目次
01日 ビッグエンディアンとリトルエンディアン(1980)
01日 エド・ロバーツ 命日(2010)
02日 祝一平 命日(1999)
03日 ベーマガの影響
03日 ゲーム業界に進んだ理由
03日 横スクロールゲームに右向きが多い理由
04日 ジョン・ネイピア 命日(1617)
06日 アイザック・アシモフ 命日(1992)
06日 最近の同人
06日 プログラムを始める年齢
07日 プログラムは必要か
07日 女性向けのゲーム
08日 ゲーム開始時の主人公の位置
08日 レディジュエルペット
13日 春は忙しい
13日 LiCa HOUSe
15日 PC-E500 発売日(1988)
16日 ゲームは頭を悪くするか
16日 世の中はゲーム
16日 ぎーちさんとの話、これで終了
18日 エドガー・コッド 命日(2003)
20日 海上安全技術研究所
21日 NCSA Mosaic 発表日(1993)
24日 PRINT 略記
26日 ピューロランドで誕生日
27日 ピューロランド・追記
27日 サミュエル・モールス 誕生日(1791)
29日 ポール・バラン 誕生日(1926)
29日 「オセロ」 発売日(1973)
30日 クロード・シャノン 誕生日(1916)
今日は何の日、なのになんだかよくわからないタイトルになっています。
長いから短くしたのだけど、今日は
「ビッグエンディアンとリトルエンディアン、という言葉が、コンピューターのデータ格納順の意味で初めて使われた日」
です。
毎年、4月1日には「ジョークRFC」と呼ばれるものが発行されています。
RFCっていうのは、インターネット技術の標準を決める文章…ってよく言われるし、実際そうなのだけど、もともとは Request For Comment の意味。
「なんか意見ある?」ってだけで、標準を定めるとか、難しい意味は無い。
ただ、技術提案がだんだん「リファレンス」の意味を持ってきて、今では標準としての権威を持つようになっただけ。
権威を持っているので、文章の発行には(いまでは)ややこしい手順を踏む必要があります。
そして、その手順をちゃんと踏んだうえで、一見技術文章に見えるような手の込んだ「ジョーク」を作り上げるのがジョークRFC。
出来の悪いものも多いのですが、出来が良いものはちゃんと技術文章になっているし、技術者じゃないと意味がわからないし、それでいて笑い出すほどバカバカしい。
まぁ、技術者の遊び心を競うイベント、とでも言いましょうか。
技術者ってまじめすぎる人が多くて、ギャグの解説書いちゃったりして興ざめの物もありますが。
インターネットは「小さなネットワークを結びつける技術」として生まれました。
上にRFCを「インターネット技術の標準」と書きましたが、もともとはRFCは「ARPANETの」標準を定めるものでした。小さなネットワークの中の標準に過ぎなかった。
ネット同士を接続する際の技術文章としては、IEN(internet experiment note)というものが別途発行されていたのですが、現在ではIENに書いていたような内容もRFCで発行するような形に統合されています。
IENで話し合う内容は、ネットワークの基礎が違う場合に何が起こるか、コンピューターの互換性が無いと何が起こるか、それらの問題を解決するにはどうすればよいか…というようなものでした。
さて、話が長くなりましたが、1980年の4月1日、IEN 番号 137 の技術文書が発行されます。
タイトルと書き出しは以下のようなものです。
ON HOLY WARS AND A PLEA FOR PEACE
This is an attempt to stop a war. I hope it is not too late and that somehow, magically perhaps, peace will prevail again.
訳せばこんな感じ
聖戦における、平和の嘆願書
これは、戦争終結への試みです。この試みが手遅れではなく、願わくば平和が戻りますように。
一体何の技術文書なんだ?
と思われるかもしれません。
この嘆願書に書かれている内容は、「ガリバー旅行記」に書かれている、リリパット国(小人国)と、その隣のブレフスキュ国の戦争を止めようというものです。
ガリバー旅行記は有名なお話ですが、確認のためにあらすじを紹介しましょう。
英国の船乗りであったガリバーは、船が難破して不思議な国に漂着します。
その国の住人は全て小人で、ガリバーが気づくと囚われの身でした。
しかし、小人が縄でガリバーを縛ろうとも、ちょっと力を入れれば簡単に縄が切れます。
ガリバーが小人に危害を加えるつもりが無いと伝えると、国王に歓待されます。
小人の国では、隣の国(こちらも小人の国)と戦争をしていました。
ガリバーは、隣の国の船が沖に停泊しているところまで歩いて行って、全部縛って捕虜にし、引っ張ってきました。
これで戦争が終わり平和になるかと思えば、国王は「ガリバーの力」を手に入れたことに気が大きくなり、次々他の国に戦争を仕掛けようとします。
その方法に反論するガリバーは、ついに命を狙われ、小人国を脱出します。
さて、問題は、小人国と隣国が戦争していた原因です。
もともと、小人国では半熟卵を食べるときは、卵の大きなとがった端から殻を剥いて食べる習慣がありました。
しかし、2代前の王様が子供の頃に、卵の殻を剥いていて、指を切ってしまったのです。
その父である3代前の王様が、これは卵の大きい端から剥いたために起きた悲劇であると考え、卵は小さな端から剥かなくてはならない、という命令を出します。
これに、一部市民が反発しました。卵を大きい端から剥くのは、祖先から受け継いだ大事な習慣である。
卵を小さな端から剥くくらいなら、死んだ方がましだと。
彼らは、レジスタンス活動を開始します。
国王軍に何度も戦闘を仕掛け、双方に多くの犠牲者が出ます。
一部の者は亡命し、隣国がこれを支援します。そして、2国間の戦争が始まりました。
この戦争は、卵を小さい端から剥くか、大きい端から剥くか、2者択一の主義を巡る戦争です。
「中庸」ということはありえず、長く続くことになります。
ところで、小さい端は英語で Little-end 、大きい端は Big-end です。
2語を合成して作った造語ですが、これ以上小さな意味に分けると意味が変わってしまうため、分解してはなりません。
これを主義主張とするものは、 Little-endian と Big-endian です。
これも、「リトルエンディアン」「ビッグエンディアン」で一語で、分解して「エンディアン」などと言ってはなりません。
さて、いよいよ話が混とんとしてきました。
ガリバー旅行記の中に出てくる戦争に、なんで技術文章で「平和のための嘆願書」が出されなくてはならないのか。
IEN 137 では、ちゃんと技術的な話が行われています。
元々、コンピューターは情報の最小単位である「bit」を寄せ集め、「word」として扱います。
コンピューターごとに、何bit が 1word となるかはバラバラでした。
また、word とは別に byte という単位もあります。通常は、word はコンピューターの扱いやすい単位で、byte はそれよりも小さく、文字を扱いやすい単位です。
byte も、6bit 、7bit 、8bit などコンピューターにより異なります。
しかし、1980年ごろには、8bit が byte で、1word が 16bit 、というような構成が一般的になりつつありました。
混乱していた情報の単位は統一されつつあったのです。
ところが、ここに新たな混乱が生じていました。
16bit の 1word を、byte 単位で情報を記録できる「半導体メモリ」にアクセスする際に、どのようにアクセスするかが機種ごとに違ったのです。
16進数4桁(16bit)で、 1234 という数値があったとしましょう。
これを、8bit 2つにわけると、 12 と 34 に分かれます。
12 は、1234 という数字の時には「上の桁」でした。これを、上位の桁と呼ぶことにします。34は下位の桁です。
そして、この 12 と 34 を記録するのですが、どちらを「下位アドレスのメモリ」に記録するかが、メーカーにより異なります。
さて、次の話をする前に、ちょっと取り決めをしておきましょう。
コンピューターでは、プログラムをメモリに納めています。
そして、いまプログラムのどこを実行しているかを、「プログラムカウンタ」というレジスタ(変数)で記憶しています。
プログラムカウンタ(以下PC)は、プログラムデータの読み取りを行った後、値を1増加します。
つまり、次の命令を読む準備をするのですが、ここで「1増加」なことに注意してください。
メモリアドレスが小さいほう(下位アドレス)が先に読まれ、大きい方は後で読まれることになるのです。
今読んでいる文章は、横書きで、左から右に読むようになっています。
そこで、横に並べて数値を書くときは、左側が先に読まれる「下位アドレス」、右側が「上位アドレス」ということにします。
用語が混乱しないように、再確認
「上位の桁」と「下位の桁」…これは、1234 という数字を別けた時の位置関係です。12 が上位。
「上位アドレス」と「下位アドレス」…これは、メモリの並び順です。下位が先に読まれる。
では、16bit の数値 1234 を、8bit づつ 2byte に区切って書きます。
12 34
あぁ、真ん中で切っただけね。なんか普通に見えます。
下位アドレスに上位の桁を置いて、上位アドレスに下位の桁を置いています。
…あれ、言葉で説明するとなんか不自然に感じる。
もう一つ書きます。
34 12
なんか、逆転していて不自然に見える。
でも、下位アドレスに下位の桁を置いて、上位アドレスに上位の桁を置いています。
説明だけみると、非常に自然。
どちらも、それなりの根拠があってやっているのですが、全く正反対の結果となっています。
そして、この主張には「中庸」という落としどころはありません。
IEN 137では、上の形式…下位アドレスに、上位の桁を入れる方法は、Big-endian と呼んでいます。
メモリからデータを「取り込む」、つまりは「食う」のが、大きな端(上位)が先になるからね。
下の形式は、逆なので Little-endian です。
…やっと、混乱していた話がまとまりました。
コンピューターの値の格納には2つの形式があるけど、これは小人の国の戦争のようなもの。
中庸の意見などなく、どちらが正しいわけでもない。
でも、IEN は「インターネット接続のための」技術文章です。
戦争を終わらせるために、お互いを理解する努力を…データの並び順に常に注意を払い、相互接続できるようにしようではありませんか、という趣旨のものです。
そういう意味では、4月1日に発行されているけど、「ジョーク」ではない。
ちゃんと重要な提案を行っているのです。
まぁ、ガリバー旅行記の戦争になぞらえたのは、エイプリルフールネタを意識していたと思いますけどね。
これ以前、こうしたデータ並び順は「バイトオーダー」と呼ばれていました。
でも、これ以降、バイトオーダーを示す用語として「ビッグエンディアン」「リトルエンディアン」が使われるようになり、さらに現在は「エンディアン」がバイトオーダーの意味で使われています。
先に書いたとおり、「ビッグエンディアン」「リトルエンディアン」でそれぞれ1語で、「エンディアン」だけにすると意味を持たないはずなのだけど、現在では当たり前に「エンディアン」という言い回しが使われている。
#日本では、ではなく、英語圏でもそうなっています。
まぁ、言葉は時代と共に変わる物なので、この事に問題はありません。
大切なのは、こうした違いがあることを認識し、データが読めない、というような問題を回避するための努力です。
ほんと、ファイルシステムがエンディアンの影響受けるとか、シャレにならないからね…
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今日は、エド・ロバーツの命日(2010)
「世界初のパソコン」である、アルテア8800を作り出した人です。
詳しくは、誕生日の記事に書いているので、そちらをお読みください。
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今日は、祝一平さんの命日(1999)
知る人ぞ知る、ですね。
パソコン雑誌 Oh!X のライターをやっていて、人気があった方でした。
後に有限会社満開製作所を設立、X68000 用のディスクマガジン「電脳倶楽部」を刊行しています。
1988年5月創刊です。一応、日本で最初のディスクマガジンとされています。
ディスクマガジンと言うのは当時新しい概念で、MSX 用の「ディスクステーション」が有名でした。
こちらはコンパイルが発行していたもので、1988年7月創刊。
2か月しか違わないから、真似したとは思わない。
ディスク搭載のコンピューターが増えて、そこで雑誌形式のものを作ろう…というアイディアは、誰もが思いついたのでしょう。
#追記:情報頂きました。
1983年には DiskFM/DiskPC などが鈴木技研から発行されていた、とのこと。
そういう先行例もあるので、ディスクステーションも含めて「新しいアイディア」ではなかったようです。
他にも多数出ていたようですが、月刊ではなかったこと、電脳倶楽部の発行開始時にはすでに廃刊していたこと、などから電脳倶楽部は「日本初」を名乗っていたようです。
ディスクステーションは、MSX向けのゲーム情報誌の形を取っていました。
新作ゲームの体験版とか、非常に古いゲームを丸ごととか、すごい簡単なミニゲームとか、ゲームだらけ。
電脳倶楽部は、投稿中心のパソコン雑誌でした。
投稿プログラムなどもあり、アルゴリズムの解説などもあります。
X68k の画像フォーマット形式としてよく使われた、PIC などは、電脳倶楽部で発表されたものです。
また、「著作権が無いデータを電子化する」という活動を始め、古い小説や、日本国憲法全文、英語辞書などのデータが発表されていました。
これ、いくつかは現在の「青空文庫」に引き継がれ、収録されています。
実は、僕が Oh!X を読み始めた時には、祝一平氏の「最も人気があった」時期は過ぎており、あまり活躍を知りません。
友人が電脳倶楽部を購入しており、フリーソフトでほしいものなどがあった際にはコピーしてもらっていました。
…いや、正直に言えば、電脳倶楽部自体、ある程度コピーさせてもらっていました。
電脳倶楽部は、コピープロテクト掛けない方針を貫いていましたから。
#データは壊れるから、まずバックアップを取りましょう、と毎号書いてあった。
大学1年の時、大学祭のために作ったゲームを「電脳倶楽部に投稿しなよ」という友達の勧めで投稿します。
電脳倶楽部は年間購読契約をするもので、読者には必ず会員番号が割り当てられます。
投稿にも会員番号が必要だったのですが、友人の会員番号で投稿しました。
この際、学祭に出したバージョンより面データを大幅に減らしました。
ディスク雑誌なので、大きなデータを使えない制約…もあるのですが、それよりも「フルバージョンは販売したい」と思ったためです。
たいして出来が良いゲームでもないのに、金を取ろうなんて思い上がったもんです (^^;;
電脳倶楽部では、どうやら「会員以外からの初投稿」だったようなのですが、ゲームを掲載してくれました。
それだけでなく、「販売するのであれば武尊からどうか」という話を頂きました。
電脳倶楽部は年間購読契約が必要だった、と先に書きましたが、1号づつの販売も出来るように、当時ブラザー工業が展開していたソフトウェアの自動販売機「武尊」での販売を始める予定でした。
ブラザーの方でも、販売するソフトを増やしたくて探していたのです。
ただ、この時点では「法人しか相手にしない」とのことで、満開製作所が間に入ってくれました。
#その後、武尊は同人ソフトにも門戸を開きました。
この時点でも、事実上の「同人」第1号だったわけです。
武尊で販売したい、というお話を頂いたときに、満開製作所から呼び出されて祝一平氏にもお会いしました。
冬の寒い日だったと思います。夕ご飯をご馳走になりました。
それだけでなく、電脳倶楽部の採用者や、読者プレゼントのみでもらえる様々なグッズを、まとめていただきました。
これ、投稿が採用されても、1点づつしかもらえないもの。
まとめてもらえたのはおそらく貴重なので、まだ置いてあります。
でもね、このグッズが全部バカバカしいんだ。
「エッチな鉛筆セット」とかね。HB~8Hで、「ちょっとH♡」とか「すごくH♡」とか書いてあるの。
逆さまにアスキーコード表が印刷されたTシャツと言うのもあります。
逆さまになっているからこそ、自分が下を向けばアスキーコード表を読める。
アスキーコード表が裏に印刷されたカードカレンダーももらいました。
クレジットカードサイズで、カレンダーとして使えなくなっても、アスキーコードが便利で持ち歩いてた。
あ、ひとつだけ、今はもうないグッズもあります。
「おいしすぎて…コーヒー中毒」という名前の飴。
これは、満開製作所のオリジナルではなく、当時の北海道のメーカーが作っていたもの。
パッケージに描かれた顔の絵が不気味で、さらに商品名が「中毒」。インパクト大でした。
でも、飴を置いとくわけにもいかないので、全部食べちゃった。
祝一平氏に会ったときはまだ大学1年でしたが、「将来プログラマーになるの?」と聞かれました。
なれればなりたい、というようなことを答えたと思います。そしたら、「C言語は勉強しといた方がいいよ」と言われました。
販売してもらったゲーム、Comet は BASIC で作っていたのね。
実際、BASIC では限界を感じていたし、そこからコンバータでCにしてコンパイルしていたので、Cもなんとなく見ていた。
#BASIC コンバータの限界で、意図しない動作をすることがあった。
その時は、Cになったソースを見て、何が起きているか理解して、回避する様に BASIC プログラムを変えた。
すぐにCの勉強を始め…挫折します。
なんだか、妙に回りくどくて面倒くさかった。アセンブラの方がよほど簡単だ、と思った。
それで 68k のアセンブラで1本ゲームを作るのですが、ゲームを作ると「アセンブラで全部作るのは大変だ」と思い始めた。
これで、Cとアセンブラを組み合わせ、適材適所で使う、というのを覚えます。
一度アセンブラを理解してからCに戻ったら、Cがどういう意図で作られているかもわかったし、「アセンブラで最適化されやすい」記述方法なんかも理解できるようになりました。
もちろん、実際に仕事を始めてからはCの知識は非常に役立ちました。
冒頭に添付してある写真は、祝一平氏の名刺です。
祝一平ってペンネームだから、本名の名刺ももらっている。でも、ここは有名な名前の方で。
文字しかないすごく簡素な名刺だけど、ちゃんと遊び心が入っている。
\満開製作所\電脳倶楽部編集長\
祝一平
と書いてある。
これ、MS-DOS 的なツリー構造表記で「所属」を表現しているのね。
DOS では、ディレクトリ表現にバックスラッシュ(\)を使いました。
日本語の文字コードでは、バックスラッシュではなく¥になってしまうのだけど。
今なら PC UNIX が浸透しているし、URL でも見慣れているので / で書くのかもしれない。
でも、当時は MS-DOS の方が遥かに知られていて、でもパソコン自体が一般的でない趣味。
パソコン好きな人はニヤリとするし、そうでない人には全く意味がわからず、それでいて違和感がない。
ちょっとひねった表記方法でした。
先日、僕の名刺の裏の絵を公開したのですが、表面の「所属」部分は、祝一平氏の名刺のアイディアを真似させてもらっています。
ただし、所属ではなく「属性」として、C++風に多重継承している。
(僕の名前) : 代表取締役, プログラマ
としてあるのね。
そんなところも真似させてもらうくらいには、影響受けてます。
そんなわけで、祝一平氏は1度会っただけの人ですが、僕に影響を与えた人物です。
亡くなったと知ったのは、不義理なことに1回忌を過ぎてからでした。
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ぎーちさんからの質問…と明示されたわけではなかったと思うけど、「ベーマガの影響」の話になりました。
ベーマガって、プログラム投稿以外にもたくさんコーナーありましたから。
僕が真っ先に「好きだった」と挙げたコーナーは、「ゲーム・プログラミング講座」。
ゼビウスを作った遠藤雅伸さんって、当時は憧れの人だった。
その遠藤さんと、仲間の方々がゲーム作成の質問に答えてくれるという夢のような(?)コーナー。
プログラム上の疑問・相談だけでなく、ドット絵の描き方、音楽の作り方、ゲームシステムの考え方、ゲームクリエイターになる方法…などなど、幅広い質問に答えていました。
中学生の頃は、まだ無邪気に「将来はゲームを作る仕事をしたい」と思っていました。
ゲームクリエイターの人たちというのは殿上人。その言葉は素直にすごいものに感じたのです。
Beep! でも、ゲームクリエイター多数にアンケート取った特集とかありました。それも熟読した。
遠藤さんたちも、Beep! のアンケートに答えた人も、似たようなことを言っている。
ということは、ゲームクリエイターになりたければ、これは本当に重要なのだろう。
それは、「今すぐテレビゲームなんてやめて外へ行け!」ってこと。
これが意味がわからなかった。
テレビゲーム作りたい、と思っているのに、テレビゲームやっちゃいけないの?
もう一つ、「素人のうちは、プロには作れないゲームを作れ!」とも言っている。
これも判らなかった。
プロって、なんでも作れる技術を持っているからプロなんじゃないの?
これらの言葉は、ずっと心のどこかに引っかかっていました。
自分がゲームを作る立場を経験して、この言葉の真意がわかりました。
テレビゲームって、人を楽しませるものです。
じゃぁ、「楽しいこと」自体をたくさん知っていないといけない。
テレビゲームばっかやっていても、所詮は「ゲームの中」の小さな経験でしかない。
もっと多くの「楽しいこと」を知っていないと、人を楽しませることなんてできない。
テレビゲームが大好きで、テレビゲームばかりやってきて、テレビゲームを作る立場になったら全然いいものが作れない、という人を、実際何人も見てきました。
楽しいことの経験が少ないのだと思います。
幸い僕は友達に恵まれ、旅行もしたし、酒飲みながら語り合ったこともある。
そんな経験でも「楽しい」ことを少しでも多く経験しておくことは、ゲームを作るうえで非常に大切です。
もう一つの「素人のうちはプロには作れないものを」というのは、前回もちょっと書いたね。
プロになると、商売だから「売れるゲーム」を作らないといけない。
遊ぶ立場では、面白いゲームが良いゲームだと思っていました。
でも、プロにとって、それは良いゲームではないんです。
あと、プロになると操作方法に制約が出る、というのもあります。
家庭用なら、家庭用のゲームパッドの中で考えないといけない。
業務用はもっと制約が厳しくて、1レバー3ボタン、というのが基本でした。
業務用だからこそ、変な入力デバイスでも使えそうに思いますが、そういうものは高くつくし、交換が面倒なのでゲームセンターが買ってくれない。
ところで、僕は大学時代に「マイクが1本おいてあるだけ」というアクションゲームを作ったことがあります。
変なゲームを作ろうと心がけていた頃のもの。
いろいろ狙いがあって、ゲームのあり方に対して自分なりに問うてみた意欲作なのよ。
でもまぁ、七面倒くさい理論はどうでもいい。このゲームに触れた人の反応が予想外で、僕には印象に残っている。
ゲームを遊ばない人ほど、このゲームを見て戸惑うのね。
ゲームって、ファミコンみたいにパッドでやるものだと思てる人にとっては、マイクが置いてある、というシチュエーションからおかしいのです。
でも、説明は書いてあるから遊んでみる。
自分が声を出さないとゲームが遊べない、でも声を出すというのは案外恥ずかしい。
ここで、みんな変な状況に笑い始める。
最初は照れ笑いなのだけど、笑っているうちに自分でも楽しくなってきて、遊んだ後も嬉しそうに帰っていく。
ちなみに、ゲーム慣れしている人はすぐにルールに慣れて、冷静に黙々と遊びます。
笑顔にはならないけど、ハイスコアは叩きだす。
ゲーム業界に入ってから気づいたけど、これが「プロには作れないゲーム」でした。
プロのゲームを真似するのであれば、どうすれば面白いかもだいたいわかる。
すでにあるものを真似していけばそこそこのものが出来上がる。
でも、そうではない、物まねではないものを作ると、すべてを自分で決めなくてはなりません。
「声で操作する」ゲームを、どうすればより面白くできるのか、どうゲームバランスを設定すれば楽しいのか。
マイク一本だから、スタートボタンもない。ハイスコア出してネームエントリーしようにも、文字を選ぶ方法がない。
変なデバイスを採用したら、当たり前に思っていたことが何もできないんです。
ゲームスタートの方法、ハイスコア時のネームエントリーの方法まで考える必要がありました。
物まねではないゲームを作ると、真似をするよりもずっと深い部分まで考える必要があります。
その苦労は、確実に「面白いゲームを作るための方法論」として身に付きました。
そういう経験を積んでおけ、というのがプロからのアドバイスだったのですね。
ところで、セガに「デカリス」(2009)ってゲームがあったのですが、あれを作ったのは同期の企画者。
僕が会社辞めた後なので、裏話とか知らない。実は、僕はこのゲームを見てすらいない。
あまり売れなかった上に、すぐに市場から消えてしまったからね。
ぎーちさんにも話したし、裏話を最初から知らないので、20年たってないけど書いてしまいましょう。
彼は、プロは作ってはならない、「変な入力方法」にこだわってました。
新人の頃から、変な入力のゲームの企画を、何度も出しては没になっていたのを知っています。
どうも、狙いは僕が作った「マイク入力ゲーム」と同じだったみたい。
変な状況に置いてやると、それだけで人は楽しくなってくることがある。
ゲームって「楽しむ」ことが目的だから、楽しくなれるのであればそれは成功。
で、何度も没を喰らって、できたのが「デカリス」。
すごくでかいレバーで、すごくでかい画面で、すごくでかいブロックのテトリスを遊ぶゲーム。
とことんバカバカしいアイディアです。遊びながら、バカバカしさに笑ってほしかった。
…でも、評価は低い。意図が理解されなかったのね。
僕のゲームと同じで、ゲーム慣れしている人は冷静に遊ぶ。おかしな状況で楽しくならない。
本当は、ゲーム慣れしている人が少ない、遊園地とかに置ければよかったのでしょうね。
でも、ゲームだからゲームセンターに置かれました。そして、ゲームセンターはゲーム慣れした人ばかりです。
彼の意図は理解されず、このゲームの評価は低いまま。
プロが作ってはならないゲームをプロが作るとどうなるか…という残念な例です。
#届けたい人に届かなかったというだけで、それを作り上げた彼の情熱を、僕は高く評価しています。
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ぎーちさんからの質問。
これは、ベーマガの話ではないのだけど、僕はセガでゲームを作っていたので「いつゲーム会社に入ろうと思ったのか」。
先ほど、中学の時はゲーム業界に憧れていた、と書きました。
でも、これはある種の中二病。ゲームが面白くて、「ぼくのかんがえたさいきょうのげーむ」を作っていて、将来ゲーム作る仕事するんだ、と思ってただけ。
高校生になったら、ゲーム作っていても食ってけないんじゃないだろうか、ゲーム業界って結構狭くて入れないんじゃないだろうか、と思い始めます。
だからこそ、浮ついてないで、ちゃんと技術を身に付けようと思った。
大学でも情報科学科に行って、学問としてのコンピューターを学びつつ、自分でいろんなプログラムを作って実技を身に付けようとします。
でも、大学1年の学祭で発表したゲームを、みんなが面白いと遊んでくれた。
そのゲームを武尊(ソフトの自動販売機)で売ることになって、200人以上の人が買ってくれた。
これが、すごくうれしかったんです。
あぁ、やっぱゲーム作りたいな、って思った。
#この数か月後に祝一平氏に会って、将来プログラマになるのであればCを覚えるように、と言われました。
その時、「ゲーム作る仕事?」とも聞かれたけど、その時にはまだ迷いがあって即答できなかったと思う。
大学3年の時には、先に書いた「マイクを使ったゲーム」を作ります。
このゲームを遊んだ人が、みんな嬉しそうに笑って帰っていくのです。
ベーマガ投稿の動機の話で書いたけど、僕にとっては、ゲームは「遊んでもらえることがうれしい」ものでした。
遊んでもらえただけでなく、それでみんなが笑顔になる。やっぱりゲームを作る仕事がしたい、と思ったのはこの頃からだと思います。
ところで、僕が大学の頃は、まだ「就職協定」というのがあったのね。
4年生の10月になるまで、企業は就職活動(リクルート活動)を初めてはならない。
ただ、この協定が形骸化していて…。
10月までは「興味を持つ学生に現場を見学させたり、現場の人があってみたり」するだけなのね。
で、10月1日に会社に呼ばれて、いきなり内定する。
会社としては、この内定を出すことが「リクルート活動」であり、それ以前は学生が会社に興味を持っているのを案内しただけ、という形式です。言い訳っぽいけど、協定違反ではない。
ただ、やっぱ会社側にも「協定を半ば破っている」という罪の意識はあるのか、会社が本格的に動き始めるのは4月から、というのが暗黙のルールでした。
学生が資料請求とかするのは、1月ごろからだし、会社も資料を送るのだけど、会社説明会、試験、面接などは4月スタート。
当時の僕は、ナムコのゲームが大好きでした。
80年代ナムコの黄金期って、すごかったのよ。同じアイディアのゲームは出さなかった。
作るゲーム作るゲーム、みんな「見たこともないような」ゲームで、しかも完成度が高い。
だからあえて、ナムコは希望先から外しました。
ゲーム会社でしばらく修行したら、独立したかった。ナムコの遠藤さんがそうしたように。
でも、ナムコ大好きだから、きっとナムコに入ったら独立する気なんておきなくなる。
それで、第1志望をセガとしました。
セガも十分に面白いゲームを作っていたし、何よりも大会社だった。
中小企業だと、独立するときに後ろめたさが残りそうで、大きいほうがよかった。
他に、2社ほど受けました。両方、そこそこ大きい会社。
ちなみに、当時もすでに就職難は始まっていた。
今ほどひどくなかったけど、3社しか受けないと言ったら、周囲から心配されました。
1社は、3月から説明会を始めた。暗黙の了解とはいえ、協定を破るような会社は順法精神が無いのではないか、と考えてキャンセル。
もう1社は、関東の会社だと思っていたら本社が大阪だった。
交通費出すから本社に面接に来て、と言われ、大阪まで行って、せっかくなのでたこ焼きとうどん食べて帰ってきました。
ここは、たしか6月くらいに内々定(10月には内定出すよ、という通知)貰ったのだけど…
肝心のセガがこの時点で全然試験を始めやがらねぇ。迷いながら内々定蹴りました。
#内々定を受諾すると、その後いろんな名目で企業に振り回されます。
これにより、他の企業への就職活動は事実上出来なくなります。
だから、他に希望があるなら蹴るしかないのです。
そして、セガは7月に入ってからやっと試験開始。
就職協定、という意味では、10月近くになってから動き始めているのですから遵守している方です。
でも、他社を蹴った僕としては背水の陣。
7月すぎてから新しい会社探す余裕はないしね。
で、たしか試験を1度、1~2週間後に面接も1度だけやって、翌日「内々定です」と電話が来たと思います。
すごくほっとした。
本当にダメだったら、過去にバイトした中小企業に行けば入れてくれるだろう、とは思っていたのだけどね。
(3社しか受けてないのも、意にそぐわない会社に行くくらいなら、気心の知れた中小企業に入ろうと思ったためです)
この後、大学祭がありました。(大学祭は毎年10月でした)
3年の時に出した「マイクを使ったゲーム」が楽しかったという小学生から、「あのゲーム、今年はできないの?」と聞かれました。
1度見ただけのゲームを、1年間覚えてくれていた。
すごくうれしかった覚えがあります。
…ぎーちさんには、「彼の言葉がゲーム業界に行く最後の決め手だった」と答えたのだけど、時系列を整理し直してみたら違いました。
彼の言葉は、セガの内定貰った後だわ。
でも、その後ずっと励みになりつづけたのは本当。
「心に残るゲーム」を作りたいと思う時、いつも彼の言葉を思い出すのです。
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なんかしらんけど、ツイッターで「なぜテレビゲームは左から右に向かって進むか」を論じている人たちがいた。
えーと、別にすごい話題になっていたとかじゃなくて、僕の見てる人たちが話していただけです。
それも、2005年に書かれたブログ記事を見て疑問が出ていただけ。
同様の議論を書いているブログは、2008年にもあった。
これも、ツイッターで議論している人が提示していたのだけど。
恐らく、先のブログの影響を受けて後のブログが書かれたのだと思う。
議論の流れが似ているから。
ただ、先のブログは「右上位・左上位」という文化論を論じているのだけど、後のブログはそのなかでゲームだけが特異に見えることを取り上げた内容になっている。
で、疑問が出てくるわけだ。
なんで、ゲームだけが特殊なのか?
ゲームを論じたほうのブログ記事は、それなりに面白い考察もしていて、否定する気はない。
ただ、面白かったからこそ、自分でも考えを書いてみたくなった。
その前に、否定しないと言いつつそれは違うんじゃないかな、という指摘だけしとくね。
スカイキッドとスパルタンX(海外ではKung-Fu Master)を、「異色のゲーム」として挙げていることに対して。
この二つ、右から左向きにスクロールするんだよね。
ただし、スパルタンXは、1面ごとに方向が交互に変わる。
当時、そもそもスクロールするゲームがまだ珍しかったようにも思う。
スクロールするゲームはそれなりにあるのだけど、「右だから変」という感覚はあまりなかった。
当時、ベーマガで「ジョイスティックは右か左か論争」があったのを覚えている人もいるかもしれない。
同様に、「横スクロールの向きは右か左か」もあったように思う。
論争が起こるくらいだから、「こちらが普通」というのは特になかったのだ。
#そもそも、横スクロール議論の発端がスカイキッドだったようにも思うけど。
あと、スパルタンXは宮本茂作品ではない。アイレムの業務用の移植だから、スーパーマリオと方向が違う、というのはあまり問題にならない。
当時は右でも左でもよかった、として、じゃぁなんで右向きに進むゲームだけが残ったのか、の方が大切に思う。
で、直感として「スーパーマリオがそうだったからじゃない?」と思ったんだ。
あのゲーム、なんせ世界一売れたゲームだったから影響力は馬鹿にならなくて、それ以降のゲームのスタイルを統一してしまった感がある。
じゃぁ、なぜスーパーマリオは右に進んだのか。
…ファミコンのスプライトは左端でおかしくなるから、もしかしたらその影響では?
ファミコンのスプライトは 8x8 のサイズなのだけど、この「左上」のドットの座標を指定して表示するのね。
座標は 8bit で、0~255 。
255 を指定すると、右端に1ドット分だけ表示される。254なら2ドット分。
つまり、右端は「少しずつ登場」ができる。
でも、左端は 0 を表示すると8ドット全部が表示されて、-1 にはできない。
(-1 は、255 になってしまう)
つまり、左端では「急に現れる」「急に消える」しかできない。
#注:ブラウン管は、通常は走査線を左上からスタートさせ表示を行う。
これにあわせ、コンピューターでも左上を 0 として、横座標は右に行くほど増加、縦座標は下に行くほど増加する。
ただし、当時のブラウン管では、もともと「左端」は見えないことが多かった。
テレビにもよるけど、周辺 16dot は見えないものとして扱うのが普通だった。
でも、見えないものとする、というのと、実際見える、というのは別物。
テレビによっては見えないが、テレビによっては見えてしまう。
出来ることなら左端は見てほしくなかったのではないかな。
だから、プレイヤーの視線が出来るだけ右側に集中する様にすればいい。
そうすると、右に進んだ方がよいことになる。
スーパーマリオ以前にもエキサイトバイクとかで右向きスクロール使ってますね。
…ってツイッターで書いたら「グラディウスはファミコンじゃないから関係ないのではないか」と言われた。
うん、僕の趣旨は「スーパーマリオ以降統一されたのではないか」であって、それ以前に右向きが無いと言っているわけではないからね。
ただ、思い立って調べてみた。
グラディウスは、スクランブル(1981)が元になっていることがわかっている。
スクランブルは古い基板なので、ファミコンスプライトと同じような欠点があった可能性がある。
…Youtube で公開されていたエミュレータ動画を見ただけだが、スプライトは左端で、急に消失していた。
右側では徐々に登場する。
こちらも、スプライト座標にマイナスは指定できなかったようだ。
やはり、左端には注視されたくなかったのではないかと思う。
#MSX や SG-1000 で使っているTMS9918 では、スプライトを左端でも滑らかに表示できます。
「表示座標を 32dot 左側にずらす」という指定が可能で、0~255 の座標指定と組み合わせると、-32~255 の範囲にスプライトを置けたため。
ただ、やっぱ左端だけ特殊になっちゃうので、面倒くさい。
#X68k を調べたら、スプライト座標にマイナス指定ができたみたい? もう忘れた…
技術書によれば、座標指定は 0~511 の 9bit なのに、座標レジスタは 10bit ありました。
多分、グラディウスの頃には業務用基板でもマイナス指定したりできて使いやすくなっていたのだと思う。
そんなわけで、文化的な右上位・左上位なんて関係なく、「技術的な都合では?」説。
ファミコンでは右向きにスクロールするほうが作りやすかった。
というか、アラが目立たなかった。
それで右向きが多くなって、それがゲーム全体で「常識」になっていく。
業務用でもそちらが中心になり、格闘ゲームなどでも1Pは右向きになる。
…ただ、この説、弱み一杯あるね。
自分で提唱しておいてなんだけど。
スクロールしないドンキーコングでも、マリオは最初左端に、右向きで現れる。
インベーダーゲームでも、砲台は左端から出現する。
…スクロールする以前から、左から出現し、右に向かうのが普通だったのではないか、という説。
こちらの理由は何かと尋ねられれば、初期位置だから座標が 0 に近いほうを選んだんじゃないかとか、右向きに進むと座標が増加するから、気分的にそうしたいのではないかとか、技術的な言い訳は思いつく。
ただ、これにもさらに反論を出して置けば、マッピーなんかは右端から始まるけど違和感はない。
さらに言うなら、あれもスクロールゲームだ。左右自由にスクロールするけど、最初は右から左向き。
やっぱり、ある程度昔のゲームになると、どっち向き、というのはそれほど決まっていないように思う。
#右向きが多かったかな、とは思うけど、スーパーマリオ以前は決定的ではなかったという感じかな。
この話、後日続きを書きました。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【雷更新世】 ファミコンのスプライトが左端でおかしくなる件ですが、一応左8pxを隠す(黒になる)設定はありますね。面倒なことはしないに越したことはないですが。 (2016-09-04 03:46:23)【azip77】 その流れで、スーパーマリオも画面左下部分に置かれ、スクロール方向も右向きになったのではなかろうか (2015-04-06 23:25:37) 【azip77】 ドンキーコングの1面は画面左下にマリオがいる。これが前提となり、画面の左下にキャラが居ることで統一すると都合がいい。(場面が変わってもどこに自分がいるのか無意識にすぐ把握できるのが相応しい) (2015-04-06 23:23:15) 【azip77】 じゃぁ、なぜスーパーマリオは右に進んだのか。 (2015-04-06 23:18:42) |
当ページ内では歯車計算機なんかも紹介しているのですが、その中に「ネイピアの計算棒」というものがあります。
これ、ページ開設当初(もう18年も前だ…)に、たまたま科学館で存在を知って書いたものです。
それほど詳しかったわけでもなく、ただ面白がって知ったばかりのことを書いただけなので、あまり深みが無い記事。
(今でも、書いている内容に深みなんてないけどさ)
#ちなみに、その後知ったのですが「ネイピアの骨」と呼ばれることの方が多いようです。
いちいち計算棒のページを見に行かないでもいいように、概要だけ書いておきましょう。
計算棒は、掛け算九九が書かれた棒です。
この時、2桁の数字は、間に斜線が入っています。
上には、九九の「何の段」かが書かれていますので、この数字を並べて、掛けられる数を作ります(何桁でも良い)。
そして、掛ける数(こちらは1桁)の部分に書かれている数字を読み取ります。
斜めの線により、隣同士の棒の数字が組み合わされます。
この数字を足して、書きだすと、答えがわかります。
たとえば、左の図では、573 * 3 = 1719 であることがわかります。
…言葉で説明するとややこしいな。
つまり、掛け算九九の表を使って、繰り上がった部分は上の桁に足していくと答えがわかるんです。
ただそれだけなのだけど、「掛け算」という結構大変な計算を、ただの足し算に変えてしまう道具です。
18年前にこの道具の紹介を書いた時は、「ネイピアの計算棒」の本当の価値がわかってませんでした。
これが、ネイピア数に名を残す数学者、ネイピアの作ったものであることがわかってなかったのです。
今日は、その数学者ネイピアさんの命日。
そして、ネイピア数とは、自然対数の底 e= 2.718281828459045235360287471352…
…いや、いいんです。
対数とか e とか、見ただけで嫌になる人が多いでしょうから、そんな話をしたいわけではない。
ネイピアは、対数を発見し、計算方法に革命を起こしました。
後にそのことが評価され、対数に関係の深い数字に、彼の名前が付けられたのです。
しかし、ネイピアが発見した対数は、現代的なものとは違いました。
ネイピアの時代には、小数の概念がまだ普及していなかったのです。
このため、できるだけ分数の比率で表しやすいように、対数の定義自体も異なっていました。
それでも、その「ネイピアの対数」は、現代の対数に通じる重要な特徴を持っていたのです。
対数の重要な性質とは…
なんと、対数を使うと、掛け算を足し算に変えることができます。
…ここでも、掛け算を足し算に変えようとしているのです。
ネイピアは、計算することの重要性を理解し、複雑な計算を誰でも簡単に行う方法を追求した数学者でした。
ネイピアの考案した対数を元に、後に計算尺が生み出されます。
計算尺とは、スライドする二つの棒を組み合わせた「計算機」です。
2つの棒には、対数で同じように目盛りがつけてあります。
ここで、
1) 棒 A の目盛り 1 の位置に、棒 B の「賭けられる数」の目盛りをあわせる。
2) 棒 A の「賭ける数」の位置の目盛りの下にある、棒 B の数を読み取る。
という簡単なことをするだけで、掛け算が終わっているのです。
棒をずらしたり、さらにずれたところにある数字を読む、という操作は、足し算に相当します。
これは普通の定規でも同じね。3の目盛りから、4つ離れたところの目盛りを読めば、7と書いてある。
ただ、計算尺では目盛りが対数で刻まれています。
そして、先に書いたように、対数では掛け算を足し算に変えることができます、
だから、足し算するような操作をすると、掛け算の答えが得られるのです。
より詳しく知りたい人は、こちらのページが詳細に書いてくれています。
是非、お読みください。
ところで、先ほどネイピアの時代には小数の概念が普及していなかった、と書きました。
それ以前は、小さな数は分数で表現しました。
しかし、ネイピアと同時代の数学者が、常に 10 の累乗を分母とする分数を使うと、整数部分の10進法と相性が良くて扱いやすい、と気づきます。
小数の概念の誕生です。
しかし、当初は表記法がスマートではなく、使いにくいものでした。
そこで、「小数点」を発案したのが、ネイピアでした。
これにより、ややこしかった「小さな数の表記」も簡単になります。
ここでも、ネイピアは「計算を簡単にしよう」と工夫を凝らしています。
現存する最古の歯車計算機であるパスカリーヌは、足し算と引き算しかできませんでした。
しかし、パスカリーヌの百年前に、シッカルトが歯車計算機を設計しています。
この機械では、なんと掛け算も可能でした。
その重要な仕掛けが、ネイピアの計算棒でした。
結局、歯車では足し算しかできないのですが、計算棒を使うことで掛け算を足し算に変換しているのです。
さらにいえば、現代のコンピューターでも同じ原理が活かされています。
表を使って掛け算を簡単な足し算に変換することで、高速な計算を行っています。
一方の計算尺は、電気化されて「アナログコンピューター」となります。
オペアンプ使って計算するのって、計算尺と原理的にそれほど変わるものではない。
でも、デジタルコンピューターが高速化するにしたがって、アナログコンピューターは消えちゃった。
コンピューターなんて高価だった時代、庶民は計算尺を使っていました。
でも、これも電卓が普及したら、やっぱ計算尺は消えちゃった。
でも、「対数の原理を使った計算方法」が消えても、対数の重要性は失われません。
むしろ、強力な計算機が使われるようになって、ますます対数の存在意義は増しています。
人間の知覚は、対数に従うようになっていることが多い、ということが知られています。
こうした、「人に合わせた感覚」をコンピューターで表現するには、対数の活用が欠かせないのです。
通常、オーディオ機器などの音量調節は、対数に従って音の強さを変えます。
対数に従った表示の時に、半分の位置に音量をあわせると、半分になったように感じるためです。
音楽を聴くときも、テレビを見るときも、現代ではコンピューターの応用機器になっています。
内部ではものすごい速度で計算が繰り返されていて、そこに「対数」が何度も顔を出しています。
ネイピアの計算棒はコンピューターの計算を裏で支える基本的な原理となり、ネイピアの発案した小数点と共に計算に使われています。
そして、ネイピアが発見した対数がその計算の中で繰り返し使われ、我々の生活をいたるところで支えてくれているのです。
追記?
書き終わってから気づいた。
去年も記事書いてるじゃんよ!
内容微妙に違うからリンクしときます。
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別年同日の日記
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今日はアイザック・アシモフの命日(1992)
アシモフは好きな作家なのですが、語れるほどいろんなことを知っているわけではありません。
すごく有名な作家で、大好きな人は多いので、生半可な知識で語ったら怒られそう。
でも、大好きだから思い出話をするのです。
たぶん子供の頃(おそらく小学3年生ごろ)に、学校の図書館で本を借りて読む、ということをやりはじめました。
子供向けの冒険小説…いわゆる「ジュブナイル」ものをよく読んだように覚えています。
「SOS地底より」とか、楽しく読んだ覚えがあるのだけど、内容はもう忘れた。
(これはアシモフではないです)
そんな中に、タイトルも忘れた本がありました。
木星の衛星(たしかガニメデ)に作られた人類の移民基地で、少年とロボットが交流するお話でした。
この中に「ロボット三原則」とか出てくる。
ロボットは、確か運命に流されて少年と離れ離れになり、少年に会いたくて、その時の主人の命令に違反して逃げ出すんじゃなかったかな。
三原則違反だというアラームが電子頭脳の中で響きながら、人に見つからないように物陰に隠れている…
そんなシーンを覚えています。
後から考えるとアシモフの作品だったのかな、と思います。でも、記憶もあいまいで定かではない。
少なくともアシモフの考案した「ロボット三原則」が効果的に使われていたのは覚えています。
アシモフのもっとも有名な顔は「SF作家」で、特に「ロボットSFの第1人者」でした。
ロボット三原則は彼のロボットSFで貫かれたテーマです。
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
欧米では、フランケンシュタイン・シンドロームと呼ばれる心理があるのね。
「フランケンシュタインの怪物」は有名な恐怖小説ですが、若い科学者が人工生命を作り出してしまう。
その生命は、すべてにおいて人間よりも優れている。そうなるように作ったのだから。
…えーと、原作では科学者は「神の領域に手を付けてしまった」と後悔して逃げ出し、人工生命は作り主である「お父さん」に捨てられた悲しみを背負いつつ、彼を追います。
恐怖小説と言っても、心に沁みる悲しいストーリー。
でも、映画化されたときには、怪物は生まれてすぐに「自分より劣る」科学者を、殺してしまう。
この映画の方が人々の心に残っていて、「人間が作り出した、人間に似たものは、いつか人間に牙をむく」という社会通念を作り出しました。
#カレル・チャペックの戯曲で、「ロボット」の語源となった劇が、こうした「人間に反乱するロボット」のイメージの元なのだけど、影響力の強さは上に書いた映画の方が大きかったため、「フランケンシュタイン・シンドローム」と呼ばれます。
それで、ロボット物はSFではなくて「恐怖小説」のテーマになってしまっていた。
そこをアシモフが、ロボットは科学の範疇であるとしてSFの枠組みに入れようとしたとき、問題となったのがこの恐怖感をどう取り除くかでした。
その時、編集者からヒントが出され、それを元にアシモフが簡潔な言葉でまとめなおしたものが「ロボット3原則」。
だからまず、「人間に危害を与えない」が来ます。人間を守ることも明示されます。
これを最重要の項目としながら、以降、反乱を起こさないための「服従」、そして、人工生命としての「自己防衛」と続くのです。
アシモフのロボットSFが面白いのは、ここまで「恐怖を与えないこと」をテーマとしながら、ロボットがやっぱり反乱を起こすからです。
三原則を守りつつ、反乱を起こすことができる。一体どうやって強力な三原則を守ったままで反乱を起こすのか、というのが見どころになっている。
ただ、やっぱり反乱と言っても人間を殺すようなことはしないんです。
たとえば、「鋼鉄都市」のシリーズでは、ロボットが生活に溶け込んだ未来社会の中で、殺人事件が起こります。
現場には、人工知能に異常をきたした、壊れたロボット。
壊れたロボットが殺人を犯したのか?
いや、いくら人工知能が壊れていても、人工知能は人間で言えば「知性」の部分です。
「本能」である三原則は、知性が壊れていても守られるはず。
壊れたロボットは、おそらく殺人現場を目撃し、「人間を守れなかった」ために人工知能に異常をきたしたのではないかと推察されます。
でも、この都市ではロボットが重要な労働力となっていて、人間が少ない。
もし殺意を持った人間が、別の人間に近づいていけば、まだ壊れる前のロボットは「人間を守る」本能によって殺人を食い止めるはずです。
一体何が起こったのか…
えーと、確かこれは、鋼鉄シリーズの中の「はだかの太陽」だったと思う。
ここで、SF作家らしく、ちゃんと論理を積み重ねた推理劇が展開されます。
推理小説なので、ネタバレはしない。気になる人は読んでみてね。
ロボットが、「人間と同等の存在になりたい」と奮闘し、そのために周囲の人々を幸せにしていく「バイセンテニアルマン(200歳の人)」は心に残る名作。
彼はロボットだから、人と同等になるのは「命令に服従しない反乱」なのだけど、そのために取った方法が、周囲の人を幸せにすることなのね。
ロボットだから寿命は無い。長い時間をかけて、多くの発明をし続けて、社会にとって必要な存在になっていく。
しかし、彼がどんなに社会にとって必要な、有名な存在になっても、人々にとって彼は「良いロボット」なのです。
彼は人々の意識を変えるために、大きな賭けに出なくてはならなくなる。
短編なのだけど感動的で、後に映画化もされています。
アシモフのロボットは、ロボット三原則を守りつつも、常に反乱を起こそうとします。
でも、それが人間にとって悲劇ではないことも多いのね。心温まるお話が多い。
これが、アシモフがロボットSFの第一人者だと呼ばれる理由になっているように思います。
アシモフのもう一つの顔は、推理小説家です。
上に書いた「鋼鉄都市」シリーズは、ロボットSFと推理小説が融合したものでした。
SFだと何でもありにしやすいのだけど、あえてそれはしない。
SF世界と言えども、そこには人間の地に足が付いた生活が描かれていて、諸条件を提示したうえで読者に「推理」を投げかけます。
ちゃんとした推理小説として成立しているのです。
そして、純粋な推理小説として有名なシリーズが、「黒後家蜘蛛の会」。
…と、純粋ではありますが、本格推理ではないです。連続短編のオムニバス形式。
いわゆる「安楽椅子探偵」で、冒険活劇も、足で証拠を探すこともしません。
6人の仲の良い男性が、毎回1人のゲストを招いて、話を聞きながら晩餐会をする、というだけの話。
ただ、毎回ゲストが困りごとを持ち込みます。
(もともとそういう会ではなく、知らない分野の専門家の話などを聞いて楽しもう、という会だったのに、と嫌がるメンバーもいます)
で、その困りごとを、いろんな分野の専門家である6人が知恵を絞って解決しようとする。
でも、いつもこの6人は解決できないのです。
6人とも、いろんな分野の専門家ではあるのだけど、自分の専門分野で狭く考えすぎてしまう。
いつも、見事な解決を提示するのは、晩餐会の給仕を務める初老の男、ヘンリーです。
彼は給仕なんて勤めているくらいだから、決して高学歴の男ではない。
でも、給仕という立場上いつも脇にいて、皆の話に耳を傾け、出しゃばらずに考え続けます。
専門分野が無いからこそ、他の人の意見を横断的にまとめる力を持ち、解決に至るのです。
高学歴の男たちが、いつも学のない男の言葉に感心する、というのがこのお話の見どころの一つ。
でも、メンバーはみんなヘンリーの「学は無いけど頭は良い」ことに一目置いているので、嫌味にならないのね。
短編小説集なので、気軽に読めます。こちらも、気になる人は是非。
「ファウンデーション」シリーズも有名です。
こちらは、壮大なスペースオペラ。
地球が衰退した後に、宇宙に散った人間たちが、一度は文明を衰退させながらも、また発展していく数百年単位の歴史を描いたものです。
「ローマ帝国衰亡史」に触発されて、それをSFでやってみたもの、らしいのですけどね。
予言者に従ってみんなが行動する段階を経て、宗教が力を持ち、やがて武力を持つものがそれを上回る…
SFですから、予言とか宗教とか素直に出しません。
予言者は「心理歴史学」という分野の専門家で、数学を駆使して今後の来るべき展開を示している、ということになっている。
宗教も、大型コンピューターとそれを扱える技術者たち、という形に変わっている。
その翻意が見事です。現実に起こった歴史をSFに置き換えたものなので、重厚感がある。
…そして、アシモフ途中で飽きてます(笑)
最初はローマ帝国の歴史をSFに置き換える形で展開するのだけど、途中からお得意の推理劇も入ってきます。
今調べたら、7部作なのね。
僕、前期三部作しか知らないや。三部作でも、途中で飽きたな、と感じる急展開が入っている。
(急に雰囲気が変わるだけで、つまらなくはないです)
後から書かれた四部は、前期三部とはかなり違って、ロボットなども出てくるのですね。
まさに、アシモフの集大成なのでしょう。
SFや推理小説家としてのアシモフの著作は、実は僕はほとんど高校の時に図書室で借りて読んでいます。
その頃アシモフが大好きで、ものすごく読んだ。でも、借りて読んだから手元に残っていません。
手元にあるのは、「空想自然科学入門」。
アシモフのもう一つの顔は、生化学の博士としての顔です。
大学の医学部で講師をしていたそうですし、教科書を執筆もしたそうです。
論文も、非常にたくさん書いている、そうです。
(こっちは伝聞調。アメリカの教科書とか読んでないから知らない…)
空想自然科学入門では、彼の科学者としての知識を駆使して、いろんな疑問に答えています。
「空想」とついているけど、空想科学読本のような、架空の物語を論考するような本ではないよ。
実験では確かめられないようなことでも、可能性として「空想」してみよう、という内容で、内容はいたって真面目。
でも、小説家としての手腕を発揮して、非常に難しい内容でも想像しやすく、分かりやすく書いてある。
特に、生化学はアシモフの専門分野。
この本の中に、「これが生命だ!」という章があって、宇宙に生命がいるかどうかを考察しています。
えーと、最近でも、木星の衛星ガニメデの地下に海があって生命がいるんじゃないかとか、エウロパの方がいそうだとか、土星のエンケラドゥスの可能性とか…
まぁ、生命の可能性はいろいろ言われています。
ここで、「可能性」として言われている場所は、全部液体の水が存在しうる環境なのね。
こうした発表を聞いて、「宇宙生命が、地球と同じように水が必要と考える必要はないんじゃないか」と疑問に思う方はいるようです。
ネットでそういう意見見たことが何度もある。
で、アシモフは1963年に書いた(もう50年も前!)この本の中で、その疑問にちゃんと答えています。
水星には水は無いけど、液体の硫黄がある。液体硫黄に炭化フッ素を入れれば、水中の蛋白質と同じようにふるまう可能性がある。
木星には水は無いけど、液体のメタンがある。液体メタンに脂質を入れれば、水中の蛋白質と同じようにふるまう可能性がある。
…などなど、どの惑星にも、その惑星に適応した生物の可能性はある、という内容を、科学的な裏付けも付けて示します。
この本は、各種惑星探査計画に先駆けて書かれているのね。
だから、「期待できる」ことを書いている。今では、どうも生命はいないようだ、となっているけど、必ずしも水が必要なわけではない、と示しているのは読んで面白いです。
チオチモリンについても書いておこう。
これは、化学知識を元に作り出した、架空の物質。
アシモフは短編が多いのですが、チオチモリンは「架空の論文」という変わった形式で発表されました。
この物質、非常に良く水に溶けます。なんと、水を入れる前に溶けてしまうのです。
物質の原子の一部が、四次元方向にのびていて時間を吸着する(吸時性を持つ)ためとされています。
ただし、水が入ってくる「可能性」だけでは溶けません。
確実に水が入ってくる時だけ溶けます。
人が水をそそごうとしている場合、その人の「精神状態」に反応することになります。
時間を扱う可能性を示しながら、そこでタイムマシンみたいな壮大なものに話を飛ばすわけではない。
でも、「精神状態を外部から調べられる」という可能性に言及し、精神科医が使用できるかもしれないと示唆する。
この物質自体存在しないわけですが、非常に面白い特性を見つけながら、小さな利用可能性しか見いだせない。
話が大きくなり過ぎないあたりが、いかにも「本物らしい」論文です。
アシモフもこの「架空の物質」が気に入っていて、何本か論文を書いています。
最初に発表されたものは読んだことないのですが、途中の一本を読んだことがあります。
さて、アシモフは非常にたくさんの著作を残しました。
エッセイも上手で、短編集では必ず本編の間に、「その短編を書いたときの裏話」が挟まっていました。
この裏話が本編より面白い、という人もいるくらい。
どんなに短い短編でも1本、1ページのエッセイでも1本、科学論文でも1本…と数えた時、アシモフは一番多い年には、年間400本以上の原稿を書いたそうです。
とんでもない化け物です。
もちろん原稿は高速に書くことができるタイプライターで書いています。
短編集に書かれた「裏話」で、タイプライターを忘れてしまって万年筆で書かざるを得なかった、なんて話もあったけどね。
#その苦行を想像しただけで絶対に無理だ! と思いながら、しかし今書かないと原稿が間に合わないから、決死の覚悟で書きはじめ…
と、その心中を仰々しく告白しながら「気づくと何の問題もなく書きあがっていた」そうです。
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ぎーちさんからの質問。というか、ぎーちさんが語る順番だったかな。
「最近の同人ゲームを、ベーマガみたいにまとめる場が作れないだろうか、って思うんです」
ぎーちさん、テレビゲーム関連のフリーライターで、特に同人ゲームに注目しているんだそうです。
話を整理して出している都合もありますが、実はこの話は最初に聞いたもの。
ここまでに、「プロには作れないゲーム」という話がたびたび出ているのも、同人の話が先に出ていた影響でもあります。
ベーマガは、プログラム投稿誌でしたけど、不思議な存在でした。
他のプログラム投稿誌って、採用基準は「プログラムの価値があること」だったのね。
ゲーム内容が高度であるとか、非常に面白いとか、プログラムが役立つとか。
でも、ベーマガってそうではないのね。
短くて、簡単に真似できそうな、レベルの低いプログラムばかり掲載されていた。
まぁ、レベルが低いとはいっても、ある程度のレベル維持はあるんですけどね。
それでも、「これなら真似できそう」と思えたし、実際他機種のプログラムを移植したりして楽しみました。
簡単に真似できる程度のプログラムなら、わざわざ雑誌を購入する意味もない…はずなのですが、人気があった。
恐らくは、掲載されているプログラムに価値があるのではなく、そうしたプログラムが多数集まってくる「コミュニティ」としての価値が高かったのだと思います。
今でもベーマガが独自の地位を持って懐かしまれるのは、独自の世界観を作り上げていたからではないのかな。
さて、ぎーちさんから聞いた同人ゲームの現状。
僕はコミケとか行かないから、あまり同人ゲームを知りません。
それでも聞こえてくる同人ソフトって、技術的にはプロとしても通用するような高みにあるのね。
最近は素人でもすごいもの作るんだなぁ、と思っていました。
でも、それは現場を知らないからそう思っていただけ。
当然のことながら、突出したレベルのゲームは有名になるので、すごい技術のものとかだけが知られるだけ。
それよりもずっとレベルが低い、たいしたことのないゲームが多数あるんだそうです。
でも、それらを「面白くもなんともない」と一蹴するのはもったいない。
誰かが一生懸命作ったゲームは、たとえレベルが低くても、その人にとっては思い入れのある作品。
それを発表できる、ベーマガのような「コミュニティ」は作れないものだろうか?
ぎーちさんには、そうした思いがあるようです。
もちろん、今はネットで発表することもできます。
たとえば、Scratch では、子供たちが作ったソフトをすぐに公開できる仕組みがあります。
でも、そこに「コミュニティ」を感じないんです。
結局、有名になるのは出来の良いプログラムだけ。初心者が作ったゲームは有名になんてならない。
頑張ったのに評価されないと、そこで作るのをやめてしまう人も多いのです。
ベーマガでは、レベルが低くとも「採用」されれば、評価されたと感じることができました。
そして、毎月100本を超えるようなプログラムが載っていました。
これが、決して「狭き門」ではなく、でも「誰でも載れる」ほど簡単でもなく、丁度良いレベルを維持していたんです。
細かく作り込んだ大作だけが評価されるわけではなく、どの作品でも載せてしまうほど広く受け入れてしまうわけでもなく、ほどほどの「障壁」を維持しながら切磋琢磨し合えるコミュニティ…
そういうものが存在すれば、同人ゲームを作っている人たちにとってはもっと励みになるでしょう。
今の同人ゲームを作っている人たちは、ツクールなどを使用している場合も多いそうです。
ゲームの絵を変えたり、シナリオを変えたりする程度で、簡単に新しいゲームを作り出せるソフトね。
その仕組み上、プロが作ったゲームの物まねが作りやすいです。縮小再生産に陥りやすい。
でも、ツクールを製作している側(角川エンターブレイン)もそんなことはわかっているのか、簡単なプログラムを組んで拡張することもできます。
これがなかなか良くできていて、ちょっと驚くようなアイディアを入れ込むこともできる。
そういう部分で、プロには出せないアイディアを作っている人たちもいます。
一番評価したいのは、そういう「ちょっとしたアイディア」の部分。
縮小再生産に終わらせない部分です。
先に、プロが作れないゲームを作るのは、すべてを自分が決めなくてはならなくなる良い経験だ、と書きました。
そういう人は、縮小再生産ではない、新しいゲームを作り出すことができます。
そういう経験をした人がどんどんゲーム業界に入ってくれないと、ゲーム業界はしぼんでいってしまう。
同人ソフトを、「市販ソフトのような出来のよさ」ではなく、「アイディアの良さ」で評価するのは、ゲーム業界の将来のためにも大切なことです。
でもね、アイディアの評価って難しいのよ。
それまでにない全く新しいアイディアって、誰も評価できずに低い評価になることが多い。
これはプロでもそうで、「新しいゲーム」を目指して作っても、世間に評価されずに失敗作に終わることはあります。
…まぁ、プロの話は置いとこう。
プロにとっては世間の評価がすべて。評価されなかったのは失敗作です。
厳しいですけど、プロだから。
でも、素人ゲームは違う。
世間の評価が低くても「理解者の評価」がひとつあれば、それでいいんです。
ところが、現在は大きなコミュニティが存在せず、その理解者を見つけることが非常に難しい。
プロが作るゲームを「評価」するのは、遊ぶしかしない素人でいいんです。
だって、万人に遊んでもらうために作っているんだもん。
でも、素人が作るゲームを評価するのは、「評価のプロ」である必要がある。
こちらのゲームは、万人に遊んでもらうことを目指しているのではない。
(多分作る側は遊んでほしくて作っているのだけど、素人ゆえの至らない点が多々ある、という意味で)
だから、そういう部分を差っ引いて、ゲームの核心部分だけを的確に評価できる人がいないといけない。
あぁ、この人はこれがやりたかったのか。誰にもないいいアイディアだ。
…ゲーム自体がつまらなくても、その「やりたかった部分」を適切に取り出せないといけない。
でも、そんなことできる人がいたとしたら、その人は「評価のプロ」なんです。
ネットで発表するだけでは、そういう人に出会うことはできない。
ベーマガって、変なゲームアイディアでも「面白い」って積極的に採用していたように思います。
ここでいう「評価のプロ」だった。
こういう存在が、現在は無いように思うのです。
時々僕は、「プログラムは8割作って終わるといい」って言ってます。
そこまでで終わると、辛い部分を経験しないで済むから、一番楽しい。
最後の2割って、細かな部分をいじり続けるだけの作業で、やっていて辛いことがあるのね。
えーと、最後の調整でゲームの面白さがぐんと高まることはあるよ。
それは楽しい作業だからやっていて構わない。
でも、これを修正しないと完成度が高くならない、と判っていても、やるのがつらい作業もある。
そんな部分はやらないでもいい、と思ってます。素人の趣味なんだから。
そして、そのつらい作業をやっていない、完成度の低い作品でも、アイディアが良ければ評価されるといい、と思うのです。
#将来業界で働きたい、と強く思っている人は、是非完璧を目指してください。苦労した経験は必ず役に立つから。
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別年同日の日記
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ぎーちさんは事前に僕の日記などを読んでくれていたようで、うちの子供が Scratch を楽しんでいることを知っていました。
それで、プログラムは何歳くらいから始めるのが良いのか、という話になりました。
ぎーちさんもお子さんはいるけど、うちの次女(5歳)と同学年らしいので、プログラムはまだ早い。
これはゲームやプログラムの話から外れてしまうのだけど、子どもの発達について書いておきます。
専門家じゃないから、間違っていたらごめんなさい。
まず、3歳以下だと、ゲームのルールは理解できません。
2歳くらいの子と、片方だけの手に何か入れて、両手を出して「どっちの手に入ってるか」って遊びをやったりします。
あれ、大人はゲームをやっているつもりだけど、子供にとってはゲームではない。
「いないいないばあ」と同じ、何かが急に出現することを楽しむ遊びです。
ただ、毎回出てくるわけではなく、出てこない場合もある「意外性」が楽しい。
だから、入っている方を当てるゲームではなく、出てきたり出てこなかったりを楽しむ遊びとして楽しんでいる。
子供が「出題側」になると、わざと中に入っているのを見せて、「当ててもらう」のを喜んだりします。
大人は勝ち負けで考えているので、子供に勝たせてやろうと、わざと「入っていない」方を選んだりします。
でも、これは子供にとってはつまらないのね。出現を楽しみたいのだから。
「手が小さいから見えちゃってる」のではなく、わざと見せていることも多いのです。
同じことをやっていても、3~4歳くらいになると、「勝ち負け」を理解し、ゲームとして楽しめるようになり始めます。
4~5歳くらいになるとジャンケンくらいの簡単なルールの遊びであれば、遊べるようになります。
でも、この段階で遊べるゲームって、真似できなかったら負け、とか、偶然性で勝ち負けが決まる、とか、その程度。
5歳くらいだと「太鼓の達人」を楽しめる子も出てきますが、これはリズムに合わせて叩く、という「真似」の要素だから。
それ以上難しいゲームになると、まだできません。
ちなみに、「リズムに合わせる」ということ自体、5歳くらいからでないとできない。
ブランコ漕いだり、縄跳びしたり、自転車に乗ったり。こういうのもリズムに合わせる必要があるから、この頃までは難しい。
7歳くらいになると、七並べとかババ抜きとか、簡単なルールと戦略性を持ったゲームが遊べるようになってくる。
でもまだ戦略を駆使することは出来ず、ルールを理解してはいても、運が良くないと勝てません。
テレビゲームだと、キャラクターを動かして、それなりに先に進むことを楽しめる。
でも、1面クリアできたら喜ぶような段階で、先にはなかなか進めない。
#大人でも楽しめる程度の難易度のゲームの場合ね。
7歳くらい向けに作られた、大人が遊んでも簡単すぎてつまらないようなゲームで「クリアできて楽しい」とかはあり得ます。
7歳から小学校になるわけですが、これ以前は「ルールを理解できない」から、集団生活には向きません。
保育園の場合、集団生活ではあっても、問題があればすぐに保育士さんと園児の「1対1」の状況に入れる。
小学生になると、基本的には子供同士で問題を解決していく必要があります。
ここに、「ルールを理解する」必要が出てくるのです。
小学生でも、1~2年生の間は「勉強のやり方」を学んでいる段階。
国語と算数が中心ですが、内容はそれほど高度ではありません。
3年になると、理科や社会も始まり、本格的に勉強を行うようになっていきます。
でも、まだ詰め込み教育。これは悪いことではなくて、「自分で考える」なんてできない年齢だから。
ここで詰め込まれた内容は、後で「自分で考える」段階が来た時に、考えるための基礎となるものです。
4年生くらいから、自分たちで研究発表をまとめるなど、自分で考える勉強が始まります。
年齢にすると10歳くらいですが、この頃から本格的に自我を持ち始め、自分で考えて、自分で行動するようになります。
3年生くらいまでは、周囲の大人との関係が重要だけど、4年生からは友達との関係の方が重要になっていくのね。
漫画だと、サザエさんのカツオ君は5年生で、ワカメちゃんが3年生。
ちびまる子ちゃんは3年生。ドラえもんののび太とか、カードキャプターさくらとかは4年生。
#注:のび太はアニメ版は5年生ってことになっている。
「周囲の大人」と「友達」のどちらが大切か、1年の差で変わってくるのがわかりますでしょうか?
よく出来たお話…漫画やアニメも、ここら辺のことをちゃんと考えて年齢設定されています。
さて、長々書きましたが、僕としてはプログラムは4年生以降に始めるのがいいんじゃないかな、と思います。
「自分で考える」ことができる年齢だから。
プログラムって、考えることが大切だから、これ以前の年齢だとちょっと早すぎる。
ただ、それ以前にプログラムに触れることを否定するものではありません。
うちの長女はまだ7歳だけど、長男がプログラムしているのがうらやましくて、真似してる。
長男に教えてもらっている…つもりになっているだけで、ほとんど長男がやっているのだけどね。
長男も、8歳の誕生日にポケモンのゲーム買ってます。
「まだ遊ぶには早い年齢」だと思っていたけど、本人が強く希望していたので。
やっぱ早くて途中でやめちゃったのだけど、RPG の世界を経験したというのは、論理性に若干触れた経験だった。
そういう経験が、10歳になってプログラムはじめるのに役立っていると思います。
さて、上に書いたことには、当然個人差もあります。
自我が芽生えるのは10歳~12歳、とされていて、それがすなわち「考えられるようになる年齢」なので、4年生では早すぎる子もいるかもしれない。
一方で、もっと前の年齢でも楽しめる子はいるかもしれない。
子供にやらせてみたかったら、少し早くても与えてみることです。
でも、強要はせず、興味を示さないなら引っ込める。
その後は、また興味を持ちそうなタイミングが来るまで、じっくり待ってください。
あまり早い段階で与えすぎると、「難しい」っていう苦手意識を持っちゃうから、ダメだったら十分な期間を開けたほうがいい。
あと、何よりも「大人が楽しんでいる」姿を見せるのは興味を引かせるのに役立ちます。
子供にプログラム教えたかったら、大人がやってみせることです。
今は、中学生でプログラムが必修科目になっているそうです。
以前、これに反対する意見として、「中学生でも作文などで論理性のある文章を書けない子供がいる」としている人がいました。
塾講師のようで、子供の作文能力など、ちゃんと見極めた上での意見。素人意見ではないです。
でも、僕はこの意見には反対。
「考えることができる年齢」というのは、脳がその準備ができた、というだけの話。
論理的に考えるのって、訓練しないとできないです。
「まだできないから」と言って訓練しないと、いつまでたってもできない。
中学生なら、もう考えることのできる年齢に達していますが、必ずしも論理的なわけではありません。
だから、論理性の訓練を始める必要があり、そのための道具として「プログラム」を使うのです。
ついでに書けば、プログラムは道具であって、目的ではありません。
プログラム技術を教えたいのではないから、「みんながプログラマを目指す必要が無い」という反論も、前提から間違えている。
ここら辺、詳細は以前に書いた日記に書いてます。
#話は飛ぶけど、20歳は大人か、という問題も同様だと思ってます。
周囲が大人扱いしないで大人になるわけがない。20歳「から」大人扱いだったら、精神的にも大人になるのは25歳くらいからで当然。
昔は、15歳くらいから大人扱いで、仕事もさせられました。だから、20歳の成人式では立派な大人だった。
何事も、訓練せずに出来る人なんているわけがない、という当然の話。
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別年同日の日記
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ぎーちさんとの同人話の続き。
昔はプログラムしないと自作ゲームは作れませんでした。
でも、今はツクールなんかで同人ソフトを作っている人も多い。
ベーマガが復活したわけですが、ツクールだと「プログラム」ではないから、ベーマガは発表の場にはなりにくい。
同人ソフト作るうえで、プログラムって必要なことですかね? と聞かれました。
私見では、プログラムのそもそも論になってしまうのですが、「ツクールもプログラム環境である」と思います。
コンピューターを、自分の考えた通りに動かそうとする試みは、すべてプログラムです。
複数言語を使えるプログラマなら、テキスト処理なら awk 、WEB プログラムなら PHP 、画像処理ならC…とか、使い分けている人も多いと思います。
awk なんてプログラム言語じゃない、と言い出す人もいるけど、それは考え方が偏狭。
適材適所で、もっともやりやすい言語を選ぶ、というのも、プログラマの能力のうちです。
じゃぁ、ゲームを作るのに、ゲームを作りやすい「ツクール」を使うのだって言語選択のうちでしょう。
ロードランナーの面コンストラクションとどこが違うんだ、という人もいるかもしれません。
なにも違いません。面コンストラクションだって、明確な目的を持って「コンピューターに何かをさせよう」とするのであれば、プログラムとなり得ます。
一方で、明確な目的無く、適当にブロックなどを配置して、面白くもなんともない面を作るのであれば、それはプログラムではない。
先に書いた awk で言えば、「何もしないスクリプト」を作るのは簡単です。空ファイルで良い。
何の目的もない。プログラム言語を使っていても、これは「プログラムした」と言わない。目的を持っていないから。
#C言語だと「何もしない」のにも、それなりのプログラムが必要です。
プログラムを作ったかどうかの境界線は、選択した言語にあるのではなくて、作成者の心構えにあるのだと思います。
目的を持ってプログラムをするのであれば、うまく目的が達成できず苦労する、という局面が現れるはずです。
それがツクールのような簡単なツールであっても、C言語のような面倒くさいツールであっても、必ず目的がはばまれる局面が来る。
これをどう乗り越えるか、目標を少し変えて軌道修正するか、別の実装方法を模索するか、力技でねじ伏せるか…
そういうことを考えなくてはならなくなる。
この「考えなくてはならないこと」の連続がプログラムで、デバッグもこれに含まれます。
そして、目標を達成した時、成果物は「プログラムしたもの」と言ってよいかと思います。
#話逸れるけど、以前に「目的があって、それを阻害するものがあればゲーム」と書きました。
僕はゲームを作ること自体が一番楽しいゲームだと思っていますが、それはプログラムが「目的を阻害するもの」だから。
プログラムはゲームを作る手段なのですが、実は乗り越えないといけない障壁でもあります。
ところで、言語を選ぶというのは、自由度を狭める行為なのね。
究極的なことを言えば、すべてのことをするのに、アセンブラを使えばいいんです。
CPUが出来ることは全てできるし、それ以外のことは一切できない。コンピューターに命令を出すには最適な方法です。
でも、それは面倒くさいから、自由度を狭め、利便性を手に入れる。
C言語を使うと、自己書き換えは出来なくなるけど、簡単な計算で命令をいくつも組み合わせる必要は無くなる。
でも、Cは比較的アセンブラに近いです。awk になると、速度も遅くなるし、Cほどバイナリの扱いも上手ではない。
その代わりに、テキスト処理はCに比べてずっと楽になります。
RPG ツクールだと、事実上 いわゆる「JRPG」…2Dマップでマス目を感じながら移動して、戦闘時は画面が切り替わってコマンド選択、というゲームしか作れなくなります。
そこまで自由度を狭めた代わりに、JRPG では非常に苦労するシナリオ管理やアイテム管理などが楽になります。
ここでもやっぱり、Cとawkと RPGツクールは、同列に並んでいるものだと思います。
JRPG 作りたいのなら、Cを使うより RPGツクール選んだ方がいい。
シューティング作りたいなら、シューティングツクール選ぶといい。
でも、誰も見たことが無いゲームを作るなら、Cとか Javascript を使わないといけなくなる。
自由度と利便性の天秤の問題で、適切に選び出すことが大切。ツクールが「プログラム環境ではない」なんて思いません。
#RPGツクールは、JRPG しか作れないと言いつつ、シューティングゲームを作ってしまう人がいる程度には自由なプログラムも可能です。
これは、大道芸の一つで、適切な言語の選び方とは思わないけど。
(RPG 中にミニゲームを入れたいのならアリ。その程度には自由度がある)
話を「ベーマガのような場所」に戻すと、プログラムを「一覧できる」必要はあるのでしょうね。
ツクールではこれが難しいし、Scratch ですらプログラムが分散しているので一覧性は悪いです。
そうすると、エディット環境と実行環境がある程度分離していて、テキストファイルでプログラムリストを示せる言語、のみをプログラム言語として扱う必要が出てくる。
今時、そういう言語は初心者向けの言語ではないと思うので、ベーマガを目指すならそんな限定をしない方が良いのだけど。
雑誌としてのベーマガ、という考えにとらわれなければ、実行ファイルをダウンロードできることと、その実行ファイルを見て興味を持った人がソースにアクセスできること…などの条件を整えることで、ツクールや Scratch も含めることが可能でしょう。
昔のベーマガと違って、自分で打ち込まないと動かない、というのは今の世の中難しいように思います。だから実行ファイルのダウンロードも準備する。
本当は「写経する」って、勉強の第一歩だから、意味も分からず打ち込むのは良い経験なのだけど。
ただ、「打ち込むこと」や「紙面」の制約が無くなっても、ベーマガのようなコミュニティを作る際に、ソース規模の制限は必要でしょう。
内容を見て把握できる程度でないと、テクニックを盗めなくなる。ベーマガを目指すのなら、ソースから学び取ることが重要。
同時に、以前も書いたように、投稿を受け付けてアイディアの良いものを選び出す第三者が必要でしょうね。
その第三者は、ソースを見てみたくなるようなテクニックのポイントを解説する役割も持つ必要があります。
#ベーマガの Dr.D の役割です。詳細解説は不要。そこは自分で盗むものだから。
把握できる程度の規模で、と制限されると、ツクールは、おそらく見た目の良い作品は作れるけど、アイディアを入れるのが難しい。
Cではアイディアを入れやすいけど、見た目を整えるのが難しい。
これを適切に判断し、評価する…というのも大変なことだと思います。
環境ごとに、その環境では難しいことに挑んだポイントなども適切に評価してあげないといけない。
ただ、ベーマガの時だって、多少はそういう条件の違いあったんだよね。
スプライトのある機種と無い機種で、見た目はかなり違うものだったけど、ちゃんと機種ごとに評価されてた。
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別年同日の日記
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ぎーちさんから聞いた話の続きです。
最近は、女子高生でもゲームを作ったりしてる、という話が出ました。
どんなゲームを作っているのですか? と聞いたら、ノベルゲームが多いらしい。
文章主体のアドベンチャーゲームね。
これは納得。
ゲームでも、女性向け・男性向けってあると思います。
…と書く上で、先に断わっておきましょう。
以前に書いているのですが、性別って簡単に区分できるものではないです。
だから、ここでの女性男性って、「一般論として」の話であって、そうではない例は山ほどあります。
女性はアクションゲームが苦手、と言われることもあるのですが、僕の経験上それはあまりないように思います。
ただ、アクションゲームで「攻撃される」のは嫌い。
シューティングゲームとか、格闘ゲームとか嫌いな人が多い。
テトリスやコラムスは好きなのに、ぷよぷよは嫌い、という女性に会ったことがあります。
対戦型で攻撃されるから嫌なんだそうです。
落ち物で言えば、コラムスの方が女性人気高いようです。
テトリスって、「待つ」ことが多いのね。棒ブロック待ち。
でも、コラムスって、いま落ちてきたブロックをどう処理するか、だけを考えることが多い。
「待つ」=「耐える」で、攻撃されているのと変わらないようです。
目の前のブロックを処理し続けるのは、たとえうまくいかなくても自分の失敗であり、攻撃とは感じないみたい。
同じ理由で「ミスタードリラー」が好きだという女性を知っています。
あのゲーム、アクションゲームとしても結構激しいのだけど、攻撃されることは無くて、失敗は全て自分のミス。
他にはテトリスが好きだけど、他のアクションゲームはそれほど遊ばないらしい。
最初に戻って「女性はアクションゲームが苦手」説では、アクションじゃなければ大丈夫、となるはずですが…
RPG とかで敵が強いと、やっぱり「攻撃されている」感が強くて嫌い、という人が多いです。
Wizardry とか、人気ある RPG ですけど、好きだという女性はあまりいない模様。厳しいからね。
ドラクエとか、適切にレベル上げをしていれば敵の攻撃が弱いのも、ここら辺に配慮してのことのようです。
最初に書いた、ぎーちさんがあった女子高生、ノベルゲームを作っていると聞いて納得したのはそういう理由です。
お話を作ることが「ゲームを作る」ことで、攻撃されるようなこともない。
昔だったら文芸部に入って小説書いていたような女の子が、今はパソコンでノベルゲーム作っている、とも言っていました。
それもまた、納得。昔は小説が娯楽として注目されやすいメディアでしたけど、今はゲームの方が注目されやすいからね。
ぎーちさんは「女の子と一緒にゲームを作る青春なんてうらやましい。今は良い時代だ」と言ってました。
あー、なるほど。ここが話の重要な点らしい(笑)
別にうらやましがられる話ではないのですが、大学時代のパソコンサークルは女性が多数いました。
理学部と薬学部が同じキャンパスだったのですが、理学部は男性比率が高くて、薬学部は女性比率が高い。
もちろん、両方とも「理系学問」ですから、理系サークルだからと言って女性比率が下がることもない。
結果として、パソコンサークルでも半数は女性だったのです。
彼女たちもプログラムは覚えましたし、簡単なゲームなら作る子もいました。
それこそ、ベーマガにも載らない程度のレベルのゲームだけど。
サークル内で付き合っているカップルが何組かいて、女が絵を描いて、男がゲーム作ったりしていました。
男が回路設計して、女が実装(半田付け)しているカップルもいたな。
…僕は彼女いませんでした。好きな子はいても、告白しても玉砕だったり、言い出せなかったり。
それはさておき、ぎーちさんのいうように「今が良い時代」なのではなくて、当時もそういうのはいたって話ですよ。
#実のところ、パソコンサークルで女性比率が高かったのは僕らの年代だけの特異現象でもあった。
2代上の先輩が、女性比率を高めようと頑張って勧誘した結果。
僕らが卒業するまで勧誘して入ってくるのは男女半々くらいだったけど、その後いつの間にか男性ばかりに戻ったらしい。
話変わって、セガに入社した時、同期に女性プログラマがいました。
当時、セガ社内で女性プログラマは3人しかいない、と聞きました。
女性だからプログラマに向かないとは思いません。世界初のプログラマは、Ada にせよ ENIAC のプログラマにせよ、女性でしたし。
ただ、事実として現状では女性プログラマは珍しい。
ゲーム業界では、プログラマの多くは、ゲームを作りたくてプログラムを覚えた人でした。
昔のゲームは…今のゲームも、多くは男性向けに作られているのね。そういうものを楽しんで、自分でも真似したくなって作る、というのは、当然男性が大多数。
そして、男性がゲーム会社で作ったプログラムは、また男性向けの内容になる。
せめて企画に女性がいるといいのだけど、企画も男性がほとんどなのね。
#デザインは女性がそれなりの人数いました。4割女性、くらいだったかな。
ノベルゲームのシナリオ作る、でもいいから、女性のゲーム作成者がもっと増えるといいな、と思います。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
先日、横スクロール方向はなぜ左から右に進むのか、ということを思い付きで書いたら、思ったより反響いただきました。
思い付きだから、そんなに読んでいただいたこと自体が申し訳ない (^^;;
スーパーマリオブラザース以前に、ドンキーコングでも左下にいるから右に進むしかない、スーマリもこれを引き継いだのではないか、という意見も頂きました。
うん、それは僕も思ったので、さらっと書いた。さらっと書いただけで、その間のつながりは想像に任せたのだけど。
ただ、この「左下スタート」にも違和感があった。
ドンキーコングがそうだったから、では説明になっていなくて、ではなぜドンキーコングは左下スタートだったのか、を考えないといけない。
2015.4.13追記
どうも勘違いされているので、前もって追記。
この話題、元々ゲーム「だけ」の話ではなく、西欧と日本の文化論比較です。
西欧では主人公は右に向かって進むが、日本では左に向かって進む。
今でも、日本のアニメとか見ていると、主人公は画面右側に立っていて、左に向かうことが多いです。
しかし、ゲームはみんな左から右に向かう。それはなぜか、というのが、前回記事の最初にリンクした、元々の話題。
以上、明示的な追記は終りですが、以下の文章に「日本的」「西欧的」と書いてある部分があったら、この追記の際に一緒に追記しています。
それで、「固定画面の時代に主人公はどこに出現したか」を調べてました。
えーと、調べて表を作っていたら、膨大だけど無意味な気がしていたので公表しない。
気になる人は自分で思いつく限りのゲームを調べてみてください。
それでもって、有名なゲームだけ使ってざっくりと説明。まずは固定画面ゲームから。
ポンとかブロック崩しの時代(1976頃まで)は、ボリュームを使ったダイヤル操作が多い。
これは物理的なもので、自機の「出現位置」は、ダイヤル位置に左右される。
スペースインベーダー(1978)は、左下に出現。
文字を書くときも左から右に書くし、コンピューターの座標も普通は左から右に進むので、それで左なのかな、とも思う。
または、左下に残機数が書かれているので、「そこから出てきた」イメージなのかもしれない。
ただ、この後は「中央出現」が多い。
ヘッドオン(1979)、ギャラクシアン(1979)、パックマン(1980)、スペースパニック(1980)、フロッガー(1981)、アミダー(1981)…
僕が嘘ついている可能性もあるので、別のゲームも調べてみてほしいのだけど、ほとんどのゲームが画面中央~画面下中央のあたりで始まる。
この中でも、例えばヘッドオンは、中央下に、敵と並んで現れる。
この時、敵が左側で、プレイヤーは右側。立ち位置としては日本的。
スタートしてすぐに右に向かって走りはじめる。ここは西欧的。
パックマンは中央に向き不明で出現するが、特に操作しないと左向きに走りはじめる。日本的。
ここら辺に「左に進むか右に進むか」の好みは出始めているかもしれない。
ドンキーコング(1981)は、前述のように左下スタートだ。西欧的。
でも、これが他のゲームに影響を与えたかというと、それほど与えていない。
ハンバーガー(1982)、ディグダグ(1982)なんかは、やっぱり中央スタート。
ディグダグはちょっと面白い。
ゲーム開始時にデモがあるのだが、画面右上から主人公が登場し、中央まで歩く。
そして、主人公が右を向いた状態から始まる。
「左向きに歩いてくるけど、右向きスタート」になっている。
この後のゲームは、すべてがそうだというわけではないが、ゲーム前に小さなデモが付くことが多くなる。
そのデモによって、主人公の登場位置を明確にすることで、「中央以外でもわかってもらえる」工夫をするようになる。
ロックンロープ(1983)は、内容的にもドンキーコングの影響を受けているのが見受けられ、左下スタート。
ドンキーコングと同じ任天堂が作ったポパイ(1982)は、左上スタート。
マリオブラザース(1983)は、2人同時プレイ可能だったので、左下と右下からスタートする。
#当初、ドンキーコングはポパイの版権を取って作る予定だった。
その後宮本さんは「版権不要でオリジナルキャラ立てよう」と心変わりしたようだが、法務部は版権を取ってしまったようだ。
だんだん固定画面ゲームが減っていくが、ちゃっくんぽっぷ(1984)、フェアリーランドストーリー(1985)、バブルボブル(1986)のように、タイトーは固定画面にこだわった時期がある。
登場位置は、左上、左下、左下と右下、だ。
バブルボブルは2人同時プレイができたので、登場位置が2か所ある。
これも、先に書いたように開始前にデモがあり、出現場所が明示される。
ロードランナー(1984)のように、出現位置が面ごとに変わる場合もある。
これは、家庭用のパズルゲームからの移植なので、「わかりやすさ」を重視していたわけではなかったという事情もあるように思う。
でも、業務用では画面開始時に主人公を点滅させ、位置を明示してから始まるようになっていた。
続いてスクロールゲーム。年代は巻き戻る。
最初と言われるのはディフェンダー(1980)。
操作が複雑なゲームで、横スクロールだけど左右どちらに進むことも出来た。
ただ、最初の状態では右に向かって進むようになっている。西欧的(メーカーも海外)
ディフェンダーは世界的な大ヒットで、真似をしたゲームが沢山作られる。
その中で頭一つ抜き出た面白さでヒットとなったのが、スクランブル(1981)。
これは先にも書いたのだけど、右に向かって進む。グラディウスの元になったゲームだ。
ディフェンダーを真似したゲームだろうから、「最初の方向」に進んだのかもしれないけど、先に書いたように「左端でスプライトが破綻するから、左をあまり見てほしくなかった」のかもしれない。
このヒットでみんな右向きになった…なんて簡単な話にはならない。
スクロールゲームは続々出てくるけど、結構いろいろある。
ラリーX(1980)、ニューラリーX(1981)、ボスコニアン(1981)。
同じ基板を使ったナムコの作品だけど、主人公は常に画面中央に固定されていて、自由方向のスクロール。最初は上に進む。
スクランブルがヒットしたコナミも、タイムパイロット(1982)で、画面中央に自機を固定した自由スクロールを作っている。
こちらは、初期状態は右向き。
マッピー(1983)をスクロールと呼んでよいかわからないが、2画面分の画面を左右に動ける。
2画面しかないから、固定画面とスクロールの中間的な感覚。
これが、右端から主人公がスタートして、最初のスクロールは左に向かうことになる。日本的。
マッピーと同じ基板のドルアーガの塔(1984)は、主人公の出現位置は決まってなかった。
ハイパーオリンピック(1983)は、いろんなゲームが入っているので必ずしもスクロールしないが、スクロールする場合は右向き。
コナミはスクランブル以降、基本的に右向きスクロールが好きなようだ。
でも、これはオリンピックを題材としたもので、トラック競技のテレビ中継は基本的に右向きに走るようになる。
(トラックは反時計回りで、観客席に近い部分は右向きに走ることになる)
このスクロール方向には必然性があるかもしれない。
サーカスチャーリー(1984)も右向き。
グラディウス(1985)も右向きだけど、これはスクランブル2として開発が開始されたものなので、同じ方向なのは必然だ。
ファミコンだけど、エキサイトバイク(1984)は右向き。
これは、トラック競技なので、ハイパーオリンピックと同じ必然性があったかもしれない。
Bボタンを使うと加速できる、という点で、スーパーマリオとの関連性を指摘する人もいる。
ここら辺から、ファミコン向けのゲームも出てくる。
バルーンファイト(1984)は左向き。ただしファミコン版。
業務用は2画面の縦スクロールだった。家庭用は固定画面。
そして、家庭用にしかないオマケゲームがあって、これが左向きの横スクロール。日本的。
(オマケだけど、本編より好きという人も多い)
スパルタンX(1984)も、最初は左向き。日本的。
これは前回も書いたけど、奇数面は左向きで、偶数面は右向き。交互に進む。
パックランド(1984)も似たような構成だけど、最初は右向き。西欧的。アメリカのアニメを元にしたからか。
右に進むと妖精の国があって、3面右に進むと到着。4面目は、自分の家に帰るために左向きに進む。
チョップリフター(1985)。原作は 1982年のパソコンゲーム。
左右に自由スクロールだけど、最初は右端から始まる。海外のゲームなのに日本的。
左向きに進んで捕虜となった人質を救出し、右の基地に連れて帰る。
チャレンジャー(1985)。ファミコンゲームで…内容詰め込みすぎ。
1面は横スクロール。デモ画面で、主人公は左向きに進んでいる。
でも、ゲーム開始と同時に右向きに進まないといけない。しばらく進むと折り返し点があって、左に進む。
さて、ここで一度まとめる。1985年くらいまでの、ゲームの「進行方向」だ。
固定画面ゲームでは、最初の登場位置は左右中央あたりが多い。(上下は中央から下が多い)
初期位置で「左右の向き」がある場合、どちらもそれなりにある。特に統一されている感じは無い。
それ以外の場所から出現することもあるが、左下や左上など、左側が多い感じ。そこから右に進む。
右端登場のマッピーとか、デモだけとはいえ右から登場するディグダグなど、ナムコは右が好きな感じ。
そこから左に向かって進む。
(パックマンは中央から開始だけど、左に向かって進む)
スクロールゲームでも、特にどちら向き、と決まっている感じは無い。
まぁ、コナミがかたくなに右向きスクロールを主張している感じはするし、左右自由にスクロールできる作品の場合、初期方向は右から、が多いかも。
ただ、1985年には大事件が起こっていて、これを機に進行方向が定まってしまったのではないか、と思っている。
スーパーマリオブラザース(1985・夏・ファミコン)
言わずと知れた、世界的大ヒットゲーム。右向きに進む。
作者である任天堂の宮本さんが、パックランドを見て作った、と証言している。
と同時に、実はドンキーコング時点でスクロールゲームを作りたかったとも言っている。
当時すでにスクランブルがヒットしていたから、あんなのをやりたかったけど、基板がなかったと。
宮本さんとしては、マリオのスクロールジャンプゲームは、最初からスクランブルと同じく右に進むものだったのかもしれない。
実際には試作したものの「形にならず」、先に進まなかったのが、パックランドにヒントを得て一気に形になっていく。
パックランドでは左向きに進むステージがあるが、マリオはスクランブルのように、右へ、右へと突き進む。
ドンキーコング時点で、将来作りたい、という思いはあったので左下スタートにした、という可能性はあるかもしれない。
スパルタンX(1985・初夏・ファミコン)
業務用のファミコン移植で、結構人気が出た。
スーパーマリオより前の作品になる。左向きに進むことが違和感がある、という話は特になかったと思う。
チャレンジャー(1985・秋・ファミコン)
先にすでに書いたけど、左右どちらにもスクロールした。これに違和感を持った、という話は特に聞かない。
スカイキッド(1985・年末・業務用)。進行方向が左向きの横スクロールシューティングで、異端だとされる。
でも、発売時点でそれほど変わっているという印象を受けた覚えはない。
(個人的な感想であり、効能を確約するものではありません)
僕はシューティング苦手だったのであまり遊ばなかったのだけど、友達がスカイキッドがすごく上手だったので、良くプレイを見てた。
好きでプレイしている人もいるのだし、受け入れられなかった、ということは無いだろう。
ここまで、スーパーマリオが右に進むが、左に進むゲームもそれなりにあるし、おかしいという話にもならなかったと思う。
ところで、スーパーマリオはいきなり大ヒットになったわけではない。
夏に発売されて、徐々に人気が高まっていき、クリスマス商戦で、ファミコン本体も入手困難になるほどの大ブームを巻き起こした。
この前後にファミコンを購入して…もしくは、入手できないから MSX やセガを買ってもらい、「コレジャナイ」感を漂わせながら…はじめてテレビゲームを遊んだ、という人が非常に多い。
そうした人たちは、他に面白いゲームも探して買ったとは思うけど、すでに半年以上前の作品である、スパルタンXやバルーンファイトを買った人が多くいた、とは思えない。
むしろ、スーパーマリオを真似して出てきたゲーム…当然右に進むゲームを買ったのではないだろうか。
スクロールとは右に向かうものであり、左に進むなんて想像もできなかったに違いない。
次のブームはファミコン版のグラディウス(1986・春)だった。
これもまた、右に向かって進むゲームだ。
そして、ファミコン版のスカイキッド(1986・夏)も発売される。
当時はまだナムコのゲームは特別視されていたし、前年の業務用は、それなりにヒットしたゲームだった。
期待して買った人も多いだろう。
…おそらくは、「スカイキッドはスクロール方向がおかしい」と言われ出したのは、ここではなかったかと思う。
スーパーマリオが初めて遊んだテレビゲームで、いくつかのマリオ類似ゲームを遊び、グラディウスを遊んだ「だけ」の、経験の少ない人々にとって、期待したソフトが「逆方向に進むスクロールだった」というのは、理解できなかったに違いない。
スーパーマリオは世界中で大ヒットしたし、スカイキッドのファミコン移植に対する拒否反応は、他のメーカーも学んだろう。
これ以降、テレビゲームで横スクロールする際は、右向きに進む、というのが不文律になったのではないかと思う。
ゲームを遊ぶうえで、説明書を熟読する人は少ない。
既に知られているゲームの操作方法を踏襲する、というのは、理にかなった方法なのだ。
(これは「真似」ではない。共通認識が広まっただけのことだ)
さて、以上のことは、現状僕が思ったこと、というだけで十分な検証はなされていません。
あまり鵜呑みにしないように。
前回書いた「スーパーマリオが決定づけた」「スーパーマリオは技術的な問題だったのではないか」という説を引きずっているので、スーパーマリオ以降変わったのではないか、という観点で物を見ている。
僕は1980年初頭~中盤頃のナムコのゲームが大好きだったので、ナムコのゲームが左向きに進みやすい(パックマンや、ディグダグのデモ、マッピーなど)という点に注視しすぎて、左向きがおかしいとは思えない、と言っているだけかもしれません。
当時から左向きは異端だった、ナムコなんて弱小メーカーで誰も見向きもしなかった、という主張をする人がいたって、べつに構わないかと思います。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【azip77】 インベーダーの位置が左寄りなのは右から出現するUFOとの兼ね合いかな(インベの初期位置がドンキーコングのマリオにまで影響したという説はちょっと無理目な気もする。先ずステージ構成が先にあってそうなったと見るのが自然か (2015-04-08 12:42:33)【azip77】 スクランブルとほぼ同時期のジャンプバグも右向きでした。この2つのゲームが決定づけた感もあります。(この件、意識していたのか今一度宮本さんに聞いてみたい) (2015-04-08 12:38:11) |
最近親ばか話書いてなかったので、たまには書きます。
というか、アニメ話だな。
僕、それほどアニメ見なかったのだけど、子供が生まれてからは一緒によく見てます。
付き合いで、というのではなくて、結構楽しんでる。
高校の頃はアニメ独特のお約束にどうもなじめず、アニメは「嫌い」だったのに、こんなに自分がアニメを楽しむと思ってなかった。
#やはりお約束の多い、ミュージカルなんかは好きだったりするから、案外そういう素養があるのかもしれない。
で、レディジュエルペットの話なのです。
長女がジュエルペットに興味を持ったのは、第2シリーズ終了間際だった。
丁度CATVで第1シリーズの再放送もやっていたので、主にそちらを見つつ第2シリーズも見てた。
でも、この時点で第2シリーズの内容はよくわからなかったし、東日本震災が起きたこともあって、よくわからないテレビを無理に見るのはやめてしまった。
その後第3シリーズを見つつ、第1シリーズを見終わり、続けて CATV で始まった第2シリーズを見る。
この第2シリーズ…「ジュエルペットてぃんくる」は、、大人になってから見たアニメで、一番好きな作品かもしれない。今でも。
その後子供たちは「プリキュア」も好きになって、こちらも再放送とか探して見た。
「フレッシュ」以外のテレビシリーズは全部見てるのかな。
それぞれ面白くて、このシリーズの人気が高い理由がよくわかる。
僕の趣味としては「スイート」が気に入っていて、見終わった時点で スイートと てぃんくる の比較とか書いてる。
放送時期もかさなっていて、不思議と類似点が多いんだよね。
スイートも てぃんくる も、女児向けにしては不思議なほどにストーリーが重苦しいのよ。
(プリキュアはハートキャッチも重苦しかったり、結構そういうの好きなのかもしれないけど)
テーマも似ていて、最終的には「人間の負の感情と向き合い、共生すること」が重要になっている。
ただ、この後のジュエルペットは、どうもよくわからないのが多かった。
誰に対してお話を作っているのかわからない。大人向けにしても、女児向けにしても中途半端、という感じだった。
正直、うちの子供たちもジュエルペットは飽きてしまって、なかば惰性で見ていた。
キャラクターはまだ好きなのだけど、お話として楽しめなかったのね。
で、今日の表題、レディジュエルペット。
先日終わったばかりのアニメです。
最初は、惰性のまま見はじめて、それほど面白いと思わなかった。
レディになることを目指す…というのは聞こえがいいけど、「花嫁学校」見たいなイメージで、時代錯誤に思えた。
ただ、少女漫画的な恋愛ドラマとしては、だんだん面白くなってきた。
見てて恥ずかしくなるような、べたべたの少女漫画展開だったけど。
それが、途中から、急に変わる。
サスペンス調の推理ドラマになっていって、このころから、ぐいぐいと話に引き込む展開になっていく。
えーと、先に「花嫁学校」と書いたけど、学園ドラマではあるのね。
男女別学だけど、すぐ近くに女子校と男子校があり、交流があると思ってください。
学校の狙いは、立派な「レディ」「プリンス」を育てること。
ところが、主人公たちの同期に、1人「資格を持たないもの」が紛れ込んでいるということがわかる。
どう考えても、主人公だけがいろいろおかしな状況で入学しており、本人も知らないだけで資格を持ってないのではないかと思うのだけど…
この謎が明かされていくに従い、もっと大きな謎が展開し始める。
恋愛ドラマ部分で出来上がった人間関係が変化し始める。
ジュエルペットのうちの1匹が謎のカギとなっているのだけど、彼女自身、別の人間に騙され、操られているだけ。
その操っている人間は誰なのか…
と同時に、「レディ」と「プリンス」をなぜ育てているのか、単に紳士淑女を育てたいわけではない、という学校の意図がわかってくる。
学校のある「魔法の世界」は、魔法があるからこそ不安定な部分があり、時々魔物が現れる。
この魔物から国を守るために、強い意思と覚悟を持ち、それでいて誰からも慕われる存在が必要で、そうした人物を育てるのが学校の目的。
この人物は、どんどん排出されなくてはならない。
なぜなら、国を守るために、選ばれた「トップオブレディ」は、命をも捧げなくてはならない場合があるから。
ここら辺から、悲壮な戦争物語に変わっていく。
謎の強大な魔物の群れ。次々と命を落とす仲間たち。
絶対、女児向けアニメじゃないよねー。
うちの次女(5歳)は、怖がって途中で見るのを嫌がっていました。
だから見てなかったのだけど、4月になって次のジュエルペットはじまっちゃったから、2か月分くらい一気に見た。
主人公は、次々と倒れる「トップオブレディ」達に次いで、代理として戦わなくてはならない状況になるのだけど、戦えない。
怖いのではなくて、敵を倒すことが良いことだ、とは思えない、迷いがあるから。
最終的に、敵とは「和解」する。
敵とは人間の弱い心、邪心が固まってできた存在で、それを見てみぬふりして封印しようとしてきただけだ、と理解したから。
…ここらへん、「てぃんくる」や「スイート」に似ているのだけど、どちらかというとスイートに近い。
しかし、戦いで国はボロボロになり、多くのものが死んでいる。魔物との和解が成立しても、こうしたものは帰らない。
そこで主人公は、最後の手段を使う。
自分の存在と引き換えに願いをかなえる魔法で、死んだものを生き返らせてもらう。
主人公と愛し合い、彼女を支えるプリンスも、同じ魔法で国を元に戻してもらう。
こうして世界は平和になり、元通りになるのだけど、主人公たちは世界から消えてしまう。
…と、ここで終わりかと思ったらまだ2週分もあるのです。
最後まで書くのは野暮だから書かない。気になる人は再放送探して。
ちゃんとハッピーエンドになるのだけど、ここからの2週分、涙ボロボロの展開です。
怖がっていた次女も、最後の方は「続き見たい」と言い続け、涙ぐみながら見てました。
てぃんくる、スイートもそうなのだけど、悪人が誰一人いないんだよね。
敵も含めて、みんなそれぞれの事情があって、そこに悲劇が起きてしまう。
でも、みんなの力でその悲劇を乗り越え、ハッピーエンドに持っていける。
そういう話の展開には弱いので、いい年のおっさんが、女児向けアニメ見て涙流しながら語るわけです。
さて、気になること。
まず、一番気になるのはプリキュアとの内容かぶり。
この春から始まったプリキュア、「プリンセスを目指す」ないようなのだけど、「レディ」と設定的に似ているのが気になる。
先に書いたとおり「てぃんくる」と、その終了近くに始まった「スイート」も似てる。
プリキュアが後追いしているように見える。
これは、妻によれば「ターゲット年齢層の流行などのアンケートに基づけば、似てしまうのも仕方がないのではないか」とのこと。
子供への「将来の夢」調査で、数年前に女の子は「お嫁さん」が上位に入って話題を呼んだそうで、それをアニメにするなら「レディ」なり「プリンセス」なりを目指す内容になるのではないか、と。
うーむ、それはあるかもしれない。
てぃんくる とスイートの時は、内容的にも似ていた。今回は プリンセス が始まったばかりなので、まだわからない。
ジュエルペットの方に話を戻します。
てぃんくる は、暗いストーリーの、最も暗い終盤部分で東日本震災が起き、一気に視聴率を落としました。
あの不安状況下で暗い話を見たい人はあまりいないでしょうね。
今回のレディ、終盤輪をかけて暗いです。
しかも、魔物の表現として、黒い雲のようなものが地を這いながら襲い掛かって来る描写が頻繁にあった。
…津波を連想させます。おそらく、わざとやってるよね。
魔物によって荒廃した国も、津波に襲われた街のように感じる。
もう一つ、先に僕はストーリーに「戦争」と書いたのだけど、実際は魔物は軍隊は成していない。
同時に出現するのは常に1匹だけ。でも倒しても次々現れるし、上に書いたように魔物の元となる邪念は津波のように襲い掛かる。
主人公たちは撤退を繰り返し、最後は仮設のテント内での生活を余儀なくされる。
これがすごく戦争を思わせる。でも、主人公は戦うことを望まず、和解の道を探しつづける。
戦わないせいで仲間に犠牲者が出て、自分を責め続けても戦いを望まない。
これ、震災後の世の中…はっきり言ってしまえば、中国や韓国との衝突や、集団的自衛権のことを言ってないだろうか。
戦ってしまえば楽かもしれないけど、辛くても、犠牲を払っても、和解の道を探すべきだ、という主張ではないだろうか。
てぃんくるは、震災により最後まで見た子が減ってしまったようなのだけど、「別れの悲しみを乗り越え、前向きに生きていく」ことを訴えるラストでした。
恐らく、震災とは関係ない。最初からそういうストーリーだったのだと思う。
震災後だからこそ活きる重要なメッセージともいえるけど、まだ立ち直れない人が多く、早すぎた。
レディは、同じことを、今このタイミングでやろうとしたのではないかな、と思うのです。
その後の世界の変遷も含めて、難しいし辛い内容だけど、平和を守るために強い心が必要だという内容を伝えようとしているように思います。
幼児向けらしくない展開でしたが、幼児期だからこそ、伝えないといけないことなのかもしれません。
てぃんくる以降「誰に向けているかわからない」内容で作ってきたのは、こうしたシリアスで前向きなストーリーを作りたくても、震災から立ち直れないうちはそのメッセージを出すことに迷いがあったのではないかな。
…というのは買いかぶりすぎかもしれない?
でも、てぃんくるが好きだっただけに、同じようなテイストの話がジュエルペットでもう一度見られたのが嬉しいのです。
誰も悪人がいない、最後に笑顔になれるストーリーを、これからも作り上げてほしい。
きっとまた、小さい子供泣いちゃうけど。
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横スクロールゲームに右向きが多い理由【日記 15/04/03】
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
先日家族旅行という大イベントを執り行ったが、この週末は科学館のハシゴ。
来週も科学イベントの予定で、次女の誕生日にはピューロランドにも行かなくてはならない、と思っている。
冬の間、子供たちが「いきたーい」と言っていたことに「はいはい、暖かくなったらね」とか「誕生日にね」とか、いいかげんな空約束を繰り返すからこうなる。
春は忙しい。
11日(土)は、科学未来館へ。
去年の秋に、TVCMやっていたイベントを次女が見たがって、来ています。
…が、そのCM予告だった。その時点ではまだ始まってなかった。
じゃぁ、また今度こよう、と言ったきり、忘れてた。
3月の中ごろ「そういえば、あの約束は?」と次女に言われる。しまった! 会期は2月末までだった!
…が、大好評につき、会期延長していました。ゴールデンウィークまで。
ただ、大人気で、休日は朝早くに行って整理券を受け取り、その整理券に書かれた時間にならないと入場できない、という制限があります。
じゃぁ、ゴールデンウィークなんてもっと混むし、春休み中もダメだろう。
春休みが明けた次の休日である11日に、朝早くから出かけます。
運よく(?)この日は雨。
車で行くから雨でもそれほど問題はないし、客足は鈍ってそれほど混まないだろう。
開場前に付いたのに、すでにチケット購入待ちの行列。
すでに科学館は開いていました。お客さんが多く並んでいるし、雨だから開けたみたい。
10分ほど並んでチケット買います。
見たかった特別展、「チームラボ展」は、整理券を貰わないと入れません。が、まだ朝早かったから、配っている整理券は今すぐ入れるものでした。
#整理券が無いと入れないから…と、全部見るまで、昼ご飯も食べずにみっちり遊んだのですが、外に出たら「今日は整理券無しで入れます」に変わってました。
さて、全体内容については、ざっくりと。
最初に置いてある展示…というか部屋。
天井からのプロジェクター映像で、床には花が咲き乱れています。でも、踏んだら散る。
美しいけど…もう、20年以上前から類似作品あるよね。技術が上がって花の表現は美しくなったけど、その程度どまり。
部屋を出てずっと後のところで、技術的な詳細解説がありました。
それを知ってからもう一度見たら、もうちょっと深く楽しめたけど、これは芸術だから、解説なんてなしに感じられるかどうかが重要。
そういう意味では、この部屋に余りとどまっていた人はいないし、子供たちもすぐ飽きてた。
「世界中で大人気のメディアアート作家集団」という触れ込みの割にたいしたことないな、というのが最初の部屋を見た率直な感想。
他の作品を見た後で、きっとこれは初期の作品で、だから最初に置いてあったのだろうと思いました。
後で出てくる作品は、もっと面白いものが多数あったから。
…この作品、比較的新作だから最初に置いてあったのね (^^;;
前半は、主に「アート」としての作品が中心。それも、「和」と「デジタル」の融合に挑んだものが多い。
面白い表現もあり、興味深く拝見したのだけど、ただの映像作品。ビデオを流し続けているだけ、というのと変わらない。
奥の方に、江戸の絵師、伊藤若冲の絵画をデジタル表現したものがあった。
若冲の絵を3D化し、動かしたものを、若冲風のレンダリングで描く。ここまでなら他の作品と変わらない、ただのビデオ作品だ。
若冲の絵画の特徴に、全体に升目が設定されている、というものがあるらしい。
らしい、というのは、若冲の絵は見たことあったけど、マス目なんて意識してなかったから。
デジタル作品としては、その升目が2つの状態を持っている。
1つは、マス目の枠はあるけど、基本的に本来の絵がそのまま見える状態。本来の若冲の絵。
もう1つは、マス目の中が、代表される色に塗りつぶされてしまう状態。モザイク画になる。
この2状態が、不思議に入れかわる。基本は「升目だけ」で、ところどころ「モザイク」になる。
モザイクの場所は、生きているように広がり、消滅する。ちょうどライフゲームでもやっているような感じだが、ライフゲームとも違うアルゴリズム。
これは、鑑賞する人によって変化する様につくられている、らしい。
音とか、前を歩く人をセンシングしているとか、何をやっているのか探ろうとしたのだけど、分からなかった。
その意味では、インタラクティブ性があるのだとしても弱すぎて、やはりただのビデオ作品と変わらなくなる。
ちょっと残念なだけど、表現方法は非常に面白くて印象に残った。
後半、デジタルとアートを融合したことで生まれた「遊園地」空間。
次女が行きたがっていたのは、当然ながらこちらが目的。
入り口に、「まだ かみさまが いたるところにいたころの ものがたり」という作品があった。
長男、これがものすごく気に入った。
実は先の「アート」側にも類似作品があり、こちらがバージョンアップのようだ。
上から象形文字が落ちてくる。漢字の原型ね。
これを触ると、文字で表現されているものが現れる。
「山」を触るとそこに山が現れ、「木」を触ると木が立つ。
「火」に触れると火が現れ、「水」を触ると水が噴き出す。
アート側のものは、ここまでの表現で終わっていた。
しかし、「遊園地」はもう一歩進んでいる。
木に火が触れると燃えてしまう。でも、水を使って火を消せる。
雨でも火は消えるし、雨は木を育てることもできる。
犬に火を見せれば驚いて逃げるし、象を人…これは遊ぶ人本人が撫でてやれば、喜んで鼻を上げて鳴く。
他にも、非常に多くの「コンボ技」があって、説明表も配っていました。
会場での一番人気は、3Dで街を作る塗り絵。
配られている塗り絵…飛行機、自動車、消防車、バス、UFOなどの乗り物系と、いろいろな形のビルに、自由にクレヨンで色を塗ってもらう。
高速スキャナで読み取ると、すぐに巨大画面に現れます。
3Dで、テクスチャは適当に解釈されて、それらしく貼られている。
家はUFOが運んで来ます。
時々怪獣が現れ、古い家を壊します。動けないものの「登場」「退場」をうまく処理している。
車とか、動くものは当然、自分でやってきて、古くなると出てこなくなる。
でも、1時間程度はとどまってくれるみたい。描いてしばらくして、自分の描いたのがまだいるのを見ると嬉しい。
これ、3階にある常設展示「おやっこ広場」(入るのに整理券が必要)にも置いてありました。
画面は小さいけど、そちらには、ロボットとか飛行船とか木とか、特別展には無い塗り絵もあります。
しかも、画面がタッチパネルで、触ることでいろんな反応もします。
大画面とはまた別の面白さ。
これの「前作」にあたる、水族館を作るものも人気でした。
こちらは、魚がペラペラで3Dではないのね。動きは3D的だけど、パラッパラッパーみたいな感じ(例えが古いけど)。
さらに、会期延長してからの「新作」として、ふなっしー版もあった。
みんなでふなっしーのデザインをして、画面の中を歩き回る。シュール。
こちらは、急きょ追加したものなので会場に入りきらない。廊下に置かれていた。
会場から廊下に出ないとみられないし、廊下に大画面が置いてあるので、狭い。
ちなみに、ふなっしーだけでなく、普通の人間(男の子、女の子、髪型違いで2種類ずつ)もデザインできる。
とりあえず、あの寸胴体系、おどる埴輪にしてやった。
妻はウルトラマン作ってた。
埴輪とウルトラマンが出会って挨拶をし、一緒に「梨汁ブシャー!」ってやってる。シュール。
さて、他にもあるけど、全部は解説しない。その代り、1つだけ詳細解説。
実は、「我が家的に」一番大ヒットだったのが、「小人が住まうテーブル」。
他のものに比べて、見た目が地味で、一見して何をするのかもわかりにくい。
だから、多くの人が一瞥して、もしくは少し触って、「よくわからない」という反応で通り過ぎていく。
でもこれ、すごく良くできています。遊ばないのはもったいない。
円形のテーブルに、天井からプロジェクターで投影された「小人」達が住んでいます。
テーブルの縁が地面。中央付近に太陽があって、太陽の周囲には雲が出る。
全部、輪郭だけの線画で表現されていて、ものすごくかわいい。
一方で、線の中身が「黒い」ため、テーブルは地味に見えます。これが興味を持たれない理由。
でも、古いゲームを知っている人なら、シンプルだからこそ表現できるものがある、ということに同意してもらえると思う。
この「小人」たちは、レミングスみたいにずんずん歩き続けている。
何もなければ、平和に進み続けるのだけど、突進してくる「牛」なんかも存在する。
牛に跳ね飛ばされると、小人はすっ飛ぶ。で、どこかに着地して、また歩き始める。
「火」というのもあって、小人はコイツをジャンプで飛び越す。大きな火になると越えきれず、痛そうに目を×印にして跳ねまわったりする。
ちなみに、牛は火だって跳ね飛ばす。
雲からは雨が降っていて、雨が当たると火は消える。
地面に雨が当たると、草が生えてくることもある。草はやがて実をつけ、小人が見つけて食べたりする。
さて、面白いのはここから。
自分の手を、テーブルの縁に置く。小人はこれを障害物と認識し、火と同じように飛び越える。
段差を設けてやると、1段目に乗って、さらにジャンプして2段目に進む。
飛びきれないほどの高い段差を…テーブル端に腕を置いておくと、それは「木」だと認識されるようだ。
腕から、にょきにょきと葉っぱが生えてくる。やがて、リンゴがなったりする。
高い木は飛び越えられないので、梯子を持ってきたりする。
この梯子が、ぐにゃぐにゃしていて不思議な存在。
小人がのぼり、一番上から飛び降りたりする。木の横にうまく梯子があれば、飛び越えられることもある。
木に生えるリンゴは大きいのだけど、そのままでは小人は食べられないようだ。
手を急にどけると落っこちて、地面に落ちると小さいいくつかのリンゴに「割れる」。
小さなサイズだと小人は食べれるようで、落ちているリンゴを見つけると食べることがある。
時々、腕を置いても木とは認識されないで…「フライパン」だと思われてしまうようだ。手の上に目玉焼きやケーキが現れることもある。
#会場のテーブルの上には、おもちゃのフライパンが置いてあった。本来これの上に目玉焼きが出来るようだ。
フライパンを置くと、周囲に火が現れることもある。
雲から降る雨に手をかざしてやると傘になる。これで、小人を雨から守ることもできる。
もっとも、元々小人は雨を気にしない。
雨から守りたいのは「火」だろう。
手で少しづつ押すと、火を動かせる。火をくっつけると大きくなるし、草やリンゴ、目玉焼きなどを火にくべると、どんどん大きく育つ。
ところが、雨が当たるとすぐ消える。火を育てる遊びをする子も結構いた。
一方で、草を育ててたくさんの実をつけたい子もいる。
草から火を離したい子、近づけたい子。
思惑とは別に、牛に跳ね飛ばされた火がどこへ飛ぶかはわからない。
草をたくさん育てていると、面積が広いのだから火が飛んでくる確率も高い。そして、草が密集しているとあっという間に延焼する。
なかなか、リスクとリターンのバランスが良い。
これはゲームではないのだけど、目的を持った途端に、各々が勝手に遊ぶゲームになる。
しかも、そのゲームのバランスは絶妙で、うまくいきはじめると邪魔が入る。
空には星が1つ、出ていることがある。
…基本的には出ているのだけど、星を「使いすぎる」と、しばらく消えていることもあるようだ。
…使う? 星を?
この星に、小人がぶつかると、たくさんの「キラキラ」を放出する。
ハート、星、アスタリスク、渦巻き、ひし形…いろんな形の模様が、星から一斉に飛び出すんだ。
この世界、基本的にはテーブルの中で閉じている。円形のテーブルの縁が地面で、その外側には何もない。
だけど、この「キラキラ」だけは、テーブルからも零れ落ちて床に飛び散る。これがなかなか見ごたえがある。
でも、普通にやっていると、小人が牛にすっ飛ばされて、偶然ぶつかるときくらいしかこの現象は起きない。
…最終的には、この現象を強制的におこそう、とするゲームに発展した。
両手で小さな部屋を作り、小人が逃げ出さないようにする。
(親指が床に、その他の指が壁になるように両手を置く)
そのままずりずりと空に上げていくと、小人は星に近づいていく。
これで星にぶつければいい。
星も障害物の影響を受ける。そこで、星を囲い込んで地表に引きずりおろす、という作戦も出現した。
(何も起こらないけど、太陽や雲でもできる)
地面までくれば、小人はいくらでもいる。
ただ、地面でキラキラが発生しても、中央で発生するほどの「派手さ」は無い。
中央から一気にはじけ飛ぶ、という方が面白かった。
また、星はキラキラを出すと、同時に「はじかれて」少し違う位置に移動する。
地表だと、特に中央に戻ろうとする力が強く働くようで、苦労する割にはすぐに星に逃げられてしまう。
逆に、上空であれば同時に何人もの小人をぶつけることも可能。
きらきらが発生しすぎると、計算量が爆発的に増え、一瞬画面が「フリーズ」する。
(ゲーム専門用語でいうところの「処理落ち」)
これが楽しくて、どこまで計算負荷をかけられるか、の勝負に発展していく。
#この遊びに気付いたとき、うちの子供たちだけでなく、周囲の子供も面白がってこの遊びに参加し始めた。
ただ、動きが止まった瞬間は、小人も止まってしまう。「連続してぶつける」のには限界があった。
限界を打ち破るのは「牛も星にぶつかる」と発見した時。
牛は体が大きいので、一気に何度もあたり判定を起こしてしまうようだ。
小人よりも、キラキラの発生個数が多くなるようで、牛2頭を同時にぶつけたりすると、ものすごい処理落ちになる。
通常、処理落ちしても数フレーム…時間にして、1/10 秒程度だろう。
しかし、最大の処理落ちの際には、2秒くらい画面が止まっていた。
しまった、やりすぎてシステムを停止させてしまったか、とヒヤリとしたくらい。
#まぁ、そうなったらスタッフの人に謝って再起動してもらうだけですが。
「デジタルメディアアート」なんて言葉が出てきたのは、20年位前だったのではないかと思う。
#メディアアート、自体は映画などを含むものとして、20世紀中盤にはあった。
「デジタル」とつくのは、コンピューターを使った芸術。
この言葉、僕は「ゲーム崩れ」と同義だと思っている。
この言い方が失礼極まりないのは承知しているが、多くのデジタルメディアアートが、そうなっていると思う。
チームラボ展で言えば、前半のアート部分は、ゲームですらない、ただのビデオだった。
最先端技術を使っているが、見ているだけ。映画と変わらない。
後半の遊園地部分は、「インタラクティブ」と言いながら、そうなっていない作品が多い。
塗り絵は子供たちは楽しんだが、画面に表示された後は「自分の描いたのがそこにいる」と見ることが楽しみになってしまい、これも映画と変わらない。
「デジタルメディアアート」と呼ぶのはおこがましい、20世紀中盤からあるものの延長に過ぎない。
長男の気に入っていた「かみさまがいたころのものがたり」は、触れることで事象が起き、その事象の組み合わせでさらに別の事象が起きる、ということで非常にインタラクティブだ。
ここに来てやっと、「デジタル」であることの意味が出始める。
ただ、しばらくやっていると飽きる。事象を起こしたいのだが、上から象形文字が降ってくるのを待つしかなく、組み合わせは運でしかないからだ。
ゲームになり切れないゲーム。僕がそう呼ぶのは、こうした作品だ。
「小人の住まうテーブル」は、見事なゲームだった。
ただ、これがゲームであることは、ほとんどの人が気づいていない。何を目指したものなのかも理解されていない。
多くの人は、自分の手を「障害物として使う」という操作方法を理解できず、表示されいるオブジェクトを「スワイプ」して動かそうとしていた。
ゲームとして見た際には、説明書を熟読しないと遊べない、失敗作の部類だろう。
でも、僕はこのゲームを高く評価する。今までにない新天地を切り拓いたからだ。
先駆者は理解されず、多くの人が素通りするのも仕方がないことだ。
#似たようなゲームが20年ほど前にあった気もするが、あれも理解されなかった。
一方で、アートとして見た際には、「ゲーム」と捉えられてしまうのは不本意なんでしょうなぁ、やっぱ。
アートと言うのは見たこともないようなものを提示するのが本領なわけで、ゲームという既存の枠組みに組み込まれるようじゃダメなのだと思う。
アートである以上ゲームにならない「ゲーム崩れ」だというのは、宿命でもあるのだと思う。
でもね、好奇心を刺激してくれるものが良いアートだ、とも僕は思っている。
ルールがよく出来ていると、ついつい遊び始めてしまうわけで、結果としてゲームとして成立するのもまた、アートとして出来のよい証拠、のハズ。
ここら辺、僕自身がアート製作者ではないので、アートの人たちがどう思っているかはわかりません。
ゲームになるようじゃアートじゃないのか、アートだからこそゲームになるべきなのか。
アートがどういうものであるかはさておき、この「小人」、子供たちが非常に楽しかったようで、同じようなものを Scratch で作りたい、と言っています。
インスパイアされて真似したくなっちゃうって、最高の褒め言葉だと思う。
この翌日も外出したので忙しくまだ作りはじめてないのだけど、長男と長女は一緒に「Scratch で作れそうな程度の」、サブセットルールを考案した様子。
作る前から「途中であきらめるかも」って弱気なのだけど、元作品がよく出来ていることがわかっているからこそ、とてもそこまで作れないだろうと思っちゃってるのね。
あれは、アート作成としてはプロの作品だ。あそこまで作れなくても、やってみることに意義がある。
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別年同日の日記
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12日(日)、2度目の理科ハウス。
前回日記に書いたときには気づいてなかったのだけど、その2~3日後に気付いた。
「理科ハウス」の英語表記の LiCa HOUSe 、元素記号なのね。
Li リチウム Ca カルシウム H 水素 O 酸素 U ウラン Se セレン。
LiCa って表記で、「小さな科学館」をリカちゃんハウスのように小さい、というのとかけているのかと思ってたよ。
#それもあるのだ、と思っている。今度行くときあったら聞いてみよう。
さて、未来科学館に行った翌日、妻が用事があって外出。
以前に理科ハウスに行ったときと同じ場所に行ったのですが、じゃぁ車で送るよ、と言って子供たちは前回と同じように理科ハウスへ。
…考えてみたら、前回は雨だったから車で送ったのでした。今回は晴れ。
しかも、春の行楽シーズンで、渋滞にハマりました。自転車でも行ける範囲だったから、自転車で行った方が妻としては早かった (^^;
それはさておき、理科ハウスは月に一度くらい展示内容を変えます。
前回からしばらくたつので、違う内容で楽しめました。
半分くらいは前回のものが残してあった感じかな。
瓶に水が入っていて、順番に叩くと曲になっている展示で、前回と曲は変えてあったけど基本的には同じ、とかね。
前回あらかた見ているのだけど、今回の目玉(?)は、タイガー計算機を発見したこと。
多分、前回もあったのに気付かなかっただけ。
触ってよいか尋ねると、構わないとのこと。
壊れることが無いほど頑丈なのは知っているけど、壊したら修理できない貴重品です。自由に触れることに感謝。
以前から疑問に思っていて、試してみたかった「引き放し法による割り算」を試します。
…あー、思っていた以上に簡単。タイガー計算機のページの記述、後日改めます。
#ページ記述「原理」的にはあっているのですが、タイガー計算機上での操作が思ったより楽でした。
昔の計算機は歯車で計算させてたんだよ、という話は、子供たちにしたことありました。
長男も一緒に、興味津々で見ています。
その後、僕が使い方を教えながら、まずは簡単な足し算、複数桁×1桁の掛け算、そして複数桁同士の掛け算など試します。
割り算も試したけど、こちらは長男にはまだ理解できない様子。
#引き放し法を使うと、原理を理解してないので納得できない。
引き放し法を使わないと、操作が煩雑すぎて覚えられない。
タイガー計算機は、計算する値として10桁の数を設定できます。結果は20桁まで記憶できます。
でも、内部的には13桁までしか繰り上げを行ってくれない、と気づいたのも今回の大きな収穫。
10桁を足しこんだ結果、13桁までは繰り上がってくれる、というのは実用上は十分でしょうね。
ちなみに、結果記憶が20桁まであるのは、桁をずらすことで大きな数の計算を行うからです。
#タイガー計算機で足し算・引き算も出来るけど、主に掛け算に使う機械です。
掛け算の筆算で桁をずらして計算し、後で足すように、桁を「ずらす」ための機構がついています。
13桁までしか演算しない、ということの影響は、引き放し法で割り算をやった時にも影響します。
余りの頭の方にゴミが残って、090909000000004 とかの表示になったりする。
(余りが4の場合)
理科ハウスの館長さん、以前に1回行っただけなのに覚えていてくれました。
それで、少しお話ししました。
子供が理科好きみたいだけど、他の科学館とかも良く行くんですか? と聞かれ、丁度昨日未来科学館行きました、とか、本棚に並んでいる本で、これとこれは家にあります、とか…
もちろん、理科ハウスの本棚はすごく充実していて、うちにあるのはそのほんの一部。
でも、専門家が選ぶような「良書」と、うちで選んだ本も一緒だと、ちょっと安心するのです。
本と言えば、古い蔵書の一部を「ご自由にお持ちください」で置いてありました。
子供向けの科学写真絵本1冊と、大人向けの本2冊貰って来ました。
帰り際に、サイエンスカフェなんかもやっているので、良かったらそういう時にも来てみてね、と言われました。
実は、妻が理科ハウス近所で「用事」があったのは3度目。1度目は、サイエンスカフェの日で予約が必要だったため、理科ハウスに行けなかったのでした。
いつも妻の用事の日に理科ハウスに行っているので、妻も「話聞いていると、楽しそうで行きたいのに行けない」と言っています。
子供もお母さんと行きたいらしい。そのうちまた行かなくては。
それこそ、サイエンスカフェの日を狙って予約してみようかな。
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今日は、シャープのポケコン、PC-E500 が発売された日(1988)。
想いは全てPC-E500のページに書いてあるので、そちらを読んでください。
そちらにもありますが、事実上「最後のポケコン」だったと今でも思います。
だって、いまとなっては同じサイズで十分な「小型パソコン」が作れてしまうもの。
ポケコン、なんていう特別ジャンルを用意する必要はない。
持ち歩けて、BASIC が使える、というのをポケコンの定義だとすれば、いまなら Nintendo3DS のプチコンとか、ポケコンの後を継ぐものなのでしょうけど、あれだって十分「パソコン」としての性能を持っている。
小さいだけで単体では完結してないけど、IchigoJamだって BASIC を使う持ち歩ける機械。でも、ポケコンではないと思う。
なんでしょうね…ポケコン自体定義があるわけでもないので、どれが後継か、と考えること自体が無意味な気がします。
スマホだってコンピューターだしね。
みんなが「ポケコン」の後継を持つようになったともいえる。
でも、PC-E500 のワクワク感って、それとは違ったと思うんだよね。
これは、当時を知る者にしかわからない、ただのノスタルジーなのだけど。
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少し日があきましたが、ぎーちさんとの話の続き。
これは、何かの話題の時に僕が口走ったのだと思います。
「ゲームをやると頭が悪くなる」という人がいるが、そんなことは無い、と。
これ、ややこしい話になるの判っていたから、対談の際は深く突っ込まなかった。
根拠を示さず、ゲームをやると頭が良くなってしまう、と言っただけ。
先に、「頭が良い」を定義しておきましょう。
頭が良い、という言葉は、大抵は2つの意味で使われます。
まず、知識を多く持っていること。
学校の成績も、主に知識量を競うものですから、成績が良い人が「頭が良い」と言われるのは、知識量が多いという意味です。
もう一つ、問題解決力があるということ。
知識は、持っているだけでは役立ちません。知識を組み合わせ、現実的な問題に対処する必要がある。
問題を解決する力がある人は、「頭が良い」と言われます。
この二つ、別々のものだけど無縁ではありません。
問題に対処する、まさにそのものの知識があれば、瞬時に問題解決できるでしょう。
知識量が多ければ対処できる局面も増えます。知識量で問題解決力をカバーできます。
でも、世の中すべてのことを知っている、なんてできない。
どこかで問題解決力に頼らないといけなくなる。
一方で、知識がなくても、高い問題解決能力があればカバーできることがあります。
まぁ、最低限の知識は必要。あとは、そこからの類推でカバー。
類推は、その類推が間違っている可能性もありますから、元の知識からあまり離れた部分はカバーできません。
やっぱり、知識は持っていないと。
この二つ、無縁ではないけど別物。二つの「頭の良さ」です。
ところで、学校では、主に知識を教えます。成績も、知識をどれだけ覚えられたかで付けられます。
問題解決能力は「評価しにくい」頭の良さです。
評価しないわけではありませんが、成績を付けるうえでの比率としては、低めにならざるを得ません。
そして、成績にあまり関係ないので、教えないわけではないのですが、やはり比率は低いです。
もう一つの理由として、問題解決方法というのは教えにくい、というのもあります。
教えてもらったものは、やはり知識であって、解決能力にならない。
自分で練習して、体得する以外に問題解決能力を身に付ける方法はありません。
つまり、学校でいう「頭が良い」は、知識に偏ったものになりがちです。
問題解決能力が高い人は、頭が良いとはされないことがあります。
しかし、本来大切なのは「問題を解決すること」であって、その前提となる知識を学校で教えるのです。
それを、学校で良い成績を取ること、が目的になってしまうと本末転倒。
学校では知識を教え、問題解決能力は実地で各自身に付けてもらう。
…これが、本来の教育の在り方でした。
実地で?
子供たちが遊んでいれば、さまざまなトラブルに出会います。
それらの問題は、自分たちで解決するしかない。小さな、簡単な問題から解決することを繰り返し、時々手におえない問題に遭遇する。
子供のうちなら、手に負えない問題は周囲の大人に頼るのもいいでしょう。
目の前で解決する様を見れば、解決方法を知識として覚えられます。いつか自分で使う時が来ます。
学校では知識を学び、学校の外ではその知識の使い方を体得する。
だから、昔から「良く学び、良く遊べ」と言います。
遊ぶのは、元気で健康な体を作れ、というような意味ではないですよ。
学校ではできない勉強を、学校の外でやりなさい、という意味。
遊びで使う「問題解決」には、必ずしも学校の勉強は役立たないかもしれません。
でも、問題解決能力と知識は別の能力で、自由に組み合わせを変えることができます。
今度問題が発生した時には、学校で教わった知識が役に立つかもしれません。
問題解決能力を養っておけば、知識が増えれば応用範囲が広がるのです。
ここが大事なところです。
問題解決の経験は、解決能力となって、他の知識とも組み合わせ可能となります。
役に立たないような小さな問題解決を繰り返すことが「頭の良さ」に繋がっていきます。
上に書いた、子供たちが遭遇するトラブル…は、現代的には未然に摘み取られる傾向にあります。
子供を危険から守るために、危険な個所には入らせない。
それは正しいです。
取り返しがつかない事態が起こるほど危険なところには、子供を行かせない。
危険が無さそうなところでも、致命的になりそうなものを見つけて撤去しておく。
ここまでは良いのです。これは、トラブルを摘み取っているのではなく、致命的なトラブルを避けているだけ。
十分に安全な環境になったら、子供を思い切り遊ばせて、小さいけど無数のトラブルに遭遇させなくてはなりません。
しかし、それを容認できない大人が多い。危険そうだと思ったら、声をかけて止めさせてしまう。
子供同士がけんかを始めると仲裁に入ってしまう。
結果として、問題解決能力は育めません。
実は、自分が成長する機会が失われている、というのは子供は敏感に感じ取っています。
こういう状態を「つまらない」と感じているのです。
さて、ここで話をゲームに戻しましょう。
ゲームというのは、小さな箱庭です。その中のルールは単純で、現実よりも理解しやすいです。
しかし、そこですら何かが起きて「問題解決」しないといけないようになっています。
伸び伸びと遊ぶことが禁じられた子供は、そういうゲームの中で、擬似的に問題解決を試み、問題解決能力をはぐくもうとします。
子供は、問題解決能力が重要であることを、本能的に悟っています。
だから、知識を総動員して問題に対処し、解決した時に「楽しい」と感じます。
ゲームをやっていて、難しかったけど面クリアした。これは非常に楽しい経験です。
単純化されたわかりやすいルールの中での経験ですが、分かりやすいからこそ、子供でも問題解決への糸口がわかりやすいようになっています。
ゲームは、小さな問題解決の連続です。
もちろん、現実に応用するためには、問題のルールを徐々に複雑化していく必要があるでしょう。
でも、それは子供のだってわかっている。簡単なゲームばかりでは飽きてしまい、徐々に難しいゲームを求めるようになります。
より複雑な問題を解決できるか、試してみたいのです。
でも、周囲の大人が言うのです。「ゲームばかりしていると馬鹿になる」と。
本当は、頭の良さ…問題解決能力を育んでいるのに。
酷い場合は、大人がゲームを禁止します。
それが頭を良くする機会を奪っている、ということに、頭の悪い大人は気が付きません。
すべてのゲームが頭を良くしてくれるわけではありません。
テレビゲームの場合、「問題」には2種類あるためです。
一つは、反射神経を高めなくてはならないアクション性。
これは、神経回路を生成することで対処します。
ソフト処理(考える)より、ハード処理(神経回路の生成)の方が速い、ということ。
テトリスを繰り返しやっていると、考えるより先に落とすべき位置がわかるようになる。
神経回路が生成されたので、四角いものが下に並んでいると「ブロックが並んでいる」と思ってしまいます。
ビル群を見て、上からL字ブロックが落ちてきたらここにハマる、とか思ってしまう。
これは…問題解決能力は出来上がっているのですが、あまりにも応用が利かない局所解に陥っている。
全然関係ない場合にまで問題解決を適用しようとして、むしろ頭が悪くなっている。
もう一つは、とにかく冷静に考えなくてはならない、推理性。
パズル、とは似て非なる物かな。上にテトリスをアクションの例として挙げたけど、あれはパズルゲームと言われる。
でも、実際には推理性などはあまりない。目の前のものに対処するだけ。
もっと、自分の行動がどういう影響を周囲に及ぼすか考えなくてはならないのが、推理性ですね。
純粋なパズルゲームにはもちろん推理性を駆使したものが多いのですが、敵の出現パターンを覚えないといけないアクションゲームなんかもこちらの範疇です。
十分な知識を元に、それをどう組み合わせれば目的が達成できるのか、組み合わせ方を考える必要があります。
これは、問題解決能力を養います。
「ゲームが頭を良くする」と考えられるのは、主に後者のタイプです。
前者が絶対にダメだ、というわけではないですよ。ゲームなんて、楽しめればそれでいい。好きなゲームをやればいい。
でも、頭を良くする、という目標があるなら、後者の方が効率が良い。
そして、遊び方も重要です。
時間を区切って、目標を定めて遊ぶこと。
ゲーム時間は1時間、とか先に設定してしまう。その中で達成できそうな目標を決めて、その目標達成のための事前計画を立てる。
事前計画と言っても、複雑な話ではなくて、どうやれば良さそうか頭の中で考えてみるのね。
それからプレイ開始。
目標達成できても出来なくても、1時間たったら終了。
終わった後は、プレイ中に気付いたことなどのメモを取っておくといいでしょう。
目標達成を阻んだ予定外のことなどがあれば、それは次回へ向けた重要なヒントになります。
実際のゲーム時間の前後に、事前計画の時間と、問題整理の時間がセットになっています。
まぁ、全部合わせても2時間程度。
なぜこうするかというと、考えることが重要だから。
プレイ時間が決まっていて、その中でやるべき目標が決まっていたら、その中で最大効率を上げなくてはならない。
動きながら考える、というのは案外難しいので、事前計画を立て、それに従って行動をとるのです。
自分で決めた目標をどう達成するかというのは、「ゲーム外のルール」です。
目標によってルールが毎回変わるので、同じゲームを遊んでいるのに、毎回違う問題を解いていることになる。
もちろん、ゲーム内でやることは、ゲーム内のルールに縛られます。制約の中で効率を上げる方法を考えないといけない。
これ、問題解決方法を考える訓練としては、悪くありません。ゲームをやっていると頭が良くなる。
2時間程度で遊ぶ時間は終わるので、学校の勉強もちゃんとやりましょう。
こちらも、時間を決め、事前計画と実際の勉強時間、問題整理をセットにして、望むといいです。
だらだら勉強しても、脳が疲れて記憶できなくなる。効率悪いだけで頭良くならないよ。
問題解決能力は重要だけど、それも前提となる知識が無いと意味がない。
ゲーム内の知識だけでなく、世の中の知識もちゃんと学んでおきましょう。
ゲームをやっていたから頭が悪い、なんて、周囲の大人に言わせないためにも。
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さて、ぎーちさんとの対談の内容はほぼ全部書いた…と思う。
最後に「世の中はゲームか」を書きたいと思います。
対談でそんな話は出なかったのだけど、ぎーちさんのWEBページには「人生はテレビゲーム」って書いてあるんだよね。
多少言葉は違うけど僕も同感なの。世の中ゲームだ、と思ってる。
僕は「テレビゲーム」ではなくて「ゲーム」なのだけど、大体おんなじ意味じゃないかな。
最初に書いておけば、「世の中は○○」って、ちゃんと自分の考え方のベースを持っている人なら、誰でも一家言持っているのではないかな。
映画好きな人なら、世の中は全部映画で学んだ、というかもしれない。
生物好きなら、人の行動を全て利己的な遺伝子のせいにするかもしれない。
自分が深く学んだことは、その人の考え方のベースとなります。
そして、その人が世の中を見るとき、全てそのベースを通してみることになる。
だから、世の中は○○、ということになる。
…と、断ったうえでもう一度。僕は世の中は全部ゲームだと思っています。
数学の一分野に、ゲーム理論があります。
元々は、チェスなどのゲームで勝つための方法を考察する学問でした。
でも、チェスっていうのは例えに過ぎないのね。
ゲーム理論では、勝ち負けがあれば、全部ゲームと見做します。
そして、勝ち負けを決めるのは、プレイヤー自身。
つまり、あなたが「ゲームだ」と感じるものは、すべてゲーム理論で扱えます。
恐らく一般的にゲームではなく、僕がゲームだと感じるものの例を挙げましょう。
スーパーのレジに並ぶ時。
混んでいて、どのレジにも列ができている。少しでも早く進みそうな列を見極めて並ぶ。
本当に速く順番が来れば勝ち。
洗濯ものを干すとき。
洗濯ハンガーの限られた容量の中で、洗濯物を全て干したい。
でも、密集させると風通しが悪くて乾かない。傾かないようにバランスもとりたいし、パンツは外から見えないようにしたい。
うまく干せて、夕方までに乾けば勝ち。
料理を作るとき。
最短時間で、数品の料理を作りたい。できればほぼ同時に完成し、暖かい状態で食卓に出せるように。
調理手順を考えて、2口のコンロと電子レンジを使い、いろいろと同時進行。
30分ですべてを作り終え、暖かい状態でご飯に出来れば勝ち。
なんでもいいんですよ。
こんなものでも、数学的に戦略を考察することができる。ゲーム理論というのはそうした学問です。
実際、経済学なんかではゲーム理論は活用されています。
みんなが「自分の利益を最大にしたい」と考えていると仮定して、企業活動などを行っていると考える。
その際、ゲーム理論に従って行動の説明がつくし、今後の他社の動きの予測も立てられる。
もう、ありとあらゆるものがゲーム理論で扱えます。
工学の一分野に、シミュレーションがあります。
大規模すぎて実験ができないものなどを対象に、規模を小さくして実験をする手法です。
規模を小さくしたものを「シミュレーションモデル」と呼びます。
単に実物を小さくした模型のこともありますし、コンピューターでシミュレーションするためのルールの場合もあります。
このモデルのつくり方次第で、シミュレーションの価値は大きく変わります。
適切に作られたモデルは、実験が容易で、結果も現実に近いです。
実験が容易なので、条件を変えながらくりかえし実験ができます。
それを元に、現実を予測できます。
単純すぎるモデルは、結果が現実と乖離することがあります。
現実に即したモデルを作ると、複雑すぎて実験が難しくなり、十分な回数の繰り返しができなくなります。
シミュレーションモデルを作るのは、非常に難しいのです。
適切なモデルを作り出すのは、勘と経験がものを言う、職人芸の世界です。
先に、ゲーム理論でなんでも扱える、と書きました。
ただし、条件が一つあり、ゲームを数学的にとらえ、数値で表現できるようにしなくてはなりません。
つまり、現実を単純化し、扱いやすい規模に小さくするのです。
これは、シミュレーションに他なりません。ゲーム理論とは、シミュレーションの上に成り立つ理論なのです。
ゲーム…ゲーム理論でいうところの勝敗のあるもの、ではなく、テレビゲームやボードゲーム、カードゲームなど、遊戯としてとらえられているゲームは、このように「現実世界をシミュレートしたもの」と考えることができます。
将棋は、局地における戦闘をシミュレーションしたものでした。
囲碁は、陣地を包囲し、補給路を断つことで相手の投降を促す、大域での戦略をシミュレーションしたものです。
ゲームとしてのルールを面白くするうちに、何のシミュレーションだかわからなくなったようなものもあります。
最初からゲームとして考えられ、現実を直接反映していないものもあります。
それでも、勝敗がある以上、競争のある社会を何らかの形でシミュレーションしたものなのです。
このシミュレートがうまくいっていれば…ここが重要なところですが、すべてのゲームが、ではなく、うまくシミュレートしたゲームが、ですが…ゲームは、世の中の縮図となります。
もっとも、一つのゲームで世の中すべての縮図、とはいかないよ。
一つのゲームは、世の中を一つの軸で切り取ってみた時の縮図、に過ぎない。
でも、「あ、これあのゲームと同じだ」と気づくことが世の中でいくつもあれば、それはやっぱりゲームが縮図だったことになるし、あらかじめゲームで体験していたことになる。
これは、映画や小説で他の人の人生を追体験したり、あり得ない遠い宇宙の物語を感じることができるのと同じことです。
その体験で感じたことは、必ずその人の人生の糧となる。
良い映画や小説がもたらしてくれるのと同じ感動が、良いゲームにだってちゃんとある。
…良い、と限定したけど、そうでないゲームだって大切ですよ。
だって、世の中そんなに良い面ばかりではないもの。悪い面も、ダメな面も、くだらない面もある。
ゲームにも、良い面も、悪い面も、ダメな面も、くだらない面もあっていい。
それでこそ、世の中の縮図と言えるのです。
世の中、ゲームだと思います。
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本当に雑多に話していたから、それを整理しながら、さらに話している時にはまとまっていなかった自分の話をまとめながら書いていたら、長くなってしまいました。
特に、今日公開した分は2つとも長い。
前回の公開からも日が空きましたが、最後のまとめ的なテーマに取り組んでいたら、全然話がまとまらなくて…
公開した文章の10倍くらい書いて、片っ端から没にしました。
今日書いたテーマは自分の思いがいろいろろつまっていて、教育論とか、数学理論とか、数学やゲームの歴史とか、いろんなものを書いては「いや、その話関係ない」って、没にし続けたの。
それをやる間に、自分で本当に書きたいことがわかってきて、やっとまとまった。それでもちょっと長いけど。
最初から通しで読みたい人向けに、日記をまとめて読むためのリンクです。
日記システムの都合で、前後半に別れてしまい申し訳ない。
綺麗に一本に見せる URL を発行できると良かったのだけどね。
本当は、会社員時代にゲームを作っていたときの裏話とかもしていて、実はぎーちさんにはそれが一番ウケていたのだけど、これはまだ書きません。
20年たつまで書かない、と自分でルールを決めたから、時期が来るまでゆっくり待ちます。
ぎーちさんとの話、と書きながら、それをきっかけに考えたこと、普段書かないことを好きなように書かせてもらいました。
なんかね、自分がゲームに対して持っている想いって、恥ずかしくて普段書けないんです。
想いを告白するなんて、誰だって恥ずかしいもんでしょ?
ぎーちさんとの対談は、面白いものでした。
僕もゲームが好きでいろいろな想いを持っていたけど、別の人の想いを聴いて、それを元に自分の考えを深めることができた。
さらに、それを文章にまとめようとしたら、人に説明するためにもっと深く考えなくてはならなくなった。
今回の出会いをくださった、ぎーちさんに感謝します。
お互い子供がいるので時間制約があり、多分夜に会うのは難しいのですが…
いつか、酒でも飲みながらゆっくり想いを語り合えたら面白そうだな、と思っています。
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今日はエドガー・コッドの命日。
データベースの研究者です。恥ずかしながら、僕も今回の記事を書く際に初めて知りました。
「リレーショナルデータベース」というアイディアを最初に出した人です。
以前に、別のデータベース研究者の方の誕生日で、データベースの話を少し書いています。
なので、詳細はそちらを読んでいただくことにして、データベースの概念をざっくりと説明。
データベースというと特殊なものと思われがちですが、データを蓄積してあればデータベースです。
テキストファイルで書き溜めたものでもいいし、ノートにまとめたものだってかまわない。
もう少しデータベースらしく考えるには、必要なデータを速やかに取り出せる必要があります。
ノートに順次書いたデータベースは、おそらくデータを探すのが大変なはず。
しかし、同じように本に書かれたものでも、辞書は簡単に目的の「データ」を探し出せます。
コンピューター以前に、パンチカードの時代がありました。
これは、元々国勢調査などの目的のために考案されたものです。
1928年に IBM が考案したカードは、1枚のカードに、0~9の数字を80個記録できます。
たとえば、国勢調査であれば、一人の人間に対して、選択項目が 10 個までの質問を、80個できることになります。
一人分のデータがカード1枚の「データ」となり、カードを集めてデータベースを作れるのです。
カード集計機を使えば、データによってカードを並び変えることも、抽出することも、集計することも出来ました。
データを自在に操れるのです。これは、データベースの革命と言えました。
コンピューター時代にもパンチカードは使われ続け、1960年代に入り、同等の動作をコンピューターで行おうという動きが広がります。
IBM も含め、大手コンピューター企業が、コンピューターを使用したデータベースを競うように作成します。
しかし、この「データベース」は、パンチカードを動かすという「物理動作」を無くして高速化した、という程度で、概念としてはパンチカードと変わっていませんでした。
そこに、本日の紹介人物、エドガー・コッドが現れます。
彼は、1948年に IBM に入社し、在職のまま大学に入って研究を行なっています。
#日本では大学は「社会人の前に勉強するところ」ですが、アメリカでは、いつでも勉強をしたい人が通う場所です。
社会人になり、仕事で必要だから入る、会社が金を出して入れさせる、ということも珍しくはありません。
そして 1969年、IBM の研究所で、全く新しいアイディアに基づくデータベースの論文を発表します。
それが「リレーショナルデータベース」でした。
パンチカード1枚には、80桁の数字を記録できました。
これをもう少し汎用的に考え、「1行のテキストに、複数のデータ列がある」と考えます。
パンチカードの束がデータベースであるならば、複数行のテキストもデータベースです。
ここまでは言い方を変えただけで、特に複雑なことはありません。
表計算ソフト…たとえばエクセルに沢山データを蓄えて「データベース」としている人もいると思います。同じことです。
たとえば、お店の商品台帳をデータベース化したとします。
商品が無くなったら、メーカーに連絡を入れて追加発注しなくてはなりません。
住所と電話番号も、商品ごとに記載しておくべきでしょうか?
それは、あまりにも手間が多いです。
ここはメーカー台帳を別に用意するべきでしょう。
商品台帳とメーカー台帳を別々に作ります。
商品を元にメーカー名を調べ、メーカー名を元にメーカー台帳を調べれば連絡先がわかります。
ここまでは、パンチカード形式でも問題なく実現できます。
ある時、メーカーが社名変更したとします。メーカー台帳のメーカー名を書き変えます。
しかし、これは「商品のメーカー名を元に、メーカー台帳を調べる」という流れを壊してしまいます。
商品台帳の方のメーカー名も、同じように書き変えなくてはなりません。
データが何万件あるかわかりませんが…まぁ、今のコンピューターなら一瞬でしょう。
でも、もっといい方法があります。
メーカー名も、メーカー台帳の方にだけ書いておき、商品の方のメーカーには「メーカー台帳のメーカー番号」だけを書き込むのです。
メーカー名で調べる代わりに、メーカー番号で調べる。
この番号は、メーカー台帳の中で一意に決まっていれば、どんなものでも問題ありません。
これで解決?
いや、これでは、今度は別の問題が起こります。
商品台帳を見て、商品を作っているメーカー名を知りたいだけで、いちいちメーカー台帳を調べなくてはならないのです。
これは手間が増えてしまいます。
説明が長くなりましたが、このくらいまで「データベースを使いこなす」ようになって、やっとリレーショナルデータベース(以下 RDB )の優位性が出てきます。
RDB では、データベースの表(ここでは、商品台帳とメーカー台帳)の間の関係性を記述することで、データを適切に扱えるようになります。
データとしては、上に書いたように商品台帳とメーカー台帳が別々に保存されています。
しかし、商品台帳のメーカー番号欄は、メーカー台帳のメーカー番号と一致している、と教えてやるだけで、商品名とそのメーカー名を同時に取り出せるようになるのです。
データベースなのですから、それまでの「パンチカード」式のシステムで出来たことは、当然全てできます。
これが、複数の表にまたがっていても検索可能なのです。
たとえば、商品がアンパンなのだけど、作っているメーカーが神奈川県にある物だけを全て抽出、なんてことができます。
RDB でなければ、アンパンを全て探し出してメーカー番号を調べ、メーカー番号からメーカーの所在を調べ、神奈川のものだけを抽出…という手順が必要となります。
#もちろん、RDB の内部ではそのような手順を使っています。
しかし、RDB が面倒な部分を請け負うことで、RDB 利用のアプリケーションは簡単に作れるようになるのです。
さて、コッドがこのシステムを論文として発表した時、IBM はパンチカードを元としたデータベースを作成・販売していました。
せっかく開発したこの「商品」を否定するような論文に、IBM は反発します。
しかし、コッドの論文は世界に広まってしまいました。
他社も論文を元としたシステムの開発を開始し、IBM も開発に着手せざるを得なくなります。
そこで、IBM は SyetemR と呼ばれる、RDB 開発プロジェクトを開始します。
ただし、このプロジェクトにコッドは招聘されませんでした。
あくまでも IBM が自主的に開始したプロジェクトであり、社内の1研究員に過ぎないコッドの意見を聞いたわけではないのです。
SystemR では SEQUEL という言語が開発され、これが後の SQL になります。
IBM が最初の SQL データベースを発表し、他社も後を追うように SQL を使用するデータベースを発表していきます。
SQL はコッドが考えた言語ではなく、SystemR の成果でした。
すぐに「SQL を利用していれば RDB である」という誤解が広まり、それまで作られていた、パンチカードを模倣したようなデータベースを SQL 対応にしたような製品も出てきます。
コッドはこれに反発します。内部的にパンチカード同様のシステムはもちろん、IBM の製品すらも、コッドが当初考えていた「理想のデータベース」には程遠いものでした。
コッドはこれらのデータベースを批判し、RDB を規定する「コッドの12の規則」を発表します。
しかし、それは彼が勤めている IBM を批判することでもありました。
彼は会社に居づらくなり、独立してコンサルティング会社を設立します。
その後、コッドは OLAP という、新たな概念のデータベースを提唱しています。
これは現在、実際に広く利用されています。
RDB は、複数の表を利用していたため、メモリの節約などのメリットがある一方で、速度的には不利でした。
OLAP では、データ内のどんな要素についての集計・分類などでも、高速に答えを出すように考えられています。
たとえば、日本全国にチェーン店を持つお店が、毎日のように全ての売り上げデータをデータとして蓄積しているとしましょう。
これは、非常に大きなデータですが、OLAP ではこの集計を瞬時に行えます。
関東地方に住む30代の女性によく売れているお菓子の銘柄ベスト5…とか、条件を与えれば瞬時に集計してくれるのです。
こうしたシステムがあることが前提で、人間が想像もしていなかった項目からデータの相関性を自動的に見つけ出す「データマイニング」や、非常に多数のデータを扱う「ビッグデータ」などの、現在でも続く流行が生まれてくることになります。
コッドは、データベースの世界に2度の革命を起こしたのです。
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19日の日曜日、独立行政法人海上技術安全研究所の一般公開を見てきました。
なんだか堅そうな名前だけど、非常に面白かった。
以前に、タモリ倶楽部で紹介していて、その時から興味を持っていました。
…と書くより、この4月からの NHK 「0655」の朝の歌「素晴らしき哉 世界」の「深の界」だと言った方が通りが良いのでしょう。
実際、うちでも 0655 を見た子供たちが「すごい! いったい何が起きてるのか!」と興奮するので、タモリ倶楽部で見た知識で解説してあげたのです。
そしたら、「見てみたい」と。
あー、あぁいう施設は、年に1度くらい公開しているけど、その時しか見られないんだよ、と説明。
一般公開って秋が多い印象だから、その頃まで待てば見られるかもね…と。
そしたら、妻が何やらスマホで調べて「19日に一般公開するらしいよ」と。年に一度がすぐでした。
というわけで、海上技術安全研究所に行ってきたわけです。
基本的に、小さな研究所です。同じ敷地内に「交通安全環境研究所」と「電子航法研究所」があります。
それぞれ、海、陸、空の安全を研究している施設です。同じ敷地内、というのも納得。
ちなみに、一般公開日では敷地が隣接している JAXA も同時開催で、4研究所を廻るスタンプラリーが開催されていました。
以下、面白かったと思うものを順不同で紹介。
▼深海水槽
上に書いた造波装置です。造波装置、というのは波を起こす装置で、他の水槽にも付けられていますが、深海水槽は 128台もの造波装置を使い、自由な形の波を起こすことができます。
1時間ごとに、15分ほどの実演を行う…となっていたのですが、0655人気でものすごい人が来ました。
初回を見に行ったのですが、30分前にも関わらずとても入れず、「後で見に来よう」となりました。
…が、初回前にもう一度通りがかったら、なんか方法が変更されている。
10分ごとに、7分程度の実演に変更されていました。これで見ることができました。
波を起こす機能ばかりが注目されてしまっていますが、本来深海掘削パイプなどに波が及ぼす影響を調べるための施設。
直径は 15m 程度ですが、深さは 35m もあるそうです。
#うちの子は JAMSTEC には良く行くので、深海掘削パイプなどの話は普通に受け入れます。
▼海洋構造物試験水槽
実は最初に見たのがこれ。むしろ、こちらの方が「造波装置」としては王道。
大きな水槽に、波を起こす装置があります。船などを浮かべ、波の影響を調べます。
海底ガス田開発で、船を浮かべて海底掘削パイプからガスを吸い上げ、LNGとして貯蔵する、ということは現実に計画されているのだそうです。
そこで、その「基地船」に、「LNG 輸送船」が横付けしている状態を想定。各船の中には液体である LNG が入っている状態で、波が来るとどうなるか…という実験をしてくれました。
…何も起きません。一番安定して、何も起きない波を起こしたのだそうです。
なぜ、一番何も起きないのを選ぶ。
ビデオで、過去に実験した「一番激しい状態」の説明などもしてくれました。
意義はわかるのだけど、多少波で揺れたりするところ見たかったな。
#横付けしている状態を想定した配置だったこともあって、揺れたりすると模型がぶつかって破損する可能性もあるのだとは思います。
でも、それならもっと「模型は壊さない」程度で「激しく揺れる」状況だって想定できるだろうに。
▼熱力学展示
各種歯車機構が触れる状態で置いてあって、子供や僕に大人気。
2ピストン、4ピストンのエンジンの模型とか、スターリングエンジン、ロータリーエンジンもあります。
回転軸の延長上に、逆方向に回転する軸を配置する機構とか、歯車Aが1回転するごとに、歯車Bが1/4づつ回転する機構とか…
触れるモデルだけでなく、実際に動くものもありました。スターリングエンジンは、普通温めて動かすものですが、「温度差さえあれば動く」ことを示すためドライアイスで動かしていました。
ロータリーエンジンは、外部から空気圧を入れることで回転。
他に、水素燃料電池とか、太陽光で発電してモーターを回して、そのモーターの回転で発電機を回して電球を付けるとか、無意味だけど装置として興味深かった。
▼船の危機回避シミュレータ
大きな円筒形スクリーンの中で、油圧で動く「操舵室」があります。
本当は操舵室が波に合わせてゆらゆらするようなのですが、この日はお客さんがたくさん入るので、一切動かしません。
スクリーンにはリアルタイムのCGで、東京湾の風景が映っています。
すごく波が高い。時々船の甲板に波がかぶります。
子供たちが「波が入ってきた。バグってる」というのですが、聞いてみたら実際その程度の波高に設定しているのだそうです。
ただし、東京湾でそんなに波が高くなることは、通常はないとのこと。
クルージング(?)の最中、ほんの数分で天候は目まぐるしく変わり、昼間から夕方、夜へ。そして昼間の濃霧へ。
夜景では船の明かりが波に反射し、非常に質が高いCGでした。
▼チタンプレート作成
チタンのプレートを、目の前で電圧をかけて色を付けてくれます。
ちゃんと理解してないけど、
1) チタンは酸化しやすい。常に酸化被膜でおおわれることで、それ以上錆びにくい。
2) しかし、化学薬品処理して電気を通すことで、酸素が強く供給され、通常以上に厚い酸化被膜を作れる。
3) 表面の酸化被膜の上で反射した光と、奥で反射した光が干渉し、色を生じる。
4) 電圧によって酸化被膜の厚さを調整でき、色を変えられる。
ということのようです。
話は知っていたのだけど、目の前で作るのを見るのは始めて。想像以上に美しい色が出るし、みるみる色が変わっていくのが美しいです。
ちなみに、着色したのではないので非常に強い。とはいえ、ひっかけば表面の酸化膜が落ちるので、色落ちはします。
実は、一般公開終了の時間ぎりぎりに駈け込みました。
妻も子供もみたがっていたのだけど、「後で」と思っていたら、時間いっぱいになってしまったの。
駆け込んだら、すでに終わって片付け中でした。
でも、わざわざ走ってきてくれたのだから、と、急遽うちのためだけに実験をやってくれました。
ありがとうございました。
#本当は、プレートにあらかじめシールなどを張ることで、その部分だけ「着色しない」ことができ、模様を作れます。
本来、そうした体験をしてオリジナルアクセサリーを作れる、というコーナーでした。
この時は、時間もなかったために着色実験のみ。でも、美しい色で子供は喜んでいました。
つづいて、交通安全研。
▼燃料電池自動車
トヨタの「MIRAI」を展示していました。
そして、その奥で子供が燃料電池の模型自動車を作って学べるようになっていました。
模型自動車を作るには整理券が必要。問い合わせると、丁度今から始まる回の人数がまだ空いている、と入れてもらえます。
この体験「小学生以上」だったのですが、そうとは知らずに保育園年長の次女も体験しました (^^;;
最初に燃料電池の仕組みをまなび、燃料電池で LED が点灯することを確認します。
つづいて、その燃料電池を模型自動車に搭載。
模型自動車にはスイッチがあり、OFF だと電球が点灯します。
これで通電を確認し、ON にすると走ります。
燃料電池にはビニールパイプがついていて、そこに水素を入れてもらえば発電できます。
LED や電球をつけているだけなら長く発電するのですが、車を走らせるとあっという間に電池切れ。
「物を動かす」には、非常に大きな力が必要なのです。
何度も水素を補給してもらいながら遊んでいました。
この子供向け講座、子供は模型に夢中で聞いちゃいなかったのだけど、最後にいいこと言っていた。
「水素自動車は排気ガスを出さない。でも、水素を作り出すのにエネルギーが必要で、CO2 も排出する。
実は何も問題は解決していない、と知っておいてほしい」と。
▼鉄道用台車試験設備
鉄道が「どうやって曲がるか」をわかりやすく解説していました。
鉄道って、左右の車輪が繋がっているし、カーブでは内輪差が生じるはずだし、どうなっているのだろう、というのは前から疑問だったんだよね。
わずかだけど車輪が円錐になっていて、カーブでは外と中で車輪のサイズが変わるようになっているのだそうです。
すごく単純だけど、合理的な考え方。
実際に、いろいろな形に作った車軸を模型のレールの上を動かして、何が起こるか見られるようになっていました。
▼バス運転手の制服体験
京王バスが、制服を着てバスの運転席に座れる体験会を実施していました。
長男、昔バス好きだった。今更…かとおもったら「やりたい」と言い出す。
次女もやる、と。長女は興味なし。
もうすぐ6歳だけど体の小さい次女は、一番小さい制服でも大きめ。
制服制帽でバスの大きなハンドルを握っているのは、親ばかだけど可愛かった。
電子航法研。
▼音声診断システム
画面に表示された文章を読むと、疲労度や緊張度を診断してくれる、というシステム。
パイロットやドライバーが、自分でも意識できてない疲労などを診断して、事前に危険な運転を避けるためのシステムなのだそうです。
「カオス理論を応用」ということで詳細を聴いてみたのだけど、よくわからなかった (^^;;
自分なりに判断すると、そこでカオス理論としているものは、「フラクタル」と類似の概念のようでした。
音声パラメータを周波数変換し、周波数空間での再帰性を評価することで「カオス」な度合いを検出する。
最終的には、周波数・声の大きさ・時間軸…などとあわせ、5次元のデータが得られるそうです。
この「カオス」が何を意味するかは、「わかってない」と明言していました。
ただ、多数の人の声を調査した結果、判って無いなりに疲労度との相関性はわかっている。
そこで、5次元パラメータと疲労度との相関性を総当たりで調べ(つまりは機械学習させ)、関連性を示す式を求める。
この機械では、その式を利用して疲労度を出すのだそうです。
処理量は、音声を FFT して周波数に注目するだけ、というようなシステムに比べると、4桁くらい多いそうですが、その分評価の正確性が上がるようです。
▼電波を光ファイバで送る
電波を光ファイバで、というのはどういうことかと思ったら、当然のことながら「電波を光に変えて送る」でした。
ただ、たとえばラジオの内容を一度音声にもどして、サンプリングして圧縮…みたいなことではない。
電波の強弱をそのまま光の強弱に変更し、光ファイバで伝送後に電波に戻すのだそうです。
光ファイバだって減衰はするから、普通はデジタル化して伝送するのですが、それを克服してアナログで送れるようにしたというのがすごいところらしい。
▼ GNU Radio を使ったソフトウェア受信機
GNU Radio ってものを知りませんでした。
電波をそのまま受信して、ソフトウェアで同調するのね。そういう方式なので、同時に複数のチャンネルの電波を捉えられる。
デモでは、航空機の現在地情報と音声通話を同時にとらえて、リアルタイムの航空機の位置情報を表示しつつ、その通話を流していました。
どうでもいいけど、羽田に入ってくる飛行機が見た目で列になっていて、空も渋滞しているのだなと実感。
JAXA。
ここだけ敷地が離れていますが、研究施設としては1個なので、隣の3施設ほどの「バラエティ」感はありませんでした。
やっていることは、ずっとすごいはずなのにね。
▼スーパーコンピューター展示
富士通による「宙」の概要と、実際に動いているマシンルームの見学(窓から見るだけ)ができました。
富士通だから SPARC CPUです。SPARC 64。
元々 SPARCを開発した SUN が無くなったけど、ちゃんとまだ続いているのね。
1CPU で 32コアで、1000以上の CPU ノードが使われている。
1ノードは 128GB の RAM を持っていて、他ノードへの転送能力は 128GB/s 。全メモリを1秒で送れちゃう。
ハードディスクは 5ペタバイトで、テープアーカイバは 20ペタバイト。
詳しく知りたい人は、宙のページ
宙では、数値計算シミュレーションをやっているそうですが、開発当初から「結果をわかりやすく手に取れる」ことを重視したそうです。
そのため、3D表示能力がすごい。裸眼3D表示ディスプレイとか置いてありました。
3Dプリンタで出力した演算結果、なんてのも多数あって…お土産に、各種 JAXA ロケットの 3D モデルストラップを配布してました。
1人1個、ということなのでいろんな種類を家族分貰ってきて…子供が「ロケット打ち上げごっこ」して遊んでます。
▼宇宙デブリの研究
デブリを見つけるためのシステムとか、デブリを地球に落として燃やすための方法とかを紹介していました。
デブリに限らず、コンピューターで空を監視し続けて、複数の画像の「差分」から飛行物を検出するシステムは以前からあるのだけど…もうソフトじゃ遅い、ということで、FPGA 化しているなんて話が出てました。
デブリを落とすには、ワイヤーをぶら下げるだけで十分、という話。
地磁気の中に「電線」が移動するので、電気を生じてエネルギーが落ち、やがて地球に落ちるとか。
#発生した電気はプラズマとして放出。
電気と磁石と力の関係を、いろんな装置で確かめられるようになっていました。
丁度、長男が電磁石とかに興味を持っていたので、楽しく学んでました。
4施設分の敷地はとにかく広くて、歩き回るのが大変。
でも、4施設あるので非常にバラエティに富んでいて、楽しめました。
本当はもっとたくさんの展示があったし、もっとたくさん見たかった。
でも、これで時間いっぱい。開始から終了まで、ずっといたのに時間が足りない。
また来年行きたい、と子供たちは言ってますが、うちから結構遠いんだよね…
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デイビッド・パターソン 誕生日(1947)【日記 15/11/16】
別年同日の日記
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今日は NCSA Mosaic の発表日(1993)。
以前に、ティム・バーナーズ・リーの誕生日で WEB の生まれたいきさつを書き、FireFox の初公開日に少し NCSA Mosaic の歴史も触れています。
ところで、発表日は諸説あります。公式には今日ではない、とも書いておきます。
NCSA Mosaic が作られたのは、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(The University of Illinois at Urbana–Champaign : 略称 UIUC)にある、米国立スーパーコンピューター研究所(National Center for Supercomputing Applications : 略称 NCSA)です。
この、UIUC の NCSA に、Mosaic の歴史が書かれたページがあります。
これだと、0.1a が 1993 年6月に作られたことになっている。
0.5a が 9月16日で、0.6b が最初に公開されたベータ版。9月28日です。
最初の公式版であるバージョン1は、11月11日となっています。
この公式情報、NCSA の初期開発者であったマーク・アンドリーセンがいなくなってからずっと後にまとめられたものです。
だから、記述の信憑性が非常に低い。
でも、公式情報です。英語の Wikipedia などは、これに従っている。
ところで、Mosaic が登場する以前は、WEB なんて当然普及していません。
その頃は、情報を共有したければ NetNews を使いました。
NetNews は、分散管理されるネットワーク。
だから、そのメッセージは多数のサーバに残っている可能性があります。
偽造しにくい、という意味でもあり、こちらの方が信憑性は高い。
NetNews に、WEB 開発者であるティム・バーナーズ・リーが投稿したメッセージが残っています。
1993年の1月29日に投稿されたものですが、マーク・アンドリーセンが 1月23日に送信した「Mosaic公開」のメッセージを再送したものになっています。
ティムは「エキサイティングな新しいブラウザが現れた」と書いているので、これが初めての公開だったのでしょう。
マークも、0.5としたこのバージョンを「アルファ/ベータ版」としています。
アルファかベータかも決めかねる状態ですから、最初のリリースなのでしょう。
もちろん、正式公開ではありません。
その後、4月21日に、バージョン1の公開メッセージを送っています。これが正式公開です。
これらのメッセージは証拠性として十分だと思います。
そのため、公式には11月が正式公開ということですが、僕としては4月21日、と考えます。
ただ、WIRED で4月22日公開とした記事が公開されており、こちらの説も広まっているようです。
WIRED では情報ソースにリンクされていますが、こちらは個人の書いた記事。そして、根拠は示されていません。
日本の Wikipedia では、 4月22日が Mosaic バージョン1の公開日とされています。
ここから話は変わります。
Mosaic の「負の遺産」について。
#当初は、こちらの話が中心の予定だった。
日本語 Wikipedia を信じて 4月22日に原稿を用意していたら、本当の公開日が怪しいとわかって、上に追記した調査を行ったため。
私見に過ぎませんが、マーク・アンドリーセンは NeXT 用のブラウザを Mosaic に改造した際に、HTML の「理念」を理解していなかったのではないかな、と思っています。
HTML は、どんな環境でも読めるし、後のバージョンアップなどで知らないタグがあっても問題なく処理できる、ということを理念に設計されています。
でも、アンドリーセンが付け加えた IMG タグは、実装方法が良くないのね。
今でも HTML を扱ううえで面倒なことになっている。
たとえば、IMG タグでは、タグの中に「画像が表示できなかった時の代替テキスト」を書きます。
<img src="~" alt="代替テキスト">
という書き方。
これ、IMG タグが「理解できない」ブラウザでは、画像も出ないし代替テキストも出ない。
本当は、次のようにすれば良かった。
<img src="~">代替テキスト</img>
IMG タグが理解できないなら、IMG タグは無視されます。つまり画像は表示されません。
でも、テキストが表示されます。
IMG タグが理解できるなら、もちろん画像が表示されます。
この時「IMG で囲まれたテキストは無視されます」というルールにしておけばよい。
IMG タグは理解できるけど、画像が理解できずに表示できない、という時は、やっぱり代替テキスト表示で。
マーク・アンドリーセンは、とにかく「あったほうが便利」と思われる機能を、どんどん追加しました。
これは悪いことではありません。実際、それまでの WEB は今から見るとあまりも単純で、ただのテキストファイルと大してかわりません。
マークが魅力的な機能をたくさん追加したから、WEB はブームとなって現在があるのです。
でも、その機能追加が、将来のことなんてあまりにも考えていない、場当たり的なものでした。
Netscape として作りはじめてからは、多少は HTML を真剣に考え、「知らないタグは読み飛ばす」ルールが使われるようになっています。
たとえば、NOSCRIPT タグは、SCRIPT タグと対になるものです。
SCRIPT タグは、Javascript などを HTML 内に書くためのものね。
万が一 SCRIPT を知らないブラウザでも変な表示にならないように、HTML のコメントの形式で内部にプログラムを書く。
一方、NOSCRIPT タグは、正しく理解するブラウザは、その内部に書かれたものを全て無視します。
つまり、Javascript などを実行できない環境でのみ、内部が解釈されるようになります。
SCRIPT と NOSCRIPT が対になっていることで、Javascript 対応ブラウザでも非対応ブラウザでも問題なく表示が行えるのです。
同じように、FRAMESET に対して NOFRAMES タグがあるなど、Netscape が拡張したタグの多くは、HTML の理念に従っています。
ただ、NCSA Mosaic として拡張された IMG と、Netscape の初期に実装された TABLE や UL/OL などは、今でもその奇妙な仕様から、CSS での「特別扱い」を余儀なくされています。
多分、これは未来永劫変わることが無いでしょう。
これらのタグは非常に良く使われていて、仕様変更は大きな混乱を伴います。
しかし、非常に良く使われるからこそ、それらが「特別扱い」で、他のタグと同じように扱えないことが、HTML/CSS を書く者にとって非常に大きな枷となっているように思います。
これらは、Mosaic の負の遺産だと思います。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
Twitter で、こんな話題を見かけた。
そういえば「最初に"?"をPRINTの省略形として実装した」のってどのへんだろうか… https://t.co/L51W2m9Tr1
— 後藤 浩昭 / GORRY (@gorry5) April 23, 2015
元は、Nintendo 3DS の「プチコン」というプログラム言語で、PRINT の代わりに ? が使える、という話題から。
これ、1980年代の BASIC ユーザーなら半ば常識でした。
BASIC を知らない人のために書いておけば、PRINT は「画面に数値や文字を表示する」という命令。
もっとも基本的な命令で、一番最初に覚えるものでしょう。
この PRINT 命令は、 ? と略記することができました。
BASIC は、? を 内部的な中間コードでは PRINT と同じものとして記憶します。
プログラムリストを見ると、中間コードを人間向けの命令に直して表示するため、? と入れたのに、PRINT に変換されて表示されます。
他にも、LOCATE を LOC. で表現出来たりした BASIC もあります。
でも、大抵は先頭何文字かと . の組み合わせで認識する。? で PRINT になる、というのはかなりの特別扱い。
一体、最初にやったのはどのマシンか…という話。
この後みんなで話をしていて、PC-8001 にはある、MZ-80にもすでにある、等と判っている。
Apple II は Woz の BASIC にはなく、Microsoft BASIC だとあったそうです。
マイクロソフトの方言かな?
MZ は MS 系ではない独自 BASIC でしたが、十分に BASIC が普及した後に作られたために、便利な機能は真似していたのかもしれません。
ビル・ゲイツは、Altair 8800 用に BASIC を作って売り込んでいます。
この時にはまだ、「マイクロソフト」はありませんでした。
(マイクロソフトは、この BASIC を他のパソコン会社向けに売り込むために作った会社)
そのAltair 8800 BASIC のリファレンスマニュアル(1975)があります。
重要なのは、41~42ページにある「SPECIAL CHARACTERS」という章。
この最後に、 ? があり、このように説明されています。
Question marks are equivalant to PRINT.
For instance, ? 2+2 is equivalant to PRINT 2+2.
Question marks can also be used in indirect statements.
10 ? X, when listed will be typed as 10 PRINT X.
意訳:
? は PRINT と一緒だから、? 2+2 ってかいたら PRINT 2+2 になるよ。
プログラム中でも、 10 ? X って書いたら 10 PRINT X になるよ。
すでに、非常に洗練された形で実装されています。
Altair BASIC を作るのに際して急に思いついて入れた、という感じではなく、設計当初から盛り込んであったような感じ。
ビルゲイツは、DEC の PDP-10 でコンピューターを学んでいます。
この PDP-10 には DEC が作った BASIC がありました。
この PDP-10 BASIC マニュアルを読んでみます。
… PRINT を ? で代用する、という方法は用意されていません。
Question mark に関しては「INPUT 命令を実行すると、設定した表示文の後ろに ? が表示されて入力待ちとなる」という説明程度です。
もっとさかのぼって、BASIC の元祖である Dartmouth BASIC を調べます。
BASIC はダートマス大学で学生にプログラムを教えるために作られた言語でした。
最初はパンチカードを使ったコンパイラ言語でしたが、テレタイプ端末の普及にあわせて「入力したプログラムがすぐに動き、命令ごとの直接実行も可能な、対話型の言語」になっていきます。
つまりは、良く知られている BASIC の原型はここで作られています。
ここにも、PRINT を ? で代用する、という方法は記述されていません。
もっとも、見つけられたマニュアルは、第2版と第4版のものだけです。
最初の BASIC だけあって、版を重ねるごとにどんどん機能が改良されていますから、Altair BASIC よりも前の第6版(1971)までに ? が実装されていた可能性が否定されるものではありません。
Altair BASIC が作られるより前の…1975年ごろまでの BASIC を手当たり次第に調べてみました。
でも、成果なし。手当たり次第なので見落としも多いと思いますが。
たとえば、PDP-11 には複数の BASIC があったことがわかりました。
PDP-10 の BASIC と互換のものと、グラフィックが描けるものと、文法を拡充したものと、オンラインで複数ユーザーが使えるものと…
すべて DEC 製。需要に応じて少しづつ方向性が違うものが必要だったのでしょう。
PDP-11 だけでこうなのですから、もっと多数の BASIC があったはずです。
実は、ビル・ゲイツ自身も、中学の時に PDP-10 用の BASIC を自作してみていたようです。
80年代の子供なら、テレビゲームを見て「自分でも真似してみる」ところなんでしょうけど、当時としては BASIC 自体が「真似してみたくなる」対象。
その経験があるから、作ってもいない Altair 8800 用の BASIC を「動いている」なんて電話で言ってしまってから、商売になりそうだとわかって移植開始している。
内部構造はわかっているから、時間さえあれば作れる自信があったのですね。
さて、そんな状態ですから、どこかに ? が PRINT になる BASIC があったかもしれません。
PRINT は基本命令だから良く使ったし、計算式を入れれば答えを教えてくれる、という意味で、? を使うのは非常に適切。
もちろん、その機能を持つ BASIC を作ったのが、中学生のゲイツだった可能性だってあります。
もう一つ、便利機能として用意されていたとしても、マニュアルに載っていない、という可能性だってあります。
PRINT と ? が同じだけど、? って入れてプログラム作ると全部 PRINT に置き換わる、って説明すると混乱するだけ。
気付いた人だけが使える機能、とかで入れてあってもおかしくない。
ここは、マニュアルを調べて調査しているだけではわからない。
ここら辺は憶測の域を出ません。
個人が趣味で「真似してみた」程度のプログラムは、ほとんど失われてしまったでしょうから。
今のところは、Altair 8800 BASIC で、いきなり洗練された形で登場したのが最初、というのが調査結果です。
余談:
PDP-11 の BASIC の中に BASIC-PLUS というのがありました。
この中に「statement modifier」という機能がありました。
print などの命令(statement)を先に書いて、後にその命令を実行するかどうか、「条件」を示す記述方法。
X=A IF X<A
とか書けるのですね。
…perl じゃん。
perl の文法見た時に、後ろに条件が書ける、というのがスマートでかっこいいと思ったのですが、PDP-11 の BASIC から取り入れた機能だったのかもしれません。
ちなみに、こんなこともできます。
X(I)=0 FOR I=0 TO 10
これで、配列変数 X の 0~10 を 0 で初期化できます。
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BASIC言語 初稼働日(1964)【日記 15/05/01】
別年同日の日記
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2年ぶり、もう4度目になるのかな。ピューロランドに行ってきました。
話は3月上旬に遡る。
次女がお気に入りの「ジュエルペットのルビーの髪ゴム」を保育園にしていったのだけど、園を出てお散歩中に落としてしまったという。
何とも運が悪いことに、この日は初めていく、園から非常に遠い公園まで行っていた。途中のどこに落としたかわからない。
一応次女と一緒に同じコースを辿り、探しては見たのだけど、範囲が広すぎて「くまなく探す」ことは出来なかった。
見つからなくて泣きそうな次女に、「次のお休みに、サンリオのお店に買いに行こうか」となだめる。
一応既に次女にはお小遣いをあげていて、この髪ゴムは自分のお金を溜めて買ったもの。
次女にとっては「高価だった」ものだけど、300円程度だ。買ってあげてもいい。
髪ゴムを買ったのは近所のサンリオショップ。近所と言っても車で30分くらいかかる。
そこに行くつもりでいたら、次女の中では「ピューロランドに行く」ことになっていた。
それは、急にはいけない。準備もしてないし、行くなら誕生日前後が良い。
(ピューロランドは、誕生日の方がいろいろ楽しめる仕掛けがある)
「髪ゴムを買うのを待ってもよいからピューロランドに行きたい」という希望だったので、しばらく待たせる代わりに誕生日にピューロランドに行く約束となった。
2年前に行ったときは、リニューアル工事中でした。
リニューアルしてからは始めて行ったことになるので、もう2年も経つのに、何が変わったかレポートしときましょう。
ピューロランドは、基本的に「劇場の集合体」なのだけど、遊園地らしいアトラクションが4つ、増えました。
▼マイメロード・ドライブ
毎年やっているサンリオキャラクター大賞で、2010年ごろから急にマイメロディが存在感を示しています。
(2005年にテレビアニメを放映した影響もあるでしょうね)
これに対応したのか、マイメロディのアトラクションが2つありました。
1つ目が、この「マイメロード・ドライブ」。
クロミちゃん(マイメロの友達で、素直になれなくて意地悪ばかりする女の子)が開発した自動車で、マイメロの世界を旅します。
この自動車、進行方向と座席の向きが独立しています。そのため、景色を楽しみたくてもぶんぶん振り回されることに。
そして、いろんな方向を向きながら、用意されたカメラで合計6回、写真を撮ってくれます。
この写真は、希望すれば6枚のうち3枚を選んで、1枚の紙に印刷してくれる。
全部欲しければ2枚買ってね…ということか。
このシステムがよく出来ていて、顔認識して自分の写っている写真を呼び出してくれます。
だから、すぐに写真を買わないでも、他のアトラクションを楽しんでから買う、ということが可能。
▼マイメロディ in 赤ずきん
マイメロディアトラクションの2つめ。
「お財布」を持って、ゲームをやってお金を溜めて、おばあちゃんへのお見舞いの品物を買って、おばあちゃんの家へ。
ゲームって、全部テレビゲームです。
6種類ですが、そのうち3つだけ遊べます。ゲーム選びも重要。
・鍵さがし
Kinect利用の、体を動かすゲーム。
キャンディをぶちまけてしまって、先に進むのに必要なカギが見当たらなくなりました。
手でキャンディをかき分けて、制限時間内に鍵を見つけ出します。
鍵は10個以上あるのだけど、10個取ると時間制限前でも終了。
最高10ポイント。
(手の届く範囲が限られる、小さい子供には難しい)
・目覚ましアラーム
森の中で疲れて寝てしまったマイメロを起こします。
リズムゲーム。5つのボタンがあって、タイミングを合わせて押す。
…リズムゲーム苦手なんでやってません。ポップンミュージック風? 詳細不明。
・靴選び
マイメロが進もうとする先にいばらの道が!
いばらの上を通れる靴を選びます。
3回靴の絵が出てきて、同じものを選ぶとポイントがもらえます。最高10ポイント。
(2問目までは子供でも簡単。3問目は細かな間違い探しなので注意力が必要)
・家づくり
オオカミにも負けないレンガの家を作ります。
でも、レンガには、いろんな形の穴が開いている。強くするために、正しい形をはめないといけません。
…落ち物パズル。形を 90度単位で回して、同じ形のところに左右レバーで動かします。
10個落ちてくるので、最高10ポイント。
・水中案内
マイメロが池の中に落としてしまったカゴを、カエルが潜って探します。
1ボタンゲーム。連打するとカエルは水中にもぐり、ほっとくと上に浮かびます。
水中を泳ぐ魚などにぶつかるとポイントが減り、長時間ぶつからないと時々ポイントが入ります。
カゴを取ってもポイントアップ(1個しかない)
魚などの動きが予測不能で、覚えゲーの模様です。でも、1度しかないから覚えようがありません。
かなり難しい。でも、10ポイント以上入る可能性もありそう。
・リンゴ集め
Kinect使用。
体を動かして、上から落ちてくるリンゴを集めます。毒りんごを取ってしまうとポイントが減ります。
近くに関係ない人が通ると、誤認識されて勝手に動くことがあり、納得いかないです。
あと、「タイムアップ」になった後もあたり判定がありました。
タイムアップになったので気を抜いたら、毒りんごにあたって減点された。これも納得いかない…
でも、10ポイント以上得られます。鍵さがし同様、手の届く範囲が狭い子供には難しい。
この後、集めたポイントで買い物をします。
おばあちゃんが「何を好きか」は、途中でヒントを貰えるので、買い物にそれを混ぜること。
最後にみんなで記念撮影するのですが、フレームは「おばあちゃんからのお礼」ということになっています。
そのため、おばあちゃんに喜んでもらえると良いフレーム画像になります。4種類あるみたい。
「お財布」は、非接触 IC カードになっていて、撮影した写真もカードと紐づきます。
なので、最後にカウンターに IC カードを持っていくと、写真を買うことができます。
…買うのね。マイメロードドライブも「後で買いに来る」ことができましたが、ここでも、頼めば保留できます。
IC カードを置いといてくれるのね。
▼レディキティハウス
以前もキティの家はあったのですが、リニューアルしました。
以前の家は、小さいけれどキティちゃんらしい、かわいらしい家でした。
でも、今度は豪邸。キティの先祖が女王様から褒美としていただいた、という設定のお屋敷です。
キティも、キティちゃんではなく「レディキティ」。貴婦人です。挨拶は「ごきげんよう」。
以前の家の話を書いてもすでに参考にはならないともいますが、以前の家は遊びごころ満載でした。
いろんなところに隠された「遊びごころ」があり、隅々まで楽しみたくて滞在時間が長くなる。
しかも、家は小さく作られていたので、入場待ちの列がすごかった。
今度のお屋敷は、その反省から作られているようです。
中にはいろいろな展示があるのだけど、通り一遍眺めたら「先に進もう」と思わせる内容。
…はっきりいえば、それほど面白くはない。
多分、上に書いた理由で狙ってのことなのだけど、以前のものを知っていると残念。
最後に、レディキティと一緒に記念撮影ができます。
…これも、以前は自分のカメラで撮れたのだけど、「レディキティの取材中だった」雑誌記者が、いいカメラで撮ってくれます。
つまり、その写真は有料販売なのね。
ここでも、写真の受け取り番号は、レシートとして印刷されます。
後で取りに来るのも自由。
他のものと合わせ、全部楽しんだ後で「お気に入りの一枚」だけを買う、というのも良いかと思います。
▼キキ&ララ トゥインクリングツアー
実は、キャラクター大賞ではキキ&ララも常に上位入賞の常連組。
常に2位とか3位なんだけどね。
なので、キキ&ララのアトラクションも用意されていました。
でも、あまり人気ない模様。個人的には結構よかったのだけど。
これ見るまで忘れてたのだけど、妹が子供の頃に、キキとララの小さなドールハウスおもちゃを持っていたのね。
もう、それを実物大にした内容。キキとララを知っている人には楽しめますし、そうでない人には全く面白くないと思う。
キキとララはどこにもいないのだけど、二人の生活している部屋の痕跡を見るだけで楽しい。
かわいい椅子が二脚ならんで、テーブルの上にコップが二つおいてある。これだけで、キキとララの生活を覗いた気になる。
…覗くと言えば、広い部屋のどこかに、小さな穴があって、そこを覗くとキキとララに会えます。
痕跡があるだけじゃなくて、ちゃんといるのね。
最後に、Kinect 利用のゲームが。
星を集めると、雲の動物になります。多分 32匹集めるとコンプリート。
集めたのが何匹でも、集めた動物と一緒に記念撮影できます。
…記念撮影? と嫌な予感がしても、ここだけ違いました。
撮影後は QR コードが表示されて、無料で携帯にダウンロードできる。
kinect のカメラで撮っただけの荒い画質の画像だから、売るものではないのでしょうね。
以上、新設アトラクションは4つありました。
アトラクションほど大きな改装ではないけど、細かな改良が多数ありました。
これがまた、感心する。お金をかけないで効果をあげる、っていうのはこういうことだと思います。
以前からあった「ボートライド」。香りの演出が加わっています。
出発地点で、シナモンたちがシナモンロールを焼いています。ここ、かすかにシナモンの香りがする。
途中、ポムポムプリンがプリンを作っているところでは、バニラエッセンスを入れたカスタードの香り。
ボートライドではないのですが、以前からディスプレイで、楽しそうな「パン屋さん」や「アイスクリーム屋さん」を表現しているところがありました。
ここでも、イーストの香りやカラメルの香りなど、かすかな香りを感じる。
香りがかすかである、というのが上手です。やりすぎないから効果が高い。
多分、「なんかお腹空いたなー」と感じる人がいれば、お昼前でも食事を食べに行きます。
それでレストランの混雑が分散されれば、その点でも満足度が上がる。うまい方法です。
そのレストラン。フードコートが改装され、メニューも一新されてました。
以前書いたけど、フードコートは一番「夢の国らしくない」と感じた場所でした。
そこがちゃんと、夢の国になっていた。
ラーメンを頼んでも、海苔にキャラクターの絵が印刷されています。
(これ、カルシウムの白い粉で印刷する技術ね。技術開発後の応用第1号が、ナムコの「鉄拳」の広告だったのを、当時の新聞で読みました)
カレーを頼んでも、黒カレーを使ってクロミちゃんの顔を作ってあったりする。
お皿は回転効率を考えてか紙皿なのだけど、全部食べると「全部食べてくれてありがとう」とキャラクターたちがほめてくれる。
ただ、レストランがリニューアルして、お弁当を持ってくるのが禁止になりました。
以前はお弁当の持ち込み可だったのね。
これには、「食中毒を発生しないように」という保健所指導もあると思うので、商売優先というだけではないと思いますが。
そして、レストランの料金が高い。
クロミちゃんのカレーはちょっと量が少なめで、1200円します。
普通のカツカレー(といっても、ごはんがハート型によそってある)の方が安くて、それでも千円。
多分普通の醤油ラーメンが一番コストパフォーマンスが良くて、それでも850円。
以前は、1階にあるフードコートは「安いレストラン」で、3階にあるレストランは「高いレストラン」だったように思います。
でも、今確認したら値段設定が逆転した様子。
リニューアルしたフードコートは凝った料理が多いけど高く、3階のレストランは安い料理もある。
(ものによっては高い)
これは、下調べが足りなかった。
でも、クロミちゃんのカレーとか子供には受けていたし、良しとしよう。
以前は、誕生日の子だけがカード台紙をもらえ、そこにシールを貼ってもらうことができました。
でも、今は「記念日」であれば、カード台紙を貰えます。
ただ、やっぱり誕生日は特別なものとして区別されている。
今回、長女の誕生日当日でした。台紙に誕生日の日付を書くようになっているから、みんな「今日が誕生日」としると、丁寧におめでとうと言ってくれる。
(レディキティですら…彼女はしゃべらないのだけど、身振りで…今日が誕生日、というのをお祝いしてくれた)
このカード、最初に入場口すぐ横のインフォメーションカウンターでもらいます。
長女・次女が誕生日であることを示すと、係の人が長男にも「記念日カード」をくれました。
でも、長男は恥ずかしがってやろうとしない。
だから僕が集めました。このシール集め、結構楽しい。来るたびに長女・次女が熱中してシールを欲しがっている気持が良く分かった。
好きなシールのリクエストを出すと、キャストの方も答えてくれます。
そこで、古いキャラを頼んでみました。一番のヒットは、「はんぎょどん」かな。こんなキャラまで、ちゃんとシールが用意してある。
ちなみに、はんぎょどんを指定した時、キャストの方が「嬉しい!貰ってくれますか!」と言いました。
誰も頼まないし、見せても知らないことが多いので、マイナーキャラを欲しいと言われると嬉しいのだそうです。
調子に乗って別のキャストの方に「ぽこぽん日記」を頼んでみました。
そのシールは無いそうです。残念。
変化したショーの内容など。
▼レディジュエルペットミュージカル
以前来た時は「ジュエルペットきらデコミュージカル」でした。
TVシリーズが変わって、昨年から「レディジュエルペットミュージカル」になってます。
きらデコのミュージカルの内容は以前に書いたのだけど、誰に向けているのかわからない内容でした。
芸能界で頑張るアイドルを描こうとして、フラッシュダンスのような愛憎劇になってしまってもいたのね。子供向けでない。
レディジュエルペットミュージカルは…なんというのだろう、好ましい安っぽさ。
ミュージカルなので、突然歌いだしたりする。その歌の中で「ところで、なんで歌ってるの?」とか歌い上げる。
それ言っちゃいけないから、っていう楽屋落ち。
お話の中では、TVシリーズの主人公であるモモナと、ジュエルペットのルビーが「ピューロランド」に迷い込んできてしまう。
で、迷い込んで困っているのかと思いきや、パレードを見てご機嫌で、パレードの踊りを踊りながら舞台に現れたりする。
ルビーの方は道に迷ってピューロランドから出てしまったようで、近所をうろついてる映像がスクリーンに挿入されたりする。
ジュエルペットの舞台なのに、バッドバツマルが現れて「ややこしいから帰って」と言われたりする。
さらには、歌の中に「ピューロランドはジュエルランドじゃない」「多摩センターは遠いけど」とか歌ってる。
なんだこの楽屋落ち感。でも、このショーを見る人は、ジュエルペットもピューロランドの他の場所も見ているはずで、誰もがわかる楽屋落ち。
悪い意味じゃないよ。楽屋落ちって、わからない人にはつまらないけど、わかる人には普通以上に笑える。
そんなネタ誰もわからないよ、という思いと、でも自分はわかった、という優越感が同時に来るから。
ところが、ここでは「全員がわかる楽屋落ち」という、高度なネタを織り込んでくるのです。
シナリオ作った人、只者ではないと感じます。
#このミュージカルに限らず、ピューロランドの劇は非常に出来が良いです。
ところで、ショーの中で使うために「ジュエルポッド」が配られます。
TVシリーズでは全員が持っている iPod 様のもので、セガがおもちゃを作っている。
でも、ここで配られるのは…裏に AU 、Google って書いてあるよ!
安い Android 端末に、専用ソフトを入れたようです。
ショーの中で「ひたすら振る」ゲームがあります。
終了時には振った回数が表示されるので、家族の中で競うのも楽しいです。
携帯電話ごとに、モモナ・ルビー・リリアン・ルーアの4チームに分けられていて、チーム対抗で「どのチームが一番振ったか」の競争もあります。
(これは、前のスクリーンで集計される)
じゃぁ、振ると反応するタイミングで振っていると何かあるんだな、と思うと、最後の方で振るのはただのお遊び。
ふると反応するので楽しいのですが、回数表示すらしてくれません。
せめて回数くらい出してくれると楽しめたのだけど、それが無いと徒労感だけ。
ところで、このショーは富士通がスポンサーだから、富士通製端末なんだろうな…とおもったら、韓国のパンテック製 IS06 でした。
まったく謎です。どうしてそうなった。
ちなみに、専用ソフトは「ラウンチャ」として作られているようです。
Android が起動したときに一番最初に呼び出すソフト。ホーム画面と呼ばれるものですね。
だから、戻るボタンを押しても、ホーム画面を押してもどこにも行かない。
音量キーの機能も、シャッターボタン長押しも殺してあるようで反応しません。
でも、電源長押しは殺せない。電源ボタン長押しすると、確かにアンドロイドだと分かる。
そして、その画面では OS が制御を取るので、音量キーも利くようになるし、マナーモードや機内モードにも切り替えられる。
…変なイタズラはしないように。
▼不思議の国のハローキティ
以前は公開前日に見たのですが、記憶違いでなければ、劇の最後に歌い上げる「主題歌」が追加されたようです。
後半のレビュー部分でもこの歌が効果的に使用されている。
みんなで一緒に歌いましょう、と、ステージ横のスクリーンにも歌詞が表示されます。
以前は「黒薔薇」以外の薔薇は全員女性が演じていたのだけど、紫も男性になりました。
黒薔薇だけが男性であることで怪しさをすごく出していたので、この改変はちょっと残念にも思います。
その一方、「薔薇」の意味を深読みするなら、2人になった方が良かったのかもしれない。微妙なところ。
今回初めてこの劇を見た妻、絶句してました。
僕と同じように深読みしたようだ。
この劇、「不思議の国のアリス」モチーフなのだから、言葉の裏の意味を探ると面白い。
言葉が二重三重に意味を持っています。
詳細は、ネタバレになるので先にリンクした日記の最後に隠してあります。
▼パレード
パレードは一新されました。
以前のパレード、ライオンキングの技術が使われていて幻想的で好きだったのだけど、今は「サンリオ40周年」を祝うパレードなので、キャラクターが多数登場します。
着ぐるみ多数なので、幻想的とか、ダイナミックとか、そういうものは無くなった。
以前の方が質が高かったように思うけど、40周年の「感謝」としては、多数のキャラクターを出す方が大切なのかも。
ちなみに、先に書いた「ジュエルペット」のショーでは、モモナがこのパレードの歌を歌いながら登場するシーンがある。
先にパレード見てないと、ギャグの意味がわからないかも。
▼ナイトイリュージョン
これは、以前やっていたのか不明。
閉館間際、7時からのショーです。
多摩センターは遠いので、子供が小さいときはこんな時間までいられませんでした。
電車で帰ると、途中で寝られると厄介だしね。(今回は車で行きました)
このショーが、すごくできが良い。
最近、プロジェクションマッピングが流行してしまって、出来が悪いプロジェクションマッピングショーを時々見ます。
このショーでも、プロジェクションマッピングを使っています。
でも、それは「演出の一部」に留めていて、使いどころをわきまえている。
やりたいのはプロジェクションマッピングではなく、光の演出。
ところが、プロジェクションマッピングって、その方式上「きらめくような光」は表現できないのね。
なので、プロジェクションマッピングに加え、レーザー光線やスポットライト、LED なども組み合わせてある。
この組み合わせ方がすごく上手で、湧き出すような光の芸術を見られる。
▼撮影スポット
ピューロランドでは、時々キャラクターがいろんな場所に現れ、臨時の撮影会が始まることがありました。
これは今でもやっているようですが、「常に誰かがいる場所」が作られました。
先にも書いたのですが、以前から「アイスクリーム屋さん」や「キャンディー屋さん」をイメージしたディスプレイが置いてあった、小さな部屋。
この中に「写真屋さん」があります。
…その写真屋さんの部屋ではなく、写真屋さんの隣のキャンディー屋さんが撮影スポット。
写真屋さんの入り口から入って並ぶ、という都合でこうなっているようです。
次女はシナモンが好きなのですが、ここにシナモンが立っているのを発見しました。
「一緒に写真撮りたい」というので見に行くと、長蛇の列。
近くにいたキャストの方に聞くと、案外早くて15分も待てば順番は来る、とのこと。
ただ、キャラクターは時々入れ替わります。今から並ぶと、シナモンではなく、次の「KIRIMIちゃん」との撮影になると…
え、それ、むしろネタ。面白い。
…と言い出す父母とは裏腹に、次女はシナモンじゃなければ待たないで良い、という反応。残念。
でも、あとで「ぽちゃっこ」がいたので一緒に写真撮って満足しました。
(次女はタレ耳好き。ぽちゃっこもかわいかったようです)
最後に雑感。
リニューアルして…多分経営は厳しいのだと思います。
以前より、お金の匂いを感じるところが増えた。
以前からも、各アトラクションにはスポンサーがついていました。
でも、少しスポンサー名を前面に押し出すようになったように思います。
先に書いたけど、レストランの値段は高くなったと思うし、お弁当の持ち込みは禁止になった。
いたるところで「写真買ってね」攻撃に会うことにもなります。
ついでに言えば、誕生日祝いのパーティが、以前は2000円だったのが3000円に値上げになりました。
それでいて、おみやげは安っぽくなった。今回長女の誕生日当日だったのでパーティに参加するか悩みましたが、やめました。
とはいえ、相変わらず質の高い空間でした。
今回車で行ったことで、開園から閉園までみっちり遊び倒して、駐車場代金も1500円しかかかってない。
(往復の高速料金やガス代を含めても、家族で電車で行くより安い)
多少値上げになったとはいっても、誕生日のお祝いとしては楽しめたかと思います。
#次女の髪ゴムはちゃんと買いました。ルビーじゃなくてシナモンになったけど。
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別年同日の日記
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昨日書いたピューロランドの日記で、一つだけ追記。
昨日書いた通り、いろいろなところで「写真を撮ってくれる」のですが、自動的に撮られたり、人気があるゆえに撮影時間が短かったりするようです。
なかなかいい写真にならない。
ところが「マイメロ in 赤ずきん」は、最後の撮影の際にゆっくり時間を取ってくれた。
撮影後、長男が目をつむってしまったようだ、と撮りなおしまでしてくれた。
この写真が、結構写りが良かったのね。
写りのいい家族写真で、誕生日に遊びに来た思い出なら一枚くらい買ってもいいか…と妻が悩み始めた。
でも、比較的最初の方に遊んだので、まだ他にも写真スポットがあるかもしれない。
悩みながら、一旦は過ぎ去る…
少し歩いてから、妻が「やっぱあの写真買おうか」と言い出します。
慌てて戻ったら、キャストの方が「まだ大丈夫ですよ」と言ったうえで、「気になるなら保留しておくので、後でまた来てください。いらない場合は、そのまま帰ってかまいません。今日の閉園までは置いときますから」と言ってくれた。
それで保留しておいてもらって、別のアトラクションなど遊びに行きます。
全部遊び終わった後、やっぱ写真買おうということになり、戻ります。
出口からずんずんと入って、最後にあるカウンターへ。
この時は次女が「欲しい」と言ったおみやげ(キキ&ララの魔法の杖、金平糖入り。390円)を持っていました。
「あ、おみやげ買ってもらったの? ララの持ってる杖だ」とか、非常に子供にやさしい。
写真をやっぱ買うと告げたら、すぐに印刷してくれました。
この写真、購入するとデジタルデータももらえます。携帯電話用、ということで小さなサイズだけど。
(500x329 でした)
1か月以内ならWEBページからダウンロードできます。
印刷品質ではないのだけど、劣化しない「気軽に見れるデータ」がもらえるのはありがたい。
さて、このカウンターは写真を販売するだけじゃなく、少しだけおみやげの物販もあります。
写真を買ってから、じゃぁ次の場所へいこう…と進んでいると、長女がクロミちゃんの耳が付いたカチューシャを「これかわいい」と見ている。
うん、かわいいね、と言いながら先に進むと…「かわいいから、後でどこかで売ってたら買いたい」と。
どこかで売ってたら、じゃなくて、さっきの奴が売り物だから、とまたカウンターに戻る。
誕生日プレゼントに何か買ってあげる約束はしていたし、このカチューシャがいいというので。
カウンターのキャストの方、会うたびに「せっかく来たのだから」とシールをくれました。
(誕生日の子供は、申請するともらえる誕生日カードに、いろんなところでシールを貼って貰えます)
こんなに、何度も行ったり来たりしている家族も珍しかったでしょう。
この後は、次女との約束で、「ジュエルペットのルビーの髪ゴム」を買いに、ジュエルペットグッズの専門店へ。
(ピューロランド内に、ジュエルランドゲートというお店があります)
…2年前は専門店だったのに、他のキャラクターグッズも扱う、普通のお土産物屋さんになっていました。
でも、ちゃんと髪ゴムもあった。ジュエルペットじゃなくて、シナモンのものを買ったけど。
そして、ここにもクロミちゃんのカチューシャは売ってました。
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別年同日の日記
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今日は、サミュエル・モールスの誕生日(1791)
職業は、画家です。
画家としても結構高名なのですが、今日取り上げるのは画家としてではありません。
彼の名前は、むしろ画家としての活動とは別に考えだした発明品として残っています。
モールス信号です。
モールスは早熟な天才で、14歳で大学に入学しています。
イタリアのボルタが電池を発明(1800)した頃で、電気学が急に発達し始めていました。
モールスも、電気学を学びますが、その学費を稼ぐために、画家としての活動を始めています。
絵を描くだけでなく、彫像なども作りました。
卒業後は両親の反対を押し切ってイギリスに留学、画家としての頭角を現し始めます。
展覧会で金賞を受賞したり、批評家に絶賛されたり。
アメリカで米国デザインアカデミー(現在の、米国アカデミー博物館)の設立に尽力し、その初代学長にもなっています(1826)。
その前年、モールスが画家としての仕事で出張中に、彼の妻が危篤に陥りました。
彼の元に駅馬車(当時の最も早い郵便システム)で手紙が届けられ、彼もすぐに家に帰ったのですが、帰宅は妻の埋葬後となりました。
モールスは、この事件をきっかけに、「郵便よりも早い連絡手段」を考え始めます。
事件の5年前、1820年に、電流が磁界を発生させることが発見されていました。
彼が学んでいた電気学は「電磁気学」となって発展していました。
1832年、モールスは船旅の最中に、電磁気学に詳しい、チャールズ・トーマス・ジャクソンと出会います。
彼は、前年にジョセフ・ヘンリー博士が発明した「電磁石」の話をモールスにします。
モールスも電気学を学んでいましたし、電気と磁気の関係が発見された(1820)ことは知っていました。
しかし、それを強くし、電磁石として使う方法が発見されたことを知り、連絡手段に使えそうだと思いつきます。
ジャクソンとモールスは、船旅の間に「電信機」の詳細をまとめました。
電磁石によって鉄板が動き、その動きを紙テープに記録します。
このテープに、点と線で符号化された「コード」を記録することで、文章を伝達するのです。
ただし、この時点では「単語をコード化する」アイディアでした。
どんな単語をあらかじめ準備しておけばよいのか、あらゆる単語を想定してコードを割り振る、という作業は難航します。
この問題は、1838年になって共同研究者のアルフレッド・ヴェイルが「文字単位でコード化する」ことを思いついて解決します。
この際に、文字の使用頻度などを調査し、一番良く使われる E には短い符号を、あまり使われない Q などには長い符号を…と割り振って、モールス信号と呼ばれるものが完成します。
#実際には、この初期のものをベースにさらに改良され、現在のモールス信号になります。
話が前後しますが、文字単位のコード化に移行する前年まで、モールスの電信機は、すぐ近くにしか信号を送ることができませんでした。
コードを最大に伸ばしても、せいぜい2マイル…歩いても1時間、馬なら5分程度で走れる距離です。
この時点では、モールスの電信機はあまり遠くまで信号を送ることができませんでした。
電気は通信に使われる電気コードの抵抗を受け、あまり距離が長くなると届かなくなってしまうのです。
これも、電磁石の発明者であるヘンリー博士が考案した第2の発明、「リレー装置」によって解決します。
ヘンリー博士も、電気コードが長くなると電気が通らなくなることに気付いていました。
そこで、電気が届く範囲の遠方にある「スイッチ」を、電気で操作することを思いついたのです。
スイッチのもっとも簡単なものは、ばねのようにしなやかな鉄板があれば作れます。
鉄板を押せば接点にくっつき、電気が流れます。離すとばねのように戻り、スイッチが切れます。
これは鉄板ですから、接点の下に電磁石を用意して、引きつけることができます。
これが、電気で操作可能なスイッチ、「リレー装置」です。
スイッチが入れば、電気が流れます。これは別回路ですから、そこからまた2マイル程度は電気が流れます。
そして、またスイッチを動かします。これを繰り返せば、理論上は無限に遠くの装置を操作できます。
「電気」は2マイルしか届かなくても、その電気による「信号」は、はるか遠方に届くのです。
ヘンリー博士は、この装置の特許を申請しませんでした。
彼は、科学の発展のために、発明は広く使われるべきだという主張を持っていたため、モールスの電信機にも無料で特許を使用させているだけでなく、技術的な助言なども行っています。
これで、やっと電信装置が完成します。
情報を瞬時に送れるというのは大発明で、モールスの電信機と、その電信機を使うためのモールス信号は世界中で使われ始めます。
1849年時点では、アメリカに20の電信会社があり、その電信線の総延長は12000マイルに達しました。
1852年にはイギリス海峡を渡る海底ケーブルが埋設され、ロンドン・パリ間の電信も始まります。
1854年、モールスの電信機の特許が成立します。電信を使う世界中の会社は、モールスに特許使用料を支払うようになりました。
もっとも、モールスは特許料が支払われなかったとしても、相手を訴えなかったそうです。
ヘンリー博士の影響もあったのかもしれませんが…彼自身、画家としての地位もあり非常に裕福だったため、お金にこだわらなかったようです。
1856年。モールスは、小さな電信会社を集め、「ウェスタンユニオン」を設立します。そして、世界中に電信ケーブルを埋設していきます。
1858年には大西洋横断ケーブル、1861年には、アメリカ大陸横断ケーブルが完成します。
しかし、1865年には大西洋横断ケーブルが障害を起こし、使えなくなります。
すぐに別のケーブルの埋設を始めますが、2/3が埋設された時点で事故を起こし、使えなくなります。
結局、翌年最初のケーブルを引き揚げ、修復が行われました。
その頃から太平洋横断ケーブルの埋設が始まりますが、1868年までかかる難工事となっています。
1871年、モールスの偉業をたたえる像がニューヨークのセントラルパークで披露されます。
モールスは、ここから世界中に電信で「Farewell」(丁寧な別れの挨拶)を送ります。
そして、1872年4月2日モールスは81歳で死去しています。
信号線埋設などで多額の私財を投げだし、慈善活動などにも多額の寄付をしていたそうですが、遺産は50万ドル。
現在の日本円にして、10億円程度でした。
現在でも、モールス信号は使用されています。
長・単・無だけの組み合わせで表現できるため、電気信号だけでなく、音や光でも情報を伝達できるためです。
モールスの死後、無線通信が普及し、そこでもモールス信号が使われます。
無線通信の発明者であるマルコーニが、船の救難信号を国際的に定めようと提案し、CQD という符号を提案。採択されます。
しかしそのわずか2年後、1906年には、船の救難信号として「SOS」が国際的に使用されることが決定されます。
これは、単にモールス信号で「わかりやすい」組み合わせを拾っただけです。
・・・---・・・が SOS の組み合わせになります。
1912年、タイタニック号が、マルコーニ式の電信機では世界最初の「SOS」を打電します。
この際には、CQD と交互に打たれました。
1999年、船の遭難信号としては、SOS は廃止となり、国際的に GMDSS と呼ばれる仕組みに移行しました。
このシステムでは、GPS や通信衛星も使用し、即座に救助が行えるような信号を自動発信します。
しかし、これは「船の遭難信号として」モールス信号は使われなくなった、というだけで、モールス信号が不要になったわけではありません。
電気の ON / OFF で情報を伝達する、という考え方は、この後テレタイプに受け継がれ、ASCII コードの制定に繋がっていきます。
もちろん現在も、コンピューターは電気の ON / OFF で動いていますし、通信はモールスが埋設したのと同じように、海底ケーブルによって世界中を繋いでいます。
その意味で、150年も前の彼の時代を想像するのは難しくありません。
ここ20年で起きたような「情報革命」が、全く同じような筋書きで、彼の時代にも起こったのです。
モールスの電信機が特許を取得してから、世界中に電信網がいきわたるまで、やはり20年程度。
ただ一つ違うのが、これが世界で最初の「電気通信革命」だったことです。
彼のやったことのインパクトは、インターネットの普及よりもはるかに大きかったでしょう。
余談:
モールス信号で Farewell …
とあるゲームのエンディング音楽の中で使われていたような。
多分、エンディングだから Farewell にしただけで、モールスの1871年のメッセージとは無関係と思うのだけど…
そのうち作曲者に聞いてみよう。
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今日はポール・バランの誕生日(1926)。
…この人も知りませんでした。
「今日は何の日」のネタが無いかな、と探していて知る人多数。
偉そうな記事を書いているのに、実際には非常に無知で恐れ入ります。
もっとも、ポール・バランに関しては知らなかったのも道理で、非常に重要な研究をしていたにもかかわらず、その研究は結局日の目を見ていません。
彼は、エッカート・モークリー社(同名の ENIAC 設計者が設立し、後にレミントン・ランド社に合併され、UNIVAC I を設計した)に入社したコンピューター学者です。
後に転職して、ヒューズ・エアクラフト(億万長者のハワード・ヒューズの持つ航空機会社)に入社します。
そしてさらに転職。航空機の知識も持ち、コンピューターの知識を持つ彼は、米空軍のシンクタンクであったランド研究所にスカウトされます。
1961年、彼は空軍からの依頼で「核攻撃に会っても停止しないコンピューターネットワーク」の研究を行います。
空軍は SAGE という「核攻撃に備えた」レーダーネットワークを持っていました。
(1958年から構築開始)
このネットワーク自体を破壊される、ということを恐れたのかもしれません。
この報告書をまとめたのが翌 1962年です。
報告書に書いた内容は、大体次の通り。
・中央コンピューターは設けず、複数のコンピューターが分散・協調動作する。
・通信経路は近くのコンピューター同士を結ぶ形で複数用意し、状況に応じて適宜使用される。
・データは小さな単位に分割して送り、それぞれが独立に複数の通信経路を経由し、受け取った側で再構築する。
何のことを言っているか、今の我々なら容易に想像がつきます。
しかし、当時はこの考え方は新しすぎました。
なにせ、1台のコンピューターが非常に高価で、通信線1本を準備するのにも大変な費用が掛かったのです。
1964年には一般の雑誌にも要約が発表されます。
しかし、そのまま忘れ去られることになりました。
同じような問題は、アメリカとは独立してイギリスでも研究されていました。
ただし、こちらでは「多数のコンピューターを結ぶ際に、最も安く回線を引くにはどうすればよいか」という問題として。
当時のコンピューターを通信させるには、「中央コンピューター」を用意するのが普通です。
このコンピューターと、各端末を回線で結びます。端末が 100台あれば、回線は 100本必要です。
その上で、端末 A と端末 B でデータを送受信したければ、A から中央コンピューターを経由して、 B と接続を行います。
中央コンピューターに関係のないデータの送受信でも、中央コンピューターが監視するため、速度低下にもつながります。
これは大変な事でした。
もっと安く回線を用意できないものでしょうか?
無駄に中央コンピューターの速度を低下させない方法は無いのでしょうか?
イギリスのドナルド・デービスは、この問題に答えを出しました。
・中央コンピューターは設けず、複数のコンピューターが分散・協調動作する。
・通信経路は近くのコンピューター同士を結ぶ形で複数用意し、状況に応じて適宜使用される。
・データは小さな単位に分割して送り、それぞれが独立に複数の通信経路を経由し、受け取った側で再構築する。
全く異なる問題を考えていたのですが、ポール・バランと結論は同じでした。
デービスは、最後の「小さな単位」をパケットと呼びました。現在のパケット通信の語源。
この論文の発表は、1968年でした。
ポールバランの報告書からわずか6年後。
でも、この6年でコンピューター技術は大きく進んでおり、依然として先進的ではあるものの、「実現可能な技術」になりつつありました。
アメリカでの、ARPANET …現在のインターネットの前身が計画されたのは 1966年でした。
ただし、この時点では、どうすれば大規模ネットワークが作れるのかわからず、問題が山積みでした。
1968年、デービスの論文に解決方法を見出し、ARPANET の計画が急に進み始めます。
最初のシステムが稼働し始めたのは 1969年12月でした。
ただ、ARPANET に触れた人の中で、いくらかの人は、ポールバランが 1964年に雑誌発表した論文も見ていたらしいのね。
ここから、「ARPANET は核攻撃に耐えられるネットワークとして実験が始まった」という都市伝説が興ります。
今でも、この話を信じている人は結構多いのではないかな。
たしかに、システムのアイデアはほぼ同じものでした。
でも、別々の問題への対処を考えた結果、同じような結論に達しただけです。
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別年同日の日記
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今日は、ボードゲーム「オセロ」の発売日(1973)。
オセロの起源については、諸説あってどれが本当だか(僕には)よくわかりません。
大きく分ければ、リバーシの影響を受けたか否か、なんですけどね。
オセロ以前からリバーシというゲームがあったことはわかっていて、日本でも紹介されていたことがわかっている。
でも、それほど有名だったわけではない。
オセロの考案者の証言では、白黒の碁石を使った単純な遊びとして「挟み碁」を考えた、となっています。
最初は、挟まれると碁石を取り換える、という遊び方だった。
でも、これが面倒くさいから牛乳瓶のふたで「両面が白と黒」のコマを作って、挟まれるとひっくり返されるゲームになる。
…この話だと、リバーシの影響は受けていないように思います。
その一方で、オセロはリバーシで決まっていなかった詳細を決定してルールを厳密化したゲームで、リバーシが元になっている、という説明もよく見る。
オセロ以前から日本に紹介はされているのだから、考案者は知っていたはずだ、という見解ですね。
いま Wikipedia を調べたところでは、オセロのページでは後者の説を、考案者長谷川五郎のページでは前者の説を紹介していました。
いずれにせよ、世界的にそれほど有名ではなかった「リバーシ」を、「オセロ」の名前で有名にした功績はあります。
現在ではオセロは非常に有名なゲームです。
1977年からは、毎年世界大会も開かれている。
一方で、有名すぎて「真似をした」ゲームも多数発売されている。
ゲームって、ルールには権利主張できないのね。
オセロの場合、名前の商標だけが取られている。
だから、真似をする場合には「リバーシ」を名乗って、ルールをオセロのままにすると、法的な問題なしに真似できます。
ただ、一つ書いておきましょう。
本来のリバーシでは、最初のコマの打ち方のルールが少し違います。
オセロでは白黒2枚づつを中央4マスに、市松に置いた状態から始まります。
リバーシでは、中央4マスが埋まるまでは両者そこに置かなくてはならない、というルールがあるだけで、何もない盤面から始まります。
あと、コマや盤の色もリバーシでは定められていない。
リバーシはチェス盤を使って遊ばれることが多かったそうで、とすれば盤面は緑ではなく、市松模様です。
コマはチェスと同様に白黒が多かった、とのことですが、特に日本国内では紅白が多かったとのこと。
(紅白合戦、というのは日本人的にイメージしやすいのでしょうね)
一方、オセロは、白黒のコマと緑の盤面です。
ルールと、盤面の色。
「リバーシ」を名乗りながら実はオセロの知名度にタダ乗りしようとしているゲームを見極める際に役立ちます。
オセロって、思考プログラムを作る際の題材にもよく使われたと思います。
ベーマガにも、よくオセロのプログラム載ってました。
僕もその思考ルーチンを参考に、ファミベでオセロを作ったことあります。
#コマの色は白・水色でした。ファミベのテキストキャラに、白と水色の塗りつぶし四角があるから。
ベーマガによくあったプログラムは、コマを打つ位置が、優先順位順にデータ化されているだけ。
順次調べて行って、打てる条件に適合すれば、そこに打ちます。
オセロ知っている人には自明だけど、オセロでは角のマスを取るのは非常に重要なのね。
角だと、どこからも挟まれないから、絶対ひっくり返されなくなる。
逆に考えると、「角の隣」を打つのは非常に危険です。
だから、角を囲むマス…全部で12マスは、優先順位を最低にする。
この考え方で、マスごとに優先順位を付けてあるのです。ただそれだけ。
これは流石にあんまりだ、と思ったので、僕はデータの並びを優先順位とするのではなく、「同じ優先順位」を意味するフラグを設けました。
同じ優先順位の中で、一番多く取れる場所に手を打つ。
…先読みは無いから、これでもまだ非常に弱いんですけどね。
でも、友達に遊ばせたら、これでも「強い」と言われた。
ということは、この方式でもオセロ苦手な人には十分な強さだということだ。
コンピューターで「思考ルーチン」作ってみたいと思っている人は、このレベルからお試しあれ。
多分、ツクダオリジナルから発売になっていた「オセロマルチビジョン」だと思うのだけど、おもちゃ屋さんでオセロが遊べるテレビゲームが試遊展示されていました。
コンピューター相手にオセロを遊べるのね。
なんかね、それを一定の手順で打つと、比較的最初の方で全部のコマを裏返せた。
全反転したら、その時点で終了ね。
初めて遊んだ時は、たまたまそうなったの。
「えっ!」って驚いて、思い出しながら同じ手順を再現すると、必ず全反転で勝てる。
人間相手なら、そんな馬鹿な状態にはなかなかならないのだけど、これが楽しくて同じ手を延々繰り返して遊んだような記憶があります。
市販オセロですら、非常に弱かった時代の思い出です。
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今日はクロード・シャノンの誕生日(1916)。
シャノンは…偉大すぎて、とても1回では語れないです。
この人がいなければコンピューターは存在しなかっただろう、というくらいすごい人。
世界で最初のコンピューター、とされるのは ENIAC(1947) ですが、それ以前から「電気回路による計算機」は存在していました。
そして、電気で計算ができる、と最初に示したのが、クロード・シャノンが 1937年に発表した修士論文でした。
この論文では、スイッチの組み合わせで OR と AND が作れることを示し、OR と AND があれば2進法での計算が可能であることを示しています。
スイッチで…と言っても、人間が操作する、いわゆるスイッチのことではありません。
修士論文のわずか2年前、ジョセフ・ヘンリー博士が、電気によってスイッチを動かすことができる「リレー装置」を発明していました。
つまりシャノンは、リレー装置を使えば、歯車計算機と同じ計算を、もっと高速に行うことができると示したのです。
デジタル理論の始まりでした。
これからしばらくは、リレー式計算機の時代でした。
ENIAC だって、基本的には「真空管は、リレーより早いスイッチとして使える」という発想で作られているのです。
そして、実は今でも、「トランジスタは真空管より安定したスイッチとして使える」という考え方で、コンピューターは作られています。
シャノンが今のコンピューターの基礎を作った、と言われるゆえんです。
#実は、シャノンの前年に日本人の中嶋章が同様の論文を発表していますが、アメリカのリレー計算機に大きな影響を与えたのはシャノンの論文です。
シャノンの論文が中嶋論文の盗作である、という説もありますが、リレーの発明を受けてその論理性を考察した、と考えると、同時期に類似の論文が独立に発表されても不思議はないと思います。
シャノンはまた、情報理論という数学理論を作り上げました。
よく「映像は情報量が多い」とか言う人がいるのですが、実はこの言い回し、間違っています。
情報量というのは、元々情報理論で使われる専門用語でした。
そして、その定義は「2つの選択肢があり、どちらか一方を選ぶのに十分な情報を、1bit の情報量とする」というものです。
4つの選択肢の中から、どれか1つに完全に決められる情報があるなら、その情報量は 2bit です。
逆に、2つの選択肢があり、A だと思うのだけど、B の可能性も捨てがたい…などという場合は、0.5bit のように小数点以下の値となります。
たとえば、A と B のどちらかを選ばないといけない時に、全く情報が無いと、0bit です。
情報を調べたところ、「A を選ぶと良い」という情報が得られたとします。これは 1bit の情報です。
さらに情報を得ると「B を選ぶと良い」という情報が得られたとします。
ここで、どちらを選べばよいかわからなくなり、 0bit に戻ります。
情報は増えたけど、情報量は減るのです。
さて、最初に書いた「映像は情報量が多い」という話。
正確に言えば、情報が多いのです。
耳だけで感じる「音」よりも、目で感じる「映像」は情報が多い。
止まっている「画像」よりも、動く「映像」は情報が多い。これは事実です。
でも、それが「情報量が多い」ことにはなりません。
ただのノイズを延々と見せられたら、多分「情報」は多いのだけど、情報量は 0bit 。
何の参考にもなりません。
言葉遊びの屁理屈をこねているわけではないし、コンピューター関連の話でもありません。
何かを作る、クリエイターの人は情報理論を肝に銘じておく必要があります。
自分の想いを詰め込み過ぎると、「情報」が多くなりすぎて「情報量」は減るのです。
適切に薄めて、情報量が高いものを「お客様」に届けると、一番喜ばれます。
#…と自分で書いておきながら、海より深く反省。
僕のサイトは情報詰め込み過ぎです…
シャノンは、自ら作った「デジタル理論」と、「情報理論」を組み合わせ、次々と新しい概念を作り出しました。
通信に於いて、伝送中にノイズが載ることを考慮し、適切にデータ転送する方法を数学的に考察しました。
これにより、情報通信理論の基礎が固まりました。
これまでは「経験則」で電話やモールス信号の電信線を設計していたのが、適切な設計方法などが数学的に示されたのです。
そして、シャノンはこの「ノイズが載る可能性がある伝送路」で、ノイズの影響を打ち消しながら通信を行う方法も考案します。
エラー訂正符号と呼ばれるもので、今のインターネットでの通信はもちろん、ハードディスクのような情報記録媒体でもこの理論が使われています。
情報記録が「未来への通信」だと思えば、やはりノイズ(時間劣化)の影響は受けるのです。
シャノンは「デジタル理論」を専門としますが、もちろん自然界はアナログです。
この、アナログの量をデジタルに変換して扱いやすくするための方法、「サンプリング理論」もシャノンが始めた学問です。
たとえば、音は空気の波として表されます。
これをマイクで拾って、電圧の波に変えることもできます。
CD の記録の場合、この電圧の波を、65536段階、16bit に区切って記録しています。
これをビットレートと呼びます。
そして、この「電圧の測定」を、1秒間に 44100回行っています。
こちらはサンプリング周波数と呼びます。
ビットレートが 16bit で、サンプリング周波数が 44100回。
この数字、どちらも大きくすればするほど、音は良くなります。
でも、電圧を細かくとろうとすると測定に時間がかかってしまって、サンプリング周波数が落ちる。
周波数を細かくすると、電圧測定の時間が取れなくて、ビットレートが落ちる。
もちろん、その時代の技術の問題もあるのですが、両立は難しいのでバランスよく決める必要があります。
その「バランス」を決める際に役立つのが、サンプリング定理。
記録しようとする周波数の、2倍のサンプリング周波数が無いと記録できない、という定理です。
CD の場合、人間は 22Khz より上の音は聞こえない、という理論をもとに、44.1KHz のサンプリング周波数が設定されています。
#実際には、CD は当初 48KHz で 60分記録の予定でした。
これが 44.1KHz で 74分記録、という中途半端な数字になるには、裏でいろいろあったそうです。
サンプリング理論と言うとわかりやすいから CD の話になりがちだけど、デジカメとかも同じね。
画像だって、デジタルで記録するにはサンプリング定理の影響を受けるのです。
その昔、パソコンの画面にたくさんの線を引くと、本来の線とは別の模様(モアレ縞)が見えることがありました。
サンプリング定理では、周波数の半分を超える周波数の信号が入ると、本来の周波数と異なった周波数のように記録されます。
これが「モアレ縞」の正体で、本来存在しない周波数のことを、サンプリング理論では「エイリアス」と呼びます。
英語で「別名」の意味ね。
Mac ユーザーならファイルの「エイリアス」を作ったりすることもあるでしょう。
(Windows ではショートカット、UNIX ならソフトリンクと呼ばれる機能です。)
さて、画像の「エイリアス」は、「アンチエイリアス」で消すことができます。
仮に、本来のサンプリング周波数よりも細かい…グラフィック画面よりも細かなドットの画面があるとして、そこに線を描きます。
それから、本来のグラフィック画面に「平均値を取りながら」変換するのです。
平均値を取ったのでところによって絵がぼやけますが、エイリアスは消えます。
アンチエイリアスとか、グラフィックやっている人にはお馴染だと思うけど、これもシャノンが始めた理論によるものなのです。
もっと専門性の高い話もありますが、あまり書くと混乱するので今回はこの辺で終わりましょう。
(詰め込み過ぎは情報量を落としますし!)
興味を持った方のためにざっくりとだけ書くと…
暗号を数学的に扱ったのもシャノンが最初でした。
ゲーム理論の基本的戦略の一つである、ミニマックス法もシャノンが考案したものです。
「コンピューターグラフィック」を創始した、アイバン・サザーランドはシャノンの最後の教え子でした。
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