今日は珍しく平日に妻がお出かけで、子供も小学校へ行った。
コンビニで100円で買えるシュークリームを買ってきて、ひとりで食べる。
シュークリーム大好きです。
…で、ふと気になったので検索してみる。
シュークリームって、すっかり安いおやつの代表みたいになっている。
でも、昔はシュークリームって結構高価な「ケーキ」の一つだった。
その時代の転換点って、どこかに記録があるものかな。
探してみた限りでは、見つからない。
2000年以前のことって、インターネットでは急に探しにくくなるし、1995年以前になると絶望的だ。
年寄の昔話みたいになるけど、シュークリームの話を少し書いておこう。
もっとも、僕の記憶のみなので間違えているかもしれない。
ほんの30年とちょっと前の話だ。年がばれるが、僕が幼稚園児の頃はシュークリームはめったに食べられるものではなかった。
ケーキ屋さんに行けば売っているけど、他のケーキよりちょっと高め。
そもそも、物価的にケーキだって今より高価なもので、特別な日じゃないと食べられなかった。
それでも、年長の兄などの話では、ケーキはずいぶんと「おいしい食べ物」になったころだったらしい。
さらに 10年も前になると、生クリームでデコレーションされたケーキなんてなかったそうだ。
そのころは、生クリームは高級品だったし、何よりも冷蔵技術が進んでおらず、腐りやすかった。
そのため、ケーキと言えばバタークリームでデコレーションするのが普通。
バタークリームっていうのは、バターに砂糖を混ぜて、空気を含ませるようによく練ったものね。
今は珍しいから、逆に新しい感じになって時々バタークリームのケーキを出すお店も見かける。
でも、なにぶんバターなので脂っこくて、それほど美味しくなかったのだとか。
いきなり話が脱線気味だけど、シュークリームに戻ろう。
当時はシュークリームはケーキ屋さんでも高価だった半面、「家で作るなら」ケーキよりも気軽なものだった。
デコレーション技術がいらないからね。
カスタードクリームは結構簡単に作れるものだし、オーブンがあればシュー皮だって焼ける。
そして、この頃は家庭にオーブンが普及し始めた時期で、手作りパンやケーキを焼くのが「素敵な女性」としてのステータスだった。
僕自身はお菓子作りは好きだけど、シューは焼いたことが無い。
家でケーキを作るよりは簡単とはいえ、その過程がかなり面倒なことを知っているから。
そして、今はシュークリームは安いお菓子なので、その面倒をするよりも買ってきてしまう。
シュー皮の生地は、牛乳とバター、薄力粉と卵でできている。いたってシンプル。
パンやクッキーに比べて非常に柔らかい。水分が多いのだ。
だから、オーブンで焼くとまず表面が焼き固まり、中で水分が蒸発しても逃げ場がないので膨れる。
問題は、水蒸気で膨れているので、冷やすとしぼんでしまうことだ。
焼き上がった後、オーブンの中に入れたまま放置する。すると、形を保ったまま、まだ熱い庫内で乾燥していく。
さらに、徐々に温度が下がり、バターが液体から固体になる。
ここまで行けば、固くなるのでしぼむことは無くなる。
ここにシュークリームが高価だった理由がある。
焼いた後、オーブンを占有したまま冷めるまで待たないといけない。
普通のケーキなら、まだ残った熱を利用して次のケーキを焼けるので、大量生産に向いている。
しかし、シュークリームはオーブンの占有時間も長いし、大量生産に向かない。
ケーキ屋さんも、その日の仕込みの最後に作って、できた分を売り切ったら終わり、とかにした。
量も少ないので少し値段を高めに設定しないといけない。
専門店って、もともと大量生産するから安くできるんだ。
なのに大量生産がしにくい。さらに、デコレーションなどの難しい職人技を使わない。
だから、家で作るケーキとして、人気のあるものの一つだった。
#デコレーションいらずとはいえ、簡単に作れるので「スワンの形のシュークリーム」が定番だったように思う。
さて、これが「30年とちょっと前」の話と書いたけど、1985年に革命が起きる。
銀座コージーコーナーが、シュークリームの大量生産を可能とする技術を作ったんだ。
非常に巨大なオーブンを使って、その中をベルトコンベアでシュー生地を動かしながら焼き上げる。
オーブンの中は徐々に温度が変わるようになっていて、最終的には「余熱で冷ます」ような温度を通って外に出てくる。
先に書いたように、シュークリームはデコレーションなどの職人技がいらない。
完全に機械化することで、100円の「ジャンボシュークリーム」が誕生した。
高級なお菓子だったシュークリームが、100円という低価格で、しかも普通よりも大きめ。
これが大ヒットした。シュークリームを買うために、わざわざ長蛇の列に並ぶ人が続出した。
コージーコーナーは今でこそ日本全国に支店があるけど、そのころは首都圏にいくつかの店舗があるだけだった。
店舗が急激に増えたのは、シュークリームが大ヒットしてからだ。
大量生産できないと思われているものでも、工夫次第で大量生産すれば安くなる、というビジネスモデルが確立した。
ケーキを大量生産し、卸す工場ができたようで、街に「100円ケーキ」を売る店が急増した。
たしか、この頃のヒット商品番付だったか、流行語大賞だったかで「100円ケーキ」が入っていたように思う。
これ以前は、ケーキっていうのは特別な時にしか食べれないものだった。
でも、この頃普及し始めたコンビニエンスストアでもケーキが買えるようになり、気軽なおやつになっていった。
シュークリームが売れた、と言うだけではなくて、他社も真似して派生商品を開発し、流行語になり、人々の生活スタイルまで変えた。
銀座コージーコーナーの公式ページには、ジャンボシュークリームを「空前の大ヒット商品」と書いている。
まさにこの言葉は似つかわしい。
今回、この話を探していたら、Yahoo!知恵袋に「空前の」という表現は大げさではないか、という意図の質問があった。
もう10年も前の質問だけど。
当時の標準サイズより「ジャンボ」であることが人気だったのではないか、という的外れな意見がベストアンサーだった。
話が矮小化されすぎている。
この手のサイトに何も期待してないことは以前書いた通りなのだけど、他に正しい見解が見られないのは、このことを書き留めようとする、強い動機となった。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 ヒロタのシュークリーム、ありましたね。CM覚えてます。ただ、食べた記憶はない…関東でも売っていたようですが、関西の会社だったのですね。 ここに書いた内容は、僕の記憶のみなので不正確です。 ヒロタが先に量産技術は作っていたが、コージーコーナーが爆発的に売れるきっかけを作った…という感じでしょうか。 (2016-05-06 17:45:02) 【隆三】 時期が抜けておりましたので補足します。当時とは80年頃です。失礼しました。 (2016-05-05 03:21:38) 【隆三】 シュークリームは生菓子なので、地域によっても差がありそうですね…私は41歳で関西在住ですが、シュークリームは庶民的な価格のものもありました。近所の生協内にヒロタのシュークリームの自動販売機があり、親によく買ってもらっていました。当時は直径5cm程度のシュークリームが4個入りで2百円ほどだったと思います。この記事を見て、ヒロタのウェブサイトを検索し、沿革を見てみましたが、私が生まれ育った地域で事業展開されてきたのが分かり、面白かったです。 (2016-05-05 03:16:51) |