今日は、ハーマン・ホレリスの命日(1929)
あえておかしな説明をすると、コンピューターの画面の横サイズが 640ドットを基本としている…SXGA 解像度だとこの2倍の 1280ドット、フル HD 解像度だと3倍の 1920ドットとなっているのは、ホレリスの影響です。
アメリカでは、10年に一度、西暦の末尾が「0」の年に国勢調査が行われます。
19世紀中ごろ、アメリカには次々と移民が押し寄せ、10年で 1.3倍程度のペースで人口が増えています。
それに伴い、集計にも時間がかかるようになっていきました。
1880年の国勢調査の結果が出たのは、1889年でした。
1880年の国勢調査の集計に手間取っている間に、次の…1890年の国勢調査は10年以内に集計が終わらないだろう、という予測がたっていました。
それでは、何のための国勢調査だかわかりません。
1888年、国勢調査局は、国勢調査の統計作業を効率化するための発明コンテストを開きます。
ホレリスは、1879年にコロンビア大学を卒業しています。
その後、国勢調査局でしばらく助手として働き、この大変な集計作業を知ることになります。
1882年、ホレリスは MIT で教員の職を得ます。
そして、その間にパンチカードを使ってデータの集計を行う機械を試作します。
当時、パンチカードはよく使われた技術であったことに注意してください。
パンチカード自体は彼の発明ではありません。
パンチカードで音楽演奏を行うオルガニートは、1860年には発明されているそうです。
音楽用のパンチカードは、1848年ごろに発明されているそうですし、1725年にはパンチカードによって模様を作り出す織機が発明されています。
(とくに有名なジャカード織機は 1801年発明)
ホレリス自身、電車の車掌が切符に穴をあけているのを見て、パンチカード集計機を着想したと言っています。
車掌が切符に穴を開けるのは、日本でも 1980年代中頃までは、普通に見られた風景でした。
#行き先を変えたくなった際、車内で車掌から切符を買うことができた。
その切符は路線図の書かれた大判のもので、出発駅と目的地に穴を開けて使用した。
1884年にはこの機械で特許を得て、再び国勢調査局に戻ります。
そして、1888年に先に書いた発明コンテストが行われ、ホレリスの機械が選ばれます。
1890年の国勢調査で、早速ホレリスの機械が使われました。
ホレリスの機械により、2年で集計が終わる、と見積もられました。
実際には予定より早く、1年半で集計作業が終わっています。
しかも、この集計作業は2回行われ、誤りがないことの確認まで終わっていたのでした。
1896年、ホレリスは「タビュレーティングマシン」社を興します。
タビュレーティングマシンというのは、「集計機」の意味ね。タビュレートには、作表、という意味があります。
先に作った機械は、国勢調査専用のものでした。
しかし、ホレリスはこれを改良し、配線板を組み替えることで自由な集計が行えるようにしました(1906)。
「プログラム可能な計算機」としたのです。
当初、販売ターゲットとしては世界の国勢調査局を考えていたようですが、同じように膨大なデータ処理を必要とした保険会社などにも販売が広がります。
1911年には、類似の機械を作り始めた別の4社と合併し、会社規模を大きくします。
1920年には、集計結果を自動的に印刷できる機械を開発。
そして、1924年には社名を変更し「インターナショナル・ビジネス・マシーン」…頭文字をとってIBMとしています。
最初の国勢調査で使われたパンチカードは、24の項目について、12の選択肢から選べるように作ってありました。
1928年、項目を 80まで対応したパンチカードが作られます。
選択肢は 12まででしたが、このうち 10個を使って数字を選ぶことで、連続した項目を使って「00から99まで」のような選択も可能としました。
このパンチカードはコンピューター時代になっても入力装置として使われ、12の穴あけ位置に複数同時に穴を開けることで、文字を表現することも可能となります。
FORTRAN は、このパンチカードを使ってプログラムをするように想定しています。
そのため、1行は 80文字でした。
その後、コンピューターに CRT が接続されるようになると、パンチカードと同様の情報が表現できるように、横に 80桁表示できる、というのが普通になります。
80桁の文字を、横 8ドットのフォントで表現するのであれば、横は 640ドットとなります。
また、この倍数であればフォントを工夫することで 80桁の表示が可能です。
このことから、今でも横方向のドット数は 80の倍数であることが多いです。
ホレリスは、1929年の今日、心臓発作で亡くなっています。
彼自身は、コンピューターの登場以前に生きた人であり、コンピューターとは無関係です。
しかし、コンピューターの発展に大きな影響を与えた人物だと思います。
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