今日はグレゴリオ暦が制定された日。
ただし、イタリアでの話ね。
グレゴリオ暦を定めたのは、ローマ教皇グレゴリウス13世。
ローマ教皇だから、その勢力範囲はイタリア・スペインあたりなのだ。
ともかく、1582年の10月15日に、グレゴリオ暦は定められた。
ちなみに、この「10月15日」は、グレゴリオ暦によるもの。
その後はずっとグレゴリオ暦なので、今の 10月 15日と同じ意味だ。
じゃぁ、その前は10月15日は10月15日ではなかったのか、という話になる。
そう、違った。前日はグレゴリオ暦ではなく、ユリウス暦となっていて、10月4日だった。
つまり、グレゴリオ暦の1582年10月15日は、ユリウス暦の1582年10月5日だった。
…そろそろ混乱してきましたね?
ユリウス暦は、紀元前から使われていたカレンダーの計算方法だ。
厳密にいえば、紀元前 45年の1月1日から始まっている。
ただし、この「1月1日」というのは、現代的な表現だ。
当時は月に名前をつけ、その名前で表現した。今でもその名前で呼ぶほうが多いけど、ともかく当時は「1月」とは言わない。
古代の天文技術というのは結構優れていて、1年が365日と1/4くらい、と理解していた。
そこで、1年は365日、ただし4年ごとに閏日を挟むことになった。
暦は春、3月から始まる。
3月は、31日まで。4月は30日まで。
以降、奇数月は31日、偶数月は30日とすると、12か月で 366日となる。
これだと、普段は1日多くなってしまう。
そこで、閏年以外は、最後の月である2月を1日減らして対応した。2月は 29日までだ。
ところで、「月の名前」は、最初のほうは神様の名前が入っている。でも、最後のほうは「8番目の月」とか、即物的になってくる。
ところが、ユリウス暦を定めた皇帝ユリウスは、自分の誕生日である7月に、自分の名前 Julius をつけて、July としてしまった。
以降の月は1つずれる。
次の皇帝アウグストゥスも、ユリウスにならって、続く8月に自分の名前を付け、August とした。
以降の月はさらに1つずれる。
さらに、8月を 31日にしてしまった。偶数月は 30日、という原則が、これ以降崩れてしまう。
この影響で、2月は28日までになってしまった。
そして、オクトーバー(8の月)、ノベンバー(9の月)、ディセンバー(10の月)は、それぞれ2つずれて、10月、11月、12月になった。
プログラマなしっていると思うけど、Oct は8進数、Dec は10進数ね。
オクトパスが蛸、というほうが、Oct が8、と納得してもらえる例かな。
ところで、さらに次の皇帝ティベリウスに、側近が「9月に名前を付けては」と進言したらしい。
でも、ティベリウスは「暦は皆が使うものだから、皇帝といえども自分の名前を付けて混乱させて良いものではない」と一喝したという。
かっこいいぜ、ティベリウス。
…と、上の説を中学の頃からずっと信じていたのだけど、これはどうも13世紀の学者が唱えた説にすぎず、最近の研究では違うようだ、となっているらしい。
たった今知りました。間違っているかもしれないとなっても、面白いから書いたけど。
先に書いたように、3月から暦が始まるとすれば、オクトーバーは正しく「8番目の月」だ。
だから、名前を付けて後ろにずれた、ということ自体違うらしい。
30日と31日を交互にしていたのに…というのも、ユリウス暦以前の太陰暦で大の月と小の月がぐちゃぐちゃで、それをそのまま受け継いだものらしい。
アウグストゥスが自分勝手な間抜けではなかった、ということだ。
それはさておき、ユリウスとアウグストゥスによって完成した「ユリウス暦」は、1年が 365.25日だった。
実際の地球の動きは、1年が 365.2422 日なので、そのままだとユリウス暦は少しづつ早くなっていってしまう。
大体、1年で675秒ずれる。1日は 86400秒なので、128年たつと1日分ずれる。
紀元 325年に、春分の日を3月21日とする、と決められた。
しかし、やっぱり少しづつずれていく。
このずれが、1500年代の後半では、325年と比較して、およそ 10日分ずれていた。
(1582-325 = 1255 。128年で1日、と考えると、およそ10日ずれる計算で合っている)
そこで、グレゴリウスが、暦の計算方法を改めた。
128年で1日早まるのだから、100年に一度は「閏日をなくす」ことにした。
これだと、まだ28年分の端数が出る。そこで、400年に一度「やっぱ閏日を入れる」ことにした。
まだ400年で12年分の端数が出ているが、そこまでは考慮しない。
これが 128年分たまったら1日ずれてしまうわけだが、4000年程度はかかる計算になる。
実用上は考えなくてよいだろう。
そして、グレゴリウスは、この暦の計算方法を使うことにするのと同時に、ずれた10日分を無理やり修正した。
そのため、1582年の 10月4日の翌日は、10月15日となったのだ。
グレゴリウス暦は、なかなかほかの国が採用するのに時間がかかった。
1752年9月14日には、イギリスが導入している。
このころのイギリスは帝国であり、アメリカを含む植民地も一斉に変わった。
このため、1752年9月をグレゴリオ暦の導入日、とする人も多い。
UNIX の cal コマンドなんか、1752年9月を表示するとちゃんと「2日の翌日が14日」の表示をしてくれる。
日本では1873年に導入している。
それ以前は、ユリウス暦ではなく太陰暦を使用しているため、12日ずれる、なんて生易しいものではない。
12月2日の翌日が、1月1日になってしまった。
しかも、十分な周知がなされないまま、無理やり導入してしまった。
実は、政府は1872年度の予算が足りなくなっていて、公務員の給与が払えない状態だった。
そこで、12月を1か月分なくすことで、早く来年度予算を決めて解決しようとしたらしい。
話はポンポン飛ぶが、「ツェラーの公式」というものがある。
グレゴリオ暦であることを前提に、年月日を元に曜日を知るための公式。
W = y + [y/4]+[h/4] - 2h + [ 13*(m+1)/5 ] + d
年は、上2桁と下2桁に分けて考える。上が h 、下が y だ。
m は月で、d が日。
ただし、年は3月に始まるものとする。1月と2月は、前年の 13、14月として処理する。
出てきた W を、 7で割った余りが曜日になる。
式の意味を解析するのは楽しいのだけど、長くなるので今はやめておく。
僕はプログラマーで、占いなんかも作ったことがあるのだけど、上の式を理解しているといろいろ応用が利く。
7で割るのではなく、6で割れば六曜に対応できる。
12で割れば十二支に、10で割れば十干に、組み合わせれば干支に対応できる。
他にも、日付によって「繰り返し」で計算する占いって、結構多い。
まぁ、占いを作るような時しか使わないので、すぐ忘れてしまう式でもあるのだけど、忘れても調べればすぐわかる。
存在を知っている、ということが大切。
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