2015年08月17日の日記です


靖国神社参拝  2015-08-17 18:28:12  家族

祖父の命日、8月9日に靖国神社に参拝してきました。

子供の頃は毎年参拝していたのだけど、去年二十年位ぶりに訪れ、今年は連続して2回目。


…去年よりも明らかに参拝者が多い。

どうも、戦後70年の節目ということと、安保法案の絡みで戦争に興味を持った方が多く、この夏は参拝者が多いようです。



参拝の内容は、参拝したことがある人にとっては当たり前の「例年通り」の内容。

供え物をし、この日の戦死者の名前を全て読み上げ(霊を呼び出し)、慰霊のための神楽を舞うだけです。





ところで、祖父の命日で参拝しているにもかかわらず、僕は祖父がどこで死んだのか知りません。

一度父から聞いたのだけど、子供の頃だったので聞きなれない地名を忘れてしまった。

既に父は他界しましたので、もう聞くこともできない。


フィリピンの小さな島、とは覚えています。


ある時、テレビでフィリピンを旅する番組をしていて、父が「あ、この島! 初めてみた!」と言っていたのです。

地名を聞いたのもこの時だけど、普通にフィリピンの紹介などをしても、写真も出てこないような島。


今フィリピン戦の歴史を調べてみたけど、7月下旬までには主要な戦闘は全て終わっているのね。

それも、最後はボルネオ島が戦場なので「小さな島」ではない。


スールー諸島での戦いは4月には終わっているのだけど、終戦まで散発的に戦闘が続いているようなので、おそらくこのあたりのどこかなのでしょう。




毎年8月9日は、右翼団体が靖国神社に集結します。

子供の頃は「年に一度見る靖国神社」には常に右翼がいるため、一年中集まっているのだと思っていました。


右翼の人々、街宣車は異様で怖さを感じますが、非常に礼儀正しい。

ここは、国を守るために戦った人々が眠る聖地ですから、彼らも敬意をもって接している。


8月9日に集まっているのは、この日にソ連が日本に対し宣戦布告したため。


その直前まで、ソ連は連合国側の国でありながら日本とは戦っておらず、友好的な姿勢を見せていました。

そして、数か月前からアメリカとの終戦交渉を仲介してくれていた…と、日本側は信じていました。


数か月前から、負けなのはわかっていました。

しかし、負けを認めるにしても、日本国民がその後の生活に困らない条件を引き出して戦争を終結させたい。

そのためにはアメリカと話し合わなくてはならず、その難しい仲介役をソ連に頼んでいたのです。


しかし、ソ連の突然の宣戦布告。終戦交渉は無理だと悟り、翌日である10日には無条件降伏(ポツダム宣言受諾)を通告しています。

実際に受諾するのは14日、調印は9月2日です。


(日本では終戦の日は8月15日とされるけど、これは「国民にポツダム宣言受諾を知らせる放送が行われた日」。

 世界的には9月2日が終戦の日とされています)


一般に、「広島長崎への原爆が終戦を決めさせた」とされていますが、現実にはソ連の参戦の方が大きかったようです。




こうした経緯を知っている右翼の方々…多少風変わりな愛国心を示す方々にとって、ソ連は日本の立場を悪くした「裏切者」です。

そのことを忘れないために、毎年ソ連参戦の日に集まっているらしい。


ただ、言っちゃ悪いけどその気持ちは参拝者には全然伝わってません。


街宣車にロシア(元ソ連)に対する怒りが書かれているので、ロシアに何かを怒っていることはわかります。

でも、何を怒っているのかは全然書かれていなくて、多くの人にとっては「怖い団体が集まっている」程度の認識。



彼らは、異様な風貌で参拝者を怖がらせている、という致命的な部分以外は非常に礼儀正しく、集会後は皆で周辺の清掃活動をやっていました。

あの格好も彼らのアイデンティティなのだろうけど、もう少し普通の格好で、淡々と戦時中の事実を伝えたら、少しは皆に理解してもらえると思うよ。




靖国神社は、元々戊辰戦争で官軍の戦死者をまつった施設が元になっています。

その施設は神社ですらなく、後で神社にしたけどいろいろと神道としてはおかしな状況になっていると聞きます。


それでも、戦前は政教分離が十分でなかったので、国の神社でした。

国を守るために、国の命令によって命を落とした人たちを祀っていた。


現在祀られているほとんどの人が、第二次大戦で戦死した人たちです。200万人以上。

軍人としての戦死者のみです。空襲で死んだ民間人は含みません。



今となっては、政教分離を徹底するために国とは無関係の組織になっています。

先日、自衛隊員が死ぬことがあっても靖国神社には祀らない、という正式な声明が発表されました。

すでに国の神社ではありませんし、政教分離の原則から言っても当然かと思います。


今後はともかく、過去に靖国に祀られたのは国の命令で命を落とした人たちです。その死を無駄にしてはならない。

「無駄死にだった」という人もいるけど、無駄にするかどうかは、現在我々がどう生きるかにかかっていると思います。



その意味では、敬意を示したいと政治家が参拝したりするのも、本心からであれば良いことだと思います。

でも、立場は考えないといけない。


公式な立場で参拝すると、政教分離しているのにおかしい、と議論の的になる。



基本的に戦死者を祀っているのに、戦争裁判で刑死・獄死した人たち…いわゆるA級戦犯を合祀している、ということも問題にされます。

国の命令で死んだ人たちを祀るはずなのに、その命令を出した側、自由意思を持てた側も一緒に祀っているわけだから。




いろいろと問題が多いことはわかっているけど、僕にとっては子供のころから祖父の眠る場所として参拝してきたし、その際に父から神社を参拝する際の礼儀作法なども教えてもらって来た。


自分の精神的な基礎の一つになっているように思います。




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