さて、ぎーちさんとの対談の内容はほぼ全部書いた…と思う。
最後に「世の中はゲームか」を書きたいと思います。
対談でそんな話は出なかったのだけど、ぎーちさんのWEBページには「人生はテレビゲーム」って書いてあるんだよね。
多少言葉は違うけど僕も同感なの。世の中ゲームだ、と思ってる。
僕は「テレビゲーム」ではなくて「ゲーム」なのだけど、大体おんなじ意味じゃないかな。
最初に書いておけば、「世の中は○○」って、ちゃんと自分の考え方のベースを持っている人なら、誰でも一家言持っているのではないかな。
映画好きな人なら、世の中は全部映画で学んだ、というかもしれない。
生物好きなら、人の行動を全て利己的な遺伝子のせいにするかもしれない。
自分が深く学んだことは、その人の考え方のベースとなります。
そして、その人が世の中を見るとき、全てそのベースを通してみることになる。
だから、世の中は○○、ということになる。
…と、断ったうえでもう一度。僕は世の中は全部ゲームだと思っています。
数学の一分野に、ゲーム理論があります。
元々は、チェスなどのゲームで勝つための方法を考察する学問でした。
でも、チェスっていうのは例えに過ぎないのね。
ゲーム理論では、勝ち負けがあれば、全部ゲームと見做します。
そして、勝ち負けを決めるのは、プレイヤー自身。
つまり、あなたが「ゲームだ」と感じるものは、すべてゲーム理論で扱えます。
恐らく一般的にゲームではなく、僕がゲームだと感じるものの例を挙げましょう。
スーパーのレジに並ぶ時。
混んでいて、どのレジにも列ができている。少しでも早く進みそうな列を見極めて並ぶ。
本当に速く順番が来れば勝ち。
洗濯ものを干すとき。
洗濯ハンガーの限られた容量の中で、洗濯物を全て干したい。
でも、密集させると風通しが悪くて乾かない。傾かないようにバランスもとりたいし、パンツは外から見えないようにしたい。
うまく干せて、夕方までに乾けば勝ち。
料理を作るとき。
最短時間で、数品の料理を作りたい。できればほぼ同時に完成し、暖かい状態で食卓に出せるように。
調理手順を考えて、2口のコンロと電子レンジを使い、いろいろと同時進行。
30分ですべてを作り終え、暖かい状態でご飯に出来れば勝ち。
なんでもいいんですよ。
こんなものでも、数学的に戦略を考察することができる。ゲーム理論というのはそうした学問です。
実際、経済学なんかではゲーム理論は活用されています。
みんなが「自分の利益を最大にしたい」と考えていると仮定して、企業活動などを行っていると考える。
その際、ゲーム理論に従って行動の説明がつくし、今後の他社の動きの予測も立てられる。
もう、ありとあらゆるものがゲーム理論で扱えます。
工学の一分野に、シミュレーションがあります。
大規模すぎて実験ができないものなどを対象に、規模を小さくして実験をする手法です。
規模を小さくしたものを「シミュレーションモデル」と呼びます。
単に実物を小さくした模型のこともありますし、コンピューターでシミュレーションするためのルールの場合もあります。
このモデルのつくり方次第で、シミュレーションの価値は大きく変わります。
適切に作られたモデルは、実験が容易で、結果も現実に近いです。
実験が容易なので、条件を変えながらくりかえし実験ができます。
それを元に、現実を予測できます。
単純すぎるモデルは、結果が現実と乖離することがあります。
現実に即したモデルを作ると、複雑すぎて実験が難しくなり、十分な回数の繰り返しができなくなります。
シミュレーションモデルを作るのは、非常に難しいのです。
適切なモデルを作り出すのは、勘と経験がものを言う、職人芸の世界です。
先に、ゲーム理論でなんでも扱える、と書きました。
ただし、条件が一つあり、ゲームを数学的にとらえ、数値で表現できるようにしなくてはなりません。
つまり、現実を単純化し、扱いやすい規模に小さくするのです。
これは、シミュレーションに他なりません。ゲーム理論とは、シミュレーションの上に成り立つ理論なのです。
ゲーム…ゲーム理論でいうところの勝敗のあるもの、ではなく、テレビゲームやボードゲーム、カードゲームなど、遊戯としてとらえられているゲームは、このように「現実世界をシミュレートしたもの」と考えることができます。
将棋は、局地における戦闘をシミュレーションしたものでした。
囲碁は、陣地を包囲し、補給路を断つことで相手の投降を促す、大域での戦略をシミュレーションしたものです。
ゲームとしてのルールを面白くするうちに、何のシミュレーションだかわからなくなったようなものもあります。
最初からゲームとして考えられ、現実を直接反映していないものもあります。
それでも、勝敗がある以上、競争のある社会を何らかの形でシミュレーションしたものなのです。
このシミュレートがうまくいっていれば…ここが重要なところですが、すべてのゲームが、ではなく、うまくシミュレートしたゲームが、ですが…ゲームは、世の中の縮図となります。
もっとも、一つのゲームで世の中すべての縮図、とはいかないよ。
一つのゲームは、世の中を一つの軸で切り取ってみた時の縮図、に過ぎない。
でも、「あ、これあのゲームと同じだ」と気づくことが世の中でいくつもあれば、それはやっぱりゲームが縮図だったことになるし、あらかじめゲームで体験していたことになる。
これは、映画や小説で他の人の人生を追体験したり、あり得ない遠い宇宙の物語を感じることができるのと同じことです。
その体験で感じたことは、必ずその人の人生の糧となる。
良い映画や小説がもたらしてくれるのと同じ感動が、良いゲームにだってちゃんとある。
…良い、と限定したけど、そうでないゲームだって大切ですよ。
だって、世の中そんなに良い面ばかりではないもの。悪い面も、ダメな面も、くだらない面もある。
ゲームにも、良い面も、悪い面も、ダメな面も、くだらない面もあっていい。
それでこそ、世の中の縮図と言えるのです。
世の中、ゲームだと思います。
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