今日は、コアメモリの特許が成立した日(1956)
最初に誤りの訂正から入らないといけませんね。
以前に、アン・ワング博士がコアメモリを発明した、という記事を書いたことがあります。
これ、間違いではありません。一般的にワング博士がコアメモリを発明したと言われます。
でも、今日の記事を書くために詳細を調べたら、実際には少し違っていました。
ワング博士が発明したのは、米特許番号 2708722 「Pulse transfer controlling device」です。
訳すなら「パルス転送制御装置」。
1949年に出願し、1955年に特許成立しています。
電話のダイヤルなどは「パルス」を発生し、自動交換装置はこのパルスで動作します。
電話パルスには、1秒間に10回のパルスを送る 10pps と、もっと高速に 20回のパルスを送る 20pps の2つの規格があります。
どうも、ワング博士が発明を行ったのは、新しい規格への移行期のようです。
交換機が新型で、高速パルスに対応していれば問題はありません。低速のパルスでも、同じように動くことができます。
しかし、交換機が古いのに電話機が高速だったら…交換機が速度に対応できません。
このため、「一度パルスを受けて、記憶した後で改めて速度を変えて送り出す」ような装置が必要だったのです。
当時は、真空管を組み合わせて記憶させたり、磁気ドラムを使って記憶させたりしていました。
しかし真空管は電気食いで放熱も大きく場所を取るし、磁気ドラムは物理動作を伴うので故障しやすい。
ワング博士は、ここに磁石などに使われる「フェライト」を使うことで、パルスを記憶させる装置を作り上げるのです。
この時点では、パルスを覚えればいいだけなので、フェライトコアはシーケンシャルに並び、シフトレジスタ(ビット列を順次ずらしていける装置)として動作させています。
以前書きましたが、WhirlWind I コンピューターが制作される際に、当時としてはあり得ないほど高速なコンピューターを目指したため、演算装置とメモリ装置を同時開発しました。
演算装置は、今でも使われる様々な工夫により、超高速なものが作られました。
しかし、メモリ装置は開発に失敗し、低速でした。演算装置の足を引っ張るくらいに。
そこで、いったん完成した後にメモリシステムの改良がおこなわれます。
多くのメモリを試し、その中でワング博士の特許が見出されます。
ただのフェライトコアで記憶ができてしまう!
しかも、特許によれば磁気の強さがある閾値を超えることで記憶ができます。
このことから、電線を縦横にクロスし、交点にフェライトコアを置くことで、多数のコアを少ない電線で制御する…という方法を考え付いたようです。
こうして作られたコアメモリは、非常に高速に動作するのに安く、駆動するのに必要な電力もわずかという、夢のようなメモリでした。
WhirlWind I の開発責任者、ジェイ・フォレスターの名前で特許が出願されています。
米特許番号2736880、「Multicoordinate digital information storage device」
訳すなら「多軸デジタル記憶装置」でしょうか。
出願は 1951 年で、特許成立は 1956年の 2月 28日でした。
特許の白眉は Multicoordinate、「多軸」の部分にあります。
先に書いたように、電線を縦横にクロスし、交点に記録を行う。つまり「多軸」による記録。
これ以前のメモリ装置は、基本的には 1bit に対して1組の配線が必要でした。
そのため、容量が増えれば線形にコストが増えます。
#ランダムアクセスメモリの場合の話。
当時の主流は、コストが安いが低速なシーケンシャルメモリだった。
コアメモリでは交点が重要です。
16本 × 16本の電線を用意すれば、交点は 256カ所もあるのです。
一般にはコアメモリは2次元に作られます。
しかし、フォレスターの特許では「3次元」の可能性についても言及しています。
コアの物理特性はある程度変えられますし、3本の線に電流が流れなくては反応しないコアを作ることも可能でしょう。
この場合、 16x16x16 の電線を用意すれば、交点は 4096カ所になります。
こうした特性により、コアメモリでは、容量が増えてもコストの増加を抑えられます。
ビット単価で考えれば、容量を増やすほど安くなるのです。
これが、特許の中心概念となっている「Multicoordinate」の意味です。
この考え方は現代の DRAM にも引き継がれ、容量が上がるほどビット単価を割安にしています。
ワング博士が特許を出願したのは 1949年。
その後コアメモリが 1951 年に発明され、特許出願。
ワング博士の特許成立が 1955年、コアメモリの特許成立が 1956年です。
これに対し、IBM がコアメモリを使用した IBM 704 を発売するのが 1954年。
704 作成時点では特許は成立していないため問題ありませんでしたが、特許成立後にトラブルとなります。
IBM は、対価としてワング博士に 50万ドル、フォレスターの所属する MIT に 1300万ドルを支払っています。
それぞれへの支払いの経緯も違いますし、この額の差がコアメモリに対する発明の寄与度だ、というつもりはありません。
どちらの発明が無くても、コアメモリは生まれなかったのですから。
しかし、コアメモリを完成させたのは MIT の WhirlWind I 作成チームで、ワング博士はその基礎となる、フェライトコアの物理特性などを研究したに過ぎない、というのは、ある程度事実でしょう。
最初に書いた通り、一般的には、コアメモリはワング博士が発明した…とされています。
しかし、ワング博士の特許ではなく、フォレスターの特許成立の今日を「コアメモリ特許が成立した日」とするのは、間違いではないと思うのです。
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