2016年08月19日の日記です


ゴードン・ベル 誕生日(1934)  2016-08-19 17:50:25  コンピュータ 今日は何の日

今日は、ゴードン・ベルの誕生日(1934)。


PDP-11 の設計者にして、VAX の開発責任者。

そして、ハイ・パフォーマンス・コンピューティングを推進する「ゴードン・ベル賞」の提唱者です。


コンピューター業界を大きく変えた偉人。




PDP シリーズを開発した DEC 社は、もともと MIT の関係者が作った会社です。

MIT で開発された、TX-0 というコンピューターに将来性を感じ、量産するために設立された会社でした。


ゴードン・ベルも MIT の卒業生で、別の教授が設立した会社で働いていたのですが、引き抜かれて DEC の初期社員となりました。



当時は、コンピューターとは「専門のサービスマンしか触れない高価な機械」でした。

しかし PDP-1 は、購入したユーザーが自由に触ってよい機械でした。


ベルは、この PDP-1 の入出力システムを設計しています。


その後、PDP-1 の上位互換機である PDP-4 の設計を任され、PDP-5 にも参加、PDP-6 の設計も任されます。


しかし、これらの機械、ほとんど売れていません。

PDP-5 は初めての廉価機で、PDP-1 の 18bit とは互換性のない 12bit 、PDP-6 は DEC 初の大型コンピューターで、36bit でした。


その後も PDP シリーズは続くのですが、PDP-4 の後継機で初期の UNIX が作られた PDP-7 、PDP-5 の後継機で個人でも購入できるほど低価格となった PDP-8 あたりが有名です。




この後、ベルは DEC を辞め、カーネギー・メロン大学で計算機科学の講師となります。

そこで計算機のアーキテクチャなどを研究し、再び DEC に戻り、PDP-11 の開発を行います。


学術的な研究成果として作られた PDP-11 は、それまでのどんなコンピューターとも違っていました。

これまでのコンピューターは、技術的な都合で設計されていて、プログラマはその都合を察し、パズルのように最適なプログラムを組む能力が求められていました。


しかし、PDP-11 では「プログラマが使いやすい命令セット」が作られていたのです。

多数のレジスタ、直交性の高い命令、豊富なアドレッシングモード…


…これらの用語を説明すると長いので、知りたい人は PDP-11 を参考に設計された MC68000 の説明をお読みください。


ともかく、これはコンピューターのありようを変えてしまう大傑作でした。

この後は、PDP-11 のような設計が「良いもの」とされました。

先に書いた MC68000 だけでなく、PDP-11 を参考にしたコンピューターは数多くあります。



また、この後 UNIX は PDP-7 から PDP-11 に移植されます。

移植の際にはC言語が作成されるのですが、PDP-11 のアセンブラに「コンパイル」しやすいような言語設計を行ったため、C言語にはところどころに PDP-11 の影響が残る、とされています。




16bit の PDP-11 は、32bit に拡張されて、上位互換の VAX-11 となります。

この開発主任を務めたのもベルでした。


VAX-11 には、専用の OS として VMS が作られました。

しかし、PDP-11 用の UNIX もまた、VAX-11 に対応して普及しました。


VMS は非常に優れた OS だったのですが、VAX-11 「以外」でも使えた UNIX のほうが普及しました。



後に DEC は倒産し、部門ごとに解体され、別会社に吸収されます。

このときに、VMS を作成していた部門は Microsoft が吸収合併します。


ここで新たに作られたのが、VMS より一歩進んだ OS …アルファベットをそれぞれ一文字づつ進めて、コードネーム WNT でした。

後の Windows NT 、そして現在の Windows 10 のコア部分です。




ベルは DEC の副社長にまでなっていましたが、倒産前に退社しています。


その後マルチプロセッサシステムを作成する会社を設立し、このような並列コンピューター…「ハイ・パフォーマンス・コンピューティング」を推進すべく、ゴードン・ベル賞を設立します。


単に性能を競う、スーパーコンピューターのための賞ではありません。

「ハイパフォーマンス」の名前の示す通り、価格・性能比に優れたマシンや、それらを向上させる新アイディアなどに送られる賞となっています。


地球シミュレータや「京」、TUBAME2.0 など、日本の並列コンピューターもゴードン・ベル賞を受賞しています。


さらにその後、ベルはマイクロソフトの研究部門、マイクロソフト・リサーチの立ち上げから関わり、現在も名誉研究員となっています。




最後に、1992年10月に発売された雑誌に掲載された、ベルのインタビューから言葉を抜粋。


Twenty-five years from now...Computers will be exactly like telephones. They are probably going to be communicating all the time ... I would hope that by the year 2000 there is this big [networking] infrastructure, giving us arbitrary bandwidth on a pay-as-you-go basis.


意訳:

今から25年後、コンピューターは電話のようになります。

それらは皆、常時接続で通信をしています。


2000年ごろには大きなネットワークインフラが整備されて、誰でもお金を払えば使えるようになることを願っています。


これ、あまりに的確で驚きました。


1992 年だと、まだインターネットブームの前。研究者なら使っていたけどね。

インターネットがブームになったのは 1995 年ごろで、google が有名になるのが 1999年ごろ。


ADSL によって家庭向けの「常時接続」サービスが始まるのが、日本では 1999年ごろ。

光ファイバによる常時接続は 2001年。


1992年から「25年後」は来年 2017 年なのですが、すでに電話とコンピューターの区別は曖昧となっています。

それらは皆、常時接続で通信をしています。



でも、同じインタビューでのもう一つの言葉を紹介しておかないと、フェアではないでしょうね。


Somebody once said, 'He's never wrong about the future, but he does tend to be wrong about how long it takes.'


意訳:

誰かがこういったんだ。

「彼の未来展望は決して間違えていない。だけど、時期については結構間違うね」



先の予測、時期までぴったり合っている、というのは偶然かもしれません。




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