占い話の続きです。
最初に書いておくけど、僕は占いを否定しない。
読み進めると、占いを似非科学だと糾弾しているように見えるかもしれないけど、そうではないので落ち着いて最後まで読むように。
そして、これから書くことは「無粋」の一言に尽きるので、占い好きの人は読まないほうがいい。
一応自分のプロフィールを書いておけば、大ヒットした占いゲーム機のプログラマーだった。
(このサイト内で探せば、何のゲームかわかる。
でも、あえてリンクしない。ここで名前を出せば、ゲームに関わった人に迷惑を掛けるから)
その後も、いくつかの占いゲーム機に関わったし、携帯コンテンツの占いで大ヒットしたコンテンツのプログラムをやった。
(こちらの名前は、まだこのサイト内で明らかにしていないので探しても無駄)
高校時代、興味があってタロットカードとかもやっていた。
占いそのものは好きだし、上に書いたように占いプログラムなんかも好き。
今でも、雑誌などの占いコーナーは楽しく読んでいる。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉がある。
八卦というのは、中国系の占いを貫く基礎概念で、ここでは「占い」の意味で使われている。
つまり、占いは当たったり外れたりする、ということ。
「占いなんてあてにならないから気にするな」という文脈で使われたりする。
でも、それはこの言葉の真意ではなくて、「占いと一括りにするが、占い師によって当たるものもあれば、当たらないものもある」が正しい意味だ。
良く当てる占い師は、本当に良く当てる。そして、ダメな占い師は全然当たらない。
占いというと未来のことを予想する技術だと思われがちなのだけど、もしそうであれば、「よく当てる」なんていうのはオカルトだ。
そんな技術はない、と断言できる。
良く当てる占い師というのは、そうではなくて「あたった」と思わせるのがうまいのだ。
占って欲しい人の心理を巧みに突いて、当たったと思わせる。これは心理学で、科学だ。似非科学ではない。
でも、当たらない占い師は、「占い」という似非科学を信じ、当たらないのは自分の占い技術が低いからだ、と、日々精進しようとする。
残念ながら、それではいつまでたっても当たらない。
結局、占いの世界でも、頭の良い人はうまくやるし、頭の悪い人はダメだという話。
占いっていうのはカウンセリング技術で、相談者を悩みから解放するためのものだ。
だから、相談者が納得して悩みから解放されるのであれば、その裏にどんな技術を使っていたってかまわない。
タロットカードとか、非常によくできていて、1枚のカードに2重3重に意味を持たせている。
有名な「死神」のカードであれば、死とか破局とか悪い意味だと思っている人が多いのだけど、
・死
・破局
・新たなる始まり
・再生
・収穫
・希望
…などなど、全く正反対とも言える意味を持たせてある。
(逆位置に、とかではなく、そのままで正反対の意味にできる)
その意味はちゃんと絵の中にもシンボルとして描かれているので、「ほら、ここを見て」と示して解説することで、信じてもらいやすい。
ホロスコープだってそうだし、手相だってそうだ。
1つのシンボルに対し、2重3重の意味がついていて、占い師の思うがままの意味を持たせることができる。
先に書いたように、この意味にとらわれすぎて、カードの意味をできるだけ解釈するような占い師はあたらない。
全部の意味を言ったら、答えがぼやけて何を言っているのかわからないし、そもそもあんなカードで未来がわかるはずがない。
良い占い師は、相手の心理を読み解いて、その人に適したアドバイスをするのだけど、その道具としてカードを使う。
伝えたい言葉に一番近い「意味」をクローズアップして見せて、この通りお告げにもあるから、あなたはこうすべきだ…と後押しする。
悩みっていうのは、大抵相談する時点で本人の答えは出ているのだけど、怖くて踏み出せないだけ。
それを「そういう運命だ」と示してあげれば、納得して一歩を踏み出せるし、実は本人が出した答えなので悪いことにはならない。
それなら精神科医のカウンセリングを受ければ、と思う人もいるかもしれないが、それではダメだ。
悩みを持っている人は、自分ではそれが「些細な悩み」だと思いたい。
だから、精神科医を訪ねる、というのは障壁が高すぎる。でも、悩みを打ち明けないと心が押しつぶされそう。
こういう隙間に現れて人助けをするのが占い師で、良い占い師は自分の仕事の価値をよく理解している。
#ちなみに、良い占い師なんて全体の1割もいない。
占い師に限らず、精神科医だってそうだし、どんな世界でも良い人には巡り合いにくいものだ。
ところで、僕が作っていたような占いゲームでは、対面で仕事をする占い師のようなことはできない。
そこで、文章テクニックを駆使するわけだけだ。
占いゲームや、雑誌なんかの占い文章というのは、大雑把に言えば次の3つの部分からなっている。
・現状分析
・未来に起こること
・未来へのアドバイス
文字数の制約によっては現状分析は端折られる場合もあるけど、基本的にはこの3つをセットにする。
読む人は、現状分析をまず読み、自分に当てはまることを確認することで「この占いは信頼できそうだ」と判断する。
逆に言えば、現状分析さえ正しく当てていれば、占い全体を信用してもらえる。
現状分析の文面は、例えばこんな感じ。
・普段は見せませんが、あなたには非常にやさしい面があります。
・人知れず努力しているあなた。
・仲の良い友達といるとき、普段とは違う安らぎを感じませんか?
・今は離れているけど、懐かしい人に会いたいと思うときはありませんか?
人には知られていないけど、あなた自身の内面はこの通り、というような文面がいい。
上の文面はどれも、誰にでも当てはまるようなことしか書いていない。
でも、妙に具体的に言われると、「よくわかってくれている」って、多くの人が共感する。
これで共感を得てしまうと、「この占い、あたっている」という気分になる。
未来のことなんてその時点ではわからないし、本当に「未来」になるころには、占いの内容なんて忘れている。
だから、現状分析で共感を得れば、「当たる占い」という印象は強くなる。
とはいえ、占いだから未来予知は大切だ。
ここでも、同じように「誰にでも起きること」を書こう。
・今日の午後、知人が嬉しい話を持ってくるかもしれません。
・身近な誰かが、あなたの努力に気付いてくれそうです。
・残念ながら、今日は悲しいことが起きそうです。
・いつもと違う道を通ると、なにか発見がありそう。
これも、なんでもいい。
大切なのは、誰にでも毎日起こっているようなことを、いかにもそれらしくいうこと。
違う道を通ったら何か発見があるのなんて当たり前だし、努力していればだれか気づくだろう。
1日の間にはいい話も、悪い話も持ち込まれるが、持ち込むのは大抵「知人」だ。
最初の現状分析は、妙に具体的にしたほうが「当たっている」感じがする。
だけど、未来予測はできるだけぼかす。ぼかしながらも、言い切ることでぼかしている感じを消す。
そうすると、何かあった時に、「あ、これが占いで言っていたことかな」って勝手に当てはめてくれる。
未来へのアドバイスは、未来予測をうけて、適当に当たり障りのないことを書く。
先に挙げた
・今日の午後、知人が嬉しい話を持ってくるかもしれません。
の後に書くのであれば
・でも気を付けて。まずは落ち着いて情報を集めてみましょう。
・知人と一緒に、ささやかなお祝いなどいかがでしょう?
・まずは話に乗ってみましょう。迷うのはその後で。
とか、なんでもいい。
なにか話を持ち込まれたときに、取るべきパターンを思うように並べておけば体裁が整う。
アドバイスなのだから、「未来予測」が当たった際に、次に取るべき行動…誰でも気軽にできることを書くのがコツ。
もちろん、誰でもとるような行動だから、「占い通りにしたらひどい目にあった」というようなことにはならない。
はい、これで占い文章一丁上がり。
「誰にでも当てはまる」ことしか書いていないのだから、確実に当たる。
ここまでの話で興味を持った人は、雑誌の占いコーナーなどで、「自分とは違う項目」の文面を読んでみるといい。
それでも当たる。だって当たることしか書いていないのだもの。
先の例は、最低限の短い文章だ。
雑誌に載せる占いコーナーなら、この程度の短さでもいいかもしれない。
占いゲームの場合、「文章を読む」のが楽しみの一つでもあるので、400字~1000字くらい欲しい。
こうした肉付けは文章力が物を言う。方針はわかったのだから、後は書くだけ。
あとは、この文章をたくさん…雑誌に載せる星座占いなら12個、占いゲームなら…そうだな、1000種類くらい用意しようか。
ゲームの中に「占いのジャンル」(総合運、恋愛運、金運…など)があるなら、それぞれに1000種類。
100種類くらいだと、毎日占っていると1か月程度ですぐに「同じ文章」に遭遇することになる。
同じことばっかり言っている占いでは、すぐに信憑性が落ちてしまう。
1000種類くらいあれば、同じ文章が出るころまでには、それが同じ文章であることも忘れてしまっているだろう。
占い師の本当のすごさっていうのは、占いの技を習得しているとかではなくて、こういう文章をたくさん書けることだと思う。
(星座占いだって、毎日12種類、何年も書き続けるような人がいる。すごいと思う)
占いゲームが、こうした文面をランダムに出しているだけだと思われるのもどうかと思うので、もう少し書いておこう。
先に書いたように、占い師は相談者にとって最も良いと思うアドバイスをする。
とはいえ、多くの占いには「占い手順」があって、そのアルゴリズムに従えば、コンピューターでも「それっぽく」結果を出すことができる。
中には「霊感占い」とか「水晶玉占い」のように、アルゴリズムが定まらないものもある。
そういうものは、占いゲームの対象にはできない。
#オーラ写真、という霊感に近い分野を扱った占いゲーム機はあったけど、あれはあれでアルゴリズムがある。
さて、アルゴリズムがあるのであれば、それを忠実にプログラムするのがプログラマの務めだと思う。
たとえゲーム機と言えども、占いをする人は真剣な悩みを抱えているかもしれない。
それに対しては誠実に向き合わなくてはならない。「ランダムでいいや」なんて態度は真摯でないと思うのだ。
…まぁ、これは僕の考え。世の中には「ランダムでいいや」な占いゲームだってあるかもしれない。
僕はいくつかの占いゲームに関わったが、そのすべてで真面目にプログラムを作成した。
でも、先に書いた通り、文章はどれを見たって当たるようにできている。
実際、僕は関わっていないのだが、先輩が作った占いゲームの実装ミスが発覚したことがある。
詳細は書かないが、発売後数年たってから本職の占い師の方がたまたまあそんで、画面表示がおかしいことに気付いたのだ。
#ゲームにはちゃんと占い師さんの監修があったのだけど、その方はアルゴリズム発案と文面作成が主な仕事だったので、完成後のチェックは甘かったようだ。
気付いた方が親切に手紙をくださり、アルゴリズム実装ミスが発覚したので慌てて修正、新規 ROM を全国の店舗に送って差し替えた。
でも、この数年誰も間違いに気づかなかったし、「よく当たる占い」と評判だった。
極論すればランダムでも当たっただろう。それでも、修正版 ROM は作られたし、差し替えられるのだ。
当たった、と感じるのは、結局占いの技術ではなく、相談者の気持ちの問題だから。
その気持ちを裏切るようなことをしていれば、いつか「当たる」という評価を頂けなくなる。
だから、たとえバグが占いの精度に関係ないとしても、バグを修正して、より「当たる」ように心がけるのだ。
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