2016年03月09日の日記です


クララ・ロックモア 誕生日(1911)  2016-03-09 10:26:48  コンピュータ 歯車 今日は何の日

今日は、クララ・ロックモアの誕生日(1911)


この人は知っていたのに、そう言えば誕生日を調べていませんでした。

今朝、Google Doodle になっていて知った。


電子楽器の始祖とされる「テルミン」の最高の演奏者であり、その楽器の作成者であるテルミン博士の一番の理解者でした。


テルミンについても、その最高の奏者であるクララさんについても、テルミン博士の誕生日に詳しく紹介しています。


詳細はそちらをお読みください。




テルミンって、古臭い、奇妙な楽器…ではないですよ。


テルミンの原理を元に、モーグ博士が世界最初のシンセサイザーを作っています。


その後類似のシンセサイザーを作るメーカーがたくさん現れるけど、ヤマハはデジタル化した。

FM音源ですね。その音源を搭載したキーボード、DX-7は今でも名機と呼ばれます。


で、同じくヤマハが開発した、歌うシンセサイザー技術「ボーカロイド」を商品化する際に、DX-7 を擬人化したイメージのイラストが使われた。

これが初音ミクです。


ほら、ちゃんと現代に繋がった。


#お、当時のクララ = 現代のミク という妙な図式が思い浮かんだ。

 僕のイメージするクララはおばあちゃんなのだけど、若いころはきれいな人だったそうです。




楽器としてのテルミンや、テルミン博士についてはいろいろと知られているのですが、クララさんの生涯についてはあまり情報がありません。


まぁ、Wikipedia とか見れば少しは情報はあるのだけど、本当に少し。


以下、細かな情報と、僕の記憶(怪しいもんだけど)をつなぎ合わせて、クララさん視点で追ってみます。




テルミン博士はロシア生まれ。

電気工学の博士で、テレビなどの開発も行っています。


人が近寄ったことを感知する「近接センサー」の開発中に、これで音楽を奏でられることに気が付きました。


その後、ヨーロッパへの演奏旅行を経て、アメリカへ。




アメリカで研究所を設立し、電子楽器の研究を続けます。


ここで、クララ・ライゼンバーグと知り合う。

ライゼンバーグは、クララの旧姓ね。



クララは子供の頃にバイオリンを習っていましたが、病気がもとで断念しています。

でも、優れた音感の持ち主でした。


テルミンは演奏が難しい楽器ですが、自由な周波数…音階ではなく、自由な音が出せるという点でバイオリンに近いです。


実際、多くの人がテルミンをバイオリンのように扱います。

しかし、クララはテルミンの演奏法を独自に研究し、テルミン博士に改良を要請し、テルミンでないとできない素晴らしい演奏を行うまでになります。




テルミン博士は、彼女に何度かプロポーズしたそうです。

でも、クララは博士とは結婚していません。


だって、博士はすでに結婚していたのですよ!

ソ連で結婚して、家族一緒にアメリカに来ているのです。



しかも、どうも博士は女癖が悪かったらしい。


電子音楽に興味を持ち、博士にコンタクトを取ったバレエ団がありました。

このバレエ団のプリマドンナ(看板バレリーナ)と恋仲になり、妻と別れて再婚しています。


アメリカにもソ連人を中心としたコミュニティがあり、博士はそのメンバーでもありました。

そして、プリマドンナとの結婚に周囲は反対していて、結婚後はコミュニティから半ば離脱した状態に。



クララは、法律家のロバート・ロックモアと結婚。

クララ・ロックモアを名乗り始めたのはこの後です。



そして、テルミン博士はある日急に姿を消します。

皆にお別れを言うでもなく、本当に音信不通。


そのまま 50年の時が立ちます。




テルミン博士は、ソ連の秘密組織 KGB に拉致され、ソ連に強制送還されていました。


…となっているのですが、博士が借金で苦しんでおり、自分から送還を望んだのだという話も。


ここら辺、はっきりしないです。多分どちらも本当なのだろうね。

KGB は、優れた工学博士であるテルミン博士を連れ戻したかったし、テルミン博士は戻っても良い頃合いと感じていた、ってところなのでしょう。



今の若い人にはわからないかもしれないけど、当時のソ連は恐ろしい国でした。


技術力は高かったのよ。民間主導のアメリカと違って、何かをやるときは国が一丸となって達成する。

だから、当初の技術力は非常に高いのです。


当時のソ連は、すべてを国が主導する。民間主導のものなんて、基本的にない。

この結果、企業間競争もないので、だんだん技術力が落ちて行ってアメリカに抜かれるわけだけど。


そして、「国のため」という大義名分のためには、平気で人を拉致するし、歯向かう人は抹殺されるし、それでいて外には全然情報が出てこない。



だから、テルミン博士がどこに消えたのか、誰もわかりません。

ソ連に帰ったのかどうかすらわからない。もしかしたら、ニューヨークの路地裏でたまたまチンピラに絡まれて殺されてしまった、というだけかもしれない。




たしか、映画「テルミン」を撮った監督は、クララの親戚だったか、親戚の友達だったか、ともかくクララとたまたま接点のあった人なのだそうです。


すでに「テルミン」という楽器も忘れされれていたけど、クララの演奏を見る機会に恵まれた。

そして、すでに演奏者はほかになく、演奏すること自体が難しく、年老いたクララだけがこの楽器を守り続けているのだ、と知ります。


そして、このスゴイ事実に巡り合えた幸運を喜び、映画作品としてクララさんの演奏を残したい、と考えます。



記録映画とするために、古い写真と当時を知る人も証言をもとに、テルミンの歴史などを再構成。

もちろん、最高の演奏者であるクララさんの演奏も途中に挟まれます。


そして、当時ペレストロイカ(情報公開政策)を進めていたソ連から、テルミン博士を探し出し、クララさんと再会を果たします。


「テルミンのことを記録したい」という動機で気軽に作られ始めた映画が、50年間音信不通だった博士を探し出し、再会を果たすという、作る側も予想しなかった結末へと進んだのです。




この映画が公開される前に、テルミン博士は亡くなります。

そして、5年後にはクララさんも亡くなります。


日本で映画が公開されたのは、アメリカでの公開から8年後。

お二人とも亡くなった後でした。


しかし、亡くなる前に再開を果たせてよかった。

心からそう思います。



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