今日は、ショーン・ヘイリー、キム・ヘイリーの誕生日(1949)
双子で、HSPICE の開発者。…という説明で、わかる人はわかってくれるはず。
でも、多くの人はわからない。僕もわかってない(笑)
ちなみに、AMDで世界初の、セカンドソースではない「互換マイクロプロセッサ」を設計した人達でもあります。
とはいえ、あまりなじみのない人です。僕も今調べていて、すごい人だと知りました。
シノプシス、という会社があります。
僕はプログラマーなので、回路設計にはあまり詳しくないのですが、半導体の設計などの支援ツールを製作・販売している会社です。
半導体の設計支援ツールは、大手3社の寡占状態にある業界で、その最大手。
HSPICE はその会社が扱う製品の一つ。
半導体回路の構造を特別なプログラムの形で入力すると、回路のアナログ動作をシミュレーションできます。
…これ、すごいことですよ。
デジタル回路って、クロックに合わせて状態が変わっていくから、全体としてシミュレーションすることもそれほど難しくない。
でも、アナログだと、各所の電圧が複雑に絡み合いながら変化していきます。
時間に従って電圧などが刻々と変化するというのは、数学的に見れば微分・積分です。
でも、コンピューターはこれを「微小時間に区切って」扱うことしかできない。微分積分ではなく、差分・積算しかできないのです。
#連続・非連続か、の違いです。このわずかな違いが、大きな計算誤差を生む。
…昔、回路設計できる人に聞いたら、こういうプログラムはやっぱ完全なシミュレーションは無理なのだそうです。
でも、実際の回路を作る前にある程度シミュレーションできる、というだけでも設計効率が非常によくなる。
HSPICEでは、様々なテクニックで、実際の回路とのずれがあまりないように、シミュレーションする。
それも、正確性を求めすぎて遅くては使い物にならない。速度と精度の両立を行っています。
このため、回路シミュレーションの定番ソフトとなっているようです。
HSPICE は、 SPICE の実装の一つです。
先に書いた通り、特別なプログラムの形で回路図を記述し、動作をシミュレーションできます。
SPICE はカリフォルニア大学バークレイ校 …BSD UNIX が作られた大学… で1973年に開発されたもので、フリーウェアとして公開されました。
当初は FORTRAN で書かれていましたがバージョンアップの過程でC言語に書き直され、様々な派生バージョンを生み出します。
今でもオープンソースで無料で入手可能なものもあります。
HSPICE は、その中の一つ。
無料で使えるオープンソース版もあるのに、なぜわざわざ商用の高価なものを使うのかといえば、やっぱりシミュレーションの出来が良いから。
ショーンとキムは、テキサス州で双子として生まれました。
仲が良く、一緒にボーイスカウト活動を楽しみ、一緒にテキサス工科大学に入学しています。
卒業後はこれも二人そろって軍需企業であるマーチン・マリエッタに入社し、弾道弾迎撃ミサイル(スプリント 1972年完成)の発射システムを設計しています。
スプリントは、飛んでくるミサイルを狙って撃ち落とす、というとんでもないミサイル。
湾岸戦争で「パトリオット」が使われて有名になりましたが、最初に迎撃ミサイルを完成させたものです。
迎撃ミサイルにヒントを得た、「ミサイルコマンド」というゲームもありました。
また、「迎撃」が成功したことで、後にSDI構想が持ち上がります。(こちらもゲームになった)
話を二人に戻しましょう。
マーチン・マリエッタでは、ミサイルに搭載するために 16bit CPU を開発していました。
…詳細はわかりませんが、いわゆる「マイクロプロセッサ」ではなく、4bit 演算の LSI を複数組み合わせ、16bit 演算できるようにしたものだったようです。
軍事用なので、非常に広い温度範囲で動くように工夫していましたし、信頼性を上げるために欠陥の少ない回路製造技術も開発していました。
しかし、マーチン・マリエッタでは、スプリントの開発が終わった後に、これらの技術を「転用」して何かを作ろうとはしませんでした。
それどころか「知的所有権」の主張さえしなかったのです。
1972年、インテルが 8008 を発売します。
マーチンマリエッタが作っていた 16bit CPU と比べて、わずか4分の1の速度しかでません。
2人は、これを好機だと捉えました。
8008 互換でもっと速度の速い CPU を作らないか、とゼロックスに持ち込みます。
…しかし、ゼロックスは興味を示しませんでした。
その後、いくつかの会社を周り、最終的にAMDが興味を持ちます。
そこで、彼はAMDに入社し、1973年には同社の最初の CPU を開発しています。
すでに 8080 が発売されていました。AMD が発売したのは、その互換品 Am9080 。
さらに、AMDで最初の「不揮発性メモリ」である Am2072 も設計しています。2048bit の EPROM でした。
#AMDの互換品に対し、インテルはこの後訴訟を起こしています。
しかし、ヘイリー兄弟はインテルの回路は全く参考にしておらず、「動作」だけを解析し、同じ動作になるように作っていました。
その後も、AMDはインテル互換 CPU を作り続け、現在はAMDが作った AMD64 の「互換品」をインテルが作る状況になっています。
1976年ごろ、電子回路の業界はどんどん発展していきました。
回路規模は大きくなり、試行錯誤で作る従来のやり方では、とても間に合わなくなっていきます。
彼らは、バークレイ校で作られた「SPICE」を見つけ出し、使用してみます。
…しかし、精度も悪く、速度も遅く、バグも多く、実際の開発に使うにはいろいろと問題がありました。
ちょうどそのころ、コンピューターの時間貸し会社がCRAY-1(1976)を導入したことを知ります。
しかし、まだ CRAY-1 用のプログラムは少なく、誰も使っていませんでした。
2人は、これを好機だと捉えました。
SPICE のソースコードを元に、CRAY-1 の「ベクター演算」機能を使って高速化します。
バグも取り、シミュレーション結果の精度を上げました。
こうして作られた HSPICE は、従来のものより6~10倍も高速でした。
そのうえ、バグも無くなっており、「使い物になる」ツールとなっていたのです!
1978年、二人で新たな会社「メタソフトウェア」を興します。
(当初は「ヘイリーカンパニー」という名前だったそうですが)
HSPICE を販売する会社でした。
といっても、当時はコンピューターの時間貸しが普通なので、CRAY-1 上で HSPICE を使う時間を売る、ということですが、
その後、18年間毎年 25~30% の成長率で会社が大きくなったそうです。
こんな高成長を、それほど長い期間続けられるのは、すごいこと。
1995年、メタソフトウェアは、十分な「成功企業」でした。
2人は、3つの銀行に、会社の評定額を出してほしいと依頼します。
その額は…二人が「衝撃的だった」という高価なものでした。
これで、二人は会社の売却を考え始めます。
売却先は、同業ライバル社のアバンティ。
アバンティは、さらに後にシノプシスに合併します。
そんなわけで、現在 HSPICE はシノプシスの製品になっています。
そして、彼らは莫大な資産を入手しました!
ショーン(Shawn)は、その後性転換手術を受け、女性になっています。
女性としての名前は、アショーナ (Ashawna)。
性転換、というのは微妙な話題なようで、いつ手術を受けたのか、調べてもよくわかりません。
彼らが会社売却直後の1997年末にインタビューを受けた際にはまだ男性で、二人とも結婚して配偶者もいます。
アショーナは、資産を元に、政治活動を開始します。
麻薬問題、食糧問題、女性の地位向上、人種問題、熱帯雨林の保護…
彼女が資金援助した団体を見たところだと、ここら辺の問題に興味があったようです。
彼女は、2011年 10月 14日に亡くなっています。
その後、遺言に従い、1千万ドル…日本円にして10億円を超える遺産が、これらの問題を扱う諸団体に寄付されています。
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