます。
取り上げること自体が差別的だと言われる覚悟も持って書いた記事でしたが、そうした反応は多くはありませんでした。
(反響自体は結構ありました)
これも先ほど書きましたが、差別を恐れて、実際に差があるものを「見ないふり」をするのは、より大きな差別を生むと思っています。
歴然と差はあるのだから、差があると認識したほうがいい。
その差が何から生まれるのか、理解するまで考えた方がいい。
もし考えても理解できないなら、「理解できない」のままで構いません。
それだって、差があることを認識したうえでのことです。
認識したら、それが事実なんだから受け入れる以外ない。
「差はない」なんて言っているより、ずっと差別的でないと思うのです。
アスペルガー症候群は、特に珍しくもない精神症です。
でも、差別されやすくもあります。
差別というか、事実付き合いづらい性格なのよ。
遠巻きに見ているだけなら面白いけど、近寄ってほしくない。
でも、アスペルガー症候群の人が「どのような考え方をするか」がわかっていれば、特に問題なく付き合えると思います。
ここに挙げた記事は、いち早くこの症例に気付き、研究をした医師の話と、実際のアスペルガーの症例。
症例、僕ですけどね。サンプル数1しかない。
でも、自分のことのように深く理解できていると思います。
最後にもう一つ挙げます。
「新しい文盲」
機能的非識字、という障害について取り上げた記事です。
機能的非識字とされる人は、軽度であれば大体5~6人に1人。結構多いです。アスペルガーより多い。
重症になればさらに少ないでしょうが、頭が悪いわけではありませんし、日常生活にも困りません。
だからこそ、「差」があることに気付きにくい。本人すら気づいていない。
文章を少し取り違えることで周囲との認識に差が生まれ、差別されやすい人々でもあります。
機能的非識字だと、文章は「読める」にもかかわらず「意味を理解できない」です。
文章の本論から離れた些細なところにこだわってしまって全体を見失ったり、逐一説明することのない、暗黙の了解に気付かずに勘違いしたり。
実のところ、今回意見をくださった方は、機能的非識字なんじゃないかと疑っています。
それも、少し重めの症状の。
この記事の冒頭付近で、意見がいろいろと「的外れ」であることを挙げさせてもらいました。
些細な話の枝葉に引っかかり全体を見失っている、一般的な暗黙の了解に気付けず意味を取り違える、などなど。
機能的非識字の一般的な症状です。
この記事もいい加減長いので、本当に機能的非識字であれば、ここまでの話が理解できているか怪しいものです。
そもそも、匿名で意見をくださった方がここを読んでいるかもわかりません。
記事内容に対して文句があってイライラしているようですので、僕なら「もうそのサイトを見ない」という行動に出るでしょう。
しかし、もしここを読んでいたら。
そして、「機能的非識字ではないか」とここで書かれて侮辱されたと感じ、怒りを感じているならば。
それこそが、記事の内容を読み取れていない証拠です。
普通に文章が読める方なら、ここまでの話の流れで侮辱する意図がないことはわかっていただけると思います。
もし該当するなら、まずは自分の症状と冷静に向き合い、得手不得手を認識するのが良いでしょう。
文章が読めなくても、頭が悪いわけではないと思いますので、得手不得手を認識できれば何も問題は無くなります。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【なお】 たまに、誹謗中傷的な文章に対して長い反論をされていますが、管理者の誠実さを感じつつ、その労力をもったいないと思っています。些細なことより、「OldGoodComputer」、もしくは「業界記」充実させて!古いコンピューターの記事が充実して、なおかつ更新が頻繁なサイトは少なくなりつつあります。これからもその活力を維持し続けて欲しい。 (2018-03-11 01:03:38)【なお】 コンピューターの歴史を趣味として楽しんでいるものです。 (2018-03-11 00:52:36) 【匿名】 むしろ今までそんな指摘が無かったのにも、今回初めて面食らったというのも不思議…。読者層のせいですかね。 (2018-03-10 21:53:30) |
説明責任果たさないと自分自身が前に進めないので、気の進まない日記を記します。
現在、緊急措置として各ページ下の一行掲示板を書き込めないようにしています。
まずはことの経緯から。
「匿名」さんが、過去に書いた記事についている掲示板で、ご意見くださったことから始まります。
記事内容の、枝葉の部分に対する批判でした。
これについてはありがたいご意見です。
多少的外れな部分があったとは思いますが、書いた記事への批判は僕の至らなかった部分に気付かせてくれるものですので、歓迎いたします。
前回書いた日記はこれに対する返事。
「返事」の形にしていますが、過去に明示していなかった、僕がページ作成する上での指針などを説明するものでもありました。
指針というのはつまり、何を重視して、何を重視しないか、ということです。
このページは文章主体ですが、どんな形式であれ、クリエイティブな作業をする人は取捨選択を行わなくてはなりません。
その際、何を残し、何を切り捨てるかが、「その人の意思」を示すことになります。
意見をくださった「匿名」さんと僕は、ここで重視するものが違うだけで、向いている方向はそう違っていないだろう、と感じていました。
(「匿名」さんが、人種差別をとにかく嫌っているのはわかりましたし、それは僕も同感です。)
ただ、取捨するものの違いから勘違いが生じていると思ったので、それを説明したものです。
この説明は、「匿名」さんに宛てる形式をとっていますが、当ページの指針を説明しておく良い機会だと思ったので詳細に説明させてもらいました。
これに対して、まずは「匿名」さんは素直な感想をくださっています。
納得いかない部分はあるようですが、ひとまずは落着です。
この後、「なお」さんから、一連のやり取りに対しての批判をいただきました。
一連のやり取りは、匿名さんの「誹謗中傷」に始まる「些細な事」で、そんなことに労力を使うべきではないだろう、というものでした。
これに対し、「匿名」さんは暗に攻撃されたと感じたのかもしれません。
掲示板に連投する形で、一連のやり取りに対して怒りをあらわにし始めました。
これに関しては、まさに「誹謗中傷」に相当するものでしたので、すぐに削除させてもらいました。
この誹謗中傷に対して、諫める意見を書いてくださった方もいたのですが、元意見が無くなると意味が分からなくなるものなので、一緒に削除しています。
そして、当面の措置として掲示板の書き込みを禁止とさせていただきました。
繰り返しになりますが、最初の「匿名」さんのご意見は、僕はありがたく受け取っています。
彼の書いたことは事実の指摘であり、誹謗中傷ではありません。
ただ、彼はその「事実」の部分を正しくとらえることができず、独自の解釈をしているように思います。
これが意見が的外れだする理由で、人によっては誹謗中傷に捉えるかもしれません。
最初の返事で指摘していますが、僕としては彼は機能的非識字なのではないかと感じています。
しかし、その後の経緯(削除した文章など)を見たところでは、人生経験も浅く、論文の読み方・書き方なども習っていない中学生かもしれない、とも感じています。
(人種差別について、違いの指摘すら差別だと感じている青臭い部分も含めて。その青臭さ、僕も通った道で嫌いじゃないですけど)
まぁ、実際のところはわかりませんし、知ろうとも思いません。
中学生レベルの知能のまま大人になってしまった残念な人、という可能性も大いにあります。
「なお」さんの書き込みについても、ありがたいご意見ですので削除せずに残してあります。
ついでにお答えしますと、僕はこのページの作成を「趣味」と位置付けています。
僕が些細だと思う問題は最初から取り上げていませんし、時間をかけて長々と書いているものは、些細ではないと思っているから書いているものです。
上に書いた通り、「匿名」さんの意見はありがたいと思っています。
多少的外れではありましたが、このページを作る上での取捨選択基準を示す機会を与えてくれましたから。
古いコンピューターの話は「調べていて楽しい」というだけで、労力に見合うような対価を得られるわけでもないので、あまり時間を割いていません。
調査自体は十分楽しんでいるのですが、文面にまとめていないこともたくさんあります。
いつかは発表するかもしれませんし、面倒くさくなって投げ出すかもしれません。
つまりは、僕にとってはこれこそが「些細な事」です。
業界記に関しては、これは単に思い出話なのでもう少し気楽に書いていますが、こちらも本来書いてはならないかもしれないことなので、期待されるとむしろ出しづらくなります。
というより、ここは僕の日記ページなので、日記書きたい。これが一番気楽で重要。
一連の騒動で気が重くなって何も書いていないのですが、家族の日記などで書き残したいこともあるのです。
#そんなもの公開する必要もないのだけど、公開するつもりで書くと話が整理しやすいし、後で見直しやすいのでここに書きたいのです。
掲示板閉鎖の経緯は以上のようなものですが、追加でいくつかの説明をしておきます。
まず、ここの掲示板が「一行掲示板」なんて使いにくい形式をとっていたことについて。
これは、単に過去に今回と同じようなことがあったためです。
先に、このページの作成は「労力に見合う対価」を得られていない、と書きました。
金銭的にはその通りなのですが、いただいている唯一の対価は、ご意見です。
それが批判であっても、意見をいただくということは文章を読んで何かを感じてくれたということなので、うれしいと思います。
こうした意見だけを対価として、このページを作成してきました。
しかし、もう20年くらい前に、こうした意見をいただくためにつけていた掲示板を荒らされたことがありました。
荒らされたというより、読者間で言い争いが始まったのですね。
そこで、とても会話は成立しないが、ちょっと意見を書き込めるスペースとして「一行掲示板」だけを残すようにしました。これなら言い争いなど起こらないと思って…いたので。
今回これすらも閉鎖するというのは僕にとって損失なので、いつか何らかの形で復活させたいとは思います。
ただ、今すぐ書き込めるようにしたらまた諍いが再燃しそうなので、当面は閉鎖したままにしておきます。
ところで、削除した「匿名」さんの書き込みの中に、僕が言論の自由を守ると言っておきながら立場が非対称であることを怒っているものがありました。
余りにも的外れだから誹謗中傷だとして削除したわけですが、掲示板閉鎖で「言論の自由」に関して同じことを思う人がいるかもしれませんので書いておきます。
僕は、相変わらず言論の自由を尊重します。その姿勢を変えようとは思いません。
このページに対する批判でも、ご自由に発表してください。
ただ、このページの掲示板は僕の所有物ですので、見るに堪えないものは削除します。
今回のような争いがあれば、掲示板を閉鎖します。
それらは自由を侵害したのではなく、僕がページの「編集権」を行使したにすぎません。
このページは僕の所有物ですし、趣味で作っているものなので好きにやる、と過去に宣言している通りです。
本当の自由が欲しければ、僕の管理下ではなく、自分の管理下で主張しましょう。
自ら非対称な立場に立って「対称ではない」と怒ったところで、的外れの泣き言にすぎません。
自由というのは自分の力で勝ち取るものです。
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いろいろあって書いてなかった、最近の家族日記。
1週間ちょっとの分。書き留めたいことだけなので3件かな。
この後連投します。
#このあと、書いている間に4件に増えた。
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3月13日。
夕ご飯を食べ終わった後で、急に小2の次女から「今からクッキー作る?」と聞かれた。
ホワイトデーにお菓子を作って友達にあげたい、と言われていた。
休日にでも作るつもりで約束はしていたのだけど、この時まで、翌日がホワイトデーなんてこと忘れていた。
約束だし作ってやりたいのだけど、すでに夜だし、材料もない。
クッキーは時間かかるからダメだ。次女の言うクッキーは型抜きクッキーのことで、生地を寝かせて冷やす時間などを考えると、寝る時間に間に合わない。
一瞬考えて、よし、マドレーヌ作ろう、と即決。
材料も集めやすいし初心者向き、短時間で作れるはずだ。
レシピを探すが、基本的な焼き菓子なのでレシピも全然違うのが山ほどある。
ネットで色々見たが、家にあるオーブンレンジの付属レシピブックのものを採用。
オーブンに付属のものなのだから、確実だろう。
長女もお菓子を作る約束をしていたので、それぞれが作りたいらしいが、「協力して作る」ことにする。
だって、時間ないから。
小麦粉と卵、砂糖はあった。バターも、ぎりぎり足りた。
オーブン付属のレシピは重曹などを使わず、卵の泡立てだけでふんわり仕上げるものだった。
湯煎しながら泡立てる、とあって、少し面倒くさい。
そのかわり、粉を水分になじませるベンチタイムがない。このため、生地はすぐにできた。
料理開始から焼き開始まで、30分かからなかったと思う。
うちには鉄型がなく、シリコン型になる。シリコンは熱を通しにくいので少し長めに焼く。
この焼き時間の間に次女と風呂に入った。風呂の中で歌が出る。
♪オーブンの中 甘い香りにつつまれて~
特にやりたかったこともない女の子が、お菓子作りに目覚める話。
最初に作ったのはマドレーヌだった。
風呂から出ると、甘いいい香りがした。
夕食後から就寝までの1時間程度で、無事おいしそうなマドレーヌが焼き上がった。
十分蒸気を飛ばしたほうが良いので、冷ましながら寝てしまう。
翌朝試食したが、美味しくできていた。
急遽短時間で作ったにしては上出来。
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3月14日。
夜、食器を洗っている最中に、急に食洗機が止まってしまった。
断続するブザー音を出しながら、ランプが点滅している。
何かのエラーだろうな。
マニュアルを持ってきて、点滅するランプやブザー音からエラーメッセージを読み解く。
・お湯が止まらない
・排水ができない
という、水回りトラブルを示しているようだ。
幸い、お湯が出続けていることはなく、排水が十分されていない。つまり排水の方のトラブルだ。
排水管が詰まったのかな、と思い、いわゆる「すっぽん」吸盤を持ってくる。
でも、食洗機の小さな排水口に合うわけがない。
すこし考え、小さなペットボトルの口を押し当ててシュポシュポやってみる。
悪くない感じだが、状況は改善しない。
仕方がないので手洗いした。
食洗機買う前は当然手洗いだったのだけど、当時は妻と二人暮らしだった。
(そのころから、基本的に僕が家事を担当していた)
でも、今は子供が増えて家族五人。洗うのだけで1時間近くかかった。
食洗機がないのは困る。
翌日メーカーであるホシザキに連絡。
もう、家庭用作らなくなって10年以上たつので、修理してもらえるかどうかもわからない。
症状を言った時点で、排水ポンプにも利用しているモーター故障なので出張修理は難しい、と言われる。
でも、家庭用もまだ修理は可能だし、持ち帰えれば修理できると思う、とのこと。
ここで素直に疑問。
うちの食洗機、ビルトインなのだけど簡単に外せるの?
これは僕の認識不足だったけど、ビルトインと言ってもねじで止めてあるだけだそうだ。
ねじを外せば簡単に取り出せる。
ただ、すぐには引き取りに来れないらしい。
簡単な修理ならサービスマンがすぐに向かえるのだけど、機械持ち帰りだと相応の車が必要になるから、とのこと。
こちらとしてもそこまで急いではいないので、お任せする。
さらに翌日金曜日、引き取りに来てくれた。
手際よくねじを外し、すっぽりと機械を抜き取る。
最初からビルトインで入っている状態しか知らないので、取り外すと違和感がある。
一応、ホシザキはもう家庭用を作っていないので、修理が無理な場合は他社製を購入してください、といわれた。
他社製はホシザキ製より小さいものが多いので、十分入るはずだそうだ。
土日は会社が休みなので、ということで、連絡を月曜日にいただいた。
モーター交換で修理可能で、出張費や技術料併せて5万円弱。
すこし高い出費だが、モーターまで交換するのだから、まぁそんなものだろう。
お願いすることにする。
部品はこれから発注なので、届いてから修理して、お届けは週の後半になると思います、とのこと。
翌日、すぐに部品が届いて修理が終わったので、これからお届けに行っても良いでしょうか、と電話。
速いのはありがたい。来てもらう。
ところで、ホシザキは基本的に業務用のメーカーなので、年間保守契約を結ぶことができるそうだ。
年間保守契約を結ぶと、技術料や出張料はなくなり、部品代だけで修理できる。
そして、今回の技術料や出張料の総計は、年間保守契約料より高い。
モーター交換は技術料などが高く、今回は機材持ち帰りで通常よりも出張料が高くなっている。
普通は一般家庭向けに保守契約は結ばないのだけど、今回「結んであった」ことにすれば、結果的に安くなる、と。
全部込みで5万円弱、というのは、これを駆使したうえでの料金だった。
そんなわけで、今後1年間の間は、故障しても部品代のみで修理が可能になった。
保守なので、半年たったところでメンテナンスにも来てくれるそうだ。
ところで、万が一を考えて他社への乗り換えも考えてみた。
ざっと他社製を調べた限りでは、ホシザキと同じような使い勝手を提供してくれるものはなさそうだ。
ホシザキの特徴は、洗浄時間が速いこと。
初回は6分くらいだけど、連続して洗う場合は2回目以降5分程度。
これは、最後にすすぎに使ったお湯で、次回以降の洗いを行うため。
それと、食器トレイが本体から完全に取り出せること。
「食洗機に食器を入れる」のではなく、トレイに入れてから、そのトレイを食洗機に入れる。
このトレイが2つついている。
使わない時は重ねて本体内に収納しておけるので邪魔にはならない。
ちなみに、トレイの中には食器を立てるための「仕切り」があるのだけど、置いてあるだけで簡単に外せる。
外してしまえば鍋でもまな板でも入る。
この2つの特徴を組み合わせると、どんなに大量に食器があっても、次々と洗っていける。
ひとつのトレイを洗っている間に、次のトレイに食器をセットできるし、洗い終わった食器を片付けて次の食器をセットしていると、ちょうど前の食器が洗い終わる感じ。
鍋やまな板まで一気に片付けが終わる。
他社製だと、標準で1時間、高速でも30分くらいかかるのが普通。
食器は入っても鍋やまな板までは入れられないものも多い。
食器洗いから片付けまで一気に終わらせたい、キッチンにあるものは全部洗いたい、という、ただそれだけのことなのだけど。
ホシザキが家庭用から撤退した(つまりは、需要が無かった)ということを考えると、この考え方は変わっているのだろうか…
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3月24日。土曜日。
鎌倉高校に、科学研究会という部活がある。
直接は知らないのだけど、以前から「鎌倉時代の日本刀作製技術の再現」を目指していて、市内にいると地方版などで時々ニュースを見る。
ざっと解説しよう。
稲村ケ崎(サザンオールスターズの映画、「稲村ジェーン」の舞台だ)の砂浜は、砂鉄でできている。
まぁ、砂浜全部が、というわけではないのだけど、場所を選べばスコップで掘ったものすべてが砂鉄だ。
鎌倉に幕府が開かれた理由の一つがこれで、貴重な鉄がいくらでも手に入るので、刀などの武器を調達しやすい、とされたそうだ。
ところが、この砂鉄で刀は作れないそうだ。
稲村ケ崎の砂鉄はチタンを多量に含み、鉄としての純度が低いために刀を作れないのだという。
でも、現実に鎌倉に幕府は開かれたし、製鉄がされた記録もある。
鎌倉には刀鍛冶もいたし、おそらくこの砂鉄から刀を作っていたのだろう。
「刀を作れない」というのは、現代の製法では作れないというだけで、何か方法があったはずだ。
この謎に挑んでいるのが鎌倉高校科学研究会で、2011年から代を超えて研究を続けている。
そして、今年度ついに、稲村ケ崎の砂鉄から日本刀を作り出すことに成功した。
この発表会を兼ねたサイエンスカフェが、市内の図書館で行われた。
そんなわけで公聴に…行きたかったのだけど、参加資格は中学生以上。
小学生をほったらかして出かけることはできないので、妻と長男だけ行くことにした。
僕は後で報告を聞くことにして、長女・次女と、久しぶりに理科ハウスへ。(1年近くいってなかった)
先に日本刀の話の続きを書いておきましょう。
以前から興味深くニュースを追いかけてきたので、それで知った知識のまとめと、妻から聞いた伝聞を元に書くだけだけど。
高校なのにこんなことやっている部活なのだから、大きいのかと思ったら現在5名だけの小さい部活だそうだ。
県立高校なので、特別な予算が付くわけでもない。
こんなたいそれたことをするために、校長先生たちが走り回り、地元企業にスポンサーになってもらい、実験などは大学の先生などにも立ち会ってもらい、やっと回しているのだそうだ。
だから、実際のたたら製鉄は協力してくれる大学と共同だし、日本刀を作ったのも協力してくれた刀鍛冶の人だ。
高校生が自分たちだけでたたら製鉄をしたのではないし、自分たちで刀を打ったわけではない。
でも、実験結果を受け、結果から原因などを調査し、次の実験に向けて改良の準備をし、全体をプロデュースしてきた。
この、地道な努力こそが一番重要な部分で、高校生が毎年引き継いで長期研究を行っているのだからたいしたものだ。
その調査と改良で、一般に言われているよりも製鉄時の温度をさげないといけないこと、あらかじめ熱湯で砂鉄を洗わなくてはならないことなど、現代の製鉄では「知られていなかった」製法を明らかにしてきた。
まだ、原料となる砂鉄の選別に、「磁石を使う」という当時ではありえなかった方法を採用している。
次は、この部分を当時でもできた技術で行うこと、というのが課題として残っているのだそうだ。
さて、僕と長女・次女は理科ハウスへ。
妻と長男を会場に連れて行ってから向かったら、渋滞していて14時に間に合わなかった。
冬は、毎年プラネタリウムをやっている。そして、この日の午後の上映は14時からだった。
でも、そこは理科ハウス。多少の融通は利く。
途中から入れてくれた。先に、少し「昼と夜」の話をしていたようでその部分は聞き逃したが、星の説明は見ることができた。
理科ハウスのプラネタリウムは、段ボールでドームを作り、学研「大人の科学マガジン」付録のプラネタリウムで映し出すだけの簡易なものだ。手作り感にあふれている。
冬しかやらない理由も「ドームの中が蒸れて暑いから」。
でも、他人のつぶやきが聞こえるほどの狭い空間で、みんなで星を探したりするのはなかなかに楽しい。
毎年冬に行くときには必ず見させてもらっている。
僕が理科ハウスに行く時は、いつも質問コーナーを楽しみにしている。
誰でも自由に質問を書いてよく、誰でも自由に答えてよい。
いい質問には多くの答えがつくこともある。というか、いい質問でないと、誰かが答えて終わり、になってしまう。
いい質問というのは、簡単には答えられない質問のことだ。答える人の立場により、全然違う答えが出たりする。それが面白い。
答えがついていない質問を見つけると、自分なりの答えを何かつけてやろう、と思っている。
…この日は久しぶりだったので、答えがない物全部には答えられなかったけど、3つほど答えておいた。
・砂鉄はなぜ錆びないの?
・灰色のTシャツのわきに汗をかくと、なんであんなに目立つの?
あともう一つ何答えたかな…忘れた (^^;;
Tシャツは、「答えがつかないので、できれば答えてほしい」と、理科ハウスの先生から指定があったので、答えをひねり出した。
答えるのに、複合的な知識を必要とする。正確に答えるのも難しいので、ざっくりした答えになったのだけど。
こうした質問は、視点がいい。
おそらくは、本当に疑問に感じ、自分でも調べたり、考えたりしてもわからないから聞いているのだろう。
Tシャツの話なんて、僕としてはあまり疑問に思ったことが無かった。
脇汗が目立つの嫌で、夏でシャツ着るときもカラーシャツは着ないので。
でも、こうやって疑問をぶつけられると、普段考えていなかったことを考えられる。
考えて、そして答えにたどり着いたとき、それまでには持っていなかった新しい知見を得たことになる。
僕なりの答えを知りたい人は、このページのソースを見てください。
書いた質問の答えを理科ハウスの先生に渡して、ついでにちょっとおしゃべり。
以前よりも理科ハウスで質問を書いてくれる人が増えたようなのだけど、「つまらない疑問が多い」とのこと。
それは、見ていてすこし感じた。
先生としては、なんでこんなつまらない質問をする人がいるのか、というのがどうもよくわからない様子。
質問するのって結構才能が必要で、うちでは長男と長女は非常にいい質問をするのだけど、次女の質問は、腹立たしいほどつまらない。
この理由はわかっていて、長男・長女が質問をすると僕が思いつくだけの答えを出すので、次女も「そういうお話がしたい」とあこがれているからだ。
本当の疑問があるわけではなく、そういうやり取りにあこがれて、疑問をでっちあげる。
そんな質問には答えようがない。
だって、形の上では疑問になっていても、本当は「知りたいこと」がないのだから。
こういうのが「つまらない質問」だ。
理科ハウスでも、質問コーナーを見ていると、いい質問に対して多くの答えがついている。
こういうやり取りにあこがれる子は、疑問もないのに何か書きたいと思ってしまうのではないかな。
ところで、質問コーナーを見ていたところ、非常に面白い質問があり、感心しながら質問を読んでいたら、最後の質問者の名前を見て驚いた。
うちの長男だった。
そういえば、昨年の夏に、中学の科学部で理科ハウスに遊びに来ている。
その時に書いたようだ。
虫眼鏡で太陽の光を集めて黒い紙に当てると燃える。
まぁ、この実験は多くの人が知っているだろう。
では、理想的な赤外線フィルタ…赤外線は一切通さず、それ以外の光は完全に通すものがあったとして、赤外線フィルタを通した光を虫眼鏡で集め、同じ実験を行ったらどうなるだろう?
太陽からの熱の正体は赤外線だ、という知識を持っていることが前提の疑問だ。
これ、去年の夏に長男から尋ねられ、僕では答えが出せなかったので「面白いから理科ハウスで聞いてごらん」と促した覚えがある。
一応僕の予想としては、赤外線が無くても光自体はエネルギーがあるので温度は上がるだろう、と思っている。
ただ、発火温度に達するかどうかがわからない。多少温度が上がっても、その熱は周囲の空気に逃げるからだ。
実験してみればよいのだが、「理想的な赤外線フィルタ」というものが入手可能かどうかも不明だ。
一応、他の方が答えていたのだが、「赤外線が無くても、多分温度は上がると思う」程度のあいまいなものだった。
答えている人自身が、自信をもって答えられない。そんな質問だ。
理科ハウスの先生に、うちの子の質問ありましたね、と話したら「そうだった」と話をしてくれた。
この質問、あまりに面白いので、東大の名誉教授で、光が専門の先生に会う機会があった時に、持って行ってぶつけてみたそうだ。
(理科ハウスの先生、顔が広くて、偉い人と会う時には子供の疑問をぶつけている。
ノーベル賞学者の梶田先生の答えてくれた疑問もある)
その場ではすぐに答えられず、後で長文のメールで、中学生にもわかるように丁寧に答えてくれたそうだ。
でも、あまりにも長文なので、質問の答えとしてまだ掲載していない。
うちの長男が来たら、まず直接渡そうと思う、とのこと。
帰宅してから長男に話したら、質問したことも忘れていたようだ。
でも、その答えは是非読んでみたいという。当然だ、僕も読みたい。
是非、近いうちにまた遊びに行かねば。
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これを書いていた今日、3月22日の出来事。
もう15年も前のこと。高級布団を購入した。
あのころは借家で家のローンもなかったし、夫婦二人で子供もいなかったし、安い買い物ではなかったけど買えたのだな。
で、高級布団というのはメンテナンスがついてくるもので、毎年安い料金で洗ってくれたりとか、布団屋さんがメンテナンスに通ってくれている。
今年も今日お願いしていた。洗おうと思っている布団を渡して終わり、のはずだった。
でも、渡す前のチェックで、少し問題があるとの指摘があった。
もう15年も使っているので、布が弱っているのだそうだ。同時に、中の羽毛も砕けてきている。
弱ったと言っても良い布で、羽毛も通さないほど目が詰んでいる。
でも、縫い目部分が引っ張られることで少し隙間ができ、そのわずかな隙間から、砕けて小さくなった羽毛が出やすくなっているという。
そのまま洗浄すると、羽毛が出てきたり、布が破けたりといったトラブルにつながる。
ちょうど良い機会なので、打ち直ししませんか、とのお誘い。
綿布団なら、3~5年ごとに打ち直す必要があるのを知っている。
中の綿を出し、洗浄したうえでほぐしなおし、新たな布袋に詰める。
羽毛でも同じような作業を行う。こちらは綿よりも長持ちして、7~10年が作業の目安らしい。
でも、うちは最初に書いた通り、15年前の購入から一度も作業していなかった。
急に降ってわいた話だが、羽毛というのは羽根が出るようになってしまったら早めに対処したほうが良い、というのは知っている。
セールスマンが売らんかなで話をしているのではない、ということもわかる。
問題は、打ち直しにどれくらいの値段がかかるかだ。
正直にどのくらいかかりますか、と値段を聞く。
購入した時と同じで、「高級布団は高くて…」という話から始まる。そんな話は知っているしどうでもいい。
つまりは、非常に高いからショックを和らげようとして、高い値段の話からしているのだ。
で、値段は実際高かった。
元々布団は高級品なのだけど、その定価の3分の1から、10分の1程度。
…3分の1と10分の1ではずいぶん違うね。
これは、生地や縫製の違いによるものだ。つまり、選び方次第で値段はどうにでもなる。
3分の1は、元の布団と全く同じグレードを再現する場合。
新品に買いなおすのと同じ状態になるが、羽毛は使える部分を使いまわすので、3分の1の値段になる、ということ。
10分の1だと、市販されている生地の中でも特に目の詰まった、羽毛が出にくいものを使う。
この場合、当面は大丈夫だが、あまり長期使うのには適さないという。
この中間に2段階の値段がある。
といっても、リニアに値段がつながるわけではなく、高い方と安い方に2分されて、さらにその中に上下があるという感じかな。
高価な買い物なので、妻と相談。
妻を連れて行ったら、セールスマンは最初から同じ説明を繰り返そうとした。
そこは、面倒だからいらない。
カタログと見本記事だけ借りて、奥で相談させてもらうことにする。
僕は、最初安い2つの中から選ぼうと思った。
こちらは布が綿、布団用の生地ではない市販品だそうだ。
今使っている布団の布地は絹。
それと比べると、綿は吸湿性が高い。
羽毛布団の良さは、発散性で湿度がこもらないことだけど、綿だとその良さを阻害するかもしれない、と妻から指摘。
また、縫製…羽毛布団は布を小さな小部屋に分けて、そこに羽毛を入れていくのだが、安い布団はこの「小部屋」を大きめにとってある。
それだと、中身が寄ってしまったりして使いにくいのではないか、とも妻から指摘。
高級な布の場合、この縫製も細かく作られている。
単に生地だけの違いではなく、それ以外の部分でも相応の手間をかけているのだ。
結局、布団用に開発している布だが、絹ではなく綿ポリエステル混紡のものにした。
グレードでいうと、4段階の上から2番目。上の下だね。
絹のほうが高級品ではあるし、実は値段はそれほど大きく変わらない。
しかし、合成素材というのは性能を重視して作られるので、天然素材以上の力を発揮することも多い。
そこに期待することにした。
布団を渡して終わり、所要時間10分程度、と考えていた訪問が、1時間半ほどかかってしまった。
先に書いた食洗機の修理もあわせ、古いものが壊れてメンテナンスで予想外の出費が続く。
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先週金曜日には終業式があり、子供たちが春休みに入った。
せっかくの春休みだし、どこか連れて行ってやりたいな…と思いつつ、長男の塾が忙しくて、とてもいけない。
毎日夕方6時から塾だ。となると5時半過ぎには家を出る必要があり、5時から夕飯になる。
平日なので僕は仕事があるし(自宅でやっているが、一応5時定時としている)、カレーとか、温めれば食えるものをあらかじめ準備して乗り切っている。
ちなみに、塾は土日もある。花見にも行けない。
で、子供たちと言えば、Switch でスプラ2か、マインクラフトやっている。
長女は相変わらずスプラ2が強く、ガチマッチでは S 級の腕前になっている。
S+ にはいかない。「S+ に上がったことはあるけど、すぐ落とされた」そうで、長女曰くここに越えられない壁があるそうだ。
… B から B+ の間で壁を感じている僕とは大違いだ。
で、一人だとスプラ2をやっているのだけど、壁が厚いのが辛いらしく、兄弟が一緒に遊べる時はマインクラフトやっている。
そのマインクラフトで、長男は最近レッドストーン回路の意味を理解し始め、工夫して複雑なものを作り始めている。
ネットを見るといろいろな作例があるのだけど、そういうのはあまり見ない。
自分で工夫して乗り越えるのが面白い、と感じているようだ。
先日は、動き始めると連続してなん十発も花火を打ち上げる、という回路を作っていた。
花火以外でも、素材を入れれば何でも打ち上げるそうで、火の玉をぼかんぼかんと打ち上げていたら、苦労して作った近くの建物に引火した。
でも、そんなハプニングも含めて面白いらしい。
次女は、昨年の秋ごろからゲーム禁止にしていた。
他の兄弟がゲームを覗きに来て、アドバイスなどをするとすぐに怒るから。
兄弟は揶揄するつもりはなく、本当にアドバイスしているだけなのだけど、次女としては批判されているように感じて面白くないらしい。
そして、いま遊んでいるのは自分なのだから、「喧嘩別れ」になってしまえば自分はゆっくり遊べる、というように考える。すぐにけんか腰になる。
これ、ハンドル握ると横暴になる人と同じだ。
余りにも態度が悪いからゲーム禁止とした。
しかし、春休みでもうすぐ上の学年に上がるのだから、少しは態度も変わるかもしれない。
その期待で、ゲームを解禁した。
一緒にマイクラやっている。
スプラ2も少しやってみたけど、ブランクが長すぎて(その間に多くの武器などが追加されすぎて)ついていかないようだ。
今のところは、おとなしく遊べている。
ところで、僕はマイクラやっていない。
子供たちの説明を聞いている限りでは、とても面白そうなのだけど…
「何かを作る」ことが目的で、そのためにいくらでも時間がつぎ込めてしまう。
今は年度末で仕事が忙しいし、そんな時間があったら仕事をやりたい、と思ってしまう。
忙しくないなら、趣味に時間を割きたいのだけど。
結局「面白そう」と思っているだけで、遊ぶことはなさそう。
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今年もまた、冒険遊び場に参加してきた。
隣町の公園で行われる、たった3時間余りのイベントだ。
子供の力では普段できない「あそび」の道具を大人が用意して、子供は思い切り遊ぶ。
場は用意するし、ある程度教えもするけど、遊ぶのは子供自身。
自己責任でやる。危険なことをしても大人はギリギリまで手を出さない。
ただそれだけのイベント。
去年あたりまでは、次女は遊びに行ってもすぐに僕のところに戻ってきた。
でも、今年はずっと遊びまわっていた。友達もいたし、長女とも遊んでいた。
顔見知りの冒険遊び場スタッフから、去年まで僕のそばにはいつも子供がいたのに、ついにいなくなりましたね、と言われた。
言われるまで、あまり意識していなかったのだけど、そうかもしれない。
今年は暖かく、うちの子に限らず、火のそばで遊び続ける子はいなかった。
僕はずっと火のそばで…ツイストパン焼いてた。
子供のために大量にパン生地を用意してあったみたいなのだけど、誰も作らないから思う存分楽しませてもらう。
長男は、いつも火の近くでジャガイモ焼いてくれるおじさんのそばで、ずっとジャガイモを食べ続けている。
ふかし芋や茹で芋と違い、香ばしくておいしい。こちらもあまり食べる子がいないので、たくさんもらっても良いだろう。
去年までは、段ボール遊び用の段ボールが大量に用意されていたのだけど、今年は少なかった。
まぁ、去年までも用意した数の割には子供たちは遊んでいなかったので、別にいいのかも。
火の回りが人気なく、段ボールも少なく、じゃぁ何が人気があったかと言えば、木工。
こちらは今年は良い木材が大量にあったようで、多くの子供が思い思いに作品を…ガラクタを? 作っていた。
その場では気に入った作品でも、家に持ち帰らずに打ち捨てられていたものも多数…
去年はマシュマロもたくさん用意されていたと思うが、今年はなかった。
でも、我が家はマシュマロを持ち込んでいたし、今年はチョコサンドクッキーも用意してあった。
長女がマシュマロを焼きたいというので出し、スモアを作って食べる。
長女の友達も寄ってきて食べたいというので、いくつかマシュマロをあげた。
これをやっていたら、さすがに次女と長男もやってきた。
でも、やっぱり火の回りで遊ぶ子供は少ない。
今年は、焚き木に混ざってずいぶん大量の割りばしがあった。
近所の民家で喫茶店を始めた人がいて、そこで出た割りばしを捨てずに置いてあったらしい。
こんだけ割りばしあれば、輪ゴムでっぽうとか作ったら楽しいのではないかな、と言っていたら、スタッフの人が輪ゴムがないか探してくれた。
でも、なかった。来年は輪ゴム用意しておくそうだ。
ずっと昔、一度我が家で輪ゴムでっぽうを作って見せたことがある。
子供たちは気に入ったようで、その後時々自分たちで作っている。
ただ、我が家ではそれほど割りばしがないので、材料不足で作れないことも多い。
時間が終わるころ、スタッフから声をかけられた。
是非スタッフになって、来年一緒にやってもらえませんか、と。
実は、毎年声はかけられている。
昔ボーイスカウトやっていたから、ロープむすびも火の番もそれなりにできるし、実際毎年勝手に手を出していろいろやっているから。
でも、去年までは子供の世話もあって、とてもスタッフ側には回れなかったんだよね。
今年の様子を見ると、少し手を貸すくらいできるかもしれない。
とりあえず、来年輪ゴムでっぽうを作るとしたら、子供たちに作り方を教えるくらいはできる、と約束。
スタッフの方に、連絡先は伝えてきた。
何かやるときには連絡くれるそうなので、都合があえば参加するのも良いかと思う。
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