目次
03日 デザイン変えた
06日 甥の結婚式
15日 新しい文盲
18日 ら抜き言葉
23日 畳替え
25日 マジカル頭脳パワー!!
27日 セガ・サターン復活
昨日から、サイトデザインを変更している。
大体完了かな…と思っているけど、まだ多少手を加えたいところもある。
もし変更中に見に来た人がいて、崩れていて見られなかったら申し訳ない。
サイトのデザインは時々変えているのだけど、前回変えたのは、今調べてみると2013年5月だったようだ。
その時の日記に書いてあるけど、それ以前は、いわゆる3ペインデザインだった。
左と右に「さして重要ではない」情報が書かれていて、中央に本文があるの。
3年前にデザイン変更して、左側のペインを無くした。
無くした情報の一部は右側に吸収されたし、「画面上のヘッダ部分」にも表示した。
これは、そのころの流行のデザインを踏襲した…つもりだった。
でも、そのころから急にスマホ対応が進み始めたのね。
いわゆる、レスポンシブデザインが時代の潮流になった。
自分でもなんとかしたいなぁ、と思いつつ、忙しさと面倒くささでそのままになっていた。
今回、https/http2化を行ったので、「ついでに」デザインの改修にも乗り出した。
で、結局元の3ペインに戻った。
戻ったのだけど、いわゆるレスポンシブデザイン。
画面幅によって適当に見た目を変化させるようになっている。
まず、以前の3ペインは、本当に画面を…HTML 上の位置を、3つの領域に分けてあるだけだった。
今回は、左と右はスクロールしても画面内にとどまり続ける。
これはレスポンシブとは関係ないけど、最近よく見るデザインだね。
画面が狭くなると、右のペインが消滅し、本文下に異動する。
なぜなら、右のペインの情報の多くは、このサイト内の関連ページの紹介だから。
ずっと見えていて興味を持ってもらえればうれしいのだけど、画面が狭くなったら「読み終わった後に次記事の紹介」でいい。
ちなみに、今までも右のペインはあったのだけど、これは「画面が狭くなったら、余分な情報だから外に追い出されてもいい」というつもりだった。
WEB ブラウザは、ブラウザのウィンドウよりも HTML/CSS の指定のほうが大きい場合、左上から表示して、右側を画面外に追い出すから。
これが、明示的に「下に」追い出されるようになったわけだ。
スマホの場合、フリックで操作すると上下だけでなく、左右に動きやすいため、追い出しを明示して WEB の横幅を画面幅と一致させることには意味がある。
さらに画面が縮むと、左のペインがさらに左に…画面外に逃げる。
と同時に、左下に ⇔ というボタンが常駐するようになる。
ご察しの通り、ここをタップすれば、左からペインがひょっこり顔を出す。
左ペインは、サイト内での現在記事の位置を示す役割と同時に、周辺記事への案内を行っている。
読み進むうえでは一応重要情報なので、いつでも呼び出せるようにしてあるわけだ。
いちおう、Windows 上の Chrome / FireFox / Opera / IE11 / Edge / Safari と、MacOS X 上の Safari で画面が崩れないことを確認している。
IE 以外のブラウザは、自動アップデートの仕組みを持っているので最新版…せいぜい、ここ1年くらいのバージョンしか使われないだろう。
Win の Safari は、とっくにサポートが切れていて、最新版が 2012 年のものだ。
それでも動作しているのだから、まぁ古いバージョンでも大丈夫だと思う。
問題は IE 系列。特に IE 8。
ちなみに、IE 7 以前は SSL 対応に問題があるため、すでに当サイトにアクセスできなくなっている。
そして、サーバーログを見る限り、わずかとはいえまだ IE 8 は使われている。
先にレスポンシブデザインの仕組みを書いたのだけど、実は右ペインが下に落ちた「2ペイン」の状態を基本に作ってある。
IE 8 では、メディアクエリを理解できないので、画面幅を変えても画面構造は変わらない。
…実環境では確認していないので、もし動かなかったら申し訳ない。
その時は諦めて、IE8 でアクセスしている人は、そろそろ新しいマシンの購入を検討してほしい。
#IE8 も、WinXP もすでにサポート期限を過ぎています。
古いけど使える、ではなく、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えている状態です。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【chrome】 きれいに見れるようになってます。対応ありがとうございます。 (2016-11-10 09:22:17)【あきよし】 報告ありがとうございます。windows chrome では動作確認しているのですが、違う環境かな…できるだけ多くの環境で見られるように整備したいので、確認して修正したいとおもいます。 (2016-11-09 10:12:10) 【chrome】 chromeで見ると左のペインが中央の本文とかぶってしまい、とても見づらい状態です。 (2016-11-08 10:57:50) |
11月5日、甥の結婚式に行ってまいりました。
以前も書いたけど、僕と年の離れた姉の子供で、僕の年齢がすごいわけではない。
いや、彼から見ての続き柄ではなく、一般的に「おじさん」の年齢であることは認めるけど。
僕の兄弟としては、まだ下に妹がいて、その子供が5歳…だったかな。
今回結婚した甥とその子は「従弟」にあたる。
ちなみに、甥の姉、つまり僕の姪にはすでに子供がいて、その子供が1歳半くらい。
(ちゃんと年齢聞いてないけど、とてもかわいかった!)
妹の子供と、姪の子供は互いに「従弟違い」の関係にあるらしい。
従弟の子、でも、親の従妹、でも、続き柄の呼び方が変わらない。
それくらい遠いと、もうどうでもよいということか。
#一応、従妹姪、従妹叔父、という言い方もあるらしいが。
さて、僕には兄弟が非常に多いから親戚の続き柄がややこしいことになるわけであるが、今回結婚した甥は、北海道に嫁いだ長姉の家族の中では、唯一関東に暮らしている。
なので、長姉家族の代表として(?)、正月の親族の集まりにも顔を出す。
折り目正しく、掃除が趣味で料理の腕前もなかなかという、好青年だ。
#先に書いた彼の姉と二人暮らしの時もあり、その際は彼が家事を行っていたそうだ。
そんな彼が結婚を考えたパートナーはどんな女性かな、と思ったら、人となりを聞くと、こちらもしっかりとして聡明そうな女性。
ゆっくり話をしたら面白そうだ、と思ったのだけど、もちろん結婚式の最中はそんな余裕はなく、正月の集まりに来るかと聞いたら「年末から年始に新婚旅行に行きます」とのこと。
まぁ、数年の内にはゆっくり話ができるだろう、と思う。
式は東京の高級ホテルで。
新婦が大学時代にこの近くでアルバイトをしていて、度々結婚式に遭遇して「いつか自分もあのホテルで」と考えていたそうだ。
ホテル内のチャペルで、友人一同も立ち合いで式を挙げ、その後ホテル内の別室で披露宴。
料理も素晴らしく、気配りも行き届いていて申し分なかった。
新婦は大学時代に音楽科で声楽を学んだそうで、友人一同が余興でコーラスをやったのが素晴らしかった。
何曲か歌ったのだけど、そのうち一つは椿姫の「乾杯の歌」を原語で。
なんか結婚式の歌だったよなー、というくらいの認識だったけど、僕の妻によれば本来は怪しげな(刹那的な快楽を求める)パーティーのシーンでの歌だそうで、結婚式で使うのはどうか、とのこと。
とはいえ、歌声自体は素晴らしかったし、多くの人が知る歌なので悪くない選曲だったと思う。
最後に、披露宴終了後に会場の外で新郎新婦から参列者に手渡しでお土産を…
というのは良くある演出なのだけど、甥のおじいさん(うちの血筋ではないほうの)が作っているお菓子を、とアナウンスがあり、新郎側の親戚席から拍手が出る。
新婦側の方はわかっておらず、キョトンとしているのだけど、おじいさんは北海道ではそこそこ有名なお菓子メーカーの社長なのでした。
姪の結婚式の時にももらってうれしかったんだよね。
まだ置いてありますが、近いうちに味わって食べようと思います。
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5年前、東京大学入試に挑む人工知能「東ロボ君」というプロジェクトがスタートして話題となった。
そして今年、東京大学は諦めて進路変更、という形でプロジェクトは断念された。
まぁ、5年というのはいい区切りだし、東京大学は「高い目標」として設定されていただけなのだろうから、これでいいのだろうと思う。
話としては東京大学を目指すのは面白かったのだけど、ある程度限界がわかったところでプロジェクトの成果を取りまとめ、次につなげようということだろう。
最近AIがやたらと世間をにぎわせているのだけど、これはAIによる「自動認識器」が急激に実用段階に入ったから。
主にディープラーニングと、自己強化学習だな。
詳しく書くと長くなるので、知りたい人は以前に書いた記事を読んでもらうおう。
ディープラーニングや自己強化学習は、「うまくいく、と経験則にわかっているが、なぜうまくいくのかは説明できない」ものだ。
ついでに言えば、上手くいく問題の範囲は結構狭くて、それ以外の分野では全く役立たない。
ただし、この守備範囲が従来のコンピューターが苦手とする範囲だったので、組み合わせによって可能性は広がるのは事実。
ところで、AIという言葉を考案し、AI研究の第一人者だったマービン・ミンスキーは、こうした「よくわからないけどうまくいく」を嫌っていたようだ。
彼は、AI研究を通じて、「人間の知的活動」を知りたいと考えていたから。
プログラムは理論的なものしか扱えず、そのプログラムによって人間と同じように考えられるAIが出来上がれば、それは人間の知的活動がどのように行われているかを示すことになる、と考えていたようだ。
さて、東ロボ君は、マービン・ミンスキーの考えに沿って作られていたAIだったようだ。
東京大学入試に挑む、という目標を持っているけど、合格できればなんでもいいというわけではない。
このAIを作ることで、人間がどのように考え、どのように答えを導くのか、ということを調べるのが目的の一つだったらしい。
東大合格には点数が足りないものの、大学受験生の平均点レベルには達している。
つまり、東大合格するような天才ではないにせよ、普通の子供の「考え」レベルには達しているわけだ。
そして、ここで問題が明らかになる。
平均点に達した東ロボ君、実のところ「文章を読んでも全く理解できず、非常に頭が悪い」のだ。
つまり、これが日本の平均的な若者の姿だということになる。
詳しくはこちらの記事を読んでもらうといいだろう。
AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?
さて、先に書いた疑問にぶち当たり、東ロボ君プロジェクトの派生研究として、多くの人に「文章を読めているか」のテストが行われた。
そもそも、どういう状態を「読めている」とみなすか、という点から考慮され、新たなテスト形式が考案された。
この結果は、驚きとともに今年の夏の新聞をにぎわしたのを覚えている。
同じプロジェクトだ、というのは気づいてなかったけど。
簡単な文章で、「答えがそこに書かれている」問題を読ませても、正しく答えられない子が多い。
結論としては、5割の子供は教科書に書かれてあることが読み取れていない。
2割の子供は基礎的なことが一切わからない。
まだ予備調査段階で、上のデータは「公立中学校に通う340人」にテストした結果だそうだ。
今後、1万人程度の調査が予定されている。
救いなのは、「公立中学校」であることだ。誰でも入れる。
これが、受験が必要な私立中学校だと、基礎が理解できてない子供は 5% まで減る。
それでも 5% はわかっていないのだけど。
さて、東ロボ君プロジェクトを推進してきた教授としては、原因が教育方法にあるのか、貧困による教育機会の逸失にあるのか…などを調査する予定だそうだ。
それは結構なこと。ぜひ進めていただきたい。
周囲の大人の努力で子供の能力が伸びるのであればやらないといけないし、彼女らの立場ではそれが仕事だろう。
その一方で、僕としては別の考えが頭をよぎる。
これは、10年くらい前から話題になっている、「新しい文盲」ではないのかな?
調べてみると、「機能的非識字」と呼ばれるようだ。
「非識字」の文盲と違い、識字…字の理解はできる。ただ、そこに書いてあることが理解できない。字が機能していない。
だから「機能的非識字」。
上にリンクした Wikipedia のページには、アメリカとイギリスの研究例が載っている。
アメリカでは、書かれていることの意味が全く理解できない人が、成人の 14% と見積もられている。
先のテストでいう「教科書が読み取れてない」のレベルについてはわからないけど、ちゃんとすべてを理解できる人は人口のたった 13% となっている。
イギリスの例では、6人に1人がリテラシー能力がない。16% 程度、ということだろう。
42% が「基礎力がない」というのだから、これが「教科書が読み取れていない」レベルに相当するのだろう。
今すぐに資料を示せないのだけど、以前に読んだ話では言語による違いは結構大きいらしい。
アメリカもイギリスも「英語」なので、日本語とは結果が違うかもしれない。
ただ、問題は僅かな違いにあるのではない。
文章を読んでも意味が理解できない、という現象が日本特有の問題ではなく、世界中で見られる普遍的なものだ、ということだ。
ディスレクシア(難読症)、という障害がある。映画監督のスピルバーグが「自分は難読症だ」と告白して話題となった。
文盲・非識字というのは、従来は「教育の機会が得られなかった」ためになるものだと考えられていた。
しかし、難読症は教育の問題ではなく、脳機能の障害だ。
そして、知的障害を持つ人の多くが特定分野で素晴らしい才能を見せるように、難読症でも素晴らしい才能を持つ人が多い。
先に挙げたスピルバーグもそうだし、作家であっても難読症の人はいる。
(ただし、その才能に気付かなかったり、周囲の理解が無かったりすると、「文字が読めない」ための不都合を受けやすく、むしろ社会的な底辺層に甘んじなくてはならない場合も多い。)
難読症の人は、文字が読めないだけで、頭が悪いわけではない。
誰かに音読してもらったり、今ならコンピューターで音読させれば、ちゃんと本の内容を理解できる。
難読症もまた、言語により発生割合が違うことが知られている。
全く読み書きできない、という場合もあれば、読めるけど書けない、読み書きできるけど複雑なものは苦手、などもある。
軽いものも含めた場合、アメリカでは人口の2割程度に何らかの難読症の症状がみられる、とする研究もある。
#ちなみに僕は、「漢字読めるけど書けない」
「ていねいなあいさつ」って漢字で書けますか?
もともと人間は言葉、音声でコミュニケーションを取ってきた。
特殊能力としてではなく、庶民でも文章を読むようになってから、せいぜい200年程度の歴史しかない。
生命として…どころか、人類の歴史としても、文章なんて「読めなくて当たり前」なのだ。
文章で示されても脳が意味を理解せず、音声で聞いてやっと理解できるとしても、何の不思議もない。
その一方で、学問は膨大な知識を蓄えた「本」を中心として発展してきた。
学問、教育の立場にいる人が、文章を読めないことを問題視する理由はわからなくもないが、「皆が読めるようになるべき」と考えること自体が、学問をやっている者…強者の奢りかもしれない。
先に書いた夏の新聞記事では、アクティブラーニングなどを導入する前に「教科書を読む」という基礎を徹底する必要があるのではないか、と提言している。
でも、5割も読めていないというのは、決して読めない人の学習方法が悪いとかではなくて、そもそも「本を読ませる学習方法」が間違えていたのかもしれない。
その場合、むしろコンピューターを使い、能動的に学ぶアクティブラーニングのほうが良い勉強方法である、という可能性だってあるだろう。
多分、この問題はずっと昔からあって、今まで気づかれずにいただけだ。
でも、200年前までは文章を読む必要なんてなくて、問題にはならなかった。
今は問題になるのだけど、気づいたばかりなのでまだ正解は見えていない。
何か良い学習方法が開発されて、ちゃんと勉強すればすべての子が教科書を正しく読めるようになる、というのであれば、小学校はみっちりと教科書を使った学習をするのも良いだろう。
でも、ディスレクシアのことも考えると、「読めない」のは学習方法の問題ではないように思う。
ならば、むしろ教科書に頼る教育から離れたほうが良いのではないだろうか。
2016.11.28追記
その後、東ロボ君のプロジェクト報告会があり、記事になっています。
しばらく前にテレビ番組で東ロボ君のことをやっていて、どのように問題を認識し、解いているかなどの全体構成も紹介されていました。
僕はこの番組で大まかな内容を知りました。
上の記事でも詳細を解説しているので、興味のある方は読むと参考になると思います。
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いささか旧聞に属するが、9月ごろのニュースで、「ら抜き言葉」を使う人の割合が、使わない人を上回った、と報じられた。
「ら抜き言葉」に関しては、実は12年も前に日記に書いている。
12年前の日記でも、僕は「ら抜き」擁護派だ。
ツイッターを見ていたら、「日本語が乱れている」と考えている人が多数いた。
12年前だと、新聞発表などは見られても、世間の反応はわからなかったな。
その反応を見た時に一言書こう思ったのだけど、書くからにはある程度根拠を示そうと思った。
ただ思うところを書くだけの「ポエム」だったら書かないほうがましだから。
しかし、調査をしたり、忙しくて先延ばしにしたりしていて、今になってしまった。
調べたものは膨大なので、まじめに書いていくととてつもない長さになる。
(というか、いったんは書いて、あまりに長いので破棄した)
そこで、過去に書いた記事や、ネット上の記事で説明ができる部分は、積極的にそれらの記事へリンクする。
それらのリンク先は、少なくとも「根拠」となるデータではあるが、データの読み取り方を解説したりはしない。長くなるから。
核心部分についてのみは、最後に説明を加える。
「ら抜き」と一般に言われる用法は、おそらくは江戸の末期、少なくとも明治期にはすでに存在したものだ。
方言だという説も出ているようだが、広く使われた標準的な用法だった。
明治期、開国した日本が知ったのは、アジアが欧米の植民地にされそうになっている現状だった。
このことに危機感を持ち、日本は富国強兵への道を急ぐ。
その中で、「複雑な日本語は何をするにも遅い」という考えが出てくる。
それを改善しないと、日本は欧米に勝てない。
江戸時代にも国語の研究者はいたのだけど、万葉集などの古文の解読作業が中心だった。
和歌に見られる係り受け構造の解明、など、一部文法にも踏み込むのだけど、日本語の構造そのものを明かすような文法体系の構築には至らない。
というか、文法が大切だ、というような意識もなかった。
明治になり、英語は研究が進んでいて「文法」というものがあるのを知ると、日本語の文法も解明しようという動きが起こる。
何人かの学者が文法を構築するのだけど、後で書く松下大三郎は、単語の語尾変化でどのように意味が変わるのか、その解明を行った。
明治期はまだ、文語と口語が明確に違うものとなっている。
松下は、一般的な(標準的な)日本語について、文語と口語を区別して、単語を分類し、語尾変化の規則などを詳細にまとめ上げた「標準日本文法」を作り上げる。
これは、日本で最初の口語研究だった。
後で詳細に書くけど、「ら抜き」は明治には普通だった、というのはこの記録が根拠となる。
橋本進吉は、松下大三郎よりも少し後の国語学者で、松下大三郎がやっていなかった(気づかなかった)部分に手を付けた。
松下は、単語に意味があり、語尾変化でその意味が変化し、それが寄せ集まれば日本語になると考えていた。
しかし、橋本は、単語はただ集まればよいのではなく「組み立て方」があると考え、調査してまとめ上げた。
僕が橋本文法を理解していないので間違えもあるかもしれないが、橋本は「文の構造」を中心に研究したようだ。
そして、名の知れた文法学者になり、教科書なども執筆した。
戦後には橋本のお弟子さんが学校用の文法をまとめ上げるのだけど、橋本文法を元にしているので「文章構造」が話の中心となる。
松下のまとめ上げた、単語の分類や語尾変化はもちろん盛り込まれているのだけど、それほど力が入っていない。
元々日本語の「文章構造」が中心で、語彙に関しては弱い不完全なもの。
それをさらに、教育に使いやすいように枝葉の部分を刈り落し、単純化した。
それが「学校文法」だ。
学校文法が悪いものだ、というのではない。
単純化するというのは、最初に教えるものとしては必要だからね。
でも、「それが全てだ」と思われては困る。
しかし、残念ながら戦後教育では「これが全てだ」と考えられてしまったんだ。
明治期にあった、「複雑な日本語は何をするにも遅い」という考えの呪縛は、戦後にまで尾を引いた。
明治期に、口語と文語に分かれている日本語を統一しよう、という「口文一致運動」があったのだけど、結局実現できていなかった。
しかし、戦後すぐに内閣訓令として口文一致が図られた。
「現代かなづかい」の訓令だ。
この訓令で、文章はすべて口語で書かれることになった。もはや、文語で書いた文章は「誤った日本語」とされた。
しかし、それは伝統文化を破壊してしまうことに繋がる。
他にも、この時代に「誤った日本語」として駆逐されたものに、話し言葉の中に「ネ」を挟む、というものがある。
「今日はネ、この前言っていたネ、写真を持ってきたヨ」
これは日本語の乱れや幼児語などではない。
やはり明治の国語学者、山田孝雄がまとめた文法では、ちゃんと「間投助詞」として文法構造に組み入れられている。
しかし、学校文法には入らなかった。
文法にないのだから、正しい日本語ではない、使ってはならない、とする、おかしな風潮が生まれた。
これは、「ねさよ運動」として多くの人に記憶されている。
そして、「ら抜き」も同じような過程で生まれた、と想像する。こちらは「ねさよ運動」と違って、記録がないのだけど。
「ね」も「ら抜き」も、もともと平易な口語文で使われるものだった、という背景もあるかと思う。
友達や家族と話をするときには使う。でも、目上の人との会話や、人前でのスピーチでは使わない。
ましてや、文語として使うことなどありえない。
そういう「平易」な日常を無くしていき、誰かが見ていない時でも常に礼儀正しい状態を保つのが、良い人間性を育てる…
当時は、そう信じられていたので、日常会話でも、人前でスピーチするような話し方をさせようとしたのだろう。
それが子供のためになると信じて。
先に書いた「現代かなづかい」は当初から批判も多く、40年後に…それでも40年もかかってやっと、廃止された。
というのも、すでに有名無実となっていたからだ。
先に書いた「ねさよ運動」も間違っていた、という反省があったころだし、行き過ぎた日本語改造に対して反省が広まった時期。
この頃からやっと、誰かに何かを強要されるのではなく、個人が個人らしくのびのびと暮らせるようになっていく。
#それによる弊害も多数あるが、そのことは今は書かない。
さて、戦後に中高生で文法教育を受けた世代は、今なら 70代。
学校文法が正しい、と教えられていたら、「ら抜き言葉」は誤りだと捉えるだろう。
内閣訓令が廃止されたころに文法教育を受けた世代は、今なら 50代。
ニュースになった国語調査でも、「ら抜き言葉」を使う人がちょうど半分くらいの世代だ。
そして、それ以降の世代では、どんどん「ら抜き」に対する抵抗がなくなっていく。
決して「乱れた日本語が広まっている」などではなく、戦後に混乱した日本語が、元に戻っていく姿だ。
しかし、まだ上の世代の影響から、これが「言葉の乱れ」だと考えている人は少なくない。
今回の調査報告書でも、半数以上が使っているにもかかわらず「誤った日本語」だと表現されていた。
以上で話の概要は終わりだ。
根拠となる資料へは出来るだけリンクで示したのだけど、核心部分となる「100年前の文法書」は説明が必要な部分が多いので解説しておこう。
松下大三郎の「標準日本文法」は、国会図書館のWEBページでスキャンデータを無償で閲覧できる。
この本は、明治期の口語・文語について研究を行い、30年分の研究をまとめた集大成だ。
名前の通り「標準語」を中心に解説している。
(ここでいう標準語は、東京近辺の言葉を中心として、日本で使われる平均的な言葉、というような意味合いのようだ)
方言に関しても、その方言を使う地域が広い場合は、そう断って言及している。
さて、先のリンクでは 330ページが開く。「ら抜き」に関する該当部分だ。
現代語として一部を抜き出そう。
( / で区切るのは省略した、という意味合い)
口語には / 「られる」を付けて「ら」を省略する。/
「られる」の「ら」を省略して用いるのは、「起きられる」「受けられる」「来られる」を略して「起きれる」「受けれる」「来れる」というたぐいだ。/
平易な説話にのみ用い、厳粛な説話には用いない。
「口語には」と断っていることに注意が必要だ。
抜き出し部分の前で文語について書いているのだけど、文語では「ら抜き」に当たる表現は行わない。
これは、古い文書を調べて「昔はら抜きなんてなかった!」とすることに、全く意味がないことを意味している。
説明としては「られる」をつけて「ら」を省略、となっている。
省略するなら、いらないようにも見える。
でも、それを解説するのが後半だ。省略する、と言い切るだけあって、どうも省略が基本なのだけど、省略しない場合もある。
省略しないのは厳粛な説話…つまりは、改まって話をするような場合、演説などの場合だ。
抜き出していない部分にもう1つルールが書いてある。
これは実は、「ら抜き」よりも前に説明されている、重要ルールである。
「読める」「書ける」「思える」などいうたぐいである。
これはもと四段活の語尾と「れる」との約音である。
例えば「読める」「書ける」は Yom(ar)eru , Kak(ar)eru である。
これらの言葉では「られる」ではなく、最初から「れる」をつけるのが正しい。
そして、約音…つながった音が一定の形式になった時に、省略されたり別の音になったりする規則により、音が変化する。
文法としては、皆が普通に使っている言葉を記録しただけなので、これ以上には踏み込んでいない。
でも、省略せず「読まれる」だと、尊敬語(偉い人が読んでいる)になってしまうので、約音することによって意味を変えているのだろう。
同じように考えると、「起きられる」も尊敬語と混乱してしまう。
Okir(ar)eru と考えて「起きれる」にすれば混乱しない。
混乱を避けるなら文語でも、と考えるかもしれないが、文章はゆっくり考える暇があるので混乱はしない。
また、改まって話をするような場合も、そういう際には普段よりも声をはっきりと、テンポはゆっくりと話をするものだから、問題は起きない。
つまり、こういうことだ。
・「れる」を付ける。
・一部の言葉は、「れる」を付けた後で ar の音を取る。
・特別な場合のみ、一部の言葉で「れる」ではなく「られる」を使う。
ここでわかることは、「ら抜き言葉」と言われているけど、実体は「ら入れ言葉」だということだ。
本来入っていないのが普通で、丁寧にしたい時だけ「ら」を入れる。
これが、100年前に日本で最初に記録された「口語」の文法だ。
文語と違い、口語はその時に記録しなければ失われる。
だからこれ以前はわからないけど、明治に入った途端に、急に全国で一斉に使い始めたとは思わない。
少なくとも江戸時代後期にはそうなっていたのだろう。
さて、最初の話に戻ろう。
「ら抜き」は日本語の乱れだと考えている人が多い。
100年以上前から使われていた「普通の日本語」は乱れているのだろうか?
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11年目にして、やっと畳屋さんの世話になった。
住み始めたときは、子供が小さいこともあってよく畳の上に物をこぼした。
入居時に「5年程度での交換が目安」と言われていたので、5年目経った頃に交換を考えていたのだけど、交換してもまたすぐ汚されるのだろうなぁ、という気持ちもあった。
迷ったまま1年過ぎ、やっぱ交換しようかな…と思い始めたときに、東日本震災が起きた。
仮設住宅の建造で建材が軒並み値上がりし、困っているという。
じゃぁ、ちょっと交換は先延ばしにしよう、と思った。
それから2年くらいたっていよいよ交換を、と思ったのだけど、そのころは仕事がうまくいっていなくて、資金がなかったのでもうちょっと先延ばしした。
その後仕事は安定し、今年の頭頃に交換しよう、と思ったら熊本震災が起きた。
畳って熊本産が多い。また先延ばしした。
で、秋になって新聞広告や折り込みチラシで、畳屋さんのセールを多く見かけた。
そうか、イグサだって農作物だから、季節があるのか。
どうやら、夏から収穫して、畳表として使えるようになるのが秋のようだ。
「どこかに電話しよう」と思ったまま、なんとなく日が過ぎる。
いや、そんなことじゃいかん。ここに電話するぞ、とある日入っていた広告を冷蔵庫に磁石で貼る。
ただ、ちょっと悩みがある。
スウェーデンハウスの畳は、ちょっと特殊なのだ。電話をかけて、その特殊なものに対応できるか聞くのが面倒くさい。
電話しなくちゃな~、っと思いながらずるずる日が伸びていたら、セールス電話がかかってきた。
電話しようと思っていた畳屋だった。
これも何かの縁と思い、その場で畳を変えようと思っていると相談する。
ただ、スウェーデンハウスの畳は特殊で、対応してもらえるのかどうかわからなくて…ということも。
とりあえずは見てみないとわからないので、明日職人をうかがわせます、という返事。
翌日に職人さんが来て、見てもらう。
対応は可能だそうだが、やはりスウェーデンハウスの畳は特殊である、ということを説明される。
まぁ、特殊なのは知っていたのだけど、知らないこともいろいろ教えてくれた。
スウェーデンハウスで使われる畳は、非常に薄い。
一般的な畳は、厚さが6cmくらいある。でも、最近はこれよりも薄くて、3cmくらいしかない「薄畳」も多い。
ところが、スウェーデンハウスの畳は 5mm 程度の厚さしかない。
これには二つ理由がある、
まず、スウェーデンハウスの床下は断熱材がたっぷり入っているため、厚い畳を収めることができない。
…いや、それは些細な問題か。真の理由は2つ目のものだ。
断熱材が入っていても、上に畳を置くことは可能だ。でも、そうしたら畳の部屋に入るときに、数センチの段差ができてしまう。
スウェーデンハウスは「バリアフリー」の家を標準としているので、この段差は許せない。
段差をなくすためには、他の部屋…絨毯なり、フローリング材なりと同じ厚みの畳にして、揃えなくてはならない。
その結果、 5mm 程度の畳になってしまうのだ。
と、ここまではわかっていた。
ここからは畳屋さんに聞かないと知らなかったこと。
畳がこれだけ薄いと、畳の上のゴザの端は、かなり無理に曲げた状態になっている。
だから、はがして逆に曲げると、折れて壊れてしまう。
普通の畳は「表返し」をすることで長持ちさせることができるのだけど、スウェーデンハウスの畳ではこれができない。
畳というのは、畳床に畳表(ゴザ)を縫い付けたものだ。
表返しは畳表だけを裏返しにするのだけど、それができなくても、表替えと言ってゴザだけを交換することができる。
しかし、スウェーデンハウスの畳床は事実上板一枚で、そこに縫い付けるためのミシン目をつけてしまっている。
ほどいてもう一度加工すると、さらに穴が開くことでいたが簡単に割れてしまう。
そのため、畳床から全部作り直しにしないといけない。
実は、この時点で畳の痛みが一番激しいところでは、イグサが擦り切れて、中の糸が見えてしまっていた。
畳1目について、2本セットにした木綿糸が、2筋入っている。
畳屋さんによれば、これは中級品の畳としては最上級のもので、長持ちするという。
畳を変えるときは全部交換するしかないのがわかっているから、長持ちする良いものを使っているのでしょう、とのこと。
安物だと、糸は1本になるので、すぐ切れてしまい、3年程度しか持たないという。
また、これより高級品になると強い麻糸を使うのだけど、その場合は畳表が少し硬くなるため、角を強く曲げられなくなり、薄い畳には使えなくなってしまうそうだ。
もう一つ、スウェーデンハウスは家を建築する際の単位となる「モジュール」が大きい。
畳は地域による差もあるのだけど、関東では江戸間と呼ばれる、88cm を基準とした大きさが多い。
さらに、団地間と呼ばれる 85cm 基準もある。
だけど、スウェーデンハウスは家を作るときの単位を 120cm としていて、畳はこの 3/4 である 90cm を単位として作る。
僅かな大きさの違いだけど、イグサは農産物なのでサイズを大きくすることが難しくて、90cm になると値段が跳ね上がってしまう。
なるほど、説明を聞いて納得した。
普通の畳なら、畳床は長年使えるので、安い畳表を頻繁に張り替えて常にきれいな状態を保つ、ということもできるのだけど、スウェーデンハウスの場合は良い畳表を使って長持ちさせる方がよさそうだ。
で、勧められたのが和紙の畳表。
実は、和紙の畳表があることは知っていた。
独立した時に、ネットの知り合いからホームページ作成頼まれたことあって、その人が畳屋さんだった。
それで、イチ押し商品として和紙畳のことをいろいろ教わったんだ。
非常に良いものであることも知っていて、家を新築する際にも少し考えたのだけど、標準品以外にすると高くついてしまうので使わなかった。
畳屋さんによれば、10年前までは高いけど性能がイグサに追い付いておらず、お勧めしにくかった、そうだ。
新築時に使わなかったのはそれも原因じゃないかな、と。
和紙の畳表は、和紙で紙縒りを作り、そのひもで編んだもの。
イグサと違って繊維の向きが揃っていない…紙なので…ために、摩耗しても表面が削れにくく、長持ちする。
以前は水に弱かったけど、今はフッ素を混ぜて防水加工できる技術ができたそうだ。
…以前教わったものも一応防水はされていたと思うのだけど、より強くなった、ということかもしれない。
紙で作っているために、イグサと違って大きいものが貴重品、ということもない。
普通のサイズで作るとイグサのほうが安い、ということになるのだけど、スウェーデンハウスのサイズになるなら、イグサとそれほど変わらないらしい。
ということで和紙畳にした。
ついでに汚くなっていた襖の張替えも頼み、2週間たって完成した。
昨日、新しい畳と襖が入ったところ。
部屋が何だか明るくなった。
和紙なので、新しい畳特有のイグサのにおいはない。
妻としてはこれがちょっと不服らしく、イグサのにおいの香料でも入れといてくれればいいのに、と言っている。
#サンプル見たときは、和紙の畳表もイグサの香りがした。
これは、紙は匂いを吸着しやすく、他のサンプルと一緒に持ち歩いているから香りが移っただけ、とのことだった。
ちゃんと説明を受けて選んだので、僕としては文句はない。
でも、新しい畳の喜びは、あの香りにある、という妻の主張はわからないではない。
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正確に出荷時期を覚えていないのですが、1996年11月だったらしい(Wikipediaによる)ので、そろそろ書いても大丈夫でしょう。
企画とプログラムは同期で、「エジホン」を作ったコンビだったはず。
(グラフィックなどは別の人ではなかったかな)
「マジカル頭脳パワー!!」と、NEC から持ち込まれた音声認識 LSI を組み合わせたゲームを作る、というミッションが決まっていて、上層部から割り振られた仕事だったようです。
なので、どういう経緯でそういう組み合わせになったのか、などは知りません。
マジカル頭脳パワー!!は、当時の人気クイズ番組。
クイズ番組と言えば知識や知識に裏付けられた「勘」を競うものがそれまでの普通でした。
でも、マジカル頭脳パワー!!は、知識を一切問わなかった。「ひらめき」とか「注意力」を競う内容で、パズルを解いたり、間違い探しをしたりする問題が多く出題されました。
昔は「クイズ番組」はテレビの花形の一つでした。
大抵は、博学に自信のある視聴者がクイズに挑戦し、その知識を見せつける。
もしくは、芸能人でも博識の人間を集めて、その知識を競い合う。
いずれにせよ、知識を競う番組形式で、見ている人も一緒に考えつつ、知識を得ることもできました。
マジカル頭脳パワー!!は、従来のクイズ番組とは違う方法論で大人気となりました。
出てくる問題は、ちょっとしたひらめきや注意力を問うもので、知識なんて必要ない。
間違い探しとか、言葉の共通点探しとか、そう言った問題ばかりで、視聴者は「知識に感心する」よりも「一緒になって楽しむ」ことが要求されます。
でも、あるころから「簡単な問題でも気づかない」人を見て優越感を持つような番組になっていった。
クイズ番組ではなく、バラエティ番組としての側面を強く打ち出したのです。
この場合、簡単な問題であたふたしているのを見るほうが面白い。
そのため、クイズではなくパーティゲームのような単純な遊びを、芸能人が楽しそうにやっているのを見る番組に変わりました。
でも、これが大成功。
「簡単そうに見えるのに失敗する」人を見ていると、本当は難しいのではないかと気になり、試してみたくなります。
パーティゲームだから学校などで友達を集めて遊んでみないと、試すこともできない。
番組を見たことが無い人にも番組内容を伝える効果があり、口コミで視聴者層が広がります。
本当に、当時「知らない人はいない」ほどのヒット番組でした。
さて、それほどのヒットだからこそ「ゲーム化せよ」という指令が下るわけですが、これが難しい。
クイズ番組だったら、そのままクイズゲームにできます。
でも、実際には多数の芸能人が出演し、キャーキャー言っているのを眺めるバラエティ番組なので…
そうでなくても、人気のあるネタのゲーム化って難しいです。
人気があるからこそ、元ネタに手を加えすぎると「なんか違う」と言われかねない。
かといって、手を加えないとゲームにならない。
そこで、冒頭でも書いた通り、エジホンを作ったメンバーに仕事が割り振られました。
エジホンだって、かなり無茶ぶりの「原作付きゲーム化」でしたが、上手く作り上げました。
同じように、無茶な原作付きゲームを、同じメンバーに任せようというのです。
すでに書いた通り、マジカル頭脳パワー!!は芸能人がキャーキャー言うのを楽しむ番組になっていました。
これ、絶対にゲーム化できない部分ね。番組の重要な柱の部分が、ゲーム化に向いていない。
でも、番組と同じような画面構成を作りたい。
回答者席があって、誰かを座らせておきたい。
当然オリジナルキャラクターを作ることになるのですが、当初はそのうち一人が「ドロボウ」というキャラクターでした。
顔に無精ひげはやして頬かむりをして、背中に唐草模様の風呂敷背負ってるの。
企画者は気に入っていたようですが、真っ先に上からダメ出しをくらい、違うキャラになりました。
エジホンのキャラも濃いのだけど、この人の考えるキャラは正直なところよくわからない。
頬かむりと風呂敷と無精ひげを取り去り、ただの「太ったおじさん」になったキャラを見た企画者、「これじゃ部長だよ」と一言。
周囲に同意を求める口調だったのですが、苦笑いしか出ませんでした (^^;
#別に部長に似ていたわけでもない。ただ、部長命令でそうなったので何か言ってやりたかったみたい。
ゲーム内容としては、3人まで同時参加できる早押しクイズです。
クイズ内容自体は、番組初期に使われたクイズと基本的に同じ、間違い探しとか、「立体化した文字をいろんな角度から眺めて文字を当てる」など。
でも、普通のクイズゲームと違うのは、答えをマイクに向かって言って、音声認識で正解かどうかを決める部分。
先に書いた通り、NEC の音声認識 LSI を使うことが前提だったからね。
マイクは高価なので、1本しかつけられません。
でも、モーターがついていて、ボタンを押したプレイヤーの方に向いたのではなかったかな。
この音声認識、ネットでの評判を見ると「精度が悪くて、正解を言っても不正解になる」と怒っている人もいます。
開発者の名誉のために、ここは是非書いておかねばなりません。
精度が悪かった場合は、ほぼ確実に、筐体の設置方法を間違えているのです。
NECの音声認識 LSI は、雑踏の中でも音声認識ができる、優れモノでした。
それくらいでないとゲームセンターの中で使えないからね。
でも、そのためにセッティングが必要なのです。
音声入力用マイクとは別に、周囲の音を得るためのマイクが必要です。
マジカル頭脳パワー!!は、ゲーム筐体の上に、テレビ番組と同じロゴを描いた「板」を載せるようになっていました。
この板の裏に、周囲の音を拾うためのマイクが入っています。
板があるため、「回答者」の声が直接届かず、周囲の音を中心に拾うことができるのです。
でも、この板をちゃんと設置してあるゲーム機、驚くほど少なかったですね。
ただの宣伝用の板だと思われたのか、店舗の人が正しく設置してくれなかったみたい。
#ネットで検索すると、現在・もしくは過去に置かれていたゲームセンターの写真などが多数見つかります。
それらを見ても、半分程度しか板が乗っていません。
もし板がついていても、ただ乗せるだけではだめで、マイク端子を接続しなくてはなりません。
でも、やっぱり店舗の人はそこまでやってくれない。板を載せれば見た目的には整うので、それで完成と思われちゃう。
ちなみに、マジカル頭脳パワー!!に限らず、専用筐体のゲームでは「店舗搬入後に組み立て」って多いです。
一般的なエレベーターに乗るサイズに作っておかないといけないけど、店舗内では大きくして目立たせたいからね。
大抵は目立たせるためだけのものなので、店舗の人が設置してくれないことは多いのだけど、時折今回挙げた例のように、「ゲームにとって必須の機能」がつけられています。
もちろん、機能的に重要なので「組み立てマニュアル」があって、必ず守るように書かれているのだけど、そこまで書いても読んでもらえてないのね…
#今では写真プリント機の背後にカーテンが付くのは当たり前だけど、最初の頃はあれも設置してもらえなかった。
ついでなので、音声認識チップについて。
企画もプログラマも同期だったので、音声認識なんてすごいことをどうやって制御しているのか、と聞いた覚えがあります。
たしか、この NEC の LSI には、認識前に「認識候補」を6種類くらい登録できるのだそうです。
認識候補は、ローマ字で登録します。音を要素として判別するには、一番使いやすい形。
音声が入力されると、LSI は認識を行い、候補の中でどれが一番近いかを「確率」として返します。
一番高い確率の言葉がしゃべられたのだろう、と考えて、後は正誤判定を行う。
正解以外にいくつかの「誤答例」を入れるのですが、間違いやすい答えを入れるだけではダメです。
それだと、外れていても正解に似た言葉を言うと正解になってしまう。
だから、良くある誤答例と一緒に、正解に似ているけど違う言葉を入れておかないといけない。
ここら辺、わざと似た言葉を言ったりしながら試行錯誤があったようです。
ところで、この LSI 自体は、後に任天堂が Nintendo64 向けソフト「ピカチュウげんきでちゅう」(1998)で使ったものと同じです。
ピカチュウ~は僕の好きなゲームの一つなのだけど、音声認識に失敗して思わぬ行動をとっても、「ピカチュウだから」で済んでしまうので、上手い設定だと思いました。
#初期の AIBO で、AI の機能が低いからこそペットらしかったのと同じ。
AI は饒舌でないほうが、何か考えているように見える。
以前書いた、ST-V で3人同時プレイのゲームでクレジット表示が規定通りに作れなかった、というのはこのゲームのこと。
あの記事を書いた時点では、ゲーム名など特定されないように詳細ぼかしてましたけど。
簡単に概要を書くと、ST-V では複数人数同時プレイのゲームでは、同じ行にクレジット表示を出さないといけない、という規定があったのね。
でも、この規定自体がおかしかった。
クレジット表示には他にも規定があって、すべてを満たそうとすると「二人同時」以外のゲームは作れなかった。
というか、当時は対戦格闘が流行していたので、二人同時ゲームのことだけ考えて規定を作っちゃったのだろうね。
でも、現実問題として三人同時のゲームを作っているわけです。それが「作れない」という仕様が悪い。
行をずらしたかも、と先の記事では書いていたけど、日本のテレビ番組のゲームは日本でしか売らない、と割り切って、海外向けの情報表示はないものとして無視したかもしれません。
このゲーム、タイトル画面に「日本テレビ系列 木曜 夜7:54から放送中」というような表示を出していました。
これは、是非入れてくれと番組側から要望があったみたい。
でも、この何気ない一文に、すごい苦労していたのを知っています。
だって、すでに長寿番組で、過去に何度か時間帯が変わっているのです。
今後も変わらないとは限らない。単純に宣伝文を入れればいい、というわけではない。
それどころか「日本テレビ系列」とすら限られていない。
地域によってはテレビ朝日系列やフジテレビ系列の局が放映していましたし、時間帯が違う場合もありました。
だから、設定画面で局や時間帯表示を選べるようになっています。
さすがに、分は一分刻みとかには出来なかったはず。「54分」か「00分」「30分」しか選べなかったのではないかな。
系列局に関しては、将来想定外の局で放映することがないとも限らないので、「〇チャンネル」という表示にしたり、もしくは局は書かずに放送時間だけにしたりもできたはず。
最悪の場合、この表示はなくすこともできました。「放送中」ではなくなるかもしれないしね。
ゲームの本筋とは関係のない、たった一行の表示だけど、企画者がかなり頭を悩ませていたのを覚えています。
でも、「設定項目が多すぎるので該当地域の店舗がちゃんと設定してくれるか心配」とも言っていたような気が。
必要なマイクも設置してくれないような店舗が多いので、こんな細かな設定までしてくれない気がします…
2016.12.04 追記
NEC の LSI について、もう少し後の時代の「音声認識」の詳細を書いたものがあったのでリンクします。
技術に興味のある方はどうぞ。
書かれたのは 2000 年なので、マジカル頭脳パワー!!などに使われたシステムの後さらに4年間研究されていて、性能が向上しています。
でも、基本的な考え方は同じ。
(リンク先文章は、ハイエンド向けの ULTALKER-V の説明から入ります。
これは考え方から違うもので、認識できる単号数の制限もありません。
そのあとの ULTALKER-C が、マジカル頭脳パワー!!などで使われていたもののバージョンアップ版に相当します)
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十数年ぶりにセガサターンに通電した。
1年前に「遊びたいな」と思って探したら、本体は出てきたのだ。
でも、電源ケーブルとAVケーブルがなかった。
どうやら、11年前の引っ越しの際にケーブル類を別の場所に入れてしまったようだが、どこにあるのか全く分からない。
…で、2週間くらい前に、ネットでAVケーブルを買った。今更サターンのケーブルなんて激安だと知ったから。
電源ケーブルは、いわゆる「メガネケーブル」で、プレステとも共有できる。
そもそも1年前に「遊びたい」と思ったのは、コラムス 97 だったのだ。
本体が動かないから仕方なく、Win 上のエミュで動かしていた。
エミュでもそれなりに動いたのだけど、やっぱり実機は綺麗だと再確認。
コラムス97 は変な画面モードを使っているので、エミュだと見た目が汚くなってしまう。
#インターレースモードを使っているのだが、エミュではインターレースがうまく表現できず、シマシマの表示になってしまう。
今更だけど、2Dゲームでの表現力の高さはやっぱりすごい。
当時は NTSC の家庭用テレビで見ていたわけだけど、ハイビジョンテレビにつなぐと綺麗さが際立つ。
もちろんハイビジョンのグラフィックとは違うわけだけど、当時のゲームに多く見られた解像度は 320x240 。
でも、コラムス 97 やエジホンは 704x448 で作られている。
当時のテレビではこんな高解像度は表現できなかったのに、その画面モードを使うなんて馬鹿じゃないのか。
#当時でも、高解像度モードではやっぱり綺麗には見えたのだけど。
我が家の子供にはコラムス97は難しすぎてウケが悪かったのだけど、エジホンは大ウケ。
ゲームが「怖い」ので遊べない、小1の次女でも、間違い探しは横から参加できる。
ついには次女もコントローラーを手に取り、長女(小3)と一緒に仲良く遊んでおります。
#ちなみに、長女は四葉探しが得意。同じようなものの中から、わずかな違いを見つけ出す能力がある。
本気を出すと喧嘩になるので、見つけると次女に「答える権利」を譲ったりしながら遊んでいる。
点数にはこだわっていない。だって、エジホンの勝敗は最後の「賞金の奪い合い」で決まるのだから。
(最期の一発勝負は両者本気で、どっちが勝っても…モショ郎に持って行かれても…ゲラゲラ笑ってる)
ところで、唐突に我が家の子供の「ゲーム履歴」。
うちのゲーム機は、Wii / Playstation 3 の時代で止まっている。
なので、最初に遊んだゲーム機は Wii 。続いて、NintendoDS 。PSP も遊んだな。
ここらへんでゲームに興味を持ち、棚に置いてあったゲームソフトなどを見始める。
あまり興味を持つものは遊ばせる。GameCube のソフトなどは、Wii でも遊べるので比較的早くから遊んでいた。
そして、わざわざ古い機械を引っ張り出して、PS2 / PS1 のゲームも遊んだ。
最近になって、GameBoy Advance にも手を出している。
で、今回はセガサターン。
見事に、ゲームの歴史を遡って行っている。
メガドライブは持っているけど、ソフトがぷよぷよとバーチャレーシングしかない。
というのも、本体はサターン時代になってからの貰い物で、あまり遊んでないんだよね。
ファミコンは、本体だけ残っていてソフトがない。
先日結婚した甥っ子が小学生の時に、全部あげちゃったから。
(貸しただけだったような気がするのだけど、今更どうでもいいや)
今は品薄だけど、ファミコンクラシックミニが売っていたら買おうと思っている。
それで子供にも遊ばさせてやろう。
ちなみに、「それ以前」については、PS2 用のタイトーメモリーズとか、ナムコアーケードHITS! とかで遊んではいる。
PONG は遊んでいないけど、長男は SPACE WAR! はちょっとだけ遊んでいるし、迷路のネズミも動作を見てはいる。
なので、ファミコン~メガドライブ当たりのゲームを見れば、大体の歴史の流れは理解できるようになると思う。
#だからどうした、というわけではないのだけど。
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