2015年03月15日の日記です


手相開発時の技術話(2)  2015-03-15 10:17:00  業界記
手相開発時の技術話(2)

先に書いた話の続きです。


手相は、V60 のアセンブラで書かれました。


このコードは、HP-UX (ヒューレットパッカードの UNIX)マシンでクロスアセンブルされ、最終的に Intel HEX 形式のバイナリとなりました。

Intel HEX というのは、組込みプログラムではよく使われる、ROM の内容データをテキストファイルで記述したものです。



この Intel HEX データは、シリアルケーブルでデイジーチェーン接続された「ROMエミュレータ」に送り込まれます。

ROM エミュレータはセガが独自に開発したハードウェアで、名前の通り、RAM によって ROM をエミュレートするものでした。


普通なら、アセンブルするたびに ROM ライターと言う機械を使って EP-ROM にデータを書き込み、ROM を差し替えて動作させます。

しかし、ROM エミュレータでは基板に挿したまま内容の書き換えができましたし、書き込み速度も EP-ROM よりもずっと早く、快適に作業できました。



基板には、この ROM エミュレータが多数刺さっています。

グラフィック、サウンド、プログラムなど、ROM に書かれる部分は全て ROM エミュレータが使われるので、20本くらいあったように思います。



通常の ROM 程度のサイズで、ROM の代わりに基板に挿しこまれる「下駄」と呼ばれる部品と、そこの上に垂直に「立てる」本体基板がありました。

本体基板は、サイズこそ下駄の上空に収まるように作っていますが、非常に背が高いです。


そのため、ROM エミュレータは基板上に「林立している」という言葉がしっくりきます。


これらの ROM エミュレータは、先に書いたようにシリアル接続でデイジーチェーン接続され、一気に書き込みが可能です。


デイジーチェーンだけど、各 ROM エミュレータに DIP スイッチによる ID 設定が可能で、個体識別できるのね。

20本くらい同時に使っているのだから、ID は少なくとも 5bit はあったはず。



通常は変更があった部分しか送り込みませんが、全部送っても3分程度だったように思います。

ROM を作ることを考えると圧倒的に速い。




System 32 の V60 部分は、ICE に置き換えられていました。

ICE というのは、CPU の動作をそっくりまねた上で、内部のレジスタの状態などを自由に見たり書き変えたりできる機械ね。

デバッグには欠かせません。


この ICE を制御するのに、MS-DOS の PC-9801 を使っていました。


98は本当に、ICE 専用。DOSだからシングルタスクで、他のことできないしね。

でも、ネットワークには接続されていたはず。デバッガはシンボル情報を理解していて、逆アセンブル時にジャンプ先ラベルなどがわかりやすく表示されます。

この情報を得るために、HP-UX とファイルを共有しているのね。


System 32 は、アストロシティ筐体に接続されていて、画面などはそちらで確認できました。



というわけで、改めて開発機材を書くと、こうなります。

(大きなものだけ)


・HP-UX マシン(HP 製 UNIX マシン)と、そのモニタ

・PC-9801 とそのモニタ

・System 32 基板と、そのモニタに相当するアストロシティ筐体

・V60 ICE


アストロシティ以外は、すべて机の上に乗っています。

横2m位の長机で、その机の上と、その前の部分が自分のスペースです。


「自分のスペース」にすべてを納めるため、アストロシティ筐体は机の前に、片隅に寄せるように置いてあります。

机の前の逆隅に椅子を置き、そこに座った時に使いやすい位置に、HP-UX を置きます。


そして、残るスペースに PC-9801、System32、V60 ICE を詰め込みます。


#右に概略図を示します。こんな感じ、というだけで縮尺などはいい加減。



System32 は、開発機材を多数接続しているため、アストロシティ筐体には入りません。

JAMMA ハーネスの延長ケーブルを自作してあるので、机の上から接続できます。



PC98はアストロシティに半分隠れるような置き方なので、操作しづらい。

でも、基本的に ICE の「実行」「停止」ができれば良いので、それほど問題は無い。


System32 のテストモード操作などが必要な時は、手を伸ばさないといけないけど、これはそれほどやらなくていいから問題なし。

そんな感じの操作環境でした。




都合3台のモニタに囲まれています。

この頃のディスプレイモニタは、ブラウン管です。電磁波を出していました。


さらに、机は多数並んでいるので「隣の人」「前の人」「後ろの人」…などからの電磁波も浴びるわけです。


これが健康に悪い、という噂がありました。



入社して1年目くらいの話ですが、女性も多いデザイン課では、電磁波遮蔽エプロンが配られました。


鉄板が入っていて重たいエプロン。

電磁波が生殖細胞に影響があり、不妊になる、という噂があったためです。


ちなみに、男性の場合も不妊になりやすく、特に男児が生まれにくくなる、という噂もありました。

でも、女性の少ないプログラム課では、特にエプロン配られませんでした。


#一応、プログラム課にも同期に女性が1名いました。

 当時のセガ全社員の中で、女性プログラマは3名だけだったそうですが…




ちなみに、アストロシティ筐体を使っていたのは、入社時点で一番手に入りやすかったから。


一緒に手相を作った先輩はエアロシティを使っていましたし、後に入ってくる後輩はブラストシティ使っていたと思います。

その時、一番入手しやすい筐体が支給される、っていう、それだけの話。


#エアロシティ、アストロシティ、ブラストシティは、セガが販売していた業務用ゲーム筐体です。

 アストロとブラストの間の時期に、バーサスシティと言うのもあったけど、それはまたそのうち書きます。



あ、そうだ…次回はドットリ君について書きましょう。

筐体の話をするなら、一緒に書いておいた方が面白い。




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