2015年03月11日の日記です


4年目の朝に  2015-03-11 09:10:15  住まい 家族

東日本大震災から4年目の朝です。


特に何かがあるわけではないのだけど、何かを書かずにはいられない。

そんな感じで書いています。


Twitter とか見てても、同じ気持ちの人は多い様子。

何か書こうとして、でも特に何かが書けるわけではない。


それでも、何かを書きたいという気持ちは、寄り添う気持ちがあるという意味かと思います。




東京電力が少し前に、事故のあった原発の屋上から流れた雨水が汚染されていた、ということを発表しました。

把握から発表まで時間がかかったことで、裏切りだ、事実隠しだと糾弾する声が多い。


実際事実を隠せるものなら隠したかったのでしょう。


ただ、「隠さねばならない」状況にしているのは、世間の雰囲気のせいではないのかな、と思います。


東京電力による廃炉工程は工程表よりもずっと遅れていて、遅い、もっと早くやれという声も聞こえます。

そういうことで糾弾されている限り、工程表外の突発的な事項には対応しづらいし、できることなら事実ごと隠したい、となってしまうのではないかな。


4年前、事故の翌月には発表された工程表を見て、僕は「この工程表は遅れるものとして見守るべきだ」と日記に書き記しました

最大で10倍まで遅れる可能性を、理由と共に明記しています。


実際、今はどの程度遅れているのか知りません。

最大で10倍、と僕は考えましたが、同時に3倍程度の遅れで済むのではないかな、とも思っています。


でも、遅れないなんて絶対にありえません。




昨年、福島のスパリゾートハワイアンズに家族旅行してきました。


少しでも東北地方にお金を回したい、という気持ちでした。

千円やそこらの寄付をするよりは、家族旅行で動くお金を丸ごと地域に回わせれば、経済に役立つかもしれない。


さらに、興味を持っている人の背中を押して、多くの人が東北を訪れるといい。

そう思って、ハワイアンズに行きたい人へのまとめも書いて公開しています。



1日目、ハワイアンズが立ち直ってよかった、ある程度復興は遂げられている、と思いながら遊びました。

翌朝、ホテルのロビーで朝刊を読んで、復興には程遠いと思い知りました。


関東に住んでいると報じられない、数多くの震災後ニュースが、現地の新聞には書かれています。


東北に旅行に行く方は、是非新聞に目を通してもらいたい。



今年も東北旅行に行きたい、とは思ってます。

詳細はまだ全然詰めていないし、どうなるかわからないけど。




最近、新聞で、津波に流された地域の高校生の発案で「木碑」を建てた話を読みました。


津波の記憶を風化させないために、石碑を建てよう、という話があったのだそうです。

石なら風化しない。100年だって持つ。


でも、この高校生はそれに違和感を持った。

昔の津波の記憶は、いたるところに石碑として残っていた。でも、見慣れた風景となり、意識の中では風化していた。


「物」が風化しなければいいんじゃない。「記憶」の風化を止めるにはどうすればいいか。



その発想が「木碑」という形で実現されたのだそうです。

木は朽ちてしまうから、4年ごとに建て替える、という計画で、向こう4回分(16年間)の建て替え費用はすでに寄付で集まっているとか。


建て替えの際には、簡単なセレモニーを行います。

定期的に過去を思い出す機会を作り、定期的に風景を変えることで、記憶の中の風化を防ぐ。


非常にいいアイディアです。




我が家では、地震直後に始めた「非常用飲料水の汲み置き」を、いまだに続けています。

家族5人が3日は暮らせるように、1日1人3リットルとすると、45リットルが必要です。


…実際には、少し足りない程度しか確保できていないのですが、ペットボトルに小分けにして、古いものから料理などに消費するようにして鮮度を保っています。


はっきり言って、馬鹿らしい。いつまで続けるのだろう、と自分でも思います。

区切りがあるたびに、もうやめようと思い続けてきたのですが、これを辞めたら自分の中で記憶が風化してしまいそうで、続けています。




特に震災の影響が強かったのは東北ですが、関東でも輪番停電が行われるなど、間接的な影響がありました。


なので、僕はこれは、東北だけでなく関東全域の人が「被災」したのだと考えています。

程度の違いこそあれ、被災した人は本当に多数いる。


それらの人は、過ぎ去ったからもう大丈夫、ではなく、今後も起こる問題として考え続けなくてはならない。



しかし、関東にいると、ずいぶん記憶が風化しているとも感じます。

先に書いたように、水の確保などで自分も記憶が風化するのを恐れつつ、生活から緊張感は無くなっていきます。



風化させてはならない、と思う一方で、後ろ向きでは何も始まらない、風化を恐れず新しい生活に移行しなくてはならない、とも思っています。



阪神大震災のことも、今でも時々思い出します。

でも、こちらは流石に「そういうこともあった。気を引き締めねば」という程度の記憶で、ことあるごとに思い出す、というほどではなくなっています。


誤解を恐れずに言えば、個別の事柄は、いつか記憶の彼方に押し込まれてもいいと思う。

「東日本震災」としての記憶が、いつか風化しても構わない。



ただ、いつでも有事は起こり得る、その時のためにどう行動するか、その時自分は何ができるか…

これらを考える気持ちだけは、風化させてはならないのだと思います。




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