ぎーちさんからの質問。
これは、ベーマガの話ではないのだけど、僕はセガでゲームを作っていたので「いつゲーム会社に入ろうと思ったのか」。
先ほど、中学の時はゲーム業界に憧れていた、と書きました。
でも、これはある種の中二病。ゲームが面白くて、「ぼくのかんがえたさいきょうのげーむ」を作っていて、将来ゲーム作る仕事するんだ、と思ってただけ。
高校生になったら、ゲーム作っていても食ってけないんじゃないだろうか、ゲーム業界って結構狭くて入れないんじゃないだろうか、と思い始めます。
だからこそ、浮ついてないで、ちゃんと技術を身に付けようと思った。
大学でも情報科学科に行って、学問としてのコンピューターを学びつつ、自分でいろんなプログラムを作って実技を身に付けようとします。
でも、大学1年の学祭で発表したゲームを、みんなが面白いと遊んでくれた。
そのゲームを武尊(ソフトの自動販売機)で売ることになって、200人以上の人が買ってくれた。
これが、すごくうれしかったんです。
あぁ、やっぱゲーム作りたいな、って思った。
#この数か月後に祝一平氏に会って、将来プログラマになるのであればCを覚えるように、と言われました。
その時、「ゲーム作る仕事?」とも聞かれたけど、その時にはまだ迷いがあって即答できなかったと思う。
大学3年の時には、先に書いた「マイクを使ったゲーム」を作ります。
このゲームを遊んだ人が、みんな嬉しそうに笑って帰っていくのです。
ベーマガ投稿の動機の話で書いたけど、僕にとっては、ゲームは「遊んでもらえることがうれしい」ものでした。
遊んでもらえただけでなく、それでみんなが笑顔になる。やっぱりゲームを作る仕事がしたい、と思ったのはこの頃からだと思います。
ところで、僕が大学の頃は、まだ「就職協定」というのがあったのね。
4年生の10月になるまで、企業は就職活動(リクルート活動)を初めてはならない。
ただ、この協定が形骸化していて…。
10月までは「興味を持つ学生に現場を見学させたり、現場の人があってみたり」するだけなのね。
で、10月1日に会社に呼ばれて、いきなり内定する。
会社としては、この内定を出すことが「リクルート活動」であり、それ以前は学生が会社に興味を持っているのを案内しただけ、という形式です。言い訳っぽいけど、協定違反ではない。
ただ、やっぱ会社側にも「協定を半ば破っている」という罪の意識はあるのか、会社が本格的に動き始めるのは4月から、というのが暗黙のルールでした。
学生が資料請求とかするのは、1月ごろからだし、会社も資料を送るのだけど、会社説明会、試験、面接などは4月スタート。
当時の僕は、ナムコのゲームが大好きでした。
80年代ナムコの黄金期って、すごかったのよ。同じアイディアのゲームは出さなかった。
作るゲーム作るゲーム、みんな「見たこともないような」ゲームで、しかも完成度が高い。
だからあえて、ナムコは希望先から外しました。
ゲーム会社でしばらく修行したら、独立したかった。ナムコの遠藤さんがそうしたように。
でも、ナムコ大好きだから、きっとナムコに入ったら独立する気なんておきなくなる。
それで、第1志望をセガとしました。
セガも十分に面白いゲームを作っていたし、何よりも大会社だった。
中小企業だと、独立するときに後ろめたさが残りそうで、大きいほうがよかった。
他に、2社ほど受けました。両方、そこそこ大きい会社。
ちなみに、当時もすでに就職難は始まっていた。
今ほどひどくなかったけど、3社しか受けないと言ったら、周囲から心配されました。
1社は、3月から説明会を始めた。暗黙の了解とはいえ、協定を破るような会社は順法精神が無いのではないか、と考えてキャンセル。
もう1社は、関東の会社だと思っていたら本社が大阪だった。
交通費出すから本社に面接に来て、と言われ、大阪まで行って、せっかくなのでたこ焼きとうどん食べて帰ってきました。
ここは、たしか6月くらいに内々定(10月には内定出すよ、という通知)貰ったのだけど…
肝心のセガがこの時点で全然試験を始めやがらねぇ。迷いながら内々定蹴りました。
#内々定を受諾すると、その後いろんな名目で企業に振り回されます。
これにより、他の企業への就職活動は事実上出来なくなります。
だから、他に希望があるなら蹴るしかないのです。
そして、セガは7月に入ってからやっと試験開始。
就職協定、という意味では、10月近くになってから動き始めているのですから遵守している方です。
でも、他社を蹴った僕としては背水の陣。
7月すぎてから新しい会社探す余裕はないしね。
で、たしか試験を1度、1~2週間後に面接も1度だけやって、翌日「内々定です」と電話が来たと思います。
すごくほっとした。
本当にダメだったら、過去にバイトした中小企業に行けば入れてくれるだろう、とは思っていたのだけどね。
(3社しか受けてないのも、意にそぐわない会社に行くくらいなら、気心の知れた中小企業に入ろうと思ったためです)
この後、大学祭がありました。(大学祭は毎年10月でした)
3年の時に出した「マイクを使ったゲーム」が楽しかったという小学生から、「あのゲーム、今年はできないの?」と聞かれました。
1度見ただけのゲームを、1年間覚えてくれていた。
すごくうれしかった覚えがあります。
…ぎーちさんには、「彼の言葉がゲーム業界に行く最後の決め手だった」と答えたのだけど、時系列を整理し直してみたら違いました。
彼の言葉は、セガの内定貰った後だわ。
でも、その後ずっと励みになりつづけたのは本当。
「心に残るゲーム」を作りたいと思う時、いつも彼の言葉を思い出すのです。
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