厳密にいうと 20年たっていないのだけど、時事ネタなので書いてしまいましょう。
石原裕次郎記念館、という施設があります。
昭和の大スター、石原裕次郎さんのゆかりの品などを展示する施設です。
ここが、来年の8月いっぱいで閉館することに決定したそうです。
彼が幼少期を過ごした北海道の小樽市にあるのですが、25年前のオープン当初は大人気でした。
開館時点で、すでに裕次郎さんが亡くなって4年たっていたのですが、まだ人気あったからね。
往年のファンだった年配者が、バスツアーで押し寄せる新名所でした。
オープンが25年前で、これから書く話は、たしか 1998年末のこと。
開館7年目くらいの話ですね。
当初のブームがひと段落点き、ちょっと客足に陰りが…というタイミングでしょうか。
セガに対して依頼がありました。
裕次郎記念館から依頼があったのか、それとも営業が提案したのかはわかりませんが。
裕次郎記念館を訪れる人の多くは年配者で、テレビゲームなどには全く興味がない世代。
しかし、プリクラを置いたところ大人気。
裕次郎や、彼が作った芸能事務所である石原プロモーションに所属する俳優たちと一緒に記念写真が撮れる、というものでした。
この世代は占いも結構好き。
じゃぁ、あらかじめ石原プロの人々の手相を入れて置き、「相性占い」ができる手相占いを置いたらウケるのではないか?
というのが依頼内容でした。
もうちょっと詳細に書くと、「手相占いちょっとみせて」には、二人で遊べる相性占いモードがあったのね。
同性でも友人としての相性を占えるし、異性なら恋愛運なども占える。
1人用モードはなくして相性占い専用にして、でも実際には一人用で、あらかじめ用意した俳優データとの相性を占う、という趣旨。
プリクラは画像を変えるだけだから安い開発費で特別版を用意できるのだけど、プログラムをここまで変えると結構人件費かかります。
コストまで考えて依頼してきたのかどうかは不明。
#もし、コストを判っていた依頼なら、占いゲーム機1台に数百万出す用意があったということです。
でも、当時の裕次郎記念館なら出せたかもね…
これね、僕が会社を辞める1~2か月前に話が来たのよ。
退職に向けて引継ぎなどもして、着々と準備をしている中での話。
その時の1研には、手相占いを作ったチームの人は、デザイナーや企画も含めてすべてやめていて、僕しか残っていませんでした。
#サウンドの人は残ってたな。でも、サウンドは基本的に2研所属だったから。
部長から慰留が入りました。
まずは、3か月くらい退職する日を伸ばすつもりはないか、という形で。
僕にその気がないとわかると、会社は辞めてもいいから、この仕事の発注を受けてくれないか、という形で。
#僕は独立して仕事をするつもりで、会社の設立準備もしていました。
しかし、発注するとしても今までの給料しか出せないと言います。
それじゃぁ、辞めないのと何も変わらないよ。
会社を辞めるのって、かなり勇気を振り絞って決めた決断でした。
ここでずるずると会社にいたら、独立する決心が鈍ってしまうかもしれない、という危機感を感じました。
そして、この仕事は、きっぱりと断りました。
部長は残念そうでしたが、それでおわり。この話自体無くなってしまったようです。
裕次郎ファンで、手相による相性占いなんてやってみたかった、という人、ごめんなさい。
後知恵でいえば、会社設立後しばらくは、自分で仕事を探すものの、いい仕事あまりなかったんだよね。
だから、外注の形で受けても悪くなかったかもしれない。
その一方で、このときに飛び出したから、その後 i-mode ブームの時にうまく時流に乗れていい思いをさせてもらった、というのもあります。
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