ふと気づくと、このサイト「魔法使いの森」も、いつの間にか20年を超えていた。
最初に書いた記事はファミリーBASICで、1996年の10月1日に公開していたようだ。
僕がこのサイトを作り始めたきっかけは、セガ社内での「流行」があったからだった。
なので、個人的なことなのだけど、業界記タグで書いてみよう。
以前に書いたことがあるのだけど、パソコン通信は、1991年に始めたと思う。
電話事業の民営化でパソコン通信が可能となったのが 1985年。
高校の頃読んでいた MSX マガジンでも、パソコン通信の記事とかがずいぶん出ていた。
1991年だとすでにブームもひと段落して、機材が手ごろに購入できるようになってきた。
そこで、「すっかり出遅れた」と思いながら始めたのだった。
1994年には WWW が普及し始め、「ホームページ」が続々作られ始める。
それまでは、インターネットに接続しようと思うと、大学などの研究機関同士のネットワークに参加するしかなかった。
同じ 1994 年には IIJ が接続サービスを開始。
でも、まだ非常に高くて、個人が使うようなものではなかった。
1996年頃になると、個人でも使える接続サービスが増えて、競争で値段が下がってくる。
でも、やっぱり僕はパソコン通信で十分で、インターネットには接続していなかった。
大学の卒業研究が「ハイパーテキストによる執筆環境」だったので、 WWW に興味はあった。
セガの社内は、当時まだ 10Mbps だったのだけど、Ethernet で接続されていた。
社外にも接続されていたのだけど、使用するには許可が必要だった。
でもある日、当時セガが作成していた「ホームページ」(当時は WEB サイトのことをそう呼んでいた)が、社内から見られるようになっているのを知った。
セガ公式とはいえ、情報はわずかで、ほとんどがファン同士の交流掲示板だった。
そして、社内で見られるのは深夜 0 時時点のスナップショット。
掲示板の話題は最新ではないし、こちらからは発信できない。
でも、WWW を体験してみるには十分だった。
ホームページは社内の情報部署が作っていたようなのだけど、その部署の人が「個人ホームページ」もサーバーに置いているのを知った。
こちらは非常に個人的なことしか書いてなかったし、当時の個人ホームページらしい、自分の趣味の紹介を書いてあるだけ。
ほとんど更新されなかったけど、時々見に行っていた。
そして、さらに全く違う部署の人も、「個人ホームページ」を公開していることがあると知った。
その人のマシンの IP アドレス直打ちで接続しないといけないし、案内はどこにもない。
でも、出来の良いページを作っている人の IP アドレスは口コミで広まっていた。
そんな社内で人気の WEB ページの一つが、どこかの部署のデザイナーさんが作っていたページだった。
当時の Mac … OS 8 には OS 標準で httpd 機能があって、ページを公開できたのを利用して作られていた。
個人のマシンで直接公開しているので、その人が勤務中しか見られない。
週一回更新されていて、デザイナーさんらしく「扉絵」を 3D CG で描いていた。
毎回ゲームをテーマにしたイラストで、主人公キャラが必ずミッフィーちゃんになっている。
まず、この CG の出来が良かった。
簡単なつくりだけど、ちゃんとそのゲーム「らしさ」を出していたし、主人公をミッフィーちゃんにしてもちゃんと成立するような図柄にデフォルメしてある。
それを、毎週描いているというクオリティの高さ。
もっとも、ページ内は、非常に短い4コーナーだけ。
写真主体で、ちょっと文章がついていただけじゃなかったかな。
先に書いたけど、この頃のホームページって、自分の趣味を紹介したりするのが普通。
その紹介も「プログラムと料理が趣味です」とか書いてある程度で、詳細に踏み込まない人が多かった。
それを、毎週短い記事とはいえ、趣味丸出しで情報を発信している。
これが、会ったこともない人なのに性格がわかって面白い。
僕もこういうページを作ってみたい、と思い始めた。
幸い、パソコン通信環境はある。あとはプロバイダに申し込めばインターネット接続できる。
プロバイダへの申し込みを進めると同時に、どんなページを作ろうか考え、記事を書き始めた。
やっぱりページは4コーナーで構成して、自分が趣味丸出しにできるものにしよう。
作成期間は、確か 2週間くらい。
「Old Good Computer」「社会の歯車」「男の料理(現在「簡単料理の作り方」に改題)」「森の生活」の4コーナーで構成される「魔法使いの森」はこうして公開された。
当初は真似をして毎週更新していたのだけど、だんだん記事が長くなり、書くのが辛くなって毎週更新はやめた。
(今はほぼほったらかしで、申し訳ないと思っている)
先に書いた、デザイナーさんが作っていたページに、告知が出た。
せっかく作っているのだから、インターネットで公開します。URL が添えられていた。
そして、しばらく後には、社内ページは閉鎖されて、インターネット公開のみとなった。
それまでは作者さんに連絡する手段がなかったのだけど、ネット公開になって連絡できるようになり、しばらく仲良くしていただいた。
その後、ベンチャービジネスに参加するためセガを辞める、と聞いた。
そしてさらに後、作成していたソフトが完成したと、ご自身のページで公表していたと思う。
ピンク色のクマのぬいぐるみがメールを運ぶ、不思議なメーラーソフトだった。
ポストペットの公開は1997年 1月だったそうで、20周年のお祝い記事を読んで、上記のことを思い出した。
当サイトが参考にしたページは「ナミ通」。
ポストペットのキャラクターデザイナーである、真鍋奈見江さんが作成していた。
WEB ページ作成時も参考にさせてもらったし、ポストペットの成功は「うまくやったなぁ」と、正直羨ましかった。
僕も何か自分の力でやってみたかったけど、そのために会社を辞めて独立するというのは、なかなかできるものではない。
僕も後でセガを辞めて独立したのだけど、こうした成功者に触れていたことは後押しになったように思う。
#直接的にはやはり同じ部署で独立した、同期の女性デザイナーの成功のほうが大きかったと思うのだけど。
こちらの話はまたそのうち書きます。
まぁ、そんなわけでポストペット 20周年おめでとうございます。
今は交流はないのだけど、その当時仲良くしていただいた者として…そして、会社経営者として、20年会社を維持したことはすごいと思うのです。
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