目次
04-29 ポール・バラン 誕生日(1926)
04-29 「オセロ」 発売日(1973)
今日はポール・バランの誕生日(1926)。
…この人も知りませんでした。
「今日は何の日」のネタが無いかな、と探していて知る人多数。
偉そうな記事を書いているのに、実際には非常に無知で恐れ入ります。
もっとも、ポール・バランに関しては知らなかったのも道理で、非常に重要な研究をしていたにもかかわらず、その研究は結局日の目を見ていません。
彼は、エッカート・モークリー社(同名の ENIAC 設計者が設立し、後にレミントン・ランド社に合併され、UNIVAC I を設計した)に入社したコンピューター学者です。
後に転職して、ヒューズ・エアクラフト(億万長者のハワード・ヒューズの持つ航空機会社)に入社します。
そしてさらに転職。航空機の知識も持ち、コンピューターの知識を持つ彼は、米空軍のシンクタンクであったランド研究所にスカウトされます。
1961年、彼は空軍からの依頼で「核攻撃に会っても停止しないコンピューターネットワーク」の研究を行います。
空軍は SAGE という「核攻撃に備えた」レーダーネットワークを持っていました。
(1958年から構築開始)
このネットワーク自体を破壊される、ということを恐れたのかもしれません。
この報告書をまとめたのが翌 1962年です。
報告書に書いた内容は、大体次の通り。
・中央コンピューターは設けず、複数のコンピューターが分散・協調動作する。
・通信経路は近くのコンピューター同士を結ぶ形で複数用意し、状況に応じて適宜使用される。
・データは小さな単位に分割して送り、それぞれが独立に複数の通信経路を経由し、受け取った側で再構築する。
何のことを言っているか、今の我々なら容易に想像がつきます。
しかし、当時はこの考え方は新しすぎました。
なにせ、1台のコンピューターが非常に高価で、通信線1本を準備するのにも大変な費用が掛かったのです。
1964年には一般の雑誌にも要約が発表されます。
しかし、そのまま忘れ去られることになりました。
同じような問題は、アメリカとは独立してイギリスでも研究されていました。
ただし、こちらでは「多数のコンピューターを結ぶ際に、最も安く回線を引くにはどうすればよいか」という問題として。
当時のコンピューターを通信させるには、「中央コンピューター」を用意するのが普通です。
このコンピューターと、各端末を回線で結びます。端末が 100台あれば、回線は 100本必要です。
その上で、端末 A と端末 B でデータを送受信したければ、A から中央コンピューターを経由して、 B と接続を行います。
中央コンピューターに関係のないデータの送受信でも、中央コンピューターが監視するため、速度低下にもつながります。
これは大変な事でした。
もっと安く回線を用意できないものでしょうか?
無駄に中央コンピューターの速度を低下させない方法は無いのでしょうか?
イギリスのドナルド・デービスは、この問題に答えを出しました。
・中央コンピューターは設けず、複数のコンピューターが分散・協調動作する。
・通信経路は近くのコンピューター同士を結ぶ形で複数用意し、状況に応じて適宜使用される。
・データは小さな単位に分割して送り、それぞれが独立に複数の通信経路を経由し、受け取った側で再構築する。
全く異なる問題を考えていたのですが、ポール・バランと結論は同じでした。
デービスは、最後の「小さな単位」をパケットと呼びました。現在のパケット通信の語源。
この論文の発表は、1968年でした。
ポールバランの報告書からわずか6年後。
でも、この6年でコンピューター技術は大きく進んでおり、依然として先進的ではあるものの、「実現可能な技術」になりつつありました。
アメリカでの、ARPANET …現在のインターネットの前身が計画されたのは 1966年でした。
ただし、この時点では、どうすれば大規模ネットワークが作れるのかわからず、問題が山積みでした。
1968年、デービスの論文に解決方法を見出し、ARPANET の計画が急に進み始めます。
最初のシステムが稼働し始めたのは 1969年12月でした。
ただ、ARPANET に触れた人の中で、いくらかの人は、ポールバランが 1964年に雑誌発表した論文も見ていたらしいのね。
ここから、「ARPANET は核攻撃に耐えられるネットワークとして実験が始まった」という都市伝説が興ります。
今でも、この話を信じている人は結構多いのではないかな。
たしかに、システムのアイデアはほぼ同じものでした。
でも、別々の問題への対処を考えた結果、同じような結論に達しただけです。
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今日は、ボードゲーム「オセロ」の発売日(1973)。
オセロの起源については、諸説あってどれが本当だか(僕には)よくわかりません。
大きく分ければ、リバーシの影響を受けたか否か、なんですけどね。
オセロ以前からリバーシというゲームがあったことはわかっていて、日本でも紹介されていたことがわかっている。
でも、それほど有名だったわけではない。
オセロの考案者の証言では、白黒の碁石を使った単純な遊びとして「挟み碁」を考えた、となっています。
最初は、挟まれると碁石を取り換える、という遊び方だった。
でも、これが面倒くさいから牛乳瓶のふたで「両面が白と黒」のコマを作って、挟まれるとひっくり返されるゲームになる。
…この話だと、リバーシの影響は受けていないように思います。
その一方で、オセロはリバーシで決まっていなかった詳細を決定してルールを厳密化したゲームで、リバーシが元になっている、という説明もよく見る。
オセロ以前から日本に紹介はされているのだから、考案者は知っていたはずだ、という見解ですね。
いま Wikipedia を調べたところでは、オセロのページでは後者の説を、考案者長谷川五郎のページでは前者の説を紹介していました。
いずれにせよ、世界的にそれほど有名ではなかった「リバーシ」を、「オセロ」の名前で有名にした功績はあります。
現在ではオセロは非常に有名なゲームです。
1977年からは、毎年世界大会も開かれている。
一方で、有名すぎて「真似をした」ゲームも多数発売されている。
ゲームって、ルールには権利主張できないのね。
オセロの場合、名前の商標だけが取られている。
だから、真似をする場合には「リバーシ」を名乗って、ルールをオセロのままにすると、法的な問題なしに真似できます。
ただ、一つ書いておきましょう。
本来のリバーシでは、最初のコマの打ち方のルールが少し違います。
オセロでは白黒2枚づつを中央4マスに、市松に置いた状態から始まります。
リバーシでは、中央4マスが埋まるまでは両者そこに置かなくてはならない、というルールがあるだけで、何もない盤面から始まります。
あと、コマや盤の色もリバーシでは定められていない。
リバーシはチェス盤を使って遊ばれることが多かったそうで、とすれば盤面は緑ではなく、市松模様です。
コマはチェスと同様に白黒が多かった、とのことですが、特に日本国内では紅白が多かったとのこと。
(紅白合戦、というのは日本人的にイメージしやすいのでしょうね)
一方、オセロは、白黒のコマと緑の盤面です。
ルールと、盤面の色。
「リバーシ」を名乗りながら実はオセロの知名度にタダ乗りしようとしているゲームを見極める際に役立ちます。
オセロって、思考プログラムを作る際の題材にもよく使われたと思います。
ベーマガにも、よくオセロのプログラム載ってました。
僕もその思考ルーチンを参考に、ファミベでオセロを作ったことあります。
#コマの色は白・水色でした。ファミベのテキストキャラに、白と水色の塗りつぶし四角があるから。
ベーマガによくあったプログラムは、コマを打つ位置が、優先順位順にデータ化されているだけ。
順次調べて行って、打てる条件に適合すれば、そこに打ちます。
オセロ知っている人には自明だけど、オセロでは角のマスを取るのは非常に重要なのね。
角だと、どこからも挟まれないから、絶対ひっくり返されなくなる。
逆に考えると、「角の隣」を打つのは非常に危険です。
だから、角を囲むマス…全部で12マスは、優先順位を最低にする。
この考え方で、マスごとに優先順位を付けてあるのです。ただそれだけ。
これは流石にあんまりだ、と思ったので、僕はデータの並びを優先順位とするのではなく、「同じ優先順位」を意味するフラグを設けました。
同じ優先順位の中で、一番多く取れる場所に手を打つ。
…先読みは無いから、これでもまだ非常に弱いんですけどね。
でも、友達に遊ばせたら、これでも「強い」と言われた。
ということは、この方式でもオセロ苦手な人には十分な強さだということだ。
コンピューターで「思考ルーチン」作ってみたいと思っている人は、このレベルからお試しあれ。
多分、ツクダオリジナルから発売になっていた「オセロマルチビジョン」だと思うのだけど、おもちゃ屋さんでオセロが遊べるテレビゲームが試遊展示されていました。
コンピューター相手にオセロを遊べるのね。
なんかね、それを一定の手順で打つと、比較的最初の方で全部のコマを裏返せた。
全反転したら、その時点で終了ね。
初めて遊んだ時は、たまたまそうなったの。
「えっ!」って驚いて、思い出しながら同じ手順を再現すると、必ず全反転で勝てる。
人間相手なら、そんな馬鹿な状態にはなかなかならないのだけど、これが楽しくて同じ手を延々繰り返して遊んだような記憶があります。
市販オセロですら、非常に弱かった時代の思い出です。
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