目次
05日 土用の丑に鰻を食べる理由
10日 アクアマリンふくしま
10日 アクアマリンふくしま・本館
10日 アクアマリンふくしま・展示内容
10日 アクアマリンえっぐ
10日 アクアマリンふくしま・締めくくり
12日 夏の家族旅行・福島
12日 アイスバーガー
12日 宿に到着
12日 2日目
12日 夕食
12日 旅行中のナビについて
13日 人材交換
14日 Windows10へのアップグレード
14日 Windows10 へのアップグレードで POPfile が動かなくなったら
15日 Windows10 へのアップグレードで Chrome が動かなくなったが
15日 Windows10のスタート画面
17日 靖国神社参拝
25日 ntsysv の名前の由来
31日 夏の終わりの素数
31日 DOSBoxで日本語表示・JP106キーボード・UBASIC
数年前に、日記として「土用に鰻を食べる理由」を書いたのだけど、子供の疑問から始まる日記だったので記述がとっ散らかっている。
その後知ったことや、そこには書いていない理由などもあるので、今年2度目の夏の土用の丑である今日、改めて情報をまとめておこうと思う。
内容の重複は多いので、知っている人は読み飛ばして下さい。
まず、「
古代中国の人は、万物は5つに分類できると考えた。
これを五行説という。
中国では、人々が生活するところは「土」だった。
東に行けば海に近づき、豊かな自然が広がった。これは「木」だ。
逆に西に行けば砂漠だ。黄色い砂は「金」だ。
南は暑い。単純に「火」。そして、逆である北は「水」。
これが五行説の考えの元となっている。
五行には、それぞれ複雑な関係がある。
まずは、「生み出す」関係。
木は火を生み出す。火は土を生み出す(燃やせば何でも土に還る)。
土を掘れば金(鉱物)を生み、金属は結露して水を生み出す。
最初に書いた木火土金水、はこの順序で五行を並べたものだ。
強弱の関係もある。
水は火に強い、土は水に強い(水を吸収してしまうから)、木は土に強い(根を張るから)など、それなりの理由がある。
五行は先に「万物を分類できる」と書いたけど、家畜も五行に分類される。
暖かな毛を取ることができる羊は「火」だし、動きは遅いが力強い牛は「土」だ。
そして、季節も五行に分類できる。
木や草が芽吹く春は「木」、暑い夏は「火」、収穫の秋は「金」、寒い冬は「水」だ。
…あれ? 季節は4つしかない。
そこで、「季節の変わり目」を土とした。
土を
1年365日を5つに割って、その一つをさらに4分割して各季節の間に入れる。
計算してみるとわかるが、土用はだいたい18日間づつになる。
土用、が何かわかったところで、丑についても書いておこう。
これは十二支だ。「
今年は
先に土用が18日間と書いたけど、日付を十二支で表すと足りなくなり、1周半する。
年によって夏の土用の丑が1回だったり2回だったりするのは、そのためだ。
#この日記を書いているのは、2015年の2回目の夏の土用丑。
十二支もまた、五行に分類される。
この割り振りは、元々十二支は「月」を意味してもいるので、月が属する季節によって割り振られているようだ。
子は冬なので水、丑は季節の変わり目の土用なので土。
寅卯は春なので木、辰はまた土用なので土、という具合。
さて、土用の丑の話に移ろう。
夏の土用は、季節が木から土に移り変わる。
ところが、先に書いたのだが、木は土に強い。
季節によって、大きな「気」…エネルギーが移り変わる、と考えられていた。
人間ももちろん自然の一部なので、この影響を受ける。
春の「木」のエネルギーはだんだん弱り、次の「土」のエネルギーがやってくる。
しかし、先に書いた通り、木は土よりも強く、根を張ってしまう。
このため土のエネルギーは負けてしまい、体に入れないことがある。
すると体調を崩し、元気がなくなる。これが夏バテの原因だと考えられた。
対策として、土の力を積極的に取り入れる、土の力を持つものを食べることが良いとされた。
先に書いたが、家畜で「土」なのは、牛だ。牛を食べると良い。
食べる日は、十二支で土に分類される日が良い…のだが、丑の日が選ばれている。
多分、食べるものが牛だから、丑なのだろう。
科学的なことを言えば、夏バテは暑さからくる疲労なので、十分に栄養を取ると良い。
古代においては肉なんてめったに食べられないご馳走だ。牛肉なんて食べたら夏バテにならなかったのも当然だろう。
五行説は陰陽道や仏教と共に、5~6世紀の日本に伝わる。
陰陽道は十二支や十干(あわせて
占いと言うと胡散臭いのだけど、当時としては最先端の学問だったと思ってもらう方がいい。
平安時代にはかなり信じられていて、宮中行事にも影響を与えていた。
当然、土用の丑、等の行事もあったんじゃないかな、と思うけど、専門に研究したわけじゃないのでここら辺は怪しい。
ところで、先に書いたように五行説は仏教と共に伝来している。
そして、仏教では動物の肉を食べることを禁止している。
といっても、この時代の多くの日本人は
元々は宮中行事だったが、徐々に一般にも広まっていったようだ。
ただし、この当時の牛は貴重な財産であり、庶民が気軽に食べられるものではなかったと思う。
でも、数年に一度牛を殺せば、みんなで食べるのに十分な量があったのではないかな。
やがて日本では神と仏が同一視され(神仏習合)、江戸時代になってすぐにキリスト教が禁止される。
キリスト教が禁止された際に、すべての民が、寺の檀家とされた。
幕府が民衆をコントロールするために、事実上の戸籍制度を作った、と考えていいだろう。
これによって、すべての日本人が仏教徒となった。
これにより、「土用の丑に牛を食べる」という習慣は…失われなかった。
牛を食べるのは禁止されたからおおっぴらには言えず、「うのつくものを食べる」と隠語でささやかれるようになった。
やがて、「う」が付けば何でもいいことになった。
うどん、卯の花(おから)、梅干し、などなど。
でも、牛を食べるのは栄養を付けるためだ。
卯の花を食べても夏バテは抑えられそうにない。
本来の意味がわかっている人たちは、この時期に安く手に入る良質なたんぱく質を食べる習慣に変化させていったようだ。
「う」が付くことにはこだわらない。こちらの方が賢い気がする。
夏の土用に、ドジョウやシジミを食べる習慣が残っている。
ドジョウは夏が旬で、田んぼで簡単に捕ることができた。
シジミは冬と夏が旬で、庶民が安く買える食材だった。
#夏は産卵のために栄養を蓄え、冬は寒さに備えて身を太らせる。
どちらの時期もおいしいが、夏は収穫量が多くて安くなる。庶民の味だった。
ところで、鰻の旬は冬だ。寒さに耐えるため、身を太らせて脂も乗っている。
夏は痩せてしまい、味も落ちる。
江戸には鰻屋が多かったのだけど、基本的には冬の商売で、夏になると客足が減った。
どうにか夏でも客を増やせないか、と鰻屋の主人が平賀源内に相談した。
平賀源内は発明家として有名だけど、とにかく頭が良い、町の相談役だったのだろう。
平賀源内は、土用の丑の日に、鰻屋の前に「本日土用丑」と大書した。
これで十分。この日に栄養のあるものを食べる、という習慣の人でも、「う」のつくものを食べる、という習慣の人でも、うなぎを食べに来てくれる。
これが、土用の丑に鰻を食べる習慣の始まり、とされているけど、本当かどうかはわからない。
他にも諸説あるけど、この説は面白いので有名なだけ。
さて、これが土用に鰻を食べる、という習慣の始まりだとしても、やっぱりドジョウやシジミは庶民の味だった。
1980年代初頭くらいまで、鰻って高くて気軽に食べられるものじゃなかったから。
鰻はぬるぬるして調理が難しいし、何よりも毒を持っている。素人が気軽に調理できるものではない。
養殖がまだ少ない時代、天然モノを職人がさばいて作った料理が高いのは、当然のことだった。
でも、1979年に鰻価格の暴落が起きている。
1960年ごろから鰻の養殖技術が発達して、鰻は高価だから儲かる、というので多くの業者が乱立した。
その結果供給過剰になって、1979年に価格が大暴落。一気に1/3の値段になった。
さらに、1980年代に入って経済が急成長。みんなが小金持ちになる。
人件費の安い中国で調理した鰻を輸入する、という流通網も出来上がり、スーパーで購入できるようになる。
とはいえ、それまでに比べてずっと安くなったというだけで、やっぱり鰻は高価なもの。
それでも、夏の土用の丑くらいは奮発して鰻を食おう、という人がすごく増えた。
だから、「土用の丑に鰻を食べる」というのが、日本人のごく一般的な習慣になったのはこの頃。
特に、1980年代後半には経済が絶好調で、鰻を乱獲しまくる。
実は、鰻の漁獲量が急に減り始めたのもその頃から。乱獲しすぎで先細りになったのだ。
日本ウナギは、すでに1960年代から乱獲により減少していた。
でも、ヨーロッパウナギやアメリカウナギにターゲットを移すことで、全体の漁獲量は保っていた。
すべてを取りつくして総量が減少し始めるのが、1980年代後半。まさに乱獲と言ってよいだろう。
日本ウナギ以外のウナギも、日本人が食べつくして絶滅危惧に追い込んでしまった。
先に「養殖」と書いたけど、天然の稚魚を太らせるだけの養殖で、全部食べてしまう。
鮭なんかだと、稚魚を育てて放流したりするのだけど、鰻はいまだに生態が解明されておらず、放流もできない。
#最近になって完全養殖に成功したけど、まだ手間がかかりすぎて研究段階。
これほどに乱獲しまくったけど、実はそれほど需要が無かった。
このため鰻が生産過剰になり、1999年に再度価格が大暴落している。
丁度その頃、2001年には狂牛病問題があり、牛丼屋の売り上げが軒並み下がった。
この時の夏に、「すき家」が安くなった鰻を使ったうな丼を売り出す。
これ以降、夏になると牛丼屋が鰻を競うようになった。
「土用の丑に鰻を食べるのは日本の伝統だ」という人がいるのだけど、上に書いたような歴史経緯になっている。
本来、鰻ではなく牛だった。牛が禁止されたらドジョウやシジミになった。
鰻を食べる習慣ができても、高くて多くの人は食べられなかった。
みんなが食べるようになったのは、せいぜい35年前だ。
でも、スーパーで買ってきたウナギ、実は食べるのが難しかった。
鰻を電子レンジで温めると、身が固くなってゴムのような食感になってしまう。
美味しく食べるにはそれなりに「調理」する必要があって、一人暮らしの人などはまだあまり食べなかった。
2001年に安いうな丼が食べられるようになって、本当に「みんなが食べる、夏の風物詩になった」と言っていいだろう。
これが「伝統」だというなら、そんな薄っぺらい伝統捨てちまえばいい。
伝統だから食べるのだ、というのであれば、牛か、ドジョウか、シジミを食べよう。
ただ、土用の丑と関係なく「鰻を食べる」ことに関しては、僕も伝統だと思う。
乱獲するのが問題なのであって、旬である冬に、わずかに捕った鰻を専門店で調理して食べるのであれば、それは伝統だ。
職人に敬意を払い、高価であってもお金を払って食べるといいと思う。
それが鰻を食べるときの、本来の姿だったのだから。
現在、ニホンウナギは絶滅危惧種に指定されている。
これをうけて稚魚の漁獲量を規制しているが、実際には規制枠よりずっと少ない水揚げしかないらしい。
鰻関連の業者にとっては、絶滅されては困るから自主規制しているようだ。
ニホンウナギでなければいいんでしょ? という人もいるが、ヨーロッパウナギも絶滅が危惧され、ワシントン条約の規定により、現在輸入できない。
また、アメリカウナギも絶滅危惧種指定されている。こちらは最近指定されたので、ワシントン条約の規制は「まだ」かかっていないが、だから食べてもよい、という問題ではない。
僕自身は、鰻は結構好きなのだけど、ここ数年食べないことにしている。
いつか保護政策が功を奏して漁獲量が増えるか…完全養殖が食卓に上るようになったら、思いっきり食べたいと思う。
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別年同日の日記
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毎年恒例、夏の家族旅行で福島に行ってきました。
その時、すぐ近くに「アクアマリンふくしま」があるというので妻が行きたがった。
でも、日程などの都合でその時はいけなかった。
今回、旅の主目的はアクアマリンふくしま に行くことでした。
家族日記としての旅程より先に、アクアマリンふくしま についての感想を書いておきましょう。
アクアマリンふくしま(長いから、以降アクアマリンと書きます)は、水族館です。
水族館だったらどこにでもあるのに、妻がなんでそれほど見たがるのかわからなかった。
でも、行ってみたら認識の間違いを知りました。
確かに水族館なのだけど、扱っている情報が非常に多い。博物館と呼んでも差し支えありません。
でも、「生命」に関することを展示の中心としていて、その中でも中心となるのは水生生物。
だから、水族館というのは間違いではないけど、普通の水族館とは全然違う。
見終わった後に、長女が「水族館だからイルカがいるかと思ったのに、いなかった」と言ってました。
楽しめなかったわけではない。この後書くけど、ものすごく楽しみました。
でも、予想していたのとは全然違った、ということ。
普通の水族館とは全然違っている、というのを端的に表す言葉でもありました。
アクアマリンの入り口に入り、チケットを買って入り口ゲートを通ると…いきなり屋外に出ます。
この時点で、かなり虚を突かれる。水族館だから屋内だと思っていたのに、いきなり外に出るの?
この日は暑くて、水族館なら涼しいだろう…と期待していたのでなおさら。
まっすぐ先に水族館の建物が見えるのですが、「順路」は右に進むことを示しています。
最初に見せられるのは、「縄文の里」と題された展示。植物園だと思って良いです。
ただ、オープンしたのは訪れた2週間前。縄文時代に普通に存在した雑木林を作る計画のようですが、まだすべて苗木です。
これを見て何かを感じ入るのには想像力がいるようで、多くの人が何も見ずに通り過ぎて行ってしまいます。
雑木林の周りには屋根の付いた回廊があって、そこに展示の意図などが説明された説明文があります。
細かな解説などを読みながら進む構造。
読みながら進むと…意図が理解できました。そして、今は苗木だけど、10年後に木が育った時には素晴らしい展示になるだろう、と想像できます。
ここは、日本に昔からある植物だけで作られた雑木林。その中を川が流れ、奥には大きな滝もあります。
植物園では普通はあり得ないことですが、雑草もわざわざ植えてあり、管理されているようです。
恐らく、帰化植物の種が飛んできて、日本にいなかったはずの植物が生えたら、すべて抜かれるのでしょう。
ただの雑木林ではなく、「縄文の雑木林」というのは、そういうこと。恐ろしく手間のかかる計画です。
回廊の中央部分は、雑木林にある「滝」の裏側になっています。
となると、ここは「回廊」ですが、滝の裏に続く洞窟を進んでいるイメージなのでしょう。
回廊の中には、2か所ほど、丸太から削り出したテーブルセットが置いてあります。
丸太から背もたれを含めて削り出された椅子と、非常に大きな丸太を輪切りにしただけのテーブル。
…おそらく、テーブルは屋久杉ではないのかな。一番大きな屋久杉は「縄文杉」と呼ばれています。
回廊には、写真と説明文のみですが、「縄文動物園」と題して、昔の日本に暮らしていた動物たちの説明もあります。
「ニホンカモシカ」など、日本が付く生き物。「ホンドタヌキ」など、本土のつく生き物。「エゾリス」など、蝦夷のつく生き物…。
そして最後に、「河童宣言」と題された文章があります。
最近、日本カワウソが「おそらく絶滅したと思われる」という見解が発表されました。
この日本カワウソが、水辺にすむ子供のような存在=河童だ、として、河童が復活できる環境を作りたい、という宣言です。
そして、「縄文の里」の最期は、カワウソの展示で終わります。
日本カワウソと近縁の、ユーラシアカワウソ。
水族館らしく、非常に大きな「川」を再現した大水槽…恐ろしい透明度で、遠くに泳ぐ魚まで見えます。
一匹のカワウソのテリトリーは数キロ四方。
この程度の手つかずの自然が、数百キロ四方残せていないとカワウソは生きていけないのだ、という主張です。
「河童の復活できる環境」というのが、今の日本では途方もない夢であることがわかります。
展示の最後に、「最新のカワウソの写真」がありました。1979年に撮影された、生き生きとした連続写真。
絶滅した、という言葉を信じるのであれば、これは最後の写真です。
しかし、我々はあえて「最新の写真」という言葉を使います、という文章が添えられていました。
…泣けてくる。最初から、ガツンとやられた感じです。
まだ水族館の本館に入っていないのに、普通の水族館ではないことが伝わってきます。
さて、本館に至るまでの順路はまだまだ遠い。
つぎは「アクアマリンアグリ」と名付けられたプランター菜園。
いや、多分展示ではないのだけど、ナスとかピーマン、コンニャクなどが植わっている。
その横には緑のトンネルが作られ…「斑入りの葛なんてあるんだ!」と妻が驚いています。
植物好きの妻が驚くような植栽なのです。
さらに、「さばくの生き物」の展示。こちらは主にパネル展示のみ。
クウェートの水族館と友好提携を結んだ記念だそうで、クウェートの暮らしなども説明されています。
そして、やっと水族館の本館に入ります。
(続く)
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アクアマリンふくしまの話の続きです。
本館は、比較的普通の水族館。
「比較的」ね。やっぱ普通ではない。
まず、普通の部分を先に書いてしまいましょう。
魚の生息地域をテーマとしてゾーン分けして、いろいろな水槽を展示しています。
うん。これは普通。
その間をストーリーで繋げています。まぁ、これもよくあること。
最初は福島の川の源流で始まって、沼や川を下り、海へそそぐ。
そこからオホーツク海、太平洋、東南アジア、サンゴ礁の魚などを紹介しつつ、やがて福島に戻り、福島の深海生物へ。
うん。これも非常に上手にまとめているけど、普通。
普通でないのは、これらの展示の合間に、博物知識を添えてあること。
東南アジアのゾーンでは、その周辺の植生まで再現しています。
温室の中に、マングローブを中心とした熱帯植物。マングローブに寄生する蘭の花まで咲いています。
水族館というより、まるで植物園のよう。
東南アジアゾーンの前には、唐突に盆栽が置かれています。
水族館に盆栽があっても、ほとんどの人が気にも留めず、先を急いでしまいます。
でも、説明を読むとそこに置かれている理由に納得。
盆栽は、日本的な趣味「BONSAI」として英語にもなっています。
でも、その源流は中国。中国で作られた陶器の鉢に植栽をしたのが始まりで、韓国を経由し、日本に入り、世界に伝わりました。
その説明により、「アジアの国々」を非常に身近な存在に感じさせてから、東南アジアの魚…と、熱帯植物を紹介しているのです。
また、盆栽は水族館の象徴でもあるようです。
出来るだけ自然に近づける努力はするが、自然と切り離された存在。
水族館でも「本物」を見せる努力はするが、できれば自分で本物を見に行ってほしい、という意思表明のようです。
また別の例。
福島の海を示す水槽は、2つの大水槽を組み合わせ、その隙間にトンネルを作る形で表現されています。
2つの大水槽は、福島沖でぶつかる二つの海流、親潮と黒潮。
#実際にはぶつかる場所は季節変動がありますが、ここでは「福島沖」としていました。
親潮と黒潮は、水温も塩分濃度も酸素含有量も違います。
そのため、棲んでいる魚も全然違います。それを、2つの水槽を組み合わせて見せているのです。
そして、その水槽を一番よく眺められる位置に、お寿司屋さんがあります。
親潮と黒潮のぶつかる海域は良い漁場で、おいしい魚がたくさん捕れるのです。
だから、お寿司を食べることも水族館で学べる体験のうち。
こことは別に、もう一つレストランがあります。
こちらも、ただのレストランではなく、「魚を食べる」ということについての学習の場。
水産資源として利用可能な魚をまとめたパネルが、店内にあります。
赤信号のともる「食べてはならない絶滅危惧種」と、黄色信号の「食べても良い魚」、青信号の「積極的に食べてよい魚」に分かれている。
レストランで提供するのは、黄色と青の魚です。
ズワイガニのドリアとか、イカフリッター入りカレーとか。
お子様ランチにも、鯵つみれのナゲット等が入っている。
鯨のフライと鯨汁、なんていうセットメニューもありました。
(続く)
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アクアマリンふくしまの話の続きです。
本館に入ると、いきなり原始地球に生命が誕生する2分程度の映像が展示されています。
多くの人が、良く見ずに通り過ぎるのですが、シアノバクテリアの誕生から三葉虫の時代くらいまで。
そして、ストロマトライト(シアノバクテリアの化石)から展示が始まります。
これが地球最初期の生命の一つ。
初めて光合成を行い、大気中に有毒な「酸素」をまき散らし、他の生命のほとんどを絶滅に追いやりました。
地球史上最初の大規模環境破壊だ、という人もいます。
まぁ、酸素の毒性が強いのは非常に不安定だからで、それはエネルギーが得やすいということでもあります。
シアノバクテリア以降の生命は、この酸素を積極的に利用してエネルギーを得るようになっています。
そして、三葉虫、オパール化したアンモナイト、シーラカンスの化石…と、化石だらけの展示が続きます。
やがて、化石生物の「子孫」が現代にも生きていることを示すように、化石と生物の交互展示となります。
ごく初期の脊椎動物である無顎類(口を持つが、顎が無い生物)として、化石と共にヌタウナギが展示されます。
肺魚のように、しっかりしたヒレと水中でなくても呼吸できる肺をもつものが展示され、ヒレが完全に手足に進化したオオサンショウウオが展示されます。
進化順に、化石と現在の生物が示されつつ、いよいよ陸に上がる準備ができたところで、エレベーターで上の階へ…
このエレベーターは、長い時間を過ぎるタイムトンネル、のイメージのようです。壁にはいろいろな化石が展示され、最後は人間の頭がい骨が並んでいます。
ここから先は、先に書いた「福島の川」から始まる、比較的普通の水族館。
比較的、であって、あまり普通ではないのは先の説明の通りです。
特筆したいのは、パネル展示による学習スペースの中にあった「河童」の説明かな。
ホモサピエンス ヒト科 の、「カワガキ」である、と書かれたパネルがあります。
つまり、河童とは川で元気に遊ぶ子供である、ということ。絶滅危惧種。
ふざけて展示しているわけではなく、昔は当たり前だった川遊びが「危険だから」という理由で消えていくことを憂れいています。
危険極まりない銛を扱うことや、川に罠を仕掛けること、水の怖さを知ること…
危険だからこそ、責任を持たなくてはならない。水は怖いから、自分の身を守らなくてはならない。
そうした経験なく大人になった子供は、自分の身を守れませんし、他人も平気で傷つけます。
絶滅危惧種である「カワガキ」を増やすために、大人は協力しましょう、という呼びかけです。
素晴らしい。全く賛同します。
川に限らないけど、子供はいろいろな経験をすべき。
うちの場合、目の前に安全な川があるので、ドジョウ捕ったりしてますけどね。
さて、本館スペースは、バックヤードを案内するツアーもあります。1回30分程度で無料。
水族館は水をろ過する循環系などが必要なので、見えている面積の倍以上のバックヤードを持っている…というのは聞いたことがあるのですが、実際見せてもらったのは初めて。
水槽のまま魚を運ぶための、3トン載せられるエレベーターがありました。油圧式。
これに感心していると、魚を運ぶための水槽を見せられました。水を入れると重さ6トン。
エレベーターに乗らないじゃん、と思ったら、6トン水槽は屋上からクレーンで釣り上げるんだって。
屋上には、10トンクレーンが設置されていました。
先に書きましたが、展示の最期は福島の海底生物。
大水槽のトンネルの中に入っていくと海底に着く…という趣向になっています。
こういう部分も含め、ただ展示するだけではなくて「ストーリー」になっている。よく出来ています。
(続く)
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アクアマリンふくしまの話の続きです。
本館に隣接して、「アクアマリンえっぐ」という施設があります。
水族館は見るだけ、受動的だけど、「えっぐ」では子供に能動的に学習してもらおう、という施設。
1フロアだけですが、いくつかのゾーンがあり、テーマに従った展示をしています。
例えば、「海から陸へ」。
水辺付近に住む爬虫類や、湿った環境を好む虫など、さらには「空へ」飛び出した鳥などを、小さな箱に入れて多数展示しています。
中には光を嫌う生物もいる。外からでは観察しにくい。
箱の真ん中に頭を突っ込めるようになっていて、そうした生物が逃げ込んでいる部分を直接見られます。
…頭ツッコむと、マダガスカルゴキブリがうじゃうじゃいるんですけどね。
#エビ・カニのコーナーでは、同じ構造で岩陰に潜むエビを見られますし、ユーラシアカワウソも水の中に頭を突っ込む形で、泳いでいるところを見られます。
ここには、小さい子向けの塗り絵・点繋ぎ遊びのコーナーもあります。
我が家は次女・長女がこれに熱中。
でも、これだってちゃんと学習の役に立っている。
点繋ぎや塗り絵で出てくる絵柄は、すべてそこにいる、それほど普通には見られない生物。
スタッフの人も、「ここ何色?」と聞かれたら「あっちにいるから見てきてごらん」と返しています。
生き物に興味を持ってもらうための仕掛けの一つ。
えっぐ には中庭があって、「えっぐの森」と名付けられています。
特に何もない草原。そうげん、じゃなくて くさっぱら ね。どこにでもある空き地みたいなところ。
周囲には雑草が生えていますが、わざとそのように残しているようです。
土を積み重ねただけの山があったりする。
空き地があれば子供は工夫して遊び始めます。どうも、そういうことを狙ったスペースみたい。
雑草に囲まれた片隅に、いきなり鶏が飼われていたりしますが、これは地元特産の会津鶏。
さて、えっぐ の真骨頂は、屋外に作られた人工の砂浜でしょう。
元々は、磯の生物に触れあえる「タッチプール」を作っていたらしいのですが、そんな小さなものでは本当の体験はできない、と、砂浜にしてしまったのだそうです。
うちの子供たちも大喜びで遊びました。
…知っていれば着替えを持ってきて思い切り遊ばせたのですが、素足になってお尻を濡らさないように注意しながら遊ぶ程度。
どうも、イメージは「砂浜」ではなく、潮が取り残された潮だまりみたい。
時々、音を立てて水が入ってきますが、波はありません。
でも、生きている貝はいるし、時々魚も跳ねます。
お金を払えば釣りをすることもできますし、土日では釣った魚を子供が自分で調理することもできます。
魚を「かわいい」と言って見るだけでなく、殺して食べるところまで体験させる。
「カワガキを増やしたい」という途中の展示は、ちゃんと体験施設として実践されています。
片隅には身体を洗う水道もあるので、思いっきり汚して遊んでも大丈夫です。
(続く)
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アクアマリンふくしまの話の続きです。
砂浜の横にはビオトープ…虫などが暮らせるように作られた小さな沼があり「河童の里」と名付けられています。
どうも、アクアマリンの人は河童が好きなようだ。
この河童の里を通り、本館1階へと戻ります。
じつは、本館にはまだ展示物がある。
これが、アクアマリンふくしまの展示の締めくくり。
縄文の里を見て、カワウソを守るには多大な努力が必要と学びました。
地球生命の進化の歴史を学び、地域によって異なる、魚の多様性を学びました。
それらを殺して食べる、命の尊さも学びました。
磯遊びも体験しました。
そのうえで、最後の締めくくりは2つありました。
1つは金魚。
金魚は、多種多様なものが、類似した種類ごとに水槽に入れられて展示しています。
本当に美しい。特に説明はありませんが、すべて人間の手によって作り出された種です。
自然界では生きていけないであろう、過度に美しくなった魚たち。
本来生存競争によって進化するはずの魚が、人間の目を楽しませるために、人間によって異常進化した姿です。
そしてもう1つは、シーラカンス。
流石に生態展示は無理ですが、よく出来た模型…ロボットで少し動くものが、水槽に他の魚と一緒に入っています。
一瞬本物かと思うほどリアル。
シーラカンスは、進化せずに何万年も生き抜いてきた魚です。
進化していないからこそ、進化した他の魚に生存競争で負け、ごくわずかな海域でしか見つかっていない。
展示は以上で終わり。
最後の展示について、特に説明はありません。
でも、僕は「なにか」を感じずにはいられなかった。
進化しすぎた金魚は、人間の保護なしには生きられません。
一方、進化しなさ過ぎたシーラカンスは、生存競争に負けて数を減らしながらも、保護なしに何万年も生き残ってきました。
この二つは両極端ながら、簡単に絶滅してしまう儚い命である、という点では同じ。
進化の不思議さ、生命の不思議さを感じます。
生命の発生・進化からはじまり、生命の多様性。
それらを保護しなくてはならないと同時に、殺して食べなくてはならないこと。
絶滅した種は二度取り返せないこと。絶滅させないためには大きな努力が必要であること。
非常に壮大なテーマですが、アクアマリンでの展示を見ていると、素直に納得できます。
頭でわかっていただけだったことが、体験として体に入ってくる感じ。
…とはいえ、「頭ではわかっていた」のが前提。
多くの人が、細かな展示は横目で見るだけでさっさと通り過ぎていたし、それほど深く感じ入ってはいないのではないかな。
感じ入らないといけない、というわけではありません。
サンゴ礁の海の展示なんて、他の水族館とは全然違うのだけど、すごく美しい。それを見て美しいと感じるだけでも来る価値がある。
本気で見ていると、時間がいくらあっても足りません。
だから、横目で見て進む、だって悪いことじゃない。
パンフレットには、所要時間1時間半から3時間、とありました。
でも、我が家は朝10時に入って、閉館時間の5時半までキッチリ滞在したのに、時間が足りなくて見られないところ・体験できないところがあった。
縄文の里は出来たばかりで、見ごろになるのは10年後だと思います。
非常に遠いのだけど、5年たったらまた来てみたい。そんな水族館でした。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
毎年恒例、夏の家族旅行に行ってきました。
メイン目的地であった「アクアマリンふくしま」については先に書きました。
こちらは、家族日記としての記録です。人が読んで面白いものではないかも。
#同じあたりに旅行を考えている人は参考にどうぞ。
旅程は8月2日(日)~3日(月)でした。
僕の家は鎌倉にあります。
8月2日(日)は5時半起床。
出発準備は、基本的に前日のうちに済ませてあります。
家を出たのは6時ちょうど。順調な滑り出しです。
家の近くのコンビニで、軽い朝ごはんを購入。自動車の中で食べます。
首都高速湾岸線から中央環状線を通り、常磐自動車道へと進むコース。
守屋パーキングエリアでちょっと休憩。
朝ごはんが軽かったから、お腹がすいていればここで軽食でも…と思っていたのですが、みんな大丈夫だというので先へと進みます。
1日目最初の目的地、田村市の「入水鍾乳洞」についたのは、11時の少し前でした。
別に入水鍾乳洞に入りたかったわけではありません。
この夏休み、福島県では「コードF5」というイベントをやっていました。
福島県内のエリアごとに、宝探しのミッションが設定されています。
設問は WEB でダウンロードできるようになっていたので、今回目的とする場所の分をダウンロードしていました。
田村市では、あぶくま洞に行く予定でした。
そこで、最初の問題を解いたところ、ヒントが入水鍾乳洞の近くに2つ置いてあることがわかったのです。
次女は寝てしまっていたので、僕は車で待機。妻と長男長女でヒントを探しに行きます。
2個見つけて戻ってきたところ、丁度次女が目を覚まします。
次の地点。近くの駅前のスーパーへ。
これも、イベントの宝探しのヒントが置いてある店。
ヒントを3つ集めると宝の場所が特定できる、というのが基本的な作りのようです。
ヒント3つを組み合わせると…どうも、あぶくま洞付近に宝がありそうです。
というか、宝の発見者が報告する場所はあぶくま洞の事務所ですし、あぶくま洞が一番有名なエリアです。
ここまでの「ヒントの隠し場所」で無視されているので、あぶくま洞が宝の隠し場所だろうとは、最初から思っていました。
さて、あぶくま洞に行ったらしばらく遊んでしまうことは必至。でも、昼ご飯の時間が近いです。
どうもこのあたりに食事ができるところは無いようなので、スーパーで軽く何か買って食べよう、ということになります。
有難いことに、スーパーでは「賞味期限切れ」と明記して、サンドイッチなどを100円で売っていました。半額から70%引き程度。
もちろん、まだ十分食べられるから売っているのです。
次女・長女は「まるごとバナナ」を初めて食べて、おいしいと喜んでました。
大体200円くらいのお菓子だから、100円はお買い得。
あぶくま洞についたのは、12時前。
まず、宝を探すのですが…見つかりません。ヒント通りの場所を探しているはずなのに、おかしい。
何か勘違いしているのかも?
とりあえず、先にあぶくま洞に入ることにします。
この日は非常に暑く(全国で救急搬送車が1000人以上いたそうです)、洞窟に入って涼みたかった!
#東京では7/31~8/7が猛暑日でした。連続8日で過去最高記録。
あぶくま洞は、1969年に発見された洞窟。
石灰石の採掘中に見つけたのだそうで、洞窟内部には、採掘中の扉などが「発見時の入り口」として残されています。
妻が大学で地学を専攻していたので、長男に説明してやりながら見ています。
一方で、次女が「寒いから早く行こう」というので、僕と長女・次女はどんどん進む。
小さい子は体が冷えやすいので、上掛け一枚持ってくるべきでした。
洞窟内で、探検コースと普通コースの分かれ道があります。探検コースは別料金。
探検と言っても、それほど激しくありません。
しゃがまないと通れないところや、狭いところ、梯子が多いだけ。
なかなか楽しめました。
ところで、初代「ピクミン」の世界観で、はじめて青ピクミンと出会うのは、鍾乳洞の中なんですよね…
似た地形になっている部分があって、長女が「青ピクミンがいた場所みたい」と言います。
あれは元々こういう洞窟のイメージで出来ている、ということを教えます。
以降、子供にとってはあぶくま洞は「青ピクミンの居るところ」のイメージに。
さて、洞窟を出て暑い世界に戻ります。
宝探しの答えがわからなかったから、洞窟に入れば何かわかるかも…と思っていたのですが、何も関係しそうなものは無い。
思い切って、答えを発見した際に届け出る事務所に行って、ヒントを聞いてみます。
そこまでに得た手掛かりと、こういうことだと思うのだけど見つかりません…
と相談すると、本来ヒントは教えられないのだけど、と断ったうえで「考え方はあっているから、もう少し探してみてください」という重要ヒントが。
そして、宝探し参加者向けの冊子をくれました。
本来この冊子を持って宝探しをするのだけど、WEB で必要ページだけダウンロードできるから、それでやっていたのね。
この冊子に、超重要なヒントが…
ヒントを3つあつめて宝を探す際には「宝箱」が置いてあるのね。
ヒントは、文字が書いてありました。
最後に宝を見つけたと報告する際も「キーワード」を伝えます。
だから、宝も文字が書いてあるのだと思い込んでいた。冊子を持っていなかったが故の思い込みです。
そのつもりで探したら、あっさり宝発見。宝箱の中にキーワードを書いてありました。
キーワードを伝え、このエリアの商品であるクリアファイルを貰い、あぶくま洞を後にします。
(続く)
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夏の福島旅行の続きです。
あぶくま洞を出ると、既に時間は午後2時半でした。
本当は、宿に向かいながら道中気になるものを見る予定だったのですが、予定を飛ばすことにします。
宝探しも想像以上に時間がかかるので、パス。
「アイスバーガーは?」と長男が聞きます。
次の通過予定地は小野町で、ここは「アイスバーガー」を町の名物として町おこし中。
これは僕も食べたいし、昼ご飯をまともに食べてないので豪華なおやつと行きましょう。
とりあえず目的地を「リカちゃんキャッスル」としていました。
小野町にあるタカラトミーの工場で、リカちゃん人形を生産するとともに、リカちゃん人形の博物館になっています。
…近づいただけでわかった。キャッスルの名前は伊達じゃない。
ディズニーランドかと思うような建物が、町の中にいきなり建っています。
#子供の前だから言わないけど、ラブホみたい。
キャッスルを過ぎたところで、いったん停車。
アイスバーガーを出している店を探し、カーナビにセットするためです。
…この停車したところが、偶然このエリアの宝探しのヒントがある場所だった。
風景を見た瞬間に「あ、これのことだ」とわかりました。
宝探しはパス、と言ったのに、ついでなので妻がヒントを探しに行きます。
僕はその間にカーナビ操作。
行こうと思っていた店は、すぐ近くでした。
車でちょっと走って到着。洋菓子店の「シェフリー松月堂」さん。
そして、実は宝探しのヒントがある店でもありました。ここでもヒントを得て、3つのヒントのうち2つが揃ってしまいます。
アイスバーガーは、焼いたバンズにアイスを挟んだもの。名前の通りで単純。
元祖の店は100円で提供していますが、松月堂さんは洋菓子店として、高くてもおいしいものを提供している。
高いと言っても250円ね。
オレンジトマト、チョコ、ブルーベリー、ピーチの4種類ありました。
長男と次女がピーチ味を食べ、あと3人で残りの3種類。全部買います。
それぞれ食べてみたけど、どれもおいしい味でした。
バンズは、小麦の香りのするおいしいパン。パリッと焼き上げてあります。
そこに、冷たいアイスを乗せ、ソースをかけて挟んである。
味に合わせてバンズの種類も変えています。多少高くても納得の味。
他にもおいしそうなケーキなど、多数並んでいました。
値段もそれほど高くなく、店内でも食べられます。
近所にこういうお店があったら時々買いたくなる、良い雰囲気のお店。
店に入る直前に雷が鳴りはじめていたのですが、食べている間に、大雨になりました。
御主人も「急にすごい雨になりましたね」と心配してくれて、旅行中であることなど、世間話します。
でも、暑い日だったのに、これで急に涼しくなった。
こういう夕立は結構好きです。
しばらく待っていてもやみそうにないので、近くに停めてあった車まで僕が走り、店の前に横付けして子供と妻が乗り込みました。
優しい松月堂のご主人、にこやかに手を振ってくれています。おいしかった。ありがとう。
ヒントが2個集まりましたが、この雨の中残り1つと宝を探しに行こうとも思いません。
予定通り、宿に直行することにします。
宿までは1時間ほど。
雨は降ったりやんだりでしたが、やんだ時は窓を開けて走ります。雨に洗われた風が、すごく気持ちよかったから。
雲間から太陽が見えることもあり、彩雲(虹色に輝く雲)になっていました。
これは思わず車を止め、みんなで眺めます。
木々の間に霧が立ち込めていたり、美しい田園風景が広がっていたり、また急に雨に降られたり。
雨が降って窓を締めたりするのも含めて、楽しくのんびりとしたドライブです。
(続く)
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夏の福島旅行の続きです。
この日の宿は、喜楽苑。
主に「安かったから」という理由でここに決めたのですが、非常に良い温泉宿でした。
ホームページにも書いてあるのに、実際行ってみないと読んでも理解していない情報って、多いのね。
喜楽苑は立地からして「いわき湯本温泉」なのですが、白鳥山温泉を名乗っています。
白鳥山は宿の立地なのですが、山の中にポツンとある宿です。
隣は、JRAの練習場と、馬の治療用の温泉。
「日本中央競馬 専用道路」と書かれた道を通らないと入れません。
喜楽苑では、この山から湧き出す温泉と、いわき湯本から引いている温泉の、2種類の温泉があります。
さらに、いわき湯本の湯は、木炭でろ過したものとそのままのもの、2種類のお湯を作っているそうです。
そのため非常にお風呂の多い宿。
男女別の大浴場、男女別の鉱泉、混浴の洞窟風呂、貸切の家族風呂と、6つの湯船があります。
宿に入ったのは4時半。
家族風呂は速いもの順で、空いている時間に予約を入れてください、というので早速予約表に書き込みに行きます。
5時半から空いていたので、さっさと入ってしまうことにします。
家族風呂にさっさと入ったのは、この後もう一度出かけないといけなかったから。
今回、宿の夕食は頼んでいないのです。
夕食が無い代わりに非常に安いプラン(いわゆるB&B)があったので、食事はどこかで食べることにしたのです。
さて、夕食どこにしよう…スマホで探します。せっかくいわきに来たのだから、魚料理を食べたい。
近くにある「海幸」というお店が評判が良さそうなので、行ってみることにしました。
#うみさち、かと思っていたら、丁度お店の人が電話応対していて「かいこう」でした。
丁度、この日は夏祭りがあったようです。店の前で屋台などが出ていて、駐車場もこの日に限って使えない状態にしてありました。
と言っても、無断で止められないための措置で、店の人に言えばすぐに開けてくれます。
この時はちょうど満席で、10分ほど待ちましたが入れました。
定食は少し時間がかかります、というので、刺身盛りを頼むことにしました。
お店の人が「いろいろなメニューを頼むつもりなら、小盛りで十分ですよ」というので小盛りで。
…家族5人で堪能できるほど刺身が載っていました。これで大盛りなんか頼んだ日には、一体どうなっていたのか。
妻が「めひかり食べたい」と言っていたのですが、残念ながら品切れ。
流通量が少ないのですぐなくなってしまうのだそうです。
この店、とにかく料理のサイズが大きいです。刺身の切り方も、普通の倍くらいのサイズ。
子供がおにぎり食べたいというので頼んだら、漫画に出てきそうな大きなおにぎりでした。
今の季節はカツオがお勧め、というので、カツオの刺身と、カツオのハラミ焼きも。
このハラミ焼きがすごくおいしかった。酒に合いそうなのだけど、車だから酒は飲めない。
サイズは大きいけどその分料理の値段も高い。
すごい値段になるのでは…と心配したのですが、家族5人で普通に店で食べる程度の値段でした。
ゆっくり夕食を楽しんでしまいました。宿に戻ったらもう8時半過ぎ。
再び風呂に入ります。家族風呂では、汗は流したけど体あらって無いからね。
子供たちは洞窟風呂に行きたがったのですが、ここは混浴。
妻は鉱泉に行く、というので、僕が子供を連れて洞窟風呂に行きます。
…洞窟風呂、洗い場がありませんでした。雰囲気を楽しむための露天風呂だった。
ちょっと楽しんだところで、鉱泉風呂に行って長女。次女を妻に頼みます。
僕は長男と男湯に。
鉱泉風呂は一番薬効が強い風呂だそうです。お湯も濁っている。
一方で、旅館の宿泊棟内にあって、眺望などはありません。
湯船は2つあるのだけど、僕が行ったときは片方にしかお湯が張られていなかった。
多分、一番使われていないお風呂なのでしょうね。
風呂あがって寝る準備したらもう10時近く。
子供たちも疲れてしまい、長男は先に寝てしまっています。
実は、子供を寝かせたら飲もうと思って酒を買ってきてあったのですが、そのまま一緒に寝てしまいました…
(続く)
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夏の福島旅行の続きです。
朝5時過ぎに起きて、朝風呂に行きます。旅行の時のいつもの習慣。
子供たちの要望もあり、また洞窟風呂へ。
昨夜見た様子だと、混浴だけど朝早くなら大丈夫だよ、と妻も誘います。
先に入っている人がいたらやめればいいし、脱衣場はわかれているので、誰か来たら逃げることもできる。
でも、脱衣場、お風呂の方から見えるのですね…
しかも、男性脱衣場より女性脱衣場の方が見えやすい。逆にした方がいいんじゃないかな。
夜来た時は、頭上に星が見えましたが眺めはあまり気にしていませんでした。
朝見たら…別に眺めはありませんでした。目隠しのために周囲が植え込みになっている。
適当に大浴場へ。ここまで来たら全部踏破しましょう。
大浴場は、お風呂屋さんの雰囲気。
大屋根があって、男女の脱衣所・風呂場のどこからでも屋根が見えます。
壁はあるけど、空間としては繋がっているから、「先に出るよー」とか声がかけられる。
大きな窓があって、それなりの眺望。でも、露天ではありません。
女性の方には小さな露天風呂がついているそうです。その代り、湯船は男性より小さいようです。
お風呂から出た後、僕だけロビーに行って新聞読んでました。
ロビーからの眺望は非常に良く、朝早かったので大きな引き戸を全て開けていました。風がさわやか。
9時ごろには、気温が上がってきたので引き戸を閉めてクーラーになってしまっていました。
引き戸は全てガラスなので、眺望は良いのだけどね。
旅行の時にその地域の新聞を読むのは僕の趣味。
福島民報が、「ふくしま未来応援団」として全校から中高生を福島に招いた、という記事を載せていました。
福島の現状を若い世代に知ってもらうために、今年から始めた事業だそうです。
福島以外の各県から1人づつ、46人を招いたようです。
社説として、風評被害を無くすためにも、一人でも多くの観光客に来てもらって現状を見てもらうことが大切だ、と説いていました。未来応援団も、そのための事業の一つだと。
我が家では毎年夏に旅行するのが恒例ですが、今回は「旅行に使う金が、少しでも役に立てば」と福島を目的地に選びました。
旅行記も公開することで、わずかでも力添えできれば、と思っています。
7時半から朝ごはん。朝ごはんの後には、ロビーでモーニングコーヒーが振る舞われました。
本来ロビーで飲むコーヒーは有料のようですが、「一杯くらいは奢ります」と書かれていました。
この言い方、茶目っ気があって好き。
宿としては安い部類だと思いますが、サービスは行き届いています。
施設は…まぁまぁかな。老朽化が目立つ個所はありますが、清潔感はあります。
何より、上に書いた「一杯くらいは」みたいな茶目っ気が随所にみられるのが楽しい。
9時20分にはチェックアウトし、アクアマリンふくしまへ向かいます。
午前中の涼しいうちに湾内の遊覧船に乗ろうと思っていました。
アクアマリンふくしまのすぐ近くから出ています。
が…近づいてから予定変更。
海の上に濃い霧が出ていて、遊覧しても何も見られそうにありません。
後で霧が晴れて、時間があったら乗ることにして、先にアクアマリンふくしまに行くことにします。
アクアマリンふくしまについては、別にまとめたのでそちらをご覧ください。
非常に楽しい場所でした。丸一日遊んでしまいました。
アクアマリンに滞在中、海の状況を常に気にしていました。
やっぱ、遊覧船に乗りたかったから。
でも、時々霧が晴れてもすぐにまた霧が立ち込める。夕方になったら綺麗に晴れましたが、遊覧船の時間も終わりでした。
遊覧船と言っても、ただ風景を楽しむものではありません。
震災の際の被害などの話もしてくれるそうです。
家族旅行で、所詮は遊びに来ているだけなのだけど、震災の復興に少しでも力になれれば、と思っています。
そのためにも、被害を直接知りたかったし、まだ爪痕があるのであれば見ておきたかった。
また来ようと思います。遠いので頻繁には来れないけど。
#アクアマリンふくしまの中にも、震災時の様子、復旧作業の様子などをまとめた、写真パネル展示がありました。
家の近所の、何度も行ったことのある水族館からも、応援に駆け付けたことを知りました。
全部見終わった時、4時半を回っていました。
閉館時間は5時半だ、というお知らせのアナウンスが入ります。
これを聞いて、子供たちがミュージアムショップへ急ぎます。
長女も次女も、ここで何かお土産を買いたいらしい。
いつもは物に執着しない長男も、楽しかったので是非ここの思い出が欲しい、と選んでいます。
結局、長女・次女は小さなマスコットぬいぐるみを買いました。
長男は本。僕はまだ読んでいないけど、何やら面白そうな「魚の比較」の本を選んでいました。
(続く)
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夏の福島旅行の続きです。
アクアマリンを出て、すぐ隣にある施設、いわき・ら・ら・ミュウへ。
遊覧船はこの前から出るはずだったのね。
土産物屋やレストランのある施設、ということで夕食を食べるつもりで行ったのだけど…
勘違いしていた。土産物屋などの集合体ではなく、フィッシャーマンズワーフでした。
土産物やレストランもあるのだけど、主体は鮮魚を売ること。夕方には終了です。
アクアマリン内で昼に寿司を食べるつもりだったのだけど、立ち食いでメニューは1つだけだったのでやめました。
ここは、夕食になんとか寿司を食べたいところ。
近辺の寿司屋をスマホで検索してみます。
…源太ずし小名浜店、というのが出てきた。
小名浜店というのだからチェーン店だろう。きっと気軽な値段で食わせてくれるだろう、と向かいます。
…ちがった。ちゃんとした寿司屋だった。
でも、もういい。ここで食べましょう。
店に入ってメニューを見たら、立派なお値段。ちょっとひるみます。
家族みんなで食べれるように、3~4人前のセットを頼んで、足りなければ個別に注文することにします。
妻が昨夜食べたがっていた「めひかりのから揚げ」があったので、それも注文。
でも、ちゃんとしたお寿司屋さんは、ちゃんとおいしい。
子供たち、回転ずししか食べたことないから、美味しい美味しいと良く食べます。
もちろん、福島の魚がおいしいというのは大きいのだと思いますが。
さて、夕食の後は、そのまま家に帰ります。
また4時間かかる。長女・次女はすぐに寝てしまいました。
長男はさすがに起きているけど、楽しかったけど疲れた、と言っています。
そんな長男も、高速に乗ってしばらくすると、やがて寝てしまいました。
いつもよりも移動距離の大きい家族旅行。
家に帰ると、700km 少し走っていました。普段なら、年間で 1000kmくらいしか乗らないのに!
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ここ数年、スマホの Google Maps をナビとして使っています。
結構使っている人も多いと思うので取り立てて書くこともないのだけど、メモ程度に記録。
回線は安い SIM です。490円。非常に遅いけど、ナビを使う上で問題は無い。
ちなみに、スマホ自体も非常に古くて非力だけど、これも問題ない。
Google Maps の経路検索自体は、かなり信頼できると思っています。
Google Maps を利用している他の車の走行情報を元に、ノード間の平均移動時間を得ていて、時間が速い経路を案内してくれる。
多分、地元利用者が「知る人ぞ知る抜け道」みたいのを使うと、それも学習してしまう。
時々とんでもない道を案内されます。
しかし問題は、Google Maps が経路を「案内する」のが下手な事。
目の前の道を右か左か、みたいな案内だけで、手近な目標としてどこを目指すのか、がわからない。
道路標識と照らし合わせて判断することが難しく、道がわからなくなることがあります。
それでも町中のナビゲーションは比較的まともなのですが、高速道路のナビは、困るくらいにド下手。
指示が出るたびに、何をさせたいのかわからずにドキドキします。
「直進です」と言っておきながら、どうやら曲がって欲しかったらしい、なんてこともしばしば。
(コース表示から現在地がそれてしまい、慌てて「経路再検索」になる)
それでも、Google Maps だから助かったことも幾度もあります。
旅行中も、どうやら行く先で事故渋滞が始まったようなのです。
先に書いたように、Google Maps では、ナビを使っている人の情報を共有します。
同じエリアで急に速度が落ちた車が続出すれば、渋滞していると自動認識します。
予定経路上に渋滞があると、Google Maps では到着予定時刻の表示が赤くなります。
そして、場合によっては「早く到着する経路が見つかりました。使用しますか?」と聞いてきます。
これを使うと、大抵はとんでもない道に案内される(笑)
でも、渋滞している部分を見事にショートカットして、当初の予定時間通りに到着させてくれたりするのです。
行きも帰りも、事故渋滞が発生したのですが、巻き込まれることなく進むことができました。
普段は僕が車を運転するのですが、旅行の帰りは妻と途中で交代しました。
常磐道なら空いているので妻でも運転できる、というのもありました。
妻は普段の運転は問題ないのですが、高速道路はあまり乗ったことが無い。
でも、結局首都高速を通って家まで妻の運転で帰ってしまった。
この時に気付いたのですが、Google Maps を使う場合、運転手が直接見るよりも、助手席の人間が状況を把握しながら運転手に伝えたほうが良いようです。
Google Maps の情報は、地図では得られないような渋滞情報もあるし、現在地もよくわかる。
でも、先に書いたように、どうも案内が下手。
場合によっては、行こうとする先の地図を見て案内の意図を汲み取る必要がありますが、これは危険なので運転中にはできない。
そうした操作を適切に行い、運転手が今何をすべきか、的確に伝える人が必要です。
まぁ、助手席というのは本来ナビをする人が座る席。
そのナビの強力な助っ人としての Google Maps 、という位置づけが一番良いのかもしれません。
いつかもっとバージョンアップして、ここに書いたような「使い勝手の悪さ」が無くなるかもしれません。
ここ数年でも、どんどん使いやすくはなっているからね。
でも、こんな時代もあったな、という記録をここに残しておくものです。
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これはこぼれ話。
結構有名な話ですが、僕もうわさに聞いただけなので真偽のほどは定かでないです。
「3研はセガラリーを作った」と先に書いたのですが、この開発スタッフには、ナムコでリッジレーサーを作ったスタッフが参加していた、そうです。
セガラリー作成中は、僕は手相占いの締切直前でした。
セガの仮眠室は AM3 研と同じ階にあり、仮眠室前の廊下に、セガラリーのテストプレイ筐体が置いてあった。
会社に泊まった時は、寝る前と朝起きた時、1回づつセガラリーを遊ぶ、というのが日課でした。
(これでこのゲーム大好きになって、セガサターン版はレーシングハンドルと共に購入)
ナムコのリッジレーサーは、ドリフトしながら走る感覚を表現した、新しいタイプのレースゲームでした。
基本的には舗装路を走ります。
ゲーム上は「レース」ということになっていて違法性は無いのですが、公道を走る感じ。
当時、ドリフト族とか、峠族とか、公道でのレースが「暴走族」に変わって問題視されていた時代。
#頭文字Dの漫画のヒットは、もう少し後ですね。
セガラリーでは、ドリフトの感覚を「ラリー」としてさらに高めました。
砂利道、泥道、舗装道など、走っていてタイヤのグリップ感が違うのがわかる。
レースゲームとしてそれまでとは明らかに違うものでした。
で、この開発に、リッジレーサーのノウハウが伝えられていた、というのね。
開発の人が入ったのが事実として、それがどの程度影響があったのかなどは不明ですが、いきなり「高いレベルで」登場したセガラリーだから、信憑性のある噂でした。
一方、バーチャファイター2の人材がナムコに転職し、「鉄拳」の作成に関わったというのも有名な話。
こちらも真偽のほどや、その影響力はわかりません。
でも、鉄拳が他の「類似ポリゴン格闘」に比べて明らかにレベルが違ったので、こちらも信憑性がある。
同時期に期せずに起こった「人材交換」でした。
そして、何よりも信憑性を裏打ちするのが、このあとセガとナムコの人事部の間で交わされた密約でした。
ナムコは、セガから転職してくる人材を採用しない。セガも、ナムコから転職してくる人材を採用しない。
ゲーム作りのノウハウは一番の財産ですから、人材流出を抑えることがまず大事。
ナムコとセガは共に大手でしたし、立地も近く、互いに転職する人が多かったのは事実です。
そういう環境だから、簡単に人材が流出してしまう。
お互いに気軽に転職できない環境を作れば、人材流出を抑えられるのではないか。
…どうも、そういう判断だったようです。
この件、後にセガを辞めて転職を試みた先輩が、ナムコで「セガの人事部と協定があって」と断られコナミに行った、という噂を聞いて信憑性が高まりました。
でも、一番の信憑性の裏打ちは、後に「ナムコとセガが互いの転職者を受け入れない、という密約をしていた」という記事が新聞に出てしまったこと。
職業選択の自由に反する、と労基署から注意勧告を受け、この密約を破棄した、という記事でした。
鉄拳とセガラリーに、互いの人材流入があったか、僕は噂でしか知りません。
しかし、その影響で交わされた…と噂された密約は、確かに存在していたようでした。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【ぐらら】 セガラリーをディレクションの佐々木建仁さんがその前はナムコでリッジレーサーのプロジェクトに関わったますよね (2016-07-13 16:53:16) |
7月29日から、Windows10への無料アップグレードが始まっている。
でも、予約しといたのになかなかうちには来ない。
基本的に、マイクロソフトに開発者登録したようなアーリーアダプターから配布を始め、ある程度落ち着いてから一般ユーザーに少しづつ送り、遅い人でも今年中には通知が来る、ということらしい。
Google が Nexus のアップグレードで同じような方法を取っている。
この方法だと、バグが出たらとりあえず配布を中止したりして、影響を最小限に抑えられるのね。
昨日夕方に、やっと通知が来た。
早速今朝入れてみた。
…Win8.1 からのアップグレードならあまり問題は出ない、と聞いていたのだけど、致命的な問題が2つ起きた。
POPfile が起動しない。Chrome が不安定で、特定ページを表示できない。
「特定ページ」の条件が十分わからないが、どうも webSocket を使っているページが表示できないように思える。
また、Flash を使ったページでも、FlashPlugin が停止した、というエラーになる。
POPfile はメーラーと組み合わせて使うための、ベイジアン SPAM フィルタ。
つまり、メールと WEB が動かない。これは困った。
POPfile に関しては解決方法がわかったので後で書く。すごく簡単に解決する。
それほど多くの人が使っているとは思えないツールだけど、今のところ正しい日本語の情報が無いようなので。
(間違った情報はあるし、英語なら正しい情報が見つかる)
#翌日追記:chrome も解決。
せっかくなので、ちょっと使ってみたところでの、Win10 の使い勝手を。
今まで 8.1 を使っていたので、それほど変わらないのだけど、一部の機能が変わったから、変わった部分を中心に。
スタートボタンが復活した。これはよく言われること。
でも、8.0 でなくなったと言われるスタートボタンは、8.1 ですでに復活していた。
これがわざわざ「復活した」と言われるのは、誰も 8.1 のスタートボタンを、スタートボタンと認めていなかった、ということだろう。
8.0 では、「見た目の上で」ボタンが無くなった。
でも、実は機能としては存在していて、本来スタートボタンがあった位置(角)にマウスカーソルを持っていけば、スタート画面の表示に移動できることが示された。
8.1 では、その位置に Windows アイコンが表示された。出来ることは 8.0 と同じく、スタート画面への移行だった。
多分、この「スタート画面」を、スタートボタンではない、と誰もが認めていなかったのだろう。
スタート画面は、スタートボタンをもっと使いやすくした機能だった。
スタートボタンと違い、アイコンを2次元に整理できた。
Windows 3.1 の頃に使われていた「プログラムマネージャ」を思い出すと良い。
win95 になって「プログラムマネージャ」が無くなり、スタートボタンになった時に「使いにくくなった」とすごい批判だった。
主な批判の理由は、2次元で整理していたものが、1次元になってしまったからだった。
スタート画面は、これを2次元整理に戻したものだが、受け入れられなかった。
受け入れられない大きな理由の一つには、「シャットダウン」が違う場所になったことも大きいだろう。
それまで、スタートから電源を切っていた人には、電源を切ることができなくて非常に戸惑ったのだと思う。
でも、やはり 95 でスタートが導入されたときに、「スタートから終了するとは分かりにくい」と散々批判されたのだった。
話を元に戻して、Win10 のスタートボタンは、電源を切る機能が復活した。
これが「復活」と言われる最大の理由だと思う。
全画面を覆わないで、ポップアップウィンドウである、というのもスタートボタンらしさではあるだろう。
でも、実は2次元管理が基本になった。
Win7 の頃までの1次元管理だと、1次元とはいいつつ、ディレクトリを含めることができるツリー構造だった。
そのため、「最初は小さなポップアップだが、ディレクトリを辿るごとに次々ポップアップが出る」ようになっていた。
Win10 では、2次元管理なので次々ポップアップ、にはならない。
最初からウィンドウサイズが決め打ちになっている。(自分の好きなサイズにリサイズできる)
広いほうが使いやすいので、大きくした方が良いように思うのだけど、スタート「画面」が嫌だ、と言っていた人たちは、あまり大きくないようにするのではないかと思う。
僕は、スタート画面を気に入っていたので、「設定」画面から、「全画面表示のスタート画面を使う」をオンにした。
先に、Win8 では電源を切る機能がスタートボタン内ではなくなった、と書いたけど、じゃぁどこに行ったかと言えば「チャーム」という部分に入れられていた。
チャームはハードウェアの様々な設定機能をまとめたもので、画面の右端からスライドして出てくるようになっていた。
ネットワーク設定、画面設定、パソコン内のファイルの検索、コントロールパネルの呼び出し、個人設定、などの機能と一緒に「電源」も入れられていた。
これ、結構わかりやすかったと評価していたのだけど、Win10 になってなくなった。
Vista で入ったガジェットは、Win7 で進化して、Win8 で消えたのだけど、「チャーム」は Win8 だけで無くなった。早すぎる。
じゃぁチャームに入っていた機能はどこに行ったかというと、いろんな個所に分散して入れられた。わかりにくい。
救いは、よく使う機能はアクセスしやすいところに入れられ、あまり使わない機能は奥底にしまわれる、というように、使用頻度で分けて、決して使い勝手を落とさないように再配置されたことか。
なんでチャームを無くしたかと言えば、「画面右端からのスライド」を、別の、もっと重要な機能に使いたかったから、のようだ。
Win10 では、「通知」がここに入った。
Win8 でも、スマホによくある「通知」の機能が追加された。
裏で動いているアプリなどからのお知らせが、画面の上にちょっとだけ表示される。
でも、見てないとそのまま消えて、どこにも残らなかった。
Win10 の新機能である「通知」は、見てなかった通知がまとめて表示されている。
そして、これがまたちょっとわかりにくいところなのだけど、チャームの一部機能は「通知」の一番下で生き残っている。
ネットワーク接続などは、通知画面の一番下で確認・変更できる。
「タブレットモード」なんていうモード切替もあって、モードを切り替えるとちょっと面白いことになる。
タブレットモードでは、ウィンドウがオーバーラップしなくなる。
Win8 は「デスクトップモード」と「ModernUI」の2重人格だったが、Win10 では ModernUI のアプリでも問題なくデスクトップにオーバーラップして置けるようになった。
そして、デスクトップアプリでも、タブレットモードでは全画面表示になる。
デスクトップアプリと ModernUI アプリは、API が違うはずなのだけど、実質的に等価に扱われるようになったようだ。
(ModernUI は、オーバーラップしないことを前提にウィンドウの重ね合わせ処理などを考慮しなくてよいAPI であり、非力な機械でも高速に動作するようにしてあった。
ここら辺、どのように折り合いをつけたのかは知らない。2つの API が、タブレットモードかどうかで2つの処理を持ち、都合4つの描画ルーチンがあるのかもしれない)
地味に便利なのが、タスクビュー機能。
いままでも、Win+Tab キーでウィンドウの切り替えを行えた。
あそこに、タスクビューという機能が入った。これは実質的に今までと変わらない。
便利になった、というのは、ここで「新たなデスクトップ」を作れるようになったこと。
いわゆる仮想デスクトップで、実現するソフトは沢山あったのだけど、標準機能であることに意味がある。
そして、デスクトップに置かれたファイルなどは、どのデスクトップからでも同じように表示される。
つまり、多数ウィンドウが重なってその奥にあるアイコンがアクセスできない場合、迷わず「新たなデスクトップ」を生成してしまえば、すぐにアクセスできるようになった。
いままで、まとめてウィンドウを最小化してデスクトップを表示する機能はあったのだけど、後でウィンドウを開きなおすのが面倒だったのだよね。
ウィンドウを開いたままでデスクトップにアクセスできるし、仕事に合わせて複数のデスクトップを持てるようになったわけで、一挙両得の解決方法だと思う。
まだ今日使い始めたばかりなので、判って無い部分も多数あるけど、とりあえずはこんな感じです。
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Windows10へのアップグレード【日記 15/08/14】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
先に書いた通り、Windows10 にアップグレードしたら、POPfile が動かなくなりました。
POPfile って、メールを分類してくれるベイジアンフィルタね。
SPAM を取り除く、というのが主な仕事だけど、趣味のメールと仕事のメールをざっくり分類してくれる、なんてこともできる。
僕はこれを便利に使っていたので、使えなくなると困る。
ある程度学習が必要なもので、できることなら学習した内容もそのまま使えてほしい。
日本語では情報が見当たらず、英語で調べていたら、わずかではありますが対処法が書かれたページがありました。
まず、前提。
POPfile は、インストールすると Run POPfile というショートカットを作り、これで起動されるようになっています。
起動後は常駐し、メールをサーバーに読みに行く際に間に入って、メールを分類します。
ところが、Windows10 アップグレード後は、起動してもすぐに終了してしまい常駐しなくなりました。
すると、メールが読みに行けません。
#メーラーの設定を少し書き換え、POPfile に接続する様にしてあるため。
POPfile の方に、それまでのメーラーの設定を記述し、POPfile がメールを取りに行きます。
Run POPfile ショートカットのプロパティを表示し、「ファイルの場所を開く」ボタンを押せば、本来の実行ファイルが見られます。
runpopfile.exe というファイルです。
実は、同じディレクトリにある popfile.exe が本体。runpopfile.exe は、この本体を起動するのですが、起動後も別の役割を担います。
popfile.exe が何かの拍子に停止してしまうとメールが読みに行けなくなるので、runpopfile.exe は、起動した popfile.exe を監視し、トラブル時には再起動を行うのです。
同じディレクトリに、msgcapture.exe というのがあります。
これも popfile.exe を起動するのですが、普段は表示されない「現在の状態を示すメッセージ」を受け取り、表示してくれます。
(ファイル名は、msgcapture は、メッセージを受け取るもの、の意味です)
POPfile がうまく動かない時は、msgcapture.exe を使って原因を調べる…というのが普通の手順の模様。
ところが、runpopfile.exe では起動できないのに、msgcapture.exe では起動できてしまうのです。
なぜかはわからないのだけど、これでは原因が特定できない、お手上げの状態。
ここで解決法。
さらに同じディレクトリに、adduser.exe というファイルがあります。
これを起動してください。
これは、POPfile インストール直後に自動で実行される、ユーザー設定ユーティリティ。
Windows を複数ユーザーで使っている場合は、ユーザーごとに adduser.exe だけを起動すればよいようになっています。
実は、Windows 10 のアップグレードインストール時に、何らかの都合で設定が壊れてしまうようです。
でも、大事な学習データなどは残っているので、データを残したままユーザー設定だけやり直せば動くようになる。
adduser.exe を起動すると、すぐに以前のファイルを見つけ出して「アップグレードするか」と聞いてきます。
アップグレードなら、学習したデータなどはそのまま使われます。
後は待つだけ。
これだけで設定は終了。
Run POPfile を起動すれば、問題なく常駐する様になります。
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Windows10へのアップグレード【日記 15/08/14】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【カンニャボ】 長いアップロードの後に動かなくなってこれで解決しました。 (2016-10-13 16:51:42)【zak】 大変参考になりました。ありがとうございます! (2016-09-07 23:00:05) 【Hide】 参考になりました。的確な「まとめ」感謝です。 (2016-07-25 22:20:11) 【通り5】 「本当に感謝です」 「感謝」「感謝」「感謝」「感謝」・・・ (2016-07-25 10:03:19) 【でぶじい】 Win10で動かなくなったPOPfile直りました。有難うございました。 (2016-07-22 12:50:05) 【とおりすがり4】 私も同様です。ありがとうございました。 (2016-06-18 16:12:47) 【通りすがり3】 ほかの方と同様です。貴重な情報に感謝です。 (2016-03-04 17:57:52) 【感謝!】 windows10にアップグレードしたら同じ現象になり、途方に暮れていたところですが、こちらの記事を見て手順どおりにアップグレードしたら、再び使えるようになりました。ありがとうございます。 (2016-01-22 07:26:37) 【通りすがり2】 私も同じ状態で、この記事にたどり着きました。再設定・・・の手間がかからず助かりました。ありがとうございます。 (2016-01-08 22:00:33) 【通りすがり】 win10にアップグレード後、popfileが動かなくなり困っており、検索からこの記事にたどり着きました。おかげで助かりました。ありがとうございました。 (2015-10-04 23:31:14) |
昨日書いた、Chromeが動かない問題は解消した。
と言っても、解決法を期待されても困る。
なんだかわからないが、一晩たったら治っていた、という状態なので。
Chrome が動かなかったのは、先に書いたが主に webSocket を使っていると思われるページと、Flash を使っているページだった。
Flash は「プラグインが応答していません」というエラーが出て全く動かない。
困るのは、Flash が使われているページでは、このエラーによって動作が止まることがあったという点。
広告などが Flash を使っていると、ページ自体が使っていなくても止まる。
webSocket を使っていると思われる、というのは、代表例は TweetDeck と chatWorks。
もしかしたら、XMLHttpRequest でも止まっていたかもしれない。
これらのページは、通信を試みたところから完全に停止するようだった。
一応、Win10 の新標準ブラウザである Edge を使えば、それらのページも見られる。
Edge は非常によく出来ていて、Chrome のブックマークをインポートできるし、動作も非常に軽快、Chrome と操作法も似たタブブラウザだ。
「最近人気のブラウザ」をよく研究して作られた意欲作だと思う。
でも、僕は仕事柄 Chrome をどうしても使わないとならないことがあるのだ。
Edge を常用したとしても、Chrome が動かないのは困る。
様々な設定が消えると困るので、データは残したまま Chrome をアンインストールして、再インストールする。
しかし、症状は改善しない。
Win8 では 64bit 版 Chrome を使っていたが、気づくと再インストールしたのは 32bit 版だった。
改めて削除し、 64bit 版を入れてみる。それでも改善しない。
ユーザーごとに保存されるファイルを全消去すると動作不良が改善する場合がある、という記事を読み、試みる。
しかし、改善しない。
ちなみに、Chrome ではブックマークなどは自動的にオンラインに保存されているので、ファイルを消去しても環境はすぐに取り戻せる。
昨日はここで時間切れ。
後出来そうなのは、データも含めた完全消去と再インストール。
これをやるのはさすがに気が重い…というのも、クッキーなどはさすがにオンラインに保存されないから。
しかし、試さないといけないだろうなぁ、と思っていた。
今朝になって、気は重いが完全消去を試してみよう、とパソコンを起動。
完全消去の前に、ダメもとで Flash が使われているページにアクセスしてみる。
…あれ、なぜか動いた。
TweetDeck にアクセスすると、こちらも動いた。
何が起こったのか、全くわからない。一度電源を落として再起動したのが良かったのか。
TweetDeck は僕のユーザーアカウントでログインされた状態で始まったので、クッキーは残っているようだ。
しかし、Local Shared Object (いわゆる Flash のクッキー)は消えてしまったらしい。
実は Flash のゲームで遊んでいたデータが消えたりしたが、これはそれほど問題ではない。
この程度の問題で済んで良かった。
今過去の日記を見直していたら、Win 8.1 を入れた際にも、Chrome が動かなくなったと騒いでいる。
僕も進歩が無いのだけど、アップデートの度に問題が起きる Chrome にも問題がありそうで、こちらも進歩が無い。
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別年同日の日記
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1日使ってみて、Windows10 の「スタート画面」の設計には多少問題があるな、と感じてきたので書いておこう。
Win95 以降の「スタートメニュー」と、Win8 の「スタート画面」には両方とも批判があり、その折衷案として作られたのが Win10 の「スタート画面」なのだけど、折衷案であるがゆえにどっちつかずの問題が起きている。
話は、Win8 のスタート画面から始めたほうが良いだろう。
Win8 では、スタート画面は「横スクロール」だった。表示される際の起点は、長い画面の左端。
なので、右に向かってスクロールしていける。
だから、僕はよく使う機能を、左下に沢山配置していた。
スタート画面に移行するには、デスクトップ左下のスタートボタンを押すことになる。
つまり、スタート画面開始時にはカーソルは左下にある。
この周辺によく使う機能をまとめておけば、マウス移動距離が短くて済む。
Win8 以降の ModernUI ソフトには、ライブタイルという機能がある。
わざわざアクセスしないでも、最新の情報などを表示してくれるのだ。
これらは、右の方に配置しておく。
左下から配置したい機能が増えると画面外に追い出されてしまうが、元々「表示されていればありがたい」程度の機能なので、見えなくても問題は無い。
Win10 では、Win95 の「スタートメニュー」に倣って作り直された。
Win95では、リストは縦に並ぶ。なので、スクロール方向も縦に改められた。
最初に表示される際の起点は、リストの一番上だ。下に向かってスクロールする。
これが、「マウスカーソルは左下にある」というのと相性が悪い。
上が起点となるので、左下によく使う機能を集めるのが難しい。
もちろん、その位置に集めることは、不可能ではない。
Win95以降では、スタートメニューは、状況によって縦幅も横幅も変わる。
しかし、Win10では、あらかじめ指定した固定幅になっている。
固定幅なのだから、左下を特定するのはたやすいともいえる。
でも、使い勝手を挙げようとしてサイズ変更すると、アイコンが自動で再配置されて、並び順はそのままでも表示位置が変わってしまう。
この時、起点となる「右上」は一切変わらない、というのが悩ましい。
重要なものを右上に置いておけば良いのだけど、そうするとマウスカーソルの起点位置である左下から遠く、使い勝手が落ちる。
ちなみに、あらかじめスタート画面に配置しておいたアイコン「ではない」ソフトを起動したい場合のために、インストールされている全ソフトを、アルファベット順に並べて表示する機能がある。
この機能は、スタート画面左下のボタンからアクセスできる。
また、電源を切る機能も左下に置かれている。
こういう機能を左下に配置している、という時点で、スタートボタンは左下に置かれていることを前提にしているのだろう。
右上が起点なのだから、スタートボタンを右上に置くのが正解、ということではない。
恐らく、Win8 で横スクロールだったのは、左下に重要なアプリを置けるようにするためによく考えた末の機能だったのだ。
左端から横スクロールであれば、左下に置かれたアイコンが、何かの拍子に移動してしまうことは無い。
Win95 でスタートメニューのユーザーインターフェイスを設計したダニー・オラン女史は、 Win10 でスタートメニューが「復活した」ことに、落胆しているそうです。
当時としては悪くないアイディアだったけど、いまとなってはもっと良いアイディアがある。
彼女は Win8 のスタート画面は、スタートメニューを捨ててもっと良いアイディアを試していた、と良い評価をしています。
Win10 だって、全画面表示にすれば Win8 のスタート画面と同じになるのではないの? と僕は思っていたのですが、実際に使ってみると使い勝手が落ちていることに落胆しました。
上に書いたように、サイズ変更をしなければ「左下」にアイコンを集めることは可能です。
さらに言えば、1画面に納められる量だけにアイコンを限定すれば、スクロールも発生しません。
ユーザーの工夫で使いやすい運用は可能…ということですが、これは可能性を犠牲にした運用でもあります。
ちょっと残念な部分です。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
祖父の命日、8月9日に靖国神社に参拝してきました。
子供の頃は毎年参拝していたのだけど、去年二十年位ぶりに訪れ、今年は連続して2回目。
…去年よりも明らかに参拝者が多い。
どうも、戦後70年の節目ということと、安保法案の絡みで戦争に興味を持った方が多く、この夏は参拝者が多いようです。
参拝の内容は、参拝したことがある人にとっては当たり前の「例年通り」の内容。
供え物をし、この日の戦死者の名前を全て読み上げ(霊を呼び出し)、慰霊のための神楽を舞うだけです。
ところで、祖父の命日で参拝しているにもかかわらず、僕は祖父がどこで死んだのか知りません。
一度父から聞いたのだけど、子供の頃だったので聞きなれない地名を忘れてしまった。
既に父は他界しましたので、もう聞くこともできない。
フィリピンの小さな島、とは覚えています。
ある時、テレビでフィリピンを旅する番組をしていて、父が「あ、この島! 初めてみた!」と言っていたのです。
地名を聞いたのもこの時だけど、普通にフィリピンの紹介などをしても、写真も出てこないような島。
今フィリピン戦の歴史を調べてみたけど、7月下旬までには主要な戦闘は全て終わっているのね。
それも、最後はボルネオ島が戦場なので「小さな島」ではない。
スールー諸島での戦いは4月には終わっているのだけど、終戦まで散発的に戦闘が続いているようなので、おそらくこのあたりのどこかなのでしょう。
毎年8月9日は、右翼団体が靖国神社に集結します。
子供の頃は「年に一度見る靖国神社」には常に右翼がいるため、一年中集まっているのだと思っていました。
右翼の人々、街宣車は異様で怖さを感じますが、非常に礼儀正しい。
ここは、国を守るために戦った人々が眠る聖地ですから、彼らも敬意をもって接している。
8月9日に集まっているのは、この日にソ連が日本に対し宣戦布告したため。
その直前まで、ソ連は連合国側の国でありながら日本とは戦っておらず、友好的な姿勢を見せていました。
そして、数か月前からアメリカとの終戦交渉を仲介してくれていた…と、日本側は信じていました。
数か月前から、負けなのはわかっていました。
しかし、負けを認めるにしても、日本国民がその後の生活に困らない条件を引き出して戦争を終結させたい。
そのためにはアメリカと話し合わなくてはならず、その難しい仲介役をソ連に頼んでいたのです。
しかし、ソ連の突然の宣戦布告。終戦交渉は無理だと悟り、翌日である10日には無条件降伏(ポツダム宣言受諾)を通告しています。
実際に受諾するのは14日、調印は9月2日です。
(日本では終戦の日は8月15日とされるけど、これは「国民にポツダム宣言受諾を知らせる放送が行われた日」。
世界的には9月2日が終戦の日とされています)
一般に、「広島長崎への原爆が終戦を決めさせた」とされていますが、現実にはソ連の参戦の方が大きかったようです。
こうした経緯を知っている右翼の方々…多少風変わりな愛国心を示す方々にとって、ソ連は日本の立場を悪くした「裏切者」です。
そのことを忘れないために、毎年ソ連参戦の日に集まっているらしい。
ただ、言っちゃ悪いけどその気持ちは参拝者には全然伝わってません。
街宣車にロシア(元ソ連)に対する怒りが書かれているので、ロシアに何かを怒っていることはわかります。
でも、何を怒っているのかは全然書かれていなくて、多くの人にとっては「怖い団体が集まっている」程度の認識。
彼らは、異様な風貌で参拝者を怖がらせている、という致命的な部分以外は非常に礼儀正しく、集会後は皆で周辺の清掃活動をやっていました。
あの格好も彼らのアイデンティティなのだろうけど、もう少し普通の格好で、淡々と戦時中の事実を伝えたら、少しは皆に理解してもらえると思うよ。
靖国神社は、元々戊辰戦争で官軍の戦死者をまつった施設が元になっています。
その施設は神社ですらなく、後で神社にしたけどいろいろと神道としてはおかしな状況になっていると聞きます。
それでも、戦前は政教分離が十分でなかったので、国の神社でした。
国を守るために、国の命令によって命を落とした人たちを祀っていた。
現在祀られているほとんどの人が、第二次大戦で戦死した人たちです。200万人以上。
軍人としての戦死者のみです。空襲で死んだ民間人は含みません。
今となっては、政教分離を徹底するために国とは無関係の組織になっています。
先日、自衛隊員が死ぬことがあっても靖国神社には祀らない、という正式な声明が発表されました。
すでに国の神社ではありませんし、政教分離の原則から言っても当然かと思います。
今後はともかく、過去に靖国に祀られたのは国の命令で命を落とした人たちです。その死を無駄にしてはならない。
「無駄死にだった」という人もいるけど、無駄にするかどうかは、現在我々がどう生きるかにかかっていると思います。
その意味では、敬意を示したいと政治家が参拝したりするのも、本心からであれば良いことだと思います。
でも、立場は考えないといけない。
公式な立場で参拝すると、政教分離しているのにおかしい、と議論の的になる。
基本的に戦死者を祀っているのに、戦争裁判で刑死・獄死した人たち…いわゆるA級戦犯を合祀している、ということも問題にされます。
国の命令で死んだ人たちを祀るはずなのに、その命令を出した側、自由意思を持てた側も一緒に祀っているわけだから。
いろいろと問題が多いことはわかっているけど、僕にとっては子供のころから祖父の眠る場所として参拝してきたし、その際に父から神社を参拝する際の礼儀作法なども教えてもらって来た。
自分の精神的な基礎の一つになっているように思います。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
久しぶりにサーバー設定していて、ntsysv を起動してから、あぁ、そうじゃなくて何だっけ、普通にコマンドラインで設定するやつ、と思った。
正解は chkconfig なのだけど、まぁ、そこはどうでも良い話。
わけわからん、という人のために書いておくと、サーバー起動と同時にデーモン(サービスプログラム)を起動したい、ということは多い。
というか、いちいち必要なデーモンを手動で起動なんてしてられない。
コマンドラインでその設定をするソフトが chkconfig 。
chkconfig をわかりやすく、カーソルキーだけで設定させてくれるソフトが ntsysv 。
まぁ、ともかくその時は chkconfig が思い出せなかった。
ntsysv って、検索してみたら、こんな質問があった。
New Technologies System Virtualisation だ、という唯一の答えがベストアンサーだ。
いや、明らかに違うから。それ、単に VMware 好きな技術者が書いている、ブログのタイトルだから。
以前書いた通り、こうしたQ&Aコミュニティはまともな答えが出ないと思っているけど、その答えがベストアンサーとして残るのはどうもいただけない。
でも、じゃぁ ntsysv が何の略か、というと僕も答えを持ち合わせていない。
答えを知らないのであれば、上のベストアンサーが間違っている、と言い切る根拠だってないことになる。
推測に過ぎない、と断った上だけど、後半部分はわかる。sysv の部分だ。
System V というのは、AT&T が作った UNIX ディストリビューションの名前だ。
というか、UNIX は AT&T が生み出したものだから、本家だな。
V というのは、ローマ数字で 5 のこと。バージョン5だから System V 。「しすてむふぁいぶ」と読むこと。
Linux は、基本的に System V 互換を目指して作り出されたフリーの UNIX 環境だ。
カーネル以外は BSD 由来の部分が多いので BSD っぽい操作をするところも多いのだけど、System V を目指した。ここが重要。
そして、多くの Linux ディストリビューションが、サーバ起動時のデーモン起動方法として、System V 互換の手法を取っている。
/etc/rc.d/ ディレクトリ下に、起動のためのスクリプトを置いておく、というやつだ。
実際には、/etc/rc.d/init.d/ にスクリプトが置かれ、/etc/rc.d/rc3.d/ なんかの下に、起動順位に従ったファイル名でリンクされる。
起動時には、このリンクをファイル名順に実行することで、デーモンが起動される。
つまり、chkconfig の正体は、init.d のスクリプトを他のディレクトリの下にリンクしたり、リンクを削除したりするプログラムだ。
ntsysv は、init.d の中のファイル一覧を表示して、カーソルキーとスペースキーで、起動するか再起動するかを変更できるプログラムだ。
…というわけで、ntsysv は、System V のデーモン起動方法と深く結びついている。
だから、sysv の部分は System V の略だと考えて、まず間違いないと思われる。
まずやって見たのは、man ntsysv だ。
マニュアルが読める。
特に名前に関する情報は無かった。
次に、ntsysv と System V を並べてググってみる。
ntsysv は、ほにゃらら System V の略だよ、って書いたページがあることを期待したのだ。
期待したのだけど…なかった。少なくとも、僕は見つけられなかった。
でも、「ntsysv は ncurses ベースで作られた、System V 起動ファイルの設定ソフトだよ」ってページは多数見つかった。
なるほど、これで n に関してはわかった。ncurses の n のようだ。
ちなみに、ncurses は new curses の略だ。「新しい呪い」ではなくて、curses は cursor を操作するためのライブラリプログラム。
その昔、UNIX にはテレタイプが付けられていた。コンピューターにはテレタイプ、が当たり前だった時代だ。
でも、そのうち「ビデオテレタイプ」と呼ばれる、CRT 端末が登場した。
そうした端末では、カーソル位置を自由に設定するコマンドが存在していることがあって、文字を自由な位置に配置できた。
でも、端末ごとに互換性が無くて非常に面倒くさい。
これをうまく吸収してしまい、プログラマは「カーソルを指定位置へ」と命令するだけでよきに計らってくれるライブラリが作られた。
端末ごとに全く異なる、カーソル(cursor)を巡る呪い(curses)のような状況から解放してくれる呪文(curses)だ。
…でも、あるころに、何らかの事故によりソースファイルが失われたらしい。
非常に便利なソフトで、無くなってしまうのは困るので、同じ機能のものが作り直された。
これが new curses 。ncurses だ。
余談だけど、1文字の大きさが変わったりする日本語では、curses はまともに動かなかった。新たな呪いだ。
日本語対応にした curses を、ペリカン curses という。
文字データが端末に「流れ込んでいく」と考えると、文字化けをするのは、何かが通せんぼしているからだ。
curses が日本語だけを通せんぼしているのであれば、日本語が通るようにしてやらなくてはならない。
「日本語が通る」なので、最初は「日通」と呼ばれたらしい。
でも、日通といえばペリカン便。そこで、日本語対応の curses を「ペリカン curses」と呼ぶようになったのだ。
嘘みたいな本当の話。
UNIX のソフトには、こんな名前の由来が沢山ある。
話がそれた。
ntsysv の t の部分だけど、考えられそうなのが2つ。
一つは、text 。ncurses を使った text 画面ベースだ、という主張。
というのも、このソフトが作られたのは 1997 年ごろのようで、世の中がコマンドラインインターフェイスからグラフィカルインターフェイスへ変わっていく頃なのだ。
「ビジュアルに」設定したいのであれば、X Window という手だってある。
でも、X Window は「手軽」に見えるけど「気軽」ではない。
ビジュアルに表現していても、テキスト画面で使えることを重視したのではないかと思う。
もう一つは、toggle 。
ntsysv を使ったことある人はわかると思うけど、各種デーモンを「起動するかしないか」だけを選ぶため、カーソルでリストの中を動いて、スペースキーを押すと起動するかどうかを切り替えられる。
起動設定を簡単に toggle 出来る、という意味で、この t でもおかしくない気はする。
このプログラム作った人、man ntsysv で連絡先まで書いてあるから、聞いてみればわかるんだろうけどね。
後日追記 2015.8.30
コメント欄で「nt は newt の略」という説を頂いた。
不勉強で newt を知らなかったのだけど、教えてもらってから調べてみたらすごく信憑性高い。多分それ。
ncurses は、画面の好きな位置にカーソルを移動したり、文字に色を付けたりするための仕組み。
BASIC 時代を知っている人には、color と locate が使えるようになる「だけ」だと思ってもらっていい。
#パソコン通信時代を知る人なら、エスケープシーケンスを適切に選ぶだけのライブラリ、と言えばさらに理解してもらえるか。
newt は、ncurses を利用して、テキスト画面でウィンドウシステムを実現してしまおう、というライブラリだ。
X-Window では画面描画を行う方法を提供するけど、ウィンドウシステムは提供しない。
ウィンドウシステムとして使いたければ、好きなウィンドウマネージャを組み合わせる必要がある、というのと似ている。
ntsysv の説明では「ncurses based」であることを書いてあることが多いのだけど、実は newt based でもあった。
そして、この newt は、 RedHat 社が開発したものだ。
RedHat のテキストベースのインストーラが作り出す画面は newt によるもの。
名前も詳細も知らなかったのだけど、統一された操作感だから、なんかライブラリがあるんだろうな、程度には感じていた。
#最近は X-Window ベースでインストールできるので、この画面はあまり見なくなった。
そして、newt の開発者と ntsysv の開発者は、同一人物だった。Erik Troan さん。
そんなわけで、ntsysv の「nt」は newt の略ではないか、という説には非常に信憑性がある。
ところで、newt は「イモリ」の意味だ。公式には Not Erik's Windowing Toolkit の略となっている。
Erik さんが作ったのに、なんで Not Erik's なのかは知らない。
でも、curses(呪文)と一緒に使う、って時点で「イモリ」の名前が先にあったんじゃないかという気がする。
なかなか良いネーミングセンスだ。
同じテーマの日記(最近の一覧)
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 情報ありがとうございます! なるほど、ntsysv と newt 、作者さんが同じなのですね。恥ずかしながら newt の存在を知りませんでした。本文に追記します。 (2015-08-30 12:03:46)【m.ukai】 newt ベースで作られているようなので、NewT SYStem V の略という説を唱えてみます。(で newt が何の略かという泥沼) (2015-08-26 10:16:38) |
今年の春ごろ…長男が5年生に進級したころだったと思うが、こんな質問をされた。
1~100までのすべての自然数で綺麗に割り切れる数って、どんな数だろう?
一応彼なりに答えは持っているのだけど、その答えが大きすぎて算出できない、という。
長男の考え方はこうだ。
まず、100 までの素数を探し出す。
100以下の数は、これらの素数を適切な回数掛け合わせることで作り出せるはずだ。
だけど、これらの素数を全て掛け合わせても、問題の答えにはならない。
素数をかけるだけでは、素数である「2」で割れることは保証されても、4で割れることを保証できない。
2を適切な回数掛け合わせることで、この保証を作り出さないといけない。
この「適切な回数」は、掛け合わせた数が 100を超えない最大の値になるようにする。
2であれば、6回掛け合わせて 64 にする。64 で割れる数字は、32、16、8、4、2でも割れることが保障される。
同じように、3ならば4回掛け合わせて 81とする。
全ての素数に対し、この操作を行う。
そして、最後にこれら掛け合わせて出来た数を、すべて掛け合わせる。
その答えが冒頭の質問の答えとなる。
説明を受けて、なるほど、と思った。考え方はあっている。つまり、それが答えだ。
でも、その数を実際に算出できない。
長男の疑問には条件に入っていなかったが、この数は、条件を満たすうちの「最小の数」でもある。
(素数を使った考え方は、最小公倍数の求め方と同じだ。
つまり、この数は1~100の最小公倍数である)
この時点で、長男はためしに 10 までの数値で試算を行っていた。
1~10 の自然数で割り切れる数は、2520 だった。
その疑問は、大きすぎて解決できない数としてそのままになっていた。
夏休みも終わりに近づき、長男は宿題を全部終わらせ、急に「Scratch って、どのくらい大きな数を扱えるの?」と聞いてきた。
なかなか難しい質問だ。
宇宙物理学などで大きな数を使う時には浮動小数点を使う、という話は長男は知っているので、コンピューターも浮動小数点を使えることを教える。
その上で、Scratch 内部では 64bit 倍精度演算を行っていて、正確に出せるのは 52bit 分だけど、大きな数の表現としては、さらに 11bit 分の指数が付けられることを教えた。
ややこしい話に最初は混乱していたけど、次に「指数を使うと、大きな数は表現できるけど、その場合は細かな数は出ない?」と聞かれる。
うん、その認識で正しい。正確な数を求めたければ、52bit の範囲に収めないといけない。
じゃぁ、52bit ってどのくらい? と聞かれたのだけど、即答できない。
32bit で40 億、さらに 20bit 余るけど、10bit で 1024 だから、40億の千倍の千倍くらい、と答える。
ここで、「じゃぁ、1~100までの全ての数で割り切れる数、計算できるかな」と言われる。
先に書いたように、冒頭の話は春のこと。僕はすっかり忘れていたけど、長男はまだ疑問に思っていた。
面白い、やってごらん、とノートパソコンの使用許可を出す。
#長男が Scratch をやりたいときは、僕か妻に許可をもらってノートパソコンを借りている。
1~100までの素数は知っているのだけど、うまくいったらもっと大きな数も計算してみたいので、と、エラストテネスの篩から作りはじめる。
素数を求めるアルゴリズムね。プログラムの初心者向けの課題として良く出されます。
普通は配列で作るのだけど、Scratch には配列が無い。でも、リストがある。
最初にリストに 2~100の数字を入れて、「倍数」はリストから削除していく、というプログラムにした。
リストの先頭を取り出すと、それは常に素数。
素数を取りだしたら、リストの数値を順次確認し、取り出した素数で割った余りが 0 なら、削除する。
最後に、取り出した素数は、素数を入れるもう一つのリストに追加される。
元となるリストがどんどん削除されていくので、終わりに向かって加速していくプログラムが出来上がった。
見ていてなかなか楽しい。
これで素数が得られたら、次にそれらの素数を掛け合わせ、100を超えない最大の数にした数値を、また別のリストに入れていく。
最後に、リストに入った数値を全て掛け合わせれば答えが出る。
結果は… 6.9720375229..e+40 !
…残念! Scratch では正確に求められないほど大きな数値だった。
#最後が e+40 となっているのは、52bit の範囲を超えてしまい、指数表現になったことを意味する。
プログラムを作って、答えは出たけど、正確な数じゃなかったーーー と、残念がりながらも面白がる長男。
せっかくなので、ここは父の威厳の見せどころ。
自分のマシンに向かって、UBASIC を起動する。
というか、以前にちょっと使ってみようとしたけど、使い物にならなくてほったらかしてあったのね。
UBASIC は、DOS 時代のフリー BASIC 。
実効桁数なんと 8640bit (540word) という恐ろしい演算性能を持つ。
DOS では動いたけど、残念ながら今の Windows では動かない。
でも、フリーの DOS エミュレータである DOSBox 上では動く。
…のだけど、DOSBox は英語版 DOS だし、キーボードも US 101 キーボードが前提。
これが「使い物にならない」としていた理由。
とりあえず、数値演算だけだから日本語は使えなくてもいい。
エラーメッセージが文字化けして読めないけど気にしない。
長男の考え方を、どんどんプログラムしていく。
…のだけど、流石に US 101 キーボード用は使いづらい。
いちいち記号を探すことになって効率が悪い。
ちょっと調べると、改造品で 106 キーボード対応があったので、DOSBox を入れ替える。
後で書くけど、その後さらに環境整えたら日本語も出るようになった。
(この時は、BASIC プログラムを作ることが優先で、そこまでやってない)
久しぶりの UBASIC で無駄に手間取った部分もあるのだけど、2時間ほどで完成。
100 Max=100
110 dim F%(Max)
120 for I=2 to Max
130 if F%(I)=1 then 160
140 F%(P)=I:P=P+1
150 for J=I to Max step I:F%(J)=1:next
160 next
170 B=1
180 for I=0 to P-1:A=F%(I)
190 if A<Max/F%(I) then A=A*F%(I):goto 190
200 B=B*A
210 next
220 print B
BASIC ではリストは使えないので、素数を求める部分は普通の配列。
1だと「既にチェックされた」、つまり倍数であることを意味している。
# F% というのは、UBASIC 独特の書き方。1word 数値であることを示す。
0 か 1 かを保存するだけなので十分。
こうしないと、540word の変数を配列にしようとして、すぐにメモリ不足となる。
120~160 で素数を求める。
130 で倍数か素数か調べ、素数なら 140 で記録、150 で倍数をチェックしている。
170 からは素数が求まった後で、190 で「100を超えない最大の倍数」にして、200 行でそれを掛け合わせている。
長男が求めていた答えは 69720375229712477164533808935312303556800 だった。
後日追記 2015.9.7
こういう計算なら、UBASIC より Ruby がいいと思うよ、という重要な示唆をいただきました。
恥ずかしながら、Ruby に多倍長型があるのを知りませんでした。
Ruby で書き直してみたプログラムを含め、ここら辺の話、別の日記に書いています。
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別年同日の日記
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さて、先の記事に書いた UBASIC の話。
興味を持った人のために環境構築方法を書いておこう。
追記:2015.9.3
DOSBox の最近のバージョンを日本語キーボード対応したものがあったので、そのバージョンを使用するように書き換えました。
まず、DOSBox という、DOS エミュレータが必要になる。
DOS っていうのは、Windows が登場する前の OS ね。
Windows 95 までは、DOS の上に構築されていたけど、XP 以降は NT ベースになったため、DOS は無くなってしまった。
…はずなのだけど、Windows 7 でも 32bit OS なら UBASIC はコマンドラインで動かせた。
マイクロソフトの互換性確保の努力は驚異的だ。
64bit OS を使っていると、さすがに動かない。エミュレータが必要になる。
普通の PC エミュレータに DOS をインストールしてもいいのだけど、DOS エミュレータは最初から DOS を動かす前提で作られているので、手っ取り早いし扱いが楽。
でも、公式には英語版しかない。
DOS 自体が英語環境だし、キーボードも US 101 キーボードが前提。
配布されているバージョンも、もう長いこと 0.74 のままだ。
ただし、「ソースコード配布の公式バージョン」というものがあって、こちらはどんどんバージョンアップしているらしい。
いわゆるベータ版扱いで、使うには自分でコンパイルする必要がある。
これを、日本語キーボードに対応させた人がいる。
ありがたく使わせてもらおう。
展開すると、dosbox-r3850-jp が出来上がる。
インストーラーとか無いから、適当なところに置く。
これで DOS エミュレータの準備は完了。ちょろいもんだ。
dosbox.exe を起動すれば DOS 画面が開くけど、DOS を使ったことがある人でも意味がわからないだろうと思う。
独自のコマンドとか入っていて、Windows との親和性を非常に高めてあるから。
DOSbox が他のエミュレータと違うのは、Windows のディレクトリを「そのまま」ディスクとしてマウント出来ることだ。
Windows の C: ドライブに \DOSBOX というディレクトリを作って、
mount c c:\DOSBOX
とすれば、DOSBox の中で \DOSBOX ディレクトリが C: に割り当てられる。
(もちろんディレクトリは別の名前でも構わない。僕は自分の documents ディレクトリの下に DOSBOX を作っている)
dosbox.exe と同じディレクトリに、dosbox.conf というファイルがある。
中身はあまり気にしないことにして、一番下を見ると [autoexec] というセクションがあって、当初は何も書かれていない。
ここにコマンドを書くと、起動時に自動的に実行される。
だから、ここに
mount c c:\DOSBOX
c:
と書いておくと、起動直後に c: ドライブのルートにいる形になる。
おぉ、DOS っぽい。
さて、これだけでは日本語は表示できない。
その昔、DOS/V パソコン、という言い回しがあったのを覚えている方はどれくらいいるだろう?
IBM-PC 互換機を日本ではこう呼んだのだけど、それは DOS/V と呼ばれる日本語 OS を使っていたからだ。
この DOS/V 、DOS に日本語表示のためのソフトを追加した、ただそれだけのものだ。
そして、当初は IBM が開発し、販売していた日本語表示ソフトは、ユーザーの手で互換品が作られ、配布されるに至った。
これらのフリーソフトを使えば、問題なく日本語が表示できる。
最初に概念を説明しておこう。DOS/V を知っている人なんて、あまり多くないからね。
DOS/V の日本語表示は「フォントドライバ」と「ディスプレイドライバ」に大別される。
フォントドライバは、フォントファイルを読み込んでフォントを提供する。
フォントが無いと何もできない。
ディスプレイドライバは、このフォントを使って画面を表示するのだけど、「英語モード」と「日本語モード」がある。
これを切り替えるための信号を送るためのソフトが無いと、日本語モードに出来ない。
というわけで、フリーのフォントドライバ、ディスプレイドライバ、フォント、モード切替ソフトが必要となる。
ここで一つ注意が必要だ。
dosbox には、デバイスドライバを組み込む方法が用意されていない。
デバイスドライバは基本的に「外部デバイス」を動作させるためのものであって、ソフト的なエミュレータでは必要ないでしょ、ということらしい。
幸い、日本語表示のための「デバイスドライバ」は、デバイスドライバと呼んでいるのが言葉の綾で、OS を拡張するアプリケーションに過ぎない。
昔の DOS を知らないとわかりにくい話なのだけど、デバイスドライバとアプリケーションは、ほぼ同じ構造なのだけど、ほんの少しだけ作り方が違った。
これを、巧妙な方法で「デバイスドライバとしても、アプリケーションとしても動作できる」ソフトとして作っている人もいる。
そこで、フォントドライバとディスプレイドライバは、デバイスドライバ専用として書かれたものではなく、アプリケーションとして動作できるものを使う必要がある。
このページ、非常に古くて、なぜか文字が読めなくなっている。
CTRL+A とかして選択反転すると読めるのだけど、「ダウンロード」リンクだけは読めるので、とっととダウンロードさせてもらおう。
展開すると、WEB に書かれたのと同じ内容のテキストファイルが入っている。
これらの中身を、先に書いた c:\DOSBOX\ の下にディレクトリを作って置こう。
c:\DOSBOX\DISPV に置くことになる。
このディスプレイドライバは、IBM 公式の日本語ドライバの互換品を作る、という試みを始めた人の作ったドライバだ。
敬意を払ってフォントドライバもこの方のプログラムでそろえたかったのだけど、残念ながらデバイスドライバとしてしか、動作しない。
右側のペインから、fontn10.lzh を探してダウンロードしてほしい。
こちらがフォントドライバになる。アプリケーションとして動作できるので DOSBox でも組み込める。
先の DISPV と同じように、展開しておいておこう。
c:\DOSBOX\FONTN になる。
X68k 用に作られたフリーフォントを、DOS/V 用にコンバートして配布している。
小伝馬町16が使いやすいと思うけど、16dot フォントであればある程度お好みで。
中身を、c:\DOSBOX\FONT に置こう。
#上記ページ、現在リンク切れ (2016.12.28)
もっとも、waybackmachine には残っています。
FONTX2 形式の 16dot フォントであれば、ネット上で配布されている他のものでも構いません。
・CHEJ
日本語と英語を切り替えるのに使うソフト。
最初は英語環境で始まるので、このソフトが無いと日本語を表示できない。
中身を、c:\DOSBOX\CHEJ に置こう。
さて、ファイルが揃ったところで、設定ファイルを書く。
フォントドライバに読み込ませるフォントを設定しないといけないのだけど、設定サンプルも何もない。
何も考えず、c:\DOSBOX\FONT\ の下(小伝馬町を置いたところ)に、FONTN.INI を作ってほしい。内容は以下の通り。
[CODE] ; Define code area.
F040 F0FC ; user font area
[FONT] ; Install font file.
GONHN16X.TLF
GONHN19X.TLF
GONZN16X.TLF
[CODE] 以下は、外字領域を指定している。
[FONT] 以下の内容は、先ほど展開した小伝馬16 のファイル名3つを書く。
HN16 は、縦16ドットの半角アスキーフォント。
HN19 は、縦19ドットの半角アスキーフォント。
ZN16 は、縦16ドットの全角日本語フォント。
半角フォントに 16dot と 19dot があるのが謎に見えるだろうけど、19dot は基本的に、下に3ドットの空白を入れただけ。
DOS/V では 25行モードと 30行モードがあるのだけど、縦方向が 480dot なので、1行の大きさは 19dot と 16dot になる。
英語のフォントで「罫線」があるため、縦方向に繋げるためには「25行モードでは3ドットの余白を入れる」というわけにいかず、19dot のフォントが必要となる。
これで、日本語を表示する準備が整った。
さて、いま入れたソフト群を使えるように、dosbox.conf の autoexec を追記する。
(さっき書いた、mount して c: する下に続ける)
\fontn\fontnx /P=c:\font\
\dispv\dispvb
\chej\chej jp
\dispv\vmx 70
フォントを組み込んで、ディスプレイドライバを組み込んで、日本語モードにし、縦 30行モードにしている。
ちなみに、\chej\chej us とすれば英語に戻る。
\dispv\vmx 3 とすると、縦 25行モードになる。
これで DOSbox を起動すると、自動的に日本語モードに切り替わるはずだ。
やっと下地ならしが終わった。
これで UBASIC を導入できる。
ありゃ? しばらく前にダウンロードして自分のマシンに入れたはずなのだけど、今見たら繋がらない。
一時的な障害だと良いのだけど、Internet Archive に保存されたページをリンクしておこう。
配布ファイルも保存されていて、ちゃんとダウンロードできる。DOS/V 32bit 版だ。
ついでと言っては何だけど、その下にある「ヘルプファイル」もダウンロードすると良い。
これらを C:\DOSBOX\UBASIC\ の下に展開する。
DOSBox から、C:\UBASIC\UBV32.EXE を起動すれば、UBASIC が使える。
8640bit (540word) という驚異的な演算精度を持つ BASIC 。
その精度を活かし、複素数演算もできる。
当時は非常に標準的だった、Microsoft Basic に近い文法を持つ。知っている人ならなんとなくで使える。
詳細なリファレンスは、ヘルプファイルの中の UBHELP.XXX がテキストファイルなので読んでみよう。
実は、UBHELPV.COM を実行してから UBV32.EXE を実行すると「HELP」コマンドで UBHELP.XXX を項目別に分けたオンラインマニュアルを読める。
CTRL + \ で、カーソルが載っている命令の詳細がわかる。
…はずなのだけど、DOSBox 上ではなぜか不安定で、CTRL + \ は効かないし、ハングアップすることもあった。
DOS 環境上では同時に2つの作業は出来なかったので、このオンラインマニュアルは重宝したのだけど、Windows なのだから UBHELP.XXX をテキストエディタで開いて読むのでも良いと思う。
chej 、vmx 、ubv32 など、よく使うコマンドはパスを通しておくと使いやすい。
c:\chej\chej と入れる代わりに、chej だけで実行できるようになる。
dosbox.conf の autoexec に以下の行を追記する。
set path=c:\chej;c:\dispv\;c:\ubasic;
Windows でもコマンドラインを使う人は path 環境変数を知っているかもしれない。
セミコロン区切りで上の書式のようにディレクトリを列記すると、入力されたコマンドをそれらのディレクトリから探し出してくれる。
最終的に、ディレクトリ構成などはこうなる。
C:\DOSBOX\CHEJ\(CHEJを展開したもの)
\DISPV\(DISPVを展開したもの)
\FONT\(小伝馬16を展開したもの)
\FONTN.INI
\FONTN\(FONTNを展開したもの)
\UBASIC\(UBASIC、およびヘルプファイルを展開したもの)
上記の C:\DOSBOX\FONT\FONTN.INI は自分で作る必要がある。内容は以下の通り。
[CODE] ; Define code area.
F040 F0FC ; user font area
[FONT] ; Install font file.
GONHN16X.TLF
GONHN19X.TLF
GONZN16X.TLF
適当なところに展開された、DOSBox に入っている dosbox.conf の最後の部分に以下を追記
mount c c:\dosbox\
c:
\fontn\fontnx /P=c:\font\
set path=c:\chej;\dispv;c:\ubasic;
dispvb
chej jp
vmx 70
cd \ubasic
ubv32
もし余裕があれば、dosbox.conf の中から「cycles=auto」と書かれている部分を探し出し「cycles=max」に書き換えよう。
昔のパソコンの CPU 速度のエミュレートをなくし、最高速で動作するようになる。
よくわからない人は書き換えないほうが無難。
遊ぶ分には、遅くてもそれほど問題ないから。
これで、DOSBox 上で問題なく UBASIC が使えるようになったと思う。
DOSBox を起動して、UBV32 コマンドを入力すれば BASIC 画面になる。
先に書いたプログラムを実行してみよう。
c:\DOSBOX\SAMPLE.UB の拡張子で上記プログラムをテキストファイルとして保存すれば、load "SAMPLE.UB" で読み込むことができる。(コマンドの最後はEnterを押すこと)
その後、RUN (これもEnterを押す)すると、実行される。
1~100の全ての自然数の最小公倍数が算出できる。
数が大きすぎて、UBASIC 以外の言語で処理しようとすると、いろいろと面倒なプログラムを作らないといけないのだけど、UBASIC なら問題なく扱える。
ちなみに、冒頭の Max を 100 ではなく、1000 にすると「1~1000の最小公倍数」になる。
EDIT コマンドを使うと、プログラムが表示できる。
PAGE UP / DOWN で画面を送り、カーソルを書き変えたいところに移動して、書き変えた後は Enter 。
#複数行を書き変えるときは、1行ごとに Enter する。
BASIC では、カーソルは自由に動かせるが、基本的にコマンドを「1行単位」で受け付ける。
冒頭が数字で始まる場合はプログラムの格納を指示した命令と認識されるため、各行で Enter が必要になる。
さて、UBASIC ではいくつまで計算できるだろう?
5000 は大丈夫だけど、10000 は桁あふれでエラーとなった。
どこまで可能かは確かめたのだけど、あえて書かない。
興味がある人は自分でプログラムを改造して確かめてみてほしい。
え? 日本語入力したい?
…残念ながら、ここに書いたのは「表示する」ための方法。
とりあえずは、UBASIC で数値計算したい、日本語で表示されるエラーメッセージも読みたい、という目的だったので、「入力する」必要が感じられなかった。
asave コマンドを使うと、BASIC のプログラムをテキストとして保存できる。
テキストファイルで日本語を書き入れ(シフトJISでセーブすること)、load で読み込みなおせばプログラム中で日本語を使うことも一応できる。
DOS 用のフリーの FEP が存在しないわけではないので、入れてみれば動くとは思う。
ただ、フリーで作られた FEP って、大抵実験的で癖が強いんだよね…
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