今日は、クララ・ロックモアの誕生日(1911)
この人は知っていたのに、そう言えば誕生日を調べていませんでした。
今朝、Google Doodle になっていて知った。
電子楽器の始祖とされる「テルミン」の最高の演奏者であり、その楽器の作成者であるテルミン博士の一番の理解者でした。
テルミンについても、その最高の奏者であるクララさんについても、テルミン博士の誕生日に詳しく紹介しています。
詳細はそちらをお読みください。
テルミンって、古臭い、奇妙な楽器…ではないですよ。
テルミンの原理を元に、モーグ博士が世界最初のシンセサイザーを作っています。
その後類似のシンセサイザーを作るメーカーがたくさん現れるけど、ヤマハはデジタル化した。
FM音源ですね。その音源を搭載したキーボード、DX-7は今でも名機と呼ばれます。
で、同じくヤマハが開発した、歌うシンセサイザー技術「ボーカロイド」を商品化する際に、DX-7 を擬人化したイメージのイラストが使われた。
これが初音ミクです。
ほら、ちゃんと現代に繋がった。
#お、当時のクララ = 現代のミク という妙な図式が思い浮かんだ。
僕のイメージするクララはおばあちゃんなのだけど、若いころはきれいな人だったそうです。
楽器としてのテルミンや、テルミン博士についてはいろいろと知られているのですが、クララさんの生涯についてはあまり情報がありません。
まぁ、Wikipedia とか見れば少しは情報はあるのだけど、本当に少し。
以下、細かな情報と、僕の記憶(怪しいもんだけど)をつなぎ合わせて、クララさん視点で追ってみます。
テルミン博士はロシア生まれ。
電気工学の博士で、テレビなどの開発も行っています。
人が近寄ったことを感知する「近接センサー」の開発中に、これで音楽を奏でられることに気が付きました。
その後、ヨーロッパへの演奏旅行を経て、アメリカへ。
アメリカで研究所を設立し、電子楽器の研究を続けます。
ここで、クララ・ライゼンバーグと知り合う。
ライゼンバーグは、クララの旧姓ね。
クララは子供の頃にバイオリンを習っていましたが、病気がもとで断念しています。
でも、優れた音感の持ち主でした。
テルミンは演奏が難しい楽器ですが、自由な周波数…音階ではなく、自由な音が出せるという点でバイオリンに近いです。
実際、多くの人がテルミンをバイオリンのように扱います。
しかし、クララはテルミンの演奏法を独自に研究し、テルミン博士に改良を要請し、テルミンでないとできない素晴らしい演奏を行うまでになります。
テルミン博士は、彼女に何度かプロポーズしたそうです。
でも、クララは博士とは結婚していません。
だって、博士はすでに結婚していたのですよ!
ソ連で結婚して、家族一緒にアメリカに来ているのです。
しかも、どうも博士は女癖が悪かったらしい。
電子音楽に興味を持ち、博士にコンタクトを取ったバレエ団がありました。
このバレエ団のプリマドンナ(看板バレリーナ)と恋仲になり、妻と別れて再婚しています。
アメリカにもソ連人を中心としたコミュニティがあり、博士はそのメンバーでもありました。
そして、プリマドンナとの結婚に周囲は反対していて、結婚後はコミュニティから半ば離脱した状態に。
クララは、法律家のロバート・ロックモアと結婚。
クララ・ロックモアを名乗り始めたのはこの後です。
そして、テルミン博士はある日急に姿を消します。
皆にお別れを言うでもなく、本当に音信不通。
そのまま 50年の時が立ちます。
テルミン博士は、ソ連の秘密組織 KGB に拉致され、ソ連に強制送還されていました。
…となっているのですが、博士が借金で苦しんでおり、自分から送還を望んだのだという話も。
ここら辺、はっきりしないです。多分どちらも本当なのだろうね。
KGB は、優れた工学博士であるテルミン博士を連れ戻したかったし、テルミン博士は戻っても良い頃合いと感じていた、ってところなのでしょう。
今の若い人にはわからないかもしれないけど、当時のソ連は恐ろしい国でした。
技術力は高かったのよ。民間主導のアメリカと違って、何かをやるときは国が一丸となって達成する。
だから、当初の技術力は非常に高いのです。
当時のソ連は、すべてを国が主導する。民間主導のものなんて、基本的にない。
この結果、企業間競争もないので、だんだん技術力が落ちて行ってアメリカに抜かれるわけだけど。
そして、「国のため」という大義名分のためには、平気で人を拉致するし、歯向かう人は抹殺されるし、それでいて外には全然情報が出てこない。
だから、テルミン博士がどこに消えたのか、誰もわかりません。
ソ連に帰ったのかどうかすらわからない。もしかしたら、ニューヨークの路地裏でたまたまチンピラに絡まれて殺されてしまった、というだけかもしれない。
たしか、映画「テルミン」を撮った監督は、クララの親戚だったか、親戚の友達だったか、ともかくクララとたまたま接点のあった人なのだそうです。
すでに「テルミン」という楽器も忘れされれていたけど、クララの演奏を見る機会に恵まれた。
そして、すでに演奏者はほかになく、演奏すること自体が難しく、年老いたクララだけがこの楽器を守り続けているのだ、と知ります。
そして、このスゴイ事実に巡り合えた幸運を喜び、映画作品としてクララさんの演奏を残したい、と考えます。
記録映画とするために、古い写真と当時を知る人も証言をもとに、テルミンの歴史などを再構成。
もちろん、最高の演奏者であるクララさんの演奏も途中に挟まれます。
そして、当時ペレストロイカ(情報公開政策)を進めていたソ連から、テルミン博士を探し出し、クララさんと再会を果たします。
「テルミンのことを記録したい」という動機で気軽に作られ始めた映画が、50年間音信不通だった博士を探し出し、再会を果たすという、作る側も予想しなかった結末へと進んだのです。
この映画が公開される前に、テルミン博士は亡くなります。
そして、5年後にはクララさんも亡くなります。
日本で映画が公開されたのは、アメリカでの公開から8年後。
お二人とも亡くなった後でした。
しかし、亡くなる前に再開を果たせてよかった。
心からそう思います。
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