今日は、ウィリアム・ショックレーの誕生日(1910)
トランジスタ効果の研究により、ノーベル物理学賞を受賞した人です。
トランジスタは、今ではコンピューターの最も基礎的な回路に使われる素子。
彼が研究所を設立した地は、周辺に同業他社が増え、今では「シリコンバレー」と呼ばれています。
ショックレーの伝記とか見ると、どうもアスペルガーだった印象を受けます。
大天才なのだけど、変人で扱いにくい。常に自分が正しいと思い込んでいる。
トランジスタの発明者、として知られているのですが、実は発明者は別の人です。
彼は、発明者もいたグループの「マネージャー」で、彼自身の提案による実験は失敗していました。
でも、自分の失敗したアイディアを改良して成功したのだ、と言い張り、自分こそが発明者だと言い張った。
これで世間からも彼が発明者だと思われるようになってしまい、一緒に研究していた科学者は、彼の元を去っています。
もっとも、誰が発明したかはともかく、それを使いやすく改良し、「現代の形の」トランジスタを作り上げたのは、彼の業績です。
ノーベル物理学賞は、一緒に研究していた科学者との共同受賞でした。
さて、時間を巻き戻して最初から話を進めましょう。
第二次世界大戦は、「無線機」が活躍した戦争でした。
それまでは情報は伝書鳩などで伝えられていましたが、無線によって通信されるようになったのです。
#無線電波は敵側にも簡単に傍受されてしまうので、暗号技術も進みました。
こちらの話も面白いのだけど、今は関係のない話。
さて、第二次大戦中に問題となったのは、無線機の中で使われる「真空管」の扱いにくさです。
真空管は、無線にとって必要な「整流器」と「増幅器」の両方で使われます。
しかし、ガラス管で作られていて、大きく重いうえに、割れやすいのです。
整流器に関しては、「ゲルマニウムダイオード」の発明により、真空管ではなく、小さな素子をつかえるようになりました。
しかし、増幅器は相変わらず真空管が必要でした。
第二次大戦後、整流器をダイオードに置き換えられたように、増幅器も小さな素子に置き換えられないか、と研究が行われます。
ショックレーの率いるチームでもこの研究を行っていました。
しかし、ショックレーの試してみた方法では、増幅作用はおきませんでした。
その後、別の研究者が、ダイオードに対して3本目の電極をわずかに接触させることで、増幅作用を生むことを発見します。
今では「点接触型トランジスタ」と呼ばれるものなのですが、大発明でした(1947/12)。
大きくて重く、動作電圧が高くて動き始めるまでに「暖機運転」が必要な真空管と同じような動作を、小さく軽く、低い電圧で、すぐ使えるのです。
先に書いたように、ショックレーはこれを自分の発明だと主張します。他の人が発明したのに。
…結局、ベル研究所としてはこの主張を認めず、彼は特許書面に名を連ねることができませんでした。
その後の彼は、いつか自分単独の名前でトランジスタの特許を出す、と公言し、さらなる改良に励みます。
そして、僅か 5週間後に、接合型トランジスタを発明します(1948/1)
点接触型トランジスタは、針が「わずかに接触する」ことが大切です。
作るのにも微妙な感覚が必要で、使っていても壊れやすいものでした。
それに対し、接合型トランジスタは、量産も簡単で壊れにくいものでした。
彼の望み通り、単独の名前で特許出願が行われています。
トランジスタは無線用に開発されたものでしたが、数年後にはコンピューターが作られ始めます。
いわゆる「第2世代コンピューター」です。
先に書いたように、ショックレーは人の気持ちを考えない強引な性格で、一緒に研究していた科学者は彼の元を去りました。
マネージャーとしては失格です。ベル研究所でも、彼は昇進できずにいました。
ショックレーは、友人に支援されて「ショックレー半導体研究所」を設立します。
しかし、ここでも彼は傍若無人にふるまいます。
すぐに部下を疑い、脅し、信頼しようとはしません。
そんな環境で良い研究が進むわけがありません。
研究所では、シリコン基板の上に半導体を生成する技術…「集積回路」の作成方法について研究が行われていました。
これは非常に難しい挑戦で、なかなかうまくいきません。
とはいえ、研究者たちの間では「あと一歩で成功する」という確信がありました。
しかし、ショックレーはこの研究の打ち切りを決めます。
これに反発し、8人もの研究者が一斉に研究所を辞め、新たな会社を近くに作りました。
これが、世界初の集積回路を生み出した会社、フェアチャイルド・セミコンダクターです。
この顛末は、ロバート・ノイスの誕生日に書いています。
晩年のショックレーは、人種差別主義者でした。
具体的にいえば、優生学…子孫を残すに値する、頭の良い人間だけが子孫を残せるようにし、頭の悪い人間を去勢すべきだ、という考え方です。
これ自体は「頭の良さ」だけが指標であり、「人種」差別的ではありません。
もっとも、頭の悪いやつは子孫を残すな、と言っていること自体が差別的で、人権無視ですが。
彼は持ち前の科学的な分析能力を使い、さらに論を展開します。
それによれば、子供の数と知能指数の間には相反する関係があるそうです。
つまり、「頭が悪い人ほど子供を多く残す傾向にある」というのです。
さらに、職種や人種による子供の数を比較し、黒人は子供が多い、つまり頭が悪いのだから積極的に去勢すべきだ、という論に繋がります。
これ、統計データとしてはおそらく正しいと思いますが、その理解はおかしいです。
今の日本もそうですが、社会的な地位を高めようとするとキャリアを積む必要があり、晩婚化が進みます。
また、差別や偏見によって地位を高めようがない場合、キャリアを積む必要もないので早婚になり、子供を多く残します。
そして、知能指数は絶対的な「頭の良さ」ではなく、そうしたテストに対する経験も影響します。
キャリアを積んだ人は数字が高く出がち、というだけのこと。
でも、ショックレーはこの主張を行うことが自分の生涯の務め、と信じて、いろいろなところで論を展開しました。
ノーベル賞学者の論ですから、雑誌などでも面白おかしく紹介されるのですね。
もちろん、その考え方がおかしい、ということの揶揄も含めて。
ショックレーはどんどん孤立していき、妻以外の家族と疎遠になっていきます。
彼が死んだとき、彼の子供ですら、死んだことをマスコミの報道で知ったのだそうです。
最初に書いたように、おそらくはアスペルガー症候群。
知能は非常に優れ、世界を変えるような天才性を発揮します。
その一方で、自分だけが正しいと信じ、人の気持ちを察するなんてできない。
世界を変えた人なのに…いや、名声が高まりすぎたが故の、寂しい末路に思います。
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