今日は地図の日。
伊能忠敬が測量事業を開始した日、とされています(1800)。
…されています、というのは、本当は旧暦(寛政暦)の4月19日だから。
しかも、この年は閏年で、4月が2回あった。「閏四月十九日」が測量開始の日ですね。
現代で言うと、6月11日。
しかも、この日は「江戸の自宅を出発」した日で、船で蝦夷地まで向かっています。
本当に蝦夷での測量を開始したのは5月29日で、現代で言うと7月20日。
でも、そんな細かいことを言うとややこしいので、とりあえずは4月19日測量開始、で良いかと思います。
以前に書いたのだけど、僕は小学生の時に「尊敬する人物」と聞かれて、伊能忠敬の名を挙げています。
お父さんとか、王貞治選手とか言う子が多かったのだけど、それはなんか違うと思ったから。
家にあった偉人伝(一人2~3ページの漫画で主な業績を紹介してあるだけ)の中から見繕って、この人はすごいと思って書いた程度。
でも、一度「尊敬する」と言ってしまったら、ちゃんと知っておかないといけない気になった。
少しづつ調べて、大学くらいの時にやっと業績を正しく理解できるようになりました。
伊能忠敬は、「結果的に」地図製作者なのですが、彼自身の興味としては「暦」にありました。
カレンダーですね。
江戸時代の暦は、カレンダーとしての実用性だけでなく、それ自体がエンターテインメントでした。
日々の運勢が書かれていたり、寺社での祭りなどのイベントや、月食などの珍しい天文現象まで予測されていました。
江戸時代は天文学が大きく進んだ時期で、暦を作るための「歴法」も何度か改定されています。
中国から「暦」が伝わってから 800年ほどは、そのまま中国の歴法が使われていました。
しかし、800年もの間に実際の天文現象と暦の間にずれが見られるようになります。
そこで、これを改定させたのが渋川春海。江戸初期の話です。
800年も続いたものを改定するのだから一大事業でした。
しかし、これで「正確な暦」の重要性が認識されると、より正確な暦を目指して工夫されるようになります。
結局、江戸時代 200年の間に4回の暦の改定がありました。
忠敬が測量の旅に出発した、という4月19日は、寛政暦によるもの。
一般に「旧暦」と呼ばれるのは天保暦ですが、それほど大きく違うわけではありません。
日本の暦は、月の満ち欠けを元としたものです。
月が出ない、新月の日が朔日(1日)。満月が15日。
暦を持っていなくても、夜の月を見れば日付がわかる。誰にでもわかりやすい方法ですし、だからこそ 30日の単位を「月」と呼びます。
現代のカレンダーは「シンプル」ですが、「月」という語源からはすでに離れています。
十五夜は 15日の夜ではない。
しかし、旧暦は、その定め方は複雑ですが、「1ヵ月」が非常にわかりやすいです。
それでいて、実は現代のグレゴリオ暦よりも、1年の長さが正確です。
(地球の1年は365.24219日。
これに対し、グレゴリオ暦の1年は 365.2425日、天保歴は365.24223日)
旧暦では、1ヵ月は29日か30日です。1年は354日程度。
これでは実際の1年と誤差が大きいですから、4年に一度程度、「閏月」を入れて調整します。
このときは、1年が13月になります。
この、閏月をどのタイミングで入れるかも、誰が計算しても同じ結果になるように計算方法が決められています。
冒頭で書きましたが、伊能忠敬が測量の旅に出たのは、閏四月でした。四月の次に、もう一度四月を繰り返します。
一般に旧暦と新暦は1か月くらい違うとされるのですが、これによって2か月くらい違っている。
四月だから「春に出発」と思いきや、梅雨のさなかです。
実際、蝦夷への船旅は、梅雨頃に特有の気象現象によって長引いています。
#冒頭に書いた新暦と旧暦の対応は、暦の改定も考慮して作られたページを参考にさせてもらいました。
暦を作る上では、天文現象をよく知る必要がありました。
そして、天文現象をよく知るには、一番身近な天体…地球のことをよく知る必要がありました。
遠くにある星は、遠いからこそよくわかりません。
しかし、近くにある地球は、今度は近すぎて全体を観察できません。
実際、地球の正確な大きさもよくわかっていませんでした。
そして、地球の大きさを知ることが、暦法を改良する上で必要とされていたのです。
伊能忠敬の興味は、ここにありました。地球の大きさを知りたい。
でも、江戸時代は何をするにも幕府の許可が必要でした。
地球の大きさを測りたい、なんて常人に理解できないことを言い出したところで、許可はおりません。
そこで一計を案じました。
蝦夷からの外敵に備えるため、蝦夷の地図を作りたい。
幕府に対して、そう申請したのです。
当時、蝦夷はまだよくわかっていなかったので、地図を作るというのは大義名分となります。
そして、地球全体の大きさを推察するためには、大きな場所を測ったほうが良いのです。
地球のサイズを測るのに一番良い方法は、緯度1度の長さを測ることと考えられました。
緯度とは、北極と南極をまっすぐに結ぶ線、「子午線」に対して、地球の中心からの角度のこと。
赤道は0度、北極・南極は90度になります。
北半球では、夜になれば「北極星」を観測できます。
北極星は、ほぼ動きません。
#実際には多少動きますが、この動きも時代とともに変わり、江戸時代は現代よりも動きませんでした。
この北極星がどこに見えるか、正確な角度を出します。
北極の上にあるのですから、北極では天頂、90度の角度に見えるはずです。
逆に、赤道では水平線に重なる、0度になるはずです。
ということは、90度から北極星の角度を引いたものが、観測地点での緯度となります。
これで、地球上の「緯度」はわかります。
あとは、地上の距離を測定すればいいだけ…?
いや、それでは、同じ緯度でも「斜めに」長さを測ってしまうかもしれません。
正確に子午線に沿って図らなくては、距離を誤ります。
実のところ、緯度は比較的簡単に測れますが、経度を測るほうがずっと難しいのです。
経度を測るには、星の位置を使います。
星は、1日の間でもずれていきます。
地球が1日で1回転している(自転)ためで、1周は360度。
現在の時法では、1時間は1日を24等分したものなので、1時間のずれは 360/24 = 15度。
4分で1度ずれることになります。
さらに、毎日同じ時間に星を観測したとしても少しづつ位置がずれていきます。
これは、地球が太陽の周りをまわっているためです。
地球はおよそ 365日で太陽の周りを1周します(公転)が、1周は 360度。
だから、1日のずれはおよそ1度。
同じ個所で数日にわたって観測を行ったら、ここで説明したとおりのずれが起こります。
では、「移動しながら」観測を行ったらどうでしょう?
前日の観測とは、上に書いたものとはまた別の「ずれ」が加わるはずです。
そのずれは、つまり観測地点の経度が変化したことによるずれです。
このずれを正確に測定することにより、2点間の経度の差を求めることができます。
ただ、ここでまた別の問題が生じます。
上に書いた「ずれ」は、地球の動きに起因するものです。
これを正確に測定しようと思えば、地球の動きを正確に知るための道具…
つまりは、正確な時計が必要になるのです。
これは、当時の技術的な限界でした。
伊能忠敬の日本全図は、緯度はかなり正確なのですが、経度に関してはずれがあります。
しかし、星の南中時刻を利用して経度を測定する努力はしています。
ずれがないように複雑な方法で「糸」張り巡らせ、そのうち高さの違う2本が、正確に南北を向くように(子午線に沿うように)します。
この2本が重なるように下から覗くと、星の正確な「南中」位置の目安となります。
蝦夷地の計測は、実際に日本全体の計測を行う前の「試験」と位置付けられました。
試験的なものなので、使用してよい機材も限られ、精度を上げるのに限界がありました。
そして、伊能忠敬が「やりたい」と幕府に願い出て許可を得たもので、幕府は許可とわずかな資金を出しただけです。
忠敬はほぼ私財をなげうって計測を行い、およそ70両、現在の価値にして1200万円ほどを使ったようです。
1800年 10月には計測を終えて帰り、11月は地図製作に取り掛かります。
年内にはすべてをまとめ上げ…子午線1度は「二十七里余」と出ました。
「余」というのがまた微妙ですが、仮に 27.3里 だとしましょう。
1里は約 4km…より正確には、約 3.93km とされます。(もともとそれほど正確な単位ではありません)
1度がこの長さですから、地球1周の長さは 27.3*3.93*360 = 38624km 程度です。
実は、ほぼ同じことを、1年前にフランスが行っています。
ヨーロッパ各国で統一されていなかった「長さの単位」を統一しよう、と呼び掛けて始まったもので、ヨーロッパの国々で計測を行い、赤道から北極までの長さを算出しました。
そして、この 1000万分の1を「メートル」とします。1799年のことでした。
言い換えれば、赤道から北極までが 1000万メートル…1万 km です。
これは地球一周の 1/4 ですから、1周は 40000km になります。
伊能忠敬の計測値は、 4% 程誤差があります。
しかし、この業績が認められ、さらに全国の計測が許可されます。
最終的に忠敬の出した子午線1度の長さは、28.2里。
地球一周の長さは 39897km です。わずか 0.3% の誤差しかありません。
ちなみに、地球は当時考えられていたような「球」ではなく、遠心力のために赤道付近が膨れていますし、大陸と海の重さの違いで、北半球がつぶれています。
フランスの計測した場所と、忠敬の計測した場所では、子午線1度の長さが違う、ということですね。
では、現代日本の測定ではどうなのか?
これは、忠敬の子午線1度は、0.2% 程度の誤差しかないのだそうです。
伊能忠敬が暦に興味を持ち、勉強を始めたのは、老いて隠居してからです。
人生何歳からでも何かを始めるのには遅くない。
成し遂げたことの偉大さもさることながら、この姿勢が素晴らしいと思います。
僕の尊敬する人物の一人です。
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