昨日書いた「目的と障害があればゲーム」という話、ぎーちさんとの会談の際には、全く言ってないのね。
「課金しないゲームは成立するか」という質問に対して、昨日書いた話をおぼろげに思いつつ、先に例をあげた。
そしたら、その例の話から違う方に話が進んでしまった。
今日は、そちらの「例」の話を書いてみます。
その昔、「クイズ100人に聞きました」というクイズ番組がありました。
僕は、これをよく出来たゲームの例として真っ先に挙げたのです。
昔は、このクイズ番組を日本中の人が理解して、楽しんでいました。
もちろん全員が見ていたわけではないけど、知らない人はいないくらいに人気番組でした。
この番組、おそらく今放映したら「意味不明」と言われてしまうでしょう。
クイズなのだけど、すごく変わった番組構成だった。
番組は、視聴者応募の2チーム対抗によるクイズ戦です。
でも、早押しとかではない。2チームが非対称な立場になります。片方のチームは圧倒的不利、というのが普通。
まず、最初は早押しで先攻後攻を決めます。
ただ、早く答えればいいのではない。「より得点の高い答え」を出したほうが先攻権を取ります。
問題は全て、タイトル通り「100人に聞いた」アンケート結果です。
このアンケートで、多く出た答えを当てる。回答人数がそのまま得点となります。
先攻チームは、3回まで間違えてよく、全部で5~7個程度の正解を、どんどん当てていきます。
でも、重要なのは、当てた得点はまだ先攻チームの物ではない、ということ。
先攻チームの回答が終わった時点で、後攻の番です。
後攻チームが答える権利は、たった1回のみ。しかも、分かりやすい回答は先攻チームにあらかた答えられており、回答人数の少ない答えを当てなくてはなりません。
でも、これに成功すると、先攻チームの当てた回答の得点も含め、すべての得点が後攻チームの物になります。
大切なのは、先攻チームが頑張ればがんばるほど、後攻チームの得点が上がる可能性がある、ということです。
これはあくまでも「可能性」だけで、実際にはその得点を得る難度は上がります。
得点するという「目的」が達成できるチャンスほど、それを阻む「障害」も大きくなるのです。
良いゲームバランス、とはこういうものを言います。
クイズ100人に聞きましたは、ゲームのルールが非常に良くできていて、状況に応じて常にゲームバランスが保たれ続ける構造だったのです。
この番組が特別だったのではありません。
当時、こういうクイズ番組が非常にたくさんある。
「なるほど ザ・ワールド」では、解答席に1~4の順位が付いていた。
こちらでも権利が平等ではなく、1位の人から順に解答権があります。
1位が不正解なら2位に、2位が不正解なら3位に解答権が回ってくる。
4位の人には解答のチャンスがあまり来ません。
その代り、もしチャンスが回ってきた時には、1~3位の「間違えだった」回答がヒントになっている。
目的達成のチャンスが少ない人ほど難易度も下がる、という仕組みでゲームバランスを保っているのです。
ところで、正解すると上の順位に上がることができます。
「正解すると難易度が上がる」という、これもゲームバランスを保つ仕組みです。
最終的に1位の人が勝ちなのだけど、1位を保ち続けるにはノーヒントで正解し続けるしかない。
単純だけどよく出来ていました。
当時はこんな風に、番組のどこかに「ゲーム要素」を入れるのが当たり前だったのね。
視聴者もルールを理解して楽しめた。
ところが、今はそういうつくり方は流行しません。
頭が悪くなったとかではないよ。テレビを真剣に見る人が減ったから。
忙しい時代になって、途中から5分見ただけでも理解できる番組でないと、見てくれなくなった。
ぎーちさんにはポケットメイトの話もしました。
昔書いた話のままなので、詳細はそっちの日記参照。
昔の子供向けゲームって、ルールを自由に変えても構わなかった。
みんな面白いルールを考えて勝手に改変するのが普通だった。
昔は、テレビ番組を見ていても「巧妙なルール」があるし、ゲームで遊んでいてもルールを自分の好きなように変えられる。
当時の子供は「ルール次第で面白さが変わる」ことをどこかで知っていたように思います。
ところが、今のテレビゲームは自分でルール改変はできない。
これは、ゲームを自由に楽しむことを難しくしているのではないか?
そして、子供たちから考える力を奪ってしまっているのではないか?
…という趣旨でぎーちさんには話をしていました。
まぁ、趣旨としてはそれほど間違ってない。
今の子供…に限らず、現代日本人は、昔の人よりルールを作る能力が落ちている気がする。
ただ、昨日の記事を書いていて、ちょっと気が変わった。
文章にすることで、自分の考えが整理されたんですね。
テレビゲームでも、ルール改変できました。
ノーコンティニュークリアを目指す、ノーミスクリアを目指す、特定アイテムを使わない縛りプレイ…などなど。
これらは、自分にとって簡単すぎるゲームに対し、ルールを改変することで「難易度調整」をする遊び方です。
昨日も例に出したピクミンでは、「最短日数クリア」と「最少人数クリア」で、全然違う遊び方が必要になる。
30日でクリアしつつ、どこまで人数を増やせるかとか、1日での増加人数で競う方法もある。
「自分で決めたルール」によって、ゲームは全く違う顔を見せ始めるのです。
先日、世界初のドットリ君大会、という話を書きました。
…えーと、ここでお詫びしておきましょう。
ドットリ君ね、先日の記事では「面白いよ」と書きましたが、ゲームとしてはつまらないです(笑)
僕はつまらないゲームを見ると、すぐに「違う目的」を作るのね。そうすると面白くなる。
ドットリ君だと、4面クリア位を目指すと結構難しい、攻略しがいのあるゲームになる。
でも、そんなことしないでも、もっと面白いゲームは沢山ある。
「面白い」と書いたのを真に受けて遊ぶより、もっと面白いゲームで遊んだほうがいいです。
ドットリ君大会に話を戻します。
その大会では、「2台を使った対戦形式。1面クリアが速いほうが勝ち」という方法で遊んでいました。
これも、「違う目的」を掲げているのね。
「対戦相手に勝つ」というのが目的の新しいゲームを始めただけで、ドットリ君を楽しんでいるのではない。
ただ、このゲームに勝つためにはドットリ君の腕を磨かなくてはならないし、「腕を磨く」という目標ができると、ゲームはまた面白くなる。
ゲームは「目的」と「障害」があれば成立する、と昨日書きました。
この目的は、遊ぶ人の心構え次第で、いくらでも変えることができます。
そして、目的の設定次第で障害の強さも自由に変えられます。
昨日は「お金」がゲームの面白さに及ぼす影響を書きましたけど、それだけじゃないです。
テレビゲームだからって、プログラムの中で完結しているわけじゃない。
外側の世界とどうつなげるかで、面白さが全然変わってくるという、昨日と同じ結論です。
#だって、昨日と同じ話を違う切り口で書いているんだもん。
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