目次
01日 デイブ・アーンソン 誕生日(1947)
02日 アンドリュー・グリーンバーグの誕生日(1957)
05日 忙しかった1週間
06日 特色印刷
08日 ヘイリー兄弟の誕生日(1949)
13日 やなせたかし 命日(2013)
13日 ロゴ問題
14日 アショーナ・ヘイリーの命日(2011)
14日 ゲームセンターあらし 発表日(1978)
15日 プレイステーションを生み出した新聞記事
15日 グレゴリオ暦の制定日(1582)
21日 失物 出るけれど 遅い
23日 古くて非力なマシンをLinuxBeanで再生してみた
23日 マイケル・クライトン 誕生日(1942)
24日 非力なマシンはやっぱり非力だった
26日 NuScratch
29日 DJBの誕生日(1971)
30日 クリフォード・ベリー 命日(1963)
31日 ロナルド・グラハム 誕生日(1935)
今日はデイブ・アーンソンの誕生日(1947)。
ロール・プレイング・ゲーム…いわゆる「RPG」を考案した人です。
RPG、いろいろと形は変わっていますが、今でも人気のゲームジャンルの一つです。
アーンソンが考案したのは、ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ、いわゆる「D&D」というゲームです。
発売されたのは 1974年。
RPGは1980年代前半のアメリカでは人気のゲームで、1982年の大ヒット映画「ET」の冒頭でも、子供たちが遊んでいます。
この時代ですので、コンピューターゲームではない。よく「ボードゲーム」とされるのですが、いわゆるボードゲームとも違う。
愛好者からは、テーブルトーク、と呼ばれています。
テーブルの周辺に集まって、お話をするゲーム。
お話をすることの何がゲームなのか、知らない人には理解されにくいのだけど、ちゃんとルールがあり、ゲームとして成立しています。
まず、遊ぶ人は、プレイヤーとマスターに分かれます。
マスターは一人で、それ以外がプレイヤー。プレイヤーが2~4人くらいいると楽しいです。
マスターは、プレイヤーに状況を説明します。
「シナリオ」として販売されているものもあるけど、基本的にはマスターが自由にお話を考えていい。
薄暗い森を進んでいくと、そこに一軒の小屋がたっていた。
小屋の隣に炭焼き釜があり、その前には薪が散らかっている。
小屋にはかぎが掛かっており、人のいる気配がない。
さて、こんな状況が説明されて、プレイヤーは自分がどのように行動するかをマスターに伝えることになります。
窯を調べてみてもかまいませんし、小屋のカギを開けられないか試すこともできます。
小屋の主が帰ってこないか、夕暮れまで待ってみてもよいでしょう。
いずれにしても、マスターはプレイヤーの選択の結果を伝えます。
ただお話を読んでいるのではなく、プレイヤーは自由な行動をとれますし、マスターもそれに対応して、臨機応変に受け答えます。
おそらく、マスターは大きな話の流れを準備しているでしょうが、細かな部分は決めていません。
その場のアドリブで決まっていきます。それがゆえに、どんな突拍子もない行動に対しても対応できるのです。
でも、これだけだと想像でお話を作って「ごっこ遊び」しているだけで、ゲームではありません。
プレイヤーは自由に行動できる、と書きましたが、実際には制約が付きます。
その制約は、役を演じること。あらかじめ、プレイヤーは、その世界の中でどのような人物を演じるのかを詳細に決めてあり、その人物ならそこで何を行うか…という観点で動かなくてはなりません。
人物の「詳細」は、すべて点数化されています。筋力の強さ、頭の良さ、すばしこさ、器用さ、魅力、運の良さ…などなど。
頭が悪い人物を演じるのであれば、プレイヤー本人が罠に気づいたとしても、あえて気づかずに罠にかかる、というような行動も必要です。
「役を演じる」という、プレイヤーとマスターとの間の了解により、マスターはあらかじめ「あの人物ならここでこういう行動をとるだろう」と予測してシナリオを準備することができます。
全員の協調作業によって、マスターが用意したお話を楽しむ、というのがテーブルトークの一番重要な点です。
「役」は英語で「ROLE」(ロール)、役を演じるは「ROLE PLAYING」(ロール・プレイング)。
それを目的としたゲームなので、ロール・プレイング・ゲームなのです。
ところで、行動をする際に、役を演じる以外の制約がまだあります。
先の状況説明で、プレイヤーの一人が「カギを開けてみる」と宣言したとします。
じゃぁ、開いたかどうかを、その人の器用さで確かめてみましょう。
先に「器用さ」などが数値化されている、と言いました。大きい数字ほど「器用」だということです。
プレイヤーがさいころを転がして、器用さの数字よりも小さければ、カギ開けに成功することにします。
器用な人物ほど、カギを開けやすいわけです。
でも、さいころで決まるなら、ダメもとで試してみても…
プレイヤーがそんな考えを持っていたら、マスターは失敗した際に「不器用にカギをいじったから、カギが壊れて絶対に開かなくなってしまった」など、制裁措置を返すことだってできます。
不慣れなプレイヤーは「役を演じる」ことの意味が分からないかもしれません。
しかし、上手なマスターが、このような形で適切にプレイヤーに「余計なことはしないほうが良い」ことを教えていけば、そのプレイヤーも本来の楽しみ方をできるようになります。
これが、テーブルトークの楽しみ方。
はっきり言って、マスターの技量がゲームの面白さを大きく左右します。
僕は高校生の頃に友達と遊んでいて、マスターは最初は持ち回りでやっていたのだけど、僕は良いマスターではなかった(笑)
とても上手にシナリオを作り、マスターをやる奴がいたので、最終的にはそいつがマスターをやる、という形に落ち着きました。
非常に細かなルールがあるのだけど、それらはマスターだけが知っていれば、とりあえず大丈夫。
マスターはこの世界の「神」なので、あえてルールを逸脱することだってかまいません。
大切なのは、みんなでお話を楽しむこと。ただの「ごっこ遊び」に終わらせないために、そのほかのルールがあるのです。
話をデイブ・アーンソンに戻しましょう。
D&Dよりも前、1960年代には、ウォーシミュレーションと呼ばれるゲームが流行していました。
六角形のマス目に地形を設定して、そのマス目の上を駒を動かして戦うゲーム。
誤解を恐れずに言えば、将棋を複雑にして、できるだけ現実に近づけたものです。
ここでも、戦闘の際にはさいころを転がして勝敗を決定したりします。
同じころ、ファンタジー小説の「指輪物語」も流行しています。(シリーズの発刊は1941~1950年代半ば)
イギリスの作家トールキンによる作品で、ヨーロッパ各地に残る伝承などをまとめ、体系化し、あいまいな部分を規定し、架空の国の物語として、空想的でありながらリアルにまとめ上げたお話です。
たとえば、「オーク」といえば、恐ろしい小鬼、という程度の伝承しかありませんでした。
指輪物語の中では豚の顔をしていて背の高さは人間と同じくらい、軍隊を組織して戦うが、知能はそれほど高くない…というように、細かな設定がなされています。
この細かな設定は、ゲームの格好のネタでした。
アーンソンの友人、ゲイリー・ガイギャックスは、ファンタジー世界で、大軍勢を率いて戦うウォーシミュレーション、というゲームを試作します。
しかし、アーンソンはウォーシミュレーションに問題を感じ…つまりは、飽き始めていました。
両軍を動かし、そこかしこで起こる小さな戦闘をひとつづつサイコロを振って処理し、特殊状況でのルールを間違いなく適用し…
ウォーシミュレーションは、1回遊ぶのに2~3日かかるような場合も多く、気軽に遊べるものではありませんでした。
アーンソンは、大軍勢を動かすのではなく、プレイヤー1人が、ゲーム内の1人の人物のみを受け持つ、というゲームを提案し、ガイギャックスとともにルールセットを作り上げます。
2つの軍が戦うと、不公平がないように厳密にルールを適用しないといけません。
でも、プレイヤーはみな仲間で、共同で危機を乗り越えるような形式であれば…
当初は「戦闘」のみを楽しむ形だったルールが、お話の中で戦闘がおこる形に代わって行き、やがてはお話が重要となっていきます。
こうして出来上がったのが、D&Dでした。
D&Dは、特殊なさいころを多数使います。4面、6面、8面、10面、12面、20面のサイコロが必要。
ルールブックと、これらのサイコロ、キャラクターの詳細数値などを記入する紙、マスターの手元(シナリオが置いてあるでしょう)を隠すためのついたて…など、いくつかのアイテムが箱に入れられていました。
はっきり言えば、さいころもキャラクターシートもついたても、そこら辺のもので何とかなる。
ルールブックは必要だけど、大体覚えてしまえば何とかなる。
D&Dって、買わないでも遊べたわけです。でも、買うとかなり高かった。当時1万円近かったのではなかったっけ。
それほど売れるわけではないので、扱っているおもちゃ屋さんまで、電車に乗っていったりしました。
#僕は買わなかったけど、友人が買うのにつきあった
基本セットを購入しても、シナリオを作る、というのは能力が必要で、誰もができるわけではありません。
これらは、別売りの追加セットとして発売されています。
マスターの能力が面白さを大きく左右するゲームですが、初心者マスターでも最初は市販のシナリオを使いながら学べるのです。
これがまた、高いんだけどね。
#今では、D&Dも一部が無料配布されています。
プレイヤー向けの簡易ルールブックとか、試しに遊んでみたい人向けの初心者向けルールとかだけど。
D&Dの大ヒットで、類似ゲームもたくさん出ました。
高校時代には、T&Tもよく使いました。トンネルズ・アンド・トロールズ。
D&Dが「竜と地下迷宮」なら、こちらは「鬼と坑道」ですね。
先に書いた通り、D&Dは高かった。
でも、T&Tは、普通の本屋で流通できる「ルールブック」一冊あれば始められます。
あとは、普通の6面さいころがいくつかと、キャラクターの数値を記入するメモ用紙があればいい。
#MSX の HALNOTE でキャラクターシート作って、感熱プリンタで印刷して、コンビニでコピーして使ってましたけどね。
僕は「混沌の渦」のルールブックもってます。これもRPG。
T&Tと同じように、書籍扱いで売ってたので安かった。
内容はかなり変わっていて、16世紀イギリスが舞台です。
いちおう「剣と魔法の世界」でもあるのだけど、16世紀イギリスなので、魔法を使っているのがばれると魔女狩りにあったりする。
だから、派手な魔法は使えない。
盗賊がカギを開けるときに成功確率を上げる、とか、戦士の次の一太刀で相手に致命傷を負わせる、とか、確率操作が中心になる。
ダメージシステムも変わっていて、かすり傷がたくさんでも、深い傷が一つでも、同じように「痛い」のだけど、治りが違う。
翌日になるとかすり傷は全部治ってるけど、深い傷は正しく手当てしていないと悪化する。
職業も派手な「剣士」とかは少なめで、肉屋とか薬草師とか、そういうのが多い。
というのも、16世紀イギリスでは自由に旅をすることが禁じられていたから。
職人や商人は、必要性があるから旅が許可されていて、シナリオの都合上そういう職業の人々が中心になる。
ルールブックには、16世紀の知識による(現代的には間違っている)薬草の一覧などが載っていて面白い。
ファンタジーだから何でもあり、というのではなくて、すごく泥臭く、16世紀の人々の暮らしを追体験する感じ。
友達の間でこのルールでプレイしてみたら、不評でした。
想像の世界の中くらい好き勝手したいのに、させてもらえないんだよね。
でも、個人的には好き。
RPG幻想辞典には、巻末付録で簡単なRPGのルールがついていました。
この本は、ヨーロッパの神話、アーサー王伝説、指輪物語など、RPGのネタにされることが多いお話や、RPGに登場することの多いモンスター、武器、道具、魔法などを説明したもの。
特にテーブルトークでマスターをやる人には「必携」だった本ですが、単にファンタジーの解説本としても秀逸。
そして、ファンタジーから興味をもって、テーブルトークを遊んでみたくなったら、簡単なルールもついている、というよくできた構成。
他にも、こうした本はあったと思いますし、雑誌などでもオリジナルのルールを掲載することはありました。
D&Dを遊んだ様子を掲載する…という手法で書かれた小説(?)「ロードス島戦記」では、雑誌掲載時はD&Dを使用していたのですが、単行本発行時に、D&Dのルールをそのまま利用する許可が得られませんでした。
#詳細は知らないけど、ルールを知ることができる「書籍」を発売してしまうのは、D&Dの基本セットと競合するためかな?
そこで、「ロードス島RPG」という、オリジナルのルールが作られます。
単行本は、このルールに従って書き直したものになっています。
#ロードス島は、「誌上リプレイ」から始まって、小説、アニメなど、多角展開した。
これも、最初に掲載された「D&Dのリプレイ」がよくできていたためだが、書き換えに伴って少し変わった部分などもあり、最初のものは当時の雑誌でしか読むことはできない。
後に、同じ作者による別のルール「ソードワールドRPG」と統合したそうです。
#統合前に、ソードワールドでは何度か遊んだ覚えがある。
…などなど。ほかにももっとたくさんあると思います。
混沌の渦のルールはそのままに、時代設定だけを「日本の江戸時代」に移した、時代劇の渦、なんて言うのもあった。
#混沌の渦を持っていることを前提に、違いだけを記す形で雑誌掲載された。
僕は雑誌は持ってないので、詳細知りません。
さて、D&Dを元に、コンピューターで遊べるようにしたのが Wizardry 。
サイコロ転がしたり、計算したり…という面倒な部分をコンピューターがやってくれるので、ある意味テーブルトークより遊びやすくなった。
ただ、人間がマスターをやるような、柔軟な対応は無理。
迷宮を探索し、敵と戦闘する緊張感を中心としたゲームになりました。
戦闘は、本当に緊張するものです。ランダム性が高すぎるから。
たとえば、6面さいころ2個のダメージ…となっていたら、2~12と、最大値と最小値で6倍も差があります。
予測不能な部分があって、弱い敵との戦闘でも、必ず勝てるとは言い難い。
コンピューターRPGでは、「役割を演じる」という意味合いは薄れて、ゲーム中に主人公たちが成長するゲーム、という意味合いに変わったように思います。
ファミコンのドラゴンクエストでは、全然違う方法で戦闘などを計算していました。
詳細な方法は知らないけど、ランダムの影響が少なくなっていたので、戦闘で勝てる敵かどうかを判断しやすい。
そして、Wizardry ではカットされた「シナリオ」を、選択肢が非常に少ないものではありながら、実現しました。
(ドラクエが、ではなく、ウルティマがすでにやっていたのだけど、もっと上手にやった。)
日本では、RPGは「シナリオを楽しませる」ものに変化して、戦闘の緊張感などはどんどん無くす方向になったのですね。
戦闘で勝てなくても、同じところで粘っていればいつか主人公が強くなるので、時間さえあればだれでも先に進める。
これが、アクションゲームなどが苦手でもゲームは遊びたい層に訴求し、一時期は家庭用に発売されるゲームがRPGだらけになりました。
最近はこうしたRPGの「シナリオ」が大きくなりすぎて、遊ばないといけない時間が長くなりすぎたためにファンが減る傾向にあるようですが…
今でも、RPGはゲームの主要ジャンルの一つです。
#翌日追記
翌日はWizardryの話書きました。
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アンドリュー・グリーンバーグの誕生日(1957)【日記 15/10/02】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 リプレイに関しては、すぐ後に「リプレイ」って言葉を出してしまっていますが、一般的ではない言葉なので「小説(?)」と表記しました。誤解を招きやすいかもしれないけど、リプレイの説明から入ると話の腰を折ってしまうので… (2015-10-02 17:28:25)【あきよし】 ROLE の綴り間違い、指摘ありがとうございます。修正しました。ROLLはさいころを振るほうですね。 (2015-10-02 17:27:27) 【m.ukai】 「ロードス島戦記」連載されていたのは「リプレイ」ですね。小説はリプレイとは別に(リプレイを下敷きにして)あります。 (2015-10-02 11:50:23) 【m.ukai】 ×roll ○role。 (2015-10-02 11:39:15) |
今日はアンドリュー・グリーンバーグの誕生日(1957)。
Wizardry の作者の一人です。
昨日、RPGの発明者、デイブ・アーンソンの話を書きました。
彼の考えたD&Dは大ヒットし、多くの人が遊びました。
コンピューターの昔話から始めます。
まだ、パソコンが生み出されるずっと前の 1952年、アメリカのイリノイ大学で、ILLIAC I というコンピューターが作り出されました。
コンピューターの研究目的で作り出されたもので、高性能化の工夫が多数入っていました。
当時としては、非常に高性能のマシンです。
1960年、イリノイ大学は ILLIAC I を使い、大学内の教育用コンピューターシステム、PLATO を作り上げます。
当時のコンピューターは、パンチカードなどで入力を行い、タイプライタで結果出力するのが普通でした。
しかし、PLATO では学生が親しみやすいように、ブラウン管に文字を表示し、キーボードから操作することが可能です。
PLATO は段階的にバージョンアップされ、1972年には PLATO IV が作られます。
#IV はローマ数字の「4」。4番目のバージョンです。
これまでの機能アップで、文字だけでなく簡単な画像も表示できるようになり、複数人数が同時に使えるようになっています。
そして、簡易言語によってプログラムをすることが可能でした。
さらに、1970年代半ばには端末側がバージョンアップされ、Intel 8080 が搭載されます。
これにより、中央のコンピューターを使わず、端末だけでも簡単なプログラムが実行可能になります。
#PLATO もいつかちゃんと調べたいマシンの一つ。
今のところ、通り一遍の知識しかないので、あまり偉そうに語れません。間違えてたらゴメン。
PLATO でプログラムを組める理由は、「教育ソフトを製作するため」です。
しかし、学生たちは競ってゲームを作り、楽しみました。
大学側はこうしたゲームを見つけると削除していたのですが、学生達はすぐにゲームを復活させてしまいます。
本当に数多くのゲームがあったようなのですが、「地下牢」(Oubliette)はアンドリューのお気に入りでした。
D&Dのルールを使ったコンピューターゲームで、3Dで描かれる迷宮をさまよい、モンスターと戦います。
ただ、「地下牢」では、探検する主人公は1人だけでした。
「役を演じる」ゲームであるRPGでは、一長一短ある仲間たちが、助け合う形で冒険するのも楽しみの一つです。
また、「地下牢」は大学でしか遊べませんでしたし、先に書いたように、時々大学側に消されてしまいました。
すぐに復活するとは言っても、復活したファイルを探し出すまでは遊べなくなります。
アンドリューは、「地下牢」を参考にしながら、もっと本物のD&Dに近い、奥深いゲームを、家でも遊べるように作ろうと考えます。
1980年、アンドリューがシステムを考え、友人であるロバート・ウッドヘッドが Apple II にプログラムをする形で、Wizardry が作られます。
大学の友人にも遊んでもらい、意見を反映し、速度を上げるために別の言語で書き直し…
1981年9月、完成度を高めたものが発売されると、このゲームは伝説級の大ヒットを記録しました。
D&Dは、主人公たちの視点…3Dで迷宮の中をさまよい、目的を達成するゲームです。
戦士、魔術師、僧侶、盗賊などでグループを作り、それぞれの能力を活かして助け合わなくてはなりません。
Wizardry は、常に「死」の恐怖と戦い続けるゲームです。
死んでしまうと、それまで育て上げたキャラクターは、無情にも消え去ってしまいます。
リセットすればやり直せる、というような甘さはありません。
道に迷うことも死につながるため、歩くだけでも気を抜けません。
戦闘でも、たとえ弱い相手でも、いい加減な戦い方はできません。
おそらく、このゲームが今発売されたら「クソゲー」と片付けられるでしょう。
遊ぶ人に対して、とことん不親切です。しかし、不親切だからこそ、世界を探検し、乗り越える楽しみがありました。
ゲームといっても、気軽に遊ぶゲームではなく、真剣勝負としてのゲームなのです。
後にシリーズ化されましたが、最初の Wizardry には「狂王の試練場」というサブタイトルがつけられています。
君主トレボーは、その圧倒的な強さから「狂王」と呼ばれ周辺各国から恐れられていた。
ところが、ある日トレボーの力の秘密であった、「アミュレット」(お守り)が盗まれてしまう。
盗んだのは、魔術師ワードナ。
ワードナは地下迷宮を作り上げ、その一番深い階層に姿を隠し、地下迷宮に魔物を解き放して守りを固めます。
トレボーは、アミュレットを取り戻したものに莫大な褒美を約束した。
この褒美を目当てに、各国から腕に自信のあるものが集まってくる。
プレイヤーもその一人として冒険を行う。
…主人公、金目当てに集まった冒険者で、伝説の勇者とかじゃない。
冒険者がたくさんいるから、そういう人を相手にする商売人も多い。非常にリアリティのある設定です。
ところで、トレボー(Trebor)は、プログラマのロバート(Robert)を逆に書いたものです。
そして、ワードナ(Werdna)も、システムを考えたアンドリュー(Andrew)を逆に書いたもの。
今では、ワードナって「大魔術師の名前」として時折使われます。
Wizardry がそれだけ影響力の大きなゲームだった、ということ。
その Wizardry 自体、冗談がたくさん入れられているゲームですけどね。
上に書いた名前もその一つだけど。
中世の世界観なのに、「サムライ」とか「ニンジャ」とか出てくる。
サムライが強くなると、「ミフネ」になる。(アンドリューは日本映画が好きで、三船敏郎のファンだった)
カシナートの剣(なんでもよく切れる、という宣伝のミキサーの名前から)とか、ボーパルバニー(殺人ウサギ。モンティパイソンのコメディから)とか、最初のシナリオでは出てこないけど、「聖なる手投弾」なんてのもある(これも、モンティパイソンネタ)。
状態異常や、死んだ時に最後の望みで復活を試みられる寺院の名前、「カント寺院」というのだけど、これだって冗談。
cant って、「偽善」の意味ね。人の弱みに付け込んで、高額を要求する寺院。
日本では、英語の冗談は理解されずに、そのまま訳されました。
冗談がわからないから、すぐ死んでしまう難しいゲームだということも相まって、すべてがシリアスな設定だと捉えられた。
Wizardry の一番の楽しみは…
というか、人それぞれに違う楽しみ方ができるゲームなのだけど、「アイテム探し」をした人も多いでしょう。
基本アイテムだけでも数多いのだけど、時々ランダムに「魔法がかかっている」ものが落ちるのね。
この魔法は、ランダムに +1 とか +2 とか、数字がつく。
D&Dと同じように、Wizardry では内部でさいころを振っています。
敵に与えるダメージも、6面さいころ2個、とかの数字。
するとどうなるか。6面2個なら、期待値は 7 です。これが +2 になっただけで、期待値が 9 になってしまう。3割近い性能アップです。
アイテムには出現確率があって、ただでさえ手に入りにくいものもある。
そこに持ってきて、魔法がかかっているというのはとんでもないお宝なのです。
ランダムだからこそ、終わりがなくていつまでも探し求めてしまう。
もう、余裕でワードナを倒せるようになっても、いつまでも遊び続けられるのです。
今でもこういうゲームありますけどね。
というか、Wizardry よりも昔からありますけど、すごく上手にゲームに組み込んでいた。
今でも、いろいろなところで Wizardry の影響を見ることができるように思います。
でも、初期のシリーズは権利が不明確で、再販とかリメイクとかできないらしいのね…
シナリオを作ったアンドリューは、その後弁護士になり、知的所有権が専門だそうです。
(IEEE知的所有権委員会の元会長でもあります)
その専門知識で、権利関係をなんとか解決してもらいたいものです。
#そんなに簡単にいかないから、今でも不明確なままなのだろうけど (^^;
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デイブ・アーンソン 誕生日(1947)【日記 15/10/01】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
1週間というか、2回の土日を含めた9日間なのだけど、忙しかった。
9日だけでなくて、その前から忙しいな。でも、それはすでに書いた。
秋は毎年とても忙しい。
9月26日(土)
長男・長女の小学校運動会。
今年の長男は、なんと応援団員。
いつもは引っ込み思案でこういうことをしないのだけど、春に風邪をひいている間に割り当てられてしまったのだ。
とはいえ、忙しいなりに楽しかったらしい。
4年の時もやってればよかった、というのが彼の感想。来年もやりたいそうだ。
#小学校では、4年以降の各クラスから2名づつ、応援団のメンバーを集めている。
応援合戦の際、皆が注目している中で緊張からかセリフを完全に忘れ、少し考えてから「なんだっけ?」って堂々と隣に聞いた。
周囲の大人から「がんばれ!」って声が飛んでいた。
本人、別に凹んだ様子はない。忘れちゃったんだよー、と悪びれない。
きっと大人になっても思い出す、いい思い出だろう。
長女は去年に引き続き、リレー選手。
すごく足が速いわけではないが、選ばれる程度には速い、という微妙なライン。
リレーの時は、前の選手が十分に引き離してくれていたため、のびのび走れた。6チーム中2位だった。
自分の手柄ではないのだけど「2位だった!」と嬉しそう。
でも、徒競争では気が散ってしまい、ビリ2。
周囲と同時スタートして競り合いの際に、気になって周りをキョロキョロ見てしまう癖がある。
自分では足が速いと思っているのに負けたのが悔しくて、一生懸命言い訳してた。来年頑張ろう。
長男は白組で、長女は赤組だった。
今年は赤組の勝ち。でも、運動会が終わればノーサイド。
長男は騎馬戦が楽しかったようで、この前後から次女を肩車して歩き回っている。
(次女も肩車してもらうのを喜ぶので)
9月27日(日)
先日買いに行った長男の椅子だが、良いのがなくて、IKEA で通販すればいいや…と思っていたら IKEA は通販対応してなかった。
仕方ないので IKEA に買いに行く。
というか、秋のサーモン料理フェアをやっていたので、それを楽しみに行った、という感じがする。
本当は運動会の疲れもあって休ませてやりたかったのだけど、早く学習環境を整えてやりたいのもあった。
今までは長女と並んで居間の机で勉強していたが、高学年になって勉強が難しくなったこともあって、一人で集中したいみたいなんだよね。
しばらく前に購入した、机付きのロフトベッドと椅子、デスクライトで、自分の城が整った感じ。
9月30日(水)
週末に自転車を使う予定があったのだけど、木・金は雨になるという天気予報。
なので、晴れているうちに自転車整備…
と思い、家族全員分の自転車チェーンにオイルをさしたり、空気を入れたり。
ここで初めて気づいた。普段妻が載っている自転車、後輪ベアリングが割れたようで、回すのにすごく抵抗がある。
妻に言ったら、あぁ、しばらく前からそうなんだよねー、という反応。早く言え。
これで遠乗りは無理なので、とりあえずママチャリでいいから買いに行こう、となる。
でも、この日は無理だった。翌日にでも…
と思ったら、翌日は長男の小学校で、親睦会があって妻が出席しなくてはならなかった。
親睦会から帰ってからだと、すぐ後に長女が帰宅する時間。無理。
10月2日(金)
というわけで、金曜日に自転車屋へ。
先日、IKEAに行く前に椅子を探していたときに、車で20分程度の距離に新しい大きな自転車屋ができていたのを知ったので、そこへ。
以前から妻は、いいロードバイクを欲しがっていた。
元々自転車好きなのだけど、妻の出身は千葉で、「平地」だらけなのが前提だった。ママチャリでも大丈夫だった。
鎌倉に引っ越してきて、山だらけなのでママチャリだとつらい、ちょっといい自転車欲しい、とこの5年くらい言い続けていたのだ。
言うばかりで買わなかったのにはわけがある。
妻は背が低いので、ヨーロッパの男性向けが普通サイズであるロードバイクは、合うサイズがなかったのだ。
ダメもとで自転車屋で探す。
本体一式で5万円程度、周辺パーツやヘルメットから全部そろえて10万円いかない、というくらいを考えていた。
妻が乗れるサイズの自転車が、一つだけあった。
色はちょうど、妻が好きな色合いだった。選択肢もないので決めてしまう。
車に乗せて帰ろうと思っていたら、「乗って帰る」とのこと。
自転車は渋滞もすいすい抜けて走り、家に帰ったのは車とほぼ同時だった。
10月3日(土)
次女の保育園の運動会。
年長さんなので、今年で最後。
小学校の運動会は、家族は基本的に見ているだけ。昼飯の時も子供と親は別々だし。
でも、保育園の遠足は違う。家族ぐるみで参加する運動会、という感じ。
親が出場する競技も数種目あるし、OBの小学生だって数種目に出られる。
次女は赤組。
今年は最初の競技から赤が勝ち、午前中は赤のリードのまま終わった。
白が追い上げ、赤がまた離しとずっと赤のリードで進んでいく。
最後の競技はリレー。毎年恒例で、大人、小学生OB、全保育園児の3本勝負。
リレーの前、点差は20点だったが、「どっちが勝つかわからない」という演出のため、いったん得点板が隠される。
…大人、小学生と立て続けに白組の勝ち。
ここで、異例のことに得点が掲示される。同点。1レース10点だった、ということだな。
というわけで、勝負は最後のレースに。
このレースが、またいい勝負だった。
保育園児なので、個人差が激しい。めっぽう早い子も、めっぽう遅い子もいる。
抜きつ抜かれつのレース展開で、最後のほうで赤が半周くらいリードしていた。
でも、最後の5名くらいで、どんどん白が追い上げる。白の勝ちもあり得る、という状況になってアンカーへ。
最後、わずかな差で赤が、そして白がゴールイン。
つまり、この時点で赤の優勝だとわかる。
でも、そこはやっぱり得点板を再び隠して(笑)、最後に結果発表となりました。
保育園の運動会、楽しくて好きだったけどこれで終わり。
長男が2歳の時から8年ほどお世話になりました。
多分来年も、子供たちがOB参加するけど。
10月4日(日)
鎌倉オクトーバーフェスト。
その時から子供が気に入ってしまって、テレビなどで大道芸を見ると「ハンド君」を基準として、それよりすごいか、それ以下か、というような判断をするようになっている。
#そして、常にハンド君びいき。同じくらいの腕前の人なら「ハンド君のほうがすごい」と言い張る。
今年もオクトーバーフェストに来るというので、ほぼハンド君目当てで参加する。
妻はロードバイクなので、先に行く。僕は子供の面倒を見ながらゆっくりと。
妻が先に行ったのは、座席を取っておきたいのもあるから。
妻は11時の開場少し前に入り、ステージ近くの良い席を押さえておいてくれた。
(開場と同時にビールなどを売り始める、ということのようで、席はそれ以前に取ることができたようだ)
ちなみに、ハンド君の出演は2時過ぎ。
ほかにもステージでは各種パフォーマンスが行われたので、十分楽しんだけど。
ちなみに、自転車で来たので、ビールはあまり飲んでいません。
小さめの紙コップサイズで違う味を4杯買ってきて、妻と飲んだだけ。11時から飲み始めて、12時までにはのみ終わった。
帰るときにはちゃんと酔いは覚めてます。
1時過ぎにハンド君登場。
予定時間前だけど、時間がもらえたので少しだけ演技をするそうだ。
昨年は、45分間みっちり演技をした。でも、このときは15分程度。
主にアートバルーンと、はしご芸、ジャグリングなど。
昨年はおひねりは出せなかったのだけど、今年はルールが変わったようだ。
「100円でアートバルーン売るのでよろしくお願いします」とのこと。
物販、ということならOKなのかな。
#とおもったけど、後で普通のおひねりもOKでした。
長女・次女が購入。
ついでに、去年と同じようにおひねりは受け付けられないのではないかと思って、安いけど菓子折り買ってきてあった。
それをプレゼント。昨年も見て、子供たちがまた会いたいというので、というと喜んでもらえた。
このとき、ハンド君の想像以上に多くの子供が「風船欲しい」と並んでしまい、あらかじめ多数用意してあった風船はあっという間になくなり、その場で作り始めたがとても間に合わず、という状態。
すると、さっそうと現れた外国人の年配の紳士、ハンド君の横に立つと、風船を口で膨らまして一緒にバルーンアートを作り始めた。
かっこいい。この人も大道芸人なんだろうか。
ちなみに、アートバルーン用の風船は普通の風船より固い。口で膨らませる、というだけで十分な芸だ。
その後、再びハンド君の持ち時間。
先ほどとネタ内容は似ているのだけど、笑いどころは減らしめにして内容を詰め込んだ感じ。
得意のディアブロも披露。昨年は2つ同時にやっていたけど、今年は3つ同時になってる。相変わらずすごい。
指の上で回転させたボールの上に、さらにもう一つのボールを乗せる、なんて芸もやっていた。
#大道芸なので言葉で説明しずらい。
近いうちにビデオアップして、ここに載せる予定。
最後に、おひねりを受け付けてました。
昨年はNGだったけど、今年は普通にOKになったんだな。
で、1000円出すとハンド君のブロマイドがもらえる。
何種類もあるので、ぜひ集めてみてね、という売り文句。これは初めて聞いたけど、最近の流行なのだろうか。
#よく、「わずかでいいです。小さく折りたたんで入れてくれれば…」という言い回しはあるのだけど。
さっそうと、先ほどバルーンづくりを手伝っていた紳士再登場。
みんなに見えるように大きく広げながら千円札を入れてました。
やっぱ、大道芸人で、「これくらいが妥当」と率先して見せているのだろうな。
(そもそも知り合いかもしれないとも思うけど、その後の行動を見ていると、普通にビール飲みに来ているだけのような感じだった。)
ハンド君、中学生になって顔つきが変わっていました。
子供は中学生になると、急に中学生らしい顔になるからね。
そして、ちいさな子供に対して優しい。
子供に好かれるいいお兄ちゃんになっていました。
ハンド君の演技後、次女が眠くなってきたようなので帰ります。
帰りは、妻には長男を見てもらって、僕は次女と一緒に帰りました。
長男はもう十分な体力で、妻のロードバイクと一緒に走って帰れたらしい。
次女はまだ体力がなく、鎌倉の山越えがしんどい。妻の倍以上の時間をかけて、ゆっくり帰りました。
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別年同日の日記
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僕は現状兼業主夫なもので、皿洗いもすればゴミ捨てもする。
牛乳パックは洗って乾かして、開いてリサイクルへ。
…と、いつもと同じことをやっていて、急に気になった。
最近の牛乳パック、開け口と逆側を開けると「リサイクルありがとうございます」と書いてある。
それはまぁいい。
そこの部分に、使用している色の一覧がある。これも以前から気づいていた。
でも、結構銘柄によって「特色」などの使い方が違っているのに気づいた。見比べると面白い。
僕は印刷業界には全く詳しくないので、以下に書いてあることに間違いがあったらごめんなさい。
普通、印刷は4色の版で行われる。
Cyan(シアン:水色)、Magenta(マゼンタ:紅紫)、Yellow(イエロー:黄色)と、黒の4色だ。
黒は、輪郭や文字など重要な部分を〆る「鍵」となる版なので、Key Plate と呼ばれる。
この4色を、俗に CMYK と呼ぶ。
小学校レベルの知識では、「赤青黄」を混ぜるとどんな色でも作れる、というのだけど、厳密には CMY の3色。
でも、世の中理想通りにいかないのが普通で、CMY をどんなに混ぜてもきれいな黒にはならない。
そこで、黒だけ別に用意する。
これで、どんな色でも印刷できる。理想的には。
でも、たった今書いた通り、理想通りにはいかないのが世の常だ。
印刷にはいろいろな方法があるけど、最終的には「紙にインクが付くか付かないか」の2値で行われる。
グラデーションをつけたい場合は、インクがだんだん薄くなるのではなく、付いているところと付かないところの面積比を変えていく。
人間の目はあまり細かなものを認識できないので、遠目にはグラデーションに見える。
じゃぁ、微妙な色合いで印刷したものを近くで見たらどうなるかといえば、やっぱり点々に見える。
企業ロゴは、商品に小さくつけられることが多い。
でも、色の指定が厳密なことが多くて、点々で表現すると、小さなロゴの形がはっきりと出ない。
そこで、CMYK に加えて、ロゴ専用の色を使ったりする。
こういう特別な色は「特色」と呼ばれる。
冒頭に載せた写真を、大きくしてもう一度。
一番上のものは、CMYK のみで印刷されている。
次のものは、CMYK に加えて、濃紺が入っている。
その下は、特色が2色も! オレンジと緑が入っている。
その代わり、シアンを減らしている。
特色は普通は高く、CMYK は安い。
シアンを減らしても特色と相殺にはならないのだけど、少しでも安くしようということか。
そして、最後は CMYK に加えて特色2色。しかも、この特色が、ピンク(桃)とレッド(赤)。
なんて豪華な印刷。100円以下で買ってきた安いジュースですよ!
桃ジュースでした。企業ロゴは赤で、パッケージの半分くらい桃色にしてあった。
桃色が大きな面積を占めるから、まだらにするのではなく、綺麗に塗りたかったのだろうね。
こうした、どこかに使っている色を「純粋な形で」印刷したものは、カラーマークと呼ばれる。
工場では、印刷後にカメラでカラーマークを確認して、エラー製品がないかチェックしているようだ。
牛乳パックに限らず、印刷物にはたいていついているはず。
でも、普通は、印刷のあと、切り落としてしまうような部分に印刷する。
切手なんか、シートの端に印刷されているね。
牛乳パックはかなり上質な紙を使っているし、紙自体もかなり大きい。
無駄があまり出ないように作っていて、「切り落とす」ような部分がないのかもしれない。
折りたたんで見えにくくなる部分はあるから、そこに印刷している、ということなのだろう。
急に話を変える。
住民票の用紙など、コピー防止措置が施されていることがあって、そのままでは何も書いていない(ように見える)のに、コピーすると「COPY」というような文字が浮かび上がるものがある。
この仕組み、どうなっているのか正しく理解している人があまりいない。
昔からQ&Aサイトなどでトンチンカンな答えをよく見る。
#今検索したら、比較的上位に来た答えのうち、1つはまともだった。ちょっと安心。
でも、むちゃくちゃな回答は相変わらず多い。
この仕組みは、まさに「特色」をうまく利用したものだ。
白黒コピー機では、薄い水色はうまくコピーできない。これを利用した、コピーを前提とした原稿用紙なども売っている。
マス目があるのでそれを埋めるように文字を書き、コピーするとマス目が消えて「フリーハンドできれいに書いた」ように見えるのだ。
で、先に書いた住民票用紙は、たいていこうした水色で細かな装飾印刷がしてある。
コピーすると装飾が消えてしまうことで、原本ではないことがわかる。
でも、これだけだと片手落ちだ。
原本の装飾を知っている人なら「装飾がない」ことで気づくけど、原本を知らない人にはコピーだと見破れない。
そこで、水色よりも少し色の濃い青を使う。濃さは2倍くらい。
2倍くらい濃い、ということは、点々にして、インクが付くところと付かないところの面積比を半分にすれば、水色と同じような色合いに見える。
装飾の細かな模様に紛れ込ませて、このインクで「COPY」の文字を書く。
もちろん、点々で書くので、色が薄く見えるようになり、周囲の水色とは溶け込んでしまう。
というか、そうなるようにインクが繊細に調節されている。
もともと細かな模様が多いので、点々模様もそれほど気にならない。
でも、コピー機は、水色よりももっと濃いこの青には反応する。
コピーしてみると、水色の装飾はすべて消えるのに、青で書かれた COPY の文字はコピーされてしまう。
人間の目には同じような色合いに見えていても、機械から見れば「違う色」なので、反応が違うのだ。
こうした用紙、全体に水色に見えるけど、2色印刷だ。
そして、2色印刷だけど、水色も青も「特色」だ。CMYK ではない。
カラーコピー機を使っても、CMYK で印刷するので、この「特色」を完全再現できない。
だから、白黒コピー機だけでなく、カラーコピー機を使っても COPY の文字は現れてしまう。
#初期の技術だとカラーコピーでコピーできてしまったようだけど、今は対応技術がある。
なかなか巧妙な仕組みで興味深い。
1990年代後半ごろからこうした技術が出てきたように思う。
強く興味を持ったのはそのころで、このWEBサイトを作り始めたころにあたる。
いつか歯車ページに書きたい…と思ったきり、完全に機会を失っていた (^^;
もう、当たり前すぎて興味持つ人余りいなくなって、今更感はあるのだけど、印刷の話を書いたのでついでに書かせてもらいました。
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別年同日の日記
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今日は、ショーン・ヘイリー、キム・ヘイリーの誕生日(1949)
双子で、HSPICE の開発者。…という説明で、わかる人はわかってくれるはず。
でも、多くの人はわからない。僕もわかってない(笑)
ちなみに、AMDで世界初の、セカンドソースではない「互換マイクロプロセッサ」を設計した人達でもあります。
とはいえ、あまりなじみのない人です。僕も今調べていて、すごい人だと知りました。
シノプシス、という会社があります。
僕はプログラマーなので、回路設計にはあまり詳しくないのですが、半導体の設計などの支援ツールを製作・販売している会社です。
半導体の設計支援ツールは、大手3社の寡占状態にある業界で、その最大手。
HSPICE はその会社が扱う製品の一つ。
半導体回路の構造を特別なプログラムの形で入力すると、回路のアナログ動作をシミュレーションできます。
…これ、すごいことですよ。
デジタル回路って、クロックに合わせて状態が変わっていくから、全体としてシミュレーションすることもそれほど難しくない。
でも、アナログだと、各所の電圧が複雑に絡み合いながら変化していきます。
時間に従って電圧などが刻々と変化するというのは、数学的に見れば微分・積分です。
でも、コンピューターはこれを「微小時間に区切って」扱うことしかできない。微分積分ではなく、差分・積算しかできないのです。
#連続・非連続か、の違いです。このわずかな違いが、大きな計算誤差を生む。
…昔、回路設計できる人に聞いたら、こういうプログラムはやっぱ完全なシミュレーションは無理なのだそうです。
でも、実際の回路を作る前にある程度シミュレーションできる、というだけでも設計効率が非常によくなる。
HSPICEでは、様々なテクニックで、実際の回路とのずれがあまりないように、シミュレーションする。
それも、正確性を求めすぎて遅くては使い物にならない。速度と精度の両立を行っています。
このため、回路シミュレーションの定番ソフトとなっているようです。
HSPICE は、 SPICE の実装の一つです。
先に書いた通り、特別なプログラムの形で回路図を記述し、動作をシミュレーションできます。
SPICE はカリフォルニア大学バークレイ校 …BSD UNIX が作られた大学… で1973年に開発されたもので、フリーウェアとして公開されました。
当初は FORTRAN で書かれていましたがバージョンアップの過程でC言語に書き直され、様々な派生バージョンを生み出します。
今でもオープンソースで無料で入手可能なものもあります。
HSPICE は、その中の一つ。
無料で使えるオープンソース版もあるのに、なぜわざわざ商用の高価なものを使うのかといえば、やっぱりシミュレーションの出来が良いから。
ショーンとキムは、テキサス州で双子として生まれました。
仲が良く、一緒にボーイスカウト活動を楽しみ、一緒にテキサス工科大学に入学しています。
卒業後はこれも二人そろって軍需企業であるマーチン・マリエッタに入社し、弾道弾迎撃ミサイル(スプリント 1972年完成)の発射システムを設計しています。
スプリントは、飛んでくるミサイルを狙って撃ち落とす、というとんでもないミサイル。
湾岸戦争で「パトリオット」が使われて有名になりましたが、最初に迎撃ミサイルを完成させたものです。
迎撃ミサイルにヒントを得た、「ミサイルコマンド」というゲームもありました。
また、「迎撃」が成功したことで、後にSDI構想が持ち上がります。(こちらもゲームになった)
話を二人に戻しましょう。
マーチン・マリエッタでは、ミサイルに搭載するために 16bit CPU を開発していました。
…詳細はわかりませんが、いわゆる「マイクロプロセッサ」ではなく、4bit 演算の LSI を複数組み合わせ、16bit 演算できるようにしたものだったようです。
軍事用なので、非常に広い温度範囲で動くように工夫していましたし、信頼性を上げるために欠陥の少ない回路製造技術も開発していました。
しかし、マーチン・マリエッタでは、スプリントの開発が終わった後に、これらの技術を「転用」して何かを作ろうとはしませんでした。
それどころか「知的所有権」の主張さえしなかったのです。
1972年、インテルが 8008 を発売します。
マーチンマリエッタが作っていた 16bit CPU と比べて、わずか4分の1の速度しかでません。
2人は、これを好機だと捉えました。
8008 互換でもっと速度の速い CPU を作らないか、とゼロックスに持ち込みます。
…しかし、ゼロックスは興味を示しませんでした。
その後、いくつかの会社を周り、最終的にAMDが興味を持ちます。
そこで、彼はAMDに入社し、1973年には同社の最初の CPU を開発しています。
すでに 8080 が発売されていました。AMD が発売したのは、その互換品 Am9080 。
さらに、AMDで最初の「不揮発性メモリ」である Am2072 も設計しています。2048bit の EPROM でした。
#AMDの互換品に対し、インテルはこの後訴訟を起こしています。
しかし、ヘイリー兄弟はインテルの回路は全く参考にしておらず、「動作」だけを解析し、同じ動作になるように作っていました。
その後も、AMDはインテル互換 CPU を作り続け、現在はAMDが作った AMD64 の「互換品」をインテルが作る状況になっています。
1976年ごろ、電子回路の業界はどんどん発展していきました。
回路規模は大きくなり、試行錯誤で作る従来のやり方では、とても間に合わなくなっていきます。
彼らは、バークレイ校で作られた「SPICE」を見つけ出し、使用してみます。
…しかし、精度も悪く、速度も遅く、バグも多く、実際の開発に使うにはいろいろと問題がありました。
ちょうどそのころ、コンピューターの時間貸し会社がCRAY-1(1976)を導入したことを知ります。
しかし、まだ CRAY-1 用のプログラムは少なく、誰も使っていませんでした。
2人は、これを好機だと捉えました。
SPICE のソースコードを元に、CRAY-1 の「ベクター演算」機能を使って高速化します。
バグも取り、シミュレーション結果の精度を上げました。
こうして作られた HSPICE は、従来のものより6~10倍も高速でした。
そのうえ、バグも無くなっており、「使い物になる」ツールとなっていたのです!
1978年、二人で新たな会社「メタソフトウェア」を興します。
(当初は「ヘイリーカンパニー」という名前だったそうですが)
HSPICE を販売する会社でした。
といっても、当時はコンピューターの時間貸しが普通なので、CRAY-1 上で HSPICE を使う時間を売る、ということですが、
その後、18年間毎年 25~30% の成長率で会社が大きくなったそうです。
こんな高成長を、それほど長い期間続けられるのは、すごいこと。
1995年、メタソフトウェアは、十分な「成功企業」でした。
2人は、3つの銀行に、会社の評定額を出してほしいと依頼します。
その額は…二人が「衝撃的だった」という高価なものでした。
これで、二人は会社の売却を考え始めます。
売却先は、同業ライバル社のアバンティ。
アバンティは、さらに後にシノプシスに合併します。
そんなわけで、現在 HSPICE はシノプシスの製品になっています。
そして、彼らは莫大な資産を入手しました!
ショーン(Shawn)は、その後性転換手術を受け、女性になっています。
女性としての名前は、アショーナ (Ashawna)。
性転換、というのは微妙な話題なようで、いつ手術を受けたのか、調べてもよくわかりません。
彼らが会社売却直後の1997年末にインタビューを受けた際にはまだ男性で、二人とも結婚して配偶者もいます。
アショーナは、資産を元に、政治活動を開始します。
麻薬問題、食糧問題、女性の地位向上、人種問題、熱帯雨林の保護…
彼女が資金援助した団体を見たところだと、ここら辺の問題に興味があったようです。
彼女は、2011年 10月 14日に亡くなっています。
その後、遺言に従い、1千万ドル…日本円にして10億円を超える遺産が、これらの問題を扱う諸団体に寄付されています。
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アショーナ・ヘイリーの命日(2011)【日記 15/10/14】
別年同日の日記
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今日は、柳瀬 嵩…「やなせたかし」さんの命日(2013)
アンパンマンの作者の方です。
結構好きでした。亡くなられたときに追悼文を書いているのですが、ちゃんと「今日は何の日」の記事にしてなかったので、記しておきます。
詳しくはそちらの記事に。
やなせたかしさん、大御所でした。
日本漫画家協会の理事長もやっていた。
そして、十分なお金を持っていたから、お金に頓着していませんでした。
キャラクターデザインとか頼まれると、無料でほいほい引き受けてしまう。
…「いい人だった」のですが、多くの漫画家が困ってもいるようです。
協会の会長が無料で仕事をしてしまうと、世の中すべての漫画家がそういうものだと思われてしまう。
漫画家の仕事の「単価」を落としてしまった、という批判もあります。
その一方で、漫画の地位向上に努めた人でもあります。
1960年代に人気を博したころの漫画は、まだ漫画家の数も少なかったこともあり、漫画家に高収入をもたらせました。
でも、1980年ごろから漫画家が増える一方、漫画人気が落ち続け、漫画家の平均収入は落ち続けます。
これを食い止めなくてはならない、と頑張ったのがやなせさん。
漫画の地位向上に努め、漫画を「子供だけが読む俗悪なもの」だとする風潮をなくしていきました。
これは、漫画を楽しむ世代が親になったという時代背景もありますが。
結局、仕事の単価を落としたのか、それとも上げたのかはよくわかりません。
批判する人もいるし、感謝している人もいる。
賛否両論あるのは、無視できない大物の証拠ではあります。
ところで、我が家の次女は、この1年くらいで急に「アンパンマン嫌い」というようになりました。
5~6歳くらいの子供が必ず通る道。それまで大好きだったアンパンマンが、急に赤ちゃん向けのものに思えて、嫌い始める。
でも、嫌いなのはアンパンマンだけで、バイキンマンやメロンパンナちゃんはOKだそうです(笑)
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14年 スパリゾート・ハワイアンズに行きたい人へのまとめ(1/2)
14年 スパリゾート・ハワイアンズに行きたい人へのまとめ(2/2)
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あまり政治的なことを書きたくない、と言いつつ、時々書いてるシリーズ。
しばらく前に、東京オリンピック2020のロゴが、盗作疑惑で散々たたかれた挙句、本人が取り下げ、「やり直し」となった。
で、今度は東京都が作った「東京都ロゴ」に盗作疑惑が出ている。
オリンピックロゴに関しては、僕は「全然盗作じゃない」と当初から感じていて、いくら何でもそんなこと誰だってわかるだろう…
と傍観していたら、取り下げ騒ぎにまで発展してしまった。
どこかで発言しようと思っていたら、展開が速すぎて機会を失った。
その後、あまりに問題が大きかったので、多くのデザイナーが論理的に擁護論を展開した。
にもかかわらず、また東京都ロゴが騒ぎになっている。擁護論が理解されていないということだ。
僕は著作権の専門家ではない。
でも、プログラマーは知的財産権を扱う仕事でもあり、著作権については勉強した。
「盗作」とするのは、著作物が似ているだけでは不十分だ。
似ていることなんて、往々にしてありうる。それが別々に、何の影響も受けずに作られたものであれば、たとえ完全に一致していたとしても盗作とは言わない。
似ていることだけではなく、それが偶然の一致ではありえないことを示し、さらに「元作品」の影響が明らかであることを論理的に示す。この3点セットが揃って、はじめて盗作だと主張できる。
オリンピックロゴの話でいえば、相手は小さな劇場で、ロゴの商標登録すらしていなかった。形状もかなり違う。
小さな劇場なので世界的に有名なわけでもなく、影響があったと考えるほうが難しい。
そのうえ、類似性を疑われているのが、「T」の文字をデザイン化した部分であり、デザイン上の制約が大きいために類似するのが必然ともいえた。
これを「似ているから盗作」とするのはかなり無理がある論理展開だった。
先ほど書いたように、こんなずさんな理論で問題が大きくなるなんて思えなかった。
しかし、問題を報じたマスコミも不勉強で、ネットの騒ぎをいたずらに増幅しただけに終わる。
佐野氏のほうにも問題点はあった、というのはその通りだろう。
デザイナーとしてはそれなりの大御所であり、配下に幾人かのデザイナーを従えたデザイン事務所を運営している。
実際、配下のデザイナーが盗作をしていたことも明るみに出た。
責任者としてのチェック不足と言われればその通りだが、多くの仕事のすべてのチェックなど難しく、可能なのは「品質のチェック」程度だろう。
盗作か否かのチェック、ではない。その部分は、配下のデザイナーを信用するしかない。
また、ロゴの使用イメージとして、他人の写真作品を流用していたことも明るみになった。
これは、一般に公開するものではなかったので問題だという認識がなかった、という説明だった。全くその通りだと思う。
広く公表するものであれば、他人の著作物を侵害してはならない。
しかし、ごく一部の人に見せるだけの私的利用であれば、特に断る必要もない。
もしこのような私的利用も罪だというのであれば、教科書の人物写真に落書きをするものは、法的に罰せられることになる。
しかし、あまりに強いバッシングに精神的に耐え兼ね、最後には本人がロゴを取り下げる、という展開になってしまった。
これによって、金銭的・時間的な損失は計り知れないが、それらは「バッシングが」起こした被害だ。
つまり、佐野氏のロゴ問題を「盗作だ」として報道したマスコミ各社、および盗作だと発言したネット民は、税金を無駄遣いするのに加担したこととなる。
ちなみに、ロゴのコンペに応募した、佐野氏ではない別のデザイナーの談話によれば、今回のコンペは、これほどオープンなコンペを経験したことがない、というほど「非常に開かれたもの」だったそうだ。
しかし、次のコンペは、「先のコンペよりもオープンにしなくてはならない」という世論が形成されている。
いったい何をどうするのかはわからない。
様々な権利が絡むもので、オープンに「してはならない」ものも多々あるのに、気軽にオープンにすると約束している政治家などの気が知れない。
さて、それで次は東京が発表したロゴが問題になっている。
フランスの眼鏡会社のロゴや、ニュージランドの弁護士事務所のロゴと似ている、のだそうだ。
どのロゴも、よくあるゴシック体で文字を書いただけのものだ。
ただの文字だから似ているのは当然。これを盗作だと指摘した人が著作権法に無知なのがよくわかるが、一部ネット民とマスコミは、前回のオリンピックロゴ後のような騒ぎを期待して、無責任にはやし立てている。
舛添知事は、盗作問題について「ただの記号だから著作権問題はない」と言っている。
これもおかしな話で、そもそもロゴというのは記号だ。記号であっても、明らかに参考にしながら盗作した証拠が提示されれば、著作権違反となる。
まぁ、今回一番重要なのは「&」という文字が赤丸の白抜きで表現されたことであり、その程度の偶然の一致は往々にしてあり得るから問題はないだろう。
しかしこれは「記号だから」問題がないわけではない。
むしろ、問題視すべきはロゴとしての妥当性だろうね。
ロゴは一般に商標として登録される。東京都のロゴが商標として登録したかどうかはわからないが、意匠とするのは難しいし、何の登録もしてないというのも考えにくいので、たぶん商標ではないだろうか。
そして、商標は「絵として扱う」ことが決まっている。
ただの文字を登録することはできない。
(文字を組み合わせ、デザインを施して「絵」としたものであれば登録される。)
これは、文字は人類の共有財産だからだ。
誰かが「あ」という「文字」に権利を主張し、「明日から『あ』を使ってはならない」と言い出したら問題がある。
だから、単純な文字や、それを組み合わせただけのものは登録できないし、誤って登録されていれば後から登録抹消される。
たとえば、以前 au が「まとめて au 支払い」というサービスを導入した際のこと。
サービスロゴとして、ちょっと工夫されたフォントで、au の部分をオレンジ色で書いただけの「文字」をロゴとした。
そして、「まとめて au 支払いでお支払いいただけます」というような文章の際に、該当部分だけをロゴ化して使用した。
最初はそのように使っていたし、サードパーティもそのように使うことを推奨していたのだけど、ある時急に「文章内に組み込んではならず、ロゴを使用する際は必ず周囲に余白を大きくとること」という通達が来た。
これ、当時の au の法務部が弱く、ロゴを文章に組み込むと、商標権の剥奪の危険性があるのを知らなかったのだと思う。
(もしくは誰かが、法務部の審査を通さず、そのような使い方を推奨したのだろう。いずれにせよ法務が弱い)
文章に組み込んで使う、ということは、それが絵ではなく文字であることを認めていることになる。
先に書いたように、文字の権利主張は認められない。ロゴの登録抹消の恐れがある。
法務部がこれに気づいて、あわてて「やってはならない」と通達を出したのだろう。
SEGA は、メガドライブの頃に、起動時の SEGA ロゴで遊ぶのを自由にさせていた。
SEGA ロゴの文字が1文字づつ出てきたり、変形の都合上本来のロゴと少し形が違ったりしていた。
これ、「1文字づつに分解できる」のだとすれば、絵ではなく文字だということになる。
変形していてもSEGAと読めれば良い、というのであれば、それも「読めること」を重視した文字だということになる。
セガサターンの際は、ロゴで遊ぶことを厳しく規制した。
旧来のファンからは、遊び心が無くなってつまらない、という意見も聞かれたが、企業活動としては権利を守るほうが重要だ。
今回の東京都ロゴは「 & TOKYO」という文字をデザイン化したもので、様々な商品名などの後ろにつけて使うことを想定しているそうだ。
「後ろにつける」という時点で、文章として読んでもらうことを想定している。ロゴではなく、特殊なフォントで書いた文字だ。
もし商標権を剥奪したければ、実際の使い方を集め、それが「文章として読ませている」ことを論理的に示したうえで、特許庁に異議申し立てすればよい。
ただの文字は誰でも使えるもので誰も排他的な占有権を持たないはずなのに、商標登録により他人が使えないように占有している、と「公共の福祉を害している」ことを申し立てるのだ。
実際そのような申し立てをした例は知らないのだけど、「盗作だ」と筋の悪い難癖をつけるよりは、よほど面白いことになると思う。妨害して楽しみたいのであればね。
ただ、まだ発表されたばっかで実際の使用例が少ないと思うので、どこかで東京都が気付いて「申し立てされない方向」に調整すると思うけど。
#東京都はこれを「東京のイメージを上げるブランド戦略」と考えているようで、誰でもロゴを使ってよいそうだ。
なので、もしかしたら商標登録自体を行っていないかもしれない。
だとすれば、これを文字として使っても、商標権の剥奪はない。(もともと商標ではないのだから)
まだ社会的に「影響力が小さい」中高生が、「盗作だ」などと世論をあおる「一部ネット民」の中心だと思っている。
影響力が小さいからこそ、社会が大騒ぎになって、変わっていくのが楽しい。その気持ちはわからないでもない。
でも、それによって税金も時間も無駄に使われる。社会は悪くなっていく。
そして、そのツケを払うのは、今の中高生が大人になったころの、自分自身だ。
著作権法や商標法を学ぼう。ほかの法律も学ぶといいし、法律に限らず知識を持とう。
そうすれば、正しく社会に影響力を持てる。社会を悪くする方向ではなく、良くする方向で影響が持てる。
そっちのほうが、影響力の使い方として、社会の変え方として、ずっと楽しい。
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14年 スパリゾート・ハワイアンズに行きたい人へのまとめ(1/2)
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今日はアショーナ・ヘイリーの命日(2011)。
誕生日は1949年の 10月 8日。
先日誕生日記事を書いたばかりなので、詳細はそちらを読んでください。
彼は、男として生まれ、ミサイル開発・CPU 開発・半導体開発支援ソフトの作成など、非常に男らしい仕事をしました。
その後、性転換手術を受けた彼女は、女性の地位向上、人種差別撤廃、熱帯雨林保護など、愛にあふれた女性らしい仕事をしました。
すごい人生だと思います。
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今日は「ゲームセンターあらし」が発表された日。
…すみません。およそ2年前に、1か月勘違いして 11月14日だという記事を書いてしまいました。
掲載されたのは「11月14日号」だったのですが、その発売日は1か月前だったのです。
作者の すがやみつる 先生も 11月 14日としていたのですが、ちゃんと調査された方がいて、間違いがわかっています。
お詫びして訂正いたします。
日付が違うだけですので、詳細は以前に書いたものをご参照ください。
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もう1年も前に、セガサターン関連の記事として、ライバルでもあるプレステとの「次世代ゲーム機戦争」の話を書きました。
これ書いたときに、すごく強い疑問が残ったのね。
プレステは、任天堂の裏切りによって誕生した、というのは有名な話。
でも、史実を確認すると、実際には任天堂は裏切ってなんかいない。
ソニーが一方的に「任天堂が裏切った」と言っているだけ。
一体、真実はどこにあるのか。
ありがたいことに、この記事を書いてから反響があり、関連情報が寄せられています。
どうも、日経新聞の記事が「誤報」というのは違うようで、これはこれで正しかった。
裏にいろいろ複雑な事情が見えてきた感じですが、まとめるのに少し時間がかかりそうです。
まとまり次第、この記事からリンクいたします。
簡単に状況を説明しましょう。
ソニーとフィリップスは、一緒にCDの規格を制定した仲間であり、その「次の規格」を争うライバルです。
フィリップスはCDを応用してゲーム機を作るという。
でも、当時のゲーム界の覇者は任天堂。
ソニーはスーファミ用の音源チップなどを任天堂に提供していて、当時任天堂と仲が良かった。
じゃぁ、フィリップスに対抗して、任天堂と一緒にCDをゲームに応用しようとします。
細かなことが決まり、1991年に、やっとアメリカで行われる家電品のショーで発表にこぎつけました。
ところが、翌日の新聞では、「任天堂がフィリップスと提携し、CDゲームを開発する」と書かれているのです。
これが、ソニーの言う「裏切り」です。
確かに、任天堂はこのショーの時に、フィリップスと提携を発表しています。
その提携内容は、フィリップスとゲームソフトを共同開発するよ、というもの。
ソフトです。ソニーと提携しているような、ハードではありません。
だから、裏切りというほどではない。
ここに疑問がありました。
1年前に調査していた時、思ったのは、ソニーが早合点しただけじゃないのかな、ということ。
フィリップスとゲーム「ソフト」を開発するのは事実だし、ソニーとゲーム「ハード」を開発するのも事実。
でも、フィリップスはソニーのライバルだから、頭に血が上って細かな部分を読み落としたんじゃないかということ。
もう一つの可能性として、この新聞って、日経じゃないのかということ。
「ただし、ソースは日経」という言葉がよく使われるのですが、日経は誤報が多いです。
せめて日経の記事かどうかくらいは確かめたい、と思いつつ、確認できないまま記事を公開しました。
家の近所には、日経の縮刷版を置いてある図書館がなかったから。
今日、急に時間が空いたので、思い立って少し離れた図書館まで行ってきました。
そこなら日経の縮刷版があるとわかっていた。
そして調べると…該当記事を見つけました。
詳細は次世代ゲーム機戦争の記事を更新して、そちらに記しています。
まぁ、日経の大誤報でした。
ソニーが「スーファミ用のCDドライブ作るよ」って発表したのと、フィリップスが「任天堂と一緒にゲーム作るよ」と発表したのを、混ぜて1つの記事にしちゃった。
フィリップスと一緒にCDドライブ作る、となってます。
これは、ソニーの人は裏切りだと怒るわけだ。
というわけで、プレステは日経の誤報によって生み出された、ということが確認できました。
1991年5月・6月の新聞を調べていたのだけど、ほかにいろいろと面白かったことを書いときます。
まず、同じショーで、NECは PC-Engine duo を発表しているのね。
「CD-ROM ドライブ一体型の初めてのゲーム機」とされている。
確かにそうだね。周辺機器だったのをくっつけただけで、やっぱり扱いとしては周辺機器なのだけど。
同じく、セガは MEGA-CD を発表しています。
NECとセガの記事は、詳細に書かれていて何もおかしくないのね。
なぜ任天堂だけ大誤報になったのか。日経だから、としか言いようがないけど。
当時、雲仙普賢岳の噴火が連日新聞に載っていました。
5月には「危険なので避難」なのだけど、いったん活動が収まったとして6月頭に避難命令が解除され、そのとたんに火砕流が起きて死者が出ている。
痛ましい事故でした。世界的な火山学者が、研究のためにかなり近くまで寄っていて、「学者が近づくのだから安全なのだろう」と報道陣も近寄っていたところに火砕流が流れたんだよね。
学者だって万能じゃない。わからないことはある。
このとき多くの人がそういっていたわけですが、その後も自然災害のたびに「学者は何やってんだ」と叩く人たちがいます。
こんな事件があったころに、ソニーがプレステ作り始めていたのだな。
後から新聞読むと、全然別のラインとして記憶していた歴史がつながり始めて面白い。
東アジア経済圏構想、という記事もありました。
このころ、バブル経済もあって日本を中心とした東アジアがかなり力を持ち始めていた。
でも、個々の国ではアメリカにかなわない。
そこで、東アジアの国が、日本を中心に束になってアメリカと肩を並べよう、という構想が出始めた。
…日本、このころはまだずいぶんと信頼されてますな。
もちろん、この頃だって日本に侵略されたことのある国々は警戒心を解いてはいないのだけど、アメリカに勝てるなら協力しよう、という雰囲気になっていた。
でも、その後肝心の日本が急に力を失って、話がまとまらなくなった。
そのうえ、対抗しようとしていたアメリカが「そんな話があるなら混ぜろ」と割り込んできて、環太平洋戦略的経済連携協定…ここしばらく世間を騒がしている、TPPに発展したわけです。
もう四半世紀も前から準備始めてたのねー。
他にも、「イリジウム」携帯電話のための運用会社設立とか、新電々(この言葉も死語だな)各社の決算状況が記事になっていたり、今見ると懐かしい記事も多い。
時代が全然変わっちゃったね。
話を元に戻して。
本来、日経の記事を使用するには、厳密な規定があるようです。
たとえ個人ページでも、著作物なので使ってはダメ。
なので、いろいろ面白い記事もあったけど、無駄に掲示するのはやめておきます。
一方で、次世代ゲーム機戦争の話の中では、核心の記事のみ、画像として掲示させてもらいました。
日経新聞の著作物であることは理解しているので、引用元が日経であるとわかるようにしています。
日経にお金を払えば、日経のサーバー上に PDF で記事を用意してくれて、引用できるそうです。
これはお金を払って期間契約なので、期間が過ぎると消えます。
今回、ニュース配信したいわけではなく、歴史を残したいので、この契約だととても使えません。
日経としては「文章テキストとしての著作物性」を気にしているように見えるため、画像としての提示のみで、本文書きおこしなどはしません。
著作物には著作権の除外規定があり、その一つに「事実の報道」があります。
誰が見ても同じ事実であるならば、そこに著作物性はない、という考え方。
写真なども、「芸術性のある写真」か「事実を切り取っただけの写真」かで判断が分かれます。
画像としての提示は、「このような誤報があったという事実の報道」をしたい、というのが主眼であり、記事内容を配信したいわけではありません。
…と、言い訳したところで、本来グレーゾーンな行為です。
日経新聞から直接警告が来た際は、画像を消去するつもりでいます。
その場合も、縮刷版の何月何日の何面に載っている、という出典掲示によって、客観性は保てます。
ただ、記事内容を読みたい人が、いちいち大きな図書館に行かなくてはならなくなるため、利便性は損ないます。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【@azip77】 「久夛良木が面白かったからやってただけ」 プレイステーションの立役者に訊くその誕生秘話【丸山茂雄×川上量生】 http://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/2 (2017-01-28 11:05:25)【@azip77】 参考まで、2件リンクを置いておきます。 http://anago.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1361301546/19-23n (2017-01-28 11:04:24) 【@azip77】 朝からテレビを見てたんですが、任天堂の話とネット上のデマの話を追ってるうちに、なぜかこの日記のことを思い出しました;^^ ソニー側は信用できる立場の方の証言はいくつか見つかりますが、任天堂側、特に荒川氏への取材などが全くでてこないので、なんともまとめにくい感じですねえ。。 (2017-01-28 11:03:34) |
今日はグレゴリオ暦が制定された日。
ただし、イタリアでの話ね。
グレゴリオ暦を定めたのは、ローマ教皇グレゴリウス13世。
ローマ教皇だから、その勢力範囲はイタリア・スペインあたりなのだ。
ともかく、1582年の10月15日に、グレゴリオ暦は定められた。
ちなみに、この「10月15日」は、グレゴリオ暦によるもの。
その後はずっとグレゴリオ暦なので、今の 10月 15日と同じ意味だ。
じゃぁ、その前は10月15日は10月15日ではなかったのか、という話になる。
そう、違った。前日はグレゴリオ暦ではなく、ユリウス暦となっていて、10月4日だった。
つまり、グレゴリオ暦の1582年10月15日は、ユリウス暦の1582年10月5日だった。
…そろそろ混乱してきましたね?
ユリウス暦は、紀元前から使われていたカレンダーの計算方法だ。
厳密にいえば、紀元前 45年の1月1日から始まっている。
ただし、この「1月1日」というのは、現代的な表現だ。
当時は月に名前をつけ、その名前で表現した。今でもその名前で呼ぶほうが多いけど、ともかく当時は「1月」とは言わない。
古代の天文技術というのは結構優れていて、1年が365日と1/4くらい、と理解していた。
そこで、1年は365日、ただし4年ごとに閏日を挟むことになった。
暦は春、3月から始まる。
3月は、31日まで。4月は30日まで。
以降、奇数月は31日、偶数月は30日とすると、12か月で 366日となる。
これだと、普段は1日多くなってしまう。
そこで、閏年以外は、最後の月である2月を1日減らして対応した。2月は 29日までだ。
ところで、「月の名前」は、最初のほうは神様の名前が入っている。でも、最後のほうは「8番目の月」とか、即物的になってくる。
ところが、ユリウス暦を定めた皇帝ユリウスは、自分の誕生日である7月に、自分の名前 Julius をつけて、July としてしまった。
以降の月は1つずれる。
次の皇帝アウグストゥスも、ユリウスにならって、続く8月に自分の名前を付け、August とした。
以降の月はさらに1つずれる。
さらに、8月を 31日にしてしまった。偶数月は 30日、という原則が、これ以降崩れてしまう。
この影響で、2月は28日までになってしまった。
そして、オクトーバー(8の月)、ノベンバー(9の月)、ディセンバー(10の月)は、それぞれ2つずれて、10月、11月、12月になった。
プログラマなしっていると思うけど、Oct は8進数、Dec は10進数ね。
オクトパスが蛸、というほうが、Oct が8、と納得してもらえる例かな。
ところで、さらに次の皇帝ティベリウスに、側近が「9月に名前を付けては」と進言したらしい。
でも、ティベリウスは「暦は皆が使うものだから、皇帝といえども自分の名前を付けて混乱させて良いものではない」と一喝したという。
かっこいいぜ、ティベリウス。
…と、上の説を中学の頃からずっと信じていたのだけど、これはどうも13世紀の学者が唱えた説にすぎず、最近の研究では違うようだ、となっているらしい。
たった今知りました。間違っているかもしれないとなっても、面白いから書いたけど。
先に書いたように、3月から暦が始まるとすれば、オクトーバーは正しく「8番目の月」だ。
だから、名前を付けて後ろにずれた、ということ自体違うらしい。
30日と31日を交互にしていたのに…というのも、ユリウス暦以前の太陰暦で大の月と小の月がぐちゃぐちゃで、それをそのまま受け継いだものらしい。
アウグストゥスが自分勝手な間抜けではなかった、ということだ。
それはさておき、ユリウスとアウグストゥスによって完成した「ユリウス暦」は、1年が 365.25日だった。
実際の地球の動きは、1年が 365.2422 日なので、そのままだとユリウス暦は少しづつ早くなっていってしまう。
大体、1年で675秒ずれる。1日は 86400秒なので、128年たつと1日分ずれる。
紀元 325年に、春分の日を3月21日とする、と決められた。
しかし、やっぱり少しづつずれていく。
このずれが、1500年代の後半では、325年と比較して、およそ 10日分ずれていた。
(1582-325 = 1255 。128年で1日、と考えると、およそ10日ずれる計算で合っている)
そこで、グレゴリウスが、暦の計算方法を改めた。
128年で1日早まるのだから、100年に一度は「閏日をなくす」ことにした。
これだと、まだ28年分の端数が出る。そこで、400年に一度「やっぱ閏日を入れる」ことにした。
まだ400年で12年分の端数が出ているが、そこまでは考慮しない。
これが 128年分たまったら1日ずれてしまうわけだが、4000年程度はかかる計算になる。
実用上は考えなくてよいだろう。
そして、グレゴリウスは、この暦の計算方法を使うことにするのと同時に、ずれた10日分を無理やり修正した。
そのため、1582年の 10月4日の翌日は、10月15日となったのだ。
グレゴリウス暦は、なかなかほかの国が採用するのに時間がかかった。
1752年9月14日には、イギリスが導入している。
このころのイギリスは帝国であり、アメリカを含む植民地も一斉に変わった。
このため、1752年9月をグレゴリオ暦の導入日、とする人も多い。
UNIX の cal コマンドなんか、1752年9月を表示するとちゃんと「2日の翌日が14日」の表示をしてくれる。
日本では1873年に導入している。
それ以前は、ユリウス暦ではなく太陰暦を使用しているため、12日ずれる、なんて生易しいものではない。
12月2日の翌日が、1月1日になってしまった。
しかも、十分な周知がなされないまま、無理やり導入してしまった。
実は、政府は1872年度の予算が足りなくなっていて、公務員の給与が払えない状態だった。
そこで、12月を1か月分なくすことで、早く来年度予算を決めて解決しようとしたらしい。
話はポンポン飛ぶが、「ツェラーの公式」というものがある。
グレゴリオ暦であることを前提に、年月日を元に曜日を知るための公式。
W = y + [y/4]+[h/4] - 2h + [ 13*(m+1)/5 ] + d
年は、上2桁と下2桁に分けて考える。上が h 、下が y だ。
m は月で、d が日。
ただし、年は3月に始まるものとする。1月と2月は、前年の 13、14月として処理する。
出てきた W を、 7で割った余りが曜日になる。
式の意味を解析するのは楽しいのだけど、長くなるので今はやめておく。
僕はプログラマーで、占いなんかも作ったことがあるのだけど、上の式を理解しているといろいろ応用が利く。
7で割るのではなく、6で割れば六曜に対応できる。
12で割れば十二支に、10で割れば十干に、組み合わせれば干支に対応できる。
他にも、日付によって「繰り返し」で計算する占いって、結構多い。
まぁ、占いを作るような時しか使わないので、すぐ忘れてしまう式でもあるのだけど、忘れても調べればすぐわかる。
存在を知っている、ということが大切。
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表題の「失物 出るけれど 遅い」は、今年の初詣で次女が引いた御神籤にあった神託。
毎年頭に近所の氏神様にお参りしているけど、そこで御神籤を売っている。
信じちゃいないけど、ちょっとした楽しみと、賽銭以上に神社に寄付してあげようという気持ちで1つだけ引いている。
引くのは、いつも次女。末っ子で素直に楽しむから。
そして、ひいた御籤は来年の初詣まで保管してあるから、何が書いてあったかなー、と思えばすぐにわかる。
昨日の夕方、長女が家に帰ってくるなり慌てた様子で「おとーさーん」と僕のところに来た。
どうしたの、というと「これ見て」と何やら差し出す。
今年の3月に失くした次女の髪ゴムだった。
自分のお小遣いで買って、大切にしていたので泣いてたっけ。
もう半年以上たって見つかった、ということに驚いた。
なんでも、友達と公園で遊んでいたら、木の枝に引っかかっていたのだそうだ。
その公園は時々遊びに行くが、つい先日まで何もなかったと思う。
じつは、一昨日の月曜日の朝に、長女は友達から「髪ゴム落とさなかった?」と聞かれたそうだ。
我が家の名字が書いてある髪ゴムを公園で見かけたから、と。
その時は、長女は髪ゴムなんて落としてないし、知らないと答えたため、どこの公園かは聞かなかったらしい。
それをたまたま見つけたのだ。
次女が髪ゴムを失くしたのは、保育園でお散歩に出たときだった。
たしかに、その公園の前は通る。
となると、落とした髪ゴムはどこか見当たりにくいところに入り込んでいて、この週末にでも発見されたのだろう。
そして、見つけた人が目立つ木の枝などにかけて置いてくれた。
多少汚れてはいるが、ゴムなどが劣化した様子はない。溝の中に落ちていたという感じでもなさそう。
失物 出るけれど 遅い
御神籤の通りだった。
ところで、次女に見せたら驚いてはいたけど、それほど喜んではいない。
半年前はかわいいキャラクターのついた髪ゴムを結ぶのが好きだったのだけど、最近の好みはシンプルなゴムで結んだあと、シュシュをつけてまとめたお団子頭なのだ。
失物 遅きに失す
また髪型の好みは変わるかもしれないし、せっかく見つかったのだから大切においておこう。
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別年同日の日記
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長男がScratchを楽しむようになってきたので、パソコンを与えようと思った。
今は親のノートパソコンを使っている。
このノートはメインマシンではないので貸しても大丈夫な一方、子供が遊びたいときでも親が使っていたら使えない。
幸い、家には古いノートパソコンがいくつかある。非力だけど。WinXP だけど。
これを与えようかな、と思ったのだけど、サポート切れの WinXP を使わせるのも危険なので、何とかして再生したいと考えた。
古くて余っているマシンは、NEC のLavie。型番でいうと LJ700/EE。
CPUがPentiumM で、1.2G 駆動。
メモリは 512M 。
購入時から性能低めだった。いわゆるネットブックだと思っていい。
でも、決して性能の悪い安物ではなく、「軽くて長時間使えるノートパソコン」を実現するためにわざと低い性能にしているのだ。
購入当時はまだ長男も生まれたばかり。妻が子供が寝たすきに、そばを離れないで少しパソコンできるように…
と、軽くて取り回しの良いマシンを買ったのだった。
でも、子供が寝たらメインマシン使ったほうが良かったし、子供が起きていたらパソコンなんてできない。
そんなわけで、あまり使わないままに古くなり、使われなくなった。
えーと、紆余曲折あるけど長いので詳しくは書かない。
上記マシンは、USB メモリでのブートができない。
USB CD / FD 起動は可能。でも、使おうとしたら我が家の USB DVD は調子が悪くなっており、使えなかった。
まず、Chromium OS を入れてみようとしたのだけど、PentiumM では動かなかった。
PAE 機能がないと動かない、らしい。
PentiumM には PAE が「ある」のだけど、CPU に機能を問い合わせた際に「ない」と答える。
i486SX みたいに、回路的には作りこまれているのだけど、販売戦略的にないことにして安くしたのだね。
オープンソースなので、PentiumM で動くように改造したバイナリを配布している人もいるが、子供に使わせるマシンにややこしいことはしない、という方針なのであきらめた。
Chromium OS を試しに動かしたり、インストールするには、USB メモリからの起動が必要だ。
USB メモリ起動できないマシンでは、Plop Boot Managerが役立つ。
FD から起動して、内臓 HDD の MBR に書き込んでしまえ。
次回起動で MBR から起動したソフトが、USB メモリからのブートに対応してくれる。
Chromium OS をあきらめ、軽量 Linux を使うことにした。
軽量 Linux は多いが、2つの方向性がある。
一つは、小さなメディアに入るように調整したもの。CD 1枚にすべての環境が入っていて、そのままブートして使えたりする。
興味があるけど普段使いのマシンの HDD にインストールするのは怖い、という人向け。
もう一つは、非力なマシンで動くように調整したもの。
小さなメモリ、遅い CPU で満足いく動作をするように調整してある。
古いマシンを捨てずに活用したい、という人向け。
今回求めているのは、後者だ。
いろいろ調べ、Linux Bean を使うことにした。
Ubuntu をベースにしている。日本人の作で、古いマシンにインストールして日本語で使うことを想定している。
主にクライアント用途として使うように考えられていて、サーバー類は基本的に入らない。
つまり、バックグラウンドで動くものが少なく、動作が軽い。
独自ディストリビューションではあるが、Ubuntu のパッケージインストーラがそのまま使える。
なので、「非力マシン向け」ではあるが、覚悟さえあれば非常に重いソフトでも入れることができる。
Linux Bean はさらに2種類(現状で)あり、Ubuntu の 12 ベースと 14 ベースになっている。
12 ベースは、Pentium 以前の古い CPU と、小さなメモリでも動く。真に非力マシン向け。
14 ベースは、PAE 必須。「なし」と答える PentiumM でも構わない。メモリも 12 より必要。
今後も 2019 年までサポートされる。(12 は 2017年まで)
4G より多いメモリを積んでいる機種では、こちらを使わないとメモリを全部使うことができない。
「古い機種」といっても様々だから、1G のメモリと、1.4GHz 程度の CPU があれば 14 ベースが良いのではないかと思う。
今回は、本当に非力なマシンなので、12 ベースのほうを選んだ。
LinuxBean は、インストール CD を焼いて、そこから起動して使い勝手を確認してから、使おうと思ったら内蔵 HDD にインストールする、という形になっている。
先に書いたが、家の USB DVD ドライブが壊れていたようだ。使えない。
そこで、UNetbootinを使った。CD イメージを USB メモリに入れて USB メモリブートすると、最初にブートしたソフトが CDドライブをエミュレートし、CD イメージから起動してくれる、というソフト。
先に書いたが、入れようとしているマシンは USB メモリブートができず、HDD の MBR に入れたソフトで USB メモリブートを実現している。
つまり、起動すると BIOS が HDD の MBR を読み込んでブートローダを起動するが、この際 MBR に仕込んだソフトが BIOS をエミュレートして USB メモリからのブートを行い、USB メモリに仕込んだ CD エミュレータが動き出し、CD エミュレータが CD イメージからのブートを行う…
という、奇怪至極な方法で起動した。
試しに使った LinuxBean は少し動作に疑問の残るものだったが、タッチパッドも動くしWiFiも接続できる。
調整はどうにかなるだろう、と考えて、HDD にインストール。
Windows を残したままインストールできる設定だったので、残しておいた。使うつもりはあまりないのだけど。
さて、HDD から起動できたら、ざっと設定する。
我が家の Lavie に特化した話を書いてもあまり役立たないだろうから、一般的な話から。
WiFi 接続は標準状態で可能になっている。というより、最初は何の設定もなくてネット接続できないはずだが、接続がないと「設定してくれ」と設定ツールが起動する仕組みになっている。
初心者でもわかりやすいだろう。
ネットに接続できたら、デスクトップに置いてある「LinuxBean 設定ウィザード」を起動するといい。
ここで、自分の欲しいソフトや環境をチェックしてから OK ボタンを押すと、環境を勝手に整えてくれる。
これが非常に便利。Linux の不便さ・不親切さをこれほど見事に解消しているのをはじめて見た。
Linux って、ソフトが非常に多いから、「やりたいこと」から「ソフト名」を自力で調べ、そのソフトのパッケージを探し出してインストール、というのが普通の流れなのだけど、初心者にはハードルが高すぎる。
設定ウィザードを使うと、やりたい事別に、必要なソフトを「セット」でまとめて入れてくれる。
ノートパソコンを使うなら、「モバイルセット」を入れたほうがいい。
それでないと、蓋を閉じたときにサスペンドをする、という一見当たり前のこともできない。
子供に使わせるのに Chrome が欲しいので、Google Chrome も入れる。
各パッケージには、参考としてシステムに対する負荷が書かれている。
Chrome は「強」だけど、使いたいので何を言われてもひるまずに入れる。
#標準では Opera が入っている。メモリはあまり食わないが、速度は遅いし今時主流ではないのでネットを見ていると不具合に遭遇することもしばしば。
Scratch は Flash で作られているので、Flash も必要だろう…と入れたら、Chrome が Flash を内蔵していた。
(Windows 版では内蔵しているのを知っていたが、わざわざ Flash があるのだから、Linux 版は違うのかと思った)
NAS とファイル共有したかったので、Windows ファイル共有のセットを入れた。
しかし、これは Samba サーバーだった。NAS にアクセスするだけなら標準環境でできたので不要。
こうした不要なものを入れてしまった場合は、再度設定ウィザードを起動して、チェックを外せばアンインストールされる。
これも簡単で便利。不要だったら消せる、というのは、気軽にいろいろ試してみる気になる。
設定ウィザードとは別に、Ubuntu としてのアップデートもできるようになっているので、アップデートしておいたほうが良いだろう。
さて、いいことづくめではない。
LinuxBean は、標準の Ubuntu の重い部分を取り去ったものだけど、その「重さ」には、ユーザーが便利に使えるように、という細やかな心配りも含まれている。
標準 Ubuntu では、タッチパッドの動作を細かくカスタマイズできる。
でも、LinuxBean では、カスタマイズのためのソフトがない。自分で設定ファイルを書かなくてはならない。
標準動作では、タッチパッドを「タップ」すると、クリックと同じ扱いになっていたのね。
これが誤認識してイライラさせる。この動作を失くしたい。
マウスやキーボードは X11 が扱っているので、その設定ファイルを直接書けばよい。
Ubuntu では、X11 の実装として Xorg86 を使っているのだけど、設定ファイルの位置は変えられている。
/usr/share/X11/xorg.conf.d/50-synaptics.conf
が、標準のドライバ用の設定ファイルだ。
(動作が納得いかないとしても、動作している場合ね。動作していないのなら、標準ドライバでは認識できない機種なのだろうから、このファイルに何を書こうとも動かない)
タップしてもクリック扱いにならないように、というのは、このファイルの中に
Option "TapButton1" "0"
と書けばいい。
現在の設定は
synclient -l
で見られるし、
synclient TapButton1=0
で、設定ファイルに書くのと同じ内容を設定できる。
ちなみに、設定の中には「2本指でタップした場合」なんてのもあるけど、そもそも2本指検知に対応していないといけない。
対応しているかどうかを調べるのは xinput というコマンドを使えばよい。
設定項目は非常に多くて深淵だし、設定ファイルの書式なども知らないといけないのだけど、全部説明すると長いので書かない。
キーワードは十分に示したので、知りたい人は自分で調べよう。
設定が納得いってきたので、子供用のアカウントを作る。
管理者権限のない、一般アカウントにしておく。
このアカウントで自動ログインするようにしておこう。
…とおもったら、自動ログインの設定はシステム全体に影響を及ぼすので、管理アカウントでないと設定できないようだ。
また設定ファイルを書き換えなくてはならない。
まずは、管理者アカウントで、左下のボタン(Windows XP での「スタート」に当たる)を押して、「設定」から「ログイン画面の設定」を選んでみよう。
これで、管理者アカウントでは自動ログインするようになる。
次に、以下のファイルを書き換える。
/etc/lxdm/default.conf
autologin 、というキーワードの入った行があるはずだ。後ろに、先ほど自動ログイン設定したアカウント名が入っている。
(コメント行にサンプル設定もあるので間違えないように)
そこのアカウント部分を書き換えてしまえば良い。
これで自動ログインが可能になる。
自動ログイン以前に、そもそも起動時に「どの設定で起動するか」を聞いてくる画面がある。
これも、子供に使わせるには間違いの元だから消してしまおう。
やはり「設定」の中に Grub Customizer がある。
「Boot Default entry after」で、起動画面の表示秒数を変えられる。
0 にしてしまえば、表示なしに起動する。
こんな感じで設定終了。
当たり前に「設定ファイルを書き換える」とか書いてある場所、管理者権限必要だからね。
どうやったら管理者権限使えるかわからない、という人は、ここに書いてあることだけ真似ても、環境を壊してしまう可能性があるからやめといたほうがいい。
理解できる人だけが、自己責任でやること。
でも、設定ファイルを直接編集する必要があったのは、タッチパッドの設定を変えたところだけ。
気に食わないなら、USB マウスつなげばいいだけの話。
自動ログインは、管理者権限を与えておけば編集の必要はなかったし、別になければないで構わない。
Ubuntu は初心者向けによくできている、と思っているのだけど、LinuxBean はさらにハードルを下げている。
使い始めて慣れてしまったら、その時は Ubuntu のように使うこともできるしね。
タコは財産、という Linux 界の標語を久しぶりに思い出しました。
最後に、「どのくらい軽くなったか」を書いておこう。
時間計測は、すべてストップウォッチによる目測。厳密なものではない。
そもそも、Windows はしばらく使っていたので、それなりに常駐ソフトなども入っている。
フェアな比較にはなっていない、と断っておく。
常駐ソフトは主に動作の遅さなどを軽減するためのもので、重くなるようなものは入れていないのだけど。
Windows は起動中にユーザー選択が挟まる。手で操作して、一番起動項目の少ない子供用アカウントを選択しているが、1~2秒のタイムロスがあると考えていい。
Grub での OS 選択から、デスクトップが現れて操作可能になるまでの時間
(Windows は、そのあとも各種ソフトが起動していくが、その時間は含めていない)
Windows: 75s
LinuxBean: 35s
タスクマネージャ(使用メモリ量を見るためのアプリ)を起動した際の使用メモリ
(Windows は使用メモリ量=コミットチャージ)
Windows: 177MB
LinuxBean: 68MB
Chrome を初回起動するのにかかった時間
Windows: 12s
LinuxBean: 18s
Chrome を起動した際の使用メモリ
Windows: 223MB
LinuxBean: 138MB
全体に LinuxBean のほうが軽いのだけど、Chrome の初回起動だけ遅い。
(どちらの OS でも、キャッシュがあるので2回目以降の起動は速くなる)
これは思い当たる節があって、Windows は定期的にデフラグをやって、「よく使うソフト」などは HDD で高速アクセス可能な外周に寄せていた。
今回、LinuxBean は Windows があまり使っていない「内周側」に入れられたし、Linux ではデフラグによる最適化もされていない。
HDD の速度として、ずっと不利な条件かもしれない。
逆に考えれば、それでも起動が半分程度の時間、というのはすごく軽いことになるのだけど。
実は、計測しようとしている最中に、Windows がどうしようもなく重たくなった。
ずっと使わずにおいていたので、Windows Update と、アンチウィルスソフトの更新が重なり、メモリを 512M 以上使ってしまい、SWAP しながら動き出したのが原因だった。
LinuxBean は、何とも不親切なことに、自動的に Update なんてしてくれない。
セキュリティ意識をもって使い、定期的に忘れず Update しなくてはならない。
さもなくば、セキュリティが甘くて問題が出る、という不幸に見舞われる。
反面、裏で勝手にダウンロードを始めて重くなる、という不幸には見舞われない。
一長一短だけど、非力なマシンを使うならどちらにしても覚悟が必要だということだ。
今回は子供に使わせるものなので、「裏で勝手に何か起きる」というの余計な混乱を起こすだけ。
LinuxBean の方針がありがたい。
Update は子供が使っていないときに僕がやることにしよう。
後日談
非力なマシンはやっぱり非力でした。
でも、今まで使えてなかったのを、少し活用できそう。
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今日は、ジュラシックパークやアンドロメダ生命体でお馴染みの(?)マイケル・クライトンの誕生日(1942)。
以前、命日に記事を書いているので、詳しくはそちらを参照してください。
ジュラシックパークのシリーズは今でも人気で、現在シリーズ4作目となる「ジュラシックワールド」を公開していますね。
最初の2話しか原作書いてなくて、あとは別人がシナリオ書いているだけみたいですけど。
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昨日「非力なマシンに LinuxBeanを入れてみた」と書いたばかりなのですが、やっぱダメだった報告。
一応、子供の主な目的は Scratch だとわかっていました。
だから、ちゃんと Scratch が使えることは確認していた。
簡単なプログラムも組んで、多少遅いけど動作に問題ないことも確認した。
でも、子供はすでにいろいろなプログラムを作っていた。
これが想像以上に大規模なプログラムで、読み込ませたら非常に重い。
ついには、Flash がクラッシュして停止した。
うーむ、使い物にならなかったか。
Hello World 程度の簡単なプログラムが動いたからと言って、実用にはならなかった、という話。
Scratch には 1.4 と 2.0 の2系統がある。
長男が普段使っていたのは、2.0 。WEB サイトにアクセスすることで、WEB ブラウザ上で動作する。
Flash 上で動いている。
これとは別に、ローカルマシンにインストールして使用する 1.4 がある。
こちらは、Squeak (Smalltalk のフリー実装)上で動作する。
番号が上だから 2.0 のほうが高機能、というわけではない。
うちもそうだけど、子供が自分のマシンを持っていることは少なくて、親のマシンを借りていると「ソフトをインストール」はできないことがある。
そこで WEB ブラウザ上で動くようにした、というのが 2.0 なのだけど、WEB ブラウザの制限によって一部機能を諦めている。
とはいっても、機能劣化版ではなく、2.0 でないと使えない機能もある。似て非なるものだ。
1.4 でないと使えない機能の筆頭は、ポート入出力。
RaspberryPi に Scratch1.4 を組み合わせ、自作の自動車を制御する、なんて遊びが子供の間で流行している。
こういう、制御系に使う場合にはポート入出力が必須。
センサーで状況を確認して、モーターを動かす、というようなことが基本なので、車でなくてもかまわない。
現実世界をプログラムでコントロールできる、という夢のような機能は、1.4 でしか使えない。
2.0 でないと使えない機能の筆頭は、「ブロック」(手続き、関数に相当)の作成と、インスタンスの生成。
この二つ、プログラムへの理解が進まないと混乱するだけの機能なので、1.4 では入れられなかったのだと思う。
でも、使い慣れるとこれなしにはプログラムが作れなくなるほど強力。
特に、ゲームなどで必要な「たくさんの敵」の表現は、2.0 のインスタンス生成なしには考えられない。
さて、LinuxBean に 1.4 をインストールしてみたら、2.0 よりも軽快に動く。
それはそうだろう。1.4 は RaspberryPi でもよく使われるが、いくら非力とはいっても Lavie は RaspberryPi よりは高性能だ。
#初代 RasPi との比較。最近の RasPi は高性能化しているので負けるかも。
長男はとりあえず「ちょっと画面構成などが異なる」 1.4 に興味をもって少し使っていた。
でも、やっぱり Scratch は 2.0 でやりたいようだ。
#この件、高速化のための情報をいただいたので後日書きました。
RaspberryPi では、通常の Scratch よりも3~10倍程度早く動くものが使われているそうです。
話は変わる。
最近長男は将棋にも興味を持っているのだけど、周囲がみな弱いので、ゲームにならない。
駒を動かすのがやっとの長女を相手にして、勝ったと喜んでいる。全然自慢にならない。
そこで、Linux 上で動く将棋ソフト、GNU Shogi (と、グラフィカルに表示するフロントエンドである Xshogi)を入れてあった。
これは興味をもって遊んでいた。
でも、強すぎる。本来、このソフトは非常に弱い部類なのだけどね。
コンピューターに将棋を打たせるのも難しい、という時代に「森田和郎の将棋」が作られ、そこで使われたアルゴリズムなどはすべて公開された。
その後、森田将棋を参考に多くの将棋が作られ、GNU Shogi もそうしたものの一つだったはず。
初期の世代のアルゴリズムなので、それほど強くない。
Bonanza は、森田将棋以来のアルゴリズムを大きく変えたソフトだ。
将棋ソフトの思考の基本は、数手先に最善になる可能性が高い手を読む、ということだ。
ここで、「最善」とは何かが問題になる。
森田将棋のアルゴリズムでは、この「最善」をどう考えるかがプログラマの腕の見せ所だった。職人芸ともいえた。
Bonanza では、この「最善」を求める職人芸の部分を、機械学習に置き換えた。
膨大な棋譜を読み込ませ、それぞれの勝敗を元に、どこの手が良かったのか、悪かったのか、膨大な棋譜すべてに共通できる考え方を、自ら編み出していく。
そして、森田将棋がアルゴリズムを公開したように、Bonanza もソースコードを公開した。
それ以降、将棋ソフトはどんどん強くなっている。今も発展の途上だ。
…と歴史話を書いてみたけど、つまりは GNU Shogi は非常に弱い。
長男は将棋に興味を持っているけど、GNU Shogi にちっとも勝てない。
もちろん僕も勝てない。将棋に関しては僕もかなり弱いから。
このマシン、Windows より起動も終了も速くて、気楽に使えるのは事実。
当面気楽な WEB 端末として使ってみるのもいいかもしれない。
長男は将棋は気に入ったようで、将棋だけ遊ぶのにこちらのマシンを使っている。
他にも、いくつか子供が興味を持つようなゲームを入れてみてもいいかもしれない。
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古くて非力なマシンをLinuxBeanで再生してみた【日記 15/10/23】
別年同日の日記
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非力なマシンでは Scratch が重くて落ちた、と書いたところ、日本での Scratch 普及の第1人者でもある、阿部 和広さんから直接情報をいただきました。
@wizforest Raspbian Jessieに同梱のNuScratchは最新のSqueakとJITを使って3〜10倍高速化されています。他プラットホームではパッケージを入れるだけの手軽さはありませんが、試す価値はあるかもしれません。
— Kazuhiro Abe (@abee2) October 24, 2015
というわけで、NuScratch をキーワードに検索してみるけど、RaspberryPi 関連のページしか見当たらない。
探すうちにだんだん理解できて来たので、以下僕による補足。
この世界はそれほど詳しくないので、間違えていたらごめんなさい。
Smalltalk は当初の設計より「仮想CPU」(Virtual Machine : VM と呼ばれます)上で動作しています。
リンク先に書いてあるのだけど、当時 ARPANET の構築が始まっていて、まだ実際に接続に必要なソフトは PDP-11 用しかありませんでした。
Xerox の技術者は、ARPANET に参加したかったのだけど、Xerox は「シグマ7」という PDP-11 の対抗機種を作っている。
会社に PDP-11 を買ってくれ、とは言えない。
そこで、Alto を作ります。Alto は CPU の命令を「マイクロコード」で実際の演算回路に変換する仕組みだったのですが、このマイクロコードを可変にしたのが特徴でした。
PDP-11 互換、とは会社には言っていないのですが、PDP-11 互換に「することも」できます。
Alto 上ではいくつかの OS が作られ、OS ごとに都合のよい命令を作るようにマイクロコードを設計しました。
つまり、Alto 上の OS はどれも、「仮想的な CPU」である、 VM 上で動く設計なのです。
Smalltalk も Smalltalk 用の VM の上で動きました。
そして、この構造は Smalltalk が別のハードウェアに移植されたときにも変わりませんでした。
Smalltalk が必要とする VM をそのハードウェア上に移植すれば、Smalltalk の移植は完了。
仮想 CPU を挟むので多少動作は遅くなりますが、移植性の非常に優れた OS でした。
Squeak も Smalltalk の実装の一つなので VM を使うのです。
この VM は命令を逐次解釈(インタープリタ)実行します。
たとえば、2つの変数(レジスタ)、αとβを足し合わせ、結果をαに残す、という命令を実行してみましょう。
1. VM はメモリから命令データを取り出します。
2. 命令データを調べ、「2つの変数を足す命令」だと認識し、3 以下のプログラムを呼び出します。
3. αに相当するメモリのデータを取り出し、実際の CPU のレジスタ EAX に入れます
4. βに相当するメモリのデータを取り出し、実際の CPU のレジスタ EBX に入れます
5. 実際の CPU で、ADD %EAX,%EBX 命令を実行します。
6. EAX の内容をαに相当するメモリに格納します。
7. 1 に戻ります。
これで終わり、5 は実際に計算している部分で、それ以外は「仮想 CPU」と、「本物の CPU」の間で、すり合わせをやっている作業。
実際にやりたいことから見ると、無駄が非常に多く、遅いです。
商用の Smalltalk を作成している会社は、もっと高速に実行できる JIT (Just-In-Time: 即時)コンパイル VM を使います。
仮想 CPU の命令を、実行する瞬間に解釈して本物の CPU の命令に変換し、その後は同じ場所を実行する際には常に本物の命令を使う、という方法です。
先に書いたのと同じ例でいえば、「αは EAX 、βは EBX」のように、ある程度現実の CPU と VM のレジスタを一致させてしまい、加算命令を ADD %EAX,%EBX という命令に変換します。
そして、周囲の命令も含めて、連続して「変換した」内容をメモリにおいて、そのメモリ内容を実行します。
初回のみ解釈が必要ですが、以降は解釈なしで実行できるため高速です。
しかし、本物の CPU に変換した命令を覚えておくためのメモリを必要としますし、技術的に高度になるためバグも混入しやすくなります。
2010年に、商用 Smalltalk を作成している会社が、VM 部分を無償公開したそうです。(Cog VM と呼びます)
より厳密にいえば、JIT VM を作っていた人が商用 Smalltalk の会社に売り込みをかけたが、さらにフリーウェアとして公開することを承諾してもらった、ということなのかな。
いずれにせよ、他社に対するアドバンテージを入手したのに、それを公開するというのは英断です。感謝。
そして、この VM は Squeak でも使用することができます。
最初に書いた通り、Smalltalk は最初に設計されたマイクロコード上で動作するようになっていて、複数ある Smalltalk 処理系で共通になっているためです。
とはいえ、細かな部分…例えば、動作のタイミングなどまで厳密に同じか、といえば異なります。
「速くなっている」というのは、つまり「全く同じ」ではないのだから。
だから、Squeak で使用するのは保証外。
Cog VM はまだ開発途上で、2010 年に最初のリリースが行われた後、2014年にも大きな機能追加があり、大幅に高速化したようです。
さらに高速化のアイディアを現在実装中で、2015年中にはリリースしたい、とのこと。
速度は条件により異なるが、平均して5倍速になるだろうと目標を立てています。
そして、現状の Cog VM 上で動作するように調整した Scratch が NuScratch のようです。
保証外だけどうまく動いているし、非力な RaspberryPi では速度を稼げるほうがずっと大切です。
#Nu は New の意味。よくあるスラングです。
…というわけで、すでに Scratch が動く環境なら Squeak の VM 部分を Cog VM に交換すれば「NuScratch 相当」になるはず。
挑んでみましたが、「簡単ではない」ことがわかり、成功はしていません。
まず、日本語版Squeakは、Squeak を日本語対応にして再パッケージしたものですが、Cog と公式 VM の両方が使えるようになっています。
Scratch は Squeak 上で作られて、VM の命令レベルのバイナリで配布されているもの。
なので、理論的には VM を取り換えれば話は済むはずです。
でも、VM とバイナリには、それぞれ「命令のバージョン」が入れられていて、バージョンが違うとエラーになって動作しません。
日本語 Squeak の VM のバージョンは 6505。Ubuntu 12 で入れられる Squeak のバイナリのバージョンは 6502 です。
バージョン違いで動きません。
Squeak は、Smalltalk の(つまりは Squeak の)ソースコードでも配布されています。
でも、僕が Smalltalk に詳しくないので、このソースコードを読み込ませ、バイナリにコンパイルする方法がわかりません。
多分、Cog で動く Squeak の上で Scratch のソースコード読ませて、バイナリで保存すればよいのだと思うのだけど…
最初に情報頂いた阿部和広さんの解説記事にScratch の改造方法があります。
ここでは、ソースを用意して改造しているのだけど、「ソース入りのバイナリ」を使っているのね。
バイナリを使うとバイナリバージョンに依存してしまうので、純粋なテキストソースから読み込まないといけないと思うのだけど…
#Squeak のプログラムは、「VM 上のメモリイメージのスナップショット」として配布されることが多い。
Smalltalkには「ファイル」という概念がないので、プログラムのバイナリファイルを配布、というわけにいかないのね。
そして、スナップショットなので、メモリにソースを読み込んだ状態で配布すれば、ソースを見られる。上記ではそれを使っている。
純粋なソースも配布されているようなのだけど、VM 上にどうやって読み込ませるのか知りません。
(先に書いたように、ファイルという概念がないので、ソース「ファイル」を読み込ませる方法もない)
というところで昨日は時間切れ。
あと少し作業すればできそうな気もするし、まだ先があるかもしれません。
興味のある方もいるかな?
でも、再コンパイルしたものの再配布は禁じられているようなので、完成したとしても再配布はできません。
成功したら、「やり方」を示すだけでも意義は大きいとは思うのだけど、先行き不透明です。
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別年同日の日記
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今日は、ダニエル・ジュリアス・バーンスタインの誕生日(1971)
本名よりも、略称である DJB のほうが有名です。
…って、誕生日 1971年? 僕より年下だとは知らなかった!
10年くらい前に DJB の存在を知った時点で大学教授だったから、もっと年配だと思っていたよ。
どんだけ天才なんだ…
と、興奮気味に書き出してみましたが、UNIX で有名なソフト群を作った人です。
ただし、彼自身は暗号の専門家であり、ソフトウェアは専門ではありません。
でも、コンピューターがわかるから大学でコンピューターネットワークの管理をやらないといけなかった。
良くある話です。
そうしたら、四六時中ソフトウェアの脆弱性が見つかったり、新機能が追加されたりでアップデート作業が必要になった。
自分の研究時間を奪われることになった。
じゃぁ、俺がアップデートの必要なんてないソフトを作ってやる! と作ったのが、一連のソフト群。
UNIX のソフトで過去に見つかった「脆弱性」をよく研究し、脆弱性が出やすいポイントを「回避する」ように作られています。
WEB/FTP サーバーも作ったけど、これは非常に低機能なので誰も使ってないと思います。
メールも DNS も、ネットワークの必須機能。
しかも、すでに枯れた技術で、これから大きな新機能が追加されることもなさそうです。
これらを、脆弱性がないようにきっちり作り込んだ。
決して高機能ではありません。むしろ低機能。
ただし、高性能です。
枯れた技術なので、機能追加アップデートは不要です。
十分高性能なので、性能を上げるアップデートはありません。
そして、脆弱性はおそらく出ないので、セキュリティアップデートも不要です。
これで、アップデートのない、サーバー管理が実現できます。
DJB のソフト群は、非常に独特の構成をとっています。
一般的なソフトとは違いすぎて、管理概念になれるのが少し大変。
だから、DJB のソフトは嫌い、という人も多いです。
でも、この独特な構成は、セキュリティを高めるためです。
まず、「メールサーバー」と書きましたが、これだけで大きく分けて2つのソフトになっている。
メールを「受信する」のと「送信する」ので、別のソフトになっているのです。
そして、それぞれはさらに細かなソフトに分かれています。
プログラムが複雑化するとバグが出やすく、脆弱性の元になるため、動作を最小単位にまで分割しているのです。
これらの小さなソフトは協調して動きますが、決してお互いを信頼しません。
自分の任された仕事はきっちりやるけど、ほかのソフトが正しく仕事をしているとは信じないのです。
これにより、どこかに脆弱性が発生しても、全体として致命的な事態にならないようになっています。
そして、「他を信用しない」ために、それぞれのソフトが別の権限を持つようになっています。
UNIX では、権限は「ユーザーアカウント」で表現されるため、メールサーバーを入れるだけで6つのユーザーアカウントの登録が必要となります。
さらに、設定ファイルも細かく分割されます。
これは、分割されたソフトごとに別々の設定が必要、ということもあるのですが、「構文解析」、特に「文字列処理」という脆弱性の元となりやすい部分を無くすためでもあります。
構文解析というのは、「文章を読む」ということ。
普通設定ファイルには、いくつもの設定項目が書き込まれます。この文章を読み取る必要があるのですが、文章を読むという処理は結構複雑で、脆弱性を持ちやすいのです。
DJB のソフトでは、設定ファイルは「ファイル名」が設定項目で、中身が設定の値です。
そのため、構文解析の必要がなく、こうした脆弱性が入り込む余地がありません。
また、また、人間のミスによる「脆弱性」をなくす目的もあるようです。
一般的に、設定ファイルは1つであることが多いのですが、そのために、うっかり書き間違えると関係のない機能にまで影響が及ぶことがあります。
こうした「うっかり」をなくすために、設定1つごとに1ファイルなのです。
でも、この方法だと小さなファイルをたくさん作る必要があります。
もう、何から何まで分割したがる。
アカウントを6つも使い、設定ファイルだけで十個以上。
ここまでややこしい設定を要求しておきながら、できることは「UNIX のローカルアカウントへの配信」だけです。
普通のメールサーバーよりも低機能。
別マシンへ配送するための POP3 サーバーなどは、別途入れる必要があります。
さらに、このメールソフトは、動作ログを「標準出力」に吐き出します。
ファイルに残したいなら、標準出力をファイルに残すためのソフトを、別途入れる必要があります。
ソフトの動作を最低限の機能に絞って脆弱性を失くす、という方針なので、何をやるにしても「それは別のソフトで」となる。
DNS も同じ調子。
DNS って、「世界中の情報を調査する」ための機能と「自分の情報を提供する」機能の、2つに分かれている。
ところが、最初に DNS を実装した BIND では、この2つの機能をごちゃまぜに考えてしまって(最初はこれが別機能だという認識もなく)、同じポートで提供している。
#ネットワークの仕組みで、1つの「アドレス」に、受付窓口である「ポート」が複数あります。
ポートはサービスごとに異なっていて、メールなら 25、WEB なら 80 、というような番号で指定されます。
DNS は 53 番なのですが、この1つだけで「情報調査」と「情報提供」の両方を兼ねているのです。
DJB の作った DNS では、別の機能は別のソフトです。
でも、1つのアドレスで同じポートを使う2つのサービスは提供できない。だから、別の IP アドレスを使う必要があります。
なんと! サーバー1つ入れるために、1つのマシンに2つの IP アドレスが必要となってしまう。
これで困ってしまう人も多くて、DJB の DNS サーバーは、メールサーバーよりさらに不人気。
ここではインストール方法を書きたいわけではないので、詳細は書きません。
でも、ちゃんとおかしなことをしないで設定できる。設定できないと思うなら、管理者としての知識が浅いだけ。
世の中の「インストール方法」を書いたページにも、間違っているものが多数見受けられます。
一見動いているように見えるけど、外部 DNS サーバーを参照しているだけで、インストールした意味がないとかね。
ハッカー文化を表現する言葉に KISS というものがあります。
Keep It Simply, Stupid
「簡単で馬鹿なままにしておけ」、または「そのままにしとけ、馬鹿め」の意味とされます。
これ、結局は理系文化です。
シンプルで応用が利くものが良いのであって、「この機能を追加したら便利だろう」とか考えるのは浅はか。
大抵の「便利なもの」は、よく使う機能に特化したもので、応用は利きにくいのです。
その意味で考えると、UNIX でよく使われるメールサーバの Sendmail や、DNS サーバの BIND は、高機能になりすぎている。
肥大化して、シンプルではありません。
DJB は、KISS の精神で機能をバラバラに分解した。
Sendmail が1本のソフトでやっていることを、6本に分割した。
しかも、この6本を動かしてもまだ低機能で、ログを残すこともできない。
もちろん、「組み合わせられる」ことが KISS の良さですから、DJB のソフトも組み合わせて応用がききます。
ログを残すことはもちろん可能だし、POP3 対応にもできる。
別のソフトと組み合わせて、メールが来た時だけサーバーが起動するようにしてメモリを節約したり、万が一にもサーバーが停止した場合には自動再起動、なんてこともできます。
DJB 自身の手による「メーリングリストサーバ」もあって、もちろん簡単に組み合わせられます。
と書くと DJB のほうが優れているように見えますが、実態はそうでもないでしょう。
上に書いたように「組み合わせれば」いろいろできる、というのは、使う人に高度なプログラム能力を求めているのと一緒です。
組み合わせるって、「プログラムする」ってことですからね。
実際、各ソフトがどういう役割で動いているのか、副作用として何が起こるのか、ちゃんと理解しないと設定ができません。
先に書いたように、DNS ソフトの設定では、失敗している例が多数「設定例」として公開されている。
万人が使えるソフトではありません。
だけど、一度理解して設定してしまえば、非常に信頼性が高い。
アップデートなどの面倒を見る必要はないし、停止することもまずありません。
便利だけど使うには高度なスキルを必要とする、という、非常に癖の強いソフト群なのです。
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CentOS 7 上の ndjbdns の落とし穴【日記 16/10/10】
別年同日の日記
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今日は、クリフォード・ベリーの命日(1963)。
ジョン・アタナソフとともに、アタナソフ・ベリー・コンピューター(ABC)を作成しました(1939)。
ENIAC よりも古いです。
ENIAC は 10進数で計算するのですが、ABCは2進数で計算します。
このため、ABCが「最初のコンピューター」だと主張されることがあります。
僕はそうは思わないのですが、まぁ、その程度に有名な機械です。
ABCマシンの詳細を知りたい方は、「ジョン・アタナソフ誕生日」のほうもご覧ください。
クリフォード・ベリー、名前は残っているのですがどのような方だったのか、詳細がよくわかりません。
調べてわかったことを簡単にまとめておきましょう。
ネット情報なので、誰でも簡単に調べられるし、まとめるほどのものでもないのですが。
クリフォード・エドワード・ベリー(Clifford Edward Berry)は、1918年4月19日にアイオワ州グラドブルックの電気店での長男として生まれました。4人の兄弟がいました。
1920年。ペンシルバニア州ピッツバーグで世界で最初のラジオ放送が始まります。
しばらくして、彼の父はラジオ受信機を作り始めました。
このとき、クリフォードも父を手伝い、父は電気技術をクリフォードに教えています。
グラドブルックの町で最初のラジオだった、ということなので、アイオワ州ではまだラジオ放送はなかったのでしょう。
そして、遠方の電波をとらえるため、非常に大きな…おそらくはアンテナのことだと思いますが…大きなラジオが完成します。
ラジオがまだ珍しかった時代。この機械を見ようと電気店を訪れる人は増えました。
その後もクリフォードは電気技術に興味を持ち続け、電気工作を続けるようになります。
11歳の時には自分でアマチュア無線機を組み立てています。
クリフォードは学校の勉強でも非常に成績がよく、1年生の終わりには、2年生を「飛び級」して3年生に上がることを提案されました。
両親はこれに反対します。理由はわかりませんが、無暗な飛び級よりも、基礎をしっかり学ぶこと、級友と共にいることを優先させたかったのではないでしょうか。
しかし、校長は毎年のように飛び級を進めます。
ついに、3年の終わりに飛び級を受け入れ、4年生を飛ばして5年生になっています。
11歳の時、父が電力会社のマネージャーの職を得ます。
この関係で、事務所があったアイオワ州の小さな町、マレンゴに引っ越します。
そして、クリフォードが高校2年生の時、事件が起きます。
父が解雇した社員から逆恨みを買い、射殺されるのです。
クリフォードは長男として、家族を守らなくてはならなくなりました。
しかし、彼の母はクリフォードの大学進学を希望します。
クリフォードは電気工学を学べるアイオワ州立大学に進学し、家族は大学のあるアイオワ州エイムズに引っ越します。
1939年、彼は電気工学の学士号を取得します。このときの指導教官はハロルド・アンダーソン。
ハロルドの非常に仲の良い友人に、ジョン・アタナソフがいました。
アタナソフは、電気式の計算機を作ろうとしていましたが、理論的には完成していても、実際に一人で回路を作成するのは大変でした。
そこで、友人のハロルドに「電気工学に詳しい学生を一人紹介してくれないか」と頼みます。
ハロルドはすぐに、クリフォードを紹介します。
そして、ふたりはABCマシンの作成を始めます。
1939年の年末には、非常に簡単なプロトタイプが完成し、デモを行っています。
これにより研究を続けることが認められ、大学から助成金も出ています。
ABCの作成中に、秘書として働いていた女性、マーサ・ジーン・リードと知り合い、1942年5月30日に結婚しています。
その後、子供も二人できています。
結婚の直後、クリフォードは国防企業に職を得ます。この関係で、カリフォルニア州に引っ越さなくてはならなくなりました。
ABCマシンは「戦争の影響で研究が続けられなくなり、未完成で中断した」ことになっています。
おそらくは、設計の中心人物であったクリフォードがいなくなったことで、続けられなくなったのでしょう。
クリフォードは大学を去りましたが、大学と特別な取り決めをしていました。
このため、カリフォルニアの会社に在籍しながらも研究を続け、1948年に物理学の博士号を取得しています。
1949年には会社でもチーフ物理学者の地位に昇格しています。
その後の彼に何があったのか、正確な記録がありません。
しかし、1960年ごろに、鬱状態となってしまったようです。
仕事での待遇にも満足がいかない、酒におぼれ、家庭生活も崩壊しかかっていました。
追い打ちをかけるように、立て続けに2回の交通事故にあっています。
精神科のカウンセラーの元にも通っていましたが、鬱を抜け出すことは難しかったようです。
このころ、アタナソフは「古い友人」であるクリフォードに会うために、はるばるカリフォルニアまでやってきています。
そして、昔の天才がすっかり落ちぶれている姿を見ています。
その後、1963年にクリフォードはニューヨークの電気技術会社の開発マネージャーの職を得ています。
「職に満足していない」とこぼしていた彼が、もっと自分を評価してくれる仕事を見つけ出したかのように思えます。
彼は、1963年の10月に、家族を置いてニューヨークに単身赴任しました。
そして、10月30日、引っ越したばかりの自宅アパートで死んでいるところが発見されたのです。
ビニール袋をかぶって、窒息死。
周囲にはおびただしい量の酒瓶が転がり、検死の結果も、彼がアルコール中毒であったことが裏付けました。
警察の見解は、自殺、です。
実際、不審な点は何もありません。
天才の悲しい最期でした。
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ジョン・アタナソフ誕生日(1903)【日記 13/10/04】
別年同日の日記
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数学って、厳密で窮屈だと思っている人が多いです。
でも、数学ってものすごく「ファンタジー」な世界です。
SF小説がリアリティをもって「まだ見ぬ世界」を見せてくれるように、良質のファンタジーがおとぎの国を身近に感じさせてくれるように、数学は時として想像もつかない、面白い世界を見せてくれます。
良質の数学はファンタジーですが、確固とした理論の上に立っています。
良質のSF小説が、事実を組み合わせて、ありもしない世界を作り出すのと同じ。
たとえば、目の前に点があったとしましょう。
点があるにもかかわらず、大きさはありません。そんな点があるわけないのですが、ファンタジーですから。
これが「0次元」の世界です。
この点を2つ用意して、その間を線で結びます。「1次元」です。
線の両端を、点によって「囲んだ」ともいえます。
続いて、1次元の線4本で、空間を囲みます。
話を簡単にするために、角は全部同じ角度で、線の長さも全部同じだとしてください。
いわゆる真四角。正方形です。これは2次元。
正方形6つで、空間を囲みます。
今度は立方体。3次元。
ここでわかるのは、「次元が増えるごとに、空間を囲むのに必要な『1つ前の次元のもの』が、2つづつ増えていく」ことです。
1次元は、0次元の点2つで囲めます。
2次元は、1次元の線4つで囲めます。
3次元は、2次元の面6つで囲めます。
では、3次元の立方体8つで囲んだ空間を考えてみましょう。
…空中に浮かんだ十字架みたいな形、を思い浮かべるのは間違いですよ。
ここで、3次元の立方体8つのうち、隣り合うもの同士は「面」を完全に共有しています。
正方形の角は「点」を共有し、立方体の辺は「線」を共有しているように。
そんな形あり得ない? 3次元ではね。
ここでは、「立方体」といいつつ、ひしゃげた形を想像してもいいでしょう。
ひしゃげているように見えて、実はひしゃげていない。
なぜなら、これは4次元の話で、3次元に住む我々には見ることができない図形だからです。
こうしてできた、立方体8つで囲まれた形を、「4次元超立方体」と呼びます。
この先はどういう形になっているのか想像もつきませんが、5次元、6次元の超立方体だって存在します。
超立方体!
形を想像することなんてできません。ただ、存在を受け入れてみましょう。
存在しえない、ファンタジーの世界です。
ネバーランドのお話を楽しむように。
中つ国、イーハトーブ、リリパット、ファンタージェン、ジーリー宇宙…それらの世界の物語を楽しむように。
…超立方体、というわけのわからない存在がある世界を、ただ受け入れて楽しんでみましょう。
でも、数学は確固とした理論の上に立っていますから、リアリズムのあるファンタジーです。
この超立方体にどういう特徴があるのか、論じることができるのです。
1970年にこんな問題が提起されました。
問題だけでもややこしいので、内容を3つに分けて書いていきます。
▼n次元の超立方体の、すべての頂点を、ほかのすべての頂点と線で結びます。
…想像できないでしょうから、普通の立方体、つまりは「箱」で考えてみましょう。これだって n=3 の超立方体です。
他の頂点と線で結ぶのですから、通常の「辺」に加え、各面に大きく「×」を書くことになります。
さらに、箱の内部にも、対角に当たる頂点まで「紐」を引っ張る形になります。
▼結んだ線は、2つの色のどちらかで描かれるとします。
先に想像した「線」は、すべて色がついているんです。
2色ですから、白と黒でいいでしょう。色の付け方はランダム、どのような形でも構いませんが、1本の線は1色です。
白黒といっても、縞模様の線があるわけではありません。
▼n が十分に大きければ、同一平面上の4点を結ぶ線がすべて同じ色になる組みが、必ず存在する。
前半は前提条件なので、後半から。
先に、立方体の場合、各面に×を描くことになる、としました。辺の部分もあわせると、面には6つの線が描かれます。
「同一平面上の4点を結ぶ線」というのは、そういうことです。
さらに、先ほど「箱の内部にも紐を…」と書きました。実は、この部分にも平面ができている。
超立方体だと、立方体よりもはるかに多くの面ができます。
そして、前半の前提条件。
「n が十分大きければ」です。
超立方体の次元が大きければ大きいほど、出来上がる面の数は多くなります。
それらの面は、別の面と辺などを共有しています。共有している、ということは、自由が利かないということです。
ですから、線の色を好きなように決めてよいとしても、すべてを思い通りにはできないのです。
そして、最後の結論です。
完全な自由が利かず、十分すぎるほど面の数も多いとき、面に描かれた6本の線の色が「すべて同じ色になる組みが、必ず存在する」のです。
問題提起は、単に「存在する」というだけでなくて、最小の n はいくつだろう? というものです。
一応、問題の提案者は「少なくとも、n がこの大きさなら必ず存在する」という数を求め、証明して見せました。
そして、「それよりも小さな数になる n を探してくれ」と、世の中の数学者に問うたのです。
問題提案者は、今日が誕生日のロナルド・グラハム(1935)。
そして、問題提案時に示した n が、「意味のある数値として最も大きいもの」とギネスブックにも認定された、グラハム数です。
このグラハム数がまた、ファンタジーとしか言いようがありません。
話が壮大すぎて、誰もその数を計算できないのです。
33 …3の3乗、というのは、3を3回掛け合わせたもの、3*3*3 のことです。こうした計算を「累乗」と呼びます。
計算してみればわかりますが、 3*3 = 9 なので、3*3*3 = 9*3 = 27 。「3」という小さな数から急激に大きくなるのが累乗の特徴です。
コンピューター言語では、累乗を記号を使って表すことがあります。
BASIC では 3^3 、FORTRAN では 3**3 と書き表しました。
FORTRAN の書き方は、「掛け算の回数を掛け合わせた」という意味の書き方です。
「3の掛け算を3回行う」から 3**3 という書き方。
グラハムは、コンピューター関連の著書もある数学者で、こうした表記の意味をよく知っていました。
そして、BASIC 風の累乗の書き方を、FORTRAN 風の累乗の書き方によって「拡張」することにしたのです。
3^^3 という書き方は「3の累乗を3回行う」という書き方になります。
3^3^3 の意味で、計算手順としては 3^(3^3)。
先に書いたように、3^3 は 27 だから、3^27 の意味になります。
3*3*3*3* ... と、27回も掛け合わせると、答えは 7625597484987(7兆6千億)です。
3^3 の時も書きましたが、累乗は急激に数が大きくなります。
累乗には想像もつかない世界が待ち構えている。今回の話の重要なポイントになります。
さらに、3^^^3 という書き方もあります。これは、3^^(3^^3) を意味していて、3の累乗を 3^3^3 回重ねた数です。
この時点で、ものすごく巨大な数ですよ。3^^3 は先に書いたように7兆越えですから、3^3^3^3^3 …と、7兆回も繰り返すことになります。
この数、概数は計算されているけど、事実上計算できません。
素粒子1個で10進数1桁を表すことができたとして、現在見積もられている「全宇宙」の素粒子を使っても、この数を表記できないくらい大きいそうです。
さて、 3^^^3 とか 3^^^^^^^^^^3 とか、記号が増えすぎると記号の個数を数えるのも大変になるので、別の書き方をしましょう。
3^^3 のことを、G(2) と書くことにします。G はグラハムの G ね。
G(3) なら 3^^^3 のこと。G(4) なら、3^^^^3 のこと。
さっき、G(3) でもすごく巨大な数だ、と書きました。
G(4) になると概数の計算すらできていません。
そしてもうひとつ、ルールを追加します。
G2(4) とかいたら、G(G(4)) のことです。
G3(4) なら G(G(G(4))) のこと。
では、G64(4) と書いたら?
話が壮大すぎてついていけません。
数学が苦手だからわからない、とかではないよ。
数学者であっても、誰もこの数がどのくらいの大きさか理解できていません。
これが、グラハムが冒頭にあげた「n が十分大きい超立方体の各頂点を結ぶ線を2色で描いたときに、面を構成する線がすべて同じ色である面が必ず存在する」という証明に使われた、次元の数です。
n が G64(4) よりも大きいときには必ず成り立つ、という証明はできました。
だれか、もっと小さな数でもできると証明してくれ、というのが、グラハムの出した問題なのです。
この G64(4) のことを、「グラハム数」と呼びます。
先に書いた通り、意味のある数値として一番大きい、とギネスブックに認定されています(1980)。
その後、問題を満たす小さい数として「小グラハム数」が見つかったけど、これも十分に大きな数でした。
グラハム数に比べれば、ずっとずっと小さいのだけどね。
逆に、n が 6 未満では問題を満たすことができない、という「下限探し」の証明も提出されています。
現在、6ではちょっと小さすぎて、11 よりも大きいのではないか、とされているようです。
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