1971年の今日、アメリカで2つの特許が出願されています。
まずは、米国特許番号 3,728,480。
「Television gaming and training apparatus」
テレビ受像機による、ゲーム・訓練装置
出願者は、ラルフ・ベア。
彼が、テレビ受像機を、放送を見る以外に使えないか? というアイディアを思い付き、ゲーム機の研究を行ったのが、1967~1968年。
最終的に「Brown BOX」としてまとまります。
これを量産品として販売した Odyssey は 1972年。
発売前に特許を出願したようです。まぁ、普通の判断。
世界で最初のテレビゲームの一つですが、詳細は上のリンク先をお読みください。
もうひとつは、米国特許番号 3,842,194。
「Information records and recording/playback systems therefor」
情報保持、記録/再生のためのシステム
出願者は、RCA の研究者であった、ジョン・クレメンス。
「静電容量ディスク」の特許です。
今では聞きなれない方式ですが、一時期非常に注目され、テレビゲームとも縁が深いです。
1959年には、RCA のトーマス・スタンレーによって「静電容量ディスク」のアイディアが考案されていたそうです。
これは、普通のレコード盤にビデオ信号を記録する、というもの。
レコードは、音…つまり、空気の揺らぎを、レコードの「溝」の揺らぎとして記録します。
しかし、ビデオ信号は音よりももっと周波数の高い「光」の波であり、この方式では記録できません。
光と電気・磁気信号は近いものなので、せめて電気・磁気で信号を記録できれば…というところ。
実際、ビデオテープなどは磁気を使いますし、DVD などはレーザー光線を使い、光で記録を行います。
#DVD は前段階として、デジタルによる信号圧縮も行われているので単純ではないですが。
静電容量ディスクは、レコードのような「ビニール樹脂」が、静電気を溜めやすい性質を利用したものです。
小さな穴を作り、そこに「静電気」を溜めようとすると、穴のサイズによって溜められる量が変わります。
この「静電容量」を信号として取り出せれば、電気的な記録が可能です。
物理的な溝の揺らぎで記録するよりも、高密度で、高速に読み出せる記録が可能でした。
1964 年には RCA で本格的に研究が始まり、1971 年までに技術を確立し、特許が出願されたのです。
アメリカでは、RCA から CED(Capacitance Electronic Disc :電気容量ディスク、の意味)として発売されています。
日本では、この方式をさらに改良した、VHD(Video High Density Disc :高密度ビデオディスク)として 1981年に発売されました。
ちなみに、根本的な部分の改良なので、CED との互換性はありません。
CED では、レコードのように1本のらせん状の溝があり、その溝に従う形で信号記録のための穴があけられていました。
しかし、VHD には溝がありません。完全に平らなディスク上に穴があけられ、読み出し針は自由に動くことができます。
これによって、ランダムアクセス…頭出しが可能なことが VHD の特徴でした。
また、溝がないことから「針が溝を削る」こともなく、摩耗しにくい…ともされましたが、それでも物理的な接触はあるため摩耗します。
ところで、CED/VHD のライバル規格として、レーザーディスク (LD) があります。
フィリップス/MCA が企画したもので、日本ではパイオニア1社のみが製造していました。
こちらは 1978年にはアメリカで発売、1980年に日本で発売しています。
名前の通り、レーザーで読み取ります。接触しないので摩耗はなく、ランダムアクセスも可能です。
ただし、記録時間は LD が30分、VHD が1時間でした。
LD は「両面ディスク」を発売し、1枚で1時間として欠点をカバーしましたが、途中で裏返すという手間が増えます。
(のちに記録方式を拡張し、片面1時間にも対応。)
レーザーという「新技術」を使っていたため、機械が高価なのも普及を妨げていました。
しかし…ここからが、今日の本題。
1983 年、「ドラゴンズレア」が発表となります。
世界初の、レーザーディスクを使用したテレビゲームでした。
まだゼビウスが「最も美しい」テレビゲームだった時代に、ディズニー風のセルアニメで遊ぶゲームは、まさに異次元のものでした。
LD の機械が高価でも、業務用として売れない値段ではありません。
例え 30分しか記録できなくても、業務用ゲームのプレイ時間としては十分です。
そして、すぐに再生画面が切り替えられる、というランダムアクセス性を活かし、操作に成功すればアニメが続き、失敗すればすぐに「やられた」画面を表示するようになっていました。
LD の欠点をカバーし、長所を伸ばす形で応用したゲームにより、LD の存在感を示したのです。
ドラゴンズレアは大ヒットゲームとなり、日本でも、サンダーストーム(DATA EAST)、タイムギャル(TAITO)、バッドランズ(KONAMI)などなど、多数の LD ゲームが発売されます。
#アストロンベルト(SEGA)は微妙な所。
ドラゴンズレア以前から開発されていた一方、背景を LD に任せただけの普通のシューティングゲームだから。
そして、これらの「家庭用」は、主に VHD で発売されました。
LD よりも VHD のほうが、本体価格が安くて普及していましたから。
#もちろん、LD でも出ましたけど。
ただし、ゲームで遊ぶにはそれなりの設備が必要になります。
主に、テレビとの親和性が重視されたパソコンだった、シャープの X1 と、VHD の開発元であるビクターも製造していた MSX 用にソフトが発売され、パソコンから制御できる機能を持った VHD プレイヤーも必要でした。
参考:VHD サンダーストーム
ランダムアクセスと言っても、読み取りヘッダの移動時間は物理的に必要です。
LD や VHD のゲームでは、特殊なフォーマットで記録を行うことで、こうした「移動時間」を最小にしています。
確か、当時のベーマガで、この技術を説明していました。
VHD は普通らせん状に1本にデータが記録されているのだけど、この「らせん」を2本にする、というもの。
通常映像のすぐ横の溝に、「失敗した時の分岐先」を用意することで、ヘッダの移動時間を最小化するのです。
これ、昔の「ひもを引くとランダムにしゃべる人形」…トイストーリーのウッディみたいなおもちゃで使われていた技術と似ています。
…って書いて判る人はほとんどいないでしょうね (^^;;
ウッディみたいなおもちゃは、中に非常に小さなレコードが入っています。
レコードには普通溝が1本ですが、4つの溝が刻まれていて、ひもを引いてバネを巻いたときに、たまたま針が落ちたところの音声が再生されます。
VHD ゲームは「オリジナルソフト」も多少はあったのですが、VHD ゲームを作るのは手間がかかるため、ほとんどは業務用の移植でした。
ただ、ビクターもパソコンとセットにできる VHD プレイヤー、なんて高価なものを売った以上はソフト供給の責任があるわけで、いろいろ変わり種も発売していました。
ゼビウスの背景が延々と流れるだけのディスク、というのがあったのを覚えています。
通常そんな画面が出るわけはないので、ゼビウスのソフトを書き換えて、わざわざ専用に収録したものだったそうです。
当時、ゼビウスは「移植不可能」と言われていましたが、最大の問題が背景のスクロールでした。
当時のパソコンにはスクロールのハードウェアなんてなかったため、すべてのドットをソフトウェアで書き換える必要があったのです。
ここに、ゼビウスの背景 VHD を垂れ流して、ゲームに関係するキャラクターだけ書けばよいとしたらどうでしょう?
きっとそんなソフトが発売されるに違いない、と思ったのですが…
…出るわけありませんでしたね。
パソコンだけでも高価だった時代、特殊な VHD本体と接続キット、さらにゼビウスの背景 VHD まで買った人しか遊べないゲーム、なんて需要あるわけありませんし。
LD ゲームは、画面はきれいかもしれませんが、その特性上「自由に動く」ようなことは出来ず、画面の指示に従ってタイミングよく操作を行うだけの、覚えるだけのゲームでした。
そのため、あっという間にジャンル自体が廃れます。
1984~1985 のわずかな期間に、ほとんどのゲームが発売されたのではないかな。
ちょっと特殊な所では、1990 年のギャラクシアン3。
あまり LD ゲームとはされません。
セガの「アストロンベルト」と同じで、背景が LD で、その上にキャラクターを重ねて3Dシューティングゲームを行う。
ただ、7年もたっているので技術は格段に上がっていて、背景とキャラクターの間に違和感を感じません。
1990年の、いわゆる「花の万博」で披露されたもので、28人が 360度スクリーンで同時に遊ぶという、大規模なものです。
後に6人で遊べるバージョンが作られ、ゲームセンターに置かれました。
…といっても、これも非常に高価で、置かれた店は限られていましたけど。
(大学の近くにあったので、仲間と一緒に遊びに行きました)
こんな大型機で、しかも LD なんて特殊なものを使っているので、保存しておくのも大変なようです。
2010年に大規模な「LD エミュレーション」を作成するプロジェクトが行われています。
LDプレイヤーが入手困難になっているので、全動画を PC に取り込み、LD 制御信号を解釈するプログラムを作ることで、PC に LD プレイヤーの代わりをさせる、というものでした。
これは、「アーケードゲーム博物館計画」さんの所有物で、年に数回開放しています。
そのタイミングで倉庫に行けば遊ぶことができるそうです。
僕も、昨年秋に友達と遊びに行ってみようと計画していたのですが、残念ながら昨年秋の開放は中止になってしまいました。
#今回「静電容量ディスク」の話のはずが、すっかり脱線してしまいました。
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