今朝、任天堂の岩田さんの訃報を知りました。11日に亡くなったそうです。
HAL研究所でHALNOTEの開発を率いました。
僕は HALNOTE …当時はあまり売れなかった、MSX 用の「統合環境ソフト」に心酔し、高校生の時にお小遣いをはたいて購入しましたし、関連書籍なんかも買いあさりました。
別売りだった表計算や、「直子の代筆」は購入しませんでしたけど、ワープロとドローが同じ感覚でつかえる、というだけでも大満足でした。
世の中には、まだ MS-Office とか存在しない頃の話ね。
その頃に、同じようなことを、8bit 機でやっていた。
岩田さんの名前は当時知らず、任天堂の社長になった時にやっと知った程度。
それ以前に HALNOTE の記事を書いていたのだけど、社長になった時にやはり岩田という名前は無名で、2ch で「HALNOTE を作った人」という説明で僕のページがリンクされていた。
これで初めて、HALNOTE を作った人なんだ、という認識ができた。
でも、2ch の話だから裏付けがないと自分のページには書けない。
情報として追記しつつ、「裏が取れません」と長い間書いたままでした。
今年になってから、やっと当時の雑誌の写真をツイートしている人を見つけ、裏が取れました。
任天堂とHAL研は仲が良くて、ファミコン初期の作品もずいぶんと作っています。
僕が持っていたもので…あとで岩田さんの作品だったと知ったのは、ゴルフとピンボールくらい。
ピンボールは、非常に動きが良かった。
ずいぶんと遊びましたし、あのゲームで「本物のピンボール」を好きになった。
#岩田さんと関係ないけど、BANZAI RUN が大好きでした。
ゴルフは僕の兄が遊びたがって買ってきたものだったのだけど、こちらも非常に細かな計算をしていました。
ゴルフって、ボールの飛び方が非常に大切だから、そこにこだわらないと面白くならない。
あと、友達から借りてずいぶんと遊んだゲームでは、バルーンファイト。
あれも動きの良いゲームでした。
「社長が訊く」で明かしていましたがバルーンファイトは小数点以下を計算して滑らかな動きを出しているのだそうです。
恐らくは、ピンボールも、ゴルフもそう。
ファミコンの画面サイズは 256x224 で、横座標も1バイトに収まります。
これをあえて、2バイト使って計算して、上位の1バイトだけを表示に使っている。
「小数点」というとややこしそうだけど、種明かしすれば「なーんだ」という程度のテクニック。
でも、こういう細かなテクニックを知っているかどうかというのが、ゲームを作るうえでは非常に大切でした。
天才プログラマだった、という評価が多いですが、一流ではあるが決して天才ではないとは思います。
新しいアルゴリズムを編み出したり、人の思いもよらないものを作りだしたりするタイプではない。
でも、上に書いたように、必要な方法をちゃんと知っていて、キッチリ作ることができる。
凡百のプログラマではなかった、というのは事実でしょう。
僕もプログラマ経験長いですが、凡百ではない、というだけでプログラムの業界ではどんなに貴重な事か。
そのうえ、やらざるを得なくなってHAL研の社長をやったことで、経営センスも身に付いた。
プログラマーで高い経営センスの持ち主って、非常に珍しいと思います。
#ビル・ゲイツもそうでしたね。
HALNOTE の頃から一貫して、スペック競争を嫌っていたように思います。
HALNOTE は、8bit 機の小さなメモリとフロッピーディスクだけで今の Windows みたいなことをやっていた。
当然非常に遅くて、世間的な評価は「使い物にならない」だったようです。僕は好きだったけど。
これに対する反論が「ただ遅いだけ」でした。
遅いことが最大の問題だけど、そんなことよりも出来ることの可能性に目を向けてほしい、というメッセージでした。
実際、HALNOTE は MSX-VIEW と名前を変え、16bit 化して高速になった MSX-TurboR の OS (オプション)となります。
速度の問題は時間が解消するのです。
任天堂社長になってからも、NintendoDS 、Wii で一貫してスペックの公表を拒みました。
前社長である山内氏の時に、ゲームキューブでスペックを公表したところ、「ゲームの面白さ」よりも「スペックの数字」で比較されてしまった事への反省でした。
実際 Wii はスペックが低く、同時期の他のゲーム機と「同時移植」をしようとすると問題になったようです。
そのため、大作タイトルが Wii だけでない、という状況もしばしば起こり、徐々に失速しました。
でも、Wii のゲームがつまらなかったかというと、それは別問題。
当初は Wii にしかなかった「モーションコントロール」という概念をすぐに他社が真似したのも、そこにゲームを面白くする可能性があったためです。
ただ、Wii も元気があったのは初期だけで、だんだん他のゲーム機で人気のあるタイプのゲームを作るうちに、独自性が薄れていったのは事実。
スペック競争にしないのであれば、別のところで競争しなくてはなりません。
でも、結局スペック競争の土俵に引きずり込まれていって、苦戦する形になった。
独自路線を歩もうと思ったら、鉄の意思と、根回しの力が必要です。
岩田氏の場合、プログラマーとしての経験と社長業としての経験、両方が一級だったからいろいろな要求を突っぱねることも出来たし、社内の技術者を説き伏せることも出来た。
任天堂は決して大メーカーではないので、他社との正面からの競争はできないでしょう。
しかし、正面衝突を避ける経営は、他の人ではなかなか難しそう。
任天堂だけの問題ではありません。
「遊び」っていうのは多様性が重要なので、「正面衝突を避ける」、つまりは多様な市場展開をするのは、業界全体を支えるために必要なことです。
でも、正面衝突を避けようとすると、新たな商品を開発する必要があって時間も資金も必要になります。
これは、会社経営としては悪い判断。
あえて衝突しに行けば、安易な物まねで済みます。時間も資金も節約できて、市場も大きいためリターンの可能性も高いのです。こちらの方が経営判断として良いのです。
それでも、岩田氏は常に「正面衝突を避ける」方向で物事を考えていたように思います。
実際、それが経営判断として適切だったかどうかはわかりませんが、業界全体のためにはそういう心掛けは重要だと思います。
まだ若い(享年55歳)のに、業界を担う重要な人を亡くしました。
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