今日は任天堂の創業日。
会社が設立されたのは、1947年の11月20日です。
でも、会社組織化する前に、個人経営の山内房治郎商店で「任天堂」という屋号を使っていました。
#屋号とは、商売上の名前のこと。正式な名前とは別の通名。
その山内房治郎商店を創業したのが、1889年の今日。
テレビゲームで有名な会社としては、100年以上の歴史を持っている会社はそう多くないと思います。
安土桃山時代、トランプが日本に渡来します。
ポルトガル経由で渡来したため、ポルトガル語をそのまま使って「カルタ」と呼ばれます。
#トランプ、カルタ、という名前の由来も面白いのだけど、ここでは割愛。
ところがこのカルタ、賭博性が強くて、仕事もせずにカルタにのめり込む人がたびたび出た。
それでは困るので、何度も禁制品にされています。
「何度も」というのは、つまり禁止しても誰もやめないから。
禁止しても禁止しても、みんなカルタを遊び続けるのです。
ついには、カルタが禁止されれば似たような別の遊びを考えて禁制令をかいくぐる、という始末。
花札はこうしてできたもので、カルタの特徴として「数字が書いてある」という指定があったために、数字をなくしたものです。
でも、12か月を想像させる季節の絵柄を書き、各絵柄が4枚で構成されます。
つまり、現在の13枚*4種類のトランプと、ほぼ同じものなのです。
そして、江戸時代には花札も禁制品に加えられるようになります。
さて、任天堂こと山内房治郎商店を創業したのは、山内房治郎さん。
ファミコンを発売した時の任天堂社長、山内溥氏の曽祖父に当たります。
元々浮世絵などの版を作り印刷を行う、木版工芸家です。
江戸時代には珍しくない職業。
ただ、彼はこっそりと、禁制品の花札を作り続けていたようです。
いわゆる日陰者。でも、欲しがる人がいれば作る人も必要なのですね。
江戸時代、花札は禁制品とはいえ、需要がありました。
普通に流通しているし、幕府もそれに気づいているのだけど、お目こぼしがあった。
これ、裏には平和すぎた江戸時代ゆえの弊害があります。
当時、家は長男が継ぐものだった。…まぁ、継ぐほどの「家」があるのは、たいてい武家です。
でも、子供は多数います。次男、三男は普通にいる。
平和でない時代なら、武家は戦うのが仕事ですから、いつ長男が死ぬかわからない。
次男、三男であっても家をいつでも継げる覚悟でなくてはなりません。
ところが、江戸、特に末期は平和すぎた。
次男三男はやることがありません。主君を持てない浪人も多く、毎日を無為に過ごす状態。
将来家を継げないことがわかっているなら、何か仕事を始めたりできるとよいのですが…
身分社会でもあり「武士の子が商人になるなど家の恥」とされ、許されません。
結果、生活費は長男から十分に与えられ、将来のあてがあるわけでもなく、何かを始められるわけでもなく、ただ家の恥にならないように過ごしてくれ、という生殺し状態にされるのです。
で、こういう人が行きつくのは、賭博場。
生活費は十分にありますし、自分が苦労して稼いだものでもないので、どんどん賭博にお金をつぎ込みます。
さて、話を花札に戻すと、賭博場に花札はつきものでした。
これを本気で取り締まると、賭博場が存続できません。すると、武士の次男三男の欲求不満を解消する手立ても失われます。
もし彼らが、世の中への不満を募らせて暴徒となれば、江戸幕府にとっても危機となります。
…こんなわけで、賭場や花札は「必要悪」で、存在は明らかでありながらも、お目こぼしがあったのです。
花札が欲しければ、天狗のお面を看板としているお店に行けば入手できました。
天狗の「鼻」で、「花札」を意味しているのです。
任天堂の名前の由来は、賭博の結果を「天に任せる」という意味でもありますが、天狗の天でもあるようです。
明治維新が起こり、江戸時代の制度が見直される中で、カルタやトランプに対する禁制も 1886年に解除されます。
花札職人は日陰者ではなく、堂々と花札を売ることができるようになりました。
その3年後の今日、山内房治郎商店が創業されます。
詳細、および創業後の歴史は、「任天堂の会社設立日」に書いています。
そちらも併せてお読みください。
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