長男が、学校の課題で「自分の人生をまとめる」ということをやっている。
もちろん小学6年生の過ごした「人生」なんて短いのだけど、今後のことは想像してある程度大人になるまで作るらしい。
つまりは、もうすぐ中学生になる子供に対して、将来について考えるきっかけを与えるのが狙いなんだな。
で、長男から「インタビュー」された。
今、長男が興味を持っているのは、テレビゲームで遊ぶことと、Scratch でゲームを作ること。
将来の職業を「ゲームプログラマー」にしたいのだけど、どんな仕事か実感がわかないらしい。
僕は実際にゲームプログラマーだったので、仕事がどういうものか教えてほしい、とのことだった。
ある程度は教えたのだけど、雰囲気とかは簡単に伝えられるものではない。
そこで、アニメ「NEW GAME!」を見せてみることにした。
放映されたのは半年ほど前だね。原作は読んだことないから知らない。
僕自身は、Amazon Prime Video で無料で見れたので、3か月くらい前に見た。
大人向けの深夜アニメなので、子供向けでない表現もある。
と言っても、女性のパンツ姿が出てきたり、その程度。まぁ、見せてもいいだろう。
流行したアニメだからこそ、いろいろと批判している人もいる。
でも、「基本的に男性がいない世界」であることを除けば、ゲーム会社のお仕事としては大体あってる、という認識。
(多少時間の流れに疑問はあるけれど、些細なこと)
人物描写とか、極端な人物が多いのだけど、いちいち会社に実際にいた人の名前が思い浮かぶ感じ。
だからこれも「ゲーム会社にいる人としては、大体あっている」という認識。
机の下で寝袋で寝てる人はいたし、机がおもちゃだらけの人もいた。
天才肌で、自分と同じようにできない人を見下す態度の人もいた。
僕が知っているのは全部プログラマーだけども。
長男の宿題の都合もあって、12話を1週間で見なくてはならなかった。
で、わからないと質問された部分とか、ここはゲーム関連の仕事として掘り下げて説明したほうがいいな、と思った部分とか、1話見終わるごとに説明を加えた。
長男の課題では、将来の職業を漠然と書くのではなく、それがどういった仕事なのかも細かく掘り下げないといけないらしい。
ゲーム会社の仕事の内容を大体理解した長男は、そうしたことを説明したうえで、自分はプログラマーになりたいと作文した。
そしたら、先生から「プログラマーの仕事」についてもう少し掘り下げるように、という指摘が入った。
それで、長男にまたインタビューされる。プログラマーの仕事を一言で表すと、どういうこと?
「コンピューターに作業の手順を教える仕事、かな」
…と答えたのだけど、しばらく後に、この答えは間違えていると思ったので、訂正した。
コンピューターに作業の手順を教えるのは、プログラマーではなく、コーダーの仕事だ。
「コンピューターの作業手順を考える仕事」
これがプログラマーの仕事。「教える」のではなく「考える」ことが大切。
そして、プログラマーが考えた作業手順を、コンピューターに教えるのがコーダーの仕事。
だけど、これは非常に古い仕事の区分で、現在ではコーダーの仕事もプログラマーの仕事の一部になっている。
「教える」のか「考える」のか。この違いは、プログラマーとして非常に大切だ。
そして、この違いを理解できないといろいろな勘違いが起きる。
数年後、日本ではプログラム教育が必修化される。
ここでの目的は、子供たちに「考える」力を養わさせることだ。
しかし、プログラムを「教える」ことだと思っている人たちが、勘違いしている発言を度々見かける。
Cか Python か Scratch か、なんてどうでもいい。それはコーダーの技術だ。
学校で教えたいのは、処理手順を「考える」ことで、それこそがプログラムの本質だ。
先日「コピペプログラマー」の話を書いた。
こちらは、プログラマーだと呼ばれてしまうから違和感があるだけで、コーダーだと思えば何の問題もない。
処理を考えることはできないけど、教える技術はちゃんと持っている。
だから、どこかにあるコード断片を拾ってきて、正しく改造して、目的通りのものを作り上げられる。
「考える」ことは出来なくても「教える」ことができるのだから、コーダーと考えればしっくりくる。
長男からは、ゲームプログラマーをしていて、何が一番うれしかったか、という質問ももらった。
「笑顔が見たい」からゲームを作っていた、と答えた。
どんな仕事でも、最終的にはお客さんの笑顔を見たくてやっているのではないかな。
でも、これ実は微妙な話だ。
大学の頃は、大学祭にゲームを出品して、お客さんの反応を見ることができた。
それがうれしくて仕事にしたのだけど、仕事だとお客さんから直接の反応をもらうことは難しくなった。
それでも、ゲームセンターで自分が作ったゲームを遠巻きに観察していたり、ゲーム雑誌の読者投稿で自分の作ったゲームのことを触れてくれる人がいたりすると嬉しかった。
今だって、ネットで昔作ったゲームのことが書かれているのを見つけると、嬉しくなる。
それがたとえ悪口でも構わない。本当に嫌いなら、わざわざ労力を割いて話題にしないだろうから。
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