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07-13 【追悼】岩田聡さん(任天堂社長)
07-13 収益を考える
今朝、任天堂の岩田さんの訃報を知りました。11日に亡くなったそうです。
HAL研究所でHALNOTEの開発を率いました。
僕は HALNOTE …当時はあまり売れなかった、MSX 用の「統合環境ソフト」に心酔し、高校生の時にお小遣いをはたいて購入しましたし、関連書籍なんかも買いあさりました。
別売りだった表計算や、「直子の代筆」は購入しませんでしたけど、ワープロとドローが同じ感覚でつかえる、というだけでも大満足でした。
世の中には、まだ MS-Office とか存在しない頃の話ね。
その頃に、同じようなことを、8bit 機でやっていた。
岩田さんの名前は当時知らず、任天堂の社長になった時にやっと知った程度。
それ以前に HALNOTE の記事を書いていたのだけど、社長になった時にやはり岩田という名前は無名で、2ch で「HALNOTE を作った人」という説明で僕のページがリンクされていた。
これで初めて、HALNOTE を作った人なんだ、という認識ができた。
でも、2ch の話だから裏付けがないと自分のページには書けない。
情報として追記しつつ、「裏が取れません」と長い間書いたままでした。
今年になってから、やっと当時の雑誌の写真をツイートしている人を見つけ、裏が取れました。
任天堂とHAL研は仲が良くて、ファミコン初期の作品もずいぶんと作っています。
僕が持っていたもので…あとで岩田さんの作品だったと知ったのは、ゴルフとピンボールくらい。
ピンボールは、非常に動きが良かった。
ずいぶんと遊びましたし、あのゲームで「本物のピンボール」を好きになった。
#岩田さんと関係ないけど、BANZAI RUN が大好きでした。
ゴルフは僕の兄が遊びたがって買ってきたものだったのだけど、こちらも非常に細かな計算をしていました。
ゴルフって、ボールの飛び方が非常に大切だから、そこにこだわらないと面白くならない。
あと、友達から借りてずいぶんと遊んだゲームでは、バルーンファイト。
あれも動きの良いゲームでした。
「社長が訊く」で明かしていましたがバルーンファイトは小数点以下を計算して滑らかな動きを出しているのだそうです。
恐らくは、ピンボールも、ゴルフもそう。
ファミコンの画面サイズは 256x224 で、横座標も1バイトに収まります。
これをあえて、2バイト使って計算して、上位の1バイトだけを表示に使っている。
「小数点」というとややこしそうだけど、種明かしすれば「なーんだ」という程度のテクニック。
でも、こういう細かなテクニックを知っているかどうかというのが、ゲームを作るうえでは非常に大切でした。
天才プログラマだった、という評価が多いですが、一流ではあるが決して天才ではないとは思います。
新しいアルゴリズムを編み出したり、人の思いもよらないものを作りだしたりするタイプではない。
でも、上に書いたように、必要な方法をちゃんと知っていて、キッチリ作ることができる。
凡百のプログラマではなかった、というのは事実でしょう。
僕もプログラマ経験長いですが、凡百ではない、というだけでプログラムの業界ではどんなに貴重な事か。
そのうえ、やらざるを得なくなってHAL研の社長をやったことで、経営センスも身に付いた。
プログラマーで高い経営センスの持ち主って、非常に珍しいと思います。
#ビル・ゲイツもそうでしたね。
HALNOTE の頃から一貫して、スペック競争を嫌っていたように思います。
HALNOTE は、8bit 機の小さなメモリとフロッピーディスクだけで今の Windows みたいなことをやっていた。
当然非常に遅くて、世間的な評価は「使い物にならない」だったようです。僕は好きだったけど。
これに対する反論が「ただ遅いだけ」でした。
遅いことが最大の問題だけど、そんなことよりも出来ることの可能性に目を向けてほしい、というメッセージでした。
実際、HALNOTE は MSX-VIEW と名前を変え、16bit 化して高速になった MSX-TurboR の OS (オプション)となります。
速度の問題は時間が解消するのです。
任天堂社長になってからも、NintendoDS 、Wii で一貫してスペックの公表を拒みました。
前社長である山内氏の時に、ゲームキューブでスペックを公表したところ、「ゲームの面白さ」よりも「スペックの数字」で比較されてしまった事への反省でした。
実際 Wii はスペックが低く、同時期の他のゲーム機と「同時移植」をしようとすると問題になったようです。
そのため、大作タイトルが Wii だけでない、という状況もしばしば起こり、徐々に失速しました。
でも、Wii のゲームがつまらなかったかというと、それは別問題。
当初は Wii にしかなかった「モーションコントロール」という概念をすぐに他社が真似したのも、そこにゲームを面白くする可能性があったためです。
ただ、Wii も元気があったのは初期だけで、だんだん他のゲーム機で人気のあるタイプのゲームを作るうちに、独自性が薄れていったのは事実。
スペック競争にしないのであれば、別のところで競争しなくてはなりません。
でも、結局スペック競争の土俵に引きずり込まれていって、苦戦する形になった。
独自路線を歩もうと思ったら、鉄の意思と、根回しの力が必要です。
岩田氏の場合、プログラマーとしての経験と社長業としての経験、両方が一級だったからいろいろな要求を突っぱねることも出来たし、社内の技術者を説き伏せることも出来た。
任天堂は決して大メーカーではないので、他社との正面からの競争はできないでしょう。
しかし、正面衝突を避ける経営は、他の人ではなかなか難しそう。
任天堂だけの問題ではありません。
「遊び」っていうのは多様性が重要なので、「正面衝突を避ける」、つまりは多様な市場展開をするのは、業界全体を支えるために必要なことです。
でも、正面衝突を避けようとすると、新たな商品を開発する必要があって時間も資金も必要になります。
これは、会社経営としては悪い判断。
あえて衝突しに行けば、安易な物まねで済みます。時間も資金も節約できて、市場も大きいためリターンの可能性も高いのです。こちらの方が経営判断として良いのです。
それでも、岩田氏は常に「正面衝突を避ける」方向で物事を考えていたように思います。
実際、それが経営判断として適切だったかどうかはわかりませんが、業界全体のためにはそういう心掛けは重要だと思います。
まだ若い(享年55歳)のに、業界を担う重要な人を亡くしました。
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ファイナルアーチの話の続きです。
野球って、9回表裏、18ターンの攻防で終わる、長丁場です。
これを業務用のゲームにする場合、100円でどこまで遊ばせるか、という問題が付いて回ります。
ファイナルアーチ以前のゲームでは、「1回が終わった時に、コンピューターより点数を取っていれば続行できる」というルールが標準でした。
しかし、時代的に「対人対戦」が求められていました。
対人の場合、「コンピューターより」というルールは成立しません。
長い議論の末、ファイナルアーチでは「100円で2回の攻防。4連続でプレイしてくれたお客さんには、サービスでもう1回つける」となっています。
つまり、100円1プレイですが、決着をつけたいと思えば400円が必要です。
どんなに腕を磨いても、中途半端なところで強制コンティニュー。
これにはチーム内の反発もありましたが、商売を考えると妥当な落としどころかもしれません。
ところで、「対人対戦」には、もう一つ注文がついていました。乱入可能とすること。
乱入された場合どうなるのでしょう?
終了後、点数を入れたほうが続けられるとして…それまでやっていたプレイ内容は引き継ぐの?
遊んでいた人が勝てば引き継いでもいいのですが、負けた場合は?
知らない人のプレイを引き継いでも面白くないので、「なし」と決まります。
となると、遊んでいた人は「再乱入で取り返す」こともできない。
苦労は水の泡です。
今度は、これをどうするか激論になります。
チーム内で出た意見は、2回100円は良いとして、乱入対戦は無しにしたい、というもの。
しかし、会社の偉い人との交渉の結果、この意見は受け入れられません。
ゲームセンターにとっては「乱入対戦」はゲーム機の稼働効率を上げる優れた方法であり、絶対入れなくてはならなかったのです。
社内の偉い人と、チーム代表者で激論が交わされました。
お金も時間もかけて乱入にされたら、暴力沙汰に発展しますよ、というチーム代表の脅し(?)に対し、偉い人はこう言い捨てます。
「それは作成者が考えることではない。店舗が対策する問題だ」
サラリーマンが時間つぶしに遊べるような野球ゲームを、というのは、店舗営業から上がってきた意見でした。
そしてまた、乱入対戦が欲しいというのも店舗からの意見です。
ならば、両者を盛り込むことで起こる問題は、店舗の方で解決してもらおう、ということでした。
交渉に臨んだチーム代表者は、この言葉に「お客さんのことを考えてない!」とブチ切れてましたが、仕方なく製作を進めるうちに冷静になったようです。
「店舗の問題」というのは、つまり「乱入禁止」などのポップを用意してもらうしかない、ということでもあります。
これ、当時の対戦格闘ゲームではごく普通に行われていたことでした。
#もう少し時代が後になると、乱入禁止スイッチなどが付きます。
この頃のセガは…というか、ゲーム業界全体で、ゲームの中に広告を入れようという試みがありました。
ゲームが3Dになり、表現力を上げるためにハードウェアが複雑化し、それを扱うためにソフトウェアも複雑化し、データも膨大になり…
とにかく、製作費用が膨れ上がっていく時期。
そのままでは販売価格が跳ね上がってしまうので、広告を入れることで少しでも収入を増やし、安くするのが目的でした。
セガでも、広告を入れられないか、すべてのゲームで積極的に考えるように、という通達がありました。
野球ゲームなんて、元々野球場は広告だらけですからうってつけ。
…ところが、急に広告を入れようとしても、未知のメディアに対して「広告主」が見つからないのですね。
営業が広告を取ってこようと努力はしたようなのですが、結局1本も広告は入っていません。
ところで、当時「進め!電波少年」という人気深夜番組がありました。
この番組の中でも、ゲームに広告が入っていることを捉え、「番組の宣伝をゲームに入れたい」という企画が出ます。
この番組、とにかくプロデューサーが無茶振りして、タレントが体当たりでこなす、というスタイルを広めた番組。
(今でもそういう番組はそこそこありますね)
セガにも急にタレントの松村邦弘がやってきて、広告を入れたいとお願いされたようです。
その時、丁度「ファイナルアーチ」が完成間近で、営業が広告を獲得しに回って…いるけど、全然取れない状況でした。
で、ファイナルアーチに電波少年の広告を入れることになります。
他に広告無いから、一番いい場所に入ることになりました。
いくつか球場があるのですが、ドーム球場のスコアボード左横に入っています。
先日も紹介したコチラの動画だと、32秒めと42秒目くらいに、一瞬写っている。
ちなみに、それ以外の広告はほとんどがスタッフの名前を入れた適当な広告になっています。
締め切りまでに広告が間に合わなかったから、デザイナーが短時間ででっち上げた。
スタッフロールとか入るゲームではなかったからね。
僕の名前も、先ほどの動画の中で確認できます。
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