2017年02月13日の日記です


ウイリアム・ショックレー 誕生日(1910)  2017-02-13 09:59:09  コンピュータ 今日は何の日

今日は、ウィリアム・ショックレーの誕生日(1910)


トランジスタ効果の研究により、ノーベル物理学賞を受賞した人です。


トランジスタは、今ではコンピューターの最も基礎的な回路に使われる素子。

彼が研究所を設立した地は、周辺に同業他社が増え、今では「シリコンバレー」と呼ばれています。




ショックレーの伝記とか見ると、どうもアスペルガーだった印象を受けます。

大天才なのだけど、変人で扱いにくい。常に自分が正しいと思い込んでいる。


トランジスタの発明者、として知られているのですが、実は発明者は別の人です。

彼は、発明者もいたグループの「マネージャー」で、彼自身の提案による実験は失敗していました。


でも、自分の失敗したアイディアを改良して成功したのだ、と言い張り、自分こそが発明者だと言い張った。

これで世間からも彼が発明者だと思われるようになってしまい、一緒に研究していた科学者は、彼の元を去っています。


もっとも、誰が発明したかはともかく、それを使いやすく改良し、「現代の形の」トランジスタを作り上げたのは、彼の業績です。

ノーベル物理学賞は、一緒に研究していた科学者との共同受賞でした。




さて、時間を巻き戻して最初から話を進めましょう。


第二次世界大戦は、「無線機」が活躍した戦争でした。

それまでは情報は伝書鳩などで伝えられていましたが、無線によって通信されるようになったのです。


#無線電波は敵側にも簡単に傍受されてしまうので、暗号技術も進みました。

 こちらの話も面白いのだけど、今は関係のない話。



さて、第二次大戦中に問題となったのは、無線機の中で使われる「真空管」の扱いにくさです。


真空管は、無線にとって必要な「整流器」と「増幅器」の両方で使われます。

しかし、ガラス管で作られていて、大きく重いうえに、割れやすいのです。


整流器に関しては、「ゲルマニウムダイオード」の発明により、真空管ではなく、小さな素子をつかえるようになりました。

しかし、増幅器は相変わらず真空管が必要でした。



第二次大戦後、整流器をダイオードに置き換えられたように、増幅器も小さな素子に置き換えられないか、と研究が行われます。

ショックレーの率いるチームでもこの研究を行っていました。


しかし、ショックレーの試してみた方法では、増幅作用はおきませんでした。

その後、別の研究者が、ダイオードに対して3本目の電極をわずかに接触させることで、増幅作用を生むことを発見します。


今では「点接触型トランジスタ」と呼ばれるものなのですが、大発明でした(1947/12)。

大きくて重く、動作電圧が高くて動き始めるまでに「暖機運転」が必要な真空管と同じような動作を、小さく軽く、低い電圧で、すぐ使えるのです。



先に書いたように、ショックレーはこれを自分の発明だと主張します。他の人が発明したのに。

…結局、ベル研究所としてはこの主張を認めず、彼は特許書面に名を連ねることができませんでした。


その後の彼は、いつか自分単独の名前でトランジスタの特許を出す、と公言し、さらなる改良に励みます。



そして、僅か 5週間後に、接合型トランジスタを発明します(1948/1)


点接触型トランジスタは、針が「わずかに接触する」ことが大切です。

作るのにも微妙な感覚が必要で、使っていても壊れやすいものでした。


それに対し、接合型トランジスタは、量産も簡単で壊れにくいものでした。

彼の望み通り、単独の名前で特許出願が行われています。



トランジスタは無線用に開発されたものでしたが、数年後にはコンピューターが作られ始めます

いわゆる「第2世代コンピューター」です。




先に書いたように、ショックレーは人の気持ちを考えない強引な性格で、一緒に研究していた科学者は彼の元を去りました。

マネージャーとしては失格です。ベル研究所でも、彼は昇進できずにいました。


ショックレーは、友人に支援されて「ショックレー半導体研究所」を設立します。


しかし、ここでも彼は傍若無人にふるまいます。

すぐに部下を疑い、脅し、信頼しようとはしません。

そんな環境で良い研究が進むわけがありません。


研究所では、シリコン基板の上に半導体を生成する技術…「集積回路」の作成方法について研究が行われていました。


これは非常に難しい挑戦で、なかなかうまくいきません。

とはいえ、研究者たちの間では「あと一歩で成功する」という確信がありました。


しかし、ショックレーはこの研究の打ち切りを決めます。

これに反発し、8人もの研究者が一斉に研究所を辞め、新たな会社を近くに作りました。


これが、世界初の集積回路を生み出した会社、フェアチャイルド・セミコンダクターです。

この顛末は、ロバート・ノイスの誕生日に書いています。




晩年のショックレーは、人種差別主義者でした。


具体的にいえば、優生学…子孫を残すに値する、頭の良い人間だけが子孫を残せるようにし、頭の悪い人間を去勢すべきだ、という考え方です。


これ自体は「頭の良さ」だけが指標であり、「人種」差別的ではありません。

もっとも、頭の悪いやつは子孫を残すな、と言っていること自体が差別的で、人権無視ですが。



彼は持ち前の科学的な分析能力を使い、さらに論を展開します。


それによれば、子供の数と知能指数の間には相反する関係があるそうです。

つまり、「頭が悪い人ほど子供を多く残す傾向にある」というのです。


さらに、職種や人種による子供の数を比較し、黒人は子供が多い、つまり頭が悪いのだから積極的に去勢すべきだ、という論に繋がります。



これ、統計データとしてはおそらく正しいと思いますが、その理解はおかしいです。

今の日本もそうですが、社会的な地位を高めようとするとキャリアを積む必要があり、晩婚化が進みます。


また、差別や偏見によって地位を高めようがない場合、キャリアを積む必要もないので早婚になり、子供を多く残します。


そして、知能指数は絶対的な「頭の良さ」ではなく、そうしたテストに対する経験も影響します。

キャリアを積んだ人は数字が高く出がち、というだけのこと。



でも、ショックレーはこの主張を行うことが自分の生涯の務め、と信じて、いろいろなところで論を展開しました。

ノーベル賞学者の論ですから、雑誌などでも面白おかしく紹介されるのですね。

もちろん、その考え方がおかしい、ということの揶揄も含めて。


ショックレーはどんどん孤立していき、妻以外の家族と疎遠になっていきます。

彼が死んだとき、彼の子供ですら、死んだことをマスコミの報道で知ったのだそうです。



最初に書いたように、おそらくはアスペルガー症候群。


知能は非常に優れ、世界を変えるような天才性を発揮します。

その一方で、自分だけが正しいと信じ、人の気持ちを察するなんてできない。


世界を変えた人なのに…いや、名声が高まりすぎたが故の、寂しい末路に思います。



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