先日、ラジオを聴いていたら「ブラハラ」という単語が出てきた。
何かと思えば、ブラッド・ハラスメントの略語で、「君はA型だから、こういう仕事は向いてないでしょ」みたいに血液型で性格を決めつけられてしまうことらしい。
そういえば、以前に聞いた話。
どこだったか国立大学の教授が、授業中に「血液型の性格診断には根拠がない」ということを何気なく話したら、信じていたのにショックだ、という学生が過半数だったそうだ。
国立大学だから、それなりに頭が良い人が揃っている。
それでも、血液型で性格が決まると信じてしまっているのが過半数。
この事実に、大学教授はショックを受けたらしい。
そのことの善し悪しを言いたいのではない。
「非科学的」なんて言ったところで、信じている人が多いという事実は変えられない。
ただ、ここでは「なんでそんなことになったのか」をギリギリ知っている世代として、記録を残しておかないといけない、と思ったのだ。
「もはや戦後ではない」が流行語になったのが、1956年。
この頃が、後の世にいう「高度経済成長」の始まりの時期で、その後 20年にわたり経済成長が続く。
1960年代の後半には、多くの人が豊かになった。
しかしその一方で、物質的な豊かさだけでいいのか、という自省が広がっていた。
この時代を背景に広がったのが「占いブーム」。
科学では測りきれない何かがあるのではないか、と皆が期待して、様々な「占い」がもてはやされる。
団塊の世代が20歳くらい…多感な年ごろだ。
多くの人が、こうした「占い」を本気で信じ、世の中には科学ではわからないことがある、と科学を否定した。
否定することがかっこいい時代だった。
この世代は、科学や客観的データを否定し、精神世界…変な迷信に入っていくことが「かっこいい」と思っている人が多い。
ついでに言うと、仲間を作るのが好きでもある。自分の価値観を周囲に押し付けてくる。
学生運動とかも含めて、青春時代に、世間がそういう空気だったのだから仕方がない。
もちろん、多くの人はその後大人になるにつれて世の中を知り、自省しているのだけど、今でも考え方を変えない人は「老害」と呼ばれている。
#余談:日本では、世の中の変わり目には占いが流行しやすい、という素地はある。
幕末だって、明治時代だって、占いのブームはあった。
だから、この時だけが特別だったわけでもない。
別に老害の話をしたいのではなくて、1960年代末に占いブームがあり、姓名判断とか、筆跡判断とか、印章判断とか、六曜占いとか、九星気学とか、四柱推命とか‥‥
まぁ、ともかくいろんな占い本が出た。「自分で占える」という本がブームの中心だった。
占い、とひとくくりにされるのだけど、「性格診断」の側面が大きかったのも特徴の一つ。
先に書いたように、精神世界に入っていくのがこの頃のブームの特徴だから。
自分はこういう性格、というのを診断して、「類型」がわかることで安心しようとする。
今でも、自分をどこかの枠に当てはめて安心する人、いるよね。
ちなみに、「精神世界」の方向は、1970年代には超能力とかUFOとか「ノストラダムスの大予言」のオカルトブームに繋がっていく。
このノストラダムスの大予言が「1999年に世界が滅亡する」と広めたのが 20年たって本気で信じられてしまい、1990年代後半にはカルト宗教ブームとなってオウム真理教のサリン(毒ガス)テロ事件へと突き進む。
上の例では、六曜占いも入れてあるけど、「結婚式をするなら大安吉日」とか、この頃のブームの影響ね。
六曜自体はそれ以前からあるけど、あれは旧暦を使うことが強制的に廃止されたときに、何とかして旧暦を知ろうとする庶民の知恵で広まったもので、「占い」ではなかった。
#平安時代までさかのぼれば占いなのだけど、それだって今とは違うものだ。
青春の頃は他人に影響されやすく、それは知識を吸収しやすいという良さでもあるのだけど、悪いものに取りつかれやすくもある。
1960年代に急に言い出されたものが、そのころ青春時代を過ごした人が「ずっと昔からそうなっている」と信じたものだから、今でも「大安吉日」とかに振り回されて辟易する人がいる。
血液型占いもこの頃に出てきたもので、「占い」の一種に過ぎない。
具体的にいえば、1971年に出版された「血液型でわかる相性 伸ばす相手、こわす相手」という本だ。
ただ、血液型占いは他とはちょっと違っていた。
血液型によって性格が決まる、という、科学的にありそうな「似非科学」を持ち出したのが1点。
(血液型が発見されたのは 1900年。
これが人格などにも影響があるのではないか、という研究を日本人が行い、1932年に発表されている。
この時点では「科学」だった。
しかし、その後追試が行われ、1934年頃には完全に否定され「似非科学」になっている)
もうひとつ、他の占いが細かく分類し、複雑化することで信憑性を増そうとしていたのに、たった4つのタイプしかない判り易さが1点。
この特徴が他のものと違っていたものだから、「占いブーム」の終焉を乗り越えて、1980年代に再びブームを起こした。
(上の本の著者が死んで、真似た本を書きやすくなったという理由もあったようだ)
1980年代後半は、経済発展によって「物質的な豊かさ」が極まっていて、ろくに仕事をしない社員でも会社は雇っている余裕があった。
結構後(1996年)になるけど、ヒット曲に「渋谷で5時」がある。これ、1980年代の雰囲気がまだ残っている歌だ。
5時前に仕事をやめて帰ってしまっても問題なかった。「働かない」ことを自慢した時代。
#その一方で、仕事が忙しくて寝る時間もない、という不健康自慢をする人もいた時代だけど。
「合コン」がブームになり、初めてあった人とでも、とりあえず30分盛り上がれる話の類型、というのが好まれた。
「10回クイズ」とか「王様ゲーム」とかだけど、「血液型性格診断」というのもそうした話題の一つ。
1971年の本は、本としての体裁を整えるために、たった4種類でもそれなりの「深みのある」考察をしていた。
でも、ここでの血液型診断は、合コンの初めに5分程度で盛り上がるためのもの。
だから、非常に薄っぺらい。「A型はやたら細かい」とか「O型はおおざっぱ」で終わり。
嘉門達夫が、「血液型別ハンバーガーショップ」を歌ったのは 1991年。
この歌の中でも「たった4種類に分類されるわけない」と歌っている。
多くの人が、血液型診断を知っていながら、「そんなわけない」と心の中で突っ込みを入れ、でも話のマクラとしては使っていた。
だから、この歌がギャグとして成立する。
でも、先に書いたように、「青春時代に刷り込まれたもの」は妄信しやすい。
1990年代に青春時代だった…いま40代後半くらいになると、本気で血液型占いを信じている人がいる。まぁ、あまり多くはないのだけど。
いや、血液型占いは、その後独り歩きして「占い」ではない似非科学になった。
そして、生まれた時から血液型占いが存在していた、今の20代くらいになると、半数近くが信じている。
これが、冒頭に挙げた大学教授の話になる。
先に書いたように、1930年代にはすでに「似非科学」になっている。
だから多くの学者は取り合わないのだけど、あまりにも多くの人が信じているという弊害を見過ごせず、今でも検証実験が行われる。
もちろん、最新の論文でも「性格と血液型に相関は見られない」そうだ。
でも、こうしたデータはわかりきっていることで、「面白くない」から、あまり大きく取り上げられない。
その結果、血液型性格診断が似非科学だ、と知らない人が増え、悪循環となる。
最初に書いたのだけど、血液型占いを信じることの善し悪しを言いたいのではない。
ただ、似非科学ってこうやってひろまるんだなぁと、興味深い事例として知っておいてもらうといい。
六曜だって、たった 20年程度で「ずっと昔の伝統」だと思われたし、血液型占いも 20年程度で本気で信じられるようになった。
この後の動きも大体わかっていて、否定意見が徐々に浸透して廃れていく。
だけど、それは若い世代が正しい認識に至るだけで、今信じている世代が考えを変えるわけではない。
つまりは、新しい時代の「老害」だ。害をなす主役は、今の大学生あたりの世代だろうね。
とりあえず血液型占いをサンプルに、その登場から普及までを書いたら、それなりの行数になってしまった。
もう一つ、血液型占いが広まる上で非常に重要だった「確実に当たる占い」の話を書きたい。
血液型占いがこんなに普及してしまったのは、ちゃんと「当たっているから」だ。
似非科学だけど、ちゃんと当たる。そこにはカラクリがある。
でも、それはまた別記事で。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |